目次
1)Dark Tourismをマジメに考える
2)City academyの問題点
3)衰弱の枢軸!?
4)「難民」は半減したけれど
5)短信
6)むささびの鳴き声
The Observer紙のサイトを見ていたら、ジョン・レノンという、スコットランドで「観光ビジネス」を教えている大学教授(ビートルズとは無関係)がDark
tourismという観光ビジネスのコンセプトについて記事を書いておりました。直訳すると「暗い観光」ってことになりますが、悲劇の舞台となったところを訪ねることをテーマにした旅行のこと。
典型的な例がGround Zeroの名前で知られる9・11の舞台となったニューヨークの世界貿易センター跡地で、年間200万以上の観光客が押しかける観光名所になっているのだそうです。さらにナチのユダヤ人収容所で知られるアウシュビッツにも50万を超える客が来てガイドツアーに参加するのだとか。
レノン教授によると、Dark tourismは今に始まったことではなく、「暗黒時代」には殉教者が祀られている墓地などを巡礼して歩くことが当り前に行われていた。
何故、この種の「悲劇の現場」が観光スポットとして受けるのか?レノン教授は「覗き見趣味」(voyeurism)と崇敬の念(reverence)、それに「死というものの近くに身を置くことへのスリル感覚」(thrill
of coming into close proximity with death)の三つが混在した感覚なのではないかと言っています。
ただレノン教授は、Dark tourismというコンセプトは、悲劇を食い物にする(exploitation)するのではなく、そこから何かを学ぶ「教育」(education)という発想を持つことが大切で「この種のツアーを企画する観光業者にはそれなりの責任が要求される」と強調しています。
アウシュビッツ収容所のガイドツアーは2時間半かかるそうなのですが、レノン教授は「そのような短時間で何が学べるのか疑問だ」と否定的な意見です。
さらにDark tourismのスポットとなるためには、悲劇が起こってからある程度時間が経過していることも必要で、1888年にロンドンで起こった「切り裂きジャック」(Jack
the Ripper)の現場を歩くツアーは許されるかもしれないけれど、1970年代に起こったYorkshire Ripper(13人の女性が殺害された事件)については「切り裂き街道」の旅というわけにはいかないはずです。生々しすぎる。
- ニューヨークのGround Zeroにはお土産も売っているのだそうですね。私は行ったことがないので、どのようなお土産なのか知りませんが。世界遺産である広島の原爆ドームなどもDark
tourismってことになるんでしょうか?
- 悲劇を食い物にするような観光企画は論外であるにしても、Dark tourismというアイデアそのものは、観光業界が真面目に考えてもいいような気がしますね。
前号のむささびジャーナルで、学校教育の「民営化」に関連して、民営化学校のスポンサーシップと引き換えに称号を贈るという犯罪で関係者が1人逮捕されたということはお話しました。そのときに問題の民営化構想であるcity
academyという学校計画については別に報告すると申しあげました。本当のこと言って、勲章の売買なんてどうでもいいことなんです。むしろ学校教育に民間のスポンサーを、というcity
academyというアイデアそのものをお知らせするほうがはるかに重要だと思います。
学級崩壊はするは、学生は暴力を振るうはで、どうにもならない中学校があったとします。英国ではそのような「崩壊学校」が特に都市部にはあるのだそうです(私自身、行ったことがない)。日本と英国が違う(かもしれない)のは、英国には大都市内部に貧困層が暮らすエリアのような部分があるってこと。東京にもそういうところはないわけではないけれど、いわゆる「スラム」という感じではないのでは?
で、そのような問題校における教育の向上を目指して政府が導入したのがcity academy構想。これ、要するにこれまでの公立学校の立て直しを地方自治体の教育委員会ではなくて、民間の知恵とやる気にお任せしようというアイデアなわけで、それまでの公教育の主役であった教員組合や教育委員会からは大反対の声が上がっているし、労働党内部からも「公教育の否定につながる」として批判が多い。
city academy問題についてのいろいろな報道をサイトで見ていると、教員組合でなくても「ちょっと乱暴なんでは?」と言いたくなるような構想ですね。既存の学校を一端スクラップして新たに学校を作るというケースが多いらしいのですが、この種の学校を作るにあたっては、当初資金が2500万ポンドとされている。で、民間のスポンサーが責任もって拠出(寄付)しなければならないのは200万ポンド。残りの2300万ポンドは政府が出すということ。
どうにもならない不良学校の立て直しに200万ポンドも出そうという篤志家に対しては2300万ぐらい政府が援助してもいいのでは・・・ってことですか?なんだかバランス感覚がおかしのでは?この2500万を校舎の新築に使うケースも数多くある。その理由付けが「校舎が新しくなれば生徒にやる気も出る」というのだから哀しかありません?発想の貧しさが、です。
これまでに新築された校舎にはガラス張りの金ぴかだの、フランスの保養地の雰囲気を持たせたものだのと、およそ教育とは関係のないコンセプトで臨んでヒンシュクを買っているケースもある。
いずれにしても、他の公立学校に比較すると信じられないような資金的な優遇措置を受けているわけで、不公平であるとも言えると思うのですが、その点についてブレアさんはcity
academyの教育レベルが向上すれば、他の公立学校に刺激となり、公教育全体のレベルアップに繋がる(だから資金援助も許されるのだ)というわけです。それはレベルの向上が実際にあれば、のことですよね。でも元々が「問題校」だっただけに難しく、退学者もかなりの数出ている。
もう一つ忘れてならないのは、資金を寄付するスポンサーは学校の運営を任されるわけですが、その中に学校のethosを決めることも含まれるってこと。つまりその学校の教育理念ですな。熱心なクリスチャンなどがスポンサーになると、狂信的な気風を押し付けられるのではないかという声もある。悪がきは片っ端から退学にしてしまえというのだって許される。ある町にできた二つのacademyで、すでに60人を超える退学者が出ている。その町のほかの公立では全部合わせたって退学者は20人以下なのに、です。首相官邸はもちろんcity
academyに絡んだ称号の売買など否定しているのですが、ブレアさんはこの点について記者会見で次のようにコメントしています。
"Isn't that
something we should be saying is a great thing they've done? Insofar
as the honours reward people who contribute to society, contributing
to the education of disadvantaged kids in the inner cities is
about as good a contribution to society I can think of.(city
academyに寄付するスポンサーは)立派なことをしたのだから、褒められて然るべきなのではありませんか?称号というものは社会貢献をした人々に与えられるのだから、都市部の恵まれない子供らの教育向上のために寄付をするのは立派な社会貢献ではないか"
▼この問題についての記事を読んでいると、city academyというのは、かなり乱暴な計画のようですね。要するに、どうしようもない不良学校を建て直すためには、役人の手からこれを解放して、民間のイニシアティブに任せた方が効率的という思い込みみたいなものがある。
▼笑ってしまうのは、新しいcity academyを作るにあたって校舎を新しく建て替えるケースも多いそうで、中にはガラス張りの超ピカピカ校舎があったりして、近所のヒンシュクを買っている。経営者の意図としては、立派な校舎で勉強すれば子供らも「やる気」が出るってことらしい。これも実に乱暴な話です。
▼ただ、これ必ずしも英国だけのことではない。最近、日本でも企業に勤めていた人が校長先生になって学校運営を任されているケースがありますよね。
▼ところでDes Smith氏の逮捕容疑は1925年称号侮辱防止法(1925
Honours Act)違反なのだそうです。
5月11日付けのThe EconomistがAxis of feebleというタイトルの記事を掲載しています。Axis
of evil(悪の枢軸)をもじった駄洒落ですが、意味としては「衰弱の枢軸」ということで、アメリカのブッシュ大統領と英国のブレア首相の間の同盟関係のことを言っています。
二人とも国内での支持率ががた落ち。ブレアさんについていうと、つい最近の地方選挙で労働党が惨敗、おまけに閣僚がいろいろとスキャンダルを起こしたりして、メチャクチャ状態。ブッシュさんの場合は、世論調査による支持率は31%、今年11月に予定されている中間選挙で、共和党が上院・下院のいずれかを失うのではないかと言われている。
ブッシュ、ブレアのコンビといえば、対テロ戦争のリーダーとしてアフガニスタンに乗り込み、イラク攻撃を始めころまでは颯爽としていたのに、それが今や崩壊の一途を辿っている。このコンビの凋落は世界にとって何を意味するのか?
ブレアさんがEUや国連の安保理事会のような場で一目置かれる存在であったということで、ブッシュにとっては貴重な仲間(ally)であったわけですが、ブレアさんには「信念」のようなものがあった、とthe
Economistは言っており、「ブレアは原理・原則に基づいてブッシュに付き添ったのであり、超大国の袖にすがるという何やら英国的な本能がそうさせたというわけではない」(He
attached himself to Mr Bush out of principle, not some British instinct
to hold the coat-tails of the superpower)としています。
ブレアさんは、考え方としてはクリントン大統領に近い中道左派寄りの「進歩的政治家」であったのですが、対テロ戦争という意味では最初からブッシュと同じように強硬路線をとる考え方だった。つまりブレアは、アメリカ国内であれ、海外であれ、ブッシュの仲間とは思えないような人々にも手を伸ばすことができる存在だったというわけです。
そのブレアさんが英国内で人気も権威も落ち目になっており、さして遠くない将来、首相を辞めるときが来るとされているわけですが、そうなるとブッシュ大統領は、国内では不人気、国際舞台では(ブレアという)貴重な友人を失うことになる。ただ最近になって、ドイツのアンゲラ・メルケル首相が、アメリカ(ブッシュ)寄りの路線を打ち出しているので、ブッシュさんにとってはヨーロッパにおける新しいお友達ができた。しかし彼女は(ブッシュにとって)ブレアさんのような「お互いに信念を確かめ合うような間柄」(each
man's reinforcement of the other's belief in the rightness of his
gut convictions)というわけではない。
The Economistによると、ブッシュもブレアも極めて強いキリスト教的道徳心を持っており、テロリズムやイランの核保有は1930年代のヒットラーの台頭と同じような危険性を有しており、そのためにはチャーチル首相のような決断力をもって立ち上がらなければならないという信念を共有している。「この首相ほど、労働党の党首としてアメリカのネオコンに近い存在はいない」(This
prime minister is as close as any British Labour leader can come
to being an American neo-conservative)のだそうです。
そのブレアがいなくなったあと、ブッシュさんだって、残りの2年半、大統領として自信・確信を保ち続けるのは難しい。そうなるとブッシュ・ブレアの確信コンビによる対テロ戦争やイラク攻撃など、9・11への行き過ぎた反応に対する批判が国際的な世論として高まってくるだろう、とThe
Economistと言っています。
ただ国内人気があってもなくても、ブッシュ大統領には国際的に果たさなければならない義務がある(However
weak he is at home, Mr Bush still has duties abroad)というわけで、「イラク」「イラン」「パレスチナ」「アルカイダ」「ロシア」「中国」などの問題を挙げています。The
Economistの記事は次のような文章で終わっています。
If he is wise,
he will work harder than before to enlist allies for these aims,
even if America must sometimes still act alone. But it will be
harder and lonelier without a confident Tony Blair at his side.(これからも、アメリカが単独で行動しなければならないこともあるであろうが、もしブッシュ大統領が賢明であるなら、こうしたさまざまな目的のために仲間を作ることに、これまで以上に力を注ぐだろう。が、確信に満ちたトニー・ブレアが傍にいないのだから、それはより困難かつ孤独なものとなるであろう)。
4)「難民」は半減したけれど・・・ |
6月20日は「世界難民の日」なのだそうですが、かつて緒方貞子さんが、ヘッドをやっていたUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、戦争などで自国にいることが出来なくなった「難民」(refugees)を救済する組織ですが、そこが最近発表した報告書によると、過去25年間で、国外へ逃れて生活する難民の数が、1800万人から920万人にまで半減したそうです。
但しこれは国外へ逃れた人々の数。実は内戦のような場合、故郷にいられなくなった人々が、国内の別の場所へ避難する「国内難民」(internally
displaced people)という方が多く、その数は2500万人にまでのぼっているのだそうです。
報告書によると、国内難民の場合、自国の政府によって迫害されるというケースが多いわけですが、難民救済のための条約である1951
Refugee Conventionには、こうした国内難民についての規定がないので、彼らは「難民」のカテゴリーには入らないのだそうで、UNHCRでは「国内難民こそが、人道支援という意味では世界が犯している最大の失敗(biggest
failure)」としています。
UNHCRではさらに、先進国に逃れた人々が難民申請を拒否され、その国へ追い返すことはやめるべきだと強調しています。何故なら、彼らを待っているのは、人道と言う意味では問題のある政府による迫害であるからというわけです。UNHCRの推定では、これまでに約400万人の国外難民がアフガニスタンに追い返され、同じような数の難民がスーダンに戻るものとされています。
UNHCRでは、先進国における政治家やメディアが一般受けを狙って「対テロ戦争」(war on terror)というスローガンの下に、難民が自国の安全を脅かす存在であるかのようなキャンペーンを張って、脅威を煽っていると非難しています。先進国では対テロ対策として入国審査を厳しくしているわけですが、「テロリストならそのようなルートでは入国はしないはず」だとして「難民はテロリストではなく、むしろテロリズムの犠牲者なのだ」と言っています。
UNHCRでは「最も追跡が難しい難民」は中東諸国全体に散らばってしまったパレスチナ人で、その数およそ420万人なのだそうです。UNHCRの報告書The
State of World's Refugeeはここをクリックすると見ることができます。UNHCRの日本語サイトはここをクリック。
▼難民を追い返すという件ですが、昨年だったか一昨年だったか、日本に滞在していたクルド人の家族(だったと思う)が、不法滞在であるということで、「出身国」であるトルコへ強制送還された事件があったと思います。
▼実際に送還されたのか、されそうになったけれどされなかったのか、私の記憶が定かでないのですが、いずれにしてもその際に、日本の法務省のお役人さん(だったと思うけれど)が、送還前にトルコまで出かけて行って、トルコ政府に対して「オタクではクルド人たちを迫害しているか」と質問したのだそうです。もちろん答えは「とんでもない」というものでした。
▼で、それを根拠に日本にいたそのクルド人は「難民ではない」(つまり滞在は許可できない)ということにした、という話を極めて信頼できる人から聞いたことがあります。その人は「法務省はアホか。"迫害しているか"と聞かれて"ハイ、しておりますなんてことを言うわけないだろ」とカンカンに怒っておりました。南野ナントカいう人(おばさん)が法務大臣をしていた時のことでした。情けないハナシですね。
▼日本記者クラブで小泉さんが会見をやったときにもこの質問が出たのですが、よく分からない答弁で逃げられてしまったのを憶えています。ちなみにその質問をしたのが日本人の記者ではなかったことも、やけにはっきり記憶しております。
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犬にペンキで国旗を描く
ドイツにあるシュレイドンという町の警察が犬の誘拐犯を探しているそうです。イヌそのものは帰ってきたのですが、何故かボディ全体にペンキでドイツの国旗が描かれていたらしい。被害犬は8歳になるマルチーズで、持ち主のカールさんによると、自宅の庭で遊んでいたところを連れ去られ、数時間後にペンキを塗られて帰ってきたというわけ。塗られたペンキはふき取れず、仕方がないので、毛を刈り取って丸裸にしたのだとか。サッカーファンがワールドカップにかこつけて悪戯をしたのではないか、というわけで、動物虐待の罪で指名手配されているそうです。
- つまりそれくらいドイツはワールドカップ一色ってわけ?
ドイツにロビン・フッド
これもドイツはハンブルグの話題。最近この町の高級レストランや食品店を襲って食品を略奪する事件が相次いでいるのですが、それがどうやら30人くらいの無政府主義者のグループの仕業らしく、奪った食品を失業者や貧困家庭に配布したりして楽しんでいるんだとか。この事件を伝えていたのがScotsmanというスコットランドの新聞なのですが、略奪された高級食品のなかにKobe
beef filletsというのがあった。これを盗まれた食品店には犯人からのメッセージとして「貧乏人を救うのだ」というメモが置いてあったのだそうです。ドイツ版ロビン・フッド(というかネズミ小僧というか)というわけですが、電車やバスに乗って乗車券のチェックを逃れる方法を記した印刷物を配布したりしているそうです。
- ドイツで神戸肉が高級品扱いされてるってこと?知らなかった。
■最近の世の中の風潮をいろいろと嘆く人たちが挙げる現象の中に必ず入っているのが「格差社会」「アメリカ型弱肉強食資本主義」「アメリカ一辺倒」。他にもいろいろとあるけれど、この三つは殆ど常連といった具合に語られる。「困ったもんですな、ご隠居」という感じです。理由をきっちり説明しないで結論だけいうのは良くないことを承知のうえで、あえて言わせてもらいます。
■「格差社会」の反対は、大多数の人々が正社員として雇用され、そこそこの収入が約束され、大多数の人たちが「まあ、まあ、幸せですね」と言える世の中ってことなのでは?で、そういう世の中がかつてありました。1970年〜90年の半ばくらいまでかな。しかし個人的に言わせてもらうと、あの時代が良かったとは、とても思えない。
■私の記憶によると、あの時代は「企業階級社会」だった。いい会社に入っていると、夏休みには、会社所有の「海の家」だの「山の家」だのが無料で楽しめるのに、そうでないと情けない民宿で我慢するか、高いお金を払ってホテルに泊まるしかない。そんなとき「XX株式会社別荘」などという看板を見ると、本当に情けない気がしましたね。別名「寄らば大樹の陰社会」。はっきり言って、私には決して住み良い世の中ではなかった。
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