第14号 2003年8月24日
home backnumbers むささびの鳴き声 美耶子のコラム
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1. イングリッシュオークの周辺その4:東京都板橋区
2. ロンドンで急増する外国人の人口
3. 変化を迫られるBBCラジオ
4. むささびJの受け売りフィンランド:平均的ヘルシンキ人
5. 短信:世界記録3点「盲人ドライバー、DJ、サウナ・・・」
6. むささびMの<「…と思います」と「…と思っています」の違い>
7. 編集後記
1. イングリッシュオークの周辺その4:東京/板橋区「"自律"した市民と一緒に育つ」

東京都板橋区は人口が50万で東京23区の中でも7番目に大きい。ちなみにフィンランドの首都であるヘルシンキの人口が大体50万です。高島平の巨大な高層住宅は板橋区にあります。その近くにある中学校には日英グリーン同盟のイングリッシュオークが植えられています。

超大都会の中のポケットパーク

実は板橋区にはもう1ヵ所イングリッシュオークが植わっている場所があります。都営地下鉄三田線の志村三丁目の駅(と言っても東京以外の人にはピンときませんよね)から歩いて約10分のところにある城山おおぞら広場。都心とは思えないような木立の中に417世帯が暮らす巨大なマンションがあって、あたかもそれに付属するかのように存在しているポケットパークが城山おおぞら広場です。そこにハーブガーデンがあり、その入口にイングリッシュオークが立っている。

城山おおぞら広場は、人口1000万という超大都会の真ん中にある「区立」の公園なのですが、これを管理しているのは付近の住民です。元は草ぼうぼうの単なる空き地であったところを住民が区役所と掛け合って自分たちの手で公園にしてしまった。普通、この手の公園はお役所が殆ど住民の意向とは殆ど関係のないところで作って管理するものですが、おおぞら広場の場合は住民の意向に応えるかたちで場所を提供したものです。

はーべすとくらぶ

板橋区には公園の管理を区役所ではなくて住民が行う「公園の里親制度」というのがあっておおぞら広場もその一つなのだそうです。これも元はといえば収入減もあって役所が昔のようなサービス提供ができなくなったので、地元の住民にやってもらうことになったということですね。「管理」と言っても落ちているゴミを拾ったり、雑草を抜いたりという程度のことなのですが、ハーブガーデンを管理しているのは「はーべすとくらぶ」という、これも有志の集まり。ハーベストというからharvest(収穫)という意味かと思ったらこれが違うのです。「ハーブ」と「ベスト」を一緒にした造語なのだそうです。「最高のハーブ」というわけです。

ボランティアリズムの時代が来る

「これからはボランティアとかNPOの役割がますます大きくなります」と強調するのは松島議員。国も地方も政府の財政は完全な破産状態なので、お役所にこれまでのようなサービスを期待することができず、地域の面倒は住民自らが見なければならないというのが外的要因。 さらに「これから団塊の世代が定年を迎える。職場を離れた彼らが"生きがい"のようなものを求めた時に初めて自分が"地域"にいることに気が付きます。自分のいるべき場所をコミュニティに求めることになる」というわけです。

しかも彼らはパソコンのような技術も身に付けているし、海外経験も長かったりする。「かつての村社会(日本は巨大な村社会であると松島さんは言います)において長(おさ)の言うことに黙々と従ってきた人たちとは違う自己というか自我のようなものを備えている人たちです。"煩わしい近所づきあい"とは違う態度で地域と接触することを望むはずです」。「そうですか・・・?」と疑いの眼差しの私。群れるのは面倒じゃありませんかね。「人間は適度に群れたがる存在なのですよ」。

適度に群れたがる!?

なるほど「適度に群れたがる」とはうまいこと言う。このあたりのところを「はーべすとくらぶ」のメンバー二人に確かめてみたのですが、二人とも私の言う「近所づきあいの煩わしさ」のようなものは全く感じないとのことです。つまり義務感というものが希薄なんだそうです、この活動には。「やりたい人が、やりたい時に、やれるだけのことをする。それでうまく行くんです」と松島さんはおっしゃる。

自律した市民社会・・・

松島さんによると「5年で日本は変わる」のだそうであります。「自立した市民」でなく「自律した市民」の時代が来るとのことです。「自律」と「自立」の違いについてはじっくり話をする必要がありますね。 考えてみると、私がいろいろな人とボチボチやっている「グリーン同盟の会」なる活動も「適度に群れたがる」人間のやりそうなことなのかもしれません。一応、皆さんにイングリッシュオークの育ち具合を記録する写真を送ってくれるようにお願いしているわけですが、これは義務ではないし、商売でもない。お金を払うわけではないのだから。だいいち言い出した私自身が途中で投げ出さないという保障は全くない。でも写真をちゃんと送ってくれる人がいる。

季節感豊かなオーク

「はーべすとくらぶ」の会員である二つの家族の方も「毎年一度、この木の前で家族の記念写真を撮る」という企画をやってくれるそうであります。 西欧のように教会というものが存在して、それがコミュニティの中核になっているということがない日本で、松島さんの言うような「自律した個人による成熟社会」が実現するのか?そのような私の疑問とは全く関係なく、2002年6月に植えられたイングリッシュオークはすくすくと育っているようです。

「はーべすとくらぶ」の竹田さんは「イギリスの木なのに、日本の四季を日本人に実感させる。秋から冬にかけて、枯れたのかと思わせるほどさびしい姿になり、春からどんどんと緑の葉を伸ばしていくさまは躍動感すら覚えます」とコメントしています。松島さんは「年月をかけて同じ木を育てている仲間が日本全国にいると考えることだけでも楽しいじゃありませんか」と言います。賛成です。

2. ロンドンで急増する外国人の人口

前回のむささびジャーナルで、フィンランドの課題の一つとして外国人への開放度があると報告しました。これとは殆ど対照的ともいえる記事が最近のThe Economistに出ていました。ロンドンにおける外国人人口の増加についてです。人口1000人あたりの外国人の数の比較によるとニューヨークやロスアンゼルスを抜いてロンドンがトップの約27人となっているそうです。またこの記事の面白い点は、「外国人の数が劇的に増加するに伴って「英国生まれの英国人」がロンドンを出て行くという傾向が顕著に見られる」と指摘している点です。
 

第二次世界大戦以前、ロンドンを始めとする大都市の人口は着実に増加していたのが、戦後になって減った。いわゆる「ニュータウン」と呼ばれる町が大都市の郊外に出現し、都市の人口が流出するという現象が起こった。もう一つ、田舎から都会へと人々を惹きつけていた重工業に衰退が起こったことも挙げられる。 それが90年代になるとマンチェスターのような大都会の人口が減り続けたのに対して、ロンドンのそれは増加の道をたどり始めたわけです。マンチェスターの場合、1991年から2001年の10年間で、なんと10%も人口が減ったとされています。同じ時期にロンドンの人口は4・8%の増加を記録している。

外国人が増えて「英国人」が減る

で、(前置きが異常に長くなりましたが)ロンドンの人口増の大きな要因として外国人の数が増えたということがある、とThe Economistは伝えています。2000年を例にとると、ロンドンを去った外人と新たに到着した外人の数を差し引きすると12万人の増加なのだそうです。外国人の数が12万増えたのですよ。これ、かなり大変な数だと思いませんか? ではロンドンに移り住む外人って誰なのかというと、これが(ひょっとすると皆さんが想像されているかもしれない)いわゆる「移民」だけではないということです。

かつては外国人の流入といえばインド、パキスタン、バグラッデッシュ・・・などの国からの「移民」のことであったのですが、最近ロンドンに移住している外国人の67%が「高所得国」からの人達なのです(内務省による2000年度の数字)。 外国人の増加はロンドンの経済にいい影響を与えているようで、1995年から2002年までの数字によると英国の経済成長率が2・5%であったのに対して、ロンドンのそれは3・3%。もちろん外国人の増加のみが理由なのではありませんが、雇用主からすると「英国人よりも外国人の方が労働力としての質が高い」という例もいろいろとあるようです。

不動産の値上がり

外国人の人口増加に伴って起こっている顕著な現象の一つが不動産価格の値上がりです。で、ロンドンに家を持っている英国人はこれを高額で売って郊外に移住するという傾向がある。「英国人は昔から都会よりも田舎に住みたがる」そうで、1939年の調査でも61%の英国人が「田舎に住みたい」と答えているのですが、1997年でもそのあたりの数字は殆ど変わっていない。1994年の調査によると7割以上の英国人が都会よりも田舎に住みたがっているのですが、その理由として「静けさ」「生存競争が激しくない」と並んで「(田舎の方が)有色人の数が少ないから」というのがありました。

外国人の人口が増加するに伴って起こることの問題点の一つに子供の教育がある。英語を」母国語としない子供たちが多いと学校での授業も大変で、全国統一テストの結果としてロンドンの学校は英国全土の平均よりも成績が落ちているそうなのです。住宅が高いので教師もまたロンドンに住みたがらず、ロンドンの小中学校の教師の12%が教員資格がないか臨時教員。イングランド全体ではこれは6%に過ぎない。 いろいろと問題はあるようですが、The Economistは「住みたいと思われるのは結構なことだし、外国人がいた方が町が面白くなると前向きに結論しています。

3. 変化を迫られるBBCラジオ


英国の国営放送、BBCのラジオといえば海外にも多くのファンを有していることで知られています。日本語放送は随分前に打ち切られてしまいましたが・・・。BBCのラジオを海外で聴いているリスナーの数は約1億5000万人(とBBCは言っています)。しかしこれらの人々がすべてロンドンから放送されるBBCのラジオを聴いているという意味ではない。最近の傾向としてBBCが海外のラジオ局に番組を提供して再放送(local rebroadcast)するというケースが増えていて、1億5000万人の海外リスナーの3分の1が、そのような再放送のリスナーだそうです。
The Economistの8月22日号によるとBBCの海外リスナーの世界にも変化が出てきていて、例えばかつてはBBC王国と言われたインドでもラジオリスナーは半減している。それまでラジオを聴いていた人が経済的に豊かになってテレビを見るようになってしまったということ。インドのように最近になって経済的に豊かになったような国においては特にBBCラジオ離れが進んでいるそうです。

で、BBCラジオとしては一番の売り物であるニュースやニュース解説のような番組を海外の放送局に売るという方向に向かうのではないかとされています。そうなるとニュース関連以外の番組はカットということになる。BBCラジオを取り巻く環境はインターネットの発達によっても変化していて、例えば最近のイラク戦争の間、BBC放送のウェブサイト(43ヶ国語でやっている)へのアクセス件数はそれまでの2倍に跳ね上がった。

こうなるとBBCラジオの番組をロンドンで固定した時間表で放送するのではなくて、海外の放送局やリスナーに対して放送内容のメニューを提供する方が効率的であるという人もいる。 ただもう一つラジオ分野において興味深い技術開発がなされている分野にデジタル短波放送技術(DRM)なるものがあって、これを使うとロンドンで放送されているBBCラジオがそのまま聴けてしまう。コストが高いのがネックですが・・・。このような高音質の直接放送へのファン(お金持ち層)はアメリカでもアフリカでもアジアでも増えているとか。

昔は開発途上国の貧しい人々が有力リスナーとされていたBBCラジオですが、将来の方向として、これまでのリスナーの側に立つのか、新しい(どちらかというと富裕層)リスナー開拓の方向に向かうのか・・・。「両方を狙う」というのは経営的に「危険だ」(tricky)というのがThe Economistの結論。

4. むささびJの受け売りフィンランド:平均的ヘルシンキ人


フィンランドの首都はヘルシンキ。人口約50万人。私自身まだ行ったことがないのですが、東京にいるフィンランドの人は「ぜんぜん小さい。どこへ行くにもタクシーで15分もあれば十分・・・」と言っています。東京のようなところにいればどこだって「小さい」ってことになりますが、ヘルシンキの新聞、Helsingin Sanomatが最近伝える「平均的ヘルシンキ」によると「男性人口1000対して女性1151人。ヘルシンキは男には嬉しい都会だ」とされています。
典型的なヘルシンキ人間は「37才の女性、結婚はしていないが一人暮らしではない」ということになるのだそうであります。但しこの場合の「一人暮らしではない」というのは、同棲しているということではない。同棲というのは4分の1だそうです。つまり母親が子供とだけ暮らしているというケースもある。現在ヘルシンキには21000人の「シングルマザー」がいるそうであります。 ヘルシンキ生まれのヘルシンキ育ちは43%。一番多いのは付近の町生まれということなのですが、ヘルシンキ生まれが43%というのは、東京あたりに比べれば多いのではありませんか?東京生まれ・東京育ち・東京暮らしという人は少ないと思いますが。

住宅事情ですが、1980年における一人あたりの平均住宅スペースは27平米だったのが現在が32・5平米。フィンランド全体の数字は34・9平米。東京のいわゆる「ワンルームマンション」ってのはどんな広さなのでありましょうか?

政治の話をすると、ヘルシンキで一番ポピュラーな政党は保守派のNational Coalition Partyなのですが、Green Leagueに対する支持率はフィンランドのほかのどの町よりも高い。つまりインテリが多いってことですね。

5. むささびJの受け売りフィンランド:多文化主義への脱皮が望まれる国


かつてこのコラムでフィンランドという国にとって情報化先進国であることは、国としての存在の証明(アイデンティティ)のようなものであるということを言いました。これ、もちろん私が言っているのではなくて、あちらの大学の先生が言っていることです。教育水準は高いし、生産性も世界一だしということで、あたかも何の問題もない超優等生のように思えます。しかしこのような「優等生」にはそれなりのアキレス腱もあり、その一つに単一民族性がある、と以前に紹介したInformation Society and the Welfare Stateという本の著者が指摘しています。

少数民族意識 フィンランドはもともとフィンと呼ばれる民族から成っていたのが、スエーデンやロシアに支配を受ける中で自分たちが「少数民族」であることを強く意識するようになった。現在ではフィンが多数派民族であるにもかかわらず、彼らは相変わらず自分たちが少数派であるという考え方に固執している部分がある。ただ少数民族がほかの民族に対して閉鎖的である傾向は(フィンランド人には限らず)ある。

世論調査を見ると60%の人が「フィンランドで犯罪が起こるのは外国人のせいだ」と答えたりしている。さらに60%の人が「移民がフィンランド人の生活水準下げている」と答えています。「外国人がフィンランドに住むことでフィンランドの国際的な地位も高まる」と肯定的なのは45%だけ。 カリフォルニアとの対比 フィンランドの全人口に占める外国生まれの割合は2.5%(2000年の数字)だそうで、情報化の競争相手とも言えるアメリカのカリフォルニア州の場合、これが25%にもなる。

カリフォルニアは世界でも例外的ともいえる他民族社会なので、フィンランドと比較するのは酷なのですが、カリフォルニアのシリコンバレーで1990年代に生まれたIT企業のなんと30%がインド人・中国人によって創られたものであり「多文化社会」の強みが示されている(と著者は語っています)。

多文化主義が繁栄のカギ
尤もフィンランドの場合、外人排斥的な風土については以前に比べれば進歩はしている。1980年代半ばの時点における外国生まれの割合はたったの0・8%、外国人がフィンランドに入ってくることはフィンランドの将来にとっていいこと」と答えた人は全体のわずか19%であったのですから、それに比べれば進歩はしている。ただ著者に言わせると、特に情報産業においては優れた外国人が入ってくることが必要で、今の状態はまだまだ十分とはいえないそうです。

「フィンランドにとってチャレンジの一つは”多文化主義”というものが、文化的にも経済的にも豊かな国作りのために必要であることを認識し、開放的になることである」と言っています。

日本の将来は?
そう言えば昔(と言っても10-20年前のことですが)日本が経済的に繁栄していたときに言われたのが「日本は単一民族社会だから安定していて安全である」ということを当の日本人が言っていましたよね(外国人はもちろんですが)。あれから時代が変わって最近、池袋あたりを都知事が視察したということがニュースになっていました。

「外国人」による犯罪が多発していることが背景になっての「ご視察」であったそうですね。上に書いたフィンランドについては、筆者がフィンランド人で(つまり自分たちの悪い点はよくわかる)あり、なおかつ開放的なカリフォルニア大学の教授をしている。ということでフィンランドの「閉鎖性」というのは実際にはそれほどでもないのではないですかね?

6)短信:世界記録3点「盲人ドライバー、DJ、サウナ・・・」

盲人ドライバー

英国の通信社Press Associationのサイトで拾った最近の「世界記録」の話題をいくつか。8月13日、英国のヨークにある自動車の実験場で、マイク・ニューマンという人がジャガーXRJを運転、3km強のランウェイ上を時速144マイル(230km)で走るという世界記録を達成したのですが、これは盲人ドライバーによる世界最速記録。もちろん車に乗ったのはマイク一人、父親が後続車に乗って無線で方向性の指示を与えたということなのですが、だとしても目が不自由で時速230kmは怖い。不自由でなくてもびびりますね。この挑戦はチャリティ企画で盲導犬を増やそうという活動の一環であったそうです。

マラソンDJ

一方7月末にウェールズの首都、カーディフで行われたマラソン・ディスクジョッキー世界記録挑戦は、挑戦者が70時間をちょっと越えたところでダウン。それまでの世界記録である74時間を超えることはできなかったそうです。挑戦者は34才のディスクジョッカーで、これもチャリティ企画だったのですが、延々レコードを回しながらしゃべり続けたのですが、70時間を越えたところで疲労困憊でダウンとなりました。が、やっている間に集まったお金はアムネスティに寄付されるのだそうです。ちなみに世界記録は80時間。

サウナ我慢大会

8月18日、スェーデンで行なわれたサウナの我慢大会で、摂氏110度のサウナに17分8秒座り続けて、この分野の世界記録を達成したのは35才になる建設工事の労働者。それまでの記録は16分15秒だったそうです。尤もこの記録達成については医学界からは「80度以上の高温に身体をさらすことは心臓にとって非常に危険だ」との批判が出ているそうです。こういう話って昔、落語にもありましたね。銭湯で熱い風呂に我慢して入るとか、お灸の熱さに耐える話とか・・・。
7)むささびMの<「…と思います」と「…と思っています」の違い>

「…と思います」と「…と思っています」を外国人に教える事になり、この二つの使い方の違いは何だろう、意味の違いは何だろう、と自分自身に問いかけてみた。例によって実際に我々が使う時には、無意識に使っているので、大した違いは無い積もりで使っているのだが、案外複雑な使い分けがあることが分かって面白かった。

まず、「…」のところに動詞を入れる場合、その動詞が辞書形(終止形)の場合と意向形の場合とでは大分ニュアンスが違って来る。例えば、「行くと思います」と「行こうと思います」とを比べると前者は「行く」という確かさが低く、「多分」というニュアンスが入るのに対して、後者は話者の「行く」という意思が強く伝わる。さらに、この動詞を「…と思っています」の方に続けてみると、「行こうと思っています」は自然に聞こえるのに「行くと思っています」は何かが欠けているような不自然さが感じられる。 いつものように教師用の説明マニュアルをひもといてみると、「・・・と思います」の主語は文章の中で言われていなくても絶対に話者自身でしかあり得ないのに対して、「・・・と思っています」の方の主語は話者自身でもあり得るし第三者でもあり得ると書いてあった。

「彼は絶対に行くと思います」という文では「思っている」のは話者である私。これを「彼は絶対に行くと思っています」という具合に変えてみると、「思っている」のは必ずしも私ではなく、むしろ彼の行くという意思を伝えている文のように感じられる。

さらに、これに付け加えてこんな風にしてみると、誰が何を思っているのかが良く判って来て面白い。「(私は)彼は絶対に行くと思っていると思います!」「行く」を意向形に変えるとまた一寸ニュアンスが違ってくるので面白い。「(私は)彼は絶対に行こうと思っていると思います」となるのだ。なるほど、やっぱり「行く」という辞書形の方が確かさが低く、「行こう」という意向形の方が思っている人の意思が強く伝わって来るように感じる。

こんなことを面白いと感じるのは、私が日本人だからであって、日本語を学ぼうとしている外国人には、ひょっとすると紛らわしいだけかもしれない。日本人がHe thinksのthinkを「・・・と思います」ではなく「・・・と思っています」と無意識のうちに訳してしまうというところが、私には不思議で面白い。I think he will go to school tomorrow.と He thinks he will go to school tomorrow.をそれぞれどう訳すか、次回学習者に尋ねてみようと思っている。
8)編集後記

皆様の中にはコンピュータでワープロを打ちながら居眠りをしてしまった人、います?私はあります、数回。長さでいうと数秒なのでしょうが、キーボードに指を乗せたまた居眠りをしたので、目を覚ましてスクリーンを見るとyという字が延々と並んでいたりします。居眠りは気持ちいいのですが、スクリーンにyyyyyyyyyyyなどと並んでいるのを見るのは気持ち悪い・・・。むささびジャーナルのホームページはそのような艱難辛苦の中から生まれたのです。よろしくお願いします。