最近、英国の元外相、ジャック・ストロー氏が、自分の選挙区で、自分を訪ねてくるイスラム女性はベールを脱ぐべきだ、と発言して問題になっています。ストロー議員の選挙区であるBlackburnはイングランド北西部にある町で、パキスタン系を中心として国内でも最もイスラム人口の多いところとされています。またこれとは別にヨークシャーにあるDewsburyという町で、イスラム教徒の教師助手がベールを脱ぐのを拒否したという理由で解雇されるという事件があった。
ここ数週間は英国中がこのことをきっかけとした「アイデンティティの政治」という話題でもちきりとなっているのですが、ブレア首相は、この件ついてベールは隔離の象徴(mark
of separation)となっているということで、ストロー氏の発言もイスラム人の教師助手の解雇も支持しているのですが、「きちんと議論すべき時期に来ている(It
is time for these issues to be properly debated)とも言っているそうです。
最近(10月19日付)のThe
Economistの政治コラムがThe
uncomfortable politics of identity(アイデンティティを巡る不安な政治)というエッセイを掲載しています。Multiculturalism
may be dead, but it's not clear what will replace it(多文化主義という考え方は死んだかもしれないが、それにとってかわるものが分からない)というイントロで始まっているのですが、要するにこれまでの英国で良しとされてきた「文化の多様性に関する寛容さ(tolerance
of cultural diversity)」という点と、「人種的な少数派コミュニティによる社会的な統合の必要性(need
for minority communities to integrate with wider society)」という現代の問題との間のギャップのようなものが、この事件によってよりはっきりしたということで、政府の「多文化政策」なるものも見直しが必要なのでは?という雰囲気になってきているということです。
Ruth Kellyコミュニティ担当大臣(そんなのがあるんですね)も、イスラム関連組織との関係のあり方について抜本的に見直しを行っており、政府からのお金が「我々がともにシェアする価値観」(our
shared values)を守る活動に取り組む組織に向けられるようにするとしている。つまりイスラム過激派を助長するような組織への資金提供は行わないというものなのですが、もっと具体的にいうと、英国最大のイスラム系組織であるMuslim
Council of Britain (MCB)への「失望」の表れなのだそうであります。この組織はこれまで英国政府の「反イスラム外交政策」を批判してきた。
一方、政府は新たに開校する宗教学校について、政府からの援助を要求する場合、学校は生徒の4分の1が他の宗教の子供でなければならないという方針が教育省によって打ち出された。また、最近では大学がイスラム過激派の温床になっているので、関係者はそれを監視すべきだという教育省の文書がも新聞にすっぱ抜かれたりしています。いずれもイスラム系の学校を狙ったものというのが一般的な見方となっているそうです。
発足当初の1997年、ブレア政府は何かというと「英国は多人種が平和に共存している社会」であることを強調してきたわけですが、それが9・11と昨年7月7日のロンドン・テロで変わらざるを得なくなってしまい、いまでは「多文化主義(multiculturalism)の名の下に、国内のイスラム地域が隔離されることを許してきたのが間違いであるという意見が多くなっている」というわけで、The
Economistのエッセイは、英国社会が次のような自問自答を迫られていると伝えています。
いわゆる自由社会というものは、その社会に対して敵意を助長するような態度や行動をどの程度まで保護する義務があるのか?
How far is a liberal society obliged to go in defending attitudes
and behaviour that are hostile to it?)
ありとあらゆる少数民族のコミュニティに対して、いわゆる多数の人々との統合を要求するこは理にかなったことなのか?
Is it reasonable to demand that members of all minority communities
integrate, at least to some degree, with the majority?
The Economistによると、Ruth
Kellyコミュニティ担当大臣は「絶対に譲れない(non-negotiable)英国の価値観」として、言論の自由、機会の平等、他者に対する尊重と責任などは全ての国民が守らなければならないとしており、そのような意味での社会科の一環として英国の歴史を教えることを義務づけようとしている。
で、The Economistは「政府のさまざまな政策が必要であることを疑うつもりはないけれど」としながらも次のように締めくくっています。
政治家たちの善意や心配を疑うつもりは全くないにしても、現在必要とされていることを行うだけの妥当性と力を備えた「英国民であることの意味(an
idea of British national citizenship)」を復活させるというのは、政治家による説教の領域を超えていることなのかもしれない。ブレア氏のいわゆる「議論」が、なされるべき場所でなされない限り、何をやってもいま存在する(イスラム・コミュニティへの)偏見をさらに深めるだけに終わる可能性が高い。その議論がなされるべき場所とはイスラム・コミュニティそのものなのである。
It may be
beyond the exhortations of worried, well-meaning politicians to
revive an idea of British national citizenship that is relevant
and powerful enough to do what is needed. Unless Mr Blair's debate
takes place where it matters most, within the Muslim communities
themselves, it is likely only to deepen existing prejudices.
つまりはイスラム系の人たち自身が考えてくれないと、本質的な解決にはならないってことです。しかし、それについてThe Economistは『悪魔の詩(The
Satanic Verses)』の作者として知られる作家のSalman Rushdieの言葉として「その社会がいかに寛容であったとしても、そこで暮らす人びとが、その市民であることの価値を理解しない限り、社会が繁栄することはない」(No
society, no matter how tolerant, can expect to thrive if its citizens
don't prize what their citizenship means)と伝えています。
- 英国におけるイスラム人口は約160万ですから、全人口(約6000万)の3%弱ってことになる。日本の人口に直すと300万人以上ってことになる。かなりの数ではありますね。大半がもともと英国の植民地であったパキスタンのような国からの移民です。
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