第15号 2003年9月7日 | |||
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お邪魔します。また「むささびサンデー」が来てしまいました。15回目です。「もう送るな」とも言わずに黙って受け取って頂いたことに感謝します。何とか20回まではと思っています。よろしくお願いします。 |
1)イングリッシュオークの周辺:大阪市此花区「ええことしたいんです」 2)「プロパガンダ大臣」の辞任 3)広報誌制作ビジネスが伸びている 4)フィンランド人の日本観 5)むささびMの<「の」の使い方> 6)編集後記 |
1)イングリッシュオークの周辺:大阪市此花区 |
英国大使館というところに勤務していた最後の年(2002年)に日英グリーン同盟という植樹活動を担当させて貰った。その間、どうしても忘れられない電話の会話があった。大阪のある会社経営者からのもので、グリーン同盟のことを聞いて「自分も一本植えたい」というものであった。英国商品の輸入販売をしている会社の社長さんのようであった。 「で、どこに植えるのですか?」と私。 「あたしが昔通った小学校だんね」 「その小学校が何か英国と関係でも?」 「ありまへん、何も。ただグリーン同盟は日英同盟100周年記念事業ですな。その小学校も来年(2002年)で創立100周年なんですわ」 「はぁ・・・」 「あきまへんか?あたしも今年で60なります。今まで商売・商売ばかり考えてきたんですわ」 「ええ・・・」 「ここらで何か世の中のためにええことをしたいと思うんですわ」 「なるほど・・・とにかくこちらで検討させてください。それからお返事を差し上げます」 というわけで電話を切ったのであるが、私としては、ここだけは植えて貰いたいと心に決めてしまっていた。「世の中のためにええことしたい」の一言に参ってしまったのである。もちろん私の一存で決めるわけにはいかない。大使館内の了解を取り付ける必要があった。その人が「ええことしたい」というだけでは理由としては弱すぎる。私が挙げた理由は「校庭に植えるのは環境教育活動でもある」というもので、スンナリと受け入れられてしまった。 で、2002年2月、この小学校の創立100周年記念行事の一環としてイングリッシュオークの植樹式が行われた。送ってもらった写真によると、大阪の英国総領事夫妻も参加して盛大に行われたようであった。 「何か世の中のためにええことをしたいんです」という私と同年代のこのビジネスマンの真意のほどは分からない。純粋にそう思ったのかもしれないし、ひょっとすると彼なりの「名誉欲」のようなものがあったのかもしれない。あるいはその両方であったかもしれない。 さして大きくもない(と思われる)会社の経営者である。おそらく毎日が商売のことでアタマがいっぱいの筈だ。50年も前に卒業した母校に小さな木を一本寄贈したからといって「金儲け」には何の関係もないだろう。ひょっとするとそれが商売とは何も関係がないからこそ、オークの木を植えたいと(彼なりに)切実に考えたのかもしれない。商売の話であれば「立て板に水」の如くいろいろな言葉を使って私を説得できたかもしれないのに、オークの話ともなると「立て板に水」の反対で「横板に水あめ」のように殆どシドロモドロな言葉しか出てこなかったのかもしれない。あるいはそれも演技で・・・など、考え始めればきりがない。 日英グリーン同盟では日本全国200ヶ所を超える町や村に、背丈1mという英国生まれのオークが植えられた。オークを植えた理由もさまざまである。大々的な植樹式を行ったところもあるし、何もセレモニーはなしでひっそりと植えられたところもある。平均すると一本のオークを植えるのに少なくとも10人の人たちが土をかけたり、近くでこれを見守ったりしたはずである。合計すると、どう少なく見積もっても2000人以上の人たちが英国生まれのオークの木を植えることに係わったことになる。 どことなく可笑しいのは、国会議員や県知事、市長らの「偉い人たち」であれ、幼稚園の子供であれ、スコップでオークの根元に軽く土をかけるという全く同じことをやり、土をかける瞬間は何か非常にいいことをしているような気分になったのではないかということである。式が終わるとオークのことなどけろっと忘れてしまうとしても、だ。 「世の中のためにええことをしたい」と言っていたあの大阪のビジネスマンも、あの日に植えたオークのことなど忘れてしまっているかもしれない。しかし彼が忘れようが覚えていようが、あの小さなオークは、あの小学校に植えられて子供たちと毎日を過ごしている。大きく育つのか、途中で枯れてしまうのか、誰にも分からない。順調に育てば30年後には大きな枝を広げて夏には涼しい木蔭を作っているであろう。「ええことしたい」と言ったビジネスマンも、彼の言葉に動かされてしまった私も90才になっている。 それまで生きていたとしたら、私はそのビジネスマンと二人で、その小学校へ行って立派に育ったオークの木を眺めてみたいと思っているけれど、これには越えなければならないハードルが二つある。一つはその小学校が統廃合されることもなく、生き残っていなければならないということ。そしてもう一つには、二人合わせて180才にもなる老人がその小学校へ行っても「あんたら、なんやね」と校門のあたりで追い返されてしまうかもしれないということである。二人とも言葉もまともに喋れずに、ただ「アー、アー」とか言いながらしわくちゃな手で構内のオークを指さすしか能がないかもしれない。「あの木は我々が植えたんです・・・」と言いたいのであるが、歯は抜けているし、ろれつも回らない。結局守衛に追い返されて・・・こちらのハードルは小学校の統廃合などよりも、もっと高い。 |
2. 「プロパガンダ大臣」の辞任 |
ブレア首相の報道官、アレステア・キャンベルが辞任しました。英国のことに関心がない人にとってはCampbell who?というところでしょうが、この人はブレア首相の(日本の新聞や雑誌が好んで使う言葉を借りると)「側近中の側近」でありまして、何故辞任したのかというと、英国がイラク戦争に参加するにあたって、これを正当化する文書の作成にあたって、サダム・フセインの脅威を誇張するかのように書き直すことに関与したとされたこと。本人は真っ向から否定しているのですが・・・。 彼の辞任のことはともかくとして英国首相の「報道官」って何なのでしょうか?どうもよく分からない。例えば日本の場合、福田さんが記者会見をやるのは殆ど毎晩のようにテレビで見ますね。彼の肩書きは内閣官房長官。おそらく首相の補佐的な役割をする内閣のまとめ役みたいなものなのでしょう。記者会見も「補佐」としての仕事の一つというわけなのでしょう。どうもキャンベルという人はこの福田さんの役割に近いのかもしれない。違うのはキャンベルが選挙で選ばれた政治家ではないということ。身分上は「公務員」です。 ただキャンベルの場合、ブレアの次に権力のある人物と言われるくらい発言力があり、ブレアに対して影響力があったとされています。 キャンベル以前の最も有名な首相報道官としてバーナード・インガムという人がいました。サッチャー首相の報道官だったのですが、最近のBBCが伝えるところによると「二人とも首相に非常に尊重された存在であった」らしいのですが、違いはというと「インガム報道官の発言はサッチャー首相の意向をそのまま反映したものであったのに対して、キャンベルの場合は、ブレアの発言がキャンベルの意向の反映なのではと思われた」とか。 キャンベルという人は元々大衆紙デイリー・ミラーの政治記者だったのですが、ブレア首相が労働党党首になった時(1994年)からずっと彼の補佐役を勤め、そのまま首相の報道官になってしまった。彼のことをspin doctorという人がいます。Spinとはプロパガンダのこと。つまり英国政府のプロパガンダ大臣みたいなものだったのでしょう。 キャンベルについてバーナード・インガムは次のように語っています。
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3. 広報誌制作ビジネスが伸びている |
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4. むささびJの受け売りフィンランド:フィンランド人の日本観 |
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5. むささむささびMの<「の」の使い方> |
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6)編集後記 |
◆9月3日のBBCのサイトを見ていたら「労働組合とブレア首相が新たな”対話の場”を設けることで合意した」というニュースがありました。非常に地味なニュースですが、私は興味をもちました。 ◆私の個人的な知識によると(で多分それほど間違ってはいないと思う)ブレア首相が行う諸政策(イラクも国内問題も)は、かつての保守党のそれとほとんど変わらない。だもんだから、保守党内からは本格的な批判は出ない。批判が出てきたとすればむしろ「身内」の労働党の中からのものが多かった。 ◆で、このニュースですが、この対話の場というのはもっぱら公共サービス(病院改革・教育改革などなど)における改革についての意見交換の場となっています。要するに「もっと労働組合関係者の意見も聴こうではないか」ということなのでしょう。つまりブレアにとっては労働党左派や組合が「抵抗勢力」になっています。小泉さんにとっての「抵抗勢力」が自民党内であるのと似ています。このあたりのことについてはいつか報告させて貰いたいと思っています。今年はほとんど夏なしで秋になってしまいました。お元気でお過ごしください。 |