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musasabi journal
第109号 2007年4月29日

   
 

こんにちは。ゴールデンウィークですね。安倍首相がCamp Davidでブッシュ大統領と行った共同記者会見で、大統領のことを「ジョージ」「ジョージ」と言っていたのはなぜなんですかね。個人的に親しいということを表現しようというわけで、そのようにしたのだろうと想像はしますが、はっきり言って安倍さんには似合わないと思いません?

目次

1)バージニア工科大学射殺事件:英国メディアのとらえ方
2)アメリカの韓国「一世半」
3)家族に住みやすい町とは
4)森元首相ダイエットの記事の価値
5)短信
6)むささびの鳴き声

1)バージニア工科大学射殺事件:英国メディアのとらえ方


銃社会・アメリカへの戸惑い

米国バージニア工科大学における大量射殺事件について、BBCのワシントン特派員が保守派のオピニオン・マガジンThe Spectatorに寄せた取材ノートを読むと、銃社会・アメリカが彼の理解の範囲を超えているという感覚が伝わってくるように(私には)思えます。

事件後に大学を訪れた特派員がこの大学の学生に「アメリカでは銃所持についての法的な規制をもっと強化すべきだと思わないか?」と問いかけたところ、次のような答えが返ってきたと伝えています。

銃購入者の履歴を厳重に調べるべきだと思うよ。しかしあの日、ボク自身が銃を持っていたら良かったのにと思うし、教授たちも銃を持っていれば、あの射殺犯人をやっつけることができたのだ。 More background checks, absolutely!’ he replied. ‘But I wish I had had a gun that day. I wish some of the professors had had guns on them. They could have taken the shooter down.

この記者は、銃の所持は「熱狂的キリスト教、野球、パンプキンパイと同じように、ヨーロッパ人とアメリカ人の違いを示すものの一つに過ぎないのだ」(Like evangelical Christianity, baseball and pumpkin pie, it is just one of those things that separates Americans from Europeans)と書いています。「どうなっているんだ、この国は」というとまどいが伝わってきます。

BBCの特派員は、従来は銃規制に熱心であるはずの民主党も「口をつぐんでいる」(largely silent on the issue)と言っています。この件については、4月21日付けのThe Economistがさらに具体的に伝えています。それによると、2000年の大統領選挙で、ゴア候補が破れたのは民主党の銃規制賛成の立場のおかげで、ウェスト・バージニア、カンザス、テネシーなどの銃規制反対州の票がとれなかったことにあると言っています。

一方、容疑者本人の心のうちを考えようとしている記事もあった。私が気が付いた範囲では、次の二つの全くニュアンスの異なる記事があります。一つはThe Observer紙、もう一つはThe Spectator誌のものです。

容疑者の孤独に迫る

4月22日付けのThe Observerのサイトに掲載されたPaul Harrisという記者によるレポート。メチャクチャに長い記事で、主に容疑者の韓国系アメリカ人の青年の孤独について延々と紹介しているのですが、最後のところで、彼の姉によるステートメントが掲載されている。彼女は名門、プリンストン大学の学生だそうで、ステートメントでは殺された人びとの名前を一人一人挙げて、次のように語っています。

「これらの人びとのそれぞれが、愛情もあり、すぐれた才能に恵まれておりました。彼らの生命が恐ろしくて全く意味不明な行動によって奪われたのです。私の弟は静かで控えめな人間でしたが、懸命に周囲とうまくやって行こうと努力をしておりました。彼がそのような暴力行為に走る能力があろうとは、私たちには想像もできなかったのです」 Each of these people had so much love, talent and gifts to offer, and their lives were cut short by a horrible and senseless act.My brother was quiet and reserved, yet struggled to fit in. We never could have envisioned that he was capable of so much violence.

Paul Harris記者は「キャンパスには、チョウに対する怒りは殆どない。あるのは信じられないという感覚と絶望感のみである。チョウは憎まれてはいない。あるのは何故そのような蛮行に走ることができるのか、という哀れみの気持ちである」として、ある学生の次のようなコメントを伝えています。

誰かが彼(チョウ)のもとに行けていればよかったのに・・・。彼を助け出せる友人が一人でもいればよかったのに・・・」 I just wish someone had got to him. If only he had been able to have a friend who could have helped him out.

Harris記者によると、バージニア工科大学のキャンパスには、命を落とした人びとの数だけのストーンが円になって置かれ、花や大学のペナントが供えられていたのですが、ストーンの数は33個(32が犠牲者で一つがチョウ容疑者のもの)であったとのことで、記事は次のように結ばれています。

チョウは、その孤独な人生によって心まで痛んでしまった。それは誰にも想像できないことである。しかし今や彼はついに仲間を得たのである・・・。 Cho, whose lonely life turned his mind in ways one can hardly imagine, finally has company.

悪のリアリティ

一方、これと全く違うのが、保守派のオピニオン・マガジンThe Spectatorに掲載された筆者不明のThe reality of evil(悪のリアリティ)というエッセイです。この記事は事件の直後に掲載されたもので、The Observerの記事のように時間が経過してから書かれたものではない。そのせいもあるのでしょうが、チョウ容疑者を「絶対的な悪」であるとして、「このような殺戮を説明づけようとして、伝統的なモラルではなく、心理療法的な分析を当てはめようとするのは最も根本的な誤りである」(The most profound error has been to use the tools of psychotherapy rather than traditional morality to analyse the slaughter)であると主張しています。

確かにこのような事件があると、社会のせいにすることで説明づけようとすることは、どこにでもある。この場合は、銃規制が甘いアメリカ社会とか容疑者が置かれた環境などが原因だ、というような解説が数多く見られる。こうした態度は「悪のリアリティに直面することを避けたがる現代的な態度の典型」(a peculiarly modern refusal to confront the reality of evil)なのだそうです。筆者に言わせると、最初に紹介したThe Observerの記事などもその例なのかもしれません。

The Spectatorの記事は、チョウ容疑者が最初の二人を殺害した後にキャンパスを歩いて次なる殺戮現場に向かう時点で事情が全く変わってしまい、彼は冷血殺人者に変わったのだとしています。「天国で僕(しもべ)となるより、地獄で支配者になる方がまし」(better to reign in Hell than serve in Heav'n)という気持ちになったというわけです。

(個人の)道義上の責任という考え方を犠牲にして、融和・決定論・集団的罪論という現代的な教義に頼ってしまうようでは、どのような文化の健全さも長くは続かないだろう(No culture can long remain healthy if it surrenders the concept of moral responsibility to the modern doctrines of mitigation, determinism and collective guilt)

つまり一人一人の善悪判断能力を問わずに「ま、人間だからしゃあないやね」というような態度のことを言っている(のだと私は解釈しています)。 で、The Spectatorの記事は、バージニア工科大学の悲劇について、永遠に憶えておくべき「善」の典型として、学生たちをかばって容疑者に撃ち殺された76才になる教授の「勇気」をあげています。この人はナチのホロコーストを生き延びた人だそうです。

  • この事件の容疑者が韓国青年であることが判明したとき、韓国の反応は殆どパニックでしたよね。ノムヒョン大統領がブッシュさんに宛てて「哀悼のメッセージ」を送るし、韓国外務省は米国内の大使館や領事館に「韓国人に対する危害が及ばないように」という指示を送るしという具合だった。
  • しかし私の見た範囲では、容疑者の行動を韓国人全般に結びつけるような報道は殆ど(というか全く)なかったように思えます。違いますか?容疑者は異常者であって、韓国青年であるのは、たまたまそうだったというだけのこと、という報道であったように思えます。つまり韓国本国が大騒ぎするほど、アメリカ人は「韓国」という国と結びつけて考えてはいなかった。英国メディアも同じです。
  • 容疑者が日本人であったら、日本人の反応は韓国人のそれと殆ど同じであっただろうと思いますが・・・違います?「これで日本人に対する風当たりが強くなるだろう」というニュアンスの報道やコメントが流れたのではないですかね。
2) アメリカの韓国「一世半」


韓国の新聞、朝鮮日報の英語版サイトを見ていたら、アメリカ・バージニア州の大学における射撃事件に関連して「Young Koreans in America: a Generation on Edge(アメリカにおける若い韓国人たち:不安定世代」という記事が出ていました。それによると、今回の射撃事件が、8才のときにアメリカに渡った韓国青年が起こしたものであることの理由の一つとして、幼いころの移民という急激な環境変化によるストレスがあるのではないかとのことです。

この容疑者のように非常に幼いころにアメリカへ渡った人たちのことを「一世」と「二世」(アメリカ生まれ)の間で「一世半」(1.5 generation)と呼ぶのだそうですが、親(一世)はクリーニング屋さんとか小さなショップを経営しながら、とにかく生きていくことに忙しく、殆どかまってもらえない世代でもある。39才になるある「一世半」(現在はコンピュータソフト関連の企業に勤務)は「英語もまともでないし、アメリカ文化もろくに分からない両親に対していつも腹を立てていた。なんでアメリカなんかに来たんだ、と文句ばかり言っており、一種の自己嫌悪に陥っていた。それを解消するために一生懸命勉強したし、付き合うのはもっぱら韓国系アメリカ人とだった」と語っています。

ロサンゼルス在住の「一世半」は「大きくなるにつれて人種差別を感じるようになった。白人の若い奴らのしょっちゅうケンカしたものだ。が、最後には現実を受け入れるようになった」とコメントしています。

朝鮮日報の記事によると、アメリカで学生ビザを持っている外国人学生は630,998人、その中で韓国人学生は15%の93,728人で、数がイチバン多いのだそうです(いずれも2006年の数字)。また韓国外務省の調べでは、2005年1月現在で在米韓国人の数は209万人。うちワシントンの領事館管轄エリア(バージニアも含む)は6・9%だけ。韓国企業・サムスンの医療機関、サムスン・メディカルセンターのYu Bum-heeという精神科の先生は「バージニアは白人優越的な動きが盛んな州。それが「一世半」たちのストレスの原因になっていることもある」と語っています。

  • 事件とは関係あ りませんが、朝鮮日報のサイトはよくできていますね。韓国語以外に英語と日本語のセクションがある。日本の新聞社のサイトで韓国語や中国語のセクションはあるんでしょうか?朝鮮日報が日本語セクションを作ったということは、日本に向けてメッセージを伝えようという意思があるからですよね。日本の新聞社にはそれがあるんでしょうか?
3)家族に住みやすい町とは


Reader's Digestという雑誌が、16歳以下の子供を持つ両親、1162組の英国人を対象に「家族で暮らすのにいい町の条件は何か」というアンケート調査を行ってその結果が雑誌のサイトに出ています。それによるとベスト3として、第1位がEast Dunbartonshire、2位がEast Renfrewshire、3位がForest of Deanという町だそうで、1位と2位がいずれもスコットランドの町であるところが興味深い。3位のForest of Deanはイングランドのグロスタシャーにある町だそうです。

この調査は、まず「家族で暮らすために適した町の12条件」というのを挙げて優先順位をつけてもらい、その後に国勢調査などのデータを基にして、それらの条件を満たす町をリストアップするという方法をとったのだそうです。その12条件は次のとおりです。カッコ内の数字は重要度を表す数字で、10に近いほど切実という意味。

1) いい公立学校がある(Good state schools:8.4)
2)犯罪が少ない(Low crime rate:8.4)
3) いい病院がある(Good local hospitals:7.7)
4) 住居の値段が手ごろ(Affordable family housing:7.7)
5) 就業率が高い(High employment:7.2)
6) 洪水の危険が低い(Low risk of flooding:6.8)
7) 家族が沢山暮らしている(Lots of families live there:6.4)
8) 地元の大学がある(Local universities/colleges:6.0)
9) 大都市まで1時間以内(Under an hour to a major city:5.7)
10) 温暖で乾燥している(Warm, dry weather:5.1)
11) 海岸まで1時間以内(Under an hour to the coast:4.9)
12) 国立公園まで1時間以内(Under an hour to a National Park:4.8)

という数字を基に、Reader's Digestが英国中の町を調べたところ、ベスト10の中で人口4万人以上という町はたった3つだけであったそうです。大都市といわれるところではNewcastle Upon Tyneが180位が一番高く、ついでLiverpoolが287位、Manchesterが328位というのだから、小さなお子さんを抱えた普通の家族には大都市は暮らしにくいってことなのでありましょう。

ワースト3はというと、North East Lincolnshireが406位、Waltham Forest (London) が407位ときて、Reading (Berkshire) が408位であったそうであります。

これら以外に私でも知っている町のランクをいくつか挙げると、Glasgowが185位と意外に(?)高く、Oxfordが399位と全く意外に低いのが目立つ。ちなみにCambridgeは201位。それから、よく観光局のパンフレットなどで紹介されるCotswoldも291位と結構低いんですね。ひょっとすると金持ちの中流階級ばかりが暮らしていて、「住居の値段が手ごろ」という条件に合わないのかも?

トップにランクされたEast DunbartonshireにあるMilngavieという町は人口が14,482。大都市Glasgowから10キロ以内。ティーンエイジャーの子供が二人いるGilbert McVean氏(52歳)は、Glasgowからここへ引っ越してきた理由について、いい公立中学があること、車で5分も行くと自然の美しい景色が楽しめるカントリーサイドに行けることなどのほかに「どこへ行っても知り合いに会える」(There are always familiar faces coming and going)というコミュニティ感覚を挙げています。

  • 私個人として特筆しておきたいのは、Milton Keynesという町が339位であったということであります。確かこの町はサッチャーさんのころに「職住隣接」のニュータウンとして開発されたところで、私はまだ住宅が建てられている最中に訪問したことがあります。季節が冬であったこともあるけれど、はっきり言って、ちょっと悲しい感じでありましたね。公園のような空き地にはコンクリート製のシマウマが置いてあったりして・・・。モデル住宅なるものを見せてもらったけれど「これが英国人の住まいなの?!」と狭さ加減にちょっとショックを受けました。
4)森元首相ダイエットの記事の価値

2007年4月27日付けの新聞の政治面に、「森嘉朗元首相が減量に成功した」という内容の記事が出ておりました。私の記憶によると、日本経済新聞以外の全紙が同じニュースを報道していた。例えば読売新聞には次のように書かれています。

森元首相がダイエット成功、110キロ→99・7キロに

自民党町村派の森元首相は26日の同派総会で、約3か月間で10キロ余りの減量に成功して体重がついに100キロを切ったことを報告し、派閥の議員から盛んな拍手を浴びた。森氏は約110キロの巨漢を誇っていたが、医師の勧めもあって約3か月前に食事制限によるダイエットを決意。政治家との夜の会合も低カロリーの野菜スープを持ち込む徹底ぶりで、99・7キロまでシェイプアップした。

で、森さんという人の体重が減ったということが、なぜニュースなんでありましょうか?いや、つまり、その、だから・・・新聞を作った人は、なにが理由でこれが掲載に足る(つまり読者が知っておくべき)ニュースだと思ったのか?ということなのでございます。ほかに載せるニュースがなかったので穴埋め(filler)として使ったということではないはずです。殆ど全部の新聞が記事不足に陥る偶然なんてありっこない。

あの人がダイエットに成功することで、読者の生活に何か影響でもあるんでしょうか?もしあるのだとすれば、どのような影響なのか教えて欲しい。はっきり言って私にはこの記事の「価値」が全く理解できまへん。ぜひ教えて欲しいのであります。

先日、フィンランドのヘルシンキ大学でメディア研究をしているという人と昼食をとる機会がありました。彼女は日本のメディア業界の現状調査を目的に来日していたのですが、我々の会話の中で、新聞の発行部数のことが話題になった。

日本の新聞の発行部数というと、読売新聞の1000万部がトップで朝日が800万で第2位。以下毎日新聞が400万、日経が350万で産経が250万などという数字が、かつて広報担当なる仕事をしていた私のアタマに浮かびます。フィンランドの場合はHelsingin Sanomatという新聞が最大の日刊新聞で、発行部数は約50万部なのだそうです。フィンランドの人口が500万であることを考えると、50万部というのはタイヘンな数字ですよね。対人口比という意味では読売の1000万部と同じことです。

50万とか1000万というのは、それぞれの新聞社が印刷して売っている部数のことであって読者数ではない。我が家の場合、ある新聞を取っていますが、それを私と妻の美耶子、それに娘も読むから読者は3人です。その計算でいくと、読売の読者数は3000万人ということになる。その3000万の中には会社の社長もいるし、政治家もいる。大学教授もいれば家庭の主婦とかタクシーの運転手さんもいる。要するに実にいろいろな人がいるわけです。

「そんなに沢山の人に読まれるように意図して作られている新聞なんて無難・無性格に決まっている。 面白いはずがないよね」というのが私の意見でした。 しかしそのフィンランドの先生は次のように言ったのです。

確かに部数の大きな新聞が平均的でつまらないということはある。だから小さいけれど特徴を持った新聞が沢山あって、それぞれが好みに合った新聞を読めばいいという意見にも一理はある。でも新聞の部数が大きいことにはいい面もあるのではないか。どんな人にも読まれる新聞が提供する"公共的な場(public sphere)"としての機能や役割だってあるんだから・・・。

これには正直言って意表をつかれた思いがしましたね。考えてみると、私が信じて疑わなかった「多部数批判」は、新聞を「商品」としてのみ考えれば当たっているかもしれないけれど、「公共的な場」を提供するものと考えようとすると必ずしも当たらない。新聞を商品としてのみ考えるならば「面白い」ものでなければ売れない、売れない新聞は価値がないということになる。

しかし「公のものである新聞」の場合は、中身は退屈かもしれないけれど「読む価値」のある事が掲載されることが求められるのかもしれない。フィンランドの先生の言うとおり、小さな新聞だけが沢山あるという状態だと、その社会のコミュニティ性のようなものが喪失してしまう。それは必ずしもその国や社会にとっていいことではないかもしれない、という教授の指摘には反論することが、私にはできませんでしたね。

ところで、日本という国は国際的に比較して、新聞の発行部数が非常に大きい国なんだそうです。これを可能にしているのが宅配制度の充実とはよく言われます。フィンランドと日本の共通点はここにあるようで、あの国の場合は新聞どころか雑誌まで90%が宅配なんだとか。

  • で、新聞が「公器」なのか「商品」なのか?もし前者であると新聞を作っている人たちが考えているのだとすると、森元首相のダイエットのニュースを掲載する「公的な意味」は何であったのか、ぜひ教えて欲しいですね。また、私のように新聞は商品であると思っている人間からすると、森さんのダイエットが、なぜお金を出してまでして知る必要のある「商品」であるのかがよく分からない。
5)短信


ドーベルマンは臆病

オーストリアの動物行動学者、Marianne Prutscherさんによると、数ある犬の中でも「神経質」の典型がドーベルマン、ボーダーコリー、ダルメシアンなんだそうですね。彼女は「犬に自信を持たせる教室」なるものを開いているのですが、そのポイントは「犬に本来備わっているオオカミ的本能を呼び覚ますことにある」とのこと。犬のオオカミ性を引き出したりしたら怖ろしいことになるのでは?と思うけれど、これが違う。「自分に自信を持っている犬は人を噛みません。神経質で臆病な犬ほど暴力的なのです」とおっしゃっております。

  • Prutscherさんがどのようにして、ワンちゃんのオオカミ的本能なるものを覚醒させるのかは書いていないけれど、オオカミになったドーベルマンなんて・・・やっぱ怖いでしょうね。

こうもりブーツ

こうもりは天井からさかさまに吊る下がりますね。ロンドンの地下鉄の中で、さかさまにぶらさがることができるブーツなるものがデザインされて話題になっているそうです。つり革のレール部にブーツの踵をはめてぶら下がるというシステムなんですが、32歳になるデザイナー本人によると「地下鉄通勤の退屈しのぎになるかもしれない」というのがデザインの動機なんだそうです。実際に試してみたところびっくりしたり(surprised)、喜んだり(liked it)、眉をひそめたり(appalled)で、乗客の反応はさまざまだったそうです。

  • ラノのデザイン展に出展されているらしいのですが、これは実にバカバカしくていいですね。

スローモーションでフルマラソン

ロンドンマラソンというのは、確か先週の日曜日(4月22日)でしたよね。参加者36,000人で、優勝はケニヤのマーチン・レル。時間は2時間7分41秒だったそうですね。で、あのマラソンに参加して、4月26日の木曜日現在まだ走っているのが、Greg Billingham氏。この人、スタートからスローモーションで走っているんですね。一歩進むのに5〜6秒かけて走っているらしい。チャリティで始めたスロモ・マラソンですが、ゴールは多分4月29日の日曜日あたり・・・だとするとロンドン時間の今日ってことですね。

  • BBCのサイトを見ていたら、優勝したケニヤの選手についてsignificantly faster than Mr Billingham(Billinghamよりはかなり速い)と伝えていました。でも、これはきついでしょうね。
6)むささびの鳴き声


▼先日、日本記者クラブで、中央教育審議会の山崎正和会長の話を聞く機会がありました。政策の話というよりも、もっぱら山崎さんの教育論を語るという感じの集まりであったのですが、その中で特に私の記憶に残ったのが「義務教育の定義」でした。山崎さんによると、義務教育とは、国家が国民に対して課している「義務」としての教育なのだそうであります。

▼その国がある程度の文化水準を確保していくためには、そこで暮らしている人々にある程度の共通の知識だの教養がなければならない。そこで国家が国民に対して強制的に課する教育というものがあって、これが「義務教育」ということだそうです。

▼私などは義務教育というのは「国が国民に対して課する義務を負っている」(つまり国民は教育を受ける権利を有している)という意味であると考えていたのであります。考えてみると義務教育のことを英語ではcompulsory educationと言いますね。compulsoryというのは強制的という意味です。反対語がvoluntary(自発的)。税金を払うのはcompulsoryなんですよね。つまり「義務教育」というよりも「強制教育」といった方が正確で分かりやすかったということ?

▼山崎さんはまた、「義務教育課程における道徳教育は無理」とも言っておりました。これだけ価値観がさまざまにある世の中で、ことの善悪を教科として教えることに無理があるというわけです。道徳や倫理ではなくて「順法精神」を教えるべし、というのが山崎さんの意見でありました。「道徳や倫理などは、教師とか親が身を以って教えるべき類のものであって、教科としてはなじまない」とのことでした。

▼英国では「道徳」(ethicsとかmoral)という名前の教科はないかもしれないけれど、宗教教育は公立の小中学校では教科として教えられていたと思います。宗教と道徳は必ずしも同じことではないけれど、重なる部分もかなりある。だから結構議論になる分野で、子供によっては宗教的な理由から、学校の宗教教育の時間には出席しないというケースもあるんだそうです。

▼ただ本来の宗教教育の狙いは、世の中にはいろいろな宗教観や価値観を持った人や国があるってことを教えることにある(とされている)。子供らの精神的・道徳的・社会的・文化的な能力をフルに発達させることが目的であって一つの価値観や宗教を押し付けるものではない、と政府は言っています。

むささびジャーナルへのメッセージ