日本のメディアでは(私の知る限り)話題にならなかったのですが、昨年(2007年)5月、両親とともにポルトガルに遊びに来ていたMadeleine
MacCannという3才の女の子が行方不明になるという事件がありました。未だに見つかっていないそうです。
この事件をめぐる新聞報道のあり方が問題になっています。大衆紙を中心に連日のようにセンセイショナルな報道が行われ、女の子の両親が容疑者扱いをされてしまった。主としてポルトガル警察によるリークに基づく報道だったのですが、両親のみならずその友人たちやポルトガル在住の英国人まで濡れ衣を着せられてしまった。
で、容疑者扱いされた人々が、新聞社を相手に名誉毀損の損害賠償訴訟を起こしたのですが、いずれも新聞社側の敗北というわけで、賠償金を払わされると同時に謝罪声明まで掲載させられる結果になってしまった。10月15日、ロンドンの高等裁判所で行われた判決では、そうした新聞社の一つであるThe
Expressが両親の友人7人に対して総額37万5000ポンド(約6500万円)のお金を払うということで合意したのだそうです。これ以外にも大衆紙12紙合同で80万ポンド、The
Expressが両親に50万ポンドそれぞれ支払うことになっている。全部で約170万ポンド(約3億1000万円)の賠償金というわけです。
大衆紙の報道の例を二つだけ紹介すると・・・。
McCanns
hit by new DNA claim:McCann夫妻にDNA鑑定の打撃
The Sunの見出し。DNA鑑定の結果、両親が行方不明事件にかかわっていることが明らかになった、というニュアンスで、記事の結びは「McCann夫妻はいまや公式な容疑者であるが、娘の行方不明事件へのかかわりは否定しており、相変わらず"娘は生きていると信じている"と主張し続けている(Gerry
and Kate McCann, who are official suspects in the case, deny any
involvement in their daughter’s disappearance and continue to
say they believe she could still be alive.)」というもの。
Leaks,
smears ... now plane lies:漏洩・湖塗そして飛行機に関するウソ
同じくThe Sunの記事。どちらかというと、ポルトガル側を非難するもので、警察は「漏洩・湖塗」するし、新聞は「両親がポルトガルへ行くについて貸し切りジェットを要求した」と伝えている、と言っている。"plane
lies"は"plain
lies"(明白なウソ)にひっかけた言葉遊び。記事そのものは「両親はこれらを一切否定している」と書かれているのですが、読者は「へえ、そんなこともあったの・・・」というわけで、反ポルトガル感情が芽生えるだけでなく、両親についても「火のないところに煙は立たないもんな」という見方を助長するようになっている。
Interntional
Herald Tribune(IHI)紙が、英国の大衆メディアによるこの事件の異常な報道ぶりを伝えており、とにかくMadeleine
MacCann関連の記事を載せると新聞が売れたのだそうです。昨年9月の24日間でEvening Standard紙は、12回にわたって1面トップ扱いしたところ、全部でいつもより30万部も余計に売れた。両親が容疑者扱いされた日の新聞は、一日だけでいつもより3万3000部多く売れたのだそうであります。
この事件についての新聞報道について、キングストン大学でジャーナリズムを教えるBrian Cathcart教授が、10月23日付けのNew
Statesmanのサイトに「英国の新聞は如何にしてMadeleineの両親を組織的に破滅させたか」(how
the British press set out to systematically destroy the parents
of Madeleine McCann)という怒りのエッセイを寄稿しています。
教授によると、これだけの数の新聞が誤報に次ぐ誤報をやっておきながら、一人の編集者も記者もクビになっておらず、何故そのようなことになったのかについての新聞界による調査も為されていない。
このことは、新聞業界による責任回避の顕著な例と言える。この業界には、自分たちこそが健全な民主主義にとって重要な存在であると、真っ先に吹聴する癖があるのに、である。This
is a remarkable evasion of responsibility by an industry which
is the first to boast of its own importance to a healthy democracy...
つまり新聞は政治家や金融機関などが間違いを犯すと、非難ごうごうの大合唱をやるくせに、自分たちが犯す過ちについてはダンマリを決め込もうという傾向がある、というわけです。それにしても、新聞は何故このようなことをやってしまったのか?新聞を売るため(this
was all done to sell newspapers)というのはごく当たり前の説明であるけれど、Cathcart教授は、編集者や記者の姿勢について
(この事件に対する)世間の関心の高さを眼にして、編集者も記者も(自分たちの意思で)記事を書いて掲載する気になっていたように見える。そうしたからと言って、彼らには何の利益もないのに、である。Seeing
the scale of public interest, it looks as though editors were
ready to publish stories, and reporters were ready to write them,
even when they had no merit whatsoever.
と批判しています。
▼「部数を売りたい」というのは経営者的な発想ですが、とにかく話題になっていることを書きたいという(編集者や記者の)欲望は、それとは違うものなのかもしれないということですね。今回の裁判について、新聞報道の被害にあった原告側の弁護士は「(記者の側に)群集心理に駆られたイヌのような感覚があり、被害者はその生贄(いけにえ)になったということだ」(There
was a pack-dog mentality here and my clients and their families
were the prey)と語っています。
それでは、自らの過ちに寛容なくせに、他者の過ちには辞任を要求する偽善的な新聞経営者、編集者、記者たちとどのように付き合っていけばいいのか?Cathcart教授のアドバイスは
もし彼ら(記者や編集者)の一人が公園のベンチに坐っているのを見かけたら、どこか別のところに坐るようにした方がいい(if
you happen to see one of them on a park bench, make a point of
sitting somewhere else)
というものであります。
▼イラク戦争に英国が参戦するについての誤報をめぐって、BBCの記者が辞職したということがありましたが、今回の場合は、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という感じで、報道した大衆紙の誰もクビになってはいない。
▼今回の問題はいろいろと考えさせられました。日本の新聞の場合、このようなひどいことは余りない(と思う)。ただ、警察による冤罪事件というのはよくありますね。そのような場合、新聞は「警察によると・・・」というわけで、「容疑者」の自白内容を報道したりする。松本サリン事件(1995年6月)というのがありましたね。あのときは、自白さえもしていなかったと思うけれど、新聞は警察のリークをそのまま報道して河野義行さんを犯人扱いしてしまった。
▼ネットを調べていたら、松本サリン事件と報道について、同志社大学の渡辺武達という先生が、この事件報道に関与した新聞・通信・テレビの19社にアンケート調査を行ったことが出ていました。調査結果については、ここをクリックして読んでもらうとして、先生のサイトによると「誤報の可能性はあったが、警察が誤りと認めておらず断定できなかった」といったニュアンスの答えが多かった、となっている。
▼つまり、警察の言うことは「間違いだった」と警察が認めない限り「正しい」ということですね?いずれにしても、松本サリン事件については「新聞は警察の言うことを伝えたまで」というのが理由であるかどうかは知らないけれど、記者や編集長がクビになったということは聞かないし、社長が辞任というのもなかったのでは?賠償金の支払いなんてあったんですか?
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