musasabi journal

2003 2004 2005 2006 2007 2008
2009 2010 2011 2012 2013 2014
 2015 2016 2017  2018 2019  2020 
2021 2022  2023  

front cover articles UK Finland Green Alliance
美耶子の言い分 美耶子のK9研究 前澤猛句集
 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
532号 2023/7/16

今号の「スライドショー」は世界の景観写真なのですが、上の表紙写真もその中の一枚です。撮影したのは中東の女性写真家のようなのですが、正確な名前も景色の舞台の名前も分かりません。それにしてもドラマチックな景色だなぁ…!

目次
1)スライドショー:「地球の形」を観る
2)再掲載:新聞の危機は社会の危機ではない?
3)再掲載:フランスの暴動と英国人
4)同性結婚と英国人
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
7)俳句

1)スライドショー: 「地球の形」を観る

むささびが暮らしている埼玉県の町からは、ごく稀にですが富士山の姿を見ることができます。ほとほと感心してしまうほど劇的な姿です。と思ってインターネットの世界を歩いてみたら実にいろいろありました。景観という日本語を英語に直すと"landscape" かな?あちらの辞書には "a large area of land, especially in relation to its appearance" と説明されている。最後の言葉(appearance)がカギを握っている。

back to top

2)再掲載: 新聞の危機は社会の危機ではない?

17年前の2006年、むささびジャーナル92号が、インターネットの時代にあって紙媒体としての新聞が危ぶまれているという趣旨の記事を紹介しています。記事を掲載したのは、The Economistなのですが、現在のようなスマホだのSNS全盛の時代ではあったけれど、それでも紙媒体としての生き残りには厳しいものがあったはずです。むささび自身、自宅では紙の新聞を購読していましたからね。

再掲載:新聞メディアのこれから
新聞の危機は社会の危機ではない?


むささびジャーナル92号 2006年9月3日


私自身は新聞社に勤めたことはあっても「記者」をしたことはない。けれど広報という仕事を通じて新聞とはお付き合いしてきたし、今でも日本記者クラブという職場でお世話になる中で新聞とは付き合っています。またインターネット時代の現在、紙媒体としての新聞が危機的状況にあることはそれなりに承知はしており、2006年8月26日付けのThe Economistが社説欄に掲載した "Who killed the newspapers?" というタイトルの記事には関心がありました。「誰が新聞を殺したのか?」というわけですが、イントロは次のようになっている。
  • The most useful bit of the media is disappearing. A cause for concern, but not for panic. メディアの中でも最も役に立つ分野のもの(新聞のこと)が消滅しつつある。それは憂慮すべきことではあるが、パニックというほどのことではない。


フィリップ・マイヤー(Philip Meyer)というアメリカの学者(ノースカロライナ大学)の計算によると、2043年の1月と3月の間のどこかで、アメリカにおける紙媒体としての新聞がついに死に絶える日が来るのだそうです。この人の計算が当たるかどうかはともかく、ニュースをネットで読むという最近の若い人たちの傾向は誰にも否定できない。15~24才の英国人を調査したところ、ひとたびニュースをネットで読み始めると、全国紙を読むのに費やす時間が30%少なくなるという結果が出ています。

読者が少なくなれば、当然新聞広告のスペースを買う企業も減ってくる。スイスやオランダの新聞では、いわゆるclassified ads(就職情報などが載っている小さめの広告)の半分がネットにとられてしまっているというのが現状なのだそうです。

The Economistによると、このような現実を無視し続けてきた新聞業界も、最近になってようやく変わり始めたとのこと。どう変わり始めたのかというと、従来の「ジャーナリズム」よりもライフスタイルとかエンターテイメントのような、読者に身近な記事を数多く掲載するようになったのだそうです。The Economistのいう「ジャーナリズム」とは、政治、経済、国際情勢のような記事のことを指していますが、これらの記事が少なくなっているということは、新聞の「公共的役割」(public role)が小さくなっていることをも意味しているというわけです。


新聞というメディアの窮状を喜ぶような人はいないけれど、それの衰退が社会に害悪をもたらすのか、というと、それほどのことでもない(the decline of newspapers will not be as harmful to society as some fear)とThe Economistは言っています。新聞の衰退は今に始まったことではなく、1950年代のテレビの登場で、新聞の発行部数が大きく減少したけれど、それで民主主義が消えてなくなったわけではない。つまりこれから新聞が衰退しても民主主義が衰退するわけではない、という意味で、社会全体としては心配するほどのことではない、というわけです。

尤もそういう状況にあっても、優れた調査報道(investigative stories)にお金をかけるような新聞は、ネットに失われた広告収入を購読料金を高くして埋め合わせることでこれからも生き残るだろうとして、The Economisはそのような「新聞」の例としてNew York TimesやWall Street Journalを挙げています。これらの新聞はアメリカだけが市場ではないので、国際的な読者を獲得することができる。おそらく生き残りがイチバン難しいのは、高級でもポピュラーでもない、という中間的な新聞であろうとThe Economistは言っています。
 

The Economistはブログを使ったジャーナリズムや市民ジャーナリストのような「アマチュア・ジャーナリスト」と呼ばれる人々の登場によって、「閉ざされたプロの編集者や記者の世界を開放し、パソコンさえあれば誰でも記者になれる」(The web has opened the closed world of professional editors and reporters to anyone with a keyboard and an internet connection)時代が来たことを「パブリック・オピニオンによる政府を裁判する可能性がより大きくなった」と積極的に歓迎しています。

紙としての新聞が衰退する中で、オンライン・メディアの方ではNew Assignment.NetのようなNPOがアマチュアとプロのジャーナリストを組み合わせた「調査報道メディア」を作ろうとしたりしている。またアメリカのカーネギー財団などは「これからの高級ジャーナリズムはNPOによって支えられることもある」として、アメリカのChristian Science Monitor, National Public Radioなどをその例に挙げています。
  • National Public Radioのサイトでは確かにクォリティが高い放送が聴けますね。Christian Science Monitorのサイトはまだ見たことがない。いつか見てみよう。それから、ここでいう「市民ジャーナリズム」の典型的な例として、鳥越俊太郎さんが編集長として発足した「オーマイニュース日本版」があります。韓国を発祥の地とするネット媒体で、日本中にちらばる数千人の市民記者からあがってくるニュースをプロの編集者が料理してネット新聞にするというものです。鳥越さんは、ネット新聞の強みについて「読者との双方向性」を挙げています。

    私が自宅で購読している新聞は夕刊込みで月3900円だそうです。これが高いか安いかの判断はともかくとして(大して安くないと思うけれど)、かれこれ32~36ページある紙面の中で、私自身が読めそうな紙面・読みたいと思うような紙面はどの程度あるのかとなると疑問ですね。識者による投稿・寄稿のページあるのですが、どの寄稿もメチャクチャ程度が高い。普通の人にはとても読めない。読みやすければいいってものではないけれど、殆ど読めない(知的に無理)ような記事を掲載されると「何だってこんな新聞のためにお金を払うのか?」という気持ちにはなりますね。

back to top

3)再掲載:フランスの暴動と英国人

フランスでは、6月27日に17才の少年が、検問中の警察官に銃で撃たれて死亡したことをきっかけに各地で警察への抗議活動が暴動へと発展しています。メディアによると1981年にリヨン郊外で起きた暴動をきっかけに、各地で暴動が繰り返されてきているのですね。2005年にフランス全土に広がった暴動は、警察官の尋問から逃走した3人の若者が、逃げ込んだ変電所内で感電し、このうち2人が死亡した事件でした。

むささびジャーナル71号が、この事件とそれに対する英国人の見方を伝えています。それによると、暴動の原因となっているのは、フランス流の教条主義(ドグマへのこだわり)である、と。英国流の「多文化主義(multi-culturalism)」とは対照的な姿勢である、となっている。尤も英国には英国なりの理由で、暴動が起こっており、英国人たちも顔をしかめていたのですが…。

再掲載:フランスの暴動と英国人

むささびジャーナル71号 2005年11月14日
フランス国内の暴動について、ガーディアンのJonathan Freedlandというコラムニストが面白い記事を書いています。France is clinging to an ideal that's been pickled into dogma(フランスは「ドグマ(かたくなな教条)」に変わり果てた「理想」にしがみついている)というタイトルの記事で、イントロはthe French model of colour-blind integration gives racism a free hand(フランス流の違いを認めない結合が却って人種差別の跋扈を許している)となっています。

フランスといえば「自由・平等・博愛」を国家理念とする共和国ですが、国内に沢山の移民が暮している。イスラム教徒の移民もかなり多いし、彼らにはそれぞれ異なった過去と文化的背景がある。にもかかわらずフランスでは公式には民族的な違い(ethnic difference)というものが認められていない。例えば「アルジェリア系フランス人の失業率」について知りたいと思っても公式な数字がないそうです。何故なら「フランスではみんなフランス人だから(There are only the French)」です。


法の下では誰も平等な扱いを受けるものであり、「ルーツ(origin)」だの特殊性(particularities)によって分け隔てはしない・・・これがフランスの理想です。理論的には素晴しいのですが、現実はそうでもない。如何にもフランス人らしい名前を持った人が職探しのために100社に申し込みをしたところ75社から面接の通知をもらった。が、アルジェリア風の名前で申し込んだら、たったの14件しか面接の通知が来なかった。これは実際に昨年行われた調査の結果だそうです。実は差別があるのに「みんなフランス人」という制度になっているので、差別も表面化しないようになっている、というわけです。

Jonathan Freedlandによると、フランスと正反対なのがアメリカだそうです。あの国では「みんな移民」というわけで、イタリア系アメリカ人、アイルランド系アメリカ人・・・それぞれがそれぞれの文化的ルーツを守ることが奨励されている。が、それにも例外があって「自発的にやって来た移民」はともかく「強制的に連れてこられた"移民"ともともとのアメリカ人(インディアン)」は差別の対象になっていると主張している。


で、英国です。Freedlandによると、英国には多文化主義(multi-culturalism)なるものがあって、人種的な違いが認められているだけでなく、法的にも守られている。しかし・・・と次のように言っています。
  • But it also yearns for some affirmation of common identity. It knows there are differences between us - but it wants there to be ties that bind. What those ties should be, what notion of Britishness might hold us all together, nobody seems quite sure. 英国もまた「共通したアイデンティティ」を追求している。違いは認めながらもお互いを結びつける絆が欲しいと思っている。その絆がどのようなものであるのか、どのような「英国らしさ」であれば人々を結び付けることができるのか・・・そのあたりは誰にも良く分からない。
筆者は最近バーミンガムで起こった暴動を例にとって、「英国における人種関係も理想には程遠い」としながらも次のように結論付けています。
  • But multiculturalism is still the best model we have. And, after the last 10 days, it may be the only one left.(やはり多文化主義がいまのところはベストなのであり、フランスの10日間を見る限り、多文化主義しかないのではないか)
 
むささびジャーナル71号から
むささびジャーナル65号でも紹介したとおり、ロンドン・テロが起こってからというものイスラム系移民とのあつれきもあって「多文化主義は成り立たない」という声が英国内では広がってきていたはずです。フランスの頑なな「教条的文化主義」よりも英国流の「いろいろ主義」の方が優れている、と言いながらも、やはり国民的な絆は必要であると思っている。けどその絆が何であるのかを発見せずにいる、ヨーロッパのリベラル知識人の悩みが伝わってきます。

back to top

4)同性結婚と英国人

7月13日付のThe Economistが英国における同性結婚(same sex marriage)についての記事を載せています。英国において同性結婚が合法化されたのは今からちょうど10年前、2013年7月17日のことだった。デイビッド・キャメロンの保守党政権下で下院を通過したのですが、世論調査機関のYougovが7月3日付のサイトでこの問題についての英国世論の変遷ぶりを語っている。
  • Record number of Britons support same-sex marriage 10 years after key vote あの画期的な投票から10年経った今、英国世論の同性結婚への支持はかつてないほどに高まっている
というわけです。

同性結婚に対する英国世論の移り変わり:
2012年~2023年



同性婚に対する支持率が2012年では反対が4割を少し下回る程度だったのが、上のグラフでも見るとおり、現在では2割にも届かない数字になっている。反対に同性婚への「賛成」はほぼ6割から8割へと増えている。


The Economistによると、この同性結婚法案を成立させたのは2013年の議会であり、政府はキャメロンの保守党ではあったのですが、この政権が誕生したのは2010年の選挙の結果だった。しかも2010年の選挙ではどの政党の公約にも同性結婚の推進が謳われることがなかった。にもかかわらず国民的な意見として同性婚は人気を得つつあり、これを導入しようとするキャメロンは保守党の中でも評判が悪かった。

にもかかわらず提案された法案は成立してしまったわけですが、The Economistによると、同性婚の評判が落ちるということはなく、2020年現在でイングランドとウェールズにおけるゲイ・カップルの数は4万2000組に上っており、スコットランドと北アイルランドでも似たような法案が成立している。今年6月のYougovの世論調査でも4分の3の英国人がこれを支持、反対はわずか14%となっている。

10年前の同性婚法案の成功が示すのは、いわゆる「世論」なるものが政治的なリーダーシップによって形成されるということである(とThe Economistは言っている)。


ただキャメロンは、個人的には同性婚に反対しており、そのことを隠してはいなかった。2011年の保守党大会における演説でキャメロンは
  • I don’t support gay marriage despite being a Conservative. I support [it] because I’m a Conservative. 私は保守党員ではあるけれど同性結婚を支持することはない。自分が同性婚に賛成票を投じたのは自分が保守党員であり、それが保守党の政策であったからだ。
と述べていた。要するに「個人的にはイヤだが世論が望むから…」というわけですが、Yougovの調査でも今ではほぼ半数の英国人が、個人的な知り合いの中に同性婚者がいると言うまでになっている。

同性愛者に認められるべき権利


同性婚に対する世論の変化は、英国における宗教というものに対する態度の変化をも示している、とThe Economistは指摘します。キャメロンの前の首相であった労働党のゴードン・ブラウンは自分の同性婚反対論について「公的な立場としての反対論:opposed gay marriage in office」と述べている。この問題を述べ始めると党内の「英国国教会」の影響下にあるグループと対立せざるを得なくなるというわけです。

結婚の在り方に国家がからむということに反対する法案の成立については英国国教会(Church of England)も歓迎しているけれど、同教会のリーダー層の中にも同性婚者が行う「結婚式」に教会が絡むことへの意見の違いがあるとのこと。


ベン・ブラッドショー下院議員

ベン・ブラッドショーという下院議員(労働党)は英国国教会のメンバーであると同時に同性愛者でもあるのですが、彼を中心とする議員たちが現在の法律を改正しようとする動きがある。国教会の聖職者や教会であっても、その気があるのなら同性婚の結婚式に参加・主宰することを可能とするというものなのですが、改正案を提出した本人も “no chance of becoming law”(法案化は難しいだろう)と述べたりしている。
  • これまで通り権威のある教会であり続けるか、それを止めて一つの宗派になることを選ぶのか、選択肢は二つに一つだ Either be the established church or go off and be a sect.
と言って、英国国教会に対して同性婚者たちに歩み寄ることを呼び掛けているのですが…。

back to top

5)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら
importanter:非常に大事

上の写真はあるSNSに出ていたもので、トラックの背中の部分に書かれた文章を撮ったものです。
  • SCHOOL IS IMPORTANT BUT...
    TRUCKING IS IMPORTANTER!
というわけです。トラックの運転手のメッセージで「学校も大事だけど、トラックの運転はもっと大事だ」という意味です。面白いのは "IMPORTANTER" という言葉ですよね。くどくど説明するまでもなく、形容詞の比較級は、オリジナルの言葉に "er" "ier" を付けることで出来るのが普通です。"tall + er=taller", "happy+ier = happier" etc.

ただ例外もある。音節(syllable)が二つ以上あるような言葉の場合です。"difficult", "important", "serious", "humourous" etcですね。これらの形容詞の比較級は "er" "ier"という言葉で作るわけにはいかない。元の言葉に more とか lessをつけて比較級にする。importantの比較級はmore importantかless importantであるのが普通である、と。

では "importanter" という英語は存在しないのか?もちろん存在します。ただそれは「大事である」ということを強めたくて「ちょっと変わった言い方」として存在するということのようです。ネットを調べてみたけれど、"importanter"はもちろん"importantest"というケースもあるようです。

back to top

6)むささびの鳴き声
▼例によって北九州・東八幡教会のサイトに出ている「巻頭言」のエッセイを読んでいたら『六十にして耳順(したが)ふ』という言葉が紹介されていました。「耳順(したが)ふ」などという言葉にお目にかかったのはこれが初めてなのですが、論語(孔子)に出てくる言葉で「人の言うことがなんでも素直に理解できるようになる」ということらしい。

▼つまり60才は、他人の言うことを素直に受け入れることができる年齢…と筆者(奥田知志牧師)は言っている。牧師は最近60才になったのですが<孔子が言う「成熟した人間」には程遠い。ああああ大丈夫か、俺>とびびってもいる。論語に出てくる年齢にまつわる言葉には次のようなものがあるのだそうですね。
  • われ十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑(まど)はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず
▼奥田さんによると「やっぱ孔子はすごい」と。なるほど…でもむささびによると、60才なんて「若い、若い」よね。むささびは20年以上も前に通り過ぎている。ただ奥田牧師が言いたいのは、「自分自身は孔子にはなれないけれど、自分は自分で何とかなる、だからいう、大丈夫、君。君らしくあればいい」ということのようです。

▼いわゆるSNSの世界を見ていると、本当に「うるさい」と思いません?大学時代のむささびの友人の口癖は「黙って生きておれ」というものでした。太宰治の言葉なのだとか。それもちょっと極端で住みにくい。

▼暑いですね。パソコンの調子がおかしくて、今回の「むささび」は出せないかも…と真面目に心配しました。が、いちおうこのように出すことが出来ました。むささびジャーナルを関東以外でお読み頂いている皆さま、雨天・荒天がなるべく穏やかであることを祈ります。お元気で!よろしければお便りください。

back to top

←前の号 次の号→




前澤猛句集へ