まあ、とにかくいろいろなことが起こるものですね。安倍晋三氏に起こったことを「政治テロ」と呼ぶのか単なる「殺人」と呼ぶのかはともかくとして「まさか」の事件であったことは間違いありません。英国の保守党党首・首相が退いて次なる党首(首相)を選ぶ運動が熱を帯びているけれど、首相が辞めることになった理由の一つが、彼の政治的な仲間とも言われた人物が、お酒の席で他の政治家二人のおしりを触ったということ。これも「まさか」だった。(そのこととは全く関係ありませんが)本日(7月17日)埼玉県の山奥でヒグラシの声を聴きました。今年初めてで、嬉しかったなぁ! |
目次
1)スライドショー:モノクロ写真は「心」を写す
2)安倍「殺害」への戸惑い
3)シンゾーがプーチンを語ると
4)「民主主義ロシア」はロシア人の手で
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
7)俳句
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1)スライドショー:モノクロ写真は「心」を写す
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トム・シュトダート(Tom Stoddart)は、1953年、イングランドのノーザンバランド生まれのフォトジャーナリストで、昨年(2021年)惜しくも亡くなっています。主なる活動の場がサラエボ、ドイツ、レバノンのような東欧・中欧・中東だったので、日本ではあまり知られていないかもしれないけれど、大体において戦場となった国で生きている人びとの表情を捉えた作品が多い。昔、フランスの有名な写真家にアンリ・カーターブレッソン(Henri Cartier-Bresson:1908 - 2004)という人がいたけれど、シュトダートにとっては憧れの存在であったそうです。
トム・シュトダートの作品はどれもがモノクロなのですが、そのことについて彼が好んで引用するのが、あるカナダ人カメラマンの次のような言葉だそうです。
- カラーで写真を撮ると被写体の着ているものをカラーで見ることができるけれど、モノクロで撮影すると被写体の心が撮れる。 If you photograph
in colour, you see the colour of their clothes, but if you photograph in
black and white, you see the colour of their soul.
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2)安倍「殺害」への戸惑い
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7月10日付のThe Economist誌のサイトのアジアのニュース・セクションのトップに安倍晋三元首相の殺害に関する記事が掲載されています。見出しは
- A senseless murder, a landslide election in Japan 日本におけるバカげた殺人と一方的勝利に終わった選挙
となっているのですが、記事の狙いは、今後の日本の政治について語ることのようです。イントロは
- Abe Shinzo’s policies will live on, but may be enacted more slowly 安倍晋三の政策は今後も続くであろうが、実施はより緩やかになされるかもしれない
となっているのですが、要するに日本が追求する政策自体は「安倍路線」で変わらないのでは?と言っている。 |
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この記事によると、日本は事件が起こった数時間後は国全体がよろよろ(reeled)とふらつき気味だったけれど、二日もするとショックも引き気味となり、東京の安倍家の付近に集まっていた群衆も去り始めたし、奈良の事件現場には献花に訪れる人がたくさんいたけれど、それも間もなく静まり、日本全体が参議院選挙の話題で一杯になった…とのことであります。
この事件を戦前の日本に起こった5・15事件のような政治テロと類似していることを指摘する向きもあったけれど、東大の藤原帰一教授のように、地下鉄で異常な人間が暴れたのと同じような感覚(普通の「事件」)で見ている人間が多かった。メディアでもこの事件を政治的な意味合いで語る雰囲気は薄く、見出しに「暗殺」(assassination)という言葉を使った新聞はどこもなかった、と。 |
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とはいえ、The Economistによると、安倍氏の死去が日本の政治構図を変えてしまう可能性が全くないわけではない。現在の日本のリーダーは岸田首相ではあるけれど、安倍氏は自民党の最大派閥のリーダーであり、彼の残した影響力は大きい。安倍氏がいなくなった後、岸田政権が以前以上に右傾化する可能性もある。The Economistの記事は、日本の政治に通じているとされる人間を何人か登場させている。
- コロンビア大学ジェラルド・カーチス教授:問題はこの事件が日本の政治史に残るような転換点となるのか、それとも単なる事件で終わってしまうかだ。
- マサチューセッツ工科大学リチャード・サミュエル教授:今回の選挙結果からすると、安倍氏の悲願であった憲法改正が実現する可能性がより大きくなった。
- アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長・船橋洋一氏: 日本の戦略的選択として残されているのは「現状のまま」(stay the course)しかない。そのことは岸田首相のグループも分かっているはず。
- ジャーナリスト・谷口智彦氏: 岸田・日本は結局は「ダイナミックよりも用心深い日本」(less dynamic, more cautious Japan)になってしまうだろうという声もあるが、そのような贅沢は許されないかもしれない。
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▼この記事は「日本の新聞では"assassination"(暗殺)という言葉は使われていない」と言っているけれど、事故直後のBBCのサイトは "Japan's ex-leader Shinzo Abe assassinated while giving speech" と伝えています。当然でしょうね。
▼普段は殆どなにも起こらない日本という国で、あろうことか「元」とはいえ、首相が撃たれて死んだのだからどの外国メディアも大きな扱いになるのは自然なことだと思うけれど、あの人が殺されたからと言って、日本人や世界の人びとにとってそれほど深刻な影響がないというのも事実なのではありません?昔、社会党の浅沼稲次郎が右翼青年に刺殺されときにむささびが心底感じたテロリストに対する「怒り」の感覚はない。申し訳ないけれど、シンゾーの祖父さんの岸信介氏が右翼男に太ももを刺された際にも、むささびは殆ど何も感じなかったのよね。 |
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3)シンゾーがプーチンを語ると
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「力」の信奉者 自国民には逆らえない? ロシアは中国の弟分? |
上に載せた『安倍「殺害」への戸惑い』の記事とは別に5月26日付のThe Economistのサイトが "Abe Shinzo in his own words" という見出しの記事を掲載しています。読んで字のごとくで、彼との単独インタビューを通じて、安倍氏の思想を探り出そうと試みたものです。かなり長いものなので、ここでは彼が「プーチン」について語った部分のみを抽出して紹介します。 |
- The Economist: あなたはプーチンと27回も会っている。彼と交渉する場合、あなたならどのようなアドバイスを提供しますか?
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「力」の信奉者
安倍晋三:現在の状況ではあまり多くの選択肢はあり得ない。プーチンの性格についてはいろいろな分析があると思うけれど、彼は「力」を信奉する現実主義者であると言える。理想を追い求めたり、理想のために自分を犠牲にするような人間ではない。
ロシアがウクライナを包囲してはいるけれど、侵攻が始まっていないという状態なら戦争を避けることは可能だったかもしれない。またウクライナのゼレンスキー大統領にNATOには加盟しないことを約束させることもできたかもしれないし、彼がウクライナ東部2県に自治権を与えることも可能だったかもしれない。ただ彼にとっては後者は困難だったと思う。アメリカの大統領ならできたかもしれないが。ゼレンスキーは東部2県に自治権を与えることは拒否しただろう。
しかし今の状況を考慮すると、我々にとって唯一可能なのはウクライナの側に立って、ロシアの侵略に対して全面的に反対していくことだ。それこそが第二次世界大戦後に我々が築いてきた国際秩序を守る方法なのだから。 |
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- あなたはこれほど多くの政治資本や時間をプーチンとともに費やしたことを後悔していませんか?
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自国民には逆らえない?
安倍:全く後悔はしていない。北における脅威(対北朝鮮・ロシアという意味か?)を小さくすることで軍事力の重点を南西方面に置く必要があったのだ。(対ロシアの)平和条約を締結し、北方4島の問題を解決するための交渉を進めることが必要だった。北方領土の日本への返還は圧倒的多数のロシア人が反対している。そのような状況下では権力構造がしっかり安定していないようなリーダーでは四島問題の解決はできない。その意味ではプーチンは日本にとっては適切なリーダーであると言えた。中長期的に考えて、日本とは平和条約を結んでおいた方が(ロシアにとって)利益になると考えていたはずだ。
私とプーチンは、シンガポール(2018年6月)とブエノスアイレス(同11月)での会談においては同意に達したのだ。しかしプーチンがロシア国内で独裁的な権力を持ってはいなかったということだ。つまり彼には何から何まで自分の思い通りに決めるような力はなかった。だから(日本との交渉についても)国内における根強い反対意見に直面して躊躇してしまったということだ。平和条約であれ、領土問題であれ、日本との交渉に賛成の人間は彼以外には皆無だったのだ。あの頃にはプーチンへの国民的な支持率も低下の一途を辿っていた。 |
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- ロシアと中国の関係をどのように見ていますか?彼ら(中露)は「限りなき友情」(friendship with no limits)であると言っています。あなたの眼にはどのように映りますか?
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ロシアは中国の弟分?
安倍: 中国もロシアも戦後(第二次大戦後)確立された秩序への挑戦者となりつつある。ここ数年、両国はインド・太平洋地域でも地中海地域でも共同軍事訓練を実施している。昨年には日本列島を一回りするような形で海軍の訓練も行っている。それらのことを考えて、私は中露のパートナーシップ関係が破綻することを願っていた。経済力という意味では、中国の方が明らかに(日本にとっての)関心事だ。現在の状況からすると、ロシアはこれから力を失って中国にとっては「弟分」(junior
partner)のような存在になっていく可能性が高い。 |
▼この発言を読んでいると、シンゾーとプーチンの間の共通性のようなものを感じてしまう。シンゾーによると、プーチンは「理想を追い求めたり、理想のために自分を犠牲にするような人間ではない」とのこと。つまり<「力」を信奉する現実主義者>とのことですが、シンゾーは「忖度」だけが幅をきかせる「政治」という世界以外のことは知らずに生きたのですよね。両方に共通しているのは「理想を追い求めたり、理想のために自分を犠牲にするような人間ではない」ということ。換言すると「人間」のことを考えるのが苦手な人間であるということです。そのくせ「政治」という人間以外には何も相手にならない世界で生きている…。 |
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4) 「民主主義ロシア」はロシア人の手で
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プーチンが現在のウクライナ戦争を始めて約1か月後、3月28日付のGuardianが、"Opinion" の欄に
という見出しのエッセイを載せています。 |
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書いたのはロシア出身スイス在住の作家で、ミハイル・パーヴロヴィチ・シーシキンという人。1961年生まれだから年齢は61才。"Opinion"欄に掲載された記事だから、ウクライナ戦争とプーチン政権についての彼自身の意見を述べているもので、次のような文章で始まっています。
- 新しくて民主的なロシアは、国民的な精神の入れ替えをしない限り不可能なのであり、もう一つ、国家としての罪を認めることも必要不可欠であると言える。A
new, democratic Russia is impossible without a change of national mindset
– and an acknowledgment of national guilt
全部を載せるには少し長すぎるので、むささびの独断で面白いと思う部分のみ取り出して紹介します。 |
ロシアに民主主義を求める
ミハイル・シーシキン
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ロシアのテレビでは、ロシア軍の爆撃によって破壊されたウクライナの町や子供の遺体が放映されることはない。この戦争に反対して抗議する勇気のある若者たちは、ぶん殴られて逮捕されてしまう。その間ほとんどのロシア人は黙ったままだ。大規模な抗議活動もストライキもない。自分と同じ国の市民たちの多くがウクライナに対する戦争を支持しているのを眼にすると私自身の心が痛む。彼らはローマ字の「Z」を自宅の窓や車の窓に張ることによって支持の気持ちを表している。
「自国を悪く言うな」
最近のロシアのテレビに最も頻繁に出演するのはセルゲイ・ボドロフ(Sergei Bodrov)という映画俳優で、ロシア人の間ではカルト的な存在になっている。そのボドロフは次のように言っている。
- 戦争状態にあっては、間違っても自分の国を悪く言ってはならない。たとえ戦争において自分の国が誤っているとしても、自国の悪口だけは言ってはならない。During a war one cannot speak poorly of one’s own. Even if they’re wrong. Even if your country is wrong during the war, you shouldn’t talk poorly about it.
そしてロシア人たちは正に彼の言うとおりにしているのだ。たとえロシア兵が撃っているのがウクライナ人だったとしても、だ。 |
セルゲイ・ボドロフ |
「革命」の置き去りに
いま、殆どのロシア人が世界中で進行中の「革命」から隔離された状態におかれている。それは人類史上最も重要な「革命」である。即ち集団主義的な思想に代わって個人主義的な発想を重要視しようとする「革命」である。何千年もの間、人間は自分が属している部族と自分を同一視する(identify)ことで存在してきており、部族のリーダー(「チーフ」「カーン」「ツアー」など)に依存しながら存在してきた。それがこの数百年の間にそれとは全く異なる社会秩序が登場してきた。即ち「個人は自由だ」という社会秩序である。「我ら人民(We, the people)」という言葉で始まる有名な文書(1787年アメリカ合衆国憲法)が登場する以前に、そのような人間の尊厳を認めようとする人間の登場が必要だった。
文明の発達におけるこのようなギャップは未だに埋まってはいない。それが私の故郷・ロシアのドラマなのだ。私と同国人の中のごく少数の人間は民主主義社会の生活を受け容れようとしている。しかし圧倒的多数のロシア人は相変わらず権力者の前では頭を下げるし、先祖伝来の習慣を受け容れようとしている。 |
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自己中心の発想を
これからの何世代にもわたって「自分を中心に考える」(thinking for themselves)態度が世の中から追放されることになると、残されるのは、黙って権力へ従属することに満足を見出すということになる。しかし、もしそのような姿勢が生き残るための唯一のものなのだとしたら、彼らを責めることはできるだろうか?それにしても今現在、そのような状態に黙っていられない人間たちはどこで生きればいいのか?刑務所入りもしくは外国へ逃亡すること、それしかない。 |
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このあと筆者が繰り返し自問するのは、ロシアにおける民主主義的な社会秩序の構築の試みが失敗に帰してしまう理由についてであり
ニワトリが先か、タマゴが先か
独裁制と独裁者があるから、奴隷のような人間が生まれてしまうのか、奴隷のような人間の存在が独裁制と独裁者を生み出すのか?鶏が先か、卵が先か(The
chicken and the egg)という悪循環を如何にして破るのか?どうすれば新しいロシアが生まれるのか?Do a dictatorship
and a dictator give birth to a slave population or does a slave population
give birth to a dictatorship and a dictator? The chicken and the egg. How
can this vicious circle be broken? How can a new Russia begin? |
と問うている。そしてシーシキンの記事は次のような文章で終わっている。
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プーチンは「症状」にすぎない
社会が生まれ変わるというのは、長くて苦痛に満ちたことではあるけれど、ロシアが前進するためにはそれが唯一の道であると言える。その過程において、国際社会による制裁、貧困、仲間外れのような現象が付きまとうであろうが、それは必ずしも「最悪」という事態ではない。それ以上に悪いのは、ロシア国民による内面的な生まれ変わりが起こらないということなのだ。プーチンは外部に表れる「症状」ではあるけれど、「病」そのものではないのだ。 A
long, painful rebirth is the only way forward for Russia. And all these
sanctions, the poverty, and the international outcasting will not be the
worst thing we encounter along the way. It will be more terrible when there
is no inner rebirth for the Russian people. Putin is a symptom, not the
disease. |
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▼7月5日付の朝日新聞のサイトが、シーシキンによる『プーチンは皇帝か』という寄稿文を掲載しており、大いに読みでがあります。非常に長い文章ですが、現代のロシアにおける「進歩的インテリ」(悪い意味で言っているのではない)の主張するところをかなりちゃんと知ることができると思います。その中で次のように書いてある部分があります。
- 国民は今でもスターリンを愛し、アフガニスタン戦争にも西側との冷戦にも負けたゴルバチョフを軽蔑している。
▼ウクライナ戦争の関連記事を読んでいて痛切に感じるのは、ゴルバチョフらが推進しようとした「民主主義的な社会主義」が普通のロシア人たちにとっては全く縁のないものだったのだということです。レーニンやスターリンが推進した国際社会主義は「アメリカに対抗するだけの力を有している限りにおいてのみ」自分たちの誇りでもあったということです。 |
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5)どうでも英和辞書
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A-Zの総合索引はこちら |
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state funerals: 国葬
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ウィキペディア情報ですが、英国では「国葬」というと普通は君主(monarchs)に限られるのだそうで、「最近」の例としては70年前(1952年)のジョージ6世の葬儀があるとのことです。ただ例外として王室と議会の承認を得て行われる国葬に準ずるものもあり、1965年のウィンストン・チャーチル(首相)の葬儀がそれにあたるとのことです。
国葬と似て非なるものとして(英国では)"ceremonial funerals" というのがある。”state funerals"
と異なるのは国費を使わずに行うもので、議会の承認を必要とすることもない。が、ちょっと目には国葬と同じくらいの規模と注目度がある。最近の例としてはダイアナ妃(1997年)、エリザベス皇太后(2002年)、マーガレット・サッチャー(2013年)、エジンバラ公(2021年)らがある。現女王の夫君であったエジンバラ公については、国葬という案もあったのですが、「大げさな儀式は止めてくれ」(no
fuss funeral)という生前の本人の意向に従ったのだそうです。
安倍元首相の葬儀は国葬なのですよね。正気の沙汰とは思えない…と思っていたら、昨日(7月16日)のメディアに、鳩山由紀夫元首相(75)がこれに反対する旨の意思表示(ツイッター)を行ったと出ていました。当然です、そんなこと! |
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6)むささびの鳴き声
▼奈良で起こった安倍晋三殺害事件について、事件後2日目(7月10日付)に記事にしたThe Economistのサイトは、この事件を表現して "senseless
murder" という言葉を使っていますよね。むささびはこれを「バカげた殺人」という日本語に置き換えました。実は "senseless"
という言葉を日本語に変えるのは初めてだったので、辞書で調べたら次のような説明が出ていました。
- not at all reasonable, or with no good or useful purpose
▼「バカげた」という言葉は "senseless" という英語の和訳としては最善ではないかもしれないけれど、意味としては合っていますよね。あの事件が起こった直後のこと、編集者のアタマに浮かんだのが
"senseless murder" という言葉だったのでしょうね。たまたま殺されたのが「元首相」などという人間だったから、自分たちも含めたメディアは大騒ぎをしているけれど、実際には単なる「事件」だった、と。その意味では、前号で紹介したRFケネディ(大統領候補)の暗殺の方がはるかに重大事件だったのですが、安倍殺害については、日本はもちろんのこと英米メディアも含めた国際メディアまでもが大騒ぎで報道していました。
▼で、今にして思うと7月10日付のThe Economistの記事にはもう一つ注目すべきポイントがありましたね。それは次の部分です。
- Some Japanese media reported that Mr Yamagami’s family had been embroiled with the Unification Church, a religious group whose support Mr Abe has courted in the past. 日本の数社のメディアは<山上徹也容疑者の家族が「統一教会」とのもめごとに巻き込まれていた>と報じている。統一教会は以前に安倍氏が支持を得ていた宗教団体である。
▼日本のテレビ・新聞・ラジオなどの主なるメディアは事件後かなりの期間、”特定の宗教団体” という表現を使っていましたよね。"Unification Church" という言葉を使ったのはThe Economistが最初ではなくて、日本の主流とはいえないメディアが使っていたので、それを引用したにすぎない。それにしても「統一教会」という呼称が登場するまでにはずいぶん長い時間がかかりましたよね。
▼むささび自身はジャーナリストの世界で暮らした経験は殆どないけれど、 「統一教会」と言えば分かるものを「特定の宗教団体」などという言葉を使うことで、読者や視聴者がどれほどイラつくかが分かっていないのかな?「特定の宗教団体」という表現にこだわったのは、おそらくメディア業界の中の約束事を守ったに過ぎないということなのでしょうね。その「約束事」には必ずお役所が絡んでいる、と。
▼このところ埼玉県は大雨つづきです。結局「梅雨明け」なんてなかったのかな?それとヨーロッパの方は暑いらしいですね。だらだらと失礼しました。お元気で! |
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