前々回のむささびジャーナルで、ブレアさんの官邸サイト上で展開される「オンライン署名」について紹介したときに、これが「議会の死」に繋がるのではないかと憂慮する向きもあることをお知らせしました。2月25日付けのObserverのサイト上でHenry
Porterというコラムニストが、ブレア首相による下院議会(House of Commons)軽視について書いています。
Porter自身の計算によると、ブレアさんが首相になった1997年からこれまでに、下院における審議が投票によって決するケースが、全部で2913回あった。ブレアさんが投票に参加したのは、このうちたったの245回なのだそうです。1月の末に議会でイラクの状況に関する討論が行われた。戦争が開始されてから初めての審議であったのに、ブレア首相は途中で抜け出し審議を外相に任せて、自分は産業人との会合に出席してしまった。演説上手、議論の名人と言われるブレアさんですから、下院での討論に参加しないのは、おっかないからではなくて、下院を見下しているということだ(we
know it was contempt, not cowardice)というのが、このコラムニストのみるところです。
ブレアさんが下院で行った、イラクからの英国軍の撤退について発表は大いにメディアの注目を浴びたのですが、実はブレアさんは、その前の夜にこの発表をメディア向けて行っていたのだそうです。Henry
Porterによると、ブレアは「仲介なしに直接国民と接するという幻想の方を好んでいる」(Blair
prefers the illusion of unmediated contact with the people)のだそうで、その中には、例のオンライン署名活動参加者に200万通のメールを送るということも含まれる。
また首相官邸のサイト上で行われるオンライン署名は、国会の審議よりもメディアの注目を集めることが多い。オンライン署名は、国民の声に直接耳を傾けるということもあるかもしれないが、法的な拘束力などないわけだから、「無視することも簡単に出来る(it
can easily be ignored)」わけです。「国民の意見は議員に伝え、議員に対してそれに応える責任と権限を与える制度の方がはるかに優れている」(Far
better to channel this opinion to MPs and empower them with
the responsibility of answering our views)と、このコラムニストは主張しています。
下院議会が無視されているのは、ブレアによってのみでなく、メディアもまた議会の報道がかつてに比べると薄くなっており、国民は議会で何が起こっているのか全く分からないという状況になっている、とこの記者は指摘しています。さらに議会軽視の副産物として、野党の影が薄くなったということもある。わざとそうしたわけではないにしても、議会における与野党の議論がかつてほど注目を集めなくなってしまった、というのです。
ブレア政府によって議会の近代化を促進するModernisation
Committeeなるものがあるらしいのですが、近代化の一環として「家族尊重のための時間」(family-friendly
hours)というものが導入された。何かというと、下院議員が家族とともに過ごす時間を確保しようということで、かつてのように徹夜で討議などということがなくなった。
もう一つ、deferred
votingというのがある。これは審議中の法案について、議員がいちいち最後まで議論を聞くことなしに、投票用紙に賛否を記入して提出できるというシステム。議員各自の都合のいいとき(convenient
time)に投票できるので、深夜まで待つ必要もないというわけです。確かにラクかもしれないけれど、「討論と議決のつながり」(connection
between decision and debate)という議会には大切な要素を失わせるやり方だと批判する向きもある。
まだある。法案を通すにあたって修正案の動議を審議するという過程を経ずに通してしまえる権限を政府に与えてしまったということ。そのような権限のことをギロチンという呼ぶのだそうです。ギロチン制度そのものは、故意の審議遅延を防止する手段として昔からあったのですが、これが使われることは極めて稀で、1881年から1975年までの約100年間で80回使われただけ。なのにブレア政権が誕生した1997年から2003年のわずか6年間で、なんと216回もギロチンが使われたのだそうです。
このような議会軽視の結果として、政党の力量が低下すると同時に、国民の間での政治的無関心の風潮を助長する結果となっている、とPorter記者は言っています。
彼はある英国首相が米国議会で演説し、次のように語ったと紹介しています。
私が今日首相の座にあるのは、すべて下院議会のおかげであり、私は議会に仕える者である。アメリカ同様、わが国でも公人は国家の召使であることを誇りとするものであり、国家の主人であることを恥じるものである。(I
owe my advancement entirely to the House of Commons, whose
servant I am. In my country, as in yours, public men are
proud to be the servants of the state and would be ashamed
to be its masters.)
これは、1941年、日本軍による真珠湾攻撃の3週間後に訪米したウィンストン・チャーチルが行った演説の一部なのだそうです。「どうしたってブレアの演説と思う人はいない」(However
hard you try, you couldn't mistake it for Blair's speech)と、Porter記者は言っています。
- 考えてみると、議会が軽視され、政党の影が薄いのは日本も同じかもしれないですね。小泉さんの政治は「官邸主導」で受けたんですからね。英国でも日本でも、メディアは「強いリーダシップ」とか「国民との直接対話」などを称賛してきた傾向がありますよね。これにプラスして、いまやインターネットによってますます直接対話が可能になっている。確か小泉さんのメルマガには200万人の読者がいたのではなかったですかね。こうなるとメディアさえも素通りされているという気がしないでもありませんね。
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