日本記者クラブで講演をしたスズキの会長さんが面白いことを言っていた。この会社の軽自動車はインドでの市場シェアが50%なんだそうです。インドでの国内生産なのですが。でもいくら国内生産だって、60万円〜70万円はしますよね。インド人の平均収入からすればかなり高いと思うんですよ。「でも日本には1億人以上の人がいますね。インドは10億人以上いる。日本の1億人の平均収入と、インドの上位1億人の平均収入を比べてみなさい。インドの方が上に決まっているでしょうが」とのこと。あ、そうか。モノを売るときは、そういう考え方をすればいいんだ。やっぱ違うな、経営者ってのは。
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目次
ちょっと古いのですが、村上ファンドの村上さんがインサイダー取引とかで逮捕されたことについて、6月10日付けのThe
Economistがかなり詳しく報道しています。記事の殆どが逮捕にいたる背景の事実説明であり、それらについては日本の新聞などで報道されているので、ここでは省きます。
この記事のイチバン最後のパラグラフがThe
Economistの記者の考え方を反映していると思うので紹介しておきます。ここではArcus
Investmentという投資会社のPeter
Taskerという人の意見として「日本企業はこれまで国際基準からして、株主に対して非常に低い配当しか払わない傾向があった」として「日本は主張する株主(activist
shareholders)が必要なのだ」と主張しています。で、The
Economistは次のような文章で記事を結んでいます。
If
the downfall of Messrs Murakami and Horie allows Japanese companies
to return to the sleepy world, in which minority shareholders
could be safely ignored, the entire country could suffer.(もし村上氏や堀江氏の凋落を契機として、日本企業が眠ったような世界(少数株主が無視されても安泰でいられるような世界)に逆戻りするようなことになると、日本全体が苦しむことになるだろう)
またこの記事では、村上さんが逮捕直前に行った記者会見で次のように述べたと伝えられています。
What
is wrong with making lots of money as long as you don't break
the rules? You all hate me because I made big profits(ルールさえ破らなければ、いくら大金をもうけたって構わないんじゃありませんか?皆さんは、私が大きな利益を稼いだという理由で私のことを嫌っている)。
The Economistの記事は、村上氏が自らの原理・原則に基づいて行ったこの発言が、日本における格差社会を憂慮する人々の反発を買っており、日本の検察は昨年の時点で「額に汗して働く人々を犠牲にして金儲けをするような悪い奴ら(rogues
who make profits at the expense of working people with sweat on
their brows)を追及するのだ」と匂わせていた、としています。
- 私自身は株なんか買ったことないし、村上さんやホリエモンの世界には無関係なところで生きています(殆どの人がそうだろうと思うけれど)。だから「日本企業の配当は非常に低い」と言われてもピンとはこない。しかし、村上さんやホリエモンたちが「拝金主義」に染まっていると非難がましいことを言う新聞だのテレビだのには、何故か嫌悪感を持ってしまう。おそらく自分自身が、この社会の「落ちこぼれ」だと思いながら暮らしてきたので、モラリスト的多数意見に対する感覚的反発があるのでしょうね。
- そうした「モラリスト」たちのどこが気に入らないのか、自分でもよく分からないので、余計にフラストレーションに陥ってしまうわけです。そのようなモラリスト的ご意見の典型が、6月12日付けのある新聞の社説。「節度ある市場社会へ」という見出しなのですが、ホリエモンや村上さんを「化けの皮がはがれた時代の寵児」と決めつけております。
- 本当はこの社説について理論的に批判したいのですが、残念ながら私にはそれだけの知的力量がない。だいいち金融の世界なんて何も知らない。ただ粉飾決算(堀江さん逮捕の理由)やインサイダー取引(村上さん)を理由に逮捕された経営者なんてゴマンといるのに、今回の場合にのみ巨大なスペースを使って「(この二人は)市場の公共性を自覚するモラル」がないと非難する。あたかも検察とグルになって二人をリンチに合わせているようであります。実に気に入らないし、この新聞の購読をやめようか、とマジメに考えています。
Le Monde Diplomatique
(LMD)の最新号のサイトを見ていたら、この雑誌にしては珍しく「日本経済の復活」をテーマにしてエッセイが出ておりました。筆者はカリフォルニア大学のSanford
Jacobyという教授で、エッセイのタイトルはA
Different Definition of Growth: Japan's Alternative Economics(経済成長のもう一つの在り方:日本の場合)となっているのですが、結論からいうと「日本はアメリカとは違うやり方で経済成長を遂げている」ということが論旨となっています。
筆者はまず「日本の経済復興が4年ほど前から起こっていたにもかかわらず日本以外の人々はこれを認めたがらなかったのだ」として、その一つの理由として西欧の人々が日本の災難を喜ぶ心理状態に陥っていた、と言ってています。
Jacoby先生によると1990年代に日本が経済停滞に陥っていたころに、その理由として日本独特の資本主義のあり方が云々されていた。例えば規制や政府の保護が多すぎる市場とか起業家精神に欠けるビジネスマンなどが大いに批判を浴びていたわけですが、新たに登場した小泉首相がいろいろと規制緩和を行ったことになっている。が、教授によると小泉さんが行ったのは規制緩和(deregulation)というよりも規制のやり直し(re-regulation)なのだそうで、市場経済の安定のために政府が大きな役割を果たしたというわけです。
教授はまた「経済復興の過程で、村上ファンドやライブドアのような"むき出しの資本主義"(rugged
capitalism)も登場したけれど、主な企業の経営者たちは米国流の資本主義こそが唯一の方法という考え方を拒否した」として、キヤノンやトヨタの経営者たちが日本的な資本主義の道を選んでいることを挙げています。その一例として終身雇用という日本的な経営にこだわるキヤノンの御手洗社長の次のコメントを紹介しています。
"The
advantage of lifetime employment is that employees absorb the
company's culture throughout their careers. As a result, team
spirit grows among them, a willingness to protect the corporate
brand and stick together to pull through crises. I believe that
such an employment practice conforms to Japanese culture and is
our core competency to help survive global competition"
終身雇用の強みは、従業員が所属する企業の文化を吸収することによって、チーム・スピリットが生まれ、企業ブランドを守り、一丸となって危機を切り抜けようという気持ちが生まれることだ。そうした雇用慣習が日本文化に合っているのであり、グローバルな競争にも打ち勝つ競争力を生むことになるのだ。
このようなビジネス習慣については「リスクをとろうとする起業家精神が生まれない」という批判もあるかもしれないが、日本の大企業は自らを「株主の財産」というよりも「コミュニティ」と見なしているのであり、企業経営者はアメリカのように株主の利益追求ではなく、コミュニティの利益と企業の利益のバランスを図ろうとする、というのが教授の見方です。
教授によると、今日の日本は規制は少ないし、より開放的ではあるということで、1990年のころの日本とは異なっているかもしれないが、ビジネス習慣のコアの部分ではそれほど変わってはいない。「そもそも日本人自体が格差を生むような改革には懐疑的」なのだそうで、社会的な一体感(social
cohesion)は英米に比べればまだ非常に強いし、所得の格差も英米ほどではないとのことです。
このエッセイの結論部分でJacoby教授は、日本経済の復活から学ぶべき教訓として「グローバル化する経済にあって、いろいろな国がそれぞれの繁栄のために、いろいろな道筋を通って行くものだということを受け入れなければならないということだ」(we
should accept the fact that nations can and do pursue diverse paths
to prosperity in the global economy)と述べています。
- 私のような日本社会における「落ちこぼれ」にとっては「企業は家族」というような考え方は、はっきり言って気持ち悪い。企業というものは、利益をあげるために存在しており、村落共同体のようなものではない。にもかかわらず企業はコミュニティだなどと言われると「ウソでしょ」と言いたくなる。キヤノンのようにリストラをやらないことを以て社の方針にしているということは、それなりに社員に対して犠牲を求めてもいるってことだから。
- それと、このようなビジネス風土の社会では、キヤノンだのトヨタのような大会社に職を得ることができた人はいいかもしれない(現実はそれほどよくないかも?)けれど、そうでない人々は大企業従業員が受けるようなメリットを享受することができない。「企業階級社会」です。「寄らば大樹の陰」意識もイヤですね。
- ただ、世界中に存在している日本の製品や技術の中には、収益という形で企業・社員・株主などに貢献している部分もあるけれど、そういうこととは別に世界の人々の役に立っているものもある。例えば小松製作所の建設機械はインドネシアの地震被害の現場では非常に強い味方だろう。そのような製品のクォリティの良さを支えているのが、近視眼的に利益を追求しない(つまり株主への配当が少ない)日本の経営のやり方であるのかもしれない。
- というようなことを考えると、実際なにごとも単純ではないですよね。ところでLMDの記事をお読みなりたい方はここをクリックしてください。それからキヤノンの御手洗社長が日本記者クラブで、自分の経営哲学を語ったときの講演記録も面白いかもしれません。
先ごろ開かれた国際捕鯨委員会(IWC)の総会で、これまでと違って、日本を始めとする捕鯨国の言い分が受け入れられるようになったという記事が出ていました。この問題についての最近のThe
Economistの社説を読むと、日本、ノルウェー、アイスランドなどの捕鯨国による主張が、かつて以上に受け入れられる環境が出来つつあり、反捕鯨国としても結構あせってきているような雰囲気であります。
記事の書き出しからして「この偉大な獣にとって、こまで以上に巧妙なやり方での脅威が迫りつつある。日本が商業捕鯨を再開したがっており、将来はその許可をうることになるかもしれない (a
subtler threat to the great beasts is afoot. Japan wants to resume
commercial whaling-and it may eventually get permission to do so)」ってんですからね。
IWCという組織は第二次大戦直後の1948年に、米国、豪州、英国、フランス、ノルウェー、南ア、ソ連の7カ国によって設立されたのですが、これらはいずれも当時は捕鯨国であったのですね。ところが最近になって「変わった加盟国」(odd
members)が増えているとして、The Economistはマーシャル群島、キリバチ、セント・キッツ、ハンガリー、マリ、モンゴル、スイスなどを挙げています。同誌によるとこれらはいずれも日本からの金銭援助を受けている国であるというわけで、「日本はIWCにおける捕鯨賛成票をカネで買ったという批判を浴びている」としています。
ただ捕鯨反対の意見のよりどころとなっているのが、鯨の数が減ってきているということなのですが、The
Economistによると、これまでの禁止が効果をあげてきていて、実は鯨の数は増えているのだそうです。そもそもIWCが捕鯨禁止をやり始めたのも、「これ以上捕獲すると商業捕鯨そのものができなくなるくらい数が減ってしまう」ということが理由であって、「鯨のような偉大な生き物を殺すのは良くない」という動物愛護が理由であったわけではない。そういうことからするならば、日本が捕鯨禁止措置そのものを見直すべきだと主張するのは「完全にスジがとおっている」(perfectly
reasonable)というわけです。
で、The Economistは「そもそも鯨は、捕獲対象となる他の動物と同じように数が少なくなれば保護し、沢山いる時はとっても構わないという存在なのか、それとも数の多少に拘わらず捕獲などしてはいけない特別な動物なのか」という問題について考えるべきであるが、鯨は今の時点ではチンパンジーやゴリラのように「自覚」を持った動物だとはされていない。データもないのだそうです。
鯨が「特別な動物」だというほどのデータがないのだから、IWCとしてもそれを理由に捕鯨反対を続けるのは難しい。そこでThe
Economistでは、捕鯨問題を純粋に「経済問題」として考えようというわけで、商業捕鯨が認められた場合でも、国別割り当てというやり方をするのではなく、捕獲の権利をオークションにかけることを提案しています。オークションには捕鯨国のみならず反捕鯨国も参加できるようにする。どのみち(日本でさえも)鯨を食する人口は減っているであるから、それほどお金をかけてオークションで捕獲権を獲得するだけの価値はない、ということになるから、むしろ反捕鯨国のほうが権利を獲得するのではないか、というのがThe
Economistの見方です。
- 要するに鯨を食べる人が減っているのだから、捕鯨なんか、放っておいてもこの世からなくなるさ、というのがThe
Economistの見方であるわけです。私自身はうんと小さかった頃に食べたことはあるのですが、美味しかったかどうか記憶がない。つまり大して美味しくなかったってことでしょうね。
- 捕鯨問題についての英国人の意見調査(BBC)を見る限り、「反対」が多く、その理由も「人口が減っているから」というのが多数です。しかし結構冷めた意見もありまして「気持ちとしては反捕鯨なんだけど、タラだのマグロだのは食べてもいいのに鯨を食べるのがダメだと言い切れる自信はない(My
heart tells me to protect whales, but I am not sure of the answer
to the question, Why is it acceptable to eat cod, tuna etc, but
not whale?)」という人もいますね。
- BBCに寄せられた意見の中で、タイのバンコクからの次の意見は私には納得がいきましたね。
Despite my
feeling that whales are truly impressive, it is still reasonable
to ask why it would matter if they became extinct. That is both
natural and normal for every species, and most are pushed out
by new comers-humans are not the only species that destroy others,
merely the most efficient to date, and we won't be around forever
either.(確かに鯨は素晴しいと思うけれど、鯨が絶滅するってことが何故重要なことなのか、ということははっきりさせておく必要がある。絶滅するということは、どのような種類の生き物であれ自然かつ当り前のことであり、殆どの生き物が新参者によって駆逐されるものなのだ。他の生き物を絶滅させているのは、人間だけではない。ただ最も効果的に他の生き物を絶滅させているのが人間だってこと。しかしその我々でさえも永遠に存在し続けるということはないのだ)。
- この意見を寄せた人がタイ人なのかどうかは分からない。名前(Peter Filicietti)からするとヨーロッパ人のようでもあるのですが、ひょっとするとタイに長い間住んでいるうちに仏教的な考え方をするようになった人なのかも?
いわゆる障害者の権利保護活動も行き過ぎると逆効果になるという記事がThe Economistに出ていました。英国政府は最近、「障害者」の定義を広くして、エイズ、ガン、多発性硬化症、それにちょっとした精神不安定の状態までもこれに加えたこともあって、英国人の6人に1人が「障害者」になっている。障害者のための施設の充実などがかなり厳しく企業や機関に求められるようになり、それに見合わない部分は訴訟を起こされるという事態になっているそうです。
中には企業・機関側にとって気の毒としか思えないケースもある。最近The Slow Food MovementというNPOが、マンチェスターで有料のワイン試飲会を行ったのですが、これに参加したおばあさんの一人が耳が不自由ということで、手話通訳の手配を要求した。この組織としては通訳を雇うだけのお金がなかったので、彼女の夫(手話通訳をやっている)に無料入場券を提供して通訳を頼んだのですが、当のおばあさんが夫ではない通訳を要求したというわけ。で、新しい法律に基づく訴訟を怖れたこのNPOは試飲会そのものを中止してしまった。すでに40人のチケットを売っていたにもかかわらず、です。
The Economistによると、こうした「行き過ぎ」の根元の一つに、障害者権利委員会(Disability Rights
Commission: DRC)という組織を挙げています。政府の資金援助で2000年に設立されたものなのですが、DRCのPRキャンペーンでは、やや脅迫めいた統計が使われたりしている。例えば「16歳の障害者は、障害をもたない若者に比べると教育を受けられず、職にもつけない確率が2倍である」(disabled
16-year-olds are twice as likely to be out of education or out of
work than their non-disabled peers)というのがある。実はこの統計には、学習能力に問題のある若者(young
people with learning problems)という人たちも含まれており、この人たち (障害者というカテゴリーには入らない)は元来、難しい仕事は避けるし、高度な資格を取得する確率も少ない。
次に鉄道。2020年まで全ての列車は車いすでも入れるだけのスペースがあるトイレを設置しなければならないなどの義務が課せられる。ある鉄道会社は、サインの文字が小さすぎて障害者には見えないということで、列車そのものを8台運休することにしているとか。鉄道関係の専門紙によると、厳しい規則のお陰で1000台以上の車両が10年早く「引退」に追い込まれているらしく、DRCのことを「障害者タリバン」と呼んでいるのだそうです。
The Economistは「場合によっては静かにロビー活動をした方が障害者の権利擁護には効果的なこともある」として、「かつての市民権運動のような過激な活動は立派な動機に対する障害になることもある」と言っています。
- この記事とは直接関係ありませんが、英語のthe
disabledは日本語で「障害者」ですね。ではnon-disabledは何というのか?「非障害者」ではないみたいですね。新聞などでは「健常者」というのが普通のようです。以前、日本記者クラブであるパラリンピックで優勝したスキーヤーが会見をやったときに「健常者という表現は不愉快だ」ということが話題になったことがある(そのスキーヤーがそう言ったというわけではありませんが)。確かにひどい日本語ですね「健常者」ってのは。厚生省あたりのお役所言葉らしい。英語に直すとhealthy
and normal peopleってことになりませんか?ではいわゆる「障害者」はunhealthy
and abnormalってこと?!
私、自分の手書きの日本語には全く自信がありません。ひどいのです。自分で書いておきながら自分で読めないということがたびたびある。
Guardianの6月9日づけのサイトによると、英国教育学界(Institute
of Education)という組織が、英国の子供たちは学校できちんとした手書き(hand-writing)を教わるべきだという報告書を発表したのだそうです。
この組織では最近、イングランド南部の39校を調査したらしいのですが、手書きをまともに教えている学校は殆どないのだとか。
そもそも教師自体からして、自分の子供時代に手書きを学んだ人は半分以下だし、教師養成コースでも手書きを教える方法を習った人は3分の1以下。報告書は「現在のようなコンピュータ全盛の時代にあっては、タイプライターのキーボード操作を覚えることが重要視されているが、手書きをきちんと教わることが大切であることは変わらない」と言っています。
これは言えますね。ワープロの発達で文字を手で書くということが非常に少なくなった。私なんか「ゆううつ」の「うつ」なんて絶対書けない。そう、憂鬱の「鬱」です。それからこれは又聞きですが、鎌倉にある英国大使館の日本語学校では、昔は「つぼ」(壺)という文字を正しい書き順で手書きすることを徹底的に教わるのだとか。
- 英語の手書きについて他人の悪口は言いたくないのですが、私の知っている英国人でも全く読めない手書きの人がいます。事務的なメモにコメント手書きのするケースがあるのですが、これが読めないと本当に困るもんね。書いた本人が読めない、ということもありました。ただ私の知る限りにおいて、英国人もアメリカ人も手書きの上手・下手はかなり極端なようですね。上手い人は本当に上手で読みやすい。
映画撮影をホンモノと勘違い
米国コロラド州のLarimer Countyという町の公園で、犯罪もののテレビドラマの撮影をしていたところ、事情を知らない人がホンモノと勘違い、警察を呼んだことで大騒ぎになった、とRocky
Mountain News(如何にもコロラドらしい名前ですね)という新聞が伝えています。女性を誘拐した犯人が、女を助けに来た男を取っ組み合いになり、拳銃で男を殴り倒す、というシーンを撮影していたのですが、これを見た公園の守衛さんが警察に通報、シェリフが「現場」に駆けつけ、主演俳優(犯人役)に拳銃を向けて今にも発射しそうになったところで間違いに気がついて大事には至らなかった。が、主役と監督の二人が「迷惑行為防止条例」違反で起訴されるかもしれないのだとか。公園での撮影許可をとっていなかったので、シェリフも電話を受けて、すっかりホンモノだと思ってしまったとのことです。
現場に駆けつけた警察官はご丁寧にも撮影クルーの人たちに手錠までかけてしまったらしい。
- おそらくこの主演という俳優がそれほど顔を知られていなかったってことでしょうね。
ワールドカップの陰で
ワールドカップのブラジル・オーストラリア戦で、あるチケット泥棒が逮捕されたのですが、そのストーリーが可哀そう。34歳になるこの男、ミュンヘンの会場へ向かう途中のEva
Standmannという女性のハンドバッグを盗んだところ、中にワールドカップの切符が入っていたので、よせばいいのにゲームを見に行った。が、まさかそのとなりの席に被害者女性の旦那さんが坐っていようとは思わなかった。奥さんが坐るはずの席にヘンな男が坐ったので、不審に思ったダンナが警察に通報したのが運のつきであった。「まさかなりの席にダンナがいるとは予想しなかった」とチケット泥棒が悔しがっているそうです。
- この泥棒、何を考えているのか?!こういうのがスタジアムにいたから日本は勝てなかったのだ!
入れ歯を忘れて万引き
ドイツにブラウンシュバイグという町があるそうですが、そこにある衣料品店で万引きを働いた男が、これを見つけた警察に捕まった。が、70歳になるこの万引、よせばいいのに捕まるときに抵抗して、警官の手に噛み付いた・・・まではよかったのですが、この総入れ歯なのに、運悪くその日に限って入れ歯を自宅に置き忘れてしまった。つまり歯が無いんだから噛まれた方だって痛くもなんともない。噛み付かれた警官の腕にのこったのは歯茎の「ウェットマーク」だけだったんだとか。「犯人は何度も被害者の腕に噛み付いたが、入れ歯を忘れたことを忘れており、警察官にはなんのケガもありません」というのが警察の発表です。
- 歯ぐきだけで噛み付くなんて・・・噛み付かれたほうも気持ち悪いでしょうね。
■先日あるジャーナリストと話をしていて、自衛隊のイラク「撤退」のことが話題になりました。撤退をわざわざカギカッコで囲んだわけですが、そのジャーナリストによると、新聞によってはこれを「撤収」と書いているところもあるのだそうです。防衛庁とか小泉さんは「撤収」という言葉を使っていたのだそうですね。この場合どちらが正しいのだろうか?
■ 「撤退、というと何だか戦争に負けて引き揚げるみたいだもんな」と、その人は言うのですが、彼にしてからが「みたいだもんな」という程度で、それほど確信があるわけではない。英語だとどうなるのか、というわけでアメリカ人に聞いたら「withdrawがイチバン自然だろうな」とのこと。withdrawには「負けたみたい」などという感情的なニュアンスは入らないと言っておりました。なるほどね。日本語は難しい・・・だけど「撤退」にしてからが感情的なニュアンスは入っているんだろうか?
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