第11号 2003年7月13日
home backnumbers むささびの鳴き声 美耶子のコラム
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@イングリッシュオークの周辺:三重県海山町
A「選挙に勝てる党」のジレンマ
B70才定年の時代が来る
C子供への暴力
D病欠の町!?マンチェスター
E受売りフィンランド:福祉国家のこれから
FむささびMの<「○○さん」と「○○ちゃん」に込められる日本人の心>
G編集後記
1. イングリッシュオークの周辺:三重県海山町

古いことに未だこだわっている、と言われるかもしれませんが、私、昨年行われた「日英グリーン同盟」という植樹活動に未だこだわっています。小さなイングリッシュオークの木が暮らしている町や村がどんなところであるのか、植えられた木がどのような人たちによって見守られているのか…気になって仕方ない。というわけで自分勝手に日本全国で約20ヶ所の町の人たちにお願いをして、その町とオークの近況報告をしてもらうことにしました。この際是非皆様にも知って頂こうと不定期ながら連載することにしました。第一弾は三重県海山町の「環境にやさしい森」です。

名古屋から特急「南紀」に乗って2時間半ほど行ったところにあるのが三重県海山町。最寄駅は尾鷲または紀伊長島。そこから車で20分ほど行ったところに海山町があります。「海山」とはうまいことを言ったもので、素晴らしい海岸と美しい山が一緒にある。新鮮な魚という「海の幸」とヒノキという「山の幸」が共存しています。人口約1万1000人。

環境にやさしい森林経営
その海山町にある引本小学校は開校1875年(明治8年)という歴史を誇っていますが、その校庭に日英グリーン同盟のイングリッシュオークが植わっています。海山町も引本小学校も特に英国と関係があるわけではないのですが、英国大使館として特にお願いをして植えてもらったについては理由があります。この町にある速水林業の森が「環境にやさしい森林経営」ということで国際的な森林保護団体であるForest Steward Council(FSC)の認定を受けた日本では極めて数少ない森の一つであるからです。

速水林業は創業1790年という歴史を誇る経営で、もっぱらヒノキを生産して販売しています。Forest Steward Councilの認定を受けることにしたのが現在の代表である速水亨氏(50才)であり、速水さんは引本小学校の卒業生です。私は2002年3月に行われた日英グリーン同盟の植樹式に参加させて貰ったのですが、「環境にやさしい山林経営」とは何のことなのか?樹木の生産・販売をビジネスとする速水さんが「環境」にこだわる理由は何か?このあたりのことに大いに興味がありました。

明るい森
速水林業の森(Hayami Forestといいます)に連れて行って貰った私にとって強烈な第一印象が、森林全体が非常に明るいということでした。杉林とかヒノキ林というと「昼なお暗い」ものと思っていた私には新鮮な驚きでした。さらに感激的であったのは一本一本のヒノキの美しさでした。直径40cm・高さ20mほどの樹木が地面から直角に、空を突くように伸びている様子は、日本語の「凛として立つ」という表現がピタリの風景でした。 木と木の間に十分な空間がとられていること、ヒノキの間に広葉樹が育っていること、ヒノキの枝打ちが行われていること…これらが森全体を明るくしている要素のようなのですが、それはまた「環境にやさしい森林管理」の賜物であるわけです。

「環境にやさしい森で育ったヒノキと普通の森で育ったものの間には質的な違いはあるのでしょうか?」という私の素朴な疑問について、「ありません。有機農業で育った野菜とそうでない野菜には質的な違いがある。でも樹木の場合は違いはない。どのような森で育てられてもヒノキはヒノキです」というのが明快な答えでした。

「環境」が経営の理念に
「質的な違いがないのであれば、何故わざわざForest Steward Councilの認定を受けたりしたのですか?」と、これも極めて素朴な疑問を発してみたのですが、「そうするのが木にとっても森にとってもいいことだからです」と実にあっさりしたものでありました。なるほど…しかしそれと商売はどのように結びつくのか?と私はまだこだわっていました。速水林業の案内を読むと「豊かな森林を維持し、人類生存のために地球環境(の保全に)貢献することを目標とする」とあります。

速水氏によると現在の世界的な流れとして、木材や木製品のセールスのためには元になる樹木がどのような理念や環境下で育てられたのかが問われる時代になっているそうです。つまりForest Steward Councilの認定を受けた森林で育ったものであるということが売れる条件にもなっているというのです。経営者がどのような理想・理念を持っているのかが問われる時代になっているということです。

速水氏が見せてくれたのは、ここで採れたヒノキを使った木工細工でした。その商品にはFSCのスタンプが押されていました。ごく小さなものでしたが、その注文主が世界的な環境保護団体であったのが印象的でした。例えばアメリカなどではFSCのスタンプが押してある木材で作れらた商品しか売らないという企業もあったりするそうです。

地元に親しまれる森
またHayami Forestの経営方針として「従業員全体の所得の向上と幸福な生活を確立すること」と謳われると同時に「地域社会の安定に尽くす」ということが挙げられています。後者は地場産業としての経済的・社会的責任ということもあるでしょうが、「レクリエーション施設として利用が可能かどうかを検討していく」とも書いてあります。日本の林業は極めて厳しい経済状況にあると聞きます。昭和55年時に比べると、杉の価格は3分の1に下落しているのに、人件費は1・5倍に上昇している(速水林業の資料)そうです。Hayami Forestは、木材生産という基本を守りながら、将来の方向として森林を「観光資源」や「地元の人々が楽しめる場所」として活用しようということのようです。であればなおのこと明るい森、環境にやさしい森林経営が要求されるということなのでしょう。

三重県のHayami Forestを訪問する前に私は長野県にある「環境にやさしい森」を見せて貰ったことがあった。ある熱心な環境保護運動家が「一から作った森」だそうで「森かくあるべし」という理念に貫かれた場所でした。スギやヒノキは殆どなくて広葉樹が生い繁る明るくて実に気持ちのいい森でした。「あれを見ろ」とその人の指差す方向を見ると、小川を挟んでスギとヒノキが鬱蒼と茂る森がありました。そこは林野庁の管理する森だそうで、こちらの森では鳥の囀りが沢山聞こえるのに、あちらの森はただひたすら森閑と静まり返っていた。

私の自宅(埼玉県)にもそのような杉林が沢山あります。薄暗くて気持ち悪いので誰も入って行かない。 「経済森」と「理想の森」 長野の「理想の森」と三重のHayami Forestには、広葉樹の森とヒノキ林という見た目の違い以外に決定的な違いがあります。前者がひたすら理想の森を追求すること自体が目的のように(私には)見えたのに対して、Hayami Forestは、そこで育てたヒノキを売って商売にする「経済森」であり「生活の糧を生む場所」であるということです。しかしこの二つの森には、もう一つ、極めて分かりやすい違いがあった。Hayami Forestでは樹木の間を地元の子供たちが自転車を乗り回して遊んでいたのに対して、長野の「理想の森」の場合は入り口にロープが張ってあったということです。

ところで海山町も人口が減っているとのことで、私が植樹式に参加した引本小学校は生徒数70人。卒業生が7人でしたが、新入生もまた7人であったそうです。教頭先生は「もう少し入学するかと思っていたのですが…」とちょっと寂しそうでした。イングリッシュオ−クは2002年3月の卒業生7人に植えて貰いました。その時の記念写真は大事に保管されています。 速水林業の森はhttp://www.chiiki-kankyo.net/hayami/で詳しく紹介されています。この森で育ったヒノキの家に住む・・・結構ですね。

2. 「選挙に勝てる党」のジレンマ

去る7月4日、ブレア首相がリバプールで行った演説、その翌日にロンドンで行われた集会で労働党の国会議員35人結成したSocialist Campaign Groupというグループの主張の二つを見ると、現在のブレア労働党(New Labourと呼ばれています)のジレンマが出ているように思います。 イラク戦争への係わりを契機として労働党内部がかなりもめていることはご存知のとおりですが、リバプールでの演説はこうした党内分裂に歯止めをかけるべく行われた演説で、ブレア首相は現在の労働党が拠って立っている原則について次のように語っています。
  • 我々の歴史的なミッション(使命)は、単なる反対政党(party of protest)であってはならない。 進歩的な人々は永久に受身の野党に満足していることはあり得ない。 我々のミッションは単に数年間ではなく、これからの世代のために良い社会を築くという進歩的な目的の達成にある。 New Labourを右と左の妥協の産物、保守党と労働党をミックスしたものと考えるのは誤りである。New Labourの目的は現在我々が生きている「変化した世界」の中において「進歩的な政治」とは何かをはっきりさせることにある。
ブレア首相はここで「進歩的」(progressive)という言葉を何回も使っています。首相は「進歩的」という言葉を、かつて殆ど万年野党のような状態にあった労働党、即ち社会主義的左派勢力によって牛耳られた労働党に対するアンチとして使っています。英国の政治に興味がおありの方ならご存知かと思いますが、1979年にサッチャー首相率いる保守党が政権についてから1997年にブレア政権が出来るまで殆ど20年もの長きにわたって保守党の天下が続いていました。ブレアが労働党の党首になった時に一番力を入れたのが、労働党を「選挙で勝てる党」(electable party)にすることだった。

そのために党の綱領の第4条(産業の国有化)を廃棄するなどして、大きく右旋回させたわけです。 ブレアがリバプールで演説をした翌日、ロンドンでSocialist Campaign Groupが集会を開いたのですが、彼らは「労働党は党本来の価値観(core values)に立ち返るべきである」と主張しており、現在のNew Labourでは草の根労働党員の支持は得られず「次なる選挙では勝てない」と言っています。政策的には「民営化よりも公共機関に対する投資の増大を」「政府による年金の増額」「大学に対する交付金を復活させて授業料を無料にする」という主張をしています。

このグループの名誉総裁がトニー・ベンという殆ど名物的な左派の政治家ですが、彼はブレアのNew Labourについて「首相が作った労働党とは別の政党であって、自分も大半の労働党員もNew Labourの党員ではない」と言っています。 Socialist Campaign Groupと言っても労働党の国会議員は35人しか参加していないので、彼らがどこまで影響力を発揮するのかよく分かりませんが、一つだけ興味深いのは、この人たちの使う言葉の中には「党員」という言葉が非常に頻繁に出て来るのに対して、ブレア首相のそれには「これからの世代」(generations to come)とか、「良い社会」(good society)とか、「進歩的」という言葉は出て来るものの「党員」という言葉はおよそ出てこないということです。

Socialist Campaign Groupの主張について、ブレア政権のある閣僚(もちろん労働党員)は「またあの万年野党に戻れというのか」と批判しています。確かにこの人の言うことは当たっていると思うのですが、ブレア首相の「きれい事」にも「選挙に勝てる党」ということだけが目的となっている政党のご都合主義のようなものも透けて見えるように思えますね。

3. 70才定年の時代が来る


英国における定年退職の年齢が70才になりそうです。7月1日に政府が発表した提案で明らかになったもので、雇用主が70才以下の従業員を強制的に退職させることが禁止されます。BBCによると、これは英国における雇用関係の法律改正としては「近来にない画期的なもの」(the biggest change in employment law for a generation)になるそうです。定年は企業がそれぞれに決めることですが、これまでのところ英国では普通65才(公務員の場合は60)が定年とされてきた。政府からの年金の支給開始年齢は女で60才、男は65才となっています。

少子高齢化が進んでいるのは日本だけでなく、英国も同じなのですが、本当なら働けるであろう高齢者を年齢による差別(ageism)によって労働市場から締め出すことで、英国経済に与えている損害は年間160億ポンドにも上るという調査もあります。 退職年齢の引き上げ提案について、高齢者のための最大のNPOであるAge Concernは「大いに歓迎(very encouraging)」としながらも「高齢者が無理して70才まで働かなければならないような状態になることは避けなければならない」(つまり政府による年金支給年齢の引き上げ)としています。

この提案を発表したパトリシア・ヒューイット産業大臣は、「この改正によって70才まで強制労働させようというものではない」と強調し「(英国では)非常に多くの人たちが40代、50代で退職して二度と職に就かないというのは悲しい事態だ。多くの企業が職場における平等な扱いと(年齢的な)多様性の利点を認めている」と語っています。英国産業連盟(CBI)は職場における年齢差別は「定義がしにくい」問題であり、「企業側が、法的に許される範囲で常識的な判断をすることが許されるべきだ」としています。

このニュースと一緒にBBCが伝えていたのが、今から20年前に46才である大企業から退職した男性の話を伝えています。彼は新しい職場を探そうとして200通の手紙を企業に送ったのですが、面接まで行った例は殆どなし。まれにそこまで行っても「ウチは若い人を求めている」と言われてしまうケースが多かったと言います。最終的にある市役所の土地管理者の仕事を見つけることができたのですが、そこの場合は高齢者を求めていたという理由による雇用であったそうです。 リバプールに住むこの人は「歳をとっても生活のために働かざるを得ない人もいる」と語っています。確かに「毎日が日曜日ではぼけてしまう」ということで、職を求めるケースも多いのでしょうが、私が思うに(少なくとも日本においては)「経済的な生活の安定」が一番の理由でありますね。


4. 子供への暴力


悲しい話題ですが、英国下院の健康問題特別委員会と人権特別委員会が6月下旬に発表した報告書によるとイングランドだけで肉体的な暴力で死亡する子供は一年で80人に上るそうです(BBC6月24日放送)。この中には親による暴力もかなり含まれています。こうした傾向を背景にして親の子供への「しつけ」(smacking・ぶつこと)をさらに厳重に取り締まるべきだという声が上がっていたのですが、政府は変える必要なしという立場にたっています。その理由は「smackingは家庭内の問題であり、それに政府が介入するわけにいかない」ということ。「躾と暴力の違いは両親が分かっているはずで、どちらにするかは両親が決めるべきだ。

また個々のケースにおいて躾なのか暴力なのかを決めるのは子供福祉のための機関(エイジェンシー)によって決められるべきであって、両親を刑法で処罰するというのは適正なやり方ではない」とも言っています。 子供に対する暴力の禁止については、5月初旬にchildminder(両親からの委託で子供の世話をする人々で全国で約7万人います)による子供へのsmackingは違法とされることになったのですが、これは両親には適用されないということで政府は子供福祉の関係団体からは大いに批判されていました。しかし少なくともchildminderによる「暴力」は禁止(例え両親から文書で合意されていたとしても違法)されたわけで、その意味では進歩であるというのが」NSPCCという子供保護のチャリティ団体の見解です。

当然ながらsmacking反対に反対という意見もあります。例えばFriends of the Familyという団体では「smackingはシツケの一環だ」と主張しています。また両親によるsmackingを取り締まることについては保守党のフォックス議員などは「国家による両親の正当なる権利と義務に対する国家の干渉であり、実に許しがたい」とコメントしています。政府が親子の問題にまで立ち入るのか…についてはさらに研究の余地がありそうです。

5. 病欠の町!?マンチェスター


皆さん、病気で会社を休むことってあります?もちろんあるに決まっているでしょうが、年に何日くらいとりますか?ある調査によるとマンチェスターの労働者の場合で11日だそうで、これは英国内のほかのどの都会の人たちよりも多い日数なんだそうです。二番目がエディンバラので9日間、8日というのがリバプール、バーミンガム、カーディフなどと続いています。ロンドンは7日であるそうです。

この調査はマンチェスターに本社を置く雇用についてのコンサルタント会社が、英国とアイルランドにある約4300社の企業を対象に行ったもので、大企業と中企業が対象になっています。 「この調査でマンチェスターが病欠の町というレッテルを貼られるのは困る」と言っているのがマンチェスター商工会議所のジェーン・ヒルマンさんで「この町には大企業が多いので、"自分独り休んでも大したことない"という心理が働いているのでは…」とコメントしています。

病欠の理由ですが、一番多いのが何故か「食あたり」(food poisoning)、次いで「背中が痛い」「風邪をひいた」などが続いています。笑ってしまうのは、病欠が一番とられるのは金曜日と月曜日、それも話題になっているテレビ・イベントなどが放映されたりするときが多いということ。この調査に協力した企業の39%が「本当に病気で休むのは10%以下だろう」としています。諦めているわけですね。ただあえて病欠までして観たいと思わせるテレビ番組も大したものですね。日本の場合、今年は東京と大阪で調査してみると多分分かるかもしれない。タイガースの大阪は病欠だらけ!?

6. 受売りフィンランド:福祉国家のこれから


福祉国家のこれから 6月14日付けのThe Economistが北欧諸国(Nordic countries)の特集を掲載しています。北欧というと「白夜」とか「森と湖」などの自然の美と並んで殆ど必ずと言っていいほどに取り上げられるのが行き届いた社会福祉制度で、The Economistの特集でもこの部分にはかなりのスペースが割かれています。

ところで英国という国を語るについても「福祉制度」が取り上げられることがあります。「ゆりかごから墓場まで」(from cradle to graveyard)というスローガンはよく知られています。然るに英国における福祉国家(welfare state)の概念は1980年代初頭のサッチャー政権の登場以来、英国内では殆ど死語になったような気がしないでもありません。事のよしあしはともかくとして、同じヨーロッパでありながら北欧諸国と英国では何故、福祉国家に対する姿勢が異なるのか・・・私としては個人的かつ単なる好奇心としても興味のあるところであります。

The Economistによると、北欧諸国は20世紀中葉までの150年間、ヨーロッパでも最も貧しい地域とされていたのですが、それがここ約50年の間に最もリッチな国々となってしまった。それにはいろいろと社会的・歴史的な背景があるのですが、北欧における「福祉国家」の基には「人民のコミュニティ」(people's community)という考え方があり、それにはルーテル派キリスト教の文化(弱い者は社会全体で面倒を見ようという考え方)の影響が極めて強いというのがThe Economistの指摘です。

英国における福祉国家の概念は戦後の社会民主主義的な風潮の中で生まれ育ったはずなのですが、何故かそれが労働組合による社会支配に繋がり、それが英国経済の停滞に繋がってしまった。そこで登場したのが敬虔なるクリスチャンであるサッチャー首相で、彼女は「社会福祉」などというものに頼らない「自立した個人」の大切さを訴えた。英国における保守派の評論家として知られるポール・ジョンソンという人は福祉国家という考え方は「道徳的過ち」(morally wrong)であると言い切っています。

同じキリスト教社会であるのに英国やアメリカが「政府からの個人の自立」を原理原則としており、北欧社会では「人民のためのコミュニティ」という考え方を追求している。フィンランドに詳しいジャーナリストの友人はこの点について「フィンランドがつい最近まで非常に貧しい社会であったことを忘れてはならない」と解説してくれました。なるほど・・・これは一理ある。フィンランドのみならずかつての北欧の「貧しさ」(今では信じられませんが)の多くの部分が自然条件によってもいるのでしょうね。何せ一年の半分が冬のようなところなのですから。厳しい自然条件の中で人間が集まって生きて行こうという場合「人民のコミュニティ」という考え方が出てくるのは当然ですよね。

尤も北欧がいつまで福祉国家を謳歌していられるのかについては必ずしも予断は許されないというのがThe Economistの指摘です。言うまでもなく「高福祉」とは「高負担」を意味します。所得の60%もが税金に持って行かれるという状態を国民がどこまで許すのかということです。国内総生産(GDP)に占める税金収入の割合を見るとイチバン高いのがスェーデンで殆ど55%、フィンランドが48%くらい、英国は約38%、アメリカと日本は30%弱という数字が出ています。 フィンランドについて言うと、情報化社会の発展に伴って、情報分野の業界で働いている人々が安定した雇用を謳歌しているのに対して、これについて行けない人々が雇用の面では保護されていないという社会的不平等が広がりつつあると指摘する声もあります。

ところで今年の10月6日と7日に、早稲田大学でフィンランドにおける情報化社会と福祉国家というテーマでシンポジウムが開かれます。これは注目に値します。

7. むささびMの<「○○さん」と「○○ちゃん」に込められる日本人の心>

日本人には他人の呼び方が随分たくさんある。まず、「○○さん」にしても「○○ちゃん」にしても「○○くん」にしても、苗字につける場合と名前につける場合とでは、どちらを使うかによってその人との親しみの気持ちや、上下関係などが微妙に違ってくる。それから家族の関係に使う場合でも、どちらを使うかで何となくその家庭の雰囲気、色合いが分るような気がするものだし、姓名だけでなく相手の職業や役職名にも「さん」を使う。

かと思うと最近では、女の子が自分の女友達にも「さん」「ちゃん」をつけずに、苗字や名前を呼び捨てにすることが多くなったようである。 今回は呼び方に関する私の個人的な体験を二つ紹介して、私が不満に思ったり恥ずかしいと感じた状況に共感していただければ、と思う。 一つ目は、もう社会人になっている私の息子達を女友達が「さん」も「くん」も付けずに呼び捨てで、しかも名前(first name)の方で呼ぶ場面に遭遇したときである。その女性が外国人であったら全く違和感は感じなかったであろうが、日本人の女の子が自分の息子を名前で呼び捨てしているのには、正直ぎくりとしてしまった。もっとハッキリ言うと、違和感と言うより不快感と言った方がいい。我々親でさえ息子達を「くん付け」で呼んでいるというのに、、、。

保守的だとか固すぎるとか言われるかもしれないが、日本の女性にはTPOをわきまえてもっと言葉を選んで使って貰いたいと思った。その場に第三者が居ようが居まいが、男友達の名前にはせめて「くん」とか「ちゃん」とかを付けて貰いたい。因みにその時、ウチの息子達は相手の名前を「さん付け」で呼んでいた。 もう一つは、私が50歳に近い年齢の時のことである。某航空会社の機内でduty free(免税)の買い物をした。若い外国人男性の乗務員が応対してくれて、私は買い物リストに記入してサインをして彼に渡した。

暫くたって窓の外を眺めていると、通路の方から「美耶子ちゃん!」と男の人の声で呼ばれた。同じ便に子供時代の友人でも偶然乗り合わせていたのか、と思い振り向くと、さっきの乗務員の男性ではないか!私は顔から火が出るようであった。何故呼ばれた私の方が赤面しなくてはならないのか、考える間もなく、とにかく恥ずかしかった。

ついでに言うとその外国人乗務員の私の名前の発音の仕方がまるで日本人が言うような完璧なものだったので、呼ばれた瞬間てっきり日本人に呼ばれたと思ったのだ。彼はその後直ぐ一緒にいた日本人女性の乗務員に何やら小声で注意され、心なしか少し赤面していたように見えたのは私の思い過ごしだろうか…。


8)編集後記

英国における定年が70才になるというニュースについて付け加えますと、実はフィンランドでも同じような動きがあるようです。もっと詳しく調べてから報告しますが、日本ではそのような動きはあるのでしょうか?●ブレア首相に対する党内左派勢力からの批判がきつくなっています。「反対のための反対党であってはならない」と言って党首になったブレアさんですが、党内「抵抗勢力」の力は結構強いようです。