musasabi journal 春海二郎・美耶子 |
第154号 2009年1月18日
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Wedgwoodは1759年にJosiah Wedgwood(1736〜1790)という人によって設立されたのですが、案外知られていないのは、 この人が、いまでいうPR(広報・宣伝)の天才であったということです。The Spectator誌によると、例えば有名な絵 画のモデルにWedgwoodの食器を持たせて、さりげなくPRするというやり方のパイオニアだった。こういうPRの手 法をproduct placingというのだそうですね。 さらに知られていない(かもしれない)のは、Josiah Wedgwoodが18世紀末の奴隷貿易廃止運動の活動家であったという ことです。そのPRの天才が作ったのが写真のロゴマーク。奴隷貿易反対運動のために作られたもので、鎖につなが れたアフリカ人が"AM I NOT A MAN AND A BROTJHER?"(私は人間であり、兄弟ではないのか?)という文字とともに刻ま れています。 Josiahがこの運動に参加したのは、1790年のことで、彼の制作になるロゴマークは、ブレスレット、切手、帽子飾り 、封筒シール等々の日用品に刷り込まれて使われたのだそうで、このロゴを身につけたり、ロゴ入りの商品を使うこ とで、普通の人たちが奴隷制度反対の意思表示ができたというわけです。 The Spectator誌によると、英国における奴隷貿易廃止運動は、政治指導者というよりも普通の人々による草の根運動 の圧力によるところが大きいのだそうで、Josiah WedgwoodのPRの才能なしには不可能だったとのことであります。
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2)さよなら、ブッシュさん・・・ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
人をバカにする英語にもいろいろある。私の手持ちの英英辞書によると、例えば・・・
アメリカの世論調査機関である、Pew Researchが2008年12月に「ブッシュ大統領の人となりをひと言で表すと、どんな人物だと思うか?」という調査を行った。成人1000人を対象にしたものなのですが、2004年に行った同じ調査との比較によると次ぎのようになっています。数字は人数であってパーセンテージではありません。
「大統領としての能力がない」(incompetent)という人が大幅に増えていますね。idiotも2倍以上の増え方です。idiotもstupidも大して変わらないけれど、2004年の時点では、両方合わせて24人だったのが、2008年には43人になっている。4つ全部合わせると、2004年には47人がこれらの表現を使っていたのに、2008年になると113人にまで増えている。 これだけではいくら何でも可哀想だというわけで、2008年の調査で二桁の数字を得たブッシュ評を挙げてみると・・・
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3)殺らなければ殺られる・・・ユダヤ人の論理? | |||||||||||||||||||||||||||||||||
英国の新聞を読むと、必ずしも非戦論だけではなく、どちらかに肩入れするような寄稿も目立ちます。中東問題の専門記者として知られるthe Independent紙のRobert Fiskなどは「イスラエルの戦争犯罪」という怒りのエッセイを書いています。Fiskという人は、戦争現場からの報道で知られ、彼の記事はレバノンでもアフガニスタンでも、爆弾の下で逃げまどう住民の視線で書かれるケースが多いので、いわゆる「客観的」な報道というよりも、どちらかというと主観的な調子になるケースが多い。だからあてにならないというわけではないのですが・・・。 1月7日付けのThe TimesのサイトにDaniel Finkelsteinという人の"Israel acts because the world won't defend it"(世界が守ってくれないからイスラエルは行動するのだ)というタイトルのエッセイが出ていました。この人は、エッセイのタイトルからも察せられるとおりユダヤ人です。彼の母親は第二次大戦中にオランダのベルセン(Belsen)という所にあったナチの収容所に入れられたのですが、「アンネの日記」のアンネ・フランクとその妹とは幼い頃の知り合いであったそうです。当然ながらエッセイのアングルはRobert Fiskのものとは違います。 Finkelsteinのエッセイは、
というような言葉が並んだあとで、結びの部分で、
と述べています。つまりパレスチナ人がユダヤ人を憎むことを止めない限り、「絶対に平和は来ない(There can be no peace)」ということであります。
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5)いまごろ「テロとの戦争は間違っていた」だなんて・・・ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
最近(1月15日)インドのムンバイを訪問した英国のミリバンド外相が、テロに見舞われたタージマハール・ホテルで'After Mumbai, beyond the war on terror'(ムンバイ後、対テロ戦争を超えて)というスピーチを行ったのですが、その中で「テロとの戦争(war on terror)」という考え方は間違っていたという趣旨の発言をして注目されました。BBCなどは、外相の発言を「ブッシュ政権の基本政策そのものを否定したもの」(dismissed the signature policy of the Bush Administration)と言っています。ミリバンド発言の問題の部分だけ取り出してみると:
つまりアルカイダのようなテロリストとの戦いは、軍事力では解決できないと言っている。外相の演説原稿は、ここをクリックすると読むことができます。 尤も今回お伝えしたいと思ったのは、このミリバンド演説ではありません。今から8年前の2001年10月31日にオックスフォード大学のSir Michael Howardという歴史学者がロンドンで行った「これを戦争と宣言するのは間違っている」(Mistake to declare this a 'war')というタイトルの演説のことであります。結論から言うと、ミリバンド外相が言っていることは、すでに8年前にHoward教授が指摘していたことだった。 9・11テロの直後、当時の米国務長官だったコリン・パウェルが「アメリカは戦争状態にある(we are at war)」と宣言したのですが、Howard教授によると、これは「取り返しのつかない間違い」(irrevocable error)だった。テロとの戦いを「戦争」と呼ぶことが間違いであるという理由はいろいろある。 まず、これを「戦争」と定義してしまうと、テロリストたちは「戦闘要員」(belligerents)ということになって、ある種の正当性(legitimacy)を得てしまう。テロリストの思う壺だというわけです。本来彼らは「犯罪人」(criminals)なのであり、世間からもそのようにみなされるべきであるというわけです。「戦闘要員」ということになると、それなりの保護が約束されている。
Howard教授によると、対テロの戦いを「戦争」と呼ぶべきではないというのは、単なる言葉の問題とか法的な定義の問題ではない。戦争と呼ぶことで、人々の間で戦争心理(war psychosis)をはびこらせ、テロリスト相手に圧倒的な軍事力で作戦を展開すれば、ことが一挙に解決するかのような錯覚を与えてしまうし、国民もメディアもそれを期待する。国を相手の戦争であれば、それも成り立つけれど、テロリスト相手の戦いは性格が全く違う。教授によると、テロは危険な反社会行為(anti-social activity)であり、それと戦うことで社会的な脅威を然るべきレベルにまで引き下げることはできても、全滅させることは絶対にできない(can never be entirely eliminated)ものである。その意味では麻薬との戦いと似ているというわけです。 そしてこのような「反社会的な犯罪行為」との戦いは、警察力と情報収集能力の強化、つまり平和時の枠組みの中でのみ遂行されるべきものであって、反テロ活動が市民生活を脅かすようなものであってはならない。目的はあくまでもテロリストたちを社会的な孤立に追い込むことであり、軍隊を使って「一挙に壊滅」などということはあり得ないことなのだ、というのが教授の指摘です。 Howard教授はまた、反テロのための警察活動と麻薬撲滅とか犯罪撲滅のそれとは決定的な違いがあるとも言っている。それは反テロ活動が基本的に「人心を味方につける戦い」(battle for hearts and minds)であるということです。テロリストをコミュニティにおいて孤立させるためには、住民からの情報提供が必要であり、情報がない限りテロリストには勝てっこないというわけです。 教授は、テロリズムに対する対テロ「戦争」(war on terror)というような反応に仕方について、
と反対しています。テロリストたちは、殺されれば「殉教者」(martyrs)になるし、うまく逃げおおせればロビンフッドのような英雄になる。負けがないのだということです。教授は、テロリストとの戦いには「派手な戦闘もないし、また明確な勝利というものもない」(there will be no spectacular battles, and no clear victory)と言っています。
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6)英国の政治とジャーナリストB:メージャー首相の悲哀 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
むささびジャーナルの152・153号ではAnthony Sampsonの本を参考にして、英国のジャーナリストと政治・政治家の関係についてお話してきました。この話題、面白いのでもう少し続けてみたいのであります。というわけで、今回はBBCの政治部長であるAndrew Marrが書いたMy Trade(私の商売)という本が参考書です。Sampsonがどちらかというと国際ジャーナリストであるのに対して、この人はもう少し国内政治に近い立場にいます。My TradeはサブタイトルがA Short History of British Journalismとなっており、英国におけるジャーナリズムの歴史を語っているのですが、必ずしも専門家向けの本ではありません。 この本の中に"Political Journalism: Are We Too Powerful?"(政治ジャーナリズムは力を持ちすぎたか?)という章があり、Anthony Sampsonと似たようなことを言っています。
政治をリードするのは、ジャーナリストであって、選挙で選ばれた議員ではない---とジャーナリストたちは考えているというわけです。 Andrew Marrによると、政治家に対してメディアがふんぞり返るようになった逆転現象のルーツは、約30年前に登場したサッチャー政権の時代にある。さまざまな改革を実行するための効果的なやり方としてメディアを味方につけることに力が入れられたのですが、サッチャーさんは、特に自分が党首である保守党内の反サッチャー・グループや閣内の「弱腰たち(wets)」を攻撃するためのツールとして、高級紙、Sunday Timesや大衆紙、The Sunなどが利用された。 サッチャーさんは、自分の考え方に同調すると目されるジャーナリストを官邸に呼んで昼食をともにしたり、首相別荘で開かれるパーティーの類には、政治家・政策アドバイザーらと並んで必ずお気に入りの記者も招待して、お互いの交友を深めると場とした。「どこまでが政府で、どこからがメディアなのかが分からない」ような状況が出来上がったというわけです。 サッチャーと彼女の取り巻き記者の渾然一体関係は、1990年末にサッチャーが保守党内の反対派から追い出される事態になって一挙に吹っ飛んでしまった。ジャーナリストたちはまさにパニック状態で、反サッチャーと目される保守党議員や閣僚たちへの攻撃を繰り返したそうです。 哀れだったのは、サッチャーさんが後継として党首・首相になったジョン・メージャーだった。その頃、英国の通貨であるポンドが、欧州通貨交換制度(Exchange Rate Mechanism)から脱落するという危機があったのですが、それをめぐって、メージャーさんはサッチャー派記者からの「むき出しの敵意」(outright contempt)にさらされることになる。 Andrew Marrによると、この危機の最中にメージャーさん本人が、大衆紙、The Sunの編集長(Kevin MacKenzie)に電話入れて、どのような記事にするつもりなのかをたずねたことがあったのだそうで、それに対するMacKenzieの返事は
というものだった。そう言われたメージャーさんは「ひどいこと言うなぁ」と苦笑しながら電話を置いたのだそうです。このエピソードを紹介しながらAndrew Marrは「政治記者は余りにも力を持ちすぎている(We have become too powerful)」と言い、さらに「政治記者が政治家の言うことをそのまま伝えるのではなくて、解説者でありすぎる(too much the interpreter)」とも言っている。記者ではなく、評論家のようになりすぎているということです。
Andrew Marrは、子供のころに彼の父親がバラを庭に植えたときのことに触れて、「バラは枯れて死んでしまい、バラのそばに立てられた支柱だけが大きくなった」として、それこそが現在のロンドンのWestminster(東京でいう永田町)の状態だと言っています。バラは民主主義で、支柱はメディアということです。民主主義がおかしくなってメディアの力だけが大きくなっているということは、Sampsonと全く同じことを言っているのですね。
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POETS Poetは「詩人」、Poetsはその複数。で、POETSは?もちろん「詩人」の複数の大文字ではない。Piss Off Early Tomorrow's Saturdayの省略形ですね。「あしたは土曜日、早く帰ろう!」ということです。週末を迎えるウキウキ気分の労働者の心境を表している。Pissというのは「おしっこをする」というスラング的な言葉。はっきり言うと「しょんべん」です。でも何故かPiss Offはどこかへ消えること意味するスラングだそうで、詩的に訳すと「ションベンして、帰ろっと」ということになる。これはおそらくQueen's Englishにはないんじゃないですか!?女の人は使わない方がいいかもしれない。全く同じことを言うのに、TGIF(Thank God It's Friday)というのがありますね。こちらの方が女性向き。 rather:ある程度・どちらかと言うと 私が持っている「ジーニアス英和辞書」によると、ratherは「"ある程度"が本義だが、控え目に言ってかえって強い含みを表す幅の広い語」と説明されている。うまいこと言うなぁ!元々は"ある程度"という控えめな意味だったけれど、実際に使うときは"非常に"という意味で使われるということですね。British Englishでは当たり前の表現ですが、American Englishではratherというと文字通り控えめに取られることが多い。英国人がIt's rather warm hereというと「どちらかというと温かい」というよりも「メチャクチャ暑い」という意味になり、Let's open the window(だから窓を開けよう)となっても不思議ではない。 scale:うろこ 知らなかったのですが「目からうろこが落ちる」という表現は、新約聖書から来ているのですね。使徒行伝(9章)に「するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおりに見えるようになった」という部分がある。英語版の聖書によると" Something like fish-scales fell from Saul's eyes and he wasable to see again"となっている。NHKの「気になることば」というサイトに詳しく出ていますが、このサウロなる人物は、最初はキリスト迫害に手を貸し、それが故に目が見えなくなってしまったけれど、キリストの弟子がやってきて、サウロの目のところに手を置いたら「目からうろこのようなものが落ち」て再び見えるようになったのだそうです。その後、洗礼を受け「イエスこそ神の子であると説きはじめた」となっています。
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