musasabi journal
発行:春海二郎・美耶子
第146号 2008年9月28日

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UK Watch

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むささびの
鳴き声

美耶子の言い分

Green Alliance Club

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ぐっと涼しくというか、寒くなりましたね。皆さん、どうでもいいことでしょうが、パ・リーグで西武ライオンズが優勝いたしました。念のためにご報告を。申し訳ありませんが、日本シリーズも勝たせていただきます。

目次

1)自転車でも中国がダントツ


Earth Policy Institute(EPI)というアメリカの環境関連NPOによると、昨年(2007年)1年間で世界で1億3000万台の自転車が生産されたそうです。知らなかったんですが、世界最大の自転車メーカーは、Giant Manufacturing という台湾の会社なんですね。

The Economistの9月18日号によると、この企業は8月だけで46万台の自転車を売ったとされています。 環境に優しくて健康にいいということで、自転車業界はある意味時流に乗っているとも言える。興味深いのは、いまからほぼ60年前の1950年から1970年くらいまでは、自転車と自動車の生産の増え方は似たようなペースであったのが、70年以後になると、自転車の生産台数が4倍なのに、自動車は2倍にとどまっている。それにしても、ここでも中国がすごいですね。昨年の1億3000万台のうち中国での生産が8700万台なのであります。

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2)政治的透明度の国際比較


ベルリンに本部を置くNGO、Transparency Internationalは世界各国の政治的透明度の比較調査で知られています。このほど2008年度の調査結果を発表したのですが、それによると世界で最も透明度(transparency)が高い(つまり腐敗が少ない)国は、デンマークで、以下ニュージーランド、スウェーデン、アイルランド、ドイツ、ノルウェーなどが続いています。日本は米国とともに18位、フランスが23位、韓国40位などときて、中国は72位、ロシアは147位でバングラデッシュ、ケニヤと同じ位置にあるそうです。調査対象になった180カ国の中の180位はアフリカのソマリアだそうです。

英国は16位なのですが、前年の12位よりも落ちています。何故落ちたのかというと、爵位を金で売ったり、国会議員が好ましからぬ方法で交際費を使ったりという政治にまつわるスキャンダルが相次いだことによるのですが、英国の場合、特徴的なのは自国の企業が契約を獲得するために外国政府に賄賂を渡したりするケースなのだそうです。最近の例では兵器産業のBAEがサウジアラビアの皇室関係者や官僚に賄賂を払ったりした疑惑ということがある。

Transparency Internationalによると、英国の賄賂禁止法はかなり緩いということが問題で、BAEの疑惑についても政府が途中で警察による捜査を打ち切ったりしたのだそうです。英国は1997年に賄賂禁止のための国際条約に署名しているのですが、それ以後、外国政府への賄賂提供で英国内で有罪になったのは、ある企業がウガンダの大統領顧問に賄賂を贈ったとされる事件だけ。政府の姿勢が甘すぎるという批判に対して、ビジネス省のスポークスマンは「現在のところ20件が捜査されており、国際的な基準よりも厳しくやっている」と言っています。

ところで、日本の18位はアジアでは、香港、シンガポールに次いで第3位だそうです。透明度比較の調査結果はここをクリックすると見ることができます。

▼大分県教育委員会のようなケースがたまにはあるけれど、日本の場合、汚職だの賄賂だのという意味での「不透明」は、諸外国に比べれば少ない方かもしれない。しかし政治がよく分からないところで動いている(と普通の人が思っている)点では透明度が高いとはとても思えないですよね。例えば自民党の総裁選挙などで、この候補者はXX派とか報道されるのに、その派閥に属していることが政治思想的に何を意味するのかは全く分からないもんね。

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3)麻生内閣、「とてもマジメに選んだとは思えない」


9月25日付けのThe Economistによると、麻生内閣の顔ぶれは、与謝野馨氏(経済財政担当大臣)を唯一の例外として「驚くほど能力に欠ける(astonishingly thin)」のだそうであり、この人たちを選んだ麻生総理は「とてもマジメとは思えない(Mr Aso cannot be serious)」と言っております。

「とてもマジメに選ばれたとは思えない」とまで酷評されている顔ぶれを何人か紹介すると:

  • 石破茂(農水大臣):防衛の専門家なのに、農業を任された。どういうわけ?!
  • 中曽根弘文(外務大臣):かつての首相の息子であることが主な取り柄(notable chiefly for being the son of a former prime minister)
  • 鳩山邦夫(総務大臣):この人もかつての首相の息子だが、友人たちでさえも「最も能無しの法務大臣だった男(the most incompetent justice minister in memory)」と言っている。

と、けちょんけちょんでありますが、最も文字数を使って酷評されているのは、財務大臣の中川昭一さん。「潜在的予算破り人間(potential budget-buster)」であることは麻生さんと同じだそうですが、そんな男を世界的な経済危機に対処する大臣したのだ(the man now responsible for coping with the global financial crisis)というわけです。

さらにThe Economistの記者が以前に中川氏を取材して、現在の日本では女性の労働力が最も必要とされているのではないか、ということを話題にしたところ、

中川氏いわく、女性には女性のいるべき場所があり、発揮すべき能力がある。すなわち生け花であり、裁縫であり、料理である、とのことだった。(Mr Nakagawa has said that they have their "proper place" and their "own abilities" in, for example, flower arranging, sewing, or cooking)

▼要するにThe Economistが言いたいのは「この人に経済関連大臣など絶対ムリ」ということである(と私は解釈して賛成するわけです)。

中川氏のような人に対抗して、低下する一方の日本の出生率を高める仕事を任されたのが、これまたかつての首相の娘さんで、34才という若さのYuko Obuchi(34-year-old daughter of another prime minister)であるというわけです。

another prime ministeranotherという言葉のニュアンス、お分かりですね?"これまた"というヤツです。あんまり大したことないということですね。

というわけで、この記事のイントロは「麻生がマウンドにあがった。しかしおそらく大して長くはもつまい(Aso steps up to the plate; but perhaps not to stay very long)」となっています。

一方、次なる総選挙を「最後の戦い」(last battle)と言っている民主党の小沢さんの場合は、現状に不満な人なら誰でもいらっしゃいというわけで反動的(reactionary)な国民新党から社民党・共産党にまで結集を呼びかける「何でもあり同盟(rag-bag alliance)を目指している。ワーキングプアや老人に援助の手を差し伸べ、地方を活性化させると言っているけれど、それを達成するための民主党の財源案は、いまいちあてにならない(The DPJ’s proposals for paying for this are not credible)。

しかし小沢さんが、地方回りをやって、自民党政権による怪しげな(murky)税金の使い方(インフラ整備のための特別会計とか巨大なお役所の無駄遣いなど)を攻撃すれば、選挙民も耳を傾けるだろうし、自民党が衆議院で多数を占めれば、相変わらず「衆参ねじれ現象」続くことになり、これはこれで混迷の度合いを深めることにも繋がると考える日本人も多いはずだ。

というわけで、小沢さんの「反乱への望み」は充分に成就可能なことのように見える(Mr Ozawa’s hopes for an upheaval look entirely plausible)とThe Economistは言っています。

▼自国の政府や総理大臣のことを悪く言うのは不本意なのでありますが、The Economistならずとも、この内閣はひどいと思う人が多いんじゃありませんか?私も当然その一人であります。いちばんひどいのは、この人たちを選んだ麻生さんでしょうね。ただもっとひどいのは、その麻生さんを選んでいる選挙民ですよね。麻生家は福岡県飯塚市の御三家の一つで、豪邸の塀は100メートル以上続く・・・と私の知り合いのジャーナリストが教えてくれました。戦前、炭鉱と大陸で大もうけした一族なんだそうです。

▼麻生政権が小泉路線からのお別れであることは確かなようでありますね。あのときあれほど圧倒的に小泉支持に回った自民党の政治家や地方の自民党員なる人たちが、如何にいい加減であったかが分かります。小沢さんは小泉支持ではないけれど、一応口では「官僚支配の打破」ということを言っている。その意味ではThe Economistも期待する部分はあるってことですね。

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4)メディアが首相をこきおろすと民主主義が滅びる?


『フォーサイト』という雑誌の2008年10月号の「異端妄説」というコラムが、「首相を長持ちさせるコツ」というエッセイを掲載しています。福田首相の辞任に関連して書かれたもので、辞任会見における「福田さんの会見は他人事を語っているみたい」という記者の質問に対して「アタシはアナタとは違うんです」と切り返した、あの有名(?)なエピソードを例に挙げて、「日本のメディアは、首相という立場にある人のことを軽々しく扱いすぎる」と文句を言っています。つまりあの質問は首相に対して失礼だというわけであります。次の3か所を引用すれば、このエッセイのおよその趣旨が分かります。

  • (政治家の存在が軽くなっているのは)わざと矮小化して侮蔑の対象にしているようなメディアの罪も小さくない。
  • (首相をバカにすることは)結局は日本という国の存在感を軽くするだけで、国際社会で尊敬の対象になどなりえないだろう。<中略>少しはがまんして見守ってやるという姿勢が国民の側に必要だ。
  • (国会で指名され、天皇陛下に任命される)首相の職務の責任性を政治家もジャーナリズムも疎んじている。民主主義や日本の国家のあり方として、深く反省すべきだ(これは中曽根元首相の言葉の引用)。

首相と呼ばれる人をもっと尊敬しよう、ちょっとばかし物事がうまくくいかないからといって、すぐにバカにしたり、侮蔑したりするのは民主主義に墓穴を掘る行為であり、日本が外国にバカにされることに繋がる・・・というわけです。

このエッセイの言っていることがまともなのかどうかはともかくとして、ジャーナリストが政治家を疎んじることが民主主義の衰退に繋がるという趣旨の中曽根さんのコメントを読んで、一昨年亡くなった、英国人ジャーナリスト、Anthony Sampsonの言葉を想い出してしまった。彼の最後の作品"Who Runs this Place?"の中で、Sampsonは、英国における職業別信頼度調査というアンケートに触れて、政治家が全く信頼されていない(13職種中の12位)ことの理由の一つは、メディアによって悪しざまに書かれ、報道されることにあると言っている。余りにもめちゃくちゃに叩かれるので、優秀な若者が政治家になりたがらないということが起こっており、これは健全な民主主義(healthy democracy)にとっては望ましいことではない、と指摘しています。

Sampsonが言及した職業別信頼度調査についていうと、政治家がビリから2番目の信用度なのですが、信用度最低の職業人は「ジャーナリスト」であったという結果になっています。つまり政治家を「信用ならないやつらだ」と叩きまくるジャーナリストたちに対する信頼度が政治家以下であるという結果になっている。ただSampsonは、何故ジャーナリストへの信頼度がそれほど低いのかについて触れていない。

「ジャーナリスト」にもいろいろあります。スキャンダル専門の大衆紙の記者もジャーナリストだし、Sampsonのような高級紙(彼は昔、Observerの記者だった)やBBCの記者もいる。この調査でいう信用度最低のジャーナリストは、ひょっとすると大衆紙の記者かもしれない。英国の大衆が読むのは圧倒的に大衆紙の方だから、彼らに悪く言われた政治家の評判が落ちるという因果関係はあるかもしれないけれど、自分たちが読んでいる新聞のことも大して信用していない、というさめ加減がいい。

政治家がメディアによってこき下ろされるという点では、日本も英国も似たもの同士と言えるのですが、英国の場合は、それが故に政治家を目指す優秀な若者がいないという現象が起こっている(とSampsonは言っている)。しかし日本の場合は、メディアによっていかに叩かれようとも、その政治家の子供や孫が政治家になる「二世・三世議員」というのが、特に自民党では数限りなく存在する。現に福田首相にしてから、次なる総選挙では引退し、自分の息子に後を継がせるというハナシもある。父親があれだけメディアによって公にコケにされているのを見ていながら、それでも政治家になりたい・・・不思議だと思いません?

この不思議の背景について、私が勝手に想像するならば、メディアが政治家を「侮蔑の対象」にしているのは、単に商売上そのように装っているだけ(政治家を叩くと新聞が売れるから、とか)で、読者に見えないところでは、ぜんぜん侮蔑などしていない。むしろへりくだっており、それを二世・三世たちも見ているから、メディアの批判などハナもひっかけない。そういえば、日本の場合、政治家が死ぬと、生前さんざバカにしたはずの新聞に必ず「XXを悼む」というわけで「本当は偉かったのだ」という追悼記事が出たりする。

日本のメディアは、特に政府・与党について厳しい姿勢をとるから、首相も長持ちしない・・・ということはあるかもしれないけれど、では野党の政策に好意的かというとそれもない。つまり両方に対して批判的で、肯定的な部分はきわめて少ない。だから、大衆の方も「どっちがやっても同じじゃありませんか?」という冷めた見方が多かったりする。そして「どっちがやっても同じ」と言いながら、結果としては「現状維持」ということになってしまう。

▼つまり日本のメディアは『フォーサイト』が文句を言うほどには、首相を「侮蔑」はしていない。「日本が外国にバカされる」のは、文句を言うわりには現状を変えることをきらうメディアの姿勢が生み出す政治の「保守性」と「わけの分からなさ」に原因があるのかもしれない。

▼毎日新聞のサイトに「発信箱」というコラムがある。記者が自分の意見を述べるのですが、記事は短くても中身は非常に面白いものが多い。例えば最近の「選んだ責任」というコラム。与良正男という人が書いているのですが、安倍と福田という二人の首相の辞め方について語っています。総裁選では、あれほど支持されたのに、二人とも「一人で勝手に悩み、勝手に辞めてしまった」。その総裁を選んだ自民党の議員たちは、選んだ側の責任など全く感じていない。そこに「自民党の劣化」がある、と述べています。

▼首相が軽く見られているのは、自民党の議員たちが首相を軽く見ているということで、メディアの侮蔑云々は関係ない。『フォーサイト』のエッセイストは、メディアよりも自民党の議員に文句を言った方がいい。

 

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5)タリバンとベトミン

私、アフガニスタンにおける「対テロ戦争」と30年以上も前に終わったベトナム戦争が似ているように思えてならない。と思いながら、いろいろとサイトを探していたら、英国のブラッドフォード大学のPaul Rogersという教授が、open democracyのサイトでAfghanistan's Vietnam portent(アフガニスタンがベトナム化の兆し)という記事を載せていました。ベトナム戦争とアフガニスタンでの「対テロ戦争」との類似点と相違点を語っています。ただRogers教授が比較しているのは、アメリカのベトナム戦争ではなく、その前にベトナムが植民地の宗主国であるフランスを相手に戦った民族解放戦争の方です。

この戦いのベトナム側の主役は、対米戦争のときのベトコン(Vietcong)ではなくてホーチミンが率いるベトミン(Vietminh)というゲリラ組織だった。ベトミンはフランスのみならず、第二次世界大戦中には日本軍とも戦っていた。抗日闘争は1945年の日本の敗戦で勝利したのですが、その後、戻ってきた植民地宗主国とのフランスとの闘いが始まる。フランスは1954年に敗退する。その後、1960年代にアメリカとのベトナム戦争を戦うわけですが、その頃までにはベトナムは、日本とフランスという外国勢力と戦って勝つという経験をしていた。

アフガニスタンはどうかというと、19世紀に大英帝国の軍隊と、1980年代にはソ連軍と戦ってそれぞれ勝利するという経験をしている。この場合の「アフガニスタン」はいまのタリバンとは異なるかもしれないけれど、きわめてローカル(土着)な民族主義者であり、アメリカおよびNATOという外国勢力と戦っているという点ではベトミンやベトコンと全く同じです。

Sunday Timesによると、アフガニスタン南部で展開する英国軍は、2007年1月から2008年4月まで1年足らずの間に約6000人のタリバンを殺している。このことは軍事的な成功(military success)という見方をする人がいるかもしれないが、Rogers教授は反対で、タリバンが死ねば死ぬほど、地元民の反外国感情が高くなるので敵も多くなる(killing Taliban makes even more enemies)と考えている。

▼個人的なことですが、ベトナム戦争が戦われていた1968年ごろ、私は毎日のようにアメリカの通信社(APとUPI)から送られてくるニュースを見るのが仕事だったことがある。それらの記事が必ず触れていたのが、米軍が殺したベトコンの数だった。それも非常に大雑把なもので、about 500 Vietcong were killedという具合だったのですが、それらの数字を見るといかにもアメリカ軍が勝利に次ぐ勝利を収めているという印象を与えるものだった。

Rogers教授はまた米軍の犠牲者について、この記事を書いた時点(2008年4月半ば)におけるイラク・アフガン両戦争での死者は約4500人ではあるけれど、負傷者が約32000人出ており、これとは別に約39000人が戦闘における負傷とは別の理由で帰国していると言っています。さらに深刻なのは2002年からこれまでの約6年間で、約30万人の帰還兵士がなんらかの治療を受けており、うち40%の12万人が精神的な疾患で治療を受けているということだそうです。

Rogers教授は、1954年のフランス軍がベトミンに敗れた理由の一つが、フランス軍内部におけるやる気の消滅にあったとして、アフガニスタンにおけるNATOとアメリカは、いまのところはベトナムで敗れたフランスのような状態ではないかもしれないけれど、この戦争はこれから何十年も続く可能性さえある(タリバン側は20年は戦い続けると宣言しているそうです)。果たして欧米の国内世論がいつまで「反テロ戦争」を支持し続けるかわかったものではない、といっています。

一方、9月15日付のアメリカのChristian Science Monitor(CSM)のサイトが伝えているのは、最近のアフガニスタンとパキスタンの国境付近の状況が、アメリカのベトナム戦争におけるカンボジアとの国境付近の状況と似ているということです。

ベトナムとカンボジアの国境地帯はベトコン・ゲリラの聖域とされており、ベトコンとの戦いを進める中で米軍が国境を越えてカンボジア領内で反ベトコン作戦を展開した。この作戦は最初のうちは「秘密軍(covert forces)」で行われていたのが、1970年になってこれが公然(overt)と行われるようになり、カンボジアはベトナム戦争に巻き込まれてしまった。

38年後の2008年7月、ブッシュ大統領は米軍特殊部隊がパキスタン領内にタリバンやアルカイダの聖域を、パキスタン政府の承諾なしに攻撃を許可する文書に署名することを許可する文書に署名をした。この文書の意味するところは、アメリカがパキスタンの政府や軍に対して「あんたらがタリバンやアルカイダを退治する気がないのなら、われわれが自由にやらせてもらいます」(We have bought all these toys for you--if you don't use them and do things in these areas that are causing us problems, we'll do them for you)と通告することにある、とPatrick Langというアメリカ国防情報局(Defense Intelligience Agency)の元分析担当官が語っています。

つまりゲリラやテロリストとの戦いが国境付近で行われているという意味において、パキスタンのカンボジア化のようなことが起こっており、それがパキスタン国内における反米感情を高める結果となっているわけです。

ただカンボジアとパキスタンが決定的に違うのは、後者が核兵器の保有国であるということです。CSMの記事は、最近、国家情報委員会(National Intelligence Council)の高官が、ブッシュ政府の国家安全保障委員会に対して、国境付近における米軍の活動がパキスタン政府の立場を不安定にすることの危険性を警告したと伝えています。

▼国際問題の研究家でもないし、ジャーナリストでもない私が、アフガニスタン情勢のことなど書いても殆ど意味はない。それでも一応自分自身の納得のために記しておきたいと思うのは、自民党の総裁選挙から麻生総裁の誕生にいたるまでの記者会見の類で、全員が全員、インド洋上の給油について、これを続けないのは国際社会による「対テロ戦争」から離脱することになり許されることではない、という発言が相次いだことにあります。

▼私自身の理解によると、9・11同時テロに対する報復として、2001年10月にアメリカがアフガニスタンに侵攻したのが、そもそもの始まりであったわけですが、侵攻の理由とされたのは9・11を起こしたテロ組織(アルカイダ)とその指導者であるオサマ・ビン・ラディンを捕捉することだった。たまたまその当時のアフガニスタンを支配していたタリバンという勢力が、アルカイダをかくまっているので、タリバン政権を打倒すればビン・ラディンを捉えることも出来るだろうとアメリカは考えた。

▼あれから7年、タリバン政権は打倒されたけれど、初期の目的であるアルカイダの撲滅やビン・ラディンの捕捉は出来ていない。その一方でタリバンが復活し、パキスタンとの国境付近で活動しており、これと戦う米国軍がパキスタン国内にまで攻撃を加えたりしている。パキスタンは核兵器を持つ国であり、最近の米国軍の動きにつられて国内の反米的な勢力が力をつけてきている。

The Independent紙の記者で、ビン・ラディンともインタビューしたことがあるRobert Fiskも「アフガニスタンは19世紀には英国軍を、つい最近はソ連軍を打ち破ったのだ。米軍やNATOがタリバンに勝てると考えるのは全くの幻想だ」と言っています。

▼というような状況にあるアフガニスタンでの「対テロ戦争」を、インド洋の給油というかたちで支援することは、麻生さんらの言うように「当然のこと」なのか?ひょっとして事態を余計悪くすることに手を貸しているということはないのか?最近のむささびジャーナルでも紹介したとおり、アメリカ国防省寄りの研究所でさえも、テロ・グループとの戦いは軍隊では勝てないかもしれないと言い始めているのに、です。

▼自民党の総裁選中の記者会見で、石破という人が「日本はアメリカの核で守られているのですよ。そのアメリカが困っているときに手を貸すのは、同盟国としては当然じゃありませんか」というようなことを言うのを聞いていて心から情けなくなりましたね。 あれでも防衛の専門家なんですかね。

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6)むささびJの、どうでも英和辞典

west西
westだと、方角の西ですが、the Westとなると、大体において「西側」とか「欧米」などの意味になりますね。自信はないけれど、the Westはソ連を始めとする社会主義の「東側」(the East)に対する勢力圏という意味ですよね。大西洋を中心にした地図を見ると、確かにロシアや中国(日本も)は東にある。ただ最近では、イスラム諸国との対比という意味でもthe Westというのですよね。冷戦時代にはthe Westは文句なしに「西側」と訳していたと思うけれど、対イスラムという意味でのthe Westの場合に「西側」とするのには抵抗があります。


yawn:あくび
昔の落語に「あくび指南」というのがあった。この落語で噺家があくびをするのを聴くと、本当にこちらまであくびが出た。「あくびがうつる」(catching yawn)ってやつです。ところでイヌは人間からあくびがうつるらしいですね。ホントです、ロンドン大学のDr Atsushi Senju(たぶん日本人?)という先生が言っている。この人はイヌを29匹使って実験したのだそうです。見ず知らずのイヌと人間が5分間だけ一緒にいて、人間がイヌの名前を呼んで目が合うたびにアクビをしたり、口をパクパクあけたりする動作を繰り返したところ、口パクには何の反応も示さなかったイヌが、アクビにはアクビで反応したとのことであります。Dr Senjuによると、この実験で「イヌは人間とempathise(同じフィーリングを持つ)する能力がある」ことが証明されたのだそうです。Telegraph紙のサイトに出ていたのですが、ウチのイヌ学の専門家(妻の美耶子のこと)によると、イヌは叱られると「申し訳ありません」という代わりにあくびをするのだそうです。 怒っているのにあくびをされると、非常にアタマにくるそうです。


zebra crossing横断歩道
縞模様の横断歩道(zebra crossing)って英国で「発明」されたんですって?1951年のことだそうで、英国のzebra crossingの場合は信号がない。歩行者が一歩でもzebra crossingに足を踏み入れたら、クルマは絶対に停止しなければならない。横断歩道には、もう一つpelican crossingというのがある。これはpedestrian light controlledの略だそうで、この場合は歩行者のための信号がついている。つまり歩行者はこの信号がグリーンでない限り横切ってはいけない。


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7)むささびの鳴き声


▼The Australianという新聞のサイトによると、フィンランドの首都、ヘルシンキから北東へ135 km行ったところにあるKouvolaという町のカラオケ・クラブ(左の写真とは無関係)が、216時間連続してカラオケで歌ったということで、世界最長記録としてギネスブックに認定されたのだそうでございます。それまでの記録は中国にあるカラオケ・クラブが作った214時間だったそうです。Kouvola Karaoke Clubのオーナー、Arto Nikunen氏によると、次なる目標は600時間歌いっぱなしだそうです。「これなら絶対に破られない」と言っております。

▼もちろん一人で歌ったわけではない(と思う)けれど、216時間歌いっぱなしということは、例えば都はるみの「あんこ椿」を3番まで約4300回歌うという計算になる。はるみちゃんの歌は、例のコブシをきかせる必要があるから、あまり長時間やると生命の危険を伴いますね。Arto Nikunen氏の得意はビートルズのLet it Beだそうであります。ありきたりだな。この際、わが日本の田端義男、春日八郎などおせえてあげたい。

▼ラジオを聴いていたら、小泉さんの引退についてディスカッションをやっていたのですが、ある政治記者が、最近の世界的な金融危機のおかげで、小泉流の改革路線はもう消えたのも同然だ、というようなことを言っておりました。つまりアメリカ流の市場原理主義・金融資本主義の破綻とともに小泉改革もアウトだというわけであります。書き始めると長くなるし、自分自身もそれほど考えがまとまっているわけではないけれど、いま金融危機だから昔のやり方がいい、といわんばかりの思考方法は間違っていると思います。なぜあのとき小泉さんの「官から民へ」があれほど支持されたのか?ということをちゃんと振り返っておく必要があります。

▼というわけで、森嶋通夫さんの『サッチャー時代のイギリス』(岩波新書)をもう一度読み返しています。森嶋さんはサッチャー流のやり方(市場原理主義)には批判的な人だったはずなのですが、私が非常に興味を覚えるのは、サッチャーさんという人が、なぜ10年以上も首相であり続けることができたのかということであります。

▼就任当時は、彼女の政策のお陰で失業者は増えるは、ホームレスが道にあふれるはでタイヘンだった。フォークランド紛争がなかったら、彼女は一期で終わっていたという人もいる。それほど不人気だったわけです。でもとにかく英国人は彼女を10年以上、首相として持ち続けたのです。

▼日本の場合、小泉改革のお陰で格差は広がるは、ワーキングプアは激増するは、地方は疲弊するは・・・ろくなことないじゃないか、という論議が最近特に盛んですよね。サッチャー時代の最初のころと似ています。ちなみに私のとりあえずの感覚としては、小泉改革は間違っていた、という考え方はいまいち信用できないということでございます。

▼ところで、辞める小泉さんも、自分の息子を跡継ぎにさせるのだそうですね。日本の政治家に二世だの三世だのが多いことについて、ある政治記者に「何でまた彼らはそれほど政治家になりたがるのでしょうか?」と素朴なる疑問をぶつけてみました。「要するに彼らは政治家を"家業"だと思っているのだ。つまり二世だの三世は"家業を継ぐ"という感覚なのだよ」というのが答えでありました。なるほど・・・酒屋の息子がこれを継ぐという、あれですね。家業は英語でいうとfamily businessですね。日本では政治家は職業(profession)ではないということか。

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