musasabi journal
発行:春海二郎・美耶子
第97号 2006年11月12日

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こんにちは。きょう(11月12日)あたり、関東は本当にもう冬のような寒さです。みなさまのところは如何でしょうか?11月も半ばですから、今年も1ヵ月半しか残っていないわけです。でもあと3ヵ月半もすると、春の声が聞えてくる。あっと言う間ですよね。 でも日本人は、このように「あっという間に時が過ぎる」ということを話題にするのが好きな人たちだと思いませんか?私なんか、その典型でしょうね。

目次

1)バイリンガルの子供は伸びる?
2)英国の若者は最悪!?
3)消える田舎の郵便局
4)短信
5)むささびの鳴き声

1)バイリンガルの子供は伸びる?


英国の語学教育機関であるCiltが発表した子供の言語能力に関する報告書によると、バイリンガルの子供は将来の全国テストなどでも好成績を収めるケースが多いとのことであります。

この報告書によると、英国の小学生の8分の1にあたる約85万人の子供たちが、学校では英語を使っていても家庭では違う言語を使っている・・・つまり「外国人」の子弟というわけです。このようなバイリンガルの子供たちの方がモノリンガルの子供より、英語以外の外国語習得がうまいらしい。

日本と比べるとはるかに「国際化」が激しい英国の場合、子供たちも外国語にさらされるケースが多い。例えばロンドンのある小学校の場合、44種類の言語が子供たちによって使われているとのこと。44種類ですよ!ここでは月ごとに「今月の言語」(language of the month)を決めて、生徒たちがさまざまな言語に触れることができるような企画を行っている。

Petergoroughという町の小学校では、イタリア語やパンジャブ語の時間があるし、Cumbriaでは中国語やベンガル語の土曜日クラスがあったり、という具合に、英国の「言語マップ」が変わりつつある、とCiltの報告書は伝えています。英語以外の言語が使われるケースが増えているということです。

英国ではかつて14歳以上の子供について、外国語を必修科目から外したことによって、GCSEやAレベルのテストで外国語をとる若者が激減のだそうで、今回の報告書を受けて、教育省が小中学校における外国語の授業のあり方について見直しすることを決めたのだそうです。

ちなみに英国の公立小中学校で、いま最も数が増えているのがポーランド系の生徒で、最近、教育委員会や学校関係者約200人が、在英ポーランド大使館に集って、ポーランド語の授業について話し合う集会を持ったりしたのだそうです。

  • 日本では「国際競争に勝ち抜くために」ということで、小学校における英語必修化の声が高まっていたと思ったら、安部さんの「美しい国」ブームもあって、文部科学大臣までもが「日本語をきっちり教える方が先だわな」という趣旨の発言をしたりして、「小学校で英語を」というのも雲行きが怪しくなっていますね。
  • ところで、日本の小学校や中学校では、英語以外の外国語の授業をやっているところはあるんでしょうか?ドイツ語とかフランス語などはあると思いますが、韓国語、中国語、ポルトガル語(ブラジル人が使う)などはどうなっているんでしょうか?
  • 私は、英語必修は中学からで十分だし、「美しい日本語」なんて毎日の生活の中で身につくものだと思っています。「遊び」でもいいから、日本で暮らす外国人の数の多い順(多分、韓国語・中国語・ポルトガル語)からそれらの言葉を教えることがあってもよろしいんじゃありませんか?それとも、もうやっているんですか?
2) 英国の若者は最悪!?


英国の公共政策調査研究所(Institute for Public Policy Research:IPPR)という機関の調査によると、英国の若者は行いの点でヨーロッパでは最悪という結果が出ているそうです。例えば15歳の少年について見ると、フランスの場合、夜、友達と遊ぶと答えた若者は17%、同じ質問に対してイングランドの若者は45%、スコットランドは59%。夕飯を「両親と一緒に食べる」という若者は、イタリアでは93%なのに英国では64%。cannabisという麻薬をやったことがある15歳の割合は英国38%、スウェーデン7%、ドイツ27%という具合。

IPPRでは、これらの余り芳しくない数字について、「家庭とコミュニティの崩壊(a collapse in family and community life)」を理由に挙げていますが、別の言い方をすると、英国の場合、若者と大人が一緒にときを過ごすということが少ないということでもある。「英国のティーンエージャーは大人との交流に欠けていることが、人生の失敗に繋がりやすい」(the lack of adult interaction has left British teenagers increasingly vulnerable to failure)と言っています。

一方、同じIPPRの調査として、英国の大人は他のヨーロッパ諸国の大人よりも、若者の反社会的な行動に介入することが少ない(British adults are less likely than those in Europe to intervene when teenagers commit anti-social behaviour)という結果もあるそうです。具体的に言うと「14才の子供たちが集団でバスで乱暴しているのを見たとして、止めに入るか?」という問いに対して、ドイツでは65%、スペインで52%、イタリアで50%の大人が「止めに入る」と答えているのに対して、英国人は34%だとか。

また英国ではイタリアやスペインなどに比べて子供と夜を過ごす大人が少ないらしいですね。大人が酒など飲みながら「社交」を楽しんでいる傍で子供がうろうろしているという風景が英国では見られない。We don't have a culture where adults go out to pubs and bars and bring children with themというわけです。

さらに2005年の調査では、「近所で若者がうろつくので引っ越したい」と思ったことがある英国人が150万人おり、170万人が「若者が怖いので夜間の外出はしない」と答えている。

このように見ていくと、最近の英国の若者は悪いことだらけという感じですが、子供問題を研究しているNPO組織、Barnardo'sのPam Hibbertさんは「メディアや政治家が、若者について悪いイメージを作り上げ、それが大人の間での恐怖を煽る結果になっている(public perceptions created by the media and politicians had bred fear amongst the nation's adults)と言っています。確かにブレア政府は、若者による反社会的行動の取り締りにかなり力を入れ、これをPRしていましたよね。それらが大人と若者の間の壁を作ってしまったってことです。

Hibbertさんによると「過去10年の統計では若者による犯罪件数は横ばいであって増えているというわけではない」として「にもかかわらずメディアや政治家はyob(悪がき)というような言葉を使って若者を悪者扱い(demonisation)して恐怖感を煽っている」と言っています。YouthNetというNPOでも「若い人がいいことをやってもメディアは取りあげないだけだ」と報道の偏りについても文句を言っています。

そのメディアですが、BBCのサイトへの投書コーナーへの「最近の若者」についての書き込みがかなりあるのですが、その多くが若者についての不平・恐怖・違和感を訴えるものが多く、その大半が「親が悪い!」と言っている。もちろん中には冷静なコメントをする人もいます。下記などはその例かもしれない。

長い期間にわたってみれば、今のイングランドは1920〜30年代に比べれば暴力ははるかに少ないし、1920〜30年代だってビクトリア時代に比べれば暴力度は低かったはずだ。それに不健康かもしれないが、国民の寿命が延びたことも事実ではないか。(若者は悪いというのは)実によくあるハナシで、人類始まって以来繰り返されてきたのである。笑ってしまうのは、"暴力を追放するためには暴力的な罰が必要だ"というコメントが多いってこと。
But over the long term England today is far less violent than the 1920 / 1930, which in turn was less violent than Victorian times. Unhealthy and yet people today live longer than ever before. This is a standard story that has been repeated since the beginning of recorded history. And its always amusing to read comments that what we need to do stamp out violence is have violent punishments.

  • この手の「調査結果」は、メディアに出ると、一般化(generalization)と誇張(exaggeration)の対象になってしまうので、本当に気をつけたほうがいい。メディアも悪意でやっているのではない。それどころか「世の中に警鐘を鳴らしておるのだ」などと考えてやっている(だからもっと始末が悪いってこともある)。「悪」はどこにでもいるけれど、「善」もどこにでもいるってことは注目されない。
  • それにしても笑ってしまうのは、若者の問題になると、大人(私もその1人)のいうコトはどこも大して変わらないってこと。「家でのしつけが足りない」「自分の子供でないと、近所の人が若者を叱ることがないのが問題だ」というコメントが非常に多い。
3)消える田舎の郵便局


私は英国で暮らした経験がないので、実感としては分からないのですが、田舎の生活では郵便局(Post Office)がかなり重要な場を占めているんだそうですね。村の郵便局(village post office)はテレビの受信料(英国ではライセンス料)を振り込むところだし、年金を受け取る窓口があるところでもある。もちろん村の行事についての貼り紙もあるというわけで、村の生活の一部でもあった。

が、それらの郵便局のサービスが企業や組織によって使われなくなり、田舎の郵便局がどんどん閉鎖されているとThe Economistの11月2日号(英国版)が伝えています。昔は年金だの障害者補助金のようなものは郵便局で受け取っていたのですが、最近ではこれがインターネットにとって代わられており、BBCもTV視聴ライセンスの販売窓口として郵便局を使わないことになっている。

そうなると郵便局の収入もぐっと少なくなっており、ひところに比べると年間収入が4億ポンドも減少しているという推計もある。郵便局の中にはこれまでのような郵便業務に加えて、クレジットカードや旅行保険、個人ローンなどような業務も行うようになっているのに、収入は大して増えず、昨年などは郵便配達業務で1億1100万ポンドの赤字を出したりしている。

現在英国には約14000の郵便局があるのですが、うち親会社であるPost Office Ltd(政府出資の国有会社)が直接所有しているのはわずか約500件。残りは別の商売をやっている人がオーナーとして下請け契約を結んで郵便業務をやっているらしい。1999年以来、全国の郵便局の5分の1が閉鎖されており、残った郵便局の中でも商業的な意味で採算が立つのは4000程度なのだとか。

いわゆる「田舎の郵便局」(rural post office)に該当するものは約8000。全体の優に5割は超えているにも拘わらず田舎の郵便局からの収入は郵便局全体の収入の10分の1しか上げていない。政府からの補助金は年間全体で1億5000万ポンド、郵便局一軒あたりに振り向けらるのは一軒につき19000ポンドとなっている。

The Economistの記事によると、英国における国民一人当たりの郵便局の数はドイツ、日本、アメリカなどに比べると多いのだそうですが、「閉鎖をすると選挙で投票が集らなくなる」(closing them is bad for votes)ということがあるとのこと。最近ロンドンの首相官邸の前に全国郵便局長さんが集って閉鎖反対のデモを行ったし、400人の国会議員が政府に対して、せめて400万人分の年金の支払いサービスは郵便局で続けるべきだとの要求をしている。が、政府としてはこの契約は2010年で打ち切るつもりだとか。何せ年金の支払いを郵便局を通じて行うと一件あたり1ポンドかかるのに対して、銀行振込みにすると、手数料は1ペンスで済むのだそうです。つまり100分の1。これじゃ勝てっこない。

  • ちなみに日本における郵便局の数は2006年3月末現在で24631局。日本の人口は英国の約2倍だから、英国の14000局というのは確かに多いですね。日本の郵政民営化にあたって、民営化されれば郵便局はいろいろな商売をする自由が得られる、という積極論がありました。この記事によると、英国の郵便局もビジネスの多角化を試しているけれど、イマイチうまく行っていないらしいです。
  • 英国における郵便サービスの向上を目指して、このサービスをウォッチしているNPOにPostwatchという組織がある。このサイトを見ると郵便局の現状がいろいろ報告されていて面白い。ところで、 私、何故か昔から英国の郵便局のロゴマーク(写真)が好きなんです。日本の〒もシンプルでいいけれど、英国のロゴはどこかのどかな感じがしませんか?

 

4)短信


葬式中毒

凝り性にもいろいろあるけれど、ブラジルのBatataisという町に住むLuis Squarisi氏(42才)の場合、葬式に凝ってしまっているというのだから変わってますな。彼が地元テレビ局に語ったところによると、過去20年間、町内で行われるお葬式というお葬式に出席してきた。1983年に父親が死んだときのお葬式が最初のきっかけ。どういうわけか葬式が気になって仕方がない。毎朝起きるとラジオのニュースで誰か前の日に死んだ人がいるかどうかをチェックし、ラジオでニュースがないときは地元の病院や葬儀社を手当たり次第にチェックするのだそうです。「葬式中毒」という声も聞えるけれど、葬儀社としては「あの人は葬式の有名人だから、いまさら止められないだろうし、止められては困る。ウチの客の多くがあの人の出席を期待しているんだから」というわけで、町の葬式の「定番」みたいになっているんだそうです。

  • 好きとはいえ、凝るに事欠いて葬式に凝るこたぁないんじゃない?42才ということは、自分の葬式までにはまだかなり間がある。

トイレの水を流すと国歌が聞える!?

イタリアのBolzano Museum of Modern Artという現代美術館に展覧された「芸術作品」を巡って、イタリア中がもめているんだそうです。作品はトイレの便器なんですが、水を流すとイタリアの国歌が流れるという仕掛けになっているんだそうです。国の象徴を汚すものというわけで押収されてしまい、間もなく裁判が始まるらしいのですが、弁護側は「国歌の価値は愛国心とセンチメンタリズムを助長するという意味で価値はあるが、国の象徴とは言えない」という主張をしているらしいです。

  • うかつにも私はイタリアの国歌を知らないけれど、安部さんが聞いたらビックリするでしょう、この話は。

浮気した奥さんをニワトリ小屋に

ルーマニアのCotu Vamesという村に住む72歳の老人が、自分の奥さん(70歳)を一週間もニワトリ小屋に閉じ込めるという事件があった。奥さんが浮気をしたことに腹を立ててのことらしいのですが、夜中に小屋からヘンな声が聞えることに気がついた近所の人が警察を呼んだことで、奥さんは無事保護された。ダンナの方は監禁と暴行の罪で取り調べを受けているのですが「アイツがオレをだましやがったんだ。浮気なんかしやがって・・・二度と悪事が出来ないように閉じ込めてやったんだ」と息巻いているそうです。

  • ルーマニアのニワトリ小屋ってよほど頑丈にできているんでしょうな。人間が開けられないんだから。でもさ、72と70にもなって浮気騒ぎってのもすごいよね。
5)むささびの鳴き声

▼立花隆さんは、日本では珍しくフリーランスのジャーナリストとして長い間活躍している人です。この人を有名にしたのは、今から30年以上も前に『文藝春秋』に連載した「田中角栄研究」というストーリーでした。田中角栄首相の金脈・人脈をこと細かく取材してレポートしたもので、この記事がもとで田中首相は退陣に追い込まれたともされている。

▼私はこの記事を読んだことがありませんが、その当時、「田中角栄研究」の中身について、新聞の政治記者たちが「あんなこと、皆知っていたよ」と言ってケチをつけたところ「知っていたのなら、何故書かなかったのか?」と逆に批判されてしまった、ということだけは鮮明に憶えています。私の記憶では、報道界の主流とされていた新聞社の記者たちが、非主流とされる雑誌記者の仕事にケチをつけたという雰囲気であったと思います。

▼で、つい最近その立花さんが朝日新聞主催のパネル・ディスカッションに招かれて「ジャーナリズム の復興をめざして」というテーマで話をした。その記録を読んでいたら、朝日新聞の外岡秀俊という人( 東京本社編集局長)が、あの政治記者たちの「あんなこと、皆知っていた」発言について、「(あの記者たちは)は本当は知らなかったんだと思います」とコメントしておりました。

▼外岡さんのそのコメントを読んで、私はというと「なーんだ、そうだったのか」という気持ちになった 。そこに気がつかなかったのですよ。私はてっきり、彼らが知っていたのに、首相に遠慮して記事には しなかったんだとばかり思っていた。多分、当時は私と同じように考えていた人の方が多かったはずで す。然るに外岡さんは30年後のいま「知っているふりをして、実は取材をしていないことが無数にある のではないか」と言っている。

▼「本当は知らなかった」という外岡さんの推測が当たっているとすると、何故その記者たちは「知って いるふり」などをしなければならなかったんでしょうか?考えられるのは、立花さんに出し抜かれたこ とを認めたくなかったので「知っていた」などとウソをついたということですね。

▼その記者たち(外岡さんの先輩にあたる世代の人たちらしい)も苦しかったでしょうね。「知っていた」 とウソをつけば「知っていたのなら書くべきだったはずだ」と言われるし、正直に「知らなかった」と言 えば「お前らの取材の怠慢だ」と責められる。どっちに転んでも、褒められることはない。でもどちら の方が非難がより小さくて済んだかといえば、「立花さんほどには、自分たちは知らなかったなぁ」と素直に言ってしまうことだったでしょうね。

▼では何故、素直に「立花さん、アンタの記事はすごい!私らあんなこと知らんかったわ」と言わなかったのだろう?これは私自身の憶測ですが、あの政治記者たちは、おそらく一流の教育を受けて、一流のマスコミに入社して、一流の政治家と付き合って・・・それまで自分と同じ立場にありながら自分よりもすごい人がいるということは「絶対にあり得ない」と思って過ごしてきた。そのような人が現実に直面して思わず口にしてしまったのが「オレだって知っていたさ」という言葉だったのではないですかね。というのは、そのような境遇で過ごしたことがない人間の思い込みかもね。

▼ちなみにこのディスカッションは、今年の8月9日付けの朝日新聞に掲載されていたようです。私は知 らなかったんですが・・・。で、新聞の方を見てみたら、外岡さんの「本当は知らなかったんだと思います 」というコメントは省かれて、いきなり「知っているふりをして、実は取材をしていないことが無数に あるのではないか」というコメントになっているので、イマイチよく分からない。

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