musasabi journal
発行:春海二郎・美耶子
第71号 2005年11月14日 

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2005年も、もうお終いですね。関東地方もそれなりに寒くなってきました。
私の家の近くの駅からは、天気がいいと富士山が見えるのですが、もう真っ白です。
北海道では雪ですよね。
広島や鹿児島はどんな感じなのでしょうか?南半球ではこれからが春?

目次

@フィンランド大使の話を聞く
Aフランスの暴動と英国人
BEUを知る
C国際紛争の性格が変化している
D短信
E編集後記(というより年寄りの愚痴というか・・・)

 

@フィンランド大使の話を聞く


先日、日本記者クラブでフィンランド大使の話を聞く集いがありました。名前はヨルマ・ユリーン。話のテーマはフィンランドが最近の国際比較で経済競争力が3年連続ナンバーワンになったことについてでした。

経済競争力(economic competitiveness)って何?それが世界一であると、その国で暮らす人々にとって具体的にどのようないいことがあるのか?正直言って、私にはそのあたりの素朴な疑問にきっちり答えるだけの知識がないのですが、大使がフィンランドの国としての理念として強調していたのは、特に教育における「機会の平等」(equal opportunities)ということでした。小学校から大学まで授業料なしですからね。もう一つ教育についてフィンランドでは「落ちこぼれを最小限にすること」に力が注がれているとも言っていた。

大使はまたフィンランドが目指す社会モデルとして「社会的市場経済・福祉国家・産官学の協力」ということを挙げておりました。「社会的市場経済」(social market economy)というのは、socialという概念を「政府主導」とみる英米流の考え方では成り立たないはずであります。しかしユリーン大使によると「高い税負担にもかかわらず、福祉国家という概念は今後もフィンランドの競争力維持に不可欠だ」と言っています。

日本では小泉さんが「自分の任期中は消費税(5%)は上げない」とか言っておりますが、フィンランドの消費税ともいえる付加価値税は22%を超えています。フィンランド人はかなり高い税金を払って福祉制度を支えているわけですが、公教育が無料というのを「福祉」の概念に入れれば、現在の国際環境の中でフィンランドが生き残っていくためには優れた「優れた労働力」が必要で、そのためには「国民の知的資源を十分に活用する必要がある」。つまりフィンランドの人たちにとって「競争力を高める」ということと「福祉制度を保持する」ということは矛盾しないということのようです。

ただ大使も「将来は福祉制度も"スリム化"する必要が出て来るだろう」と言っていました。

ところで国際的NPO、Transparency Internationalは世界中の国におけるビジネスや政治がどの程度透明性(transparency)を以て行われているかを毎年比較しているのですが、フィンランドはここでもアイスランドに次いでニュージーランドとともに第2位を占めています(英国は11位、日本は21位)。この調査は別の表現を借りると、政府関係者による「汚職度(corruption)」調査と同じなのですが、ベスト10にスェーデン、ノルウェー、デンマークとスカンジナビア諸国が全て入っている(詳しくはここをクリックすると出ている)。

こうなるとフィンランドを含めた北欧諸国は福祉も教育も充実しているし、生活水準は高いし、しかも政府関係の汚職も少ない・・・言うコトなしという感じであります。ただユリーン大使は、これからのフィンランドの課題として「福祉のスリム化」を挙げていました。またフィンランドの場合、失業率の高さ(現在8%くらい)も問題になっているのですが、大使によると「これから高齢者が退職すれば若い人の失業率は減るはず」と言っておりました。

  • 汚職度調査についてでありますが、負け惜しみかもしれないけれど、人口のことも考えなければならないんではないですか?例えば透明度ナンバーワンのアイスランドは人口が30万。さぞや公務員の数も少ないでしょうね。フィンランドやニュージーランドも500万程度で、日本と同じような面積なのに人口は東京の半分しかいない。公務員や政治家の絶対数が少ないってこともあるんではありませんか?国民一人当たりの公務員の数は・・・多分あちらの方がすくないんでしょうね。

Aフランスの暴動と英国人


フランス国内の暴動について、ガーディアンのJonathan Freedlandというコラムニストが面白い記事を書いています。France is clinging to an ideal that's been pickled into dogma(フランスは「ドグマ(かたくなな教条)」に変わり果てた「理想」にしがみついている)というタイトルの記事で、イントロはthe French model of colour-blind integration gives racism a free hand(フランス流の違いを認めない結合が却って人種差別の跋扈を許している)となっています。

フランスといえば「自由・平等・博愛」を国家理念とする共和国ですが、国内に沢山の移民が暮している。イスラム教徒の移民もかなり多いし、彼らにはそれぞれ異なった過去と文化的背景がある。にもかかわらずフランスでは公式には民族的な違い(ethnic difference)というものが認められていない。例えば「アルジェリア系フランス人の失業率」について知りたいと思っても公式な数字がないそうです。何故なら「フランスではみんなフランス人だから(There are only the French)」です。

法の下では誰も平等な扱いを受けるものであり、「ルーツ(origin)」だの特殊性(particularities)によって分け隔てはしない・・・これがフランスの理想です。理論的には素晴しいのですが、現実はそうでもない。如何にもフランス人らしい名前を持った人が職探しのために100社に申し込みをしたところ75社から面接の通知をもらった。が、アルジェリア風の名前で申し込んだら、たったの14件しか面接の通知が来なかった。これは実際に昨年行われた調査の結果だそうです。実は差別があるのに「みんなフランス人」という制度になっているので、差別も表面化しないようになっている、というわけです。

Jonathan Freedlandによると、フランスと正反対なのがアメリカだそうです。あの国では「みんな移民」というわけで、イタリア系アメリカ人、アイルランド系アメリカ人・・・それぞれがそれぞれの文化的ルーツを守ることが奨励されている。が、それにも例外があって「自発的にやって来た移民」はともかく「強制的に連れてこられた"移民"ともともとのアメリカ人(インディアン)」は差別の対象になっていると主張している。

で、英国です。Freedlandによると、英国には多文化主義(multi-culturalism)なるものがあって、人種的な違いが認められているだけでなく、法的にも守られている。しかし・・・と次のように言っています。

But it also yearns for some affirmation of common identity. It knows there are differences between us - but it wants there to be ties that bind. What those ties should be, what notion of Britishness might hold us all together, nobody seems quite sure. 英国もまた「共通したアイデンティティ」を追求している。違いは認めながらもお互いを結びつける絆が欲しいと思っている。その絆がどのようなものであるのか、どのような「英国らしさ」であれば人々を結び付けることができるのか・・・そのあたりは誰にも良く分からない。

筆者は最近バーミンガムで起こった暴動を例にとって、「英国における人種関係も理想には程遠い」としながらも次のように結論付けています。

But multiculturalism is still the best model we have. And, after the last 10 days, it may be the only one left.(やはり多文化主義がいまのところはベストなのであり、フランスの10日間を見る限り、多文化主義しかないのではないか)

  • むささびジャーナル65号でも紹介したとおり、ロンドン・テロが起こってからというものイスラム系移民とのあつれきもあって「多文化主義は成り立たない」という声が英国内では広がってきていたはずです。フランスの頑なな「教条的文化主義」よりも英国流の「いろいろ主義」の方が優れている、と言いながらも、やはり国民的な絆は必要であると思っている。けどその絆が何であるのかを発見せずにいる、ヨーロッパのリベラル知識人の悩みが伝わってきます。

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BEUを知る

暴動に揺れるフランスですが、おそらくドイツやオランダなどの国々も穏やかではないはずですよね。同じように移民問題を抱えているし・・・。 ひょんなことからEUの将来が気になり始めた。北欧唯一のユーロ導入国である、フィンランドの大使は「フィンランドのような小国は大きな機関に所属しないと生きていけない」と言っておりました。『EUの知識』(藤井良広著)は、私も含めたEU素人には格好の入門書かも・・・この本については別のところで紹介させてもらいます。

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C国際紛争の性格が変化している


最近のメディアの世界では国連に対する批判的な記事やコメントが目立ちます。紛争回避の国際機関としての役割をまともに果たしていないというわけで、日本でも「国連無用論」のような勇ましい意見が聞かれる。

カナダのブリティッシュ・コロンビア大学にあるHuman Security Centre (HSC)というthink-tankの3年におよぶ研究の報告書(Human Security Report)によると「1992年からこれまでの約10年間で、世界の武力紛争の数は40%も減少した」とのことで、「これは国連による紛争防止と平和構築のための努力が増えていることに関係している」としています。

この研究をリードしたAndrew Mack教授は、「戦争や人権侵害そしてそれらに対応する国連の努力の失敗例のみが注目され、実はこれらの政治暴力が減っていることについては殆ど注目されていない」と主張しており、「世界中のメディアが戦争の始まりに対しては大々的に報道するのに、これが静かに終わったことについては殆ど報道しない」としてメディアの姿勢にも疑問を呈しています。

Mack教授は最近では政治暴力の性格が変化しているとしており、いくつかの例を挙げています。例えば・・・。

  • 1992年から現在までに1000人以上の戦死者(兵隊のみ)を出した紛争の数は80%減っている。
  • 1981年から2001年の20年間で戦争に繋がるような国際危機(international crises)の数は70%減っている。
  • 国と国との争いとしての戦争は全武力紛争の5%にすぎない。
  • 1963年当時に比べると軍事クーデター(未遂も含む)の数が60%減っている。1963年にあったクーデター(未遂も含む)は25件、2004年の数は10件(全て失敗)だったそうです。
  • この50年間で、戦争そのものが過去に比べて「残酷」(deadly)でなくなっている。1950年の戦死者の数は一戦争あたり平均38000人だったのに、2002年のそれは600人だったそうです。

で、何故戦争の数が減ったのかです。Mack教授は過去30年における世界的な安全保障の様相(global security landscape)が大きく変わったとして、3つのポイントを挙げています。

まず植民地主義が終わったこと。1950年代初頭から80年代初頭までの国際紛争の多く(60%以上)が植民地からの独立を目指す戦争であったが、現在はそのような戦争はない。

次に(当然ですが)冷戦が終わったこと。第二次大戦後の国際紛争の3分の1が冷戦による東西対立に関係していたそうです。冷戦が終わって、アメリカもロシアも第三国における「代理戦争」をしなくなったということです。

そして教授が最も強調するのが、国連を中心にした、国際的な戦争回避努力がかつて例をみないほどの規模で行われるようになったことです。国連のみならず世界銀行やさまざまなNGOによる活動も挙げられます。Mack教授はさらに、こうした国際機関による平和努力は極めて低コストで行われていることを強調しています。現在、国連が世界の17箇所で展開している平和維持活動の年間コストは、アメリカがイラクで使っている費用の一ヶ月分よりも少ないのだそうです。

勿論、戦争がなくなったわけではないので、安心(complacency)しているわけにはいきません。現在でも世界の60ヶ所で武力紛争が進行中なのだそうです。ただMack教授は、戦争をなくす努力を効果的にするためには、過去の戦争データを充実させてそれに基づいて政策を進めなければ効果はあがらないとしており、Human Security Reportの価値もそこにあるとしています。

この報告書はOxford University Pressから出版されるそうですが、あらましはHuman Security Centreのサイトhttp://www.humansecurityreport.info/に出ています。

  • この記事を読んでいて、日本における憲法改訂論議を思い出してしまいました。Mack教授の報告書によると、武力を使って国際間の紛争を解決しようとすることはトレンドとしては明らかに減っている。日本の安全保障のために「武力」がどこまで役に立つものなのか・・・。
  • ところで、この報告書は次の8つの政府組織と国際機関からの支援によって可能になったそうです。Human Security Program at the Department of Foreign Affairs and International Trade (Canada); the Canadian International Development Agency; the Department for International Development (United Kingdom); the Norwegian Royal Ministry of Foreign Affairs; the Rockefeller Foundation; the Swedish International Development Cooperation Agency; the Swiss Federal Department of Foreign Affairs and the Swiss Agency for Development and Cooperation.この中に日本政府はもとより日本企業・機関の名前も出ていません。アメリカは民間団体が支援しているし、英国は政府組織がやっているのに・・・。日本に対して援助の要請が全くなかったとは考えられないですよね。
D短信

結婚登録所の様変わり

英国のregister office(登録所)というのはどんな所なのでありましょうか?結婚届を受け付けるのが仕事の1つであることはわかっているのですが・・・。リバプールの「登録所」に飾ってあった2枚の絵画が最近取り外された。一枚は結婚式の花嫁と花婿が結婚届をしている絵画、もう一枚はロメオとジュリエットのもの。何故取り外されたのかというと、同性新婚のカプルが不快に思うかもしれないということらしい。実は登録所にある結婚式場(Wedding Room)も名前を「祝賀スイート」(Ceremony Suit)と名前を変えた。市の当局者はこれらの変更にについて「時代の変化によってregister officeでは結婚式以外にも祝賀行事が行われることが多くなった」と言っています。

  • ロメオとジュリエットの絵画ですが、何故かふたりがブランコに乗っているものだったらしいです。笑える・・・

女王もカーナビを使っている?

知らなかったんですが、エリザベス女王は自分で車を運転するときがあるんですね。もちろん王室所有の敷地内のことだけですが・・・。The Sunの伝えるところによると、このほど女王所有の車にすべてカーナビが搭載されたので、女王が道に迷う心配がなくなったのだとか。報道によると彼女の車はロールスが3台、ベントレーが2台、ダイムラーが3台あるんだそうです。バッキンガム宮殿では「カーナビは女王が敷地を出るときに使うもので、運転手のために搭載した」といっております。The Sunによるとエリザベス女王は結構新し物好きらしく、今年になってiPodを購入して楽しんでいるそうです。

  • だから何だってノ?と言われれば「いえ何でもないです・・・」としか言いようがないニュースでありました。

ファウルは神が許さない!?

クロアチアのサッカー選手(ディエフェンスのスター)が最近激しいタックルとかファウルをしなくなったお陰でチームが負けてばかりいる、とファンから非難されているそうです。Hajduk SplitというチームのGoran Granicという名前の選手なのですが、地元の新聞が伝えるところによると「これからは神の教えに従うことにした。ファウルはやらない」と言い切っているとか。カソリックである彼の言によると「神さまはサッカーを人間が楽しみ、リラックスするために創造したのだから、ファウルは出来ない」らしい。お陰でこの強豪チームも結構苦しい戦いを強いられているとSlobodna Dalmacija紙は伝えています。

  • ウーン、だったら最初からサッカーの選手なんかにならなきゃよかったんじゃない?選手になったのも神のお告げだったのかな・・・。

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E編集後記

●私、前回のむささびジャーナルの「短信」のところで、ベオグラードを「ブルガリアの首都」と書いてしまい、早速受け取った人に指摘されました。ベオグラードはセルビア共和国の首都です。ブルガリアの首都は「ソフィア」です。失礼しました●NHKの記者が放火をやって逮捕された事件について、会長という人が責任を感じて給料の30%(だったと思う)を返上すると報じられていました。私、これがどうも分からないのですよ。社員が犯罪(会社の仕事とは無関係)を犯すと、どうして社長の給料が減るのか?●現在、NHKにはいろいろあって風当たりが強く、受信料の支払い拒否も増えている。だからこの際会長が給料返上というかたちで「責任」をとれば、視聴者も少しは納得してくれるかも・・・ということ?●私も視聴者(受信料は払ってます)の一人ですが、このような事件のことで会長が責任をとるべきだなどと考えたこともない。ホントに・全然・まるっきり・これっぱかしも考えたことがない●ただ・・・私個人としては、別のことで責任をとってもらいたいとは思いますよ。例えば(前から言っているように)『プロジェクトX』というノスタルジア番組を相変わらず続けていることについて、これははっきり責任をとってもらいたい●それから先日衛星放送だったか教育テレビだったかで、『紅白をどうする?』とかいうディスカッション番組をやっていた。年末のあの歌番組をどうするのかということです。そんなことで視聴者にディスカッションを見せてどうするのさ?続けたければ勝手にどうぞ●私、個人的にはこの30年ほど見たことがないし「紅白がないと年末という気がしない」というのも気持ち悪い。英国にはBBCのコンサートで「プロム」というのがあるそうですね。イヤですね、こういう「全国挙げてXXを楽しむ」という雰囲気は。

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