musasabi journal
発行:春海二郎・美耶子
第96号 2006年10月29日 

Back numbers

 

今年のプロ野球も終わりましたね。日本シリーズで日ハムが勝った試合の北海道における視聴率は70%を超えていたのだそうです。視聴率70%というのが何を意味するのかよく分からないけれど・・・。ところで上の写真は、アフリカの難民キャンプにある学校の教室風景だそうです。

目次

1)ナショナル・トラストの「電子タイムカプセル」計画

2)イスラム女性のベール問題が問う英国の「文化的寛容性」
3)BBCのタリバン・インタビューに賛否両論
4)Fukuyama教授の安部首相警戒論
5)当り前ですが英国にも「いじめ」は・・・ある
6)アメリカとキリスト教
7)短信
8)むささびの鳴き声

1)ナショナル・トラストの「電子タイムカプセル」計画


英国国立図書館がナショナル・トラストと共同で、ブログを通して見た英国の人たちの日常生活を永久保存するという企画を行っています。One Day in Historyというプロジェクトがそれで、2006年10月17日(火曜日)のあなたは何をしたかということをブログ風に報告してもらい、それをタイムカプセルとして永久保存するもの。電子タイムカプセルですな。英国内で約3万校の小学校の生徒や教師をはじめ海外の英国人学校の生徒などにも参加を呼びかけているそうです。

100〜1000語(英語又はウェールズ語)で指定されたブログスペースに書き込むだけ。要するに皆で巨大なブログを作りましょうというわけで、いかにも今の時代に相応しい企画だと思います。

Technoratiというブログをウォッチングしているサーチエンジンがある(らしい)のですが、2005年1月からこれまでに8100万件のブログをサーチしているのだとか。Technoratiによると、世界中で作られるブログの数は一日約120万件、つまり1時間に5万のブログが生まれているのだそうです。うち約5700万が定期的に更新されているとのことです。

ブログの言語ですが、全体の3分の1が英語、3分の1が日本語、中国語が15%ときて、あとは「その他の言語」なのだそうです。それにしても世界中のブログの3分の1が日本語というのは驚きですね。英語のブログは、全部が全部、英語圏の人によるものではないだろうけれど、日本語に関しては日本人しかないですからね。日本人は他国の人々に比較してダントツで文字による自己表現とコミュニケーションが好きな人種ってことになりませんか?これは決して悪いこっちゃない。

  • ナショナル・トラストのOne Day in Historyのような企画って、日本ではどこかやっているところはあるのでしょうか?これ、やったら受けるかもしれませんよ。北海道の人たちを対象に、2006年10月、日ハムが優勝した瞬間あなたはどこで何をしていましたか?というアンケートをブログ風に募集して永久に保存するとか。尤も私なら、中日ファンを対象に「あの日」について語ってもらいますね。その方が面白いことは間違いない。One Day in Historyについてはここをクリックすると出ています。ただブログ募集の締め切りが10月末ですから、その後は閉鎖されるかも。
  • ところで「むささびジャーナル」はブログではない。内容的にはブログみたいなものですが、これは普通のウェブサイトってヤツです。ブログというスペースにしてもいいのですが、どうやっていいかよく分からないので、面倒だからこのまま続けております。皆様の中で自分のブログを「むささびジャーナル」の受け取り手にも見てもらいたいと思う方がおいででしたらお知らせを・・・。
2) イスラム女性のベール問題が問う英国の「文化的寛容性」


最近、英国の元外相、ジャック・ストロー氏が、自分の選挙区で、自分を訪ねてくるイスラム女性はベールを脱ぐべきだ、と発言して問題になっています。ストロー議員の選挙区であるBlackburnはイングランド北西部にある町で、パキスタン系を中心として国内でも最もイスラム人口の多いところとされています。またこれとは別にヨークシャーにあるDewsburyという町で、イスラム教徒の教師助手がベールを脱ぐのを拒否したという理由で解雇されるという事件があった。

ここ数週間は英国中がこのことをきっかけとした「アイデンティティの政治」という話題でもちきりとなっているのですが、ブレア首相は、この件ついてベールは隔離の象徴(mark of separation)となっているということで、ストロー氏の発言もイスラム人の教師助手の解雇も支持しているのですが、「きちんと議論すべき時期に来ている(It is time for these issues to be properly debated)とも言っているそうです。

最近(10月19日付)のThe Economistの政治コラムがThe uncomfortable politics of identity(アイデンティティを巡る不安な政治)というエッセイを掲載しています。Multiculturalism may be dead, but it's not clear what will replace it(多文化主義という考え方は死んだかもしれないが、それにとってかわるものが分からない)というイントロで始まっているのですが、要するにこれまでの英国で良しとされてきた「文化の多様性に関する寛容さ(tolerance of cultural diversity)」という点と、「人種的な少数派コミュニティによる社会的な統合の必要性(need for minority communities to integrate with wider society)」という現代の問題との間のギャップのようなものが、この事件によってよりはっきりしたということで、政府の「多文化政策」なるものも見直しが必要なのでは?という雰囲気になってきているということです。

Ruth Kellyコミュニティ担当大臣(そんなのがあるんですね)も、イスラム関連組織との関係のあり方について抜本的に見直しを行っており、政府からのお金が「我々がともにシェアする価値観」(our shared values)を守る活動に取り組む組織に向けられるようにするとしている。つまりイスラム過激派を助長するような組織への資金提供は行わないというものなのですが、もっと具体的にいうと、英国最大のイスラム系組織であるMuslim Council of Britain (MCB)への「失望」の表れなのだそうであります。この組織はこれまで英国政府の「反イスラム外交政策」を批判してきた。

一方、政府は新たに開校する宗教学校について、政府からの援助を要求する場合、学校は生徒の4分の1が他の宗教の子供でなければならないという方針が教育省によって打ち出された。また、最近では大学がイスラム過激派の温床になっているので、関係者はそれを監視すべきだという教育省の文書がも新聞にすっぱ抜かれたりしています。いずれもイスラム系の学校を狙ったものというのが一般的な見方となっているそうです。

発足当初の1997年、ブレア政府は何かというと「英国は多人種が平和に共存している社会」であることを強調してきたわけですが、それが9・11と昨年7月7日のロンドン・テロで変わらざるを得なくなってしまい、いまでは「多文化主義(multiculturalism)の名の下に、国内のイスラム地域が隔離されることを許してきたのが間違いであるという意見が多くなっている」というわけで、The Economistのエッセイは、英国社会が次のような自問自答を迫られていると伝えています。

いわゆる自由社会というものは、その社会に対して敵意を助長するような態度や行動をどの程度まで保護する義務があるのか?
How far is a liberal society obliged to go in defending attitudes and behaviour that are hostile to it?)

ありとあらゆる少数民族のコミュニティに対して、いわゆる多数の人々との統合を要求するこは理にかなったことなのか?
Is it reasonable to demand that members of all minority communities integrate, at least to some degree, with the majority?

The Economistによると、Ruth Kellyコミュニティ担当大臣は「絶対に譲れない(non-negotiable)英国の価値観」として、言論の自由、機会の平等、他者に対する尊重と責任などは全ての国民が守らなければならないとしており、そのような意味での社会科の一環として英国の歴史を教えることを義務づけようとしている。

で、The Economistは「政府のさまざまな政策が必要であることを疑うつもりはないけれど」としながらも次のように締めくくっています。

政治家たちの善意や心配を疑うつもりは全くないにしても、現在必要とされていることを行うだけの妥当性と力を備えた「英国民であることの意味(an idea of British national citizenship)」を復活させるというのは、政治家による説教の領域を超えていることなのかもしれない。ブレア氏のいわゆる「議論」が、なされるべき場所でなされない限り、何をやってもいま存在する(イスラム・コミュニティへの)偏見をさらに深めるだけに終わる可能性が高い。その議論がなされるべき場所とはイスラム・コミュニティそのものなのである。
It may be beyond the exhortations of worried, well-meaning politicians to revive an idea of British national citizenship that is relevant and powerful enough to do what is needed. Unless Mr Blair's debate takes place where it matters most, within the Muslim communities themselves, it is likely only to deepen existing prejudices.

つまりはイスラム系の人たち自身が考えてくれないと、本質的な解決にはならないってことです。しかし、それについてThe Economistは『悪魔の詩(The Satanic Verses)』の作者として知られる作家のSalman Rushdieの言葉として「その社会がいかに寛容であったとしても、そこで暮らす人びとが、その市民であることの価値を理解しない限り、社会が繁栄することはない」(No society, no matter how tolerant, can expect to thrive if its citizens don't prize what their citizenship means)と伝えています。

  • 英国におけるイスラム人口は約160万ですから、全人口(約6000万)の3%弱ってことになる。日本の人口に直すと300万人以上ってことになる。かなりの数ではありますね。大半がもともと英国の植民地であったパキスタンのような国からの移民です。
3)BBCのタリバン・インタビューに賛否両論


BBCの看板ニュース番組の一つにNewsnightというのがあるんだそうです。「そうです」というのは私自身見たことがないからです。その番組で最近、アフガニスタンからのレポートとして、タリバンのスポークスマンとのインタビューが放送されたところ、これがいろいろと物議をかもしているようであります。

アフガニスタンでは英国の軍隊もタリバン勢力との戦闘を行っており、死者も出ているのですが、このインタビューについては保守党の政治家が「見るに耐えない(obscene)」と文句を言い、Daily Mail紙は、アフガニスタンで戦う英国の兵士の父親の「BBCは英国の戦争努力を無にしており(undermining the war effort)無責任だ」というコメントを掲載しています。

で、この番組の編集長がBBCのサイトに自分の見解を載せています。彼は「英国人の兵士の命を危険にさらしているのでない限りは、"あちら側"からのレポートも放送すべきだと思う」と主張しています。また編集長によると「インタビューでは、タリバンがアメリカ人や英国人をどのように見ているのかが報告され、記者は(学校を燃やしたり、民主主義を否定したりという)タリバンの行いについて、そのスポークスマンに詰問(challenge)している」として、番組の正しさについて次のように語っています。

敵のことを撮影することは、我々の軍隊に対して不誠実だと言う人もいます。しかしもし我々(BBC)がこのインタビューを放送しないということで合意などしてしまったら、それは検閲と政府寄りのプロパガンダからほんの少しだけ距離を置いたにすぎないということになりはしませんか?
Some believe it is disloyal to our armed forces to film the enemy. But if we agreed not to show them, isn't that just a small step away from censorship and pro-government propaganda?

このインタビューについては、BBCのサイトにも300件を超える賛否両論のコメントが寄せられています。「よくやった。がんばれ」というのもあるけれど、「我々の兵士の努力を何だと思っているんだ!」とカンカンに怒っている人もいます。とても読みきれない。興味のある人はここをクリックすると出ています。このインタビューそのものはBBC World Serviceでも放映していました。タリバンの公式スポークスマンとのインタビューに成功したのはBBCが初めてだそうです。

BBCと政府の対立について一番有名なハナシは、フォークランド戦争をめぐるサッチャー首相との対立ですよね。記憶が定かでないけれど、英国軍のことをBBCがBritish forcesとかいう表現で報道したところ、サッチャーさんは「我が軍」(our forces)と呼べと要求したことでおおモメにもめた。結局、BBCが押し切ってしまったと記憶しています。

  • まあBBCの姿勢については、英国の中でも「傲慢」と言う人もいる。特権階級のインテリぶりやがってという批判です。が、このように政府と対立するような場合は、やはり多数がBBCの側に立つように思います。「BBCを見習え」というつもりはないけれど、いろいろな意見をきっちり紹介するのは大切ですよね。特に少数意見をちゃんと紹介することは、我々のバランス感覚の向上につながるんだから。

 

4)Fukuyama教授の安倍首相警戒論


米ジョン・ホプキンス大学のFrancis Fukuyama教授が書いたAmerica at Crossroadsという本については、むささびジャーナル82号で紹介させてもらいました。最近、この人のブログを見ていたら9月24日付けで安倍政権の誕生について書いていました。結論から言うと、安部さんはナショナリストの小泉さん以上にナショナリストであり「主張する日本、謝らない日本」(assertive and unapologetic Japan)の推進役であるからして、アメリカ政権も気をつけて付き合う必要がある、というのがメッセージとなっています。

教授によると、小泉さんはいろいろな「改革」で知られているが、靖国参拝を続けることで、中国や韓国との関係を悪化させ、日本の新しいナショナリズムを正当化した人物でもある、というわけで、靖国神社にある「軍事博物館(military museum:遊就館のこと)」は日本の過去を正当化する陳列でいっぱいであると糾弾しています。

Fukuyama教授がイチバン気に入らないのは、日本がドイツのように戦争責任の問題に直面してこなかったことであり、1995年の村山談話で公式に謝罪したとはいえ、自らの過去について、国内的な議論が全く行われておらず、過去を賛美する遊就館はあっても、違う見方を示すような施設がどこにもないではないか、と言っています。若い世代に遊就館的でない歴史を伝えようとする「決意を持った努力」(determined effort)が全くなされていない、ということです。

で、これからの日米関係に関連して、憲法改正問題に触れて次のように主張しています。

現在のような新しいナショナリズムの台頭を背景にすると、日本が勝手に(一国だけで)憲法9条を変えることで、日本はほぼアジアの全ての国から孤立することになるだろう。
a unilateral revision of Article 9 by Japan against the backdrop of its new nationalism will isolate Japan from virtually the whole rest of Asia.

というわけで、安倍さんが憲法改正に走るのかどうかは、ワシントンの友人からのアドバイスが次第であろう(whether he pushes ahead with it will depend in large part on the kinds of advice he gets from close friends in Washington)が、ブッシュ大統領は小泉さんについては「イラク」があったからお友だち扱いして、歴史問題には目をつむったけれど、安倍さんについては「新しく出直しということになるだろう(perhaps he could start with a clean slate once Abe becomes prime minister)」と言っています。

Fukuyama教授はまた、最近の日本における出来事の一つとして「普段は保守的な読売新聞が、小泉氏の靖国参拝に反対して、日本の戦争犯罪について"素晴しい記事"(a fascinating series of articles on responsibility for the war)を連載した」と報告しています。

このブログはここをクリックすると見ることができます。

5)当り前ですが英国にも「いじめ」は・・・ある


小中学生が「いじめ」を苦に自殺するという、やりきれないようなことが続いています。日本の厚生労働省のサイトに世界保険機構(WHO)の統計(1999年)が出ており、それによると、日本の自殺者数が10万人あたりで25・0人であるのに対して、英国のそれは7・5人、約4分の1となっています。楽しいハナシではないけれど、若年者の自殺数も出ていて、5〜14才は10万人あたりで0・6人(日本)に対して、英国の場合は0・1人、15〜24才で日本が12人で、英国が6・7人となっています。

いずれも英国の方が断然少ないわけですが、それでも子供の自殺が全くないわけではないし、その原因としては「いじめ」もかなりの割合にのぼっているそうです。命の電話サービスで知られるDepression Allianceというチャリティのまとめによると、毎年19,000人の未成年が自殺を図っているし、約200万の子供が、精神上の理由で精神科医を訪れているという数字が出ています。また「いじめ」が理由と考えられる子供の年間自殺数は「少なくとも16人」という統計もあるようです。ちなみに「いじめ」による自殺のことをBullycide(Bullyingsuicideを組み合わせた造語)というのだそうです。

また子供の悩み相談をやっているNPOのChildlineのサイトによると、2005年の1年間で、ここへ「いじめ」の悩み相談の電話をかけてきた青少年は約2万人で、この組織の調査では、英国の小学生の2人に1人が、ここ1年以内にいじめにあっており、中学生の場合は4人に1人という割合になっているそうです。で、具体的に何をされたのかというとおよそ次ぎのような事柄が挙げられています。

からかわれたり、ののしられた:being teased or called names
ものを取られた:having their bags, mobiles, money or other possessions taken
殴られたり蹴られたりした:being hit, pushed or kicked
傷つけられるようなメールを受け取った::receiving abusive text messages or e-mails
無視されたり仲間はずれにされた:being igonored or left out
人種、宗教、障害などを理由に攻撃されたり乱暴された:being attacked or abused because of racial origin, religion or disability

日本における最近の「いじめ自殺」については、子供の遺書なるものが報道されたりしていますが、私がサイトで調べた範囲では英国の子供たちの場合は余りないようです。が、これも全くないわけではない。カソリック系の小学校を退学処分になった10才の子供は「何をやってもうまくいかない。いつも間違ってばかり。ボクはただ死にたい。首を吊って死ぬんだ」(I can't get anything right. I'm always wrong. I just want to die and I'm going to hang myself)という遺書を残して、本当に自宅で首つり自殺をしてしまった。この子の場合、学校での素行に問題があった、と校長先生に思われていたようで、彼の両親は、後日教育委員会から「お子さんの存在が、校長の健康に悪影響を与えていた」という報告を受け取ったのだそうです。

13才になるVijay Singh(インド系の名前のようですね)という男の子は、遺書ではないけれど、自殺する1週間前に日記に「これからずっと憶えている。絶対、忘れないぞ(I shall remember forever and will never forget)」という言葉とともに次のように記していたとのことです。

月曜日:お金を盗まれた(my money was taken)
火曜日:(クラスメートに)ののしられた(names calle d)
水曜日:制服が引き裂かれた(my uniform torn)
木曜日:体中、血だらけになった(my body puring with blood)
金曜日:終わった・・・(it's ended)
土曜日:自由になった(freedom)

で、日曜日に自宅で首を吊って・・・。

Childlineのサイトには、いじめに悩む子供の親に対するアドバイスがいろいろと挙げられているのですが、いじめに会っていても親には言わない子供が多く、その理由は親を動揺(upset)させたくないということともに、親に言ってもマジメに取り合って貰えないか、自分で処理しろと言われたりするということなのだそうです。このような子供たちの場合、いじめられるという苦痛と、親に助けを求められないという二重の苦痛を味わうことになっている。

このサイトによると、英国では全ての学校が「反いじめ策」(anti-bullying policy)を文書化してあることが法律で義務づけられているのだそうです。また学校におけるいじめ防止対策として、生徒を対象にいじめの有無を問う無記名アンケートを実施すること、入学時に子供たちに「いじめはしません」という誓いを文章で書かせる、いじめ撲滅のためのディスプレイをするなどの事柄が挙げられています。

また教育省のサイトには「いじめに合ったらこうしよう」という次のようなアドバイスリストが載っています。

つとめて冷静にして、自信があるように見せろ:try to stay calm and look as confident as you can
断固とした態度で相手の目を見て「やめろ」と言おう:be firm and clear - look them in the eye and tell them to stop
なるべく早く逃げ出して、すぐ大人に言え:get away from the situation as quickly as possible and tell an adult what has happened straight away

というわけ。「自信があるように見せろ」というのはいいですね。英国における「いじめ」関連サイトは沢山ありますが、主なものは次のとおりです。

Childline:子供の悩み相談全般 
Kidscape:いじめ専門 
Parentline Plus:親のための24時間相談サービス 
教育省:いじめ対策パンフ 

  • いじめについての私個人の余りカッコよくない想い出話をさせてください。50年以上も前の中学生のとき、クラスに「菊田」という名前の級友がいたのですが、別の級友で福島県から転入してきたのがいて、「菊田くん」のことを「チクタくん・チクタくん」と呼んでいた。それを面白がって私も「チクタ・チクタ」とやり始めたら、あろうことかホームルームで、その菊田くんが立ち上がって「春海くんはボクのことをチクタ・チクタと呼ぶのを止めてください!」と告発した。

    担任教師は私を立たせて、皆の前で謝らせたのでありますが、あの時の「孤立感」は忘れられない。今にして思うに、あの場合「いじめっ子」は誰だったんでしょうか?チクタ呼ばわりして面白がった私でしょうか?それともあの程度のことをクラス中に言いふらして私を孤立させた、あのチクタ(じゃなかった菊田)くんでしょうか?ただ誰にも気付かれなかったけれどイチバン情けない思いをしていたのが、おそらく福島県からやってきたアイツであることは間違いない。訛りをからかったのは悪かった。ちょっと遅くなったけれど謝ります。

同じクラスにどうしようもなく気の強い女の子がいたのですが、その子もホームルームで「春海くんはアタシのことを"女大将"なんて言うのを止めてください!」とやった。で、私、やはり皆の前で謝罪をさせられた。クラス中がクスクスやるし、カッコ悪いことおびただしい。あれはどう考えても「女大将」と担任の教師による「いじめ」だと思いますね。

6)アメリカとキリスト教


国際基督教大学の森本あんり教授が書いた『現代に語りかけるキリスト教』(日本キリスト教団出版局・900円+税)という本は、私のようにクリスチャンではないけれど、人間のことには好奇心があるという者にとっては思考を刺激(thought-proocative)する本です。面白いと(私が)思った部分をいくつかピックアップしてみると・・・。

アメリカに全体主義が発達しない理由:

キリスト教がヨーロッパからアメリカへ移植された時点で、時の権力と直結して「権威」として存在していたキリスト教にかわって「市民型のキリスト教」が発達するようになったのだそうです。その結果、いろいろなキリスト教の集団が「群雄割拠」というか「共立並存」する状態になった。森本さんによると、アメリカの宗教学者の中には、そのような「群雄割拠」状態は、キリスト教にとって「道徳的退廃」だと考える人もいるのだそうです。それらの集団の多くが、宗教的な信念とか思想などによってよりも、民族・人種・所得層などの違いによって形成されているというのが現状である、ということです。

ただアメリカ流の「群雄割拠」は別の言い方をすると、キリスト教(や宗教全般)を個人の問題として追求している人や集団が沢山あるってことであり、それがボランティアリズムの発達にもつながっている。森本教授は「アメリカの教会は、長らくこれらの自発的な活動のモデルとなってきました」と言っています。教授はまたそのようなアメリカの伝統が全体主義の発達を妨げているとして次のように書いています。これは直接引用した方が分かりやすい。

じつは、そのような自発的結社形成の伝統こそ、ヨーロッパを襲った全体主義や独裁政治がアメリカには広まらなかった所以であると言われています。全体主義と個人のあいだにこのような意見集約のための小集団が介在しないと、個人はアトム化され、無力化されて「大衆」となり、たやすく指導者の心理操作に躍らされるようになるからです。

キリスト教における「群雄割拠」についてKevin Phillipsという人のAMERICAN THEOCRACY(アメリカの神権政治)という本を読んでいたら、アメリカにはプロテスタントのキリスト教の宗派だけで、少なめに見積もっても420は存在するのだそうです。さらにすごいのは聖書。1777年〜1865年のアメリカでは、1800種類の英語版聖書が発行され、現在ではこれが7000種類を超えているのだそうです。

むささびジャーナルの91号で、ジミー・カーター元米大統領の本を紹介しましたが、彼はその中で、アメリカでは国教会を作ることが禁止されていると言っていました。アメリカでは信仰はまさに個人の行為だというわけです。ひょっとすると、アメリカ伝統の「ワシントンン政府嫌い」もこのあたりに理由があるのかもしれない。言うまでもなく、英国には国教会があり、その長は女王ってことになっています。

「理性だけ」が狂気を生む:

森本教授はまた宗教集団と「カルト」の違いについて、カルト宗教の特徴は「何でもない常識や人間としての共感の欠如」にあると言って、チェスタトンという英国の作家による「狂気」論のことを次のように書いています。

ふつうわたしたちは、狂気とは「理性を失う」ことだと考えています。しかしチェスタトンは、狂気とはまさにその反対で「理性だけになる」ことだと言っています。常識や感情やバランス感覚という、理性以外のあらゆるものを削ぎ落として、理性だけになった時、人は例えば教義のために殺人を犯すことを平気で正当化してしまうようになります。

というわけで森本教授(元は牧師さんだったようです)は「危ないカルトの見分け方」として、その集団の中に、長い間その信仰を持ち続けているお年寄りがいるかどうかを判断基準のひとつとしてあげています。なるほど、言えるかもしれない。

  • と、私としては、ここでまた「言葉」にこだわってしまうのですが、チェスタトンという人のいわゆる「理性」って何なのか?ということが気になって仕方ない。「理性的」と「合理的」の違いは何か?何か問題が起こったときに「理性的に処理する」というのと「合理的に解決する」というのはどう違うのか?もちろん違うはずです。後者は人間の感情とか善悪感覚などは入らない「1+1=2」の世界のことですよね。だから企業の「合理化」というのも意味は分かる。
  • しかし「理性的」というのは、人間の感情なども含めて「納得がいく」というような意味であろうと思うのですが、森本さんによると常識や感情やバランス感覚などは「理性以外」のものってことになる。しかもチェスタトンによると、人間、理性だけでは割り切れないってことになる。

Doubt but believe...

ところで英国人の信仰心について、かつて紹介したことがある、私の好きなアンケート調査をもう一度書いておきます。殆ど10年も前に見たアンケートで、問いはDo you believe in God?(あなたは神の存在を信ずるか?)というものでした。答えは11%がNo(積極的無神論)、23%がYes(普通のクリスチャン)、そしてイチバン多かったのが30%で、答えはDoubt but believe...直訳すると「疑うしかし信ずる」で、よく分からない。私の翻訳によると「いないんじゃないかと思うけど・・・やぱし、いるかも」ということになるんですが。いずれにしても、よく言えばバランス感覚があるってことですが、別の言い方をすると「どっちつかず」「ご都合主義」・・・それが英国的ってことかも!?私は嫌いじゃありませんね、それって。

7)短信


色目の男女差

英国の眼鏡チェーンにBuySpecs4Lessという会社がある(らしい)のですが、PA通信によると、この会社が最近行った調査の結果として、英国の男性は平均すると一生の間に約6ヶ月の長きにわたって女性に色目を使うのだそうであります。くだらない?そうですよね、私もアホらしい調査だと思います。が、とにかく1人の男性が女性に色目を使う時間は平均で2分、一日あたり8人の女性にこの種の目つきをするとのこと。これを一生に換算すると6ヶ月ってことになるんだとか。女性の場合、男性に同じような目つきをする時間は平均で90秒なのですが、一日に対象となる男性の数が2人に過ぎない点が男を違う。一生に直すと1ヶ月なんだそうです。

  • 一日8人の女性にその種の目つきをするんですか?1人につき2分・・・。それ、かなり疲れません?調査ではそうやっても女性に気がついてもらえる確率は3人に1人だそうじゃありませんか。一度でいいから女性の色目てえものに遭ってみたい!

全国快眠デー

英国にSleep Councilという組織があるのですが、そこの調査によると女性は男性に比べてかなり寝起きが悪いんだそうですな。13%の女性が起床後、4時間も気分が悪いらしい。ただ男性の数字だって10%なんだから、実はそれほど男女差はないってことになる。それから毎日快眠というのは男の方がが多い。地域別にみるとロンドンの人たちが最も寝起きが悪いことになっているけれど、北東イングランドやヨークシャーでも「毎日快眠」という人は7%だけだった。Sleep Councilは日本語に直すと快眠促進協会ってことになりますが、10月29日に英国のサマータイムが終了するのにあわせて全国規模で「全国快眠デー(National Sleep In Day)」なるキャンペーンを行って、眠りの大切さを訴えたんだそうです。

  • 誰だってよく眠りたいけれど、眠れない時ってあるじゃないですか。昔ある英国人から不眠症の相談を受けたことがある。彼は羊の数を数えたりしていたらしいけれど「日本の知恵は何かないか」とのことであったので、私が自分の妻からもらったアドバイス、つまり「眠れないのは眠たくないからだ。そんなときは眠る必要がない。気にしないで起きていること」をそのまま言ってあげたら、余り納得したような顔はしていなかったな。

微笑み写真でパスポートがもらえない!

英国の40代の夫婦がせっせと金を貯めて、9才と10才の子供と一緒にキプロス島へ観光旅行に行こうと思ったのですが、数日前になって子供たちのパスポートをとっていなかったことに気がついた。慌てて写真をとって書類を提出したのですが、1人の子供(9才)がカメラを見て微笑んでしまい、シャッターを押した瞬間に口をあけてしまったので、顔写真もポカンと口をあけたものになってしまった。それだと英国政府が採用している生物測定技術によるパスポート作成に合わず、カメラが写真を写してくれないんだそうですね。というわけで結局予約した飛行機に間にあわず旅行はキャンセルということになり、3000ポンドの予約が台無しに・・・。

  • 知らなかったな、そんなことあるなんて。まあこのての写真をとるときに笑う人はいないかもしれないけれど。相手が9才の子供ですからね。
8)むささびの鳴き声


▼ 北朝鮮による核実験に関連して、自民党の中川昭一政調会長が、日本の非核3原則の見直しを検討してもいいのではないか、という発言をして問題になっていますね。本人は「非核3原則をやめろなどとこれっぽっちも言っていない」と言っています。安部首相が「日本はこれを堅持する」と言ったと思ったら、麻生外相が「となりの国が核実験までやっているのに、この問題について話をすることもいけないというのはおかしい」というニュアンスのことを言っていました。

▼先日あるラジオの電話によるディスカッション番組を聴いていたら、中川発言をどう思うかということをテーマに議論をしていた。支持・不支持が大体同じ割合だったのですが、支持派は全て核武装そのものについて賛成、不支持派はこれに反対という感じでありました。ひとりだけ「核武装には反対だが、非核3原則について話をすること自体は賛成」という人がおりました。つまりタブーはよくないってことです.

▼ 北朝鮮の核実験以来、メディアの報道を見ていて感じるのは、殆どが「中国の思惑」とか「アメリカの事情」とか「北朝鮮の意図」のような(私からすると)プロ向きの観測・分析記事がやたらと多いってことです。中国や韓国の意図がどうのこうのと言われても、私なんかには「あ、そうなんですか」としか思いようがない。自分に何かできるわけでなし。

▼一億総政治・外交評論家みたいに「アメリカの思惑」だの「中国の出方」なんてこと考えたり、論じたりするより、もっと素朴な疑問を考える番組とか記事企画があってもよろしいんじゃありませんか?北朝鮮がやったから日本も核を持とうという意見の何がどう間違っているのか?それとも正しいのか?非核が何故正しい選択なのか?ひょっとして間違っているのか?北朝鮮の核は悪いがアメリカのそれは許される、という根拠はなんなのか?冷戦は終わったのに、英国やフランスは何が面白くて核なんて持ち続けているのか?などなどなど・・・。

▼ところで中川さんや麻生さんの発言について、評論家とかいう人が、「あれは中国や韓国にプレッシャーを与えるための発言に過ぎない」と解説していましたね。つまり日本にもそのような強硬論者がいること、これを安部さんが抑えていること、来日したライス国務長官も「日本はアメリカが守る」とか言って、日本の核武装論を懸命に押さえようとしていること。これらはこの方々による中国向けの「やらせ」で、中国に対して「北朝鮮を中国が押さえなければ、日本が核武装しますよ」というプレッシャーを与えているんだそうですね。麻生さんや中川さんはその中の役者なのだってわけ。つまり「本気で核武装を言っているのではない」ということだそうです。

▼だからなんだってのさ!?

 

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