11月8日、フィンランドの高校で起こった銃の乱射事件について、英国のThe Timesがアメリカの大学・高校のキャンパスで起こった同じような事件と比較して「共通点はあるが、これは極めてフィンランド的な事件だ」(Similarities
to other massacres - but this was a very Finnish affair)という記事を掲載しています。
まず共通点ですが、スウェーデンのストックホルム大学のクリスチャンセン教授は「バージニア工科大学の韓国人学生も今回の学生も、劣等感にさいなまれた人間が自分を強く見せようという衝動で起こしたもの」であるということを挙げています。「おそらくバージニアの事件にインスピレーションを得たのではないか」ということです。両方とも、インターネットのバーチャルな世界で自分を英雄化しているという点でも共通点があるそうです。
しかし今回の事件にはフィンランド特有の風土も影響している、とするのはThe TimesのRoger
Boyesという記者。フィンランドは国土の割りには人口が少なく、1km平方あたり120人しか住んでいない。隣の家との距離もある。しかも今の季節、暗い天候が続いて、フィンランド人家族の多くが、冬休みをとって暖かくて明るい南東アジアのリゾートへ旅行することを指折り数えて待つという季節なのだそうです。
北欧の冬は、小さな町の若者を孤立感に追いやるのだ。暗い中を学校へ行き、暗い中を下校し、長い距離を帰宅する。普通の意味での「友人関係」は、時として「夏の贅沢」でもある。(But
above all the Nordic winter isolates the young in the small towns:
they arrive at school in the dark and leave it in the dark, travelling
long distances to their homes. Friendship in the traditional sense
is often a summer luxury)
フィンランドは、人口の75%がインターネットを利用するという情報化社会。あのノキアの国だけに6才の子供が携帯を持って学校へ通う。友人関係もインターネットの上でのバーチャルなものになる。最近では、テレビは年寄りの見るものというわけで、若者の多くはYouTubeの世界に入り浸りなのだとのことです。
学校で孤立感を持つような若者は、校門を出るとさらに孤独の深みにはまっていく。問題を起こす素地はできている。しかも銃が非常に入手しやすい国なのだ。フィンランドは国民一人当たりのハンドガンの所有率はアメリカ、イエメンに次いで世界第3位なのだ。(A
youth isolated at school sinks even deeper into isolation when
he has left the school gates: a recipe for trouble. Even more
so in a country where guns are so readily available; Finland has
the third-largest per capita ownership of handguns in the world)
▼まあ他の国のことだと、いろいろ「冷静」な分析をするものですよね。特にフィンランドのように、現代の優等生のような国だとなおさらなのではないか、というのが、私のThe
Timesの記事に対する殆ど根も葉もない批判なのであります。
▼ジュネーブにある国際機関(Graduate Institute
of International Studies)が発表している数字によると、確かに個人が「武器」を所有する割合は、アメリカの100人に90人、イエメンが62人に次いでフィンランドの56人となっている。
▼が、フィンランド人が所有するのは殆どがライフルとかショットガンのような長火器(long
firearms)で、狩猟用に認められているものなのだそうです。さらに、この統計数字には競走などで使われる「号令ピストル」(signalling
pistols)も含まれている。つまりアメリカのような護身用ではない。
▼銃犯罪というのは極めてまれで、学校での銃撃事件は約20年前の1989年に、からかわれたことに腹を立てた14歳の少年が二人の級友を射殺したというケースがあったのが最後であったそうです。フィンランドでは、いまのところ、15歳になると両親の許可さえあれば、合法的に銃を購入できる。今回の事件を機にこれを18歳に引き上げようという動きが出ているそうです。
▼フィンランドの人口について「1km平方あたり120人しか住んでいない」と言われてもピンとこないかもしれませんが、日本と比較する場合、「日本の国土と面積はほぼ同じなのに、人口は東京都の半分」という表現をすると分かりやすかったりします。確かにそうなのです。だから私が知っているフィンランド人は「日本は素晴らしい国だけど、唯一フィンランドが懐かしいのは、混んでいないってこと」などと言っていました。しかし「冬の暗さにはいくつになっても滅入る」とも・・・。
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11月3日付のThe Economistが「政治と宗教」というテーマでThe new wars of religion(新たな宗教戦争)という、かなり長い特集企画を掲載しています。この企画に関連した社説欄を読むと、宗教の政治へのかかわりについてThe
Economistという雑誌が何を考えているのかが分かります。まず社説記事のイントロと結論の部分を紹介すると:
イントロ
今世紀、いたるところで宗教による政治的な不安定が生まれるだろうが、宗教が国家から切り離されれれば、不安定は最小限度で食い止められるだろう。(Faith
will unsettle politics everywhere this century; it will do so
least when it is separated from the state)
結論
政治家が宗教的なフィーリングというものをアタマに入れたうえで、教会と国家の間にしっかりとした線引きをするということを学ばない限り、新たなる宗教戦争は、全く手のつけられないものとなってしまうかもしれない。(Unless
politicians learn to take account of religious feelings and to
draw a firm line between church and state, the new wars of religion
may prove as intractable)
この記事によると、20世紀の政治家や知識人たち(宗教人も含む)は、これからは宗教が国際関係や外交政策に影響を及ぼすことは少ないはずだと考えていたけれど、実際には21世紀になると宗教が中心的な課題になってしまった。チェチェン、スリランカ、イラクなどで「人間が神の名において殺戮される(people
have been slain in God's name)ようになった。その典型が9・11テロで、若いイスラム教徒があれをやらなければ、アメリカがアフガニスタンやイラクで戦争をすることもなかった、というわけです。
アメリカの政治を見ても、1960年当時の大統領候補だったジョン・ケネディは自分がカソリックであることと大統領職とは関係が無い(irrelevant)ことを強調していたのに、21世紀のいま、ジョージ・ブッシュは自分が「クリスチャンとして生まれ変わった(born
again Christian)」ことを隠しもしないし、次期大統領をねらうヒラリー・クリントンも「私はお祈りを欠かさない」と有権者に訴えたりしている。
非宗教的世俗主義社会(secular society)であるはずのトルコでは、与党がイスラム教を唱っているし、インドでは次の選挙でヒンズー教徒が政権をとる可能性がある・・・という具合に、世界的に宗教が政治に影響を与えるようになっている。
The Economistの記事によると、宗教が政治の世界にカムバックし始めたのは1970年代のことで、政府というものへの信頼感が世界中で崩れ始め、世俗主義が力を失い始めたのと同じ頃だった。
イスラム教国のいくつかは別にして、現代の宗教とせいじの関係は、かつてのように上から民衆に特定の宗教を押し付ける「神権政治」(theocracy)というかたちをとっておらず、むしろ宗教が民衆レベルからbottom-upという流れで盛り上がる傾向がある。この場合、民衆は「ならず者的説教師」(rogue
preachers)の扇動で動くということもあるけれど、宗教が上からの命令というより、民主的で個人が尊重された中でパブリックな舞台に出てきているのがいまの特徴である、とThe
Economistは言っています。
The Economistは、国家と宗教は切り離されるべきで、民衆がスカーフを着用することについて強制はすべきでないし、キリスト教的な「天地創造」を「科学」として子供たちに教えるのは間違っており、税金を使って宗教学校(faith
schools)を運営するのはやめるべきだと主張しています。つまり世俗主義・非宗教主義の復権を訴えているようにも見えるけれど、同誌は次のようにも言っています。
(現代の)宗教戦争から現実的に学ぶべき教訓がある。それは、先進国や宗教指導者たちが、教会と国家の分離ということにこだわりすぎて、宗教的な紛争を「宗教的に解決する」ことを模索することに余りにも消極的すぎたということだ。(The
pragmatic lesson concerns those wars of religion. Partly because
of their obsession with keeping church and state separate, Western
powers (and religious leaders) have been too reluctant to look
for faith-driven solutions to religious conflicts)
特に中東での「宗教戦争」は、最初は宗教とは無関係の部族争いとして始まったケースが多い。それがいつの間にか「神から授かった土地を守る」という張り合いになってしまっている。The
Economistは、無心論者が何と言おうと、宗教が政治の一部として切り離せないものになってしまっているのが現状だ、として次のように言っています。
窓を開けて人間の精神の世界に入り込むことは国家の仕事ではない。しかしさまざまな不平・不満が血みどろな紛争にならないようにすること、狂信者たちが政治を導くことを止めることなどは政府の仕事なのだ。とはいえ、それは容易なことではない。(Although
it is not the state's business “to make windows into men's souls”,
it is part of the government's job to prevent grievances from
stirring into bloodshed, and fanatics from guiding policy. But
it isn't easy)
The Economistは宗教戦争の古典的な例として、1605年にカソリック過激派による英国議会爆破計画を挙げています。ご存知の方も多いと思いますが、ジェームス一世殺害計画で、もう少しで成功するところだったのが、過激派の一人、Guy
Fawkesが爆薬を持ってうろついているところを捕まってしまった。「爆薬陰謀事件」(Gunpowder
Plot)として英国史の中では重要な事件だそうです。英国におけるカソリックの国会議員が議会に戻ってきたのは、Gunpowder
Plotから224年もあとのことだったそうです。The Economistが、宗教的な紛争を政治が解決するのは「容易でない」(it
isn't easy)ことの実例です。
▼つまりThe Economistの主張は「宗教と国家が分離されないと紛争はいつまでも続く」という、ごく普通の非宗教的な発想を基本にしながらも、宗教紛争を非宗教的に解決することは難しく、宗教者の関与が必要だということにあるわけです。北アイルランド紛争も、少なくとも表面的には、カソリック対プロテスタントの紛争のように見えた部分はありましたね。The
Economistは、両派の宗教指導者が平和を呼びかけたことが解決の一つの背景であったと言っています。
▼ところで、最後の部分に出て来るGuy
Fawkesが捕まったのは1605年11月5日のことで、以来英国では11月5日にGuy Fawkes' Dayとして焚き火をやって遊ぶという習慣があるのだそうです。ただし今ではBone
Fire Nightというのが普通。私の勝手な推測ですが、捕まったとはいえGuy Fawkesは英国のカソリックの間では、ヒーローなのではないか。焚き火遊びにその名前をつけ続けるのは、両宗派の間に不必要な対立感情を呼び起こすということで、余りやらないのではありませんかね。
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