第12号 2003年7月27日 | |||
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1)イングリッシュオークの周辺・その2:広島県向島町 2)噛みつくプードル犬 3)ある名門工場の閉鎖 4)デイビッド・ケリーの自殺 5)むささびMの<日本人のネイティブ信仰について> 6)むささびJの受売りフィンランド:フィンランド人らしくなりたい人へ 7)編集後記 |
1. イングリッシュオークの周辺・その2:広島県向島町<「忘れないように」英国人戦争捕虜との交流にこだわる> |
広島県御調郡向島町はJR尾道駅前からフェリーに乗って3分のところにあります。厳密に言うと瀬戸内海に浮かぶ島ということになるのですが、本州の尾道から近すぎて「島」という感じではありません。達者なら人なら十分に泳いで行ける距離なのですから。その向島町には、第二次世界大戦中に戦争捕虜の収容所があって英・米・カナダの捕虜たちが収容生活を送っていました。かなり厳しい生活状況であったようで、100人いた英国人のうち23人が栄養失調や病気のために亡くなったとされています(当時の日本には91ヶ所に捕虜収容所があって36,000人が収容されていた)。 現在、殆ど波風というものが立たないほど「仲良し」の日英関係ですが、唯一トゲのようにささっているのが戦争捕虜に対する日本の仕打ちとそれに対する謝罪・補償の問題であると言えます。政府間ではこの問題は既にサンフランシスコ講和条約締結の時点で解決済みとされていますが、当時戦争捕虜として苦しみを味わった英国人の間では未だにくすぶっている問題であり、例えば天皇陛下が英国を訪問された時などに抗議デモが行われたりしています。 日英友好モニュメント 日英グリーン同盟への参加申し込みは向島町のキリスト教会の南沢満雄牧師からのもので、英国人捕虜の問題に関連して「日英友好モニュメントを建てる会」という活動を行っており、その一環としてイングリッシュオークを植えたいとのことでした。「平和と友好の記念碑」であるとともに、日英の人々の間の「和解」の意味も込めたこのモニュメントは2002年3月に完成し、向島町を訪問した元英国人捕虜らの一行と共に除幕式が行われたものです。 南沢牧師がこの問題に関心を持つきっかけとなったのが元捕虜たちによる向島町訪問(1997年)で、その時に向島には収容所だけでなく、死去した捕虜のお墓があった筈だと聞かされたことでした。当時の写真を頼りに墓地探しを始めたのですが、4年間にわたる執念が実って、その墓地が尾道刑務所の隣にある尾道市営共同墓地にかつて存在したということを突き止めた。 日英「精神」同盟破棄の悲劇 日英友好モニュメントを建てる会の活動は、この墓地探しに携わった人々の間で持ち上がったものですが、この活動に南沢牧師とともに深く係わったのが小林皓志氏でした。新聞で在英日本人である恵子ホームズさんらの活動を知ってこれに共鳴、英国人の元捕虜たちが広島を訪問するたびに交流を続けて来た。小林さんはクリスチャンではないのですが「日本を訪問した戦争捕虜たちで、私が出会った人々は全て"日本に対する恨みの亡霊を成仏させることが出来た"と書いてくる。これが私の誇りです」と言っています。 南沢牧師も小林さんも私と同じような年齢です。つまり戦後(と言ってもほぼ60年も前のこと!)の「平和教育」をしっかりと受けて育った年代です。別の言い方をすると、日本が過去において犯したとされる「罪悪」については、「さんざ聞かされてはいるものの、身にしみる実体験としては知らない」世代です。その二人が何故それほどまでに戦争捕虜の問題にこだわるのか?南沢牧師は「日本史の中で日英同盟を破棄したことは最大の過ち」と言います。南沢さんは日英同盟という軍事同盟の破棄にとどまらず、英国との精神的な結びつきまでも破棄してドイツ型の観念論に傾斜したことが「皇民思想」と結びついたことに日本の悲劇があったとしているようです。このあたりのことをはっきり語ってもらうための機会は設けます。 Lest We Forget… 小林さんは「日本人は歴史認識に欠けており、都合の悪いことはすぐに忘れたがる」として「国益を超え、狭量な島国根性を通り越して、イギリス、オーストラリア、アメリカ他の元戦争捕虜たちとの交流を、ボランティアの身分でやっていることに、自分ながら誇りを感じています」と言っています。 小林さんはまた日本軍の捕虜して生きた人たちの生活を描いた「イラスト本」を翻訳して出版もしています。日本軍による「蛮行」の数々が嫌になるほど克明に描かれています。この本のタイトルは「忘れないように」となっています。英語による原文のタイトルはLest We Forget。日本語の場合、往々にして主語を省きますので、この本の場合も主語であるWeが省略されています。元捕虜であるフレッド・シーカーという人が描いた本であることを考えると、この場合のWeが英国人捕虜である自分たちのことであることは明らかです。「(我々が日本人から受けた暴虐の数々を)忘れないようにしよう」というのがこのタイトルの意味であります。が、日本語のタイトル「忘れないように」は日本人に対するメッセージとも受け取ることができます。 小林さんとしては「日本の皆様よ、忘れないでもらいたい…」という意味を含めたつもりであるそうです。 ところでこの本は小林さんの自費出版なのですが「自虐史観とか言う者もいて余り売れていない」そうです。本当は一部1500円なのですが「送料込みで1000円」だそうです。購入ご希望の方はkoshi@fuchu.or.jpまでご連絡ください。 |
2. 噛みつくプードル犬 |
The Economistの7月17日号に「噛み付くプードル犬」(A poodle that snaps)という記事が出ています。プードルがブレア首相のことであり、噛み付く相手がジョージ・ブッシュであることは言うまでもありません。この記事はブレア首相が最近の米・日・韓・中歴訪の旅に出発する直前に書かれたものですが、ニュアンスとしては「ブレアは余りにもブッシュ寄りすぎて英国内(特に労働党内部)で大いに損をしている。もっとケンカした方がいい」ということを言っています。 すでにご存知のとおり英国では(イラク戦争)の正当性について疑う声がますます大きくなっています。ブレアはブッシュのご機嫌をよくするために戦争に加担してしまったというわけです。「ブレアは最後の最後まで国際社会が団結してイラクに圧力をかければ戦争を回避できるとマジメに信じていたのに、結果としてはブッシュに従うようなことになってしまった。中道左派としてのブレアとしては、右のブッシュにこれほど肩入れするのは不本意であったし、その結果として自分の名声にまでキズがついてしまった」とThe Economistは語っています。 で、現在の苦境を脱するために何をすべきなのかというと、ブッシュに対して「ナイスガイ」であることを止めることだというわけです。つまり「噛み付くプードル犬」になることなのですが、大切なことは「世間に見えるかたちで噛み付く」ことであるというのがThe Economistの見方。 考えてみるとあの戦争が終わってから「イラク復興に国連をかませる」「中東和平のロードマップを描いてそれに従う」「ブッシュがアフリカを訪問する」などなど、どれもブレアがブッシュに働きかけて実現させたものばかりであるにもかかわらず、あたかもブッシュの手柄のようにしか伝えられていない。何故そうなのか?それはアメリカと意見が対立してしまったときの英国が採用するのが常に「舞台裏で言うべきことを言う」というやり方だからなのだ、というわけです。 このあたりがフランスと全く逆である。フランスはアメリカとの対立を大向こうを唸らせるような目立つやり方でやってしまう。国内的にはこの方が受けいい(けれど得るところは少ない)。 The Economistは、ブレアの舞台裏を使ってのやり方でもうまくいくこともあるけれど、悪くするとプードル犬扱いされてしまう。そこへ行くとサッチャーの場合、フォークランド紛争、グレナダ侵攻のようにレーガンと意見を異にした場合、腕まくりのケンカも辞さなかった。「この際ブレアも問題を選びさえすれば、ブッシュと少々ケンカをしても英米関係にキズがつくようなことはないし、国内的にも受けがよくなるのでは?」というのがThe Economistの結論です。 |
3. ある名門工場の閉鎖 |
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4. デイビッド・ケリーの自殺 |
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5. むささびMの<日本人のネイティブ信仰について> |
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6. 受売りフィンランド:フィンランド人らしくなりたい人へ |
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7)編集後記 |
12号も出てしまいました。いつまで続くのでしょうか。少しでも読んで頂いたことに感謝致します●今回の「イングリッシュオークの周辺」は広島県向島町です。広島県というのは面白い県ですね、日英グリーン同盟にもかなりの場所が参加してくれたのですが、何故か市役所・町役場・村役場というお役所主催はゼロ。全て民間のボランティアのような組織ばかりでありました。中でも今回紹介させて頂いたお二人は変わってます(失礼!) ●そう言えばイングリッシュオークは宮城県にも植わっています。このメールを宮城でご覧頂いている方々、地震お見舞い申し上げます。 |