musasabi journal
発行:春海二郎・美耶子
第94号 2006年10月1日 

Back numbers

 

本当にぐっと秋ですね。日暮れが早いのがイヤですが、涼しいのは有難い。どこかに日の暮れが遅くて涼しい国ってありませんかね。むささびジャーナルの94回目です。よろしくお付き合いください。

目次

1)ブレア首相は警察車で官邸を出る!?
2)シェリー夫人の言った・言わない
3)子供たちの犯罪責任年齢の引き上げを
4)「核の闇市場」が破綻するまで
5)保守主義って何?
6)短信
7)むささびの鳴き声

1)ブレア首相は警察車で官邸を去る?!


ブレアさんが一年以内に労働党党首の座を去ると発表して話題になっていますね。マンチェスターの労働党大会における彼の「素晴しいと言われたお別れ演説」(beautifully judged farewell speech)に涙する労働党支持者もいたらしいけれど、労働党内の不人気はどうしようもない。1997年にあれほどの大人気を得て首相に就任した人が、何故こうまで嫌われるのか・・・。The Economistの9月16日号がThe strange end of Tony Blair という特集記事を掲載、労働党内における「ブレア降ろし」の動きについて詳しく解説しています。

その記事の中で気になる個所があった。それは労働党への献金に絡むスキャンダルのことで、党への高額献金の謝礼として、寄付者に貴族の称号(peerage)を与えたのではないか、それにブレアさんがかかわっていたのではないかという疑惑です。現在のところ警察による調査が進行中です。The Economistの記事よると:

The awful, though remote, possibility hangs over the prime minister of leaving Downing Street in the back of a police car. 可能性は薄いとしても、首相が警察車のバックシートに乗って、官邸を去るという、とんでもない可能性も完全には消えていない。

というわけです。まさか(ブレアさんもそれほどアホじゃないだろう)とは思うし、私が「気になる」というのは、その「まさか」が本当になるかどうか、ということではなく、このようなハナシが出て来る背景です。そこに「新しい労働党(New Labour)」のリーダーであるブレアさんと党の関係の本質的なジレンマの一つがあると思うからです。

1994年に党のリーダーに選ばれたブレアが最も力を入れたのは、労働党から労働組合の支配を取り除くことでした。(何故そうであったのかについては、また別の機会に検討するとして、ここでは、ブレアとしては労働党を右に寄せること、即ち社会主義的な色彩を極力弱めることで「選挙に勝てる党」にしたかった、とだけ言っておきます)。労働党の活動資金の大半が労働組合から出ていたのを、ブレアさんは一般の労働党員ならびにお金持ちからの献金をなるべく沢山集めることで、組合の影響を小さなものにしようとしたわけです。

然るに一般の労働党員の数がどんどん減ってきた。1964年当時には83万人であったのが、1992年には26万人になり、現在では25万人以下に落ち込んでおり、イラク参戦によってますます減少していたわけです。そして、もう一つの資金源として「お金持ち」からの個人献金に頼らざるを得なくなった。で、上のスキャンダルのウワサとなる。具体的にはChai Patel という金持ちが10万ポンドの寄付を行うと同時に秘密のローンとして150万ポンドを党に貸した。その後でブレア首相によって貴族院議員にノミネートしたというハナシになっています。実はブレアさんはこの人以外にも似たような献金がらみで二人の百万長者が同じようにノミネートされているのだそうです。

ブレアさんがこの件で逮捕されることは可能性としては極めて薄いのだそうですが、党内にはブレアさんの「反労働組合」の姿勢がこのようなスキャンダルにつながっており、彼をリーダーにしておくことによるイメージダウンを避けたいので、この際ブレアに出て行ってもらおう・・・という動きになっているというのがThe Economistの記事のニュアンスです。

  • 労働組合嫌いで労働党のリーダーになったブレアさん、ブレアの右寄り路線は嫌いだけど、選挙には勝ちたいという労働党・・・このジレンマというか不釣合いのようなものが、私の「気になる」部分であるわけです。
  • ちなみに労働党の活動資金は年間21,720,000ポンドと登録されていますが、うち約半分が労働組合からの献金だそうです。昔は組合からの献金は活動資金のほぼ90%だったのだそうで、それからすると組合の力も落ちてはいるんですよね。
  • いずれにしてもブレアさんが何を考えて労働党の党首になり、首相をやってきたのかというのは興味のあるところですから、別の機会にちゃんとまとめてみよう。
2) シェリー夫人の言った・言わない


先日、マンチェスターで開かれた労働党大会で、ブレアさんの次なる党首と目されるゴードン・ブラウン大蔵大臣が演説をしていたときに、ブレア首相のシェリー夫人が「ウソつき」と口走ったということで問題になっています。問題の発言は、ブラウンさんが「これまで最も成功した党首であり労働党の首相(ブレアさんのこと)にお仕えし一緒に仕事ができたことは、自分にとって光栄でありました・・・」と述べたときに行われたもので"Well, that's a lie"と口走ってしまったのを、通信社(Bloomberg News)の記者に聞かれてしまったというわけ。

シェリー夫人は「そんなこと言ってない」と否定、記者は記者で「はっきり聞いた」ということで水掛け論になっているのですが、日本のメディアでも報道されたとおり、ブラウン氏はブレアさんに退任の時期をはっきりさせろ、という党内の動きに加担しているとされており、それがチェリー夫人の怒りをかってしまったというのがもっぱらの噂。

水掛け論はともかくチェリーさんは1954年、マンチェスター生まれだから、ブレアさん(1953年エディンバラ生まれ)より一つだけ年下ということになる。シェリーさんの家族はリバプールの労働者階級でカソリック教徒。父親は非常に熱心な労働党支持者であったそうです。そのせいもあって娘のチェリーも労働党支持者の弁護士となる。トニー・ブレアも法廷弁護士であったのですが、トニーの方がシェリーに参ってしまったらしく、I'd come to the complete conviction in my own mind that this was the person I wanted to marry(この人こそ自分の結婚相手だと心で確信した)のだそうで、1980年にオックスフォードで結婚した。

どちらかというと、良家のお坊ちゃんであったブレアが労働党に加入するようになるのもシェリーの影響によるものであるそうです。ジャーナリスト、アンソニー・サンプソンの本によると、あるとき保守党の有力議員が若かったころのトニー・ブレアを夕食に誘って、ハナシをしたのだそうですが、Why on earth did he claim to be a socialist?(なんだって、あの人間が自分を社会主義者などと呼ぶんだろう)と不思議に思ったのですが、「つまりシェリーのせいってことだな」(the reason...was Cherie)という結論になったらしい。

今回の「水掛け論」ですが、シェリー発言を「特種」として報道したBloomberg Newsの記事は次のようになっています。

"Well, that's a lie,"she said, apparently unaware that she was within earshot of a Bloomberg News journalist.(ウソよ・・・と彼女は言ったのだが、直ぐそばにBloomberg Newsの記者がいることに気づかなかったようだ・・・)

で、シェリーさんはこの報道について

"Honestly guys, I hate to spoil your story, but I didn't say it and I don't believe it either"(記事にならなくて申し訳ないけど、あんなこと言ってないし、ウソつきだなんて思ってもいないわよ、ホントよ!)

とコメントしていますが、殆ど勝ち目はない。

いずれにしても大したこっちゃないか。どのみちブラウンとブレアがお互いに快く思っていないことは分かってしまっているんだから、と思っていたら9月28日付けThe Economistは、このシェリー発言は「笑ことではない」(no laughing matter)ものであったそうであります。ブラウン氏が強調していた道徳への情熱や彼の知的力量といったものが、「ウソ」という一言で「ブラウンは性格的に問題があるかもな」という評判が根付くようになってしまった(For all his moral passion and intellectual strength, the belief that the chancellor is a flawed character has taken hold)のだそうです。

  • 夫たるブレアの退陣要求に加担する(と報道された)ブラウン氏に対するシェリーさんなりの復讐ってことなのだろうと思いますが、随分不用心な人ですね、シェリーって人も。 弁護士って、ホント!?
3) 子供たちの犯罪責任年齢の引き上げを


犯罪を犯したら刑事罰を受ける年齢を引きあげるべきだという声が英国で高まっています。BBCのサイトなどによると、現在の英国(イングランドとウェールズ)における犯罪責任年齢は10才なのだそうですが、犯罪・裁判研究センター(Centre for Crime and Justice Studies)が、これを14才にまで引き上げるべきだという報告書を発表しています。

この報告書をまとめたRob Allenという人は、8年間にわたって少年裁判に関わってきた人で「英国では子供が刑事罰を受けるケースが余りにも多すぎる、として彼らの更生のための教育や精神衛生上のケアを充実させる方向に動いていくべきだ」と言っています。彼はまた「英国における少年裁判は、これまでの"警察署・裁判所・矯正施設(cops, courts and corrections)"という発想を止めるべきだ」として、自宅矯正をもっと採用すること、15〜16才の犯罪者を刑務所に入れることを止めることなども求めています。

Allen氏は「最近の英国では、社会を若者から保護しようという傾向が強すぎるし、ティーンエージャーの行いに対して不寛容すぎる傾向がある」(We have seen an increasing preoccupation with protecting the public from young people and a growing intolerance of teenage misbehaviour of all kinds)と言っています。彼によると、犯罪に走る子供たちの場合、その多くが困難な背景(disturbed backgrounds)の中で育っており、学校にさえ行っていない子供がいるというわけで「そもそも善悪を分別できるだけの知的な発達をとげているとは思えない」(I don't think they have reached the point of development that you could safely say they do know right from wrong)と指摘しています。

Allen氏はまた少年に犯罪者としてのラベル貼りを行うことの危険性について次のように述べています。

You run the risk of labelling them as criminals. They begin to see themselves as delinquents, others treat them as delinquents, and very quickly you are in a cycle that youngsters find it very difficult to break out of. (彼らに犯罪者のラベルを貼ると、彼らが自分たちを"不良"とみなすようになり、他人もまた彼らを不良扱いするようになる。そうなると悪循環で、若い人たちは容易に抜け出せない)

実は英国の犯罪責任年齢は14才であったものを、現政権が誕生した1997年にこれが10才にまで引き下げられたという経緯があり、犯罪・裁判研究センターは「それがきっかけで子供の有罪事件が増加したとしています。が、法務省(Home Office)は、

The current age of criminal responsibility allows us to intervene earlier to prevent offending and to help young people develop a sense of personal responsibility for their misbehaviour(現在の犯罪責任年齢のお陰で、我々は早い段階で子供たちに干渉することで、犯罪に走ることをを防ぎ、彼らが非行についての自己責任感を発達させる助けにもなる)

と言っており、これについては野党も同調しているようで、陰の法務大臣であるEdward Garnier氏は「この報告書は仔細に検討してみるが、刑事責任の引き上げについてはまだ確信するまでにはいたっていない」(We will study this report carefully but remain to be convinced about the need to raise the criminal age of responsibility)とコメントしている。

ちなみに少年の刑事責任年齢の国別比較は次のようになっています。

England and Wales: 10
Canada: 12
France: 13
Germany: 14
Japan: 14
Russia: 14
Italy: 15

BBCのサイトはさらに児童心理のコンサルタントであるLinda Blairさんのコメントも載せています。彼女は、子供でも善悪の区別ができるケースが多いもので、大体において「彼らにとっては母親が正しいと言うことが正しいことなのだ」(When you are young, right is what your mother tells you is right)としています。が、彼女によると、子供の場合に自分の行為の結果にまでアタマが回らないということがあるとのこと。犯罪責任年齢の引き上げについては「14才になれば子供たちの善悪判断能力も大幅にあがるだろう」としながらも、彼らに刑罰を与えるについては「考えなければならないことが沢山ある」(much consideration is needed)として次のように話しています。

If you punish somebody who is young, what they have is 'empty time'. If you don't given them something to do, or teach them how to behave better, then they are just going to go on doing the same things.(若い人を罰すると、その間、彼らは"空白の時"を過ごすことになる。その時に彼らに仕事を与えたり、行いを改めるように教育しないと、彼らはまた同じことを繰り返すことになる)

  • 14才以下の子供による重大犯罪の最近の例としては、10才の男子二人が2才の子供を殺したケース(1993年)、11才の女の子が年下の少年二人を殺した事件(1968年)、12と13才の兄弟による女子殺人(2000年)などがあるそうです。
  • Children's SocietyというNPOによると「14才への引き上げは絶対必要(absolutely essential)」とのことで「選挙権は18才にならないと与えられないのに、刑罰は10才からでも受けるというのは驚き(staggering)としか言いようがない」と言っています。


4)「核の闇市場」が破綻するまで


パキスタンの核科学者、AQカーン博士は、個人的な行為によって北朝鮮、イラン、リビアなどにウラン濃縮技術を始めとする核関連技術を広めた人物であり、いわゆるNPT(核拡散防止条約)をピンチに追い込んだ人物ともいわれています。現在はパキスタンの首都、イスラマバードの近くの自宅に軟禁状態になっています。

Gordon CoreraというBBCの記者が書いたSHOPPING FOR BOMBS(Oxford University Press)というノンフィクションは、カーン氏が作り上げた「核の闇ルート」の一部始終を報告しています。約240ページで、それほど厚い本ではありません。今年出たばかりなので、今のところは英語版しかないかもしれませんが、翻訳が出ることは間違いないと思います。思わずのめりこんでページをめくってしまう(page-turner)ほど退屈しない。けれど読み終わって深刻な気分になってしまったことも事実です。

深刻になる理由は三つあって、カーンという人が実に取り返しのつかないことをしてしまったのだということが一つ。わざとなのか知らなかったのか、カーン氏の活動を見過ごし(見逃し)ていたパキスタン政府への驚きが二つめ。三つめは、パキスタンに核兵器もたらしたカーン氏が、「国民的英雄」として尊敬されている事実は否定のしようがない(パキスタン人を責める気にはなれない)だけに、人間の将来に対して深刻にならざるを得ない。

カーン氏は1935年、英領インドの生まれだから、私よりわずか6才年上ということになる。12才の時(1947年)にパキスタンがインドから独立するのですが、そのときに目の当たりにしたイスラム教徒(パキスタン)とヒンズー教徒の凄まじい殺し合いが、少年カーンの心のキズとして残る。

1960年代の初めに20才半ばでヨーロッパへ留学、URENCOという核関連研究所に就職するのですが、その間、祖国パキスタンがインドとの戦争(1971年)に惨めにも敗れるさまをヨーロッパから屈辱の想いを持って見つめており、インドに対する憎しみと祖国パキスタンへの強烈な愛国心が植えつけられたのだそうです。

1974年にインド(アメリカから"平和利用"を目的に核技術を供与されていた)が核実験に成功するのと同時に就職先のURENCOで、核開発のための秘密資料を盗んで、祖国パキスタンに送るというスパイ活動を始める。URENCOというところは随分と秘密保持にはルーズであったらしく、ウラン濃縮だの遠心分離機だのという技術のファイルにも容易にアクセスできたのだそうです(信じられないハナシですが)。

パキスタンに戻ったカーン研究所(Kahn Research Laboratories: KRL)を設立するのが1981年のことですが、この研究所は、それまでに存在したEngineering Research Laboratoriesという政府の研究所が、当時の大統領の肝いりでKRLとなったものであり、民間の機関です。しかしカーン氏と政府首脳との特殊な関係により、事実上の政府機関のような存在になる。

ただややこしいのは、パキスタンには核関連の政府機関としてPakistan Atomic Energy Commission (PAEC)という研究機関すでに存在しており、カーン氏のKRLとライバル関係に入るようになったことです。

1998年5月11日ににパキスタンの隣国、インドが核実験に成功したのに続いて5月28日にはパキスタンがKRLのリードでこれに成功します。これによってカーン氏は一躍国民的英雄になる。信じられないようなハナシですが、この本によると「国民的英雄」が主宰するKRLは「国家の中の国家」(state within state)のような存在となり、パキスタンの政府でさえ、ごく一部の上層部を除いてはKRLの中で何が行われているのか分からないような闇の世界になってしまった。

実は1981年にKRLを設立したあたりから、核拡散に神経をとがらせるアメリカと英国政府の情報機関(CIAとMI6)によって、密かにカーン氏の行動が監視され始めるのですが、パキスタンを取り巻く国際情勢のお陰で踏み込むまでには至らなかった(とこの本は言っています)。1980年のソ連によるアフガニスタン(パキスタンの隣国)侵攻、2001年9月の同時多発テロに続くアメリカによるアフガニスタン侵攻(パキスタン政府の協力が必要)などがそれにあたります。

カーン氏は2004年1月末にパキスタン政府によって幽閉状態におかれ、現在もそれが続いているのですが、政府がカーン幽閉に踏み切ったのはアメリカ政府からの強硬な圧力によるものです。カーン氏のKRLは最初は自国の核開発を仕事にしていたのが、いつの間にか「核の輸出」を行うようになり、イラン、リビア、北朝鮮にこれを輸出したとされています。

  • この本を読んでいると核兵器というものに対するパキスタンという国の思い入れがひしひしと伝わってきます。パキスタンだけではなくて、例えば英国は1958年にアメリカから核技術を供与されるのですが、当時のマクミラン首相は英国が核を保有するのは「核があれば英国は大国でいられるからだ」(it puts us where we ought to be, in the position of a great power)と語ったそうです。
  • パキスタンによる対北朝鮮の核輸出ですが、もともと北朝鮮からはミサイル技術を輸入していたのですが、パキスタン側に外貨がなくなり、お金を払えなくなった。仕方ないので、核技術をバーターとして提供したのだそうです。
  • 中国は核大国なのですが、この本によると、ひょっとすると中国内にもカーン氏のような人物がいるかもしれないと言っています。つまり政府のあずかり知らないところで核ビジネスに絡んでいる技術者ということです。
  • イランですが、カーン氏によって核技術が輸出されたことは間違いないのですが、興味深いのは、あのホメイニ師はイランの核兵器保有には反対だったのですね。
  • 一応この本とは関係ありませんが、最近パキスタンのムシャラフ大統領が、アメリカのリチャード・アーミテージ前国務副長官によって侮辱的な扱いを受けたということが話題になりましたね。
5)保守主義って何?


安倍晋三さんは『美しい国へ』という本の中で、「自分は開かれた保守主義者」だと言っているのだそうです。「開かれた」ってなんのこと?そもそも保守主義ってなんなの?というわけで、この項は余りにもだらだらとりとめなく、しかも未熟ということで、情けなくて恥ずかしいので別のところに掲載をします。よろしければここをクリックしてお付き合いください。


6)短信

健康の秘訣は砂食

インドのChinharという町に住むRasm Ratiというおばあさん(80才)の健康の秘訣は、毎日約1キロの砂を食べることにあるのだそうです。そうです、砂です。ウソじゃありません。Asian News Internationalという通信社が伝えているのであります。朝食、昼食そして午後のお茶の前に食するのだそうで「若いころに面白半分(just for fun)で始めたのが習慣になって・・・」ということで、お医者さんも「特に健康に被害がないのなら続けたって構わないのでは?」と言っているそうです。

  • なるほどね、砂というのは身体に悪くないような気がするな・・・アタシは食べたいとは思わないけど。ニワトリじゃないんだから。

Remember Ring

結婚記念日を忘れないための指輪なるものが発明されたらしいです。Daily Mailによると、発明したのはアラスカ人のCleve Oinesという人(オトコです)で、現在これを売ってくれるお店を募集しているのだとか。結婚記念日を忘れて奥さんにカンカンに怒られた経験のある人にとっては朗報です。Remember Ringという名前らしいのですが、仕掛けは指輪に埋め込まれた極小の温度感知器で、記念日の一日前になると1時間ごとに熱くなるんだそうです。つまり購入時に記念日を知らせると、その日の前にセットされて稼働するってこと。「これさえあれば夫婦喧嘩のタネが一つ減る」というのがセールスポイントなんだそうです。

  • 値段にもよるけど、これは間違いなく売れます。私なんか絶対欲しいもんね。結婚記念日を忘れてしまって家内に叱られてばかりの30数年だったから・・・。でも不良品があったりするともめるでしょうね。

金歯禁止令

中央アジアのタジキスタンのラフモノフ大統領が、国家公務員は金歯をしてはならないという命令を間もなく出すのだそうです。大統領が最近の地方遊説で学校の教師と会合を開いたときにひとりの先生が金歯だらけであったことから思いついたらしい、とNew Regionという通信社が伝えています。この金歯禁止令は、国の対外イメージに関係があるとのことで、「公務員が金歯などしているようでは貧困国として認めてもらえないではないか」と大統領は言っているそうです。

  • この命令が発効すると、公務員の約半分が金歯を外すか、公務員を辞めるかの選択を迫られるのだそうです。


7)むささびの鳴き声


●東京地裁が、学校での式典で「君が代」を歌ったり「日の丸」掲揚に起立することを拒否した教師について、これを罰するのは間違っている、という判決を出したことについて、ある新聞の第一面に掲載されているコラムが「自分の国の国旗や国歌が嫌いで訴訟までするセンセイが都内に400人以上いるとは驚きだ」というわけで、このような教師の名前や勤務先を「どんどん公開してほしい」と言っておりました。またこのコラムによると、国歌の演奏や国旗の掲揚のときに起立しないのは「国歌・国旗を無視することをインテリ風でカッコイイと勘違いしているヒト」なのだそうであります。

●米長なんとかいう将棋の人が東京都の教育委員をやっていて、園遊会で天皇陛下に向かって「私の仕事は日本全国の学校で日の丸を掲揚させ、君が代を歌わせることでございます」というニュアンスのことを言って、大いに感謝されると思ったら、天皇陛下が「強制はしないほうがよろしいのでは?」という意味の返答をされたということもありましたね。それにしても何が面白くて卒業式だの入学式だので君が代だの日の丸だのをやり始めたんですかね?私たちの頃は校旗と校歌だけだったし、それで十分だったと思うけど・・・。

●私が、野球場における国歌演奏や国旗掲揚のときには、トイレに行くことにしているってこと、言いましたっけ?私自身、軍国主義も皇国主義も実体験としては知らないのだから、君が代や日の丸が「軍国主義を思わせるから」という思想的な理由があって起立しないのではない。このような集団行為を強制されるのがひたすらイヤでたまらないのであります。このコラムが言うように「インテリ風でカッコイイ」と思っているからではありません。

●で、このコラムですが、国旗や国歌を崇拝しない不届きな教師の名前や勤務先を公表しろと迫り「主義主張のはっきりしている彼ら彼女らも望むところではないだろうか」とのことでした。私、前から気になって仕方なかったのですが、新聞の第一面に掲載されているこの種のコラムの場合、何故か筆者の名前が出ていない。先生方に名を名乗れというのであれば、アンタも名前くらい言ってもよろしいんじゃありませんか?今回の記事でいうと「驚いたことに」とか「・・・してもらいたい」とか「思い出す」という言い回しがある。どう考えても一人称ですね。私が読んだ今回のコラムの場合、自分自身が国旗に向かって起立した例を書きながら、筆者が自分のことを「小欄」と言っております。それって本名?!

●そういえば、北海道・余市町で2002年に植えられたイングリッシュオークの木の前で、毎年一度、子供たちが記念撮影をするという企画が進行中であることは、以前にもお伝えしました。今年の撮影は8月に行われ、その写真を送っていただきました。心より感謝いたします。写真はここをクリックすると見ることができます。オークもさることながら子供たちが大きくなるサマが記録されていて面白い。

 

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