英国The Independent紙のRobert
Fiskという記者は中東問題の専門記者として30年以上もアフガニスタン、イラン、イラク、シリア、レバノンなどの国々を取材し続けています。彼の書いたthe
Great War for Civilisationという本の中ではソ連のアフガニスタン侵攻の前後にオサマ・ビン・ラディンとインタビューをした様子などが詳しく書かれています。この本は9・11以後のアメリカのアフガニスタン攻撃とイラク戦争が主なテーマとなっているのですが、いわゆる分析ではなくて、現場レポからなるドキュメンタリーで、彼の場合は徹底して攻められる側に身を置いて報告をしています。
イラクからのレポも爆撃にさらされるイラクの都市の住民の中に身を置くというスタイルをとっているので、アメリカが何故イラク攻撃を行ったのかということについての背景分析を期待するとちょっとがっかりするかもしれない。にもかかわらずこの人は、この中東問題に関しては、英国のメディアの世界で非常に重きを置かれている人のようであります。
と、前置きが長くなりましたが、そのFisk記者が12月31日付けのThe
Independent紙に"He
takes his secrets to the grave. Our complicity dies with him"(彼は秘密を抱いて墓場へ行った。我々の共謀も彼とともに死んだのだ)というタイトルの記事を書いています。ここでいう「彼」とは12月末に絞首刑で死んだイラクのサダム・フセイン元大統領のことです。この記事の趣旨はイントロの次の文章ですべて言い表されています。
How the West
armed Saddam, fed him intelligence on his 'enemies', equipped
him for atrocities - and then made sure he wouldn't squeal(西側諸国は如何にしてサダムに武器を与え、彼の敵についての情報を提供し、虐殺のための手段や装備を与えてきたうえで、彼が吐いてしまわないようにしたのか・・・)
つまりアメリカや英国はサダム・フセインという独裁者を支持・支援していたはずなのに、今度は彼を抹殺することで、自分たちとの関わりに永遠にフタをしたというわけです。Fisk記者が問題にしているのは1980年代のイラクとアメリカとの関係です。例えばフセインは大統領になった当座、ソ連の影響を嫌い、イラクにおける共産党の弾圧を行ったのですが、それを手伝ったのがアメリカのCIAで、イラク国内の共産党員やシンパの居所についての情報提供を行ったとされています。結果として党員のみならず子供や家族まで逮捕され拷問にかけられた、としています。
Fisk記者によると、1980年のイラン・イラク戦争始まる前にアメリカの政府高官とフセイン大統領の間で何度もミーティングが持たれ、アメリカ側からフセイン大統領に対してイラン国内についての情報提供が行われたのだそうです。記者は1980年9月に、ドイツの武器商人と会ったのですが、この商人はアメリカ政府の秘密の代理人としてフセイン大統領に、米政府が作ったイラン国内のきわめて精巧な衛星写真を配達する役割を負ったのですが、その人自身のコメントとして、それらの写真を見ればイラン軍の動きが手に取るようにわかるようなものであったそうです。
またイランの公式文書によると、サダム・フセインが最初にイランに対して化学兵器を使用したのは1981年1月13日であり、その原材料を提供したのはアメリカであるとされている。Fisk記者によるとアメリカとイラクの交渉の中心人物の一人が、ドナルド・ラムズフェルド氏であったそうです。Fisk記者はイラクの化学兵器によってやられたイラン側の兵士を乗せた病院列車に乗り合わせて自分の目でその悲惨さを見ているそうなのですが・・・
No wonder
that Saddam was primarily tried in Baghdad for the slaughter of
Shia villagers, not for his war crimes against Iran.(サダムは主としてシーア派の村人殺害ということで、バグダッドで裁かれたのであって、イランに対する戦争犯罪で裁かれたのではないのもうなずける)
と言っています。つまりイランに対する化学兵器の使用が裁判で問題になるとアメリカ自身の関わりが分かってしまうというわけです。記者によると、アメリカからフセイン政権のイラクに対する貸付金は1982年に始まっているのですが、その詳細がフセインの死によって結局分からずじまいになるだろうとのことですが、アメリカからお金を借りてアメリカ製の武器の輸入をおこなったりしていたのですね。
英国とフセイン大統領との関連ですが、Fisk記者は二つの例を挙げています。一つは1989年に2億5000万ポンド相当の軍事援助を約束しているのですが、この約束がなされた当時、英国のObserver紙の記者がイラク国内で化学兵器関連の取材をしていて逮捕、処刑されたことがあった。その当時の英国外務省のWilliam
Waldegraveという副大臣のような人が「イラクは、英国にとって将来非常に大きなマーケットになる可能性がある。この記者のようなことをやられるとビジネスがやり難くなる」と発言したらしい。
もう一つは80年代に行われた、英国からイラクへの武器輸出の緩和があります。当時、フセインによるクルド族虐待が問題になっており、英国政府も怒りの念を表明していたはずなのに、武器輸出については「柔軟に臨む」という態度をとった。
Fisk記者は次のように結んでいます。
Many in Washington
and London must have sighed with relief that the old man had been
silenced for ever. (全ての真実がバグダッドの処刑室でサダム・フセインと共に死んだわけだ。ワシントンやロンドンには、あいつが永遠に眠らされたということで、ほっとしている人間が多くいるに違いない。)
- この記事の原文はここをクリックすると読めます。またRobert
Fiskのthe
Great War for Civilisationという本はペーパバックにもなっているようです。
- 前号(100号)のむささびジャーナルでState of Denialという本を紹介し、その中で「サダム・フセインは大量破壊兵器を持っているふりをしていただけ」というアメリカの専門家の意見を紹介しました。それについて、私の知り合いである国際ジャーナリストが「言うならばサダムは現状認識する能力に欠けており、虚妄癖があった。そうしたサダムの実像を米国も把握できず、踊らされたということだと思います。双方が相手を間違って捕らえていた結果がイラク戦争になってしまった」というコメントをくれました。うーん、言われてみるとそういうことか!?そうなるとブッシュとブレアがやったことは、言葉にはならないくらい酷いことであったということですね。
- 特にブレアの場合、9・11のようなことが国内で起こって、その結果として国中がヒステリアの状態になっていたというわけではない。彼が徹底的にこだわったのは、サダム・フセインが大量破壊兵器を持っており、しかも45分以内にそれを発射できるという「情報」だけだった。つまりフセインという存在が英国にとっても脅威である、だから絶滅させるっきゃないし、それは人類にとっての正義の戦いである・・・ということを英国民に向かって語りかけて戦争に参加した。
で、その大量破壊兵器が存在しないということが分かると、今度は「サダムのような独裁者を倒したのだから・・・」ということで正当化しようとした。
- ブッシュの場合は、国内のヒステリアに便乗したわけですが、ブレアの場合は、国内的には反対の意見がかなり強かったのにあえて戦争に出た。日本のオピニオン・リーダーの中には当時、こうしたブレアの「指導力」を賞賛する人もかなりいましたね。ある元外交官などは、ブレアのことを「ブッシュのふところに飛び込んだ男」というので絶賛していました。
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