10月20日付けのThe Economistが、日本における「インド洋上給油問題」について「旗を降ろさないで」(Don't
furl the flag)という社説を掲載しています。イントロが「日本の兵士たちは政治家によるもっとしっかりしたサポートを期待する資格がある」(Japan's
soldiers deserve better support from its politicians)となっているとおり、自衛隊による給油活動の継続を訴える内容になっています。
日本が撤退すれば、タリバンとの重要な戦い(crucial
battle against the Taliban)における日本の役割の終わりとなる、として「ひょっとすると昔の日本に戻るということか?すなわち自己中心的で、困難な軍事活動は他人任せにしようという古い日本である(So
is this the Japan of old: self-absorbed, unashamed at leaving others
to do the hard military tasks?) と疑問を投げかけている。
1991年の湾岸戦争の際に金だけ出して、軍事的な貢献をしなかった「小切手外交」によって、日本は何の影響力ももたず感謝もされなかったという経験があったことと、最近の北朝鮮情勢や中国の軍事的脅威ということもあって、日本は自分の態度を改めて、アメリカと一緒になって、国際舞台でより積極的な役割を果たそうとしてきた。そうすることで、例えば国連の安保常任理事国入りも期待できるという外交目的もあった、ということです。
日本が国際的により鮮明な役割(striking
role)を果たし、その軍事力が同盟国や国連にしっかり繋がれているようになれば、中国やロシアの警戒心を起こさずに影響力を強めることができる。そのためにも自衛隊がインド洋から引き揚げるようなことがあってはならない、というのがThe
Economistの主張であり、いま「給油」を問題にするのは、政権奪取をもくろむ民主党の利己的な策略(cynical
ploy)にすぎないとしています。
つまりアメリカや西側諸国と繋がっている限りにおいて、中国もロシアも(韓国も)日本の軍事的な力に脅威を感じなくて済むから、日本にとっても同盟は大切だ、ということですね。日本ひとりでは危ないということです。そして・・・
日本の兵士たちは世界中で、ますます困難な仕事に取り組んでいるのであり、国内的にももっと支持されるだけの資格があるはずだ(Japan's
soldiers do increasingly difficult jobs around the world. They
deserve better support at home)
というのが、この社説の結論です。
自衛隊によるインド洋での給油活動は、アメリカなどによるアフガニスタンでの対テロ戦争を支援するために行っているのですが、その対テロの戦い(Operation
Enduring Freedom:継続的自由のための活動)自体がどのような状況になっているのか?そのことについて、同じ号のThe
Economistが違うページで「アフガニスタン戦争によって西側の軍事同盟が弱ってきている」(The
war in Afghanistan is straining the West's military alliance)という記事を載せています。
結論からいうと、かなりの苦戦だそうです。
NATOはとても勝利しているとはいえない。西側の強大な同盟軍よりも、ぼろ服をまとったアフガニスタンの反乱者たちのほうがしっかりした権力を握っているように見える(NATO
is far from winning the war, and, the ragged Afghanistan insurgents
seem to have more staying power than the West's mighty military
alliance)
The Economistによると、10月中旬現在で、アフガニスタンに軍隊を派遣している主要国の兵士の数は次のとおりです。
アメリカ
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15,106
|
英国
|
5,291
|
ドイツ
|
3,155
|
イタリア
|
2,395
|
カナダ
|
1,730
|
オランダ
|
1,516
|
トルコ
|
1,220
|
フランス
|
1,073
|
ところが昨年(2006年)に比べて今年は犠牲者が増加していることもあって「NATOの関心は、兵力を増やすではなく、如何にしてこれらの国が撤退するのを食い止めるかにある(NATO's
concern is no longer to increase its strength but to stop some allies
from withdrawing altogether)」という状態になっている。
例えばカナダの保守政権は、2009年2月までに撤退しろと主張する野党3党からのプレッシャーに押されているし、ドイツはもう一年だけ現状維持ということで議会の合意を得たけれど、これとても大激論(heated
debate)の末の合意であった。イタリアは情報員が誘拐されたりして国内で撤退論が復活している。
つまりアフガニスタンの対テロ戦争は勝利どころではないというわけですが、NATOにとっての希望的観測としては、遅かれ早かれイラクを撤退する米軍と英軍がアフガニスタンに振り向けられるであろうということと、アメリカ寄りの大統領になったフランスが、より積極的に軍事協力をするかもしれないということだそうであります。
▼この2つの記事(日本の給油問題とNATO軍の状況)については、よく分からないことが多すぎますね。「よく分からないこと」というのは、私としては、柄にもなく婉曲的な表現を使っただけで、もっと普通に言うとアフガニスタンでアメリカなどがやっていることはムチャクチャであり、それを「給油」活動で支援している日本も日本だということになる。
▼アメリカや英国などの同盟軍によるアフガニスタン爆撃は、9・11直後の2001年10月7日に始まった。6年も経っているのに、タリバンは、つい最近韓国人を多数誘拐したりして、全然弱っていない。つまり同盟軍は勝っていない。6年やって勝てないものが、これからも勝てるわけがない・・・と考えるのが普通じゃないんですか?給油活動云々は、その負け戦を支援しろというのだから無理というものです。
▼そもそもこの戦争は、9・11の首謀者である国際テロ組織アルカーイダの指導者オサマ・ビン=ラディンを捕まえることを目的として始まったはずなのに、いつの間にかタリバンをやっつける戦争になってしまっているのですね。当時のタリバン政権がビン=ラディンらを匿ったことはあるかもしれないけれど、タリバンが9・11テロをやったわけではない。もちろんロンドンやマドリードでのテロとも無関係。しかもタリバンとアルカーイダやビン=ラディンの関係だって、実は同盟でも仲間でもないことは、いつか紹介させてもらったINSIDE
THE GLOBAL JIHADという本でも明らかです。つまり日本が給油で支援している「同盟軍」のやっているのは、対国際テロ戦争でさえないということです。でなきゃ、何なんです?
▼ある雑誌を読んでいたら、田中均さんという元外交官が、「給油停止なんてとんでもない。そんなことしたら日本は、国際社会から感謝もされずに孤立するだけ」というニュアンスのことを強く主張していました。「91年の湾岸戦争の際に、日本はお金だけ出して軍事活動には参加しなかったので、小切手外交というので大いにバカにされたことを忘れたのか。あの屈辱を二度と繰り返してはならない」というのがメッセージです。
▼これも奇妙な主張ですよね。やっていること(アフガニスタン国内に爆弾を落としている爆撃機に給油していること)の善悪を問わずに、ただ「孤立するな」と言っている。その間に爆弾を落とされているアフガニスタンの人々はどうなるのか?「戦争だからしゃあない」ということになるのでしょう、田中さんのような人のアタマだと。対米・対英となると「いうこと聞きますで、孤立させないでくだせえ!」となり、アフガニスタン人が相手だと「戦争なんだから、爆撃も我慢しろや、な?」ということで済ませる。たまにお金なんかあげたりして「ま、これで橋でも架けろや、な?」というわけです。
▼「給油活動」についての国会でのディスカッションや新聞記事を見ていると、自衛隊の給油の先で行われていることの善し悪しを全く語らずに、ガロン数だの資料紛失だのという枝葉末節のことだけを話題にしている。自衛隊が給油したものがイラク戦争で使われたかどうかなんてことに何故あれほどこだわって報道するのか・・・不思議としか言いようがないですね。イラクで使われなければいいとでも言うのですかね。実は「不思議」でも何でもなくて、メディア・国会・政府の間の出来レースなのだってことなのでありましょうか?そのような分かりきったことを今更クダクダ言っているむささびの方がアホってか?
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Le Monde Diplomatique(LMD)の10月号のサイトにPhilip
Golubという人が寄稿している『アメリカの世紀が早くも落日を迎えている』(The
sun sets early on the American Century)というエッセイは次のようなイントロで始まっています。
いわゆる「アメリカの世紀」が始まったのは、わずか60年前のことである。にもかかわらず早くも終わろうとしているようだ。イラクの混迷によって、アメリカのエリートたちは、アメリカのヘゲモニーが大いに弱体化したという事実を認めざるを得ない状況に陥っている。が、次ぎに何をすべきなのか、どのように振る舞うべきなのかを誰も分かっていないようである。(The
‘American Century’ only began 60 years ago. But it seems already
to be over, with the disaster of Iraq forcing some of the United
States’ ruling elites to realise that its hegemony has been severely
weakened. But nobody seems to know what to do next, or even how
to behave)
筆者は、世界中に見られる「アメリカの世紀」の終焉として次のようなことを挙げています。
南米
|
アメリカの影響は、ここ数十年で最低といえる。
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東アジア
|
渋々ながら北朝鮮との交渉に応じざるを得なかったし、この地域での中国の役割を必要欠かさすべからざるものとして認めざるを得ない状況にある。 |
ヨーロッパ |
ポーランドへのミサイル防衛システムの配備がドイツを始めとするEU諸国によって異議を唱えられている。 |
中東
|
長年にわたる同盟国であるサウジアラビアまでもが、アメリカとは違う道を歩み始めている。 |
国際機関
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国連であれ世界銀行であれ、かつてのように単独で物事を推し進めることはできなくなっている。 |
国際的な世論調査でも、アメリカの魅力(attractiveness)が根本的に失われており、かつての「アメリカン・ドリーム」のイメージが、世論を無視して軍事力で法破りを行う国というイメージにとって代わられている、と筆者は言っている。
世界的なパブリック・オピニオンによって戦争が阻止されることはないかもしれないが、それは目に見えない形で影響を及ぼすものである(World
public opinion may not stop wars but it does count in subtler
ways)。
アメリカのエリートたちが「アメリカの世紀」を意識し始めたのは1940年代初めごろからのことであり、彼らは、アメリカが常に世界の頂点にあって、国際秩序を維持・支配することによって、平和と自由主義的な経済システムを世界に広める義務・責任を負う国として運命付けられていると考えていた。アメリカの前は英国の世紀であったわけですが、20世紀半ばになって、その地位は衰え、アメリカ人たちはそれを引き継ぐにあたって「英国といかなるパートナーシップを組むにせよ、アメリカは常に兄貴分としての役割を引き受けなければならない」(in
any sort of partnership with the British Empire, America should
assume the role of senior partner)と考えていた。
▼私(むささび)の生まれは1941年。その年の12月に太平洋戦争が始まったのですが、LMDのエッセイによると、それはまた「アメリカの世紀」の始まりでもあった。ということは、私は正に「アメリカの世紀」を生きてきたわけであります。
そのアメリカが力の限界を意識せざるを得なかったのが、「世紀」が始まって30年後のベトナム敗戦であったわけですが、そこで登場したのがニクソンとキッシンジャーです。キッシンジャーとニクソンの「衰退時代の現実主義」(realism
in an era of decline)は、軍事力による世界的覇権というものが、永遠に続くものではないことを認めざるを得なかった時代でもある、とLMDの筆者は言っています。
その後の1980年代半にアメリカで起こったことを筆者は次のように言っています。
しかし、ベトナム(敗戦)とニクソン(現実主義)時代は逆説的な意味で、アメリカにとってターニングポイントなる時代となった。80年代半ばになって、国内的には保守主義革命を到来させると同時に、国家の安全保障と世界的なパワーとしてのアメリカを新たに復活させる努力が精力的に行われる。また(国際的には)数年後にソ連が崩壊したことによって、誤った「全能の国」という誤ったビジョンが再び表面に出てきたのである。勝利を謳う保守主義者たちは、世界ナンバーワンという夢を見るとともに、長期にわたる一極主義を固定化しようと試みたのである。(Vietnam
and the Nixon era were a turning point in another more paradoxical
way: domestically they ushered in the conservative revolution
and the concerted effort of the mid-1980s to restore and renew
the national security state and US world power. When the Soviet
Union collapsed a few years later, misguided visions of omnipotence
resurfaced. Conservative triumphalists dreamed of primacy and
sought to lock in long-term unipolarity)
筆者は、イラク戦争は「第二のアメリカの世紀」を始めるための実験であったけれど、それがいま壊滅状況にあるのだと言っています。
▼この部分、私の記憶と照らし合わせても非常に面白いと思います。まずベトナム敗戦は、単に戦争に負けたというだけではなく、反戦運動や黒人解放運動が高まったりして、国内的にも以前のように、政府が国民から信頼されて、社会的な安定感が無くなっていた時代だった。これに輪をかけたのがニクソンによるウォーターゲート事件だった。私の解釈ですが、こうした自信喪失現象への反動として、「アメリカは強いんだぞ」と主張するロナルド・レーガンが大統領(1981年〜1989年)になる。そして90年代初頭にソ連が崩壊する・・・やはりアメリカは強かったのだ!とアメリカのエリートたちは考えた。それが「誤ったビジョン」(misguided
visions)であるというわけです。
アメリカのパワーエリートたちにとって、アメリカが世界の頂点に立ち、ヘゲモニー(覇権)を握っているということは、過去60年間にわたって「当たり前」(a
way of life)のことだった。「身も心も帝国」(empire, a state of being and of mind)というわけです。アメリカ人にとって、アメリカが普通の国になると想像することが難しいわけですが、それはアメリカの前に「帝国」であった英国を見れば分かる、とLMDの筆者は言っています。
アメリカやドイツの産業的な競争力に対して不安は覚えながらも、(19世紀末の)英国の体制エリートのかなりの部分が、英国は全能の神から宇宙をリースする権利を与えられた国なのだと信じていたのだ。(despite
apprehensions over US and German industrial competitiveness, significant
parts of the British elite believed that they had been given a
gift from the Almighty of a lease of the universe for ever)
もちろん大英帝国など、もうどこにもないのですが、筆者によると、それは完全に消え去ったわけではなく、偉大だった昔へのノスタルジアは依然として残っているのだそうです。
メソポタミア(イラクのこと)におけるトニー・ブレアの冒険が示すとおり、帝国の残光は薄くなってはいるものの完全に消えてはいない(As
Tony Blair’s Mesopotamian adventures show, the imperial afterglow
has faded but is not entirely extinguished)
ブレアさんのイラク参戦は、大英帝国へのノスタルジアですか・・・。ま、英国のことはともかく、現在のブッシュ政権に対して、「現実主義者」といわれる人々から批判が出ています。彼らの批判は、イラク戦争の「やり方」がまずかったということで批判はしていても、イラク侵略そものを批判しているわけではない。現実主義者たちもやはり国際関係をパワーバランスとか軍事力という観点からしか見ることができないでいる、と筆者は言っています。
現在の危機と世界的な憂慮の念から来る影響がますます深くなる中で、(アメリカといえども)将来は、新しい協調と相互依存を求めることになるであろう。しかしアメリカの政策が予想しがたいものであることは、これからも続くだろう。こえrまでのいろいろな国の「植民地後」の経験が示すとおり、脱帝国主義化というものは、長くかつトラウマを伴うものになる可能性が強いのだ。(The
present crisis and the deepening impact of global concerns will
perhaps generate new impulses for cooperation and interdependence
in future. Yet it is just as likely that US policy will be unpredictable:
as all post-colonial experiences show, de-imperialisation is likely
to be a long and possibly traumatic process)
▼この筆者が、ベトナム戦争とイラク戦争の違いについて面白いことを言っています。ベトナム戦争の場合は、アメリカ国内で反戦運動がタイヘンな勢いで盛り上がったのに、イラク戦争については殆ど起こらない。イラク戦争の場合は、下層階級といわれる人々が志願兵として参戦していることが多い(underclass
sociology of volunteer army)。つまり生活のために戦争へ行くということです。ベトナム戦争のときは徴兵制で、大学生のようなインテリも徴兵の対象だった。いつの時代も反戦運動などを起こすのは、インテリ階級と決まっている。30年前は戦争に駆り出されることを嫌がったインテリの若者が反乱を起こしたのに、イラク戦争についてはそのような背景がない。
▼別の言い方をすると、現在の大学生は、とりあえず自分さえ戦争に行かなければそれでいいし、シリコン・バレーで面白いコンピュータ・ソフトを作っていた方がいいというわけです。このことは、日本記者クラブで話をした大学教授(アメリカ人)も言っていたことです。個人的なハナシになるけれど、私はアメリカでベトナム反戦運動が大いに盛り上がっていたときにサンフランシスコという町に住んでいました。確かに盛り上がってはいたのですが、私個人として、どうしても違和感というかイライラ感のようなものを持ってしまったのは、あの反戦運動の中に「アメリカって、政府の言うことにもこうやって反対をいえるのだから素晴らしい国ではないか」という驕りのようなものを感じたからなのかもしれない。
▼このエッセイは非常に長いものなので、上に紹介したのはほんのさわりだけです。全文はここをクリックすると読むことができます。
▼で、単なる問題提起として言わせてもらいたいのですが、アメリカの時代は本当に終焉に向かっているのでしょうか?確かに軍事力や金の力にものを言わせてやりたい放題という意味の「アメリカの世紀」は終わろうとしているのかもしれないけれど、かつて戦争をやったベトナムは、明らかに資本主義の道を歩んでいるし、中国も然りです。インド、ブラジル、ロシア・・・どれもより開かれた資本主義への道を歩いている。そのように見ていくと、軍事力ではアメリカ時代は終わるのかもしれないけれど、社会の仕組みとか考え方などの点ではむしろアメリカの世紀が始まっているようにも思えるのですが・・・。
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