1997年8月31日、ダイアナ妃が亡くなったのですよね。ちょうど10年。月日が経つのは本当に早い。10周忌ともなると、いろいろなところで関連行事が行われたし、メディアもいろいろと取り上げています。アメリカのTime8月27日号もその一つで、見出しはRebel
Heart(反逆心)となっていて、イントロは次のようになっています。
「はにかみやの花嫁から熱心な活動家へ、ダイアナ妃は自分を変えただけでなく、彼女の国をも変えてしまったのだ」(From
shy bride to passionate campaigner, Diana, Pricess of Wales didn't
just transform herself--she changed her country)
一方、The
Economistの8月25日号は、政治コラムのBagehotでダイアナ妃を取り上げているのですが、トーンがTimeの記事とはちょっと違う。見出しがCarnival
queen(カーニバルの女王)ときて、イントロは
「死去から10年、ダイアナ妃の伝説は、考えられていたかもしれないものとは違ったものになっている」(A
decade after her death, Princess Diana's legacy is not the one
that might have been expected)
というわけです。
Timeの記事は、ダイアナ妃が国を変えただけでなく「彼女はおしゃれな上流階級とは見られることがなく、普通の人間の一人と見られた(She
wasn't seen as posh. She was one of the people)」とダイアナ妃を賞賛しているわけですが、The
Economistは、「普通の人間とは見られていなかったし、国を変えることもなかった(She
wasn't and she didn't)」と逆のことを言っている。
Timeの記者は、彼女がハンセン病やエイズの患者を訪問することに熱心であったことを「普通の人」の例としてあげているのですが、The
Economistは「ダイアナの人気は、普通の人々の間を歩き回って、いろいろと奇跡を起こす古代の王族という部分にあったのだ(Diana's
appeal rested in part on an ancient archetype: the monarch who walks
among the people, working miracles)としている。
憶えていますか?彼女が死んだとき、エリザベス女王をはじめとする王室が、ダイアナの死に冷たい態度だったというので、英国民の反王室機運が盛り上がったことが伝えられましたよね。気の早い人は、ひょっとすると共和制になるのでは?とまで言ったりした。The
Economistは、この観測も全く間違っていたとして、ダイアナ妃の死の5年後に亡くなったエリザベス皇太后の葬儀や女王の即位50周年の式典には大群衆が詰め掛けたではないか(huge
and loyal crowds turned out for the queen mother's funeral, and
for the queen's Golden Jubilee)と言っている。また10年後のいま、世論調査でも王室の人気は相変わらず高いし、チャールズ皇太子とカミラさんのことをとやかく言う人もいなくなってしまった。
Time誌の記事を読むと、英国王室が一般に開放的になったのもダイアナ妃のお陰という感じですが、The
Economistの記事は、その努力はダイアナ妃が王室に加わる前にすでに女王らによって行われていたとして、1969年のテレビ・ドキュメンタリーを挙げています。エリザベス女王はlet
in daylight upon the magic(神秘に日の光を当てる)と言っていたのだそうです。
ダイアナ妃の死によって、英国の政治風土や英国人気質が変わったという人もいる。彼女は人種の違いを超越して好かれていたということもあり、彼女の死は「多民族社会としての英国」が発展する一里塚になったという人もいるけれど、The
Economistによると、英国は彼女の登場前からとっくに多民族社会になっていたのだ(ダイアナ妃の死によって、英国の政治風土や英国人気質が変わったという人もいる。彼女は人種の違いを超越して好かれていたということもあり、彼女の死は「多民族社会としての英国」が発展する一里塚になったという人もいるけれど、The
Economistによると、英国は彼女の登場前からとっくに多民族社会になっていたのだと言っています。
英国人気質が変わったという部分については、Time誌は、彼女の死を泣き悲しむ英国人たちについて「感情的なインテリジェンス(知性)が冷たいインテレクト(理知)に勝利したのであり、優しさが伝統に勝った」(triumph
of emotional intelligence over cold intellect, of compassion over
tradition)ことを意味するとしている。
英国人が昔ながらの美徳として語るものにstiff upper-lip(唇を真一文字に結んで苦しみや悲しみに耐えること)があり、ダイアナ妃の死に直面した英国人たちの唇がゆるんだと言う人は確かにいましたね。しかし、この点についてもThe
Economistは、そのような見方は誇張であって、感情をむき出しにしないという英国人気質は、あのロンドン・テロ(2005年7月7日)においても十分に発揮されたのだとしています。
ダイアナ妃の死を嘆き悲しむ英国人がロンドンを埋め尽くしたことについて、The Economistは非常に面白い解説をしています。
トニー・ブレアの新労働党が登場し、保守党が去ったという(社会的な)事情もあって、the Mallで泣いたり抱き合ったりという風景は、一般的な雰囲気として、何か大きなものの一部になりたいという願望が存在したことの証拠であるとされてきた。それはまた核社会化を拒み、優しさとコミュニティ感覚を大切にしようということの表れであるともいわれてきた。が、そのような願望そのものがどこかへ消えてしまったようでもある。ブレア氏によって掻き立てられた「熱い期待感」もまた消えてしまったようである。(In
part because they coincided with the advent of Tony Blair's New
Labour government, and the ejection of a Conservative one, the
weeping and hugging in the Mall have been seen as evidence of
a general longing to be part of something bigger: of a rejection
of social atomisation, an embrace of compassion and communitarianism.
Like the fervent hopes Mr Blair aroused, that longing, if it existed,
seems to have faded. )
Time誌の記事は、最後の部分で、ダイアナ妃が「弱者の声を代弁して彼らの置かれた状態に注目を向けさせる存在だった。彼女はきっと立派な女王になっていただろう。しかし彼女はもういないのだ」という元王室報道官だった人のコメントを紹介しながら次のような文章で終わっています。
彼女もういないって?現代英国を形作るさまざまなプレッシャーについて少しでも知識のある人ならば、彼女はぜんぜんいなくなってはいないと言うだろう。(Gone?
As anyone who knows anything about the strains that make up modern
Britain will tell you, that is very far from true)
それに対してThe Economistの結びは次のとおりです。
ダイアナが生きていたら、いずれは美しさも面白さも減った人間になり、おそらく不幸の度合いも少なくなっていただろう。彼女は死ぬことによって「心の女王」として不死の存在になってしまった。しかし彼女は、カーニバルの女王であったというのが、本当のところだろう。つまりほんの一時だけ無秩序をもたらした王族ということであり、それが過ぎ去ったあとには、昔ながらの秩序が不変どころか、もっと強いものになって厳然と残っているのである。(Had
she lived, Diana would eventually have become less beautiful,
less interesting, perhaps less unhappy. By dying, she immortalised
herself as the “queen of hearts”. But in truth she became a carnival
queen: monarch of a temporary disorder that, when it passed, left
the old order intact, or stronger.)
▼つまりThe Economistは、あのときのロンドンを埋め尽くした群集が泣いたり、抱き合ったりしていた、あれを「カーニバル」だというわけです。ほんのひとときの「優しさとコミュニティ感覚」を楽しんでいたとも言える。これ、当たっていると、私は思いますね。
あの当時、ブレアさんが言ったPeople's
Princessという言葉が、カーニバルにぴったりだったのですよね。この言葉は、ブレアさんが自分で作ったもので、きわめて自然に口をついてでたものなのだそうですが、ホントですかね。
▼で、いま英国人が何を感じているのか?BBCのサイトへの「書き込み」を見ても分かれていますね。「メディアの報道やや人びとの悲しみの表現は気味が悪いと感じた」(I
found all the media hype and public shows of grief rather distasteful)という人もいるし、「彼女の死に方によって多くの人々が心底傷ついたのだ」(her
untimely death genuinely hurt people)という人もいる。私が個人的に共感を覚えるのは前者の方なのですが、後者のような人々もたくさんいます。
▼で、直接関係ないことなのですが、日本のテレビのサスペンス・ドラマの殺人事件などで、遺族が死体安置所などで「対面」して、よよと泣き崩れる場面がほぼ絶対と言っていいほどある。あれはしらける。
出来れば人前で泣いたりしないほうがいい。
▼Timeの記事で面白いと思ったのは、英国という国ついて「グローバルな文化に対して不釣合いなほどの影響力を持つ国」(a
nation with a disproportionate impact on global culture)と言っていることです。アメリカが影響力を持つのは、パワーを考えれば分かるけれど、なんで英国が?ということですよね。
鶏の手術に50万円
南ウェールズに住むビッキーとサムという夫婦がイチバン大事にしているのがペットの鶏。名前はリリー、Rhode
Island Redという種類のもので年齢は3才。普段は屋内で暮らしているのですが、ある日庭で遊んでいて、鉄条網に足をひっかけて負傷してしまった。ギブスをはめて治療しないと命にかかわると獣医に言われ、払ったお金が2000ポンド(約50万円)だったとか。さらにリリーは「うつ病」(depression)と診断され、一人で自宅に残されるときは必ずテレビをオンにしておくことが必要と言われたのだそうです。もちろん獣医のアドバイスを忠実に守ったおかげで「彼女のくちばしに笑みが戻ったんだから、よかったんじゃない?」(it
was worth it to see the smile back on her beak)と、奥さんのビッキーは言っている(とDaily
Mailが伝えています)。
▼「くちばしに笑みが戻った」なんてこと、分かるんですかね!?鶏がくちばしをゆがめた姿なんて見たことない。
ヨガはキリスト教会には合わない
Daily Mirrorによると、サマセットという村の教会がヨガ教室の会場に使われることを拒んで問題になっているそうです。理由はヨガが非キリスト教的(un-Christian)で、子供たちの精神生活に悪い影響を与えるということ。使用を申し込んだ41歳の女性は「ヨガは宗教には関係なしに何千年という歴史があるのよ。ただ子供たちが動物みたいな動きで体操するだけなのに・・・」と文句を言っているのですが、断ったバプチスト教会の牧師さんはに「ヨガは我々とは違う精神生活を教えている。教会でやるのならキリスト教の精神(エトス)に沿ったものでないと・・・」と言っています。
▼ヨガって、体操の一種なんだと思っていました。教会で座禅なんてのもアウトなんでしょうね、当然。
水の出ない噴水
サウス・ロンドンにPeckham Rye Parkという公園があるのですが、このほどその中にビクトリア時代のものを再現する噴水ができたのですが、見た目は立派な噴水なのに水が出てこない。これを作った地元の区役所では「あれはモニュメントであって、本物の稼動する噴水として作られたものではありません」と説明している。ただ「歴史的モニュメントであってもなくても、水が出ない噴水など作る意味がない」というのがもっぱらの評判だとDaily
Mirrorが伝えています。
▼宝くじ財団の基金によって作られたんだそうです。怒るで、しまいに・・・!。
|