私(春海)、いわゆる「正装」を要求される集まりなどに呼ばれたことがないので、「正装」と言えば「ブラック・タイ」(黒いネクタイをつける行事)のことだと思っていたのでありますが、その上に「ホワイト・タイ」ってのがあるんですね。エリザベス女王が5月の初めにアメリカを訪問した際にホワイトハウスで開かれた歓迎晩餐会がその「ホワイト・タイ」イベントであったわけですが、それに絡んでThe
Spectator誌のAlexander Chancellorという在米の記者が面白いエッセイを寄稿しています。
ホワイトハウスの行事としての「ホワイト・タイ」はかなり希な行事なのだそうで、1980年から数えて、今回のエリザベス女王を含めてたったの3回。あとの2回は1994年の日本の天皇陛下、2000年のスペイン国王を迎えた時で、ホストいずれもクリントン大統領だった。
エリザベス女王は91年にも訪米しており、ホワイトの歓迎晩餐会はあったのですが、そのときはホワイト・タイではなかった。ホストは今のブッシュ大統領の父親のブッシュ大統領だった。何故、これがホワイト・タイではなかったのかというと、当時のブッシュ大統領は、英国がホワイト・タイにするに足るほど忠実な仲間ではないと考えていたのではないか、というのがChancellor記者の推測です。実はサッチャー首相が当時のブッシュ大統領のイラク政策が生ぬるいと公に批判したりしたことがあり、それが面白くなかったのではないかとのことです。息子のブッシュのイラク政策に対するブレアさんの支持ぶりとは大違いというわけです。
実はエリザベス女王の歓迎晩餐会をホワイト・タイにしようというのは、ブッシュ夫人のローラさんの発想で、大統領本人は全く乗り気でなかったという説もあるのだそうです。ホワイトハウスとしては、テキサス・カウボーイのブッシュさんが、英国式エリートとは違うのだということを見せつけたいと思っていたということ。現にNew
York Timesなどは「テキサスの成上り野郎と気取り屋英国人の文化の対決」(collision
of cultures: Texas swagger meets British prim)などと書き立てていた。
ただChancellor記者によると、ブッシュ大統領がホワイト・タイぎらいというのはナンセンスだそうで、2003年に訪英したときにはバッキンガム宮殿でのホワイト・タイに十分にハッピーであったし、レーガン大統領だって就任記念舞踏会はホワイト・タイで行ったのだそうです。
Chancellor氏の見方によると、ジーンズやTシャツを発明したのはアメリカ人ではあるけれど、だからといってアメリカ人が「フォーマル嫌い」というわけではない。ワシントンにいると、町中が中流アメリカ人のブラック・タイであふれているような時もある。アメリカの場合、南部に行くとフォーマルの度合いが高まるのだそうで、イチバン有名なホワイト・タイ・イベントはテネシー州ナッシュビルの舞踏会、Swan
Ballで、テーマは常に「エレガンス」。一人500ドル払わないと参加できないそうです。
というわけで、アメリカ人だからインフォーマルということはないのですが、アメリカ人にとって、英国人と付き合う場合、「正装」の問題は常に頭痛(confusion)のタネなのだそうです。英国人は実際にはきわめて「インフォーマル」な人間であるにもかかわらず、アメリカ人の心には、英国人といえば「気難しい・横柄・エリート主義」というイメージがすり込まれてしまっている、とChancellor氏は書いている。だから英国人のいる前でホワイト・タイを身につけるということは、「気難しい英国人」と一緒にいるのだという気になってしまう。
もう一つ、多くのアメリカ人にとって、英国人は、昔彼らの祖先を抑圧した人種であり、独立戦争では血を流して戦った相手である、英国人に敬意を払うということ自体への居心地の悪さもある、というのが英国人・Chancellor氏のみるところです。
ところでエリザベス女王の晩餐会には7000人が出席したそうです。何人を招待したのかは分かりませんが、少なくとも一人だけ出席を断って来た人がいた。ネバダ州選出のハリー・リード上院議員で、彼のスポークスマンによると「上院議員はホワイト・タイ晩餐会のタイプではない」とのことで、奥さんと二人で静かに夕飯を取る方が合っている」とのことであります。
『英文収録 おくのほそ道』(講談社学術文庫)は、アメリカ人のドナルド・キーンさんが松尾芭蕉の名作を英語と日本語で紹介しているのですが、これを拾い読みしてみて、改めて俳句という文学の面白さ・難しさに感じ入ってしまったのであります。例えば次の対訳。
閑かさや
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How
still it is here... |
岩にしみいる |
Stinging
into the stones, |
蝉の声 |
The
locusts' trill. |
この句が山形の立石寺というお寺における風景を詠んだものであることを知らなくても、しーんと静まりかえった夏の風景は想い浮かびますよね。「閑かさ」と「静かさ」がどう違うのか分からないけれど、キーン先生は「閑かさ」という日本語を表現するのにstillという英語を使っています。quietとかtranquilではない。stillの意味をOxford
English Dictionaryは"not
moving""calm and quiet"と説明しています。つまり「閑かさ」というのは、物音が聞こえないということだけでなく、「動くものがない」とか「目の前の風景そのものが止まって見える・感じられる」という意味だってこと?
次に『おくのほそ道』の中で、私が何故かイチバン気に入っている俳句は次のように対訳されています。
暑き日を
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The
burning sun |
海に入れたり |
It
has washed into the sea, |
最上川 |
Mogami
River. |
「海に入れたり」をwashed
into the seaなぞはニクイですな。分からないのは「暑き日」をburning
sunとしている点でありますね。hot
summer dayなどではダメなんでしょうか?
俳句というのは面白いもので、文字で風景画を描いているようなところがあるのですが、読む人によって、全然違う風景を観ていることもある。burning
sunということは、夏の太陽がギラギラ照りつけている風景だと思うのですが、hot
summer dayの場合は、お日様が出ているかどうかは関係ない。うだるように暑い夏の日という風景です。曇り空かも知れない。そもそもこの句は、いまの山形県酒田市で詠んだのだから、最上川が日本海に流れ込む風景を芭蕉が見ていたことは間違いない。日本海とくれば、どうしたって「曇り空」ですな。そして、最上川がのたりのたりと海に流し込んでいるのはお日様ではなくて、うだるように暑い日そのものなのであります。
もう一つ、キーン先生が画期的に面白いことを言っています。最初の「閑かさや 岩にしみいる 蝉の声」をローマ字で書くと:
shizukasaya iwani shimiiru semi no koe
となる。この中に「i」という母音が七つも入っている。「i」を発音すると「い」ですね。この音を七つも入れると俳句全体が「イー、イー」という蝉の鳴き声のように響く。キーンさんによると、これは芭蕉が意図したことなのだそうであります。なるほど、専門家の言うことは違いますな!
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