musasabi journal

2003 2004 2005 2006 2007 2008
2009 2010 2011 2012 2013 2014
 2015 2016 2017  2018 2019  2020 
2021 2022  2023  

front cover articles UK Finland Green Alliance
美耶子の言い分 美耶子のK9研究 前澤猛句集
 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
541号 2023/11/19

2023年も11月下旬になってしまいました。上の写真は「夕暮れ時の長崎」だそうです。むささびは未だ行ったことがありませんが、一度は身を置いてみたい気がします。

目次

1)スライドショー:ヨーロッパの野生動物
2)憎しみを超えて
3)再掲載:英国のユダヤ人
4)「外相・キャメロン」にかけるスナクの期待
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
7)俳句

1)スライドショー: ヨーロッパの野生動物

あるSNSを見ていたら、"Wildlife in Europe" というテーマの写真を集めたコーナーのような企画がありました。どれもプロのカメラマンが撮ったものなのだろうと思うけれど、見事な作品が並んでいました。「ヨーロッパ」というと「文化」とか「文明」のように「人間のアタマ」による現象しか思いつかなかったけれど、実際には「野生」と同居するのもヨーロッパの一面だったのですよね。

back to top

2)憎しみを超えて

娘を殺されて 平和のための対価
力がある間に和平を 隣人に敬意を
憎しみの克服 共存するしかない
我々は人間だ
ガザ vs イスラエル関連のネットを当たっていたら "The Parents Circle" という組織のサイトに行き当たりました。「600以上の家族で構成されるイスラエルとパレスチナの友好促進機関」という説明がついている。1995年にイザク・フランケンサールというイスラエル人が立ち上げたものであり、1998年には、イスラエルとパレスチナの対立が理由で肉親を失った経験を有する人びとの間で最初の会合が催されたりしている。

「そんな組織があるのか」と思ってさらに見て行くと、むささびがいつもお世話になるドイツの週刊誌 DER SPIEGEL のサイト(英文・11月6日付)が、イスラエル人とパレスチナ人の会員二人による対談風のインタビューを掲載していました。両方ともイスラエルとパレスチナの対立が故に愛する娘を死なせるという悲しい過去を持っている。

娘を殺されて

イスラエル人のRami Elhanan(左)とパレスチナ人のBassam Aramin(右)

イスラエル人の父親であるRami Elhananが14才になる娘 Smadar(14才) をハマスの自殺テロリストに殺害されたのは1997年9月のことで、友だちと二人で近所の本屋へ行く途中だった。一方、パレスチナ人であるBassam Araminの娘(Abir)が10才でイスラエル軍の国境警備隊が発射した弾丸に当たって死亡したのは2007年のことだった。対談はごく最近(2023年)行われたもので、 DER SPIEGEL は次のような見出しを掲載している。
  • How did they manage to overcome hatred? 彼らはどのようにして(殺人者に対する)憎しみを乗り超えたのか?
対談はかなりの長さで、日本語訳を全て掲載するのは難しい。むささびジャーナルの独断と偏見によりはしょって掲載させてもらいます。全文(英文)はここをクリックすると読むことができます。


パレスチナ人のAbir(左)とイスラエル人のSmadar(右)
  • DER SPIEGEL: お二人は常に「お互いに語り合わなければ狂気は止まらない」と言っている。最近のガザの状態を眼にしても「語り合い」は止めないのですか?
力がある間に和平を

Aramin(パレスチナ人): いずれはこのようなことが起こるのではないかと思ってはいたが、現在の虐殺は筆舌に尽くしがたいものだ。子どもや女性を対象に、これほどの数の死者や爆殺が起ころうとは…事情の如何を問わず許されるものではない。

人間は何十年もの間、血なまぐさい占領下で暮らすことはできない。私がイスラエル人たちに常に言っているのは「自分たちの側に力があり、しかも紛争がないという状態のときにこそ我々と和平を結んだ方がいい」ということだ。さもないと惨劇が起こり、人権などということには誰も構うことがなくなるのだ。とてつもない数の市民が犠牲になる…そんなことは最初から分かっているのだ。
  • DER SPIEGEL: 今や世界中の人間が「イスラエルが悪い」「パレスチナが悪い」と言い合っている。誰もが完全にどちらかの側につかなければならないと考えているようなのです。
Elhanan(イスラエル人): もちろんそんなことはない。これはサッカーの試合ではないのだから、どちらかが勝たなければならないという話ではない。我々が常に言っているのは「イスラエル側につくな・パレスチナ側につくな・平和の側につけ・不正義に反対しろ(Don’t be pro-Israeli or pro-Palestinian. Be pro-peace, be against injustice)ということなのだ。現在起こっているのは非人間性の極みのようなことだ。テロリストが赤ん坊の首をはねようが、戦闘機のパイロットが多数の市民が暮らしている住宅に大量の爆弾を投下しようが、結果として起こることは同じだ。

  • DER SPIEGEL: 死んだ赤ん坊の両親に「攻撃した側の動機を理解しろ」というのは無理ですよね。
Aramin: もちろんそんなことは出来るはずがない。特に現在のような状況では、だ。彼ら被害者たちは正に耐え難い苦痛の中にいるのだ。しかし否定のしようがない事実がある。それは殺された赤ん坊も親戚も二度と戻ってはこないということだ。すべては終わったのだ。死んだ子どもの復讐など、どうやってするのだ?「敵」の親の子どもを殺すのか?それであなたの苦痛が和らぐとでも言うのか?
  • DER SPIEGEL: この終わりなき戦いの中でお二人ともお嬢さんを亡くしていますが、それでも殺した側への憎しみを克服されたようです。どうやって克服したのですか?
憎しみの克服

Elhanan: 唯一の方法は、二度と娘には会えないということを理解(understand)することだ。それはとても難しい、が、可能ではある。我々自身がそれが可能であることを証明しているではないか。The Parents Circleという我々の組織に参加している600名の会員も毎日のように証明しているではないか。

私は娘を殺した人間を殺したいとは思わない。私はそのようなことを望む人間ではないし、暴力を振るった経験もない。ただ(娘の死については)大きな怒りを覚えた。私が最も怒りを覚えたのは、彼女を死に追いやったような状態そのものに対してだった。何の罪もない14才の娘だった。彼女は8才のときイスラエルとエジプトの大統領宛てに手紙を書いたことがある。お互いに仲直りすることを勧めた手紙だった。そんな娘を亡くしたことへの私の悲しみを(言葉で)表すことはできないだろう。私自身を動かしているのはそのようなエネルギーなのだ。
  • DER SPIEGEL: そのエネルギーを暴力のために使うことはしない、という自信はどこから来たのですか?
Aramin: 娘が殺されたとき、私はすでにイスラエルの刑務所で7年間を過ごしていた。10代の若者としてイスラエル軍の戦車に石を投げつけた罪だった。後になって私は、戦闘的パレスチナ人と昔のイスラエル軍人の間に立って平和を保つことを目的とする組織を立ち上げる発起人の一人となった。つまり私は娘の Abir が殺されるずっと前からイスラエル人の対パレスチナ観も含めてイスラエル社会について理解するようになっており、それが自分自身の世界観に影響を与えていた。

  • DER SPIEGEL: お嬢さんを撃ったイスラエル人に会ったことはありますか?
我々は人間だ

Aramin: 会いたかったが、イスラエル政府が許さなかった。裁判で会ったことはある。彼に言ってやった。お前は英雄などではない、お前が殺したのは敵ではない、お前は罪もない女の子を殺したのだ、と。それを誇りに思うのなら思えばいいだろう。しかし私のところへやってきて許しを乞いたいというのなら、お前を許そう。でもそれはお前のために許すのではない、私自身のためであり、私の娘、私の家族のためなのだ。

私にとっては兄弟分であるRami(対談の相手のイスラエル人)はいつも「幸いにして私たちは人間だ」(Luckily, we are human beings)と言う。我々は考えることができる、墓場ではなくて対話のための橋を作ることだって出来るではないか、と。
  • DER SPIEGEL: これまでお二人で児童生徒、悲嘆に暮れる家族、兵士たちやテロリストまで、数多くの人びとに話しかけてきました。彼らの反応は前向きでしたか?
Elhanan: 時には難しいことはある。ある時などイスラエルの学校の子どもたちに「アンタの娘と一緒に吹き飛ばされればよかったのに」と言われた。パレスチナの学校を訪問したときは、教頭が生徒に向かって「こんな人の言うことに耳を傾けたりすると、自由のために闘争する気持ちがなくなってしまうぞ」と言ったりもした。そのような反応は予想はしていたのだが…子どもたちの殆どはイスラエル人とパレスチナ人が喧嘩をしていない場面など見たことがないし、お互いの痛みを比べたこともない。我々が目にするのは、二つの社会が、お互いを憎みまくるか欲求不満に陥るかする場面だけだった。

平和のための代価

Aramin: 時として(例えば)イスラエルのテルアビブよりもドイツのベルリンの人たちと話をする方が難しいこともある。昨年、我々(The Parents Circle)はドイツ中を訪問したのだが、その際、ある若いドイツ人がRami(イスラエル人)と話をしたがった。彼はドイツ人だったがユダヤ人ではなかった。私がその青年に向かって「我々には共通の<敵>がある。それはパレスチナ人の領土を占領しているということだ」と言った。すると彼はイスラエル人のRamiに向かって「何か言ったらどうなんです?誰も占領なんてしていないじゃありませんか」と語りかけたのだ。

Elhanan: 私はその青年に「キミがドイツ人なら占領がどのようなものであるかは分かるだろう」と言った。それでも彼は占領という言葉を否定し続けた。

  • DER SPIEGEL: お二人の主張によると、現在の中東における対立点は「イスラム教のパレスチナvsユダヤ教のイスラエル」というよりも、「平和を望まないグループ」と「平和を望みそのための代価(price)を払うことを厭わないグループ」の対立ということになるのではありませんか?その際の「平和のための代価」とは何ですか?
隣人に敬意を

Elhanan: その場合の「対価」というのは、あなたの隣人を尊敬する能力ということだ。自分自身を尊敬するのと同じように隣人を尊敬するということ。それ以上でも以下でもない。
  • DER SPIEGEL: しかしそれだけでは現在中東が直面している政治的混乱を解決することにはならないのでは?
Elhanan: 国家が大切だというのならいくつでも国家を有することはできるし、「連邦」「連盟」などを作ることも不可能ではない。問題が国だの連邦だのという技術的なものだとしたら、ほぼ何でもできてしまう。私が貴方を見下すことはないし、あなたも私を「見上げる」必要がない。私が貴方を「占領」することはないし、貴方も私にへりくだる必要もない。と、そんな状態にまで到達するのは実際には容易なことではないだろうが…。
  • DER SPIEGEL: そのような状態に到達できると考える理由は何ですか?
共存するしかない

Elhanan: 他に方法がないからだ。我々(イスラエル人)がパレスチナ人たちを砂漠の真ん中に放り出すわけにはいかないし、パレスチナ人も我々(イスラエル人)を海に放り込むわけにはいかない。我々はお互いに共同で暮らすことを運命づけられているということだ。我々は23年も前にCamp Davidにおいて交渉の席についたのだ。とはいえ正直言うと、私自身は正直言うと(中東の平和は)短期的には悲観的ではある。But to be honest, I am very pessimistic in the short term.

Aramin: 発想を変えてみてはどうか?イスラエル人は600万のパレスチナ人を殺したわけではない。パレスチナ人も600万のユダヤ人を殺したわけではない。でもかつてドイツ人はそれをやった。しかし今ではドイツ人とイスラエル人は友人同士だ。テルアビブにはドイツ大使がおり、ベルリンにはイスラエルの大使が駐在している。そのことは何を意味するのか?やろうと思えばできるということだ。我々に必要なのは勇気ある指導者が、我々を過去のくびきから解放するようになるということだ。
 
▼対談の中に「憎しみの克服」という部分があって「どのようにして娘を殺された憎しみを克服したのか?」と問われたのに対して、イスラエル人は「唯一の方法は、二度と娘には会えないということを理解(understand)することだ」と答えている。この会話がどの言葉を使って行われたのか?英語?ドイツ語?パレスチナ語?イスラエル語?むささびには分かりませんが、この二人の参加者にとって英語が「外国語」だったことは間違いない。娘には二度と会えないことを理解しろ…の「理解しろ」の部分に "understand" という英語が当てられています。むささびの想像に過ぎませんが、ここで言う "understand" は "accept" という意味なのでは?

back to top

3)再掲載:英国のユダヤ人

ユダヤ人の人口が世界で一番大きいのは(もちろん)イスラエルの630万、2番目はアメリカの570万、3番目はフランスで45万人です。英国は6番目で約30万人、日本は約1000人で60番目だそうです(いずれもウィキペディアによる数字)。つまり英国では「ユダヤ人」であるということで人種的偏見に曝されるということは殆どない(とされている)。

例外的と思われたのが、労働党のゴードン・ブラウンが首相であったころ(2007年–2010年)政治献金にからむ「スキャンダル」に悩まされたケースだった。不動産会社を経営するDavid Abrahamsという人物が、労働党に60万ポンド(約1億5000万円)の献金をしたのですが、その際、自分の名前を伏せて、別の人間の名前で献金してしまい、これが選挙法違反とされてしまった。さらに労働党のJon Mandelsohnという選挙資金担当者が、その献金の仕方が違法であることを知りながら金を受け取り、しかもそれを報告しなかったというので、責任を問われたりしたものです。むささびジャーナルは2007年末に発行した第126号でこの話題を取り上げています。

英国のユダヤ人

むささびジャーナル126号(2007年12月23日)

政治献金にまつわる疑惑といえば、トニー・ブレア(労働党)が首相であったころにビジネスマンのLord Levyという人物が、選挙資金を寄付したことの謝礼として、貴族院議員の資格を与えられたのではないかということが問題になったことがある(この人は罪にはならなかったのですが・・・)。

上に挙げた3人に共通するのが、3人ともユダヤ人であるということで、メディアの中には、スキャンダルの背後には「ユダヤ人の陰謀」(Jewish conspiracy)があるのではないか、というニュアンスの記事を掲載するところもあった。

Jewish Chronicleというユダヤ人向けの新聞は、このスキャンダルによって「ユダヤ人叩き」が起こるのではないかと言うユダヤ系国会議員の次のようなコメントを掲載しています。
  • 誰もがユダヤ人の利益との関連性やユダヤの陰謀の証拠を探し回っており、マスコミはそれを発見しようと、一枚一枚、石をはがすようなことをやっている(People are looking for links to Jewish interests and evidence of a Jewish conspiracy. The press are turning every stone to find one.)
というわけで、「今回の献金問題も、ユダヤ人が絡んでいなければ、これほどの大々的な報道にはならなかったはずだ」と言っている。


ではどのような報道を称して「ユダヤ人叩き」というのかというと、例えばDaily Telegraphのサイト(11月30日)は「本当の資金提供者を捜せ」(Hunt for the Real Donor)という見出しの記事とともに、Abrahams氏が、元駐英イスラエル大使と握手している写真を掲載している。記事ではこの元大使が、マネーロンダリングの疑いを持たれたこともある人物であり、現在は中東和平のための特使をつとめるブレア氏のアドバイザーにもなっていると紹介されている。

もっとそれらしいのは、The Independentが12月3日付けのサイトに掲載した寄稿文で、労働党イスラエル友の会(Labour Friends of Israel: LFI)という組織によるロビー活動に触れて、この友の会の活動は「後ろ暗い(shadowy)」ところがあり、彼らの「舞台裏での影響力行使」(back-room influence)は薄気味悪いとしています。この組織はイスラエル政府の意見を伝えるための組織であり、英国の中東政策を陰で形成するのに一役買っているとしている。ちなみに保守党にもConservative Friends of Israelという「友の会」があるらしい。
  • 今年、イスラエルがレバノンを爆撃したときに、ブレア首相がイスラエル寄りの姿勢をとったのは、首相と「友の会」の特別な関係が理由の一つである(Tony Blair's abject performance during the last Israeli assault on Lebanon was partly the result of the special relationship he had with LFI)
とまで言っている。この筆者は「モーゼの怒りを買いたくはないが」(I have no wish to bring the wrath of Moses upon)とか「反ユダヤと非難されることを覚悟で言うと」(I can already hear the accusations of anti-Semitism)のように、如何にも「ユダヤの陰謀」をほのめかすようなトーンで記事を書いている。

政治献金スキャンダルにユダヤ人が絡んでいることについては、12月8日付けのThe Economistの政治コラムBagehotが「献金スキャンダルが語る英国のユダヤ人と移民たち」(What the funding scandal really tells us about Britain, its Jews and immigrants in general)という記事で取り上げて解説しています。

英国は対ユダヤ人の偏見も少なく、英国で暮らすユダヤ人たちは、ユダヤ人であることを隠す必要もなく、英国は最もユダヤ人でありやすい(one of the best places to be Jewish)であるとしながらも、彼らには英国社会に対する「漠然としてはいても強い感覚」(a vague but powerful sense)というものがあるとしています。すなわち:
  • 英国には内輪の聖域、目に見えない主賓席のようなものがある。そこではうわべだけは歓迎されているように見えても、新参者は、生まれや出身階級が故に実際には歓迎されることがない。(there is somewhere an inner sanctum of Britishness, an elusive top table, to which, by reason of birth and class, the newcomer is not invited, ostensibly welcomed though he may be)

英国社会ではトップテーブル(主賓席)につくために、ユダヤ人を含めた「新参者」は、巨額の寄付をしたり、目立つような慈善活動をしたりという涙ぐましい努力をしなければならない。彼らは英国社会で認められるために、トップの人たちと付き合いがあることを誇示する必要があるとも感じているというわけで、The Economistは問題のAbrahams氏が若いころに、両親とバッキンガム宮殿のパーティに呼ばれたときの写真を紹介、「この写真が多くのことを物語っている」としています。

英国におけるユダヤ人の歴史ですが、BBCのサイトによると、最初に到着したのは11世紀の初め、1066年にウィリアム征服王(William the Conqueror)が,ヨーロッパ大陸からイングランドへやってきてここを制圧したときに、ユダヤ人を連れて来たことに端を発しているのだそうです。何故ユダヤ人を連れて来たのかというと、彼らが商人であり、銀行業に秀でていたということだった。当時のイングランドでは、キリスト教徒は利子を取って金を貸すことを禁止されていたのだそうです。

が、金儲けが上手であることがキリスト教徒たちのねたみを呼び、社会的な迫害にさらされるようになり、13世紀の終わりごろになって、当時のキングがユダヤ人追放を決めるに及んで、多数のユダヤ人が大陸へ脱出した。17世紀になって、清教徒革命の指導者であるオリバー・クロムウェルがユダヤ人の帰国を認めたことで、再びイングランドへやって来てユダヤ教を実践することを許された。英国最初のユダヤ教の集会所(シナゴーグ)が開設されたのが1656年のこと。昨年(2006年)、イングランド各地で「ユダヤ人の復帰350周年祝賀行事」が行われたのだそうです。


19世紀英国のユダヤ人社会を代表する人物の一人、モンテフィオリ。ロンドンの金融業界の中心的存在だった。

▼英国の有名人にはユダヤ人もいます。私でも聞いたことがある名前を挙げると、Benjamin Disraeliは、1874年に英国初のユダヤ人首相なった人ですね。 Lionel de Rothchildは、1847年にユダヤ人としては初めて国会議員に選ばれたのに、宣誓式でキリスト教との「連帯」を拒否したために国会には入れなかった。ロスチャイルド家は19世紀の初め、ナポレオン戦争の資金を提供した銀行家として有名です。 Yehudi Menuhinは最も有名なバイオリニストです。

▼となると知ってみたくなるのが、世界的に見た有名ユダヤ人ですね。ネット情報によると、心理学者のフロイド、相対性理論のアインシュタイン、哲学のカール・マルクス、スピノザ、革命家のトロツキー、原爆開発のロバート・オッペンハイマー、ワシントン・ポストの社主(だったと思う)キャサリン・グラハムなどときて、俳優のところを見たら、ケリー・グラント、ハリソン・フォード、ポール・ニューマン、ダスティン・ホフマンらの名前がありました。
 back to top

4)「外相・キャメロン」にかけるスナクの期待

2010年から2016年まで英国の首相だったデイビッド・キャメロンが、スナク政権の外相に就任して話題を呼んでいますね。11月13日付のニューヨークタイムズなどは、マーク・ランドラー(Mark Landler)というロンドン特派員の "Improbable Comeback of David Cameron:Dキャメロンのあり得ない復活" という解説記事を掲載したりしている。"Improbable"という言葉を辞書で引くと "not easy to believe" という意味が出ていた。

デイビッド・キャメロンといえば、2016年に英国がEUを脱退することを決めた国民投票を主宰した首相として知られている。その際に国会で自分のことを「一度は英国の未来を象徴したこともある:I was the future once」と慙愧の思いを表現したことで知られている。それにしてもまさか首相以外の大臣として復活しようとは…。


ランドラー特派員によると、スナク首相といえば「変化」の象徴として支持されてきた側面があるけれど、キャメロン復活ともなると「常識では考えられない:counterintuitive」としか思えない。キャメロンは「過去の保守党」の象徴であり、首相キャメロンが追求した政策の多くが現在のスナク政権の足かせになっているとさえ言える、と。僅差の国民投票にしてから、キャメロンはEU離脱に反対だったけれど、当時のスナクは離脱賛成派だった。

2010年に首相の座についたキャメロンが採用した政策の一つが「緊縮経済」の推進であり、彼の政府は公共の福祉に背を向けるものとされていた。現在のスナク政権も似たような姿勢で臨んでおり、それが故に不人気政権となっている。

スナク党首は先月の保守党大会で「今こそ改革の時、我々がその真っただ中にいることは疑いの余地がない」(Be in no doubt, it is time for a change, and we are it)と述べているけれど、その言葉とキャメロンの復活がどのように関係するのか、よく分からない。ただあえて想像するならば、キャメロンの外相就任によって、それまで外相をつとめていたジェームズ・クレバリーが内務大臣(Home Secretary)としてスエラ・ブレバーマンの後釜に坐ることになる…と。ブレバーマンはスナク内閣の中でも極右グループに属しており、スナクとは意見の合わない閣僚とされていた。


首相として6年間を過ごしたキャメロンには、「外相」として国際問題に関わった経験はないが(例えば)2015年に中国の習近平・国家主席が英国を国賓訪問した際のホスト役を務めたのがキャメロンだった。当時の英中関係は “golden era” と呼ばれるほど良好なものだった。その前の2011年にはアメリカと共同でリビアのカダフィ政権打倒に力を尽くした。

現在、ウクライナとガザの2か所で戦争が進行中であり、スナク政府としても外相には国際関係にも経験豊かな人物を必要としていた。クイーンメリー大学のティモシー・ベイル教授は
  • キャメロンのような人物の外相就任によって、現在のような緊張感に満ちた国際情勢の中でも英国が影響力を発揮する機会が増えることになる。それほど大きな機会ではないかもしれないが「機会」には違いないのだ。There is a chance — a faint one, but nonetheless a chance — that this will afford the U.K. more clout on the global stage at a time of intense international conflict.
とコメントしている。

▼上の写真(右)は外相就任後にウクライナを訪問したキャメロンとゼレンスキー大統領っです。キャメロンのような人物の外相就任によって、現在のような緊張感に満ちた国際情勢の中でも英国が影響力を発揮する機会が増えることになる、と政治を研究する大学教授が言っている。「キャメロンのような人物」とはどういう意味なのか?むささびの理解するところによると、英国における「エリート」階級に属する人間と言う意味です。オックスフォード大学を出て、考え方もそれほど極端ではない人物ということ。

back to top

5)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら

Big Mac index:ビッグマック指数

ビジネス誌のThe Economistが1986年に発表、それ以来毎年続けている経済指数のこと。Big Mac というのは、マクドナルドで売っているあのハンバーガーのことなのですが、全世界でほぼ同一品質のものが販売され、原材料費や店舗の光熱費、店員の労働賃金など、さまざまな要因を元に単価が決定されるため、総合的な購買力の比較に使いやすかった。これが基準となった主な理由とされる。

日本でビッグマックが1個=250円、アメリカでは2ドルだったとすると、250/2=125となり、1ドル=125円 がビッグマック指数となる。もしこの時点で、為替レートが1ドル=110円だとすると、為替相場はビッグマック指数に比べて「円高」であり、この後、125円に向けて円安が進むだろうと推理することができる。


ARUHIマガジン
という経済サイトによると、今年(2023年)7月に発表されたビッグマック指数によると、日本におけるビッグマック1個の値段は450円(3.17ドル)だった。これは2022年7月の価格(390円=2.83ドル)、2023年1月の価格(410円=3.15ドル)に比べると日本の物価はやや上がっていることがわかる。しかしアメリカではビッグマック1個の値段は5.58ドルだったのだから、日本(3.17ドル)の方がかなり安いということになる。

ちなみに世界におけるビッグマックの値段を比較すると、一番高いのはスイス、次いでノルウェー、ウルグアイ、アルゼンチン、ユーロ圏などが来るのだそうです。

back to top

6)むささびの鳴き声
▼それにしてもキャメロンの外相就任には驚きましたね。キャメロンは1966年生まれの57才、スナクは80年生まれの43才です(日本の岸田首相は66才、上川外相は70才)。キャメロンもスナクもオックスフォード大学で学んでいるのですが、第二大戦後の17人の首相のうち14人がオックスフォード出です。ウィキペディアによると、英国の首相官邸は殆どオックスフォード大学の同窓会と言う感じです。
 
▼英国の世論調査機関であるIPSOSが、英国人と米国人(それぞれ約1000人)を対象に「イスラエル・パレスチナ戦争に対して自国政府がとるべき姿勢」についてのアンケート調査を行っています。結果は下記のとおりなのですが、イスラエルとパレスチナに対する姿勢では回答者が少なかったとはいえ、両国人の姿勢がかなり異なっている。
イスラエル・パレスチナ戦争への態度

IPSOS
▼いつも俳句を提供してくれるジャーナリストの前澤猛さんが、ナチによるユダヤ人抑圧(ホロコースト)は「虐殺」呼ばわりするのに、イスラエルによるパレスチナ抑圧は「正当行為」とする国際世論(メディアも含めた)に対する疑問を俳句(下記)に詠んでいます。

 

▼話は全く変わるけれど、今から約20年前の2002年、駐日英国大使館の主催で『日英グリーン同盟』という活動が行われました。その年が20世紀初頭の日英同盟(1902年)100周年にあたるというわけで、英国生まれのオークの苗木を日本全国約200か所の町や村に植えた。で、現在の駐日英国大使(ジュリア・ロングボトム)があの時に植えられたオークの木がどうなっているのかを知りたいというわけで、自身のツイッターを通じて情報提供を呼びかけています。ここをクリックすると分かります。
▼オークは日本語でいうと「ナラ」なのですが、100年以上も前、日本で育てられていた「ナラ」の板が大量に対英輸出されていたのだそうです。もちろんよく売れたからです。なぜ売れたのか?日本のナラの板は折り曲げてもなかなか割れない性格を持っていたので、英国の棺桶メーカーに受けたのだとか。なるほど、棺桶の蓋は丸くたわんでいますね…この話はまんざら嘘ではないらしい。
 

back to top 
 
←前の号 次の号→




前澤猛句集へ