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musasabi journal
第123号 2007年11月11日

     

今朝(2007年11月11日)ラジオで、アメリカのノーマン・メイラーが亡くなったことを知りました。この人の小説(例えば「裸者と死者」)は殆ど読んだことがないけれど、私の世代ではほぼ常に話題になっている人だったですね。ベトナム反戦運動でもかなり活躍したし。今回のむささびジャーナルは、11月11日11時11分11秒にアップしたい・・・けど多分無理だな。

目次

1)肥満追放都市を開発する
2)子供に目をかけすぎる?
3)あのフィンランドで銃撃事件!?
4)宗教戦争は宗教が解決する?
5)宗教が諸悪の根源・・・
6)短信
7)むささびの鳴き声

1) 肥満追放都市を開発する


英国政府が進めている環境政策の一つに「エコタウン」計画があります。資源循環型経済社会の構築を目的に、環境と調和した町作りをやろうというわけで、この種のことを進めているのはもちろん英国だけでではない。

The Guardianのサイトを読んでいたら、英国政府は「エコタウン」をさらに進めて「ヘルシータウン」の開発を目指しているのだそうであります。はっきり言うと「肥満撲滅タウン」構想です。実は「肥満追放都市」構想は、フランス、オーストラリア、フィンランドなどでもやっているんだそうですね。

例えばフランスの10都市がエコ&肥満追放都市とされているらしいのですが、それらの都市で特に力を入れているのが、子供の肥満防止だそうで、この活動の結果、7才から12才の男子の肥満者が19%から10%へ、女子も10%から7%へと減ったとされている。

で、英国における肥満追放都市について、Alan Johnson保健大臣(Health Secretary)をもう少し具体的に次のような住民サービスを挙げています。

▼子供が小学校を卒業する頃から定期的な体重検査を行う。
▼サイクリング・レーンをより多く設ける。
▼通学・通勤のための安全な歩行ルートを確保する。
▼学校では、ジャンクフードは食べさせず、子供たちに料理やスポーツを教える。
▼大きな公園や遊戯施設を作る。
▼町の開業医の数を増やして人々が使えるようにする。

などであります。The Guardianによると、肥満は英国政府にとって10億ポンドの健康上の負担となっているのですが、何とかしないと2050年にはこれが450億ポンドにまで上昇するだろうとのこと。Foresightという科学シンクタンクが先月発表した数字によると、このままの状態でいくと、2050年には英国の男の60%、女性の50%、子供の25%が「肥満」と診断されるようになるだろうとことです。

世界ガン研究基金によると、ガンの原因の3分の1が運動不足と食事にあるというわけで、「肥満追放・エコ都市」では住民の運動不足を解消するようなサービスが導入されるのだとか。ちなみに現在、英国内で計画されている10個所の「エコタウン」の人口は平均2万人程度になるだろうとのことであります。

▼自分が肥満になりつつあることは、私の場合はっきりしています。お腹が出てきて、靴下を履くのに往生するんだから。ただ、だから何かをやって(例えばウェーキングとか)肥満防止に励もうということもなく、余りの怠慢ぶりにさすがの妻の美耶子も諦め顔であります。

▼(株)日本病院共済会なるもののサイトに「肥満」の定義が出ておりました。皆さんとっくにご存知かもしれないけれど、一応書き写しておくと、体重s÷(身長mの2乗)の数字がいくつになるかってこと。19・8以下だと「痩せ」、19・8〜24・2で「普通」、24・2〜26・4だと「肥りぎみ」ときて、26・4以上だと「太りすぎ」つまりobeseということであります。

▼そういえば日本でも「何とかシンドローム」とか言うのが話題になりましたよね。そんなこと余りヤイヤイ言うのは本当にどうかと思いますね。普通に(好きなように)生きてはいけないみたいです。マクドナルドがジャンクフードとか言いますが、美味しいと思えば食べたっていいんでないの?

▼とにかく英国政府がやろうとしている、「肥満追放都市」も健全すぎて気持ち悪い。ついていけない私なんか、却って太ってしまうだろうな。その昔、サッチャーさんたちがやった「ニュータウン構想」を現地で見たことがあるけれど、とても魅力的とは思えなかったですね。

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2) 子供に目をかけすぎる?


私はまだ読んでいないのですが、英国で最近出版されたNo Fear: Growing up in a Risk-averse Societyという本の紹介文(Observer 10月28日付)を読んでいると、死んだ小田実さんの言葉ではないけれど「古今東西人間チョボチョボ」というのが当たっているなと感じます。Growing up in a Risk-averse Societyというサブタイトルは「リスクを避けたがる社会」という意味なのですが、この本は、子供のいじめを扱っており、著者のメッセージは「いじめ・いじめ」と余り神経質になり過ぎない方がいいということにあるようです。

子供というものは、必ずしもお互いに親切であるわけではない。それは人間みな同じだ。世の中、そういうものなのだ。いまの時代、絶滅の危機に瀕しているものの一つに、大人の眼が届かないところで子供たちが共に時を過ごすということがある。 Children are not always nice to each other, but people are not always nice to each other. The world is not like that. One of the things in danger of being lost is children spending time with other children out of sight of adults; growing a sense of consequence for their actions without someone leaping in.

つまり大人の心配しすぎによる介入が余りにも多すぎるというわけです。著者はTim Gillという人で、かつて子供の問題で政府のアドバイザーを務めたことがある。いまの子供たちは「泡で包まれている(bubble-wrapping:余りにも大切にされすぎている」というわけで、他の子供にからかわれたり、いわゆる「いじめ」を受けても、それに自分で対処することで「弾力性」(resilience)を学ばなければなければならないというわけです。

もう一つ著者が指摘しているのは、「子供たちに余りにも容易に"反社会的"というレッテルを貼りすぎる(Children are too quickly branded antisocial)」ということ。その例として、12歳になる子供3人が木登りをしただけで逮捕されてDNA鑑定を受けたことを挙げています。反対のケースとして、2歳になる保育園児が川で溺れ死んだことがあるのですが、小さな子供が一人で川の方へ行くのを見ていながら止めなかった大人がいる。何故止めなかったのかというと、それをやると自分が誘拐犯と勘違いされる危険性があると感じたから。

要するに「子供はほっとけ」主義というわけですが、この種の態度に反対する人ももちろんいる。いじめ問題に取り組んでいるBullying UKの関係者は「いじめはほんの些細なことから始まる。早い段階で芽を摘んでおけば大きな問題にならずに済む(Bullying can start with one incident, and if you nip it in the bud straight away, it will not grow into a problem)」と言っている。またAnti-Bullying Allianceという組織でいじめ撲滅運動をやっている人は、

確かに我々は子供たちを綿で包むことで、将来必要とする力を子供たち自身が発達させることを妨げているという側面はある。しかし子供たちが、いつでもサポートがあり、必要なときはいつでも救いの手が差しのべられるのだということを確信することも大切だ(Yes, we are wrapping children in cotton wool, and by doing that they do not develop the skills they may need, but we also need to make sure they are constantly supported and confident to get help)

と言っています。

▼確かに英国だけに限った現象ではないですよね。ひょっとすると、子供におせっかいを焼きすぎるという部分はある。いじめを見抜けなかったとかいうことで、メディアが鬼の首でもとったように学校側の「落ち度」を責めたりする。私が前から感じているのは、現代の子供たちは、余りにもひとりになる機会が無さ過ぎるということです。いつも誰かと一緒にいて何かをやっている(ように見える)。ひとり遊んでいる子供というのを本当に見かけない。それから、ただぼーっとしている子供というのも見ない。はっきり言って不幸なことですよね。

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3) あのフィンランドで銃撃事件!?


11月8日、フィンランドの高校で起こった銃の乱射事件について、英国のThe Timesがアメリカの大学・高校のキャンパスで起こった同じような事件と比較して「共通点はあるが、これは極めてフィンランド的な事件だ」(Similarities to other massacres - but this was a very Finnish affair)という記事を掲載しています。

まず共通点ですが、スウェーデンのストックホルム大学のクリスチャンセン教授は「バージニア工科大学の韓国人学生も今回の学生も、劣等感にさいなまれた人間が自分を強く見せようという衝動で起こしたもの」であるということを挙げています。「おそらくバージニアの事件にインスピレーションを得たのではないか」ということです。両方とも、インターネットのバーチャルな世界で自分を英雄化しているという点でも共通点があるそうです。

しかし今回の事件にはフィンランド特有の風土も影響している、とするのはThe TimesのRoger Boyesという記者。フィンランドは国土の割りには人口が少なく、1km平方あたり120人しか住んでいない。隣の家との距離もある。しかも今の季節、暗い天候が続いて、フィンランド人家族の多くが、冬休みをとって暖かくて明るい南東アジアのリゾートへ旅行することを指折り数えて待つという季節なのだそうです。

北欧の冬は、小さな町の若者を孤立感に追いやるのだ。暗い中を学校へ行き、暗い中を下校し、長い距離を帰宅する。普通の意味での「友人関係」は、時として「夏の贅沢」でもある。(But above all the Nordic winter isolates the young in the small towns: they arrive at school in the dark and leave it in the dark, travelling long distances to their homes. Friendship in the traditional sense is often a summer luxury

フィンランドは、人口の75%がインターネットを利用するという情報化社会。あのノキアの国だけに6才の子供が携帯を持って学校へ通う。友人関係もインターネットの上でのバーチャルなものになる。最近では、テレビは年寄りの見るものというわけで、若者の多くはYouTubeの世界に入り浸りなのだとのことです。

学校で孤立感を持つような若者は、校門を出るとさらに孤独の深みにはまっていく。問題を起こす素地はできている。しかも銃が非常に入手しやすい国なのだ。フィンランドは国民一人当たりのハンドガンの所有率はアメリカ、イエメンに次いで世界第3位なのだ。(A youth isolated at school sinks even deeper into isolation when he has left the school gates: a recipe for trouble. Even more so in a country where guns are so readily available; Finland has the third-largest per capita ownership of handguns in the world

▼まあ他の国のことだと、いろいろ「冷静」な分析をするものですよね。特にフィンランドのように、現代の優等生のような国だとなおさらなのではないか、というのが、私のThe Timesの記事に対する殆ど根も葉もない批判なのであります。

▼ジュネーブにある国際機関(Graduate Institute of International Studies)が発表している数字によると、確かに個人が「武器」を所有する割合は、アメリカの100人に90人、イエメンが62人に次いでフィンランドの56人となっている。

▼が、フィンランド人が所有するのは殆どがライフルとかショットガンのような長火器(long firearms)で、狩猟用に認められているものなのだそうです。さらに、この統計数字には競走などで使われる「号令ピストル」(signalling pistols)も含まれている。つまりアメリカのような護身用ではない。

▼銃犯罪というのは極めてまれで、学校での銃撃事件は約20年前の1989年に、からかわれたことに腹を立てた14歳の少年が二人の級友を射殺したというケースがあったのが最後であったそうです。フィンランドでは、いまのところ、15歳になると両親の許可さえあれば、合法的に銃を購入できる。今回の事件を機にこれを18歳に引き上げようという動きが出ているそうです。

▼フィンランドの人口について「1km平方あたり120人しか住んでいない」と言われてもピンとこないかもしれませんが、日本と比較する場合、「日本の国土と面積はほぼ同じなのに、人口は東京都の半分」という表現をすると分かりやすかったりします。確かにそうなのです。だから私が知っているフィンランド人は「日本は素晴らしい国だけど、唯一フィンランドが懐かしいのは、混んでいないってこと」などと言っていました。しかし「冬の暗さにはいくつになっても滅入る」とも・・・。

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4)宗教戦争は宗教が解決する?


11月3日付のThe Economistが「政治と宗教」というテーマでThe new wars of religion(新たな宗教戦争)という、かなり長い特集企画を掲載しています。この企画に関連した社説欄を読むと、宗教の政治へのかかわりについてThe Economistという雑誌が何を考えているのかが分かります。まず社説記事のイントロと結論の部分を紹介すると:

イントロ
今世紀、いたるところで宗教による政治的な不安定が生まれるだろうが、宗教が国家から切り離されれれば、不安定は最小限度で食い止められるだろう。(Faith will unsettle politics everywhere this century; it will do so least when it is separated from the state)

結論
政治家が宗教的なフィーリングというものをアタマに入れたうえで、教会と国家の間にしっかりとした線引きをするということを学ばない限り、新たなる宗教戦争は、全く手のつけられないものとなってしまうかもしれない。(Unless politicians learn to take account of religious feelings and to draw a firm line between church and state, the new wars of religion may prove as intractable)

この記事によると、20世紀の政治家や知識人たち(宗教人も含む)は、これからは宗教が国際関係や外交政策に影響を及ぼすことは少ないはずだと考えていたけれど、実際には21世紀になると宗教が中心的な課題になってしまった。チェチェン、スリランカ、イラクなどで「人間が神の名において殺戮される(people have been slain in God's name)ようになった。その典型が9・11テロで、若いイスラム教徒があれをやらなければ、アメリカがアフガニスタンやイラクで戦争をすることもなかった、というわけです。

アメリカの政治を見ても、1960年当時の大統領候補だったジョン・ケネディは自分がカソリックであることと大統領職とは関係が無い(irrelevant)ことを強調していたのに、21世紀のいま、ジョージ・ブッシュは自分が「クリスチャンとして生まれ変わった(born again Christian)」ことを隠しもしないし、次期大統領をねらうヒラリー・クリントンも「私はお祈りを欠かさない」と有権者に訴えたりしている。

非宗教的世俗主義社会(secular society)であるはずのトルコでは、与党がイスラム教を唱っているし、インドでは次の選挙でヒンズー教徒が政権をとる可能性がある・・・という具合に、世界的に宗教が政治に影響を与えるようになっている。

The Economistの記事によると、宗教が政治の世界にカムバックし始めたのは1970年代のことで、政府というものへの信頼感が世界中で崩れ始め、世俗主義が力を失い始めたのと同じ頃だった。

イスラム教国のいくつかは別にして、現代の宗教とせいじの関係は、かつてのように上から民衆に特定の宗教を押し付ける「神権政治」(theocracy)というかたちをとっておらず、むしろ宗教が民衆レベルからbottom-upという流れで盛り上がる傾向がある。この場合、民衆は「ならず者的説教師」(rogue preachers)の扇動で動くということもあるけれど、宗教が上からの命令というより、民主的で個人が尊重された中でパブリックな舞台に出てきているのがいまの特徴である、とThe Economistは言っています。

The Economistは、国家と宗教は切り離されるべきで、民衆がスカーフを着用することについて強制はすべきでないし、キリスト教的な「天地創造」を「科学」として子供たちに教えるのは間違っており、税金を使って宗教学校(faith schools)を運営するのはやめるべきだと主張しています。つまり世俗主義・非宗教主義の復権を訴えているようにも見えるけれど、同誌は次のようにも言っています。

(現代の)宗教戦争から現実的に学ぶべき教訓がある。それは、先進国や宗教指導者たちが、教会と国家の分離ということにこだわりすぎて、宗教的な紛争を「宗教的に解決する」ことを模索することに余りにも消極的すぎたということだ。(The pragmatic lesson concerns those wars of religion. Partly because of their obsession with keeping church and state separate, Western powers (and religious leaders) have been too reluctant to look for faith-driven solutions to religious conflicts)

特に中東での「宗教戦争」は、最初は宗教とは無関係の部族争いとして始まったケースが多い。それがいつの間にか「神から授かった土地を守る」という張り合いになってしまっている。The Economistは、無心論者が何と言おうと、宗教が政治の一部として切り離せないものになってしまっているのが現状だ、として次のように言っています。

窓を開けて人間の精神の世界に入り込むことは国家の仕事ではない。しかしさまざまな不平・不満が血みどろな紛争にならないようにすること、狂信者たちが政治を導くことを止めることなどは政府の仕事なのだ。とはいえ、それは容易なことではない。(Although it is not the state's business “to make windows into men's souls”, it is part of the government's job to prevent grievances from stirring into bloodshed, and fanatics from guiding policy. But it isn't easy)

The Economistは宗教戦争の古典的な例として、1605年にカソリック過激派による英国議会爆破計画を挙げています。ご存知の方も多いと思いますが、ジェームス一世殺害計画で、もう少しで成功するところだったのが、過激派の一人、Guy Fawkesが爆薬を持ってうろついているところを捕まってしまった。「爆薬陰謀事件」(Gunpowder Plot)として英国史の中では重要な事件だそうです。英国におけるカソリックの国会議員が議会に戻ってきたのは、Gunpowder Plotから224年もあとのことだったそうです。The Economistが、宗教的な紛争を政治が解決するのは「容易でない」(it isn't easy)ことの実例です。

▼つまりThe Economistの主張は「宗教と国家が分離されないと紛争はいつまでも続く」という、ごく普通の非宗教的な発想を基本にしながらも、宗教紛争を非宗教的に解決することは難しく、宗教者の関与が必要だということにあるわけです。北アイルランド紛争も、少なくとも表面的には、カソリック対プロテスタントの紛争のように見えた部分はありましたね。The Economistは、両派の宗教指導者が平和を呼びかけたことが解決の一つの背景であったと言っています。

▼ところで、最後の部分に出て来るGuy Fawkesが捕まったのは1605年11月5日のことで、以来英国では11月5日にGuy Fawkes' Dayとして焚き火をやって遊ぶという習慣があるのだそうです。ただし今ではBone Fire Nightというのが普通。私の勝手な推測ですが、捕まったとはいえGuy Fawkesは英国のカソリックの間では、ヒーローなのではないか。焚き火遊びにその名前をつけ続けるのは、両宗派の間に不必要な対立感情を呼び起こすということで、余りやらないのではありませんかね。

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5)宗教が諸悪の根源・・・


The Economistの記事が「宗教戦争は宗教で解決」と言っている一方、オックスフォード大学の生物学者、Richard Dawkinsの『GOD DELUSION(神の幻想)』という本のメッセージは「宗教こそが諸悪の根源」です。有名な無神論者であるDawkinsがこの本を書いた動機が、2001年の9・11テロやマドリードやロンドンでのテロ事件をどのように考えるべきなのかを検討することにある。 彼は「オサマ・ビン・ラディンを"悪"と呼んで済ませるのは責任逃れだ」というわけで、Sam Harrisというアメリカ人の文章を引用しています。

「何故彼らがテロを行ったのか」という問いに対する答えは、ビン・ラディンのような人たちは彼らが信じていると言っていることを本当に信じているということにあるのだ。彼らはコーランの言う真実を文字どおり信じたのであり、自らの行為によって天国へ直行できると信じたのである。人間の行いの中で、これほど見事に説明のつく行為は殆どない。何故、我々はこの説明を受け入れようとしないのか?(The answer is that men like bin Laden actually believe what they say they believe. They believe in the literal truth of the Koran. They believed that they would go straight to paradise for doing so. It is rare to find the behavior of humans so fully and satisfactorily explained. Why have we been so reluctant to accept this explanation?)

もちろんDawkinsがこきおろしているのは、イスラムだけではありません。堕胎を行った医師の家を爆破したアメリカのキリスト教徒、パレスチナの土地は、神がイスラエル人に与えたものだと主張するユダヤ人、信じがたいような残酷な刑をいまでも行うタリバン等など・・・宗教が悪であるのは、一切の説明をせず、疑問をも許さないということにある、と主張しています。例えばキリスト教では「神が天地を創造した」と言うけれど、ではその神は誰が創造したのか?ということに対する説明がない。

Dawkinsはまた「宗教が悪いのではなく、狂信が悪い」という意見にも反対しています。信仰を絶対的に善いこととして尊重するという姿勢そのものが「狂信」を生んでいるというわけです。

宗教的な信仰は、それが宗教的信仰であるが故に尊重されねばならない、という原則を容認している限り、オサマ・ビン・ラディンや自爆テロリストが持っている信仰を否定することは難しいはずである。(As long as we accept the principle that religious faith must be respected simply because it is religious faith, it is hard to withhold respect from the faith of Osama bin Laden and the suicide bombers)


▼つまりいまの世の中では、「信教の自由」の名のもとに宗教だの信仰だのというものが、絶対的なものとして尊重されすぎているということです。「疑問」というものを一切許さない世界から「狂信」が生まれるということです。

▼GOD DELUSIONの中でDawkinsが展開している無神論は、確かに刺激的であり、正直言って「目からうろこが落ちる」という思いがした部分は大いにあるのですが、それをこの本に沿って解説しようとするのは、とても私などの能力の及ぶところではない。乱暴と言われることを承知のうえで、Dawkinsの主張を一言でまとめると「この世の中のことは、全て人間の知恵で説明がつく」ということになる(と私は思います)。

▼ただ疑問なのは、Dawkinsのような人たちがどのように罵倒しようが、宗教というものがこの世に存在しているという現実をどのように受け止めるべきなのか?数回前のむささびジャーナルでも紹介したとおり、特定の宗教は信じていなくても「何か」は信じている、という人が英国でもかなりの数存在しているということを、Dawkinsはどのように受け止めているのか?皆、アホや、と言って済まされるものではないことは、Dawkins自身が十分知っているはずですからね。

▼最後に、この本とは関係ありませんが、もう一人有名な無神論者としてBertrand Russellがいますね。彼の自伝によると、Russellが無神論者になったのは、18歳のときで、Millという人の自伝の中で次のような文章に行き当たったのだそうです。

The question "Who made me?" cannot be answered, since it immediately suggests the further question "Who made God?"("自分は誰によって造られたのか?"という問いには答えがない。何故ならそれを問うということは、すなわち"神は誰によって造られたのか?"という問いを発することに繋がるからである)

▼つまり、「自分(人間)を造ったのが神だ」と言うのなら、「その神を造ったのは誰なのか?」という疑問が出てきて、それに対する納得する答えが、キリスト教にはないということなのでありましょう。

RussellDawkinsとは正反対に敬虔なカソリックであるPaul Johnsonという人は、MODERN TIMESという世界史の本の最後で、人間が「宇宙のあらゆるミステリーが人間のアタマだけで解決できる、という傲慢さ」(the arrogant belief that men and women could solve all the mysteries of the universe by their own unaided intellects)を捨てることができれば「21世紀は人類にとって希望の時代になるチャンスはある」と言っています。この本は1990年ごろに書かれたものです。

▼両方とも説得力があるので困りますが『GOD DELUSION』の「全てを疑え」という主張は大いに尊重されるべきです。 ただ『GOD DELUSION』では、キリスト教やイスラム教のことは出て来るのですが、仏教のことは殆ど出てこないというのは何故なのでしょうか?

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6)短信


パブの看板にヒトラー?

The Sunの報道によると、リバプールの近くにあるWirralという町のパブの看板が問題になっています。パブの名前はJohn Masefieldで、これはこの地方では有名な詩人の名前なのだそうです。が、問題はこの詩人の顔をあしらったパブの看板がアドルフ・ヒトラーにそっくりであったということ。地元ではこのパブを「アドルフ」と呼ぶ人も多いらしい。オーナーのウォルシュ氏は「確かにヒトラーに似ているけれど、看板を出してみるまでは気が付かなかった」というわけで、作り変えるっきゃないか、と嘆いているそうです。ちなみにこのパブの内部にはMasefieldの写真が沢山飾ってあるけれど、どれもヒトラーには見えない。撮影した時代が違うというのが理由らしい。

▼パブの看板は英国の風物詩みたいなところがあって、見ているだけでも楽しいものがありますね。でもこの看板、確かに似ている・・・。

2階建バスを耳で引っ張る!?

ロンドンのハイドパークで、英国の力自慢なるイベントが開かれたのですが、ロンドンの2階建てバスを耳でひっぱるというヘンな記録に挑戦してあえなく失敗した人がいる。名前はMr Singh。インド系の英国人なのでしょうね。7・5トンのバスを10メートル引っ張ればギネスに登録されるはずだったのですが、5メートルでダウン。この人、昨年は航空機を、やはり耳で3・4メートル引っ張ったという記録の持ち主であったそうです。

▼バスを耳でどうやって引っ張るのでしょうか?ただ、これに成功しても「だから何だってのさ」と言われてオシマイなんじゃありません?

ガラガラ蛇87匹と風呂に入る!?

もう一つギネスブックの話題。こちらはアメリカのテキサス。主人公は「へび男」の異名を持つJackie Bibbyなる人物。何をやったのかというと、風呂おけのなかにガラガラ蛇を87匹入れて、その中に45分間坐っていた!!!挑戦の間、ガラガラ蛇が身体の上を這い回るということもしばしばであったのですが、噛まれることなく無事45分坐り続けた。Jackieによると「ガラガラは急に身体を動かすと噛み付く。じっとしていれば大丈夫」なんだそうであります。

▼これも「だから何なのさ」と言ってみたくなるけれど、2階建てバスを耳で引っ張るよりは、ガラガラ蛇との付き合い方を教えてくれただけ、一応社会のお役に立っていることに違いない。でも、よくやるなぁ!

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7)むささびの鳴き声


▼前回のむささびジャーナルで「アメリカの世紀が終わりつつある」というエッセイを紹介しました。その中で、私個人の観察・経験として、ベトナム戦争に負けて自信喪失だったアメリカを救ったのが「強いアメリカ」を掲げて登場したレーガンだったとされていると言いました。レーガン登場の数年後にソ連が崩壊したことで、アメリカ人は「やっぱりアメリカは強いのだ」と錯覚してしまった、とあのエッセイの筆者は言っていたのです。もう少し言いたかったのは、この場合の「錯覚」の中身についてであります。

▼アメリカは30年間で「第二次世界大戦(勝利)」→「朝鮮戦争(半分勝利)」→「ベトナム戦争(敗北)」という経験をしていた。どう見ても落ち目ですね。で、続いたのがソ連崩壊と冷戦の終結というわけですが、LMDの筆者が言いたいアメリカの「錯覚」とは、ソ連崩壊とアメリカの優位性を一緒くたにしてしまったということなのではありませんかね。ソ連・東欧の社会主義は崩壊したけれど、それは社会主義が勝手に崩壊したのであって、アメリカが崩壊させたわけではない。

▼で、先日、日本記者クラブで古矢さんという東大の教授が、アメリカ政治の話をしたのですが、その中で非常に面白いことを言っていました。アメリカがベトナム戦争に敗れたのは、1975年ですが、実はその後1980年代に「ベトナム戦争は正しかったのではないか」という議論がアメリカ国内のインテリたちの間で、出始めたのだそうです。そして「正しかった」論も含めて、ベトナム戦争をちゃんと総括しようという機運が出てきた矢先にソ連が崩壊してしまい、アメリカの知識層も、そっちの勝利感に酔ってしまってベトナム論議が立ち消えてしまった、ということでした。そんなこと聞いたことなかったですね。

▼民主党の小沢さんが辞める・辞めないという騒ぎがあり、「小沢・福田会談の仕掛け人が読売のナベツネさんだ」ということが暴露されて、こちらも読売と日本テレビ以外のメディアで大いに批判されています。が、忘れてもらいたくないのは、いま問題になっているのが、アメリカなどによるアフガニスタン攻撃を軍事的に支援することの良し悪しなのだってことです。

▼アフガニスタンでアメリカなどの攻撃に対抗している勢力は、本当にアル・カイーダのような国際テロ組織なのか?ペシャワール会の人は、タリバンはアフガニスタン国粋主義者みたいなものだと言っていました。30年以上も前のベトナムで戦争でアメリカが敵として戦った南ベトナム民族解放戦線(通称・ベトコン)という組織は、共産主義政党であるベトナム労働党が主導していたけれど、仏教徒や自由主義者なども多数参加していたとされています。

▼いまのアフガニスタン戦争とベトナム戦争はどこか似ていると思ったら、タリバンとベトコンが似ているのではないかということに思い当たってしまった。アメリカはベトナム戦争では共産主義と戦い、アフガニスタンでは国際テロと戦っていることになっているけれど、本当は戦う相手を間違っているのではないか?

▼ナベツネだのオザワだのとコップの中の騒ぎで明け暮れていられるというのは、爆弾を落とされているアフガニスタンの人たちからみれば羨ましいハナシですよね。このような人が「ドン」とされている、メディアの世界については寒々とした暗さを覚えますね。

 

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