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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
musasabi journal
第111号 2007年5月27日

数ある「むささびジャーナル」でも、今回(111号)のように同じ数字が3つ並ぶケースは、これが最初で最後でしょう。当然ですね、次は222号だし、その次は333号。そりゃムリってもんださね。というわけで、トリプル・ワンのむささびジャーナル、よろしく。

目次

1)「スーパーリッチ」の定義
2)主義がないから、長持ちした?ブレアさん
3)ホワイト・タイとアメリカ人
4)ドナルド・キーンの『英語版 おくのほそ道 』
5)短信
6)むささびの鳴き声

1)「スーパーリッチ」の定義


この7月に販売が始まるロールスロイスのDrophead Coupeというクルマの値段、いくらだと思います?325,000ポンドだそうです。私の計算に間違いがなければ、ほぼ7000万円。クルマ1台が、です。

BBCのサイトによると、約800台が売られるのだそうですが、どんな人が顧客なのか?超金持ち(スパーリッチ)に決まっているけれど、どのくらい金持ちなのか?メリルリンチの定義によると「3000万ドルを即金で払える人」のことを言うらしい。3000万ドルというのは、つまりその、ええと、ええと・・・30億円を超えるんでない!?

で、こういう人は世界に85,400人おり、うち20,000人がヨーロッパ人、その中の3700人が英国人なのだとか。ロールス・ロイスによると、この新車の顧客の40%はアメリカ人だそうです。BBCによると、不動産業が多いらしいのでありますが、Drophead Coupeを購入するような人たちをさらに具体的に言うと・・・。

  • 個人の不動産を3〜5物件を所有しており、うち1〜2物件は自国以外のところに持っている。
  • すでに7〜8台のクルマを持っている。殆どの場合、ロールスも持っているのですが、新車を買うとしても「買い替え」ではなく「追加購入」なんだそうです。
  • 14%の人がプライベート・ジェットを持っており、7%がヨットの所有者であります。

ロールスロイスは5年前にドイツのBMWに買収されたのですが、その後イマイチ業績がぱっとしなかった。2003年の販売台数は300台にすぎなかったのですが、昨年になって800台にまで成長、これを維持・発展させたいというわけであります。

325,000ポンドという値段について、イタリアのヨット・メーカー、Azimut-Benettiの広報担当は「同じ値段で、わが社の安い方のものなら買えるでしょう」と、ちょっと見下げたコメントをしております。ロールスが競争相手なのでは?という問いに対しては「競争相手とは見ておりません。ウチの顧客なら、ロールスの一台くらい、よっとの追加という感じで買いますよ」(But we don't see them as a competitor. If our customers would like a Rolls-Royce, they could afford to buy one in addition to one of our yachts)と、ますますにくいことを言っております。

それにしても7000万円もするクルマが800台も売れるんでしょうか?という素朴な疑問がありますが、それについてロールスロイスのロバートソン販売担当は「そのくらいいるでしょう。世界の人口は66億人。とりあえずそのうちの800人だけ狙っているんだから」と言っています。

ところでDrophead Coupeの何がそんなにすごいのかというと、BBCのサイトにいろいろ書いてありますが、イチバン分かりやすいことで言うと、スタートしてから6秒かからずに時速90キロが出せるってことだそうです。アンタ、買います?

  • ロールスロイスも、いまはBMWの傘下にある企業だから、厳密には「英国車」とはいえないかもしれないけれど、英国の自動車産業からは、およそハイブリッドだの省エネだのという言葉が聞こえてこないですね。 このクルマは800台しか売らないらしい。地球には66億の人間が暮らしているのだから、Drophead Coupeを所有する人は、そのうちの800万分の1ってことになる。 誰が何を運転しようが、その人の自由ですが、英国の自動車産業には、もう少し「普通の人」の役に立つようなクルマはないんですかね?

2) 主義がないから長持ちした?ブレアさん


前回の「むささびの鳴き声」で、ブレアさんにはイデオロギー(ism)がないというSimon Jenkinsという人の意見を紹介しました。ブレアさんはサッチャリズムの延長にすぎないという、やや批判的な記事であったわけですが、5月9日付けのアメリカの新聞、Christian Science Monitor (CSM)のサイトに掲載されたエッセイは、ブレアさんにイデオロギーがないということをむしろ好意的に捉えています。

スコットランドのセント・アンドリュース大学のGerard DeGrootという歴史学の教授のエッセイで、この人はアメリカ人。1980年以来、この大学で教えながら英国をウォッチングしてきた学者さんです。1980年はサッチャーさんの「革命」が始まったころのことですが、DeGroot教授によると、「国民の半数がサッチャーさんを嫌っていたが、彼女はそれを意に介さなかった」(???)とのことで、彼女の政権下では、英国民が敵(they)と味方(we)に分裂して、国全体が対立ムードにあふれていた。

教授によると、ブレアさんはサッチャーさんのような国民との対決姿勢をとらず、国民とのコンセンサス(融和)による政治を行ったのであり、ブレア時代の英国には「いがみ合い」(strife)がなかったことを好意的に評価している。ブレアもサッチャー同様に強い指導性を発揮したのですが、国民に嫌われるということはなかったというわけです。

ブレアさんが指導者として長持ちした最大の理由は「XX主義」のような理念めいたもの(教授はこれを"聖なる真実"sacred truths)と表現している)に束縛されなかったことにある、と教授は言っています。「階級」とか「党の路線」がなくなり、政治的なラベル貼りそのものが無意味(irrelevant)になった時代であるということです。

ブレアの10年が示したことは、何も信じない国民を支配することは極めて容易であるということである。(As the Blair decade has demonstrated, a people who believe in nothing are immensely easy to govern.)

DeGroot教授は、ブラウン次期首相が成功するかどうかは、彼がどこまで「原則を棄てる(abandon principles)」気があるかにかかっている、と言っています。教授のブレア論の結論は次のようになっています。

これから何年にもわたって。歴史家たちは、ブレアという人が(国の)運命を形作った人物なのか、単に(時代の)波に漂っていただけの存在なのかについて議論することになるであろう。彼が偉大な人物であったかどうかは、歴史研究者が評価することであるが、一つだけはっきりしていることは、ブレアがある時代の到来を予兆させる存在であったということである。その「時代」とは、イデオロギーには何の意味もなく、パワーが全てであるという時代である。
In years to come, historians will argue whether Blair was an architect of destiny or a floater on the tide of circumstance. History students will assess his credentials as a great man. No one, however, will doubt his status as a harbinger of an age when ideology is nothing and power everything.

  • ブレアさんの功績を「国内のいがみ合いムードを緩和した」ことに求める、DeGroot教授の見方は英国メディアでは余り出てこない。けれど当たっている部分はある。80〜90年のサッチャー時代は、それ以前の「親切な福祉政策」に代わって「働かざる者食うべからず」という辛い時代であったし、サッチャーさんを引き継いだメージャー時代(91年〜97年)は、イマイチ性格のはっきりしない「よどんだ時代」だった。
  • 弱肉強食のサッチャーもイヤだけど、ストライキだらけの昔の労働党時代にも戻りたくない・・・という国民的な出口探しの時代に登場したのがブレアさんだった。ブレアさんは保守党のみならず、昔の労働党にも反対を唱えて登場したのですが、かつてに比べれば生活が良くなっていた英国人は「若い宰相」に出口らしきものを見出したわけです。その頃メディアをにぎわした言葉はfeel good effect。英国人が英国人であることにgood feelingを持ち始めた時代であったわけです。
  • ただ、よく言われることですが、ブレア政権はサッチャー主義の延長であるという指摘について、この教授がどのように考えているのか?サッチャー主義が「いがみ合い」社会をもたらしたことは事実かもしれないけれど、サッチャー時代とそれを引き継いだメージャー時代に、英国人の生活そのものが向上したというのもまた事実であると言われています(本当かどうか分からないけれど)。ブレアさんを歓迎できたのも「衣食足りて礼節を知る」時代であったからではないのか?
  • ブレアさんは、地元選挙区で行った辞任演説の中で「私が政治的な成熟を迎えるころは、冷戦が終わりつつある時代でした(I reached political maturity as the Cold War was ending)」と述べています。ブレアさんが労働党党首になったのが1994年。ベルリンの壁が崩壊したのが1989年の末。ソ連の消滅が91年。確かにブレアさんという人は「資本主義 vs 社会主義」という意味での「イデオロギーの時代」が終わった時代に登場した政治家であったわけだ。
  • しかしブレアさんは、国内的な経済政策では「脱イデオロギー」だったかもしれないけれど、国際的には、何かと言うと「価値観」なるものを振りかざした。イデオロギーと価値観は違うのか同じなのか?それは社会主義とか資本主義とか市場経済主義とかいうものとは違うかもしれないけれど、人間のアタマが考え出した、人間を支配するための思想であるという点では同じなのでは?
3)ホワイト・タイとアメリカ人


私(春海)、いわゆる「正装」を要求される集まりなどに呼ばれたことがないので、「正装」と言えば「ブラック・タイ」(黒いネクタイをつける行事)のことだと思っていたのでありますが、その上に「ホワイト・タイ」ってのがあるんですね。エリザベス女王が5月の初めにアメリカを訪問した際にホワイトハウスで開かれた歓迎晩餐会がその「ホワイト・タイ」イベントであったわけですが、それに絡んでThe Spectator誌のAlexander Chancellorという在米の記者が面白いエッセイを寄稿しています。

ホワイトハウスの行事としての「ホワイト・タイ」はかなり希な行事なのだそうで、1980年から数えて、今回のエリザベス女王を含めてたったの3回。あとの2回は1994年の日本の天皇陛下、2000年のスペイン国王を迎えた時で、ホストいずれもクリントン大統領だった。

エリザベス女王は91年にも訪米しており、ホワイトの歓迎晩餐会はあったのですが、そのときはホワイト・タイではなかった。ホストは今のブッシュ大統領の父親のブッシュ大統領だった。何故、これがホワイト・タイではなかったのかというと、当時のブッシュ大統領は、英国がホワイト・タイにするに足るほど忠実な仲間ではないと考えていたのではないか、というのがChancellor記者の推測です。実はサッチャー首相が当時のブッシュ大統領のイラク政策が生ぬるいと公に批判したりしたことがあり、それが面白くなかったのではないかとのことです。息子のブッシュのイラク政策に対するブレアさんの支持ぶりとは大違いというわけです。

実はエリザベス女王の歓迎晩餐会をホワイト・タイにしようというのは、ブッシュ夫人のローラさんの発想で、大統領本人は全く乗り気でなかったという説もあるのだそうです。ホワイトハウスとしては、テキサス・カウボーイのブッシュさんが、英国式エリートとは違うのだということを見せつけたいと思っていたということ。現にNew York Timesなどは「テキサスの成上り野郎と気取り屋英国人の文化の対決」(collision of cultures: Texas swagger meets British prim)などと書き立てていた。

ただChancellor記者によると、ブッシュ大統領がホワイト・タイぎらいというのはナンセンスだそうで、2003年に訪英したときにはバッキンガム宮殿でのホワイト・タイに十分にハッピーであったし、レーガン大統領だって就任記念舞踏会はホワイト・タイで行ったのだそうです。

Chancellor氏の見方によると、ジーンズやTシャツを発明したのはアメリカ人ではあるけれど、だからといってアメリカ人が「フォーマル嫌い」というわけではない。ワシントンにいると、町中が中流アメリカ人のブラック・タイであふれているような時もある。アメリカの場合、南部に行くとフォーマルの度合いが高まるのだそうで、イチバン有名なホワイト・タイ・イベントはテネシー州ナッシュビルの舞踏会、Swan Ballで、テーマは常に「エレガンス」。一人500ドル払わないと参加できないそうです。

というわけで、アメリカ人だからインフォーマルということはないのですが、アメリカ人にとって、英国人と付き合う場合、「正装」の問題は常に頭痛(confusion)のタネなのだそうです。英国人は実際にはきわめて「インフォーマル」な人間であるにもかかわらず、アメリカ人の心には、英国人といえば「気難しい・横柄・エリート主義」というイメージがすり込まれてしまっている、とChancellor氏は書いている。だから英国人のいる前でホワイト・タイを身につけるということは、「気難しい英国人」と一緒にいるのだという気になってしまう。

もう一つ、多くのアメリカ人にとって、英国人は、昔彼らの祖先を抑圧した人種であり、独立戦争では血を流して戦った相手である、英国人に敬意を払うということ自体への居心地の悪さもある、というのが英国人・Chancellor氏のみるところです。

ところでエリザベス女王の晩餐会には7000人が出席したそうです。何人を招待したのかは分かりませんが、少なくとも一人だけ出席を断って来た人がいた。ネバダ州選出のハリー・リード上院議員で、彼のスポークスマンによると「上院議員はホワイト・タイ晩餐会のタイプではない」とのことで、奥さんと二人で静かに夕飯を取る方が合っている」とのことであります。

4)ドナルド・キーン 『おくのほそ道』の英語訳

『英文収録 おくのほそ道』(講談社学術文庫)は、アメリカ人のドナルド・キーンさんが松尾芭蕉の名作を英語と日本語で紹介しているのですが、これを拾い読みしてみて、改めて俳句という文学の面白さ・難しさに感じ入ってしまったのであります。例えば次の対訳。

閑かさや
How still it is here...
岩にしみいる Stinging into the stones,
蝉の声 The locusts' trill.

この句が山形の立石寺というお寺における風景を詠んだものであることを知らなくても、しーんと静まりかえった夏の風景は想い浮かびますよね。「閑かさ」と「静かさ」がどう違うのか分からないけれど、キーン先生は「閑かさ」という日本語を表現するのにstillという英語を使っています。quietとかtranquilではない。stillの意味をOxford English Dictionary"not moving""calm and quiet"と説明しています。つまり「閑かさ」というのは、物音が聞こえないということだけでなく、「動くものがない」とか「目の前の風景そのものが止まって見える・感じられる」という意味だってこと?

次に『おくのほそ道』の中で、私が何故かイチバン気に入っている俳句は次のように対訳されています。

暑き日を
The burning sun
海に入れたり It has washed into the sea,
最上川 Mogami River.

「海に入れたり」をwashed into the seaなぞはニクイですな。分からないのは「暑き日」をburning sunとしている点でありますね。hot summer dayなどではダメなんでしょうか?

俳句というのは面白いもので、文字で風景画を描いているようなところがあるのですが、読む人によって、全然違う風景を観ていることもある。burning sunということは、夏の太陽がギラギラ照りつけている風景だと思うのですが、hot summer dayの場合は、お日様が出ているかどうかは関係ない。うだるように暑い夏の日という風景です。曇り空かも知れない。そもそもこの句は、いまの山形県酒田市で詠んだのだから、最上川が日本海に流れ込む風景を芭蕉が見ていたことは間違いない。日本海とくれば、どうしたって「曇り空」ですな。そして、最上川がのたりのたりと海に流し込んでいるのはお日様ではなくて、うだるように暑い日そのものなのであります。

もう一つ、キーン先生が画期的に面白いことを言っています。最初の「閑かさや 岩にしみいる 蝉の声」をローマ字で書くと:

shizukasaya iwani shimiiru semi no koe

となる。この中に「i」という母音が七つも入っている。「i」を発音すると「い」ですね。この音を七つも入れると俳句全体が「イー、イー」という蝉の鳴き声のように響く。キーンさんによると、これは芭蕉が意図したことなのだそうであります。なるほど、専門家の言うことは違いますな!

  • この本と全然関係ありませんが『おくのほそ道』というテーマの万歩計をつけて、ウォーキングなるものをやり始めたことがあります。いえ、私が、です。確か2004年の春先のことだったかな・・・で、3年目の今、『おくのほそ道』をどこまで歩いたか?なんてえことを、聞くんですか、アナタは。にくいね、どうも。いえ、今日も歩いたんですが、万歩計を見たら「石巻」でありました。多分、次は松島かな?宮城県ですな、つまり。3年かかって、ようやく宮城県。最近は、東北新幹線で仙台まで1時間半だそうじゃありませんか。「なんで、3年で宮城なんだ?」なんてこと、聞いちゃいけませんよ。返答に窮するってヤツですからね。
5)短信


世のならず者を教育する?地下牢テーマパーク

地下牢(dungeon)を題材にしたテーマパークなんてのが、英国のヨークという街にあるんですね。このパークが最近、これまでに迷惑防止条例(ASBO)に違反した捕まった人たちを対象に「無料ご招待」の企画を打ち出して顰蹙を買っております。ASBOはAnti-Social Behaviour Orderの略で、近所迷惑も顧みずに夜中の3時までドンチャン騒ぎのパ−ティーをやったりという具合に、世の中の鼻つまみ的行為を禁止する条例です。ヨーク地下牢パーク(York Dungeon)の広報担当は今回の企画について、ASBO違反者に対して、昔ならこのような刑罰を受けた筈、ということを教育として教えることに意義があると言っているのですが、自分がASBO被害にあって自分のクルマのタイヤをずたずたに切られたことがある、ヨークの住民は、その犯人が無料招待されることに「全くむかつく」(absolutely disgusting)とかんかんに怒っております。

  • それにしても地下牢テーマパークって何なの?と思ってネットを調べたら、要するに一種のお化け屋敷のようでした。自分のクルマをメチャクチャに壊された人が「むかつく」のしゃあないよな。

フェラーリの修理代

ロールスロイスの値段が7000万円というのもすごいけれど、自分のフェラーリにバスが衝突して壊れてしまったというオーナーがバス会社に請求した損害賠償金は30万ポンド、つまり殆ど7000万円。このフェラーリの値段は60万ポンドだから約1億5000万円てえことになる。このフェラーリの持ち主はFrank Moutainなる不動産業のミリオネアらしいのですが、ぶつけられたフェラーリは世界で399台しか販売されなかったもの。400台生産されたのですが、1台だけローマ法王に献上され、津波被害者支援のチャリティ・オークションで売られたものだそうです。

  • 英国のドーセットにあるバス会社の運転手がハンドルを誤ってぶつけてしまったらしいのですが、54歳になる運転手は「自分のミスではない」と言っている。その一方で、奥さんに「もっと安いクルマにぶつけたらどうなのさ」(You couldn't have been in an accident with anything cheap could you?)と怒鳴られてしょげ返っているそうです。

生活保護金よりヤギ10頭

ルーマニアのコンスタンタという県にあるIndependentaなる村が、貧しい村民20世帯に対する貧困救済対策として、お金ではなくてヤギ10頭を現物支給することになっています。提供されたヤギは、食料や収入の源として使うことだけが許されており、売ったり食べたりしてはいけない。何故お金でなくてヤギなのか?村長のギスカン氏によると「お金をもらうということは、他人に面倒を見てもらうということで、倫理に反する」と言っているのですが、これに対して海外(特にアメリカ)に住むルーマニア人から「ルーマニアのイメージダウンになる」と反対の声が上がっているらしい。

  • 何故これがイメージダウンなのですかね?後進的と見なされるってことですか?そんなことはないでしょう。
6)むささびの鳴き声


▼高校生が母親を殺し、その首を持って自首したという事件について、あるラジオ番組がリスナー参加のディスカッションをやっていた。「あの事件について何を感じたか?」というのをテーマに話し合うという趣向だったのですが、司会の女性アナウンサーが「何故彼があのようなことをしたのか、知りたいと思うのが普通ですよね?」と言っておりました。

▼えー、そうですか!?皆さん、このような事件の「何故?」を知りたがるのですか?私はそのようなことを知りたいとは全く思いませんね。私が感じたのは「その高校生に家族がいたら、これからタイヘンだろうな」という同情心のようなものでしたね。

▼この種の事件が起こるたびに、テレビでは近所の人々のインタビューコメントなるものが放送される。「おとなしい人でしたがねぇ・・・」「お母さんとはたまに言い合いをするのが聞こえましたよ」・・・あたかも、これらのコメントに何かの意味でもあるかのような印象ですが、実際には何の根拠も意味もない。根も葉もないウワサ話を全国中継しているにすぎない。

▼で、私は残された家族への同情心と一緒に、この種のコメントを放送するテレビ局の人たちの神経について「ひどいことをするものだ」と単純な怒りと違和感を感じるわけです。

▼その若者が何故そのようなことをしたのかを知りたいといいますが、それを知って、アンタどうするんですか!?しかし暴力団が拳銃を入手するのを、警察が止められない理由・・・これは知りたい、絶対に。それを追及する放送なら見てもいいと思うし、ディスカッションをする価値もある。それは間違いない。

むささびジャーナルへのメッセージ