いまから(多分)30年以上も前に読んだペーパーバックにThe Best and the Brightestという本があります。New York
TimesのDavid Halberstamというジャーナリストが書いた本で、アメリカがどのようにしてベトナム戦争の泥沼にのめりこんで行ったかを詳細に報告したドキュメンタリーで当時のベストセラーになった。何と今でも読まれていると見えて、第20刷を重ねているそうです。
Halberstamはケネディ、ジョンソン、ニクソンの3大統領のベトナムへのかかわりを批判的に書いているのですが、30年後のいま、ベトナム以上の泥沼としか思えないイラク戦争についてHalberstamが何を想っているのかが気になってYahoo!を調べたら、この人が2004年にある雑誌とインタビューをしたときの記事が見つかった。
インタビューのタイトルは「イラクはベトナムの繰り返しか?」(Is
Iraq "Another Vietnam?")というわけで、ベトナム戦争とイラク戦争の似ている点と違う部分について語っています。非常に長いインタビューなので全部紹介することは到底できませんが少しだけ紹介します。全文はここをクリックすると出ています。
まず二つの戦争の類似点の一つとして、アメリカ政府における「情報の腐敗」(intelligence corruption)を挙げています。間違った情報を基に戦争を始めたのが「イラク」なら、「ベトナム」の場合は情報そのものは正確であったのに、ワシントンの政府関係者が素直に受け取らなかったことが「腐敗」であるということです。
Halberstamによると、ベトナム戦争のときは、情報機関、国防省、国務省の人たちが正確で正直な情報をあげていたのに抹殺された。その抹殺者(slayer)が当時の国防長官、ロバート・マクナマラだった。マクナマラは自著の中で、「ベトナム戦争では、自分たちが欲しい情報が全く入って来なかった」と言っているけれど、Halberstamは「それはマクナマラによる残酷なウソ」(One
of the many cruel lies that Robert McNamara tells in his book)であり、ベトナムの現場から情報を送った人びとに対する「名誉毀損」(blood
libel)だと主張しています。ワシントンの人々は自分の望むような情報だけを欲しがったというわけです。「情報というものは引き金を引きたがる人間の欲望に見合うように作られるものだ」(Inevitably,
intelligence gets tailored to the desires of the people who
want to pull the levers)とHalberstamは言っています。
Halberstamは「我々はベトナムで情報腐敗を犯したが、イラクでは明らかにもっと大規模な情報腐敗が行われている」と語っているのですが、大量破壊兵器を見つけることができなかったことを責めるよりも「証拠がないのに(大量破壊兵器があるという)証拠があると言い張ったことの方が責められるべきだ」と言っています。しかしHalberstamのインタビューの中で、最も強調しているのは次のポイントです。
しかし何といっても、最悪の情報の失態は、我々が(イラクで)解放者として花束をもって歓迎されるだろうと信じたということである。これこそが情報に携わる人びとが犯した最大の失態なのだ。しかもこのことがより厳重に追及されていないということこそがショッキングなことなのである。
But the
most egregious failure of intelligence was the belief that
we would be greeted as liberators, with flowers thrown in
our path. This is the greatest failure of the intelligence
people, and it is shocking if people do not push on this
harder than they are.
つまりCIAはWMDについての情報収集はやっていたかもしれないが、イラクの人びとの心についての情報収集・提供は全くやっていなかったか、非常に不正確であったということ。しかもそのことについての反省が全くない(とHalberstamには見える)ということです。
もう一つの類似点は、アメリカがベトナムやイラクの歴史や周辺地域ことを殆ど何も知らずに、アメリカの考えを押し付けようとしたことにある。アメリカが押し付けようとしたのは、ベトナムでは反共産主義であり、イラクでは民主主義です。アメリカはベトナムが共産化すれば周辺国にこれが波及するドミノ効果をもたらすと考え、ベトナムを共産主義・中国から守ろうとしたのですが、実はベトナムには昔から中国に対する民族主義的な敵対意識が強かったということに気がつかなかった。アメリカの敵であった北ベトナムのホーチミンの言った言葉にBetter
to eat the French dung for 100 years than the Chinese dung
for 1,000(中国のクソを1000年間食うより、フランスのクソを100年食らうほうがまし)というのがあるそうです。
イラク戦争の推進派は「イラクを民主化すれば、民主主義は中東全体に拡がるはず」(if
we get a functioning democracy going in Iraq, then democracy
will spread to the other nations in the region)という「民主主義のドミノ」のようなことを考えており、中東諸国の間における敵対意識や歴史の違いのことは考えていなかった。イラクを「民主化」することで、アメリカは中東諸国間の敵対意識に火をつけてしまった、とHalberstamは言っています。
ベトナム戦争とイラク戦争の相違点は何か?ということについて、Halberstamは次のように言っています。
ベトナム戦争の場合、アメリカは、フランスがやったのと同じように、ただ撤退すればよかった。ベトナム人はアメリカ人を追いかけてくることはなかった。彼らはただ自分たちの国を取り戻したかっただけなのだから。しかしイラク戦争ははるかに危険だ。彼らは我々をアメリカまで追いかけてくる。イラク戦争は、ありとあらゆる反米勢力の結集ポイントになっていくだろう。
In Vietnam
all we had to do was go home as the French had done. The
Vietnamese didn’t want to follow us, they just wanted their
own country back. This is much more explosive. These guys
want to follow us home. This war is going to be a rallying
point for all kinds of forces against us.
The Best
and the Brightestの初版が出版されたのが1972年ですから、ベトナム戦争が終わる3年前のことです。この本は次のような文章で終わっています。
こうして戦争は続き、この国を切り裂いた。初期のころの怒りは、いまや無感動にとって変わられたように思えた。アメリカ人は、トンネルの出口に光を見出すことはなかった。ただ大きな暗黒だけが広がっていた。
And so
the war went on, tearing at this country; a sense of numbness
seemed to replace an earlier anger. There was, Americans
were finding, no light at the end of the tunnel, only greater
darkness.
- 最後の文章を見ていると、とても34年前のアメリカについての本とは思えませんね。現在のアメリカそのままという感じではありませんか?
- ベトナム戦争といえば、先日(といっても昨年末)、日本記者クラブでベトナム首相が記者会見をやった時のコメントを思い出します。「わが国は、これから汚職を一掃し、健全かつ効率的な市場経済を導入してやっていくのだ」と強調していました。日本企業にもどしどし進出して欲しいということですが、もちろん結果論にすぎないけれど、アメリカはベトナムが共産化することを防ぐために、あれほどの数の爆弾を落とし、村を焼き払ったのですよ。それが30年後のいま、当のベトナム人が「我々は市場経済を目指します」と言っている。歴史の皮肉ってんですよね、こういうの。
|