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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
musasabi journal
第143号 2008年8月17日

   

今日は結構涼しいようです。埼玉県は、昨晩、雨が降ったし、いまでも曇り空。かんかん照りではないようで、ほっとしています。でも8月ももう下旬なのですね。

目次

1) スパナ殺人事件への怒り


以前にも言ったことがあるけれど、ジョークを訳すのって難しいですよね。直訳すると何が面白いんだか分からな い。と言って余り原文から離れるわけにいかないし・・・。というわけで、かなり原文から離れた翻訳ジョークを一 つ。

殺人事件の公判でのこと。被告は二人を殺したと言う理由で裁判を受けている。

「あなたは自分の妻をスパナで殴り殺したことで起訴されています」と裁判官。

すると法廷の後ろの方から大きな怒鳴り声が聞こえる。「てめえってヤツは・・・このお!」(You *******!)

裁判官は続ける。「あなたは自分の娘もスパナで殴り殺したことで起訴されています」

すると、またまた法廷の後ろから「てめえってヤツは・・・このお!」(You *******!)という怒鳴り声。 裁判官がその怒鳴り声の主に、

「そこのあなた、被告の残忍な罪に対して怒り心頭なのは分かりますが、ここは法廷 です。これ以上あのような怒鳴り声を出すのなら法廷侮辱罪になりますよ」と告げてから、

「一体、あんたどうした というのですか?」と尋ねる。

すると大声を出した男が立ち上がって言う。

「いや、アタシはアイツの家の隣に15年も暮らしているんです。それなのに、いつもスパナを貸してくれと頼んだら、 スパナなんか持ってねえって言いやがったんですよ!ウソつきやがって、このお!」(For 15 years I've lived next door to the accused and every time I asked to borrow a ******* spanner, he said he didn't have one!)

というわけです。英文の中にある*******は、文字にしにくい言葉です。

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2) 男女平等はもう古い!?


ケンブリッジ大学で社会学を教えているJacqueline Scott教授がこのほどWomen and Employment: Changing Lives and New Challenges(女性と雇用:生活の変化と新たなチャレンジ)という本を出した(私はまだ読んでいません)のですが、その基本的なメッセージは

英国とアメリカ社会では、男女平等に対するサポートが衰退しつつあるように見える。職場でフルに役割を果たす女性は、結局、家庭を犠牲にしているのではないかという懸念が広がっている。Support for gender equality appears to be declining across Britain and America amid concern that women who play a full role in the workforce do so at the expense of family life.

となっています。Jacquelineというからには女性でありますが、Scott教授はこの本を書くにあたって、英国・アメリカ・ドイツの3カ国で過去30年間に行われたさまざまな生活意識調査を分析したのですが、今から14年前の1994年、「女性がフルタイムの仕事に就いても家庭が犠牲になることはない」(a family does not suffer if a woman is in full-time employment)と回答した英国女性は50・5%、男性は51・8%だったのに、2002年に同じ質問をすると女性の場合で46・5%、男性の場合は42・2%と半数を割っている。この傾向はアメリカではもっと明らかで、51%から38%にまで落ちているのだそうです。

ドイツの場合、東西ドイツの統合(1990年)以前の西ドイツでは「男は仕事、女は家事」という考え方が一般的だった。1994年の時点でも「女性が仕事を持っても家庭は犠牲にならない」という考え方は24%と、英米よりもかなり低かったし、これは2002年になっても37%と比較的低いものにとどまっている。

Scott教授は「男女平等を支持するという考え方は90年代でピークを越しており、女性が仕事と家庭の両方を行うべきだという考え方に対する疑問の気持ちが広がっている」と言っております。

尤も、だからと言って英国人が「男は仕事・女は家庭」という伝統的な考え方に回帰しつつあるというわけでもないようです。「金を稼ぐのは男の仕事であり、女は主婦として子供の面倒を見るのが仕事」(it is the husband's job to earn income and the wife's to look after the children)という考え方について、約20年前(1987年)の調査では男の71.7%、女性の63%がこれに賛成していたのに、6年前(2002年)の調査では41.1%(男)、31.1%(女)にまで下がっているのだそうです。

▼最後に出て来る数字ですが、要するに20年前には女性が働いてお金を稼げる職場そのものが、いまほどにはなかったってこともあるのではありませんか?ビジネスウーマンだの女性重役だのというのも少なかったと思うけれど、パートのような仕事だっていまほどにはなかったってこと。Chartered Management Instituteという経営者団体によると、いまの英国では労働力の45%が女性なのだそうです。

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3) グルジアはクレムリンのワナにはまった


ロシアとグルジアが、グルジアにある南オセチア自治州をめぐって戦争状態になっていますが、8月9日付けのThe Timesに寄稿したEdward Lucasというロシア研究家(英国人)によると、この戦争は、「グルジアが敵が仕掛けたワナ にはまった(Georgia has fallen in to its enemies' trap)」という性格のものなのだそうであります。Edward LucasThe New Cold Warという本の著者でもあります。

グルジアと言っても正直言ってぴんと来ないので、8月10日付の朝日新聞の社説を頼りにおさらいをしておきまし ょう。グルジアは黒海沿岸にある共和国で人口は500万足らず、旧ソ連の崩壊で独立した新興国の一つです。その 中の南オセチア自治州はロシアとグルジアの国境にあり、オセット人という少数民族が住んでいるのですが、国境 を挟んでロシア側にある北オセチア共和国と一緒になりたいと要求して、グルジア政府との武力衝突が続いてきて いる。朝日新聞の社説によると・・・

(南オセチアでは)ロシア軍が平和維持軍として展開して大規模な戦闘はなくなったが、事実上、グルジア国内の 小さな独立国のような存在になっている。

とのことで、今回の武力衝突については

グルジア政府軍が自治州の制圧を目指して進攻し、ロシア側が反攻に出て戦闘が広がったというのが大きな構図 だ。

と解説されています。

で、最初に挙げたEdward Lucasの寄稿文です。このところ南オセチアではロシア軍の後押しを得た南オセチア分離 派軍とグルジア政府軍の間で戦闘が続いていたのですが、これは分離派軍の挑発にグルジア政府軍が応酬するとい うカタチで行われてきた。この最初の挑発がロシアによるワナだったのだ、とLucasは分析するわけです。それに 乗って反撃するグルジア政府軍を、今度はロシアが圧倒的な軍事力と外交攻勢でやっつける。

外交攻勢とは何かというと、インターネットも含めたさまざまな情報戦争を通じて、グルジアが南オセチアを抑圧 しているというイメージを全世界にふりまく。ロシアの攻撃は軍事力だけではなく、サイバー攻撃も行われていて 、グルジア側のウェブサイトが殆ど稼動しないようにしてしまっているのだそうです。

情報戦争(地上戦ではない)に勝つ者がこの紛争の勝利者になるのだ。ロシアは、グルジアが抑圧者であり、妥協 を知らず、何をしでかすかも分からない国であり、これに従わない小さな村を軍事力と民族浄化によって無理やり 従わせようとしている国だ、というイメージを振りまいている。そんな国は、西側の支持が得にくいのは明白では ないか。For it is the information war, not what happens on the ground, that will determine the victor of this conflict. Russia is portraying Georgia as the aggressor, an intransigent and unpredictable country determined to restore its supremacy over an unwilling province by means of military force and "ethnic cleansing". Such a country, clearly, would be unfit to receive Western support.

Lucasによると、ロシアのこの情報戦争は成果を収めつつあり、ドイツのメルケル首相を始め、ヨーロッパ首脳の 間ではグルジアのサーカシビリ大統領を「アメリカ教育で染まり、2005年のバラ革命で権力をもぎ取ったカリスマ 弁護士」(a charismatic US-educated lawyer who stormed to power in the Rose Revolution of 2005)として疑 いの目で見ることが多いのだそうです。しかしEdward Lucasによると、これは間違っている。

グルジアは完璧な国ではないが、独裁国家ではない。指導者はニセのイデオロギー(クレムリンを支配するソ連 時代への郷愁とロシア帝国時代の国家優越主義のような)にこだわることもない。市民社会は盛んになっているし 、反対勢力も声を上げられる状態にある。グルジアは、きわめて熱心にNATOとEUへの加盟を望んでもいる。 道徳的に考えるだけでも、ロシアの抑圧に対して、グルジアを支持する理由は十分にあるのだ。Georgia is not perfect, but it is not a dictatorship. Its leadership does not peddle a phoney ideology, such as the Kremlin's mishmash of Soviet nostalgia and tsarist-era chauvinism. It has a thriving civil society, vocal opposition and ardently wants to be in the EU and Nato. Moral grounds alone would be enough reason for supporting it against Russian aggression.

ヨーロッパにとって、さらに切実なのはエネルギー供給の問題です。Lucasの記事によると、旧ソ連圏からヨーロ ッパへのエネルギー供給ルートをクレムリンが独占してしまっており、これがヨーロッパにとって大きな脅威とな っている。その唯一の抜け道が、エネルギー豊富なアゼルバイジャンからグルジア経由でトルコへ抜ける石油とガ スのパイプライン・ルートで、グルジアがロシアの手に落ちてしまうと、ヨーロッパがロシアに対して、エネルギ ー面で独立できる希望も失われてしまう。

ただグルジアに関しては西側も割れてしまっている。アメリカのブッシュ大統領はもうすぐお終いなのだから、グ ルジアのためにロシアと第三次世界大戦のリスクをおかすことはしない。ヨーロッパはというとグルジアに味方を するのは、リトアニアのようなかつての共産主義国で、いずれも国としては小さいところばかり。ドイツなどは、 ロシアとの関係の方を重視している。

Lucasによると、この戦いはグルジアにとって、単に南オセチアを確保するとかいうことではなく、グリジア自体 の生存にかかわる戦いになるだろうとのことです。場合によっては、グルジア国内で、同じように分離独立を狙っ ているアブハジア(Abkhazia)の分離派がロシアの支援を得て武力闘争をするということも考えられる。

Edward Lucasは、コーカサス地方のこの戦いは、西側にとって強烈な目覚まし時計になるだろう(The fighting in the Caucasus should be a deafening wake-up call to the West) として次のように結んでいます。

今年4月にブカレストでNATOの首脳会議が開かれたとき、西側は致命的な間違いを犯した。グルジアが加盟 を確かなものにしようと試みたのに対して、(首脳たちは)はこれを拒否したのだ。そのときに、グルジアのサーカ シビリ大統領は「西側が少しでも弱みと優柔不断さを見せれば、ロシアはそれにつけ込んでくるだろう」と警告し た。で、いまやそうなったのだ。(The fighting should be a deafening wake-up call to the West. Our fatal mistake was made at the Nato summit in Bucharest in April, when Georgia's attempt to get a clear path to membership of the alliance was rebuffed. Mr Saakashvili warned us then that Russia would take advantage of any display of Western weakness or indecision. And it has.)

▼最初に参考にさせてもらった朝日新聞の社説は「グルジア政府軍が自治州の制圧を目指して進攻し、ロシア側が 反攻に出て戦闘が広がった」としていますが、Edward Lucasの記事によると、その政府軍の進攻自体がロシア側の 挑発にのってしまったものだとなっている。

▼また朝日の社説は結論の部分で、南オセチア問題を軍事で決着しようとすると、「旧ソ連のあちこちに残る少数 民族問題が火を噴き上げることになるのは間違いない」というわけで「戦闘をやめ、対話のテーブルにつく。これ しかない」と言っています。Edward Lucasの記事には「対話のテーブル」などという言葉は全く出てこない。「ロシ アが何を考えようが、グルジアをNATOに入れよう」と対決を主張しているように見えます。Edward Lucasのブ ログはここをクリックすると読むことができます。The Timesに掲載された寄稿文も載っています。

ところで英国のOpen Democracyのサイト(8月12日)には、グルジアのGhia Nodia教育大臣の寄稿文が掲載されてい ます。この大臣によると、要するにロシアが狙っているのは、グルジアにロシア寄りの政権、NATOに加盟しよ うなどと夢にも思わないようなを誕生させることであるわけですが、これはロシア国内の世論に対するジェスチャ ーでもある。すなわち、グルジアを支配することで)NATOに対する勝利であり、冷戦敗退以来続いてきたロシ アに対する侮辱をここで断ち切ったということを示すことである、ということです。

Ghia Nodia教育大臣は、

この戦いはグルジアの魂とアイデンティティのための戦争である。領土支配や軍事・政治に関する取り決めがど のような結果になろうとも、グリジアは負けるわけにはいかないし、西側はこれを無視するわけにいかない戦争な のである。This is a war for the soul and identity of Georgia. Whatever the outcome in terms of territorial control or military-political arrangements, this war is one Georgia cannot afford to lose, and the west cannot afford to ignore.

と主張しています。

▼Ghia Nodia教育大臣の記事(英原文)はここをクリックすると読むことができます。これはなかなか伝わってこな いグルジア人の言い分を伝えるものなので、一読した方がよろしいかも。それを読むと、正直言って、朝日新聞の 社説の「戦闘をやめ、対話のテーブルにつく。これしかない」という主張が、殆ど滑稽と言ってもいいくらい「毒 にも薬にもならない」ものに見えてきます。

▼人口1億4000万でいまや石油大国の国(ロシア)と人口500万足らずで、ソ連の支配下にあった小国(グルジア)を同 列に並べて語ることの無意味さです。そもそも「対話のテーブル」なんてあるのでしょうか?Nodia教育大臣のエッ セイを読む限りにおいては、とてもそんなものがあるとは思えませんが・・・。

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4) 「ゆりかごから墓場まで」の60年


いまでこそ余り言われなくなったけれど、かつては英国というと「ゆりかごから墓場まで」(from the cradle to the grave)という言葉で「福祉先進国」のように言われたことがありましたね。その基本となったのが、国民保健制 度(NHS: National Health Service)です。その制度が始まったのが、いまからちょうど60年前、1948年7月5日のこ とだった。当時は労働党政権で、各家庭に配布されたNHSについてのパンフレットは次のようにうたっていた。

NHSは医療・歯科医療・介護ケアのすべてを、みなさまに提供いたします。お金持ちも貧乏人も、男も女も子供 も、みんながこの制度を利用することができます。いくつかの特別なものを除いてはすべて無料です。保険資格を 問われることもありません。しかしそれは慈善活動ではありません。みなさまが納税者としてお金を払っているの であり、この制度によって病気のときもお金の心配をしなくても済むのです(the new NHS will provide you with all medical, dental and nursing care. Everyone - rich or poor, man, woman or child - can use it or any part of it. There are no charges, except for a few special items. There are no insurance qualifications. But it is not a "charity". You are all paying for it, mainly as taxpayers, and it will relieve your money worries in time of illness)

NHSについては、サッチャーさんが1980年代に「医者任せで余りにも非効率的に運用されている」として、合理化を 図り、ブレアさんの時代(1997年以降)になって「予算が少なすぎる」という批判を浴びて、大幅に政府の予算を増や すなど、いつの時代も議論の的となってきた。60年目を迎えたこの制度について、7月5日付けのThe Economistの 政治コラム"Bagehot"が「長い間続いてきたので、再び近代的に見えてきた(The National Health Service has lasted long enough to look modern again)」という趣旨の意見を述べています。

1948年にこの制度が始められたとき、前提となっていたのが「国民全体の健康が向上すれば、これに要する政府の 支出も減るだろう」(demand would decline as the nation’s health improved)という考え方だった。これが全 く間違っていたわけ。生活水準が上がり、長生きするようになればなるほど、ヘルスケアに対する要求が高くなっ て、NHSの年間予算も、当初の2億4800万ポンドから1056億ポンドへと大きなものになってしまった。これらの要求 を満たすために、NHSのように税金で運営される制度を続けること自体が間違っているのでは?という考え方も出 てきている。

しかし他に方法はあるのか?となると、英国の制度は「それほど間違ってはいない」(less crazy)かもしれない。ア メリカの場合、GDPの15・3%が健康福祉に使われており、英国の8・4%のほぼ2倍であるにもかかわらず保険に入って いないアメリカ人が沢山いる。NHSのような国家によるユニバーサルな医療サービスの充実の利点として、いろい ろな診療例が蓄積されて、将来の医療技術の発展に繋がることがあるともいえる。

ただ病気になったら皆が画一的なNHSのお世話になるというのではなく、金銭的に余裕のある人は、NHSの範 囲外のサービスを受けることができるようにすればいい。全員が同じ医療サービスを、となると金持ち(ミドルク ラス)はNHSを脱退してしまい、英国における社会的な一体感(social solidarity)のようなものが失われること になりかねない、とBagehotは言っている。

NHSの次なる問題点として、病院経営までもNHSの制度下で政府が行わなければならないのかということがあ ります。これはブレア政権下で、病院同士の競争原理を導入することによって、国家の財政による市場主義 (state-funded market)の導入が行われ、それまでのような国家指定医師の独占ということはなくなった。

とはいえ、NHSの医療サービスの大半が国が運営する病院で提供されているという事態には余り変わりがない。 国家が医療に関与してくると、どうしても中央の政治家が絡んでくる。そうなると医療活動や政策の優先順位が政 治家によって歪められるということもある。例えば肥満を始めとする生活習慣病(lifestyle diseases)の予防医療 については、余り票につながらないので、重要であるにもかかわらずなおざりにされてしまうという危険はある。 政治家の責任をウォッチしていく必要が出て来る。

医者が余りにも高給を取りすぎているとか、病院が汚いとか、突然手術がキャンセルされた等々の問題はあるにせ よ、The Economistによると、昔に比べると医者も看護婦も増えており、待ち時間も少なくて済むなど、最近の世 論調査でもNHSに対する満足度は高い。

英国人というのは一貫性のない人たち(Britons are an incoherent lot)で、左翼的な人々は社会的な平等を重視 しようとするし、自由市場主義者たちは、平等主義者たちのことを「安物の社会主義者」とバカにする。Bagehotに よると、英国人はヨーロッパ大陸の人たちに比べると、社会的な不平等には寛容でありながら、話題によっては、 頑固にコミュニティ主義者であることにこだわる傾向がある。NHSについていうと、いろいろと問題点はあるに せよ、どっちも正しい(つまり政府主宰ではあるが自由主義的な選択の余地を残すNHS)という結果が出ている、 というのがThe Economistの結論です。

▼英国がNHSをどうしようとしているのかは、日本人である我々にとっても無関心ではいられないのですが、話 題が大きすぎて、私などの手に負えない部分があります。で、ウェブサイトをいろいろあたっていたら、英国の日 本大使館に勤務する武内和久という人が、この問題について詳しく分析・報告していました。一読をお勧めします 。この人は厚生労働省のお役人のようであります。

▼Bagehotのコラムで一つだけ、日本にも明らかに関係があると思った個所があります。このコラムニストの奥さ んが最近、お産で入院したのですが、そのときの病院のスタッフが実にいろいろな国の人であったということです 。助産婦がアゼルバイジャン人、麻酔医師がケニヤ人、看護婦がモロッコ人、小児科医がイラク人といった具合い 。このことについて、おそらくミドルクラスの生粋の英国人であろうコラムニストは「あぶなっかしく、混乱気味 で、何やら空襲下のストイシズム(皆で頑張ろう)という雰囲気であったが、サービスは素晴らしく、いかにもNH Sという経験だった」(It was a bit shoestring and chaotic, with a faint air of Blitz-spirit stoicism; but, in its essentials, the service was impressive. It was a classic NHS experience)と言っています。

▼最近、日本ではインドネシアからの介護者の受け入れを始めていますが、テレビを見ていたら、何やらタイヘン な難関を経て日本にやって来るらしい。それでも日本人にだって難しい試験にパスしないと本国へ帰らなければな らない。この難関にはいろいろな理由や事情があるようですが、その報道によると、日本国内の介護士さんたちの 業界団体が外国人の受け入れに猛反対しているということも、その一つであるとのことだった。おそらくこの種の 問題(いわゆる医師不足も含む)は英国にだってあるに決まっている。英国に関して言うと、その問題解決の一つとして移民(外国人)受け入れということをやっている。これはいいことなのか、止めたほうがいいことなのか?もちろん、私はいいことだと思っているのであります。

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5)むのたけじと憲法9条

93才のジャーナリスト、むのたけじさんの『戦争絶滅へ、人間復活へ』(岩波新書)は、むのさんが書いたのではな く、黒岩比佐子さんという、むのさんより約40も年下のノンフィクション・ライターがむのさんにインタビューを して、いろいろなことについての発言を引き出すという形をとっています。

むのさんは私よりも26才年上です。広島・長崎に原爆が落とされ、第二次大戦が終わった昭和20年(1945年)、私は 4才、むのさんは30才だった。今年(2008年)7月に出たばかりの本の広告を見て、すぐに本屋さんへ行きました。私 が知りたかったことは二つです。一つはむのさんが日本の憲法第9条をどのように考えているのかということであ り、もう一つは、朝日新聞を辞めて『たいまつ』という週刊新聞を自分で出すということまでやってしまったこの 人が、ジャーナリストという職業をどのようなものと考えているのか、ということでありました。

まず憲法9条ですが、むのさんは、その二つの性格に目を向けるべきだと言っています。一つは、それが侵略戦争 をやって沢山の人を殺した加害者である日本に対する「裁き」として、アメリカから与えられたものであるという性 格です。ならず者国家である日本から武器を取り上げて二度と使わせないようにしようというものであり、日本を 国家扱いしていない屈辱的ともいえるものだということです。

しかし憲法9条にはもう一つの性格がある、とむのさんは言います。

人類が生き続けていくためには、戦争を放棄したあの9条の道を選択する以外にないといえる。だから憲法9条を 良いほうに考えると"人類の道しるべ"だということもできる。

つまり日本にとって屈辱的なものではあるけれど、人類全体にとっては「平和への道しるべ」ともなりうる性格を持 っている、というわけです。憲法第9条の「二重性」とはそういう意味です。ところが(むのさんによると)終戦直後 の日本は全くの壊滅・放心状態で、戦争の辛さ、苦しさ、悲しさから解放された当時の日本人(特に進歩派の人々) は、この憲法を「神様の御幣」のような立派なものとして祀り上げてしまった。

本当なら、憲法9条が連合軍に宣告された死刑判決だという屈辱と、日本がみずから再生を図るための輝かしい 道しるべという理想の両方の面を、突き合わせなければならなかった。その上で初めて、日本人は今後どういう生 き方をし、人類に対してどういう呼びかけをしていくべきかという苦闘が始まったはずです。そういう議論を、あ のときしなければならなかった。

むのさんはまた終戦直後の日本人の放心状態だけでなく、連合軍の極東裁判にも問題があったと言います。すなわ ち、あの裁判では「戦争が終わったときに大臣をやっていたような人たち」だけが裁かれて、「最初に戦争を始めた 人たち、満州事変を起こした人たち」は全く放置されてしまった。で、戦後もその部分を残したままアメリカの要 求に沿って自衛隊を持つにいたった。

いまや日本は軍事予算という点では「軍事大国」になってしまっているのですが、むのさんは、秋田県横手市で「自 衛隊には一人も行かない町を作ろう」という運動を始めているのだそうです。自衛隊に行かなくても「ママ(おまん まのこと)食える郷里を作ろう」というのですが、兵器はあっても軍隊に入る人がいない、という状態にしようとい うわけであります。

▼以前にもむささびジャーナルで触れたのですが、イラク戦争とベトナム戦争の違いは、後者を戦った米軍は徴兵 制に支えられていたけれど、イラク戦争は志願制ということ。ベトナム反戦運動は、当時の学生たちが徴兵制にさ らされていたから起こったけれど、イラクの場合は恵まれない家庭の子弟が「おまんまを食うために」参加すること で成り立っている。だから反戦運動が起こりにくい状況になっている。学生たちは反戦運動をやるかわりに、シリ コンバレーでおカネ儲けをしているというわけです。

▼むのさんによると、戦争が終わった1945年から1960年までの15年間、「人殺しなどは少なかったはずです」とのこ とです。何故ならみんなとくにかく食うことに一生懸命だったからだ、ということです。この点、作家の半藤一利 さんが、今年の8月8日付けの日経新聞の夕刊で同じようなことを言っているのは興味深い。半藤さんは次のように 語っています。

戦後日本人が一生懸命働いて豊かになり、世界に誇るに足る国をつくり上げることができたのは軸があったから です。それは平和主義、平和憲法だったと思います。

私(むささび)が『戦争絶滅へ、人間復活へ』という本を読む気になったもう一つの関心である、むのたけじという人がジャー ナリズムをどのように考えているのかということですが、ちょっと長くなりますが、彼は次のように言っています 。

ジャーナリズムとは何か。ジャーナリズムの「ジャーナル」とは、日記とか航海日誌とか商人の当座帳とか、毎日 起こることを書くことです。それをずっと続けていくのが新聞。それは何のためかというと、理由は簡単で、いい ことは増やす、悪いことは二度と起こらないようにする。ただそれだけのことなんです。

つまり、新聞記者とかテレビ・ジャーナリストのような人たちには「いいこと」「悪いこと」という価値判断のような ものが求められると言っている(と私などは解釈します)。日本の新聞は800万部とか1000万部とかいうように発行部 数が非常に大きいのですが、むのさんによると、それは「新聞にとって本当に危険なこと」なのだそうです。

たくさん売ろうとすれば、個性を薄めなければ生きられない。それは読者がいない、ということと同じで、自己 主張できないということです。

確かに日本の新聞やテレビは、いわゆる「政治的中立」ということを金科玉条のごとく標榜していますね。むのさん の表現を借りると「与党と野党の主張を、両方紹介して、足して二で割って、ちょっと砂糖をまぶして・・・」とい うことで、結局「何だか分からない状態」になる。「まったく自己主張というものがない。そんな状態で反戦など と言えますか」と嘆いている。

▼偶然ですが、むささびジャーナルの『どうでも英和辞書』のJのところでjournalのことを書きました。私、そ の際には、むのさんの言う「自己主張」については全く意識にありませんでした。が、このように言われてみると、 新聞やテレビは単なる「掲示板」以上のものが要求されているのに、それには全く応えていないということは言え るかもしれないですね。「自己主張=偏見」と思い込んでいるのかも?

▼ただ自己主張のなさはマスコミだけのことではなくて、それ以外の世界にもあるように思えませんか?「自分は こう思う」ということを言ってしまうことへの逡巡のようなものです。それを言葉で定義すると、間違うことへの 恐怖感となる。なぜ間違うことが怖いのかというと、自分が口に出すことは絶対に言い直しがきかないと思い込ん でしまうから。なぜそう思い込むのか、よく分からないけれど、自分の考えは間違っている可能性があるという ことを認めたうえで、それでも何かを言うことが、自由で新しい発想への入り口であることは間違いないし、偏見 に陥らない自己主張も可能になる。「とりあえず言ってみよう」の精神ですな、必要なのは。

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6)むささびJの、どうでも英和辞典:p-r


public: 公
私、恥ずかしながらpublic(公共)とstate(国家)は同じものと思っていた時代があります。NHKは国営放送(state broadcast)だと思っておりました。でも考えてみると、電車もバスも飛行機も民間会社がビジネスで営業しているけれど「公共交通」(public transportation)といいますよね。でもタクシーは「公共」でないのか?

私(昭和16年生まれ)と同年代の人で「受験英語」と格闘したことのある人なら、山崎貞という人の『新自修英文典』をご存知ですよね。何と、この本は大正10年に発行されたのですね。その本にpublicという言葉を使った例文として「The public is the best judge:世間は最良の判断者である」というのがありました。publicの日本語として「世間」というのをあてているのはにくい。私、以前から「世間」という日本語を英語では何というのか、気になって仕方がなかったのであります。


queuing:行列

英国人は行列が上手・・・ということがありますね。ラグビーのスクラムのことをFrench queuingというのだそうです。フランス人は行儀が悪くて、並ぶときでもつい押し合いへし合いになってしまう・・・これは英国人が使う陰口。そういえば中国の人々も、どちらかというとスクラム組のようであります。

行列についてのアンケート調査(16歳以上の1000人から回答を得た)によると、英国人がイチバン嫌がる行列は「トイレの順番待ち」、ついで病院、飛行場、スーパーのレジ、銀行となっている。この調査によると5人に3人が「行列」は英国の国民的こだわり(national obsession)であると考えているけれど、3人に一人が「行列破りをしたことがある」と答えており、5人に一人は「他の人がやるなら自分もやる」と言っているんだそうです。別の言い方をすると3人のうち二人はしたことがないし、5人中4人が、他人がやっても自分はやらないと思っているということ。さすが行列大国ですね。

でも行列とくれば、ナンバーワンはなんつったって日本人でしょう。地下鉄、バス、スーパーのレジ、公衆トイレなどなど、どれをとっても日本ほど安心して行列に並べる国はない。


rolling:転がる

これも受験英語だったと思うけれど、A rolling stone gathers no moss(転石、苔を生ぜず)というのがありましたね。「じっとせず落ち着きのない人は結局は大成しない」という意味だと教わったように記憶しています。この場合の「苔」というのは、実績とか経験とかいう意味でありますね。東山裕一という人のブログによると、英国ではこの格言を日本と同じ意味で使うけれど、アメリカでは「常に活動的な人には苔のような汚いものがまとわりつかない」と、ポジティブな意味になるのだそうです。 そういえば日本には「石の上にも3年」というのがあるな。

アメリカのフォークソングでRollin' Stoneというのがありますね。

A rollin' stone gathers no moss.
A rollin' stone hasn't a boss.
Just like a Spring or a Summer's breeze,
I can roll just where I please. I'm just a rollin' stone.

人生、気楽にやろうぜ、というニュアンスのようであります。英国人の解釈例はここをクリックすると、ある程度は分かるかも・・・。

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7)むささびの鳴き声


▼先日、ことし初めて所沢にある西武球場へプロ野球を観に行きました。何故か、その日は西武ライオンズの選手たちが、今から46年も前にこのチームが「西鉄ライオンズ」といわれていた時代のユニフォームを着ておりました。しかも球場内では、ファンサービスとして「昭和36年10月12日」付けの『西日本スポーツ』というスポーツ新聞の復刻版(第一面だけ)まで配布されていた。トップ記事が「稲尾 42勝をマーク」となっておりました。

▼同じ紙面に「パ・リーグ打撃表」というのが出ているのですが、そこに出ている選手たちの名前を見て涙が出そうでありましたね。ベスト5だけ紹介すると、張本(東映)・榎本(毎日)・田宮(毎日)・杉山(南海)・山内(毎日)というわけでございます。私などは(お願い、もう少しだけ言わせて!)、この人たち一人一人のバッティングフォームを真似できますからね。

▼ところでこの新聞の値段は「5円」となっており、福岡市新柳町というところにある「一楽」という旅館の広告によると「お泊り2食付で1300円、素泊り800円」となっておりました。

▼北京五輪の「星野ジャパン」が苦戦していますね。はっきり言って、けが人をなぜメンバーに入れたのか、よく分からない。けがをして試合に出られない選手たちがベンチから応援している風景について、アナウンサーや解説者が「みんな一丸となっていますねぇ!」とか言っていたけれど、妙な褒め言葉です。この人たちは、日本を出発する前から故障を言われていたのに・・・。

▼それにしても、NHKはなぜああもオリンピックに時間を割くのでしょうか?「国民が見たがっているから」というのだろうと思うけれど、本当に国民は午前11時から夜中まで、オリンピックだけを見たがっているのでしょうか?ラジオを聴いていたら、アメリカの場合、NBCが中継の権利を買っており、オリンピックはもっぱらNBCらしいのですが、それでも日本ほどにはやっていないようですよ。大体、アメリカが強いと思われる競技だけ集中的にやっているそうです。

▼最後に言わせてもらうと、中継するアナウンサーや解説者は「いまのジャッジは腑に落ちない」とか「国際試合だから仕方ない」という風に、審判が不公平なジャッジをしているかのような言い方は止めてくれまへん?聴いていて情けなくなる!


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