私、アフガニスタンにおける「対テロ戦争」と30年以上も前に終わったベトナム戦争が似ているように思えてならない。と思いながら、いろいろとサイトを探していたら、英国のブラッドフォード大学のPaul
Rogersという教授が、open democracyのサイトでAfghanistan's
Vietnam portent(アフガニスタンがベトナム化の兆し)という記事を載せていました。ベトナム戦争とアフガニスタンでの「対テロ戦争」との類似点と相違点を語っています。ただRogers教授が比較しているのは、アメリカのベトナム戦争ではなく、その前にベトナムが植民地の宗主国であるフランスを相手に戦った民族解放戦争の方です。
この戦いのベトナム側の主役は、対米戦争のときのベトコン(Vietcong)ではなくてホーチミンが率いるベトミン(Vietminh)というゲリラ組織だった。ベトミンはフランスのみならず、第二次世界大戦中には日本軍とも戦っていた。抗日闘争は1945年の日本の敗戦で勝利したのですが、その後、戻ってきた植民地宗主国とのフランスとの闘いが始まる。フランスは1954年に敗退する。その後、1960年代にアメリカとのベトナム戦争を戦うわけですが、その頃までにはベトナムは、日本とフランスという外国勢力と戦って勝つという経験をしていた。
アフガニスタンはどうかというと、19世紀に大英帝国の軍隊と、1980年代にはソ連軍と戦ってそれぞれ勝利するという経験をしている。この場合の「アフガニスタン」はいまのタリバンとは異なるかもしれないけれど、きわめてローカル(土着)な民族主義者であり、アメリカおよびNATOという外国勢力と戦っているという点ではベトミンやベトコンと全く同じです。
Sunday Timesによると、アフガニスタン南部で展開する英国軍は、2007年1月から2008年4月まで1年足らずの間に約6000人のタリバンを殺している。このことは軍事的な成功(military
success)という見方をする人がいるかもしれないが、Rogers教授は反対で、タリバンが死ねば死ぬほど、地元民の反外国感情が高くなるので敵も多くなる(killing
Taliban makes even more enemies)と考えている。
▼個人的なことですが、ベトナム戦争が戦われていた1968年ごろ、私は毎日のようにアメリカの通信社(APとUPI)から送られてくるニュースを見るのが仕事だったことがある。それらの記事が必ず触れていたのが、米軍が殺したベトコンの数だった。それも非常に大雑把なもので、about
500 Vietcong were killedという具合だったのですが、それらの数字を見るといかにもアメリカ軍が勝利に次ぐ勝利を収めているという印象を与えるものだった。
Rogers教授はまた米軍の犠牲者について、この記事を書いた時点(2008年4月半ば)におけるイラク・アフガン両戦争での死者は約4500人ではあるけれど、負傷者が約32000人出ており、これとは別に約39000人が戦闘における負傷とは別の理由で帰国していると言っています。さらに深刻なのは2002年からこれまでの約6年間で、約30万人の帰還兵士がなんらかの治療を受けており、うち40%の12万人が精神的な疾患で治療を受けているということだそうです。
Rogers教授は、1954年のフランス軍がベトミンに敗れた理由の一つが、フランス軍内部におけるやる気の消滅にあったとして、アフガニスタンにおけるNATOとアメリカは、いまのところはベトナムで敗れたフランスのような状態ではないかもしれないけれど、この戦争はこれから何十年も続く可能性さえある(タリバン側は20年は戦い続けると宣言しているそうです)。果たして欧米の国内世論がいつまで「反テロ戦争」を支持し続けるかわかったものではない、といっています。
一方、9月15日付のアメリカのChristian Science Monitor(CSM)のサイトが伝えているのは、最近のアフガニスタンとパキスタンの国境付近の状況が、アメリカのベトナム戦争におけるカンボジアとの国境付近の状況と似ているということです。
ベトナムとカンボジアの国境地帯はベトコン・ゲリラの聖域とされており、ベトコンとの戦いを進める中で米軍が国境を越えてカンボジア領内で反ベトコン作戦を展開した。この作戦は最初のうちは「秘密軍(covert
forces)」で行われていたのが、1970年になってこれが公然(overt)と行われるようになり、カンボジアはベトナム戦争に巻き込まれてしまった。
38年後の2008年7月、ブッシュ大統領は米軍特殊部隊がパキスタン領内にタリバンやアルカイダの聖域を、パキスタン政府の承諾なしに攻撃を許可する文書に署名することを許可する文書に署名をした。この文書の意味するところは、アメリカがパキスタンの政府や軍に対して「あんたらがタリバンやアルカイダを退治する気がないのなら、われわれが自由にやらせてもらいます」(We
have bought all these toys for you--if you don't use them and do
things in these areas that are causing us problems, we'll do them
for you)と通告することにある、とPatrick
Langというアメリカ国防情報局(Defense
Intelligience Agency)の元分析担当官が語っています。
つまりゲリラやテロリストとの戦いが国境付近で行われているという意味において、パキスタンのカンボジア化のようなことが起こっており、それがパキスタン国内における反米感情を高める結果となっているわけです。
ただカンボジアとパキスタンが決定的に違うのは、後者が核兵器の保有国であるということです。CSMの記事は、最近、国家情報委員会(National
Intelligence Council)の高官が、ブッシュ政府の国家安全保障委員会に対して、国境付近における米軍の活動がパキスタン政府の立場を不安定にすることの危険性を警告したと伝えています。
▼国際問題の研究家でもないし、ジャーナリストでもない私が、アフガニスタン情勢のことなど書いても殆ど意味はない。それでも一応自分自身の納得のために記しておきたいと思うのは、自民党の総裁選挙から麻生総裁の誕生にいたるまでの記者会見の類で、全員が全員、インド洋上の給油について、これを続けないのは国際社会による「対テロ戦争」から離脱することになり許されることではない、という発言が相次いだことにあります。
▼私自身の理解によると、9・11同時テロに対する報復として、2001年10月にアメリカがアフガニスタンに侵攻したのが、そもそもの始まりであったわけですが、侵攻の理由とされたのは9・11を起こしたテロ組織(アルカイダ)とその指導者であるオサマ・ビン・ラディンを捕捉することだった。たまたまその当時のアフガニスタンを支配していたタリバンという勢力が、アルカイダをかくまっているので、タリバン政権を打倒すればビン・ラディンを捉えることも出来るだろうとアメリカは考えた。
▼あれから7年、タリバン政権は打倒されたけれど、初期の目的であるアルカイダの撲滅やビン・ラディンの捕捉は出来ていない。その一方でタリバンが復活し、パキスタンとの国境付近で活動しており、これと戦う米国軍がパキスタン国内にまで攻撃を加えたりしている。パキスタンは核兵器を持つ国であり、最近の米国軍の動きにつられて国内の反米的な勢力が力をつけてきている。
▼The
Independent紙の記者で、ビン・ラディンともインタビューしたことがあるRobert Fiskも「アフガニスタンは19世紀には英国軍を、つい最近はソ連軍を打ち破ったのだ。米軍やNATOがタリバンに勝てると考えるのは全くの幻想だ」と言っています。
▼というような状況にあるアフガニスタンでの「対テロ戦争」を、インド洋の給油というかたちで支援することは、麻生さんらの言うように「当然のこと」なのか?ひょっとして事態を余計悪くすることに手を貸しているということはないのか?最近のむささびジャーナルでも紹介したとおり、アメリカ国防省寄りの研究所でさえも、テロ・グループとの戦いは軍隊では勝てないかもしれないと言い始めているのに、です。
▼自民党の総裁選中の記者会見で、石破という人が「日本はアメリカの核で守られているのですよ。そのアメリカが困っているときに手を貸すのは、同盟国としては当然じゃありませんか」というようなことを言うのを聞いていて心から情けなくなりましたね。
あれでも防衛の専門家なんですかね。
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