20年前(2001年)の昨日、あの9.11同時多発テロ事件が起こったのですよね。NHK夜9時のニュースで飛行機がニューヨークのビルに突っ込んで行く様子が生中継されていました。あの事件以前には、イスラム教、テロリズム、アフガニスタンのような名前を意識したことは殆どなかった。あの事件で世界が変わってしまった。あれから20年経って、コロナなどというものに人間がここまで苦しめられるなんて、夢にも考えていませんでした。 |
目次
1)スライドショー:野生たちの「必死」
2)20年目、涙の謝罪
3)あの頃のアメリカ人
4)「真の敵はISだ」
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
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1)MJスライドショー:動物たちの「必死」
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8月27日付のGuardianに "The week in wildlife" という写真特集が出ていました。アザラシ、アカゲザル、ヤマネコ、キツツキ、ペンギンなどなど、実にいろいろな生き物が実にいろいろな表情を見せており、みんながそれぞれ必死に生きているのだという雰囲気が伝わってきます。
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2)20年目、涙の謝罪
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アフガニスタンをめぐる報道で、バーバラ・リー(Barbara Lee)下院議員(カリフォルニア州オークランド選出)について、日本のメディアではどの程度報道されていたんでしたっけ?英国のメディアでは殆ど報道されていなかったと思います。バーバラ・リー議員の行動については、むささびジャーナル474号の『たった独りの反戦票、20年目の執念』という記事で紹介されていますが、簡単に振り返っておくと…。 |
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今から20年前の2001年9月11日に同時多発テロが起こった。国全体が怒りで沸騰状態にあったときに、首謀者とされたオサマ・ビン・ラディンが匿われているアフガニスタンへの爆撃が検討され、その権限をブッシュ大統領に与えようという決議案が議会に提案されたことがあった。テロ事件から3日後、9月14日のことだった。その決議案は、上院では98対0、下院では420対1という圧倒的多数で可決され、ブッシュは国民的な支持のもとにアフガニスタン攻撃を開始することができた。ワシントンにいた上下両院あわせて519人の議員のうち、たった一人この決議案に反対したのがバーバラ・リー議員(カリフォルニア州オークランド選出・民主党・当時55才)だった。
下院における採決に先立って、議員による意見表明(ステートメント)が行われた。リー議員の演説はごく短いもので、ここをクリックすると動画(約2分)で見ることができ、ここをクリックすると文字で読むことができますが、主張の中核と思われる部分で彼女は議員たちに「自制心」(restraint)を訴えながら、次のように言っています。
- Some of us must say, let's step back for a moment. Let's just pause, just
for a minute and think through the implications of our actions today, so
that this does not spiral out of control. 我々のうちの誰かが言わなければならない。「落ち着こうではないか。わずか1分でもいい、立ち止まって自分たちの本日の行動が意味するところを考えよう、そうでないと全てが制御不能という状態に陥ってしまう・・・」と。
彼女はその日、下院における採決に先立って自分の教会に立ち寄っているのですが、そこで牧師が語った言葉を、自分自身のアフガニスタン爆撃反対演説の締めくくりの言葉として使っています。
- As we act, let us not become the evil that we deplore. 行動するにあたって、自分たちが最も忌み嫌っているはずの悪に自分たち自身がならないようにしようではないか。
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あれから20年、バーバラ・リーは相変わらず下院議員を続けており、アメリカのメディアではリー議員のことが「やはり彼女が正しかった」というニュアンスでかなり広範囲に伝えられています。むささび個人が面白いと感じた8月18日付のワシントン・ポストのサイトに出ていた記事を紹介します。見出しは
となっているのですが、むささびが紹介したいのは、2年前の2019年に起こったリー議員とある男性との出会いについてです。
その日、リー下院議員は民主党のカマラ・ハリス上院議員(のちに副大統領)を応援するためにサウス・カロライナ州のある町を訪問していた。サウス・カロライナ州は、アラバマやテネシーのような「南部」の州ではないけれど、昔から黒人に対する人種差別意識の強い州として知られているところです。バ-バラ・リーはリベラルな気風で知られるカリフォルニア選出の黒人議員です。 |
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そのサウス・カロライナのある町をカマラ・ハリス上院議員(女性)と二人で訪問したとき、応援演説の会場付近で、がっしりした身体つきの男がバーバラに近づいてきた。小さな子どもを連れている。彼はカマラ・ハリスよりもバーバラ・リーと話をしたいのだと言う。不安げな表情を隠せないリー議員に対して、その男は、ほぼ20年も前の彼女のアフガニスタン爆撃反対演説について話をしたいのだ、と言う。そして続けて
- What you did, I hated you. But I understand now exactly what that was all
about. I came here because I want to personally apologize and I want my
son to see me apologize you for that. あんたの演説に絡んで、あの当時のあたしはあんたのことが大嫌いだった。でも今になって事情がよく理解できるようになった。で、きょうここへ来たのは、個人的にあんたに謝りたいと思ったこと、それから自分があんたに謝るところを息子に見せたかったからなのさ。
と言う。そのとき彼の眼は涙でいっぱいだった。その男の出会いについてはそれだけです。
ワシントン・ポストの記事によると、リー議員は自分が平和主義者(pacifist)であると考えたことがない。彼女は大学(カリフォルニア大学)で心理学を専攻したのですが、その彼女によると、20年前の9.11テロ事件直後のあの頃は、重大な決定をするのには最悪のタイミングだった。
- We learn in Psychology 101: You don’t make hard decisions when you’re emotional, when you’re feeling fear, anger, pain, anxiety. 心理学入門で教わるのは、自分が感情的な状態にあるとき(つまり怖れ・怒り・苦痛・不安などを抱えている時)は、難しい決定をするものではないということです。
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▼2001年のあの頃のアメリカは、まさに正気な状態ではなかったわけですが、20年後のいま、この男性はサウス・カロライナでバーバラ・リーに涙の謝罪をし、その場面を自分の息子に見せることができた…というわけです。むささびは、ワシントン・ポストの記事のこの部分に感激してしまった。 |
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3)あの頃のアメリカ人
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アメリカの世論調査機関であるPew Researchが、9月2日付のサイトで、20年前の9.11同時多発テロについてアメリカ人が何を想い、何を感じていたのかを詳しく伝える特集記事を掲載しています。
というのが特集企画全体の見出しなのですが、特集記事自体の書き出しは次のようになっています。
- アメリカ人は20年前にニューヨーク、ワシントン、そしてペンシルベニア州シャンクスビルを襲ったテロ攻撃を恐怖の気持ちで見守った。が、20年後の今、アフガニスタンにおけるアメリカの軍事活動が流血と混乱の中で終わりを迎えようとしていることを悲しみの眼差しで見守っている。 Americans watched in horror as the terrorist attacks of Sept. 11, 2001, left nearly 3,000 people dead in New York City, Washington, D.C., and Shanksville, Pennsylvania. Nearly 20 years later, they watched in sorrow as the nation’s military mission in Afghanistan – which began less than a month after 9/11 – came to a bloody and chaotic conclusion.
この特集全部を紹介するのは無理(長すぎる)なので「9.11はアメリカの世論を変えたけれど、その影響は短命に終わった」(9/11 transformed
U.S. public opinion, but many of its impacts were short-lived)という見出しの章だけに絞って紹介します。 |
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あの日に起こったテロ攻撃(とされるもの)が、如何にアメリカ人の心理に大きな影響を与えたかを示すアンケート調査が、今年(2021年)の8月末に行われています。質問は「2001年9月11日のテロが起こったことをニュースで知ったときに自分がどこにいて、何をしていたか(20年後の今も)憶えているか?」というものだった。答えは、現在30才以上(当時10才以上)のアメリカ人の93%が「はっきり憶えている」と答えている(下のグラフ)。
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~2001年9月11日、どこで何をしていたか?~
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上のグラフは20年後(2021年)のアメリカ人が「あの時」(2001年)を振り返って思い起こす「記憶」のことを言っているのですが、では20年前のあの日、自分たちに向けられたテロ攻撃についてアメリカ人は何を感じていたのか?それを示すのが下のアンケートです。正確に言うと、テロそのものよりも「あのテロ事件の報道に接したときに何を感じたのか?」というのが設問だった。ここでいう「報道」は「テレビによる報道」を意味します。あの頃にはインターネットも今ほどには発達していなかった。 |
2001年9月11日にテロ報道に接したときの感情
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上のアンケート調査は9.11テロ直後の9月13日~17日に行われているのですが、一番多かったのが「悲しみ」、ついで「恐怖」が来ています。この「悲しみ」がどのような感情だったのか、もう少し詳細に分析して欲しいですよね。なぜ「恐怖」よりも「悲しみ」を感じたアメリカ人の方が多かったのか?ちょっと不思議なのは、アメリカ人が抱いた感情の中に「怒り」が入っていなかったということです。但しこれはテロ直後の話だからともいえる。テロから3週間後に行われた調査では87%が「怒り」と答えているのですが、これはテロによって引き起こされた心理的なストレスが多少とはいえ柔らいだことが原因ではないかとされている。 |
テロが国家的な問題と考えるアメリカ人の割合
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上のグラフは「9.11」から5年経過した2016年から2020年までの4年間におけるアメリカ人の心の変化を表している。共和党支持者が民主党支持者よりもテロリズムを深刻に受け取っていることは(むささびにも)予想どおりなのですが、両党支持者ともに、2001年からの8年間で深刻さがかなり下がっているというのは興味深い。あの頃の「悲しみ」や「恐怖感」はどこへ行ったのか?と問うてみたい。 |
▼「テロ報道に接したときの感情」についてのアンケートで「怒り」よりも「悲しみ」が先に来ていることを、むささびは「不思議だ」と言いましたが、考えてみると、10年前の東日本大震災のときに津波のテレビ報道に接した日本人が抱いた感情も似たようなものだったのではないか?自然の「暴力」に対する無力感のような感情です。時間が経過すると、あの時の東電や政府の対応に対する怒りのような感情がこみあげてきたりする。むささびの場合は、「メディア報道の在り方」への怒りを感じたりしたものです。9.11テロを(テレビ報道を通じて)眼にした時のアメリカ人の感情も同じようなものだったのかもしれない。 |
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4)「真の敵はISだ」
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ずいぶん昔のことのように思えるけれど、アフガニスタンのカブールでイスラム国(IS)のテロリストと思われる勢力による自爆テロが起きて、大量の死者が出たのは8月26日のことだから、まだひと月も経っていないのですね。今や米軍が撤退して、アフガニスタンは武装勢力・タリバンの支配下に置かれたように見えるけれど、将来どうなるかは全く分からない。そんな中で、あの自爆テロの翌日、8月27日付のドイツの週刊誌
DER SPIEGEL がフランスのニュース・チャネル・France 24のジャーナリストでテロリズム取材の専門家として知られるワシム・ナサー(Wassim
Nasr)とのインタビューを掲載、アフガニスタンにおけるテロリストたちの今後について検討しています。 |
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アフガニスタンの今後はISが握っている
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- DER SPIEGEL: 8月26日、カブール空港で起こったテロ事件によって民間人が少なくとも80人、アメリカ兵が13人死亡している。怖れていたことが現実になったという感じだが…
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Nasr: この攻撃がイスラム国(IS)のアフガニスタン支部のようなグループによる仕業であることは早い段階から言われていた。そして彼ら自身がテロの首謀者であることを認める犯行声明を出している。彼らはIS自爆テロリストだということだ。 |
- DER SPIEGEL: 「早い段階から分かっていた」というが、何故分かっていたと言えるのか?
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タリバンは裏切り者?
Nasr: このような攻撃を行うことに関心を寄せているのが彼らだけだからだ。このような攻撃を仕掛けることによってISは、タリバンが自分たちが制圧したはずの町をコントロールできないでいることが示せるからだ。彼らはタリバンからも距離を置いている。タリバンはこれまでアフガニスタン人たちが飛行機で国外退避のために連れていかれることを許してきた。アフガニスタン国内には「これこそ裏切りではないか」と考える人びとが増えている。単にISの支持者たちだけではない。 |
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- DER SPIEGEL: このテロ攻撃はタリバン新政権にとって何を意味すると思うか?
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Nasr: 8月26日のテロ攻撃によってタリバンは非常に困難な立場に陥ったと言える。タリバンは撤退していくアメリカ軍を攻撃することに興味はなかったはずだ。タリバンはアメリカという世界最強の軍隊を負かして撤退させたのだ。それをさらに米軍に攻撃など仕掛ければ手に入れた成功がすべて水泡に帰する可能性だってある。そんなリスクをとる気はタリバンにはなかった。が、こうなるとタリバンも攻撃に対抗しなければならない。つまりタリバン自身も反テロ戦争をしなければならなくなってしまった。もちろん米軍からの支援は抜きにして、だ。どう考えても複雑極まりない事態だ。 |
- DER SPIEGEL: つまりタリバンにISと戦う能力はない、と?
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タリバンの支配能力
Nasr: ISは長い間タリバンに反対してきた。最近カブールで起こった主なテロ攻撃をしかけたのはISなのだ。アフガニスタンにとって現在の真の脅威はISであってアルカイダなどではない。アメリカ軍はアフガニスタン国内に存在するISの戦闘員にも大規模な攻撃を仕掛けてきた。しかしそれがこれからも続くのだろうか?ドローンだのミサイルだのを使用した攻撃が、だ。今のところそれは誰にも分からない。もう一つ問題がある。タリバンの能力の問題だ。今のところ彼らは自分たちだけでやってはきたもののタリバンの戦闘員の能力は誰にも分からないのだ。もしタリバンが反テロ活動を実施できるとなると、アフガニスタン自体が二分されることになってしまう。その結果、アフガニスタン人の誰も自分たちの政府が存在すると思わなくなってくる。国が二分してしまうのだ。中にはISに加入してさらなる過激化の道を歩む者も出てくるだろう。 |
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- DER SPIEGEL: 今のタリバンと1996年から2001年にかけてアフガニスタンを支配した、あのタリバンとの違いは何か?
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過去の体験から学ぶ
Nasr: 大して違わない。今自分たちが相手にしているのは「新世代のタリバン」などと考えない方がいい。新しいタリバン政権の政治局長であるMullah Abdul Ghani Baradarという人物はパキスタンの牢屋で8年間過ごした経験がある。彼は以前のタリバンのリーダーだったMullah Omarとは親友の間柄だ。グループのナンバー2であるSirajuddin Haqqaniは武闘派として知られるHaqqaniというネットワークに繋がっており、Haqqaniはアルカイダと密接に繋がっている。Khost県の知事に任命されたMohammad Nabi Omariという人物はアメリカのガンタナモ・テロリスト収容所に12年間いたのだが、アメリカ人の捕虜と引き換えに出所してきたのだ。これらの人間はいずれも過去の体験からいろいろと学んだ人間たちだと言える。イデオロギーは変わらないが、振る舞いはかつてよりも政治的・戦略的になっている。 |
- DER SPIEGEL: 20年前の9.11テロのあと、Haqqaniネットワークがアルカイダの指導者をパキスタンのワジリスタン(Waziristan)というところにかくまったわけだが、20年後の今、アフガニスタンが再びアルカイダにとっての「天国」になる可能性はあるのか?
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Nasr: アルカイダがアフガニスタンに居るようになってから長い。ただ、アルカイダがアフガニスタンを基地にして欧米を攻撃する計画を練るなどということをタリバンが許すだろうか?考えられない。理由は簡単だ。あの9.11テロは当時のタリバン政権がやろうとしていたことを台無しにしてしまったのだから。 |
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国際社会の認知を求める
Nasr: タリバン政権が求めているのは自分たちの存在が政治的に認知される(politically recognized)ことなのだ。同政権は国連や他の国の代表も受け入れていた。それをすべて台無しにしたのがアルカイダなのだ。20年前だって、9.11テロはほぼ全てハンブルグ(ドイツ)とアメリカで準備されたのだし、オサマ・ビン・ラディンはアフガニスタンで暮らしていただけなのだ。いずれにしても現在のアルカイダには20年前の9.11テロのような攻撃はできない。余りにも弱体化しすぎている。 |
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- DER SPIEGEL: しかしアフガニスタンにはもうアメリカによる監視体制というものがないのだから、アルカイダは自由に行動できるのでは?
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Nasr: そのとおりだ。アルカイダにはアメリカによる監視の目は光っていない。そのことがアルカイダの強化に繋がるものだろうか?答えはイエスだ。しかしアフガニスタンにはもうヨーロッパ出身の「外国人闘士」のためのトレーニングキャンプなども存在しない。2001年以前にはそれがあった。しかしそれは過去のモデルだ。今のヨーロッパのテロリストたちは訓練など必要としない。いずれにしてもアフガニスタンのタリバン政権はアルカイダを抑え込むことができる、と私は思っている。 |
- DER SPIEGEL: つまりアルカイダはもはや脅威ではない、と。しかしISはアルカイダ以上に危険なのでは?
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国民自身が見守っている
Nasr: アルカイダもISも、アメリカのアフガニスタンからの撤退を待って自分たちの力を強化するだろう。しかし重要なのは次の点だ。即ち新しいタリバン政権がどのような方向に進むのかが未だ分からないということ。政府のポストに女性を保持したりするか?女子は学校へ通うことを許されるようになるか?国内のシーア派による宗教活動は許されるようになるか?今の段階では誰にも分からないのだ。そして世界中がアフガニスタンを見守っているのだ。見守っているのは外国だけではない。アフガニスタン人自身も自分たちの国を見守っていると言えるのだ。タリバン政権の新路線が国民に受け入れられないとなると、再びISのような外国テロリストたちの出番ということになってしまい、それが国内紛争を呼びさますことに繋がってしまう。 |
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▼つまり、この「テロ専門家」によると、タリバンは "least bad" ということなのでしょうか?このフランスの「テロ専門家」の感覚は、アフガニスタンで暮らす人間の視点のようなものが欠けてしまっているような気がする。アフガニスタンといえば、2019年に現地で銃撃されて亡くなった中村哲さん(上の写真)のことは忘れられないですよね。彼が主宰していた「ペシャワール会」のサイトを見ると、アフガニスタンの復興に直接関わっている人びとの眼から見たアフガニスタンのこれからが詳しく説明されているのが分かります。
▼中村さんはまた2016年に日本記者クラブで昼食会+講演会を行っているのですが、講演の中で2001年のアメリカによるアフガン空爆にも触れ「ピンポイント爆撃と説明していたが、あれは無差別爆撃。日本の人々はサッカー観戦でもするようにテレビにかじりついていた」と語っていたのだそうです。彼はまたIS(イスラム国)の今後や、日本の果たすべき役割についても言及し「日本はイスラムと欧州の対立構図にはのみ込まれないでほしい」と警鐘を鳴らした、と講演会に参加した記者が語っています。 |
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5)どうでも英和辞書
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hazmat suit:化学防護服
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BBCのサイト(9月9日)が殆どトップニュース扱いで報じたのが
という見出しのニュースだった。北朝鮮に関するニュースなのですが、"hazmat" って何だろう?と思ったら案外簡単に謎が解けました。"hazardous
materials" の略語なんだ!"hazmat suits"は、危険物を取り扱うときに身につける防護服のこと。北朝鮮の建国73周年のパレードが9月9日の午前(夜中)零時に行われたのですが、「民間・安全武力閲兵式」という呼び名で行われ、ミサイルだの戦車のような軍事関連のデモンストレーションはなかった(と産経新聞の記事が伝えています)。
産経新聞はこの夜中のパレードについて「新型コロナウイルス禍の下でも人員を動員できることを内外にアピールし、経済難に伴う閉塞感を打ち消す狙いとみられる」とも言っています。BBCのサイトには金正恩・朝鮮労働党総書記がにこやかに笑いながら子供と手をつないで歩く写真(ロイター発)が掲載されているのですが、彼も子どもも周囲にいる人たちも全くマスクをしていなかった。 |
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6)むささびの鳴き声
▼何とはなしにインターネットを漁っていたら、哲学者の出口康夫(1962年生まれ・59才)という人の書いた『「できること」から「できなさ」へ』というエッセイにお目にかかりました。書き出しは次のようになっていた。
- 人間とは何だろうか。それを失えば人が人でなくなる、人の本質とは何か。
▼むささびは、最初からそのエッセイに魅かれたのではなく、それをネットで紹介した福留敬という人の<「Can do」(人間の能力)論への疑問>の文章が面白かったので、読んで行ったら出口康夫さんのエッセイに行き着いたというわけです。紹介者によると、出口さんの文章は「共生社会を考えるうえでもとても素晴らしいエッセイだ」とのことです。
▼出口さんのエッセイのテーマは『「人間の本質」って何?』という、如何にも哲学者らしいものです。「人間の本質」というのを別の言葉で言うと、それを失うと人間が人間でなくなる、「人間であることの条件」ということになる。「人間の本質」って何?という問いに対する「唯一の正解」というのはないけれど、出口さんによると、人間社会ではヨーロッパに昔から伝えられてきた「一つの答え」があたかも唯一の正解であるかのように幅を利かせている、と。
- それは人間を様々な能力ないしはできることの束と捉え、その中から一つを選んで、それを人間の本質とするという考えだ。
▼いまいち分かりにくい文章ですが、要するに人間であることの条件を「何が出来るか:Can-do」という視点で考えるということのようです。話す・書く・走る・歩く・食べるetc、人間、実にいろいろなことができる。出口さんによると、無数の「できること」のうち、ある人は、言葉や数を操る能力、つまり考える力としての知性を重視して、そこに人間の本質を見る。それに対して、人間の本質は、むしろ「他人に心を寄せる共感力や感受性」にあると考える人もいる。「話す・書く」だろうが「共感力」だろうが、「できる」ことには違いないし、「できる」ことは(大体において)素晴らしい。それでも哲学者の出口さんはあえて問いかけます。
- 「できること」を失えば本当に人は人でなくなるのだろうか?
▼もちろん答えはノーですよね。数学や英語ができないからと言って「人間失格」にはならない、喋ることや走ることがダメな人間もいるし、他人の心を読むのが苦手な人もいる。でも、それぞれが人間であることに変わりはない。そう考えると「できること=人間であることの条件」とは言えない。出口さんは、人間の本質を示すものとして「出来る」に代わる答えがあるのではないか?と言っている。そしてその答えは「出来ないこと」(Can't do)にあるのでは?と。人間の本質は「出来ないこと」にある…どういう意味!?
▼人間、出来ることもいろいろあるけど「出来ない」こともわんさと抱えて生きている。「一人では何も出来ない」「空気や食べ物がなければ一日たりとも生きていけない」…つまり(出口さんによると)「無数の人々、生物、無生物の支えがなければ、僕らは生きていけないのだ」ということです。出口さんは、ここで何故か宮沢賢治が『雨ニモマケズ』の中で謳っている言葉を紹介している。
- ミンナニデクノボートヨバレ
- ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハナリタイ
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▼人間は多くのことを「出来る」けれど、「出来なさ」と「自分以外のものに支えられて在る」ことから逃れることは出来ない、と出口さんは考えており、「それを失えば人が人でなくなる、人の本質とは何か」という問いかけに対しては次のように言っている。
- もし僕らがそれらを失なったら (神になるのか超人になるのかは分からないが)人間でなくなることは確かだろう。すると、「できなさ」こそが人の本質なのではないか。僕はそう考えている。
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▼人間性というものを極端に悪者扱いするのは、むささびの趣味ではないけれど、コロナとか気候変動など、人間の世界で起こっている「人間にはどうにもならない」と思われる現象を見ていると、欧米を発祥の地とする人間性についての「Can do」的な態度にもついていけないものを感じる。褒められることもないけれど、苦にされることもない存在、宮沢賢治が「なりたい」と想ったのはそんな人間だった。あるサイトを見ていたら、戸澤宗充という尼僧が宮沢賢治の言葉について「人からどう思われようと、使命を全うするためにひたむきに歩む。そういう人になりたい」という意味であると解釈している、と出ていました。
▼ダラダラと失礼しました。自分でも何を書いているのか、分からなくなってしまった!9月もすでに半ば、お元気で! |
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