musasabi journal
発行:春海二郎・美耶子
第145号 2008年9月14日

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鳴き声

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虫の鳴き声が聞こえる季節ですね。ベッドに横になると、外からいろいろな虫の声が聞こえてきます。自然のステレオです。

目次

1)福田退陣は日本が変わるチャンスだ


またひとり灰色の男が消えた(Another grey man bites the dust)・・・これ、福田首相の辞任を伝える9月4日付けThe Economistの記事の見出しです。この場合の「灰色」は、犯罪容疑者という意味ではなく、「よく分からない男」とか「無性格な人」とかいうことであります。もちろん褒め言葉ではない。この記事のイントロは

福田康夫氏の辞任は政治危機の前触れかもしれない。日本が決定的に必要としている政治危機である。Yasuo Fukuda's departure may just herald the political crisis Japan so badly needs.

安倍・福田そしてこの次ぎの人と、日本では選挙で選ばれたのではない人がつづけて3人首相になることになるということで、日本の政治は全くもって「どうしようもない混乱状態」(hopeless and depressing mess)に陥ったように見える・・・

しかしながら、日本における変革を望む人々(The Economistも含む)にとって、いまこそ「切歯扼腕」という情けない想いをするというよりも、手を揉みながら喜ぶべき瞬間なのである。日本の政治はこれまでの50年以上で最もエキサイティングな時代に突入したかも知れないということである。However, for those, like this newspaper, hoping for change in Japan, this is a moment not for hand-wringing gloom, but for hand-rubbing glee: Japanese politics may have entered its most exciting period in more than 50 years.

何が「喜ぶべき」なのかというと、福田退陣によって自民党は昔ながらの「古ぼけて灰色の密室のやり方(old, grey, back-room style)」に戻ってしまったけれど、実はその「古ぼけたやり方」もうまく行かなくなっている。そのことは総裁選挙で、麻生さんにチャレンジする勢力が小泉改革の後継者の中から生まれているということで分かる。

麻生さんが首相になり、新しいイメージで選挙を戦うことになるが、民主党に敗れる可能性は大ありだし、仮に負けなかったとしても、これまでのように衆議院の安定多数を占めることは難しい。いずれにしても、昔の自民党に戻るには相当な時間を必要とする。一方、小泉グループの多くが、いまの自民党では自分たちの改革を実現するのはムリだということが分かってきた。民主党の若手の中にも、小沢さんの下では希望が持てないと思っている人が沢山いる。

(自民と民主の)この二つの反主流グループが結束すれば、本当の意味での政策をベースにした2党間が競争するという方向に日本を持っていくだろう。いまほどその可能性が高いことはなかったし、必要性が高いときもなかったと言えるのだ。(The prospects have rarely been brighter for these two groups to join forces and drag Japan towards true policy-based competition between parties. Nor has the need ever been greater.)

つまりThe Economistの切なる願いは、自民党内の小泉改革推進グループと民主党内の「小沢さんのやり方はダメだ」と考えるグループが一緒になって、「官から民へ・中央から地方へ」の小泉改革を継続・推進して欲しいということでありますね。

▼The Economistの見方(というか希望的観測?)によると、自民党もいずれは改革派(小泉さんのグループ)と古い人たちが分裂し、その一方で民主党も小沢さんのような古い部分と若手に分裂、両方の改革派と守旧派(懐かしいですね、この言葉)が違う党を作って2大政党になり、政策を議論する民主主義のシステムができる・・・と、こういうことですよね。

▼以前、民主党の渡部恒三さんが「私は政権交代が可能な2大政党による政治の確立に政治生命をかけております」と言うのを聴きながら「この人、なに言ってんだろ」とバカにしておりました。そうでしょう、政権交代が可能な2大政党制というのは、政治のシステム・手段のことであって、政策そのものではないですよね。「日本が核兵器を持つためにガンバリます」というのは政策論議ですが「核兵器を持つべきかどうかの議論ができるような制度を作ります」というはシステム論議です。

▼私が渡部恒三さんの情熱的な語りに違和感を感じてしまったのは、政治家というのは、システムではなくて、システムを使って実行する政策を考えるためにいるのだ、と思っていたからであります。

▼ただ・・・私、最近、ちょっと心境の変化というのを経験しておりまして、ひょっとすると渡部さんの訴えていることはマジメに考えた方がいいのではないか?と思い始めたのでありますよ。「政権交代が可能な2大政党制」というやつです。そうでないと、われわれいつまでも自民党だけが政治みたいな錯覚から抜け出せない。気に入らなければ政府を変えられるのだ、という実に当たり前の考え方ができないまま、メディアのいわゆる「閉塞感」から抜け出せない状態が続いてしまう。

▼政治というのは、どのみち「最善(best)」ではなく、「少しでもマシ」(less bad)を選択するものなのだし、誰がやっても完璧ということはない。のであれば、ダメだと思ったら変えるということが当たり前になった方がいい。

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2)不適切発言の名人(?)エディンバラ公


最近、アメリカの民主党大統領候補のオバマさんが、共和党候補のマケインさんの政策を批判して「口紅塗ってもブタはブタ」(you can put lipstick on a pig, it's still a pig)と発言、これが副大統領候補のペイリンさんへの侮辱だというので問題になっていましたね。「ブタに口紅」は、うわべだけ飾ることを意味するアメリカのことわざなんだそうですね。つまりオバマは、マケインの唱える「改革」政策をうわべだけのもので中身がない、ということを皮肉って言ったというわけであります。

それはともかく、政治家の失言(inappropriate remarks)というのはどこにでもありますよね。日本では「女は産む機械」(柳沢厚労大臣)とか「子供を産まない女性は国家に必要ない」(浜田幸一)とか・・・。麻生太郎さんの場合、国内外の米価を比較する例えとして「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」と発言して反発されたりしています。

というわけで、ちょっとだけネット検索してみたら、エリザベス女王のダンナさんであるエディンバラ公の「失言」がわんさか出ておりました。それもかなり趣味の悪いものが多いのでビックリしてしまった。

If you stay here much longer, you'll all be slitty-eyed(あんまり長い間ここにいると、君たちもつり目になるよ)

→1986年に中国を訪問した際に、英国人の留学生たちに語った言葉だそうです。

You are a woman, aren't you?(あなた女ですよね?ですよね?)

→ 2002年、ケニヤを訪問した際に、贈り物を差し出したケニヤ国民に向かって言ったもの。

Deaf? If you are near there, no wonder you are deaf(耳が聞こえないの?あんなに近くにいるんじゃ、耳が聞こえないに決まっているな)

→ 1999年、ウェールズの首都・カーディフでジャマイカスタイルのスチール製ドラム(かなり大きな音をだす)のプレーヤーの傍に並んでいた子供たちに向かっていった言葉。

Do you know they're now producing eating dogs for the anorexics?(食欲不振者のために"食べる犬"というのが出来ているって知ってます?)

→ 2002年、盲導犬と一緒だった盲目の女性に向かって言った言葉。

これらはほんの少しの例だけ。ここをクリックすると、あるはあるはです。それにしても、この人、どういう神経の持ち主なのでありましょうか?

他人をキズつけたのではないけれど、自らの評判を落としてしまったという意味での「失言」といえば、アメリカのジョージ・ブッシュ現大統領と、先代のブッシュ大統領(1989年 - 1993年)の副大統領だったダン・クエールのものがありました。いずれも英語が可笑しい例。

Childrens do learn(子供たちは学ぶものなのですよ)

→ブッシュ現大統領が、英語教師を対象に文法を教えることの大切さを説く演説をした際の発言。「子供(child)」の複数形はChildrenなのに、それにsを付けてしまった。 大統領の英語が文法的に間違っていることはしょっちゅうなのですが、これは相手が英語教師だけにまずかった。

If we do not succeed then we run the risk of failure(もし成功しなければ、失敗のリスクをおかすことになる)

→ これはダン・クエールのもの。どこかの演説らしいのですが、詳細は分からない。いずれにしても、素晴らしいですね。

▼アタシもクエールと同じようなこと言って受けたことがあるな。「面白くなければ、つまらない」ってんですがね。とにかく、ブッシュもクエールも素晴らしいじゃありませんか。エディンバラ公よりはるかにいい!

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3) 女性は政治指導者として向いているか?


アメリカのPew Research Centerという機関が、大統領選挙に関連して行った最近の世論調査は、アメリカ人が女性と男性の政治リーダーをどのように考えているのかを示しているのですが、それが結構矛盾していたりして面白いものになっています。

   

約2500人の成人を対象にした調査なのですが、上の左のグラフは政治的なリーダーに求められる資質(traits)を重要度順に挙げるように質問したところ、@正直(Honest)、A賢明(Intelligence)、B勤勉(Hard-working)、C決断力(Decisive)、D野心的(Ambitious)、E優しさ(Compassionate)、F外向的(Outgoing)、G創造的(Creative)の8項目が挙げられた。それぞれの資質において、男と女のどちらが上かとたずねたところ、上・左のような結果になっています。

つまり、男が女より上とされるのは、「決断力」(decisive)だけ、男女同じなのが「野心的」(ambitious)と「勤勉」(hard-working)。あとは全部、かなりの大差で女性の方が上という結果になっています。

では、実際の政治指導者としてはどちらがいいのか?となると上の右の円グラフのような回答だった。圧倒的多数は「男も女も差はない」と言っているのですが、積極的に「女の方がいい」という人はかなり少なくなる。上に挙げた「資質」における、あきらかな女性上位現象に比べると、やっぱり男が強くなるという傾向にはある。この現象についてPew Researchは「(女性は)数字的には優るのに、いざ勝負となると弱いスポーツチームのようなもの」(women emerge from this survey a bit like a sports team that racks up better statistics but still loses the game)と言っております。

この調査に見る限りにおいては、女性の社会進出が進んでいるアメリカとはいえ、指導者層となるとアメリカは男社会であるということになる。現にこの調査でも、アメリカにはやはり性的差別があり、変化に対する抵抗が強いと答えている人が多かったのだそうです。

政治の分野でいまいち女性が進出していないのではないかと思われる数字としては、下院議員の数は全体の17%、上院議員は16%、州知事は16%などが挙げられています。国会議員としての女性の進出度ではアメリカは世界で85番目でちょうど真ん中あたりだそうです。ちなみに英国の下院における女性議員の数は19%、日本の衆議院はぐっと低くて9%となっています。

▼考えてみると、サッチャーは女性首相であったけれど、彼女の閣僚に女性はいなかったのではないですかね。彼女自身は、女性という意識はなかったと言っているけれど、閣僚に女性がいなかったとすると、女性なのに政治家としての女性をあまり買っていなかった?

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4)新たなる冷戦・・・ホントですか!?


最近「新たなる冷戦(new cold war)」という言葉が盛んに使われるようになっています。いまや新たなる冷戦時代なのだという人もいるし、グルジアとロシアの戦争に関連して、メドベージェフ大統領が「冷戦もいとわない」というような発言までしている。

確かにロシアと欧米の対立めいた部分はいろいろとあるけれど、それはnew cold warと呼ぶべき状況なのか?というわけで、The Economistの9月4日付け(ネット版)が、「冷戦」という言葉の定義について記事を載せています。タイトルはThe new cold what?(新たなる冷・・・何だって?)。

そもそも「冷戦」なるものは、いつ始まって、いつ終わったのでしょうか?ソ連とアメリカという2つの超大国間の覇権争い(軍事的な覇権もあるし、思想的なそれもある)という意味での「冷戦」は、1948年のベルリン封鎖に始まり、1980年代に何となく消えていった(peter out)というのが普通なのだそうです。

それが最近になってnew cold warということが言われるようになった。アメリカのLexis-Nexisというデータベースによると、2001年9月〜2006年9月の5年間、世界中の主なる新聞や雑誌で"new cold war"という言葉は1062回使われているけれど、2007年9月からのたった1年間で1861回も使われているのだそうです。

で、現在は本当にnew cold warの時代なのでしょうか?ロシアが反米的なベネズエラだのイランだのと仲良くしようとしたりするということはあるけれど、かつての冷戦時代のように、アメリカとロシアが自分たちの国から何千キロも離れたところで代理戦争(朝鮮戦争やベトナム戦争など)をするという時代ではなくなったことははっきりしている、とThe Economistは言います。現在のロシアと欧米の対立はもっぱらヨーロッパに近い旧ソ連圏でのトラブルをめぐるものであって、世界に広がるというようなものではない。何故か?

理由は簡単。地球規模で争うにはロシアが弱すぎるのである。ソ連は、とりあえず「超大国」のふりをすることはできた。でもロシアにはそれができない。中国と組むことで、マジメな意味での反欧米同盟を組むことは可能性としてはある。が、いまはそのようなことは起こっていないようである。The reason is simple: Russia is too weak for global struggle. The Soviet Union could at least pretend to be a superpower. Russia cannot. In alliance with China, it might perhaps be able to form a serious anti-western alliance. But that does not seem to be happening.

The EconomistはAndrei Piontkovskyというロシア人の評論家の意見として「ロシアと中国の同盟関係は、ウサギと大蛇(boa constrictor)が同盟を組んだようなもの」というものを紹介しています。ロシアはウサギなのですが、boa constrictor(中国のこと)は大蛇ではあるけれど、毒がない種類のものなのだそうです。つまりロシアは軍事力では「大したことない」のだそうであります。

さらに現在がnew cold warの時代ではないことの例として、思想的な広がりがあります。かつての米ソ冷戦時代はソ連主導の国際共産主義運動が世界中の人々を捉えて離さなかったということがあり、共産主義という思想によって世界をつなぐということがあった。しかし現在のクレムリンに同情的・同調的な人は(The Economistによると)、道徳に無関心な金融ビジネスマン(amoral financiers)、何でもかんでもアメリカ嫌い(America-haters)、孤立主義の変人(isolationist cranks)、そして反資本主義者(anti-capitalists)らであり、彼らが一堂に集まったらお互いに嫌い合うことは間違いない、というわけです。

軍事・思想以外に、ロシアがあらゆる分野で世界に組み込まれてしまっているということもある。ロシアの人々はソ連時代には考えられなかったような規模で世界中に出て行っているし、国内でもロシア人は自由な生活が楽しめる社会に生きている。

というわけで、現在がかつてのような意味やカタチでの冷戦の時代ではないかもしれない。が、new cold warについて語ること自体は必ずしもバカなこととはいえない(talk of a "new cold war" is not necessarily absurd)、とこの記事は言います。

かつての冷戦との類似点も幾つかはある。主なる舞台が中・東欧諸国であることもその一つ。違いはというと、ロシアがかつてような軍事的占領ではなく、経済的な影響力の行使というやり方をとっていることであり、中・東欧諸国はロシアに経済的に吸い込まれないように努力しているということである。

資本主義対共産主義という思想的な争いは、いまや価値観の衝突というものにとって代わられた。報道の自由とか選挙で勝つ可能性のある野党が存在しているということは、現代の経済に必要不可欠な要素といえるのかどうか?この問いに対して、西側はyes(必要だ)といい、ロシアはno(不必要だ)という。かつての冷戦においても、ロシア帝国主義はソ連の考え方の中で、目立たないかもしれないが、大きな役割を果たしていたのだ。いまや、それ(ロシア帝国主義)が復活したようでもある。実に困った状況であると言える。いまや悲しいことではあるが、こうした状況を表現するための厳しい表現が必要となっている。The ideological struggle between capitalism and communism has been replaced by a clash of values: are a free press and an opposition that can win elections necessary parts of a modern economy? The West says yes; Russia says no. Even in the old cold war, Russian imperialism played a big if submerged role in Soviet thinking. Now that seems back too. That’s nasty. And a nasty short-hand term for it, sadly, is needed.

▼この最後の部分、私には分かりにくいですね。ロシア帝国主義って何ですか!?「価値観の衝突」というけれど、ロシアは社会主義時代のように「万国の労働者よ団結せよ!」と呼びかけているわけではない。ただ「主権民主主義」(sovereign democracy)というわけで、「ロシアの土着の文化、伝統に即した民主主義を実施する」「もう西側のモデルを猿まねはしませんよ」と言っているにすぎない。北大の木村汎名誉教授によると「実に当たり前のこと」であります。こうなると、社会主義革命前のロシアの歴史も知る必要がある!?

▼いずれにしても、昔に比べるとロシアは、対欧米姿勢に関する限り「守り」の姿勢なのですよね。そういう意味でも、現在の米ロ対立はかつての冷戦とは違う。非常に皮肉だと思うのですが、自分たちの思想(価値観と言ってもいい)を押し付けるということだけを捉えるならば、現在はむしろアメリカや欧米の方が教条主義的かもしれないですよね。おそらくロシアから見れば、グルジアのサーカシビリ政権は、アメリカの傀儡政権なのでしょうね。かつてアメリカや日本が、北ベトナムや北朝鮮などをソ連の傀儡と考えたのと同じです。

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5)外国にいるロシア人

前回のむささびジャーナルで、在京ロシア大使館の臨時代理大使が記者会見を行い、南オセチアへの軍の侵 攻の理由として「南オセチアにいるロシア人の保護」を挙げていたと書きました。ここでいう「ロシア人」と いうのは、プーチン大統領時代の2000年にロシア政府からパスポートを支給された人のことを言うとも書き ました。ただ、この人たちが民族的にロシア人なのか、民族的にはオセッタ人であるけれど、ロシア人扱い をされたいということでパスポートを貰ったのか・・・私には分からないし、是非知ってみたいとは思うわけで す。

で、9月6日付のThe Economistに掲載された、ロシアについてのかなり長い解説記事の中に興味深い表が出て おりました。ロシアの近隣諸国にいる「ロシア人」の数です。民族的にロシア人(ethnic Russians)とロシアの パスポート所持者(Russian passport holders)の二つに分けた数字(それぞれの人口に占める%)は次のとおり です。

人口
ロシア人
パスポート所持者
カザフスタン
1530万人
29・9%
資料なし
ラトビア
224万人
28.0
2.0%
エストニア
130万人
25.6
6.8
ウクライナ
460万人
17.3
資料なし
ベラルーシュ
970万人
11.4
資料なし
モルドバ 
430万人
5.9
資料なし
リトアニア
360万人
5.2
0.6

それぞれかなりの数のロシア人がいるんですね。エストニアという国は、人口たった130万人ですが 、CIAのサイトによるとEstonianと呼ばれる人は70%以下(67.9%)で、ロシア人が25・6%いる。

  • 日本の場合、CIAのサイトによると98.5%がJapaneseで、Koreans(0.5%)、Chinese(0.4%)なのだそうです。わ れわれには多民族国家というのは感覚としては理解しにくい面がある。

エストニア以外にもロシアを取り巻く旧ソ連圏の国々には、ソ連に占領されていた時代にロシア人が移り住 み、そのまま暮らしている人がたくさんいる。旧ソ連圏の国々が独立したときに自動的にその国の市民権を 得たわけではないのですね。The Economistによると、それらの「ロシア人」の中には無国籍状態の人もいるし 、ロシアのパスポートを所有している人もいるのですが、実はバルト3国(リトアニア、エストニア、ラトビ ア)にとっては「悪夢」(nightmare)なのだそうです。

昨年、エストニアの首都、タリンで旧ソ連時代の戦争記念碑のようなものが、エストニア政府によって除去 されようとしたときに、「ロシア人」が大騒ぎをしたということがあったのだそうです。エストニア人にして みれば、思い出したくもない占領時代の記念碑ですが、ロシア人の心情は穏やかではなかったということで す。

リトアニアの場合、国の西側にカリーニングラードというロシアの自治州のようなところがあって、ロシア 軍が本国からカリーニングラードへ移動するときの通り道になっている。今年の10月に総選挙があるのです が、クレムリン寄りの候補者が結構当選するかもしれないという情勢だそうです。バルト3国はいずれもEU のみならずNATO加盟国でもある。

旧ソ連圏ではないけれど、ロシアと国境を接している点ではグルジアと同じ地理的条件になるフィンランド( 人口約500万)にもロシア人はたくさん住んでいます。フィンランド外務省主宰のサイトによると、2003年の 時点で、ロシア語を母国語とする人(Russian-speaking persons)の数は35,222人、そのうち24,988人はロシ ア国籍だそうです。ソ連時代に移住して来た人もいるし、ロシアになってから来た人もいる。さらにバルト 3国から来たロシア人もいる。ロシア語を母国語とする人の数は、フィンランドではスウェーデン語を母国 語とする人に次いで第二のマイノリティなのだそうですが、数自体は着実に増えているそうです。

そういうフィンランドでは、ロシア・グルジア紛争がどのように受け取られているのか?フィンランド国営 放送とのインタビューでハロネン大統領は「バルト諸国のように(ロシアに対して)厳しい姿勢をとる必要は ない。フィンランドようにロシアに対して冷静な姿勢をとる国があった方が、EUにとっても好ましいはずだ 」と語っています。つまり対ロ慎重派ですね。メディアやインテリは大統領の姿勢には批判的ですが、世論調査 によると、52%が大統領のやり方を支持しているそうです。

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6)むささびJの、どうでも英和辞典:福田さんの辞任会見の英訳

differ:異なる

福田首相が辞任の記者会見をやったとき、最後のところで、広島の中国新聞の記者が「あなたは、なにごとも他人事のようにハナシをする」というニュアンスで、批判の意味もこめた質問をしましたね。それに対する福田さんの答えは、

  • 「私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたと違うんです」

というものでありましたね。キレ気味の答えだった。で、この部分は、英語でどのように言うのだろうと思って首相官邸のサイトを見たら、次のようになっておりました(官邸のサイトには首相の発言が速記録風に日英両方で出ています)。

  • I am able to take an objective view of myself. In this I may differ from you.

なるほど・・・さすが、完璧な英語であります・・・でもこれだと「キレ気味」の雰囲気が出てこないんじゃありません?am able toとかdiffer from youというのが、妙に形式的というか立派すぎるというか・・・。それと「おれはよ、テメエなんかと違うんだ!」と言うのにI may differ from youてえのは、どうも・・・・。

と思って、ネット検索をしてみたら、この部分をロイター通信は次のように伝えておりました。

  • I can see myself objectively. I'm not like you.

I may differ from youではなくて、 I'm not like youというわけ。はっきり言って、これはロイターの方があのときの雰囲気に近いと思いますね。am able toではなくてcan、当然ですね。


voice声をあげる
同じく福田さんの発言について、知ったかぶりしてケチをつける意図も能力もありません。でも「他人事のようにというふうにあなたはおっしゃったけれども・・・」の部分の英訳"You spoke of my speaking in a way that sounded as if I were voicing somebody else's concerns"はおかしいのではありませんか?「他人事のように」というのを"voicing somebody else's concerns"というのが気になるのですよ。voicingは「声をあげる」という意味ですよね。somebody else's concernsは、自分以外の誰かさんの心配事や関心事という意味です。この二つを並べると(私の解釈では)「他の人のために声をあげている」つまり「親切なことをしている」という風になってしまう。 違いますかね・・・。

中国新聞の記者が「他人事のように・・・」と言ったのは、「まるで自分には関係ないような言い方をする」ということなのだから、私が訳すとするならば"as if things have nothing to do with me"というような感じにすると思います。で、ロイターはどう訳していたのかというと、not having had his heart in his jobとやっておりました。つまり「心ここにあらず」という意味ですね。

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7)むささびの鳴き声


▼かなり前のことですが、TBSのラジオを聴いていたら、政治記者のタケダさんという人が「日本のメディアは野党に冷たすぎる」ということを言っていたのを思い出します。「新聞もテレビも政府や自民党についての報道と民主党をはじめとする野党についての報道に余りにも格差がありすぎる。ヨーロッパではもっと野党の言い分が報道される」と言っておりました。

▼メディアの人たちは、一応「権力をチェックする」ことを仕事と思っているから、ある程度は自民党の政策に批判的なことも書くけれど、それに替わるものとしての野党の政策をそれほどマジメに検討して報道しているとはとても思えない。

▼「自民党もダメだけど民主党も頼りない」という言う人が多いのは、そのようなメディアの報道のアンバランスもいくらかは影響しているのではないかと思います。では、何故メディアは野党よりも与党や政府の言うことを報道しがちなのか?このあたりはメディアの内部にいる人間でないので、私には分からない。推測で言うと、与党や政府の言うことの方が報道する価値がある、つまり日本にとって大切であると考えているということになる。

▼が、それだといつまで経っても「政策を議論する民主主義システム」が出来るような社会的な雰囲気はできあがらない。「どっちがやっても同じじゃないんですか?」と、分かってもいないのに冷めたようなことを言う「庶民」はメディアが作り出している部分もあると思います。

▼北京五輪に続いて、恥を忍んで文句を言わせてもらいます。NHKという放送局は、何の義理があって自民党の総裁選挙の候補者をああまで報道するのでしょうか?私が記憶・承知しているだけでも、自民党本部からの記者会見、その日のNHKスタジオでのインタビュー、日本記者クラブでの会見、日曜日の朝の政治番組・・・いずれも大変な時間を、この5人のために割いています。本当にひどいと思います。

 

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