一方、The EconomistのエッセイはThe
perils of privacy(プライバシー尊重の弊害)というタイトルで「若者の非行は昔からあるが、英国の場合、昔も今も変わらない問題がある(Britain's
wayward yoof is an old problem, but a problem all the same)というイントロで始まっています。
「昔も今も変わらない問題」とは、英国の大人たちが、他のヨーロッパの国に比べて、若者の非行を見ても不干渉を決め込む傾向にある(British
adults are less likely to intervene tha other Europeans if they
see youngsters up to no good)ということです。
この記事によると、ヨーロッパ大陸の国では、夏ともなると街の広場で同じファミリーの3世代が楽しげに食事をしたり、談笑したり、ダンスまでしている光景が見られる。それに引きかえ英国の子供たちが両親と時を共に過ごすということは殆どない。両親が家にいないということもあるけれど、子供たち自身にとって、公の場で親と仲良くしているのを見られるというのは「デジカメがついていない携帯電話よりも悪い」(worse
than a mobile phone without a camera)らしい。「昔は教会や青少年クラブのような老若男女が集う場があったのに、それらが姿を消してから、若い人と年寄りが触れ合うことが少なくなってしまった」とのことで、結論は次のように書かれています。
「一般論として、英国人はでしゃばることを好まないという感覚のようなものがある。現代の世代間の断絶現象は、英国的人間関係を特徴付けるプライバシーの尊重と控えめな精神が極端な形をとって表れたものであるといえるだろう。それにしても危険な傾向ではある」(The
British are an emotionally unforthcoming lot in general; perhaps
this intergenerational chasm should be seen as just an extreme
form of the privacy and reserve that mark many British relationships.
But it is a dangerous one.)
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INSIDE
THE GLOBAL JIHAD(出版元:Hurst & Company)はモロッコ生まれのイスラム教徒の青年が、フランス、英国、ドイツの情報機関のスパイとして、ヨーロッパのイスラム過激派にもぐりこんでいろいろと活動をした挙句、結局これらの情報機関に捨てられるまでのストーリーを描いているのですが、ストーリーと言ってもフィクションではなく、この青年が書いた一人称の「手記」です。つまり本当の話なのですが、サスペンスタッチで書かれているうえに、英語も比較的やさしいということもあって、小説でも読むような感じで引き込まれてしまった。
この本は筆者が1995年〜1996年の2年間にわたって、西側のスパイとしてアフガニスタンにあるイスラム・テロリストの養成キャンプにもぐりこんだ生活が中心に描かれています。もちろん、この本では「テロリスト」ではなく「ムジャヒディン
(mujahidin:戦士)」という言葉が使われています。「ジハード(jihad)」は武器を持って戦う「聖戦」という意味もありますが、基本的には「愛」とか「精神的救済」のことを言うのですね。ただこのキャンプは「聖戦」に勝利するムジャヒディンの養成が目的であり、爆弾の仕掛け方、毒薬の作り方、それに昔の日本の苦行僧のような肉体鍛錬などが中心です。そこに集まってくるムジャヒディン候補生との交流を行うことが中心になっています。テロリスト候補生の出身は、アルジェリア、チェチェン、カシミール、キルギスタン、フィリピン、タジキスタン、ウズベキスタンなどさまざまです。
この本が単なるサスペンスとして扱われるわけにはいかないのは、筆者の体験したムジャヒディン養成キャンプこそが、約5年後に9・11という形で実を結ぶことになるということです。この本が書かれた頃、このキャンプの主宰者はGIA
(Armed Islamic Group)という名前であったのですが、これが後のAl
Qaeda(アルカイダ)に繋がります。筆者がキャンプでの養成コースを修了してヨーロッパへ帰るのが1996年の春。彼とすれ違うようにして96年5月19日、オサマ・ビン・ラディンがパキスタンのジャジャラバードというところに到着します。ビン・ラディンはそこからアフガニスタンのテロリスト養成キャンプに入ったとされています。この本が「単なるサスペンスではない」というのは、筆者が語っているキャンプでの生活は、9・11への準備とも言える活動であるからです。
実際、年代で見ると、1980年代のアフガニスタンは侵入したソ連に対するアフガニスタン人を中心にしたジハードの時代だった。89年にソ連が撤退したあとの90年代半ばまではイスラムの多国籍部隊によるジハードの時代になり、90年代も末になってAl
Qaedaによる国際ジハードの時代が到来して現在にいたっているということになる。
キャンプではイスラムの教えを叩き込まれるのですが、その部分も全くの門外漢である私にも分かりやすく書いています。例えば戦いとしてのジハードには先制攻撃的なジハードと自衛のためのジハードの2種類があり、現代のジハードの中でも最も重要なのがパレスチナの地をイスラエルから奪還するためのジハードです。エルサレムこそはイスラムの心臓部であり、生存のために自分の心臓を守るのは自衛のためのジハードであるというわけです。カシミールにいるヒンズー教徒もまた彼らの敵です。彼らは偶像崇拝主義者でユダヤ人の部族に源を発している。
さらに大いなる敵として存在しているのが、いわゆる「シーア派」(Shiites)と呼ばれる人々で、彼らはイスラムの教えを改革(innovation)しようとするものであり、コーランに反している。その意味でシーア派が多数を占めるイランはイスラムにとっては「根源的な敵」(primordial
enemy)であるというわけです。ただ矛盾もある。このキャンプでの教えによると、政府というものは全てイスラムを基礎にした「神権政府」(Theocratic
government)でなければならないにもかかわらず、この当時(90年代半ば)世界も唯一の神権政府がイランであったわけですから。彼らにとってはまた無宗教社会も敵です。その意味で社会主義者、サダム・フセインに率いられたイラクは彼らの標的であったのですが、それはイラクをイスラムの神権国家にすれば、イランを包囲できるという理由もあった。
面白いのはキャンプで訓練されるアラブ出身のムジャヒディン候補生たちは、ホスト国であるアフガニスタンで勢力を伸ばしていたタリバンを嫌っていたということです。彼らによるとタリバンは、イスラム法を余りにも厳格・極端に実施しすぎる団体であるとのことです。彼らによると、タリバンもまたコーランの教えから外れてイスラムを改革するinnovatorであったわけです。
この本はOmar
Nasiriという元青年スパイとBBCのGordon
Corera記者に語った一部始終をCoreraがまとめたものです。Omar
Nasiriというのはもちろん本名ではない。ただ面白いのは彼自身、スパイでありながら、自分が敬虔なイスラム教徒であることを守っているということです。Al
Qaedaのテロにはついていけないものを感じているのですが、「アメリカを始めとする西側諸国はイスラムの領土から出て行くべきだ」とも考えている。
9・11テロに対するアメリカ人たちの反応は、筆者によると「途方もなくナイーブ」(endlessly
naive)なものだと言って、次のように書いています。
「アメリカ人たちはアメリカが攻撃されたのだと怒っている。3000人のアメリカ人がアメリカ領土で殺された!と叫んでいる。確かに悲劇であるには違いないし、犯罪であることも間違いない。しかし(アメリカ領土でアメリカ人が殺されたことを怒るのなら)イスラムの国で何百万というイスラム教徒が殺されていることはどうしてくれるのか?中東、アフリカ、ボスニア、チェチェン、アフガニスタンなどなど、である。彼らにとっては時間は止まっているってことか?(We've
been attacked on American
soil ! Three
thousand Americans killed on American soil! A tragedy, no doubt.
And a crime. But what about the millions of Muslims killed on
Muslim soil? In the Middle East, in Africa, in Bosnia, in Chechnya,
in Afghanistan. Did time stop for them?)
筆者は幼いころに家族とともにベルギーへ移住するのですが、想い出話として、ベルギーで第二次世界大戦についての映画を見て感激したことを語ります。いずれもアメリカ映画で、筆者もアメリカの兵士になってドイツ軍や日本軍と戦うことを想像して興奮します。ナチは純然たる悪(pure
evil)ではあるが、「日本人は別だ」(Japanese
are different)と思ったのだそうです。
私はカミカゼに魅了されてしまった。アメリカの航空母艦に突っ込んで行って炎となる、あのカミカゼの姿に魅了されてしまった。彼らは敵には違いないが、私は彼らを賞賛し、彼らのことが理解できたのだ。自分たちよりもはるかに強いパワーを眼前にして、彼らの国を救い、彼らの尊厳を守るためにカミカゼにできるのはあれしかなかったのだ。(I
was fascinated by the kamikazes, by the images of them crashing
into American aircraft carriers and exploding in flames. They
were the enemy, of course, but I also admired and understood them.
In the face of a much stronger power, they did the only thing
possible to save their country and their honor.)
筆者は結婚するためにスパイ稼業から足を洗います。その過程で自分を雇った西側の情報機関からの護衛を求めます。口では護衛を約束した仏・英・独の情報機関ですが、必要がなくなったらオシマイというわけで、彼は捨てられてしまう。2001年9月11日の同時多発テロが起こったときには、自分が暮らしているドイツの情報機関にアルカイダについての情報提供を申し出るのですが、彼らは関心を示すことがなかった。というわけで、BBCに一部始終を話すことにした、というわけです。
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