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musasabi journal 155
2009年2月1日

2009年も1月が終わって、ほんの少しですが、昼が長くなりましたね。埼玉県の我が家の近くでは梅が咲き始めました。写真の北極キツネ(arctic fox)は、フィンランド、スウェーデン、ノルウェーでは絶滅の危機にあるとされていて、フィンランドのラップランドには数十匹しか生息していないのだそうです。
1)英国に森を復活させよう
英国の田園地帯というと、なだらかにつづく緑の丘陵風景で知られています。牛や羊がのんびりと草を食べている、あの風景です。日本の田舎風景と違うことの一つに木がないということがある。森林が非常に少ないのです。国土面積に占める森林の割合を表すのが森林面積比率ですが、OECD加盟国の調査(2004年)によると、トップはフィンランドで75・5%、次いでスウェーデン(73・5)、日本(68・9)ときています。英国は27位で、11・6%です。

ところが最近、その英国で森林を復活させようという動きがあるようで、森林基金(Woodland Trust)という団体が、イングランドのHertfordshireで850エーカー(約340万平米)の農地を買い取って、向こう5年間で60万本の木を植えようというプロジェクトに乗り出した、とThe Economist(電子版)が伝えています。

英国全体の森林率は11・6%ですが、イングランドだけをとるとわずか8・7%というのが現状です。「復活」というからには、昔は英国にも森林があったということです。いまから7000〜8000年前の英国は、極北の地を除いて殆ど森で覆われていたのだそうです。紀元後43年にローマ人がやって来て、森林を切り開いて農地にしたり、木を燃料にしたり、住宅建設に使ったりするうちに、半分になってしまった。1000年後の11世紀になるとさらに落ち込んで、森林率15%という記録が残っているのだそうです。

20世紀初頭の英国は、必要な木材の殆どを輸入に頼るようになったのですが、第一次世界大戦で輸入木材の運搬船がドイツの潜水艦にブロックされたりして、自前の木材を持たないということが英国の弱点になってしまった。それに気づいた英国政府が森林庁(Forestry Commission)を作って植樹に力を入れるようになったのですが、その頃の森林率は5・1%にまで落ち込んでいた。

森林庁のリードで森林率は上がったのですが、植えられた木の殆どが外国産の針葉樹だったので、画一的で暗い森だけができてしまった。針葉樹は成長が早いので、木材確保という戦略にはかなったけれど、環境保護論者からは歓迎されなかった。彼らが望んだのは、英国にもともと生えている樹木(native trees)、特にオーク、バーチなどの広葉樹の森を作ることだった。

現在、森林庁や森林基金が進めているのは、木材生産の場というより、都市住民に憩いの場となるような広葉樹の森作りなのだそうです。

▼最初に紹介したHertfordshireの森ですが、森林基金にこの農地を売ったのは、ロンドンの弁護士で、値段は850万ポンド(約11億円)だったのだそうです。余計なことですが、この弁護士はどうしてこの土地を手放す気になったんですかね・・・ひょっとして、最近の金融危機のあおりを受けて、株で大損したのかも!?

▼英国に植えられた樹木の多くが成長の早い針葉樹だったとのことですが、ネットで調べたところによると、日本における森林面積は約2300万ヘクタール。そのうち1000万ヘクタールが人工林で、天然林は1338万ヘクタールと、結構人工林が多いんですね。ちょっと驚くのは人工林に植えられている樹木の90%がスギ・ヒノキ・カラマツのような針葉樹だということです。殆どみんな針葉樹のようなものですからね。天然林の場合は広葉樹が72%だそうです。

▼何故日本の人工林には、それほどスギ・ヒノキが多いのでありましょうか?一度じっくり調べてみる必要がある。確かにスギ・ヒノキが密集していて間伐もされていない林は暗いし樹木もか細いですよね。

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2)ガザの悲劇を巡るBBCのジレンマ

私、うかつにも注意を払っていなかったので日本のメディアではどの程度報道されたのか、よく分からないのですが、最近、イスラエルによるガザの攻撃に関連して、英国のBBC放送が慈善団体の抗議を受けているようです。抗議しているのは、British Red Cross(英国赤十字)、Save the Children、Oxfamなど主要慈善団体の連合体である災害緊急委員会(Disasters Emergency Committee:DEC)という組織で、イスラエルの攻撃のお陰で窮地に陥っているガザの住民の窮状を訴えるアピール・ビデオの放映で、BBCが「政治的な中立」原則を盾にこれを拒否したことが問題になっているわけです。

BBCのMark Thompson専務理事は、

  • BBCにとって、現在起こっていることの報道で政治的な立場をとってしまったように受け取られる危険性がある。過去においても「中立」という理由からDECのアピールを拒否したことがあるが、それはまさにBBCが現在進行中の紛争についてどちあらかに加担しているという印象を一般に与えてしまうという危険があったからだ。The danger for the BBC is that this could be interpreted as taking a political stance on an ongoing story. When we have turned down DEC appeals in the past on impartiality grounds it has been because of this risk of giving the public the impression that the BBC was taking sides in an ongoing conflict."

と言っている。これに対してDECのBrendan Gormley代表は

  • 我々は完全に非政治的な組織であり、このアピールは人道的な原則への対応するものだ。BBCは中立と平等な放送時間というものをごっちゃにしている。The DEC's chief executive, Brendan Gormley, said: "We are totally apolitical ... this appeal is a response to humanitarian principles. The BBC seems to be confusing impartiality with equal airtime."

と文句を言っています。DECではこれまでにもテレビなどでのアピールを通じて、コンゴやミャンマー救援のために1000〜1800万ポンド単位のお金を集めています。

BBCのやり方に批判的なのは、チャリティ関係者だけではなく、厚生大臣やコミュニティ大臣のような政府関係者からも文句が出ているそうです。これに対してBBCは「BBCの編集権の独立に対する政府による侵害行為だ」と言っている。また宗教関係者の間でもBBCの決定については不満の声があるようで、ヨーク司教のDr John Sentamuは

  • 問題になっているのは、中立云々でではなく、人間性なのだ。(DECの)リクエストを却下することによってBBCは既に政治的な立場をとっており、中立をおかしているともいえる。This is not a row about impartiality but rather about humanity. By declining their request, the BBC has already taken sides and forsaken impartiality.

と言っています。

▼BBCのMark Thompson専務理事の見解はここをクリックすると全文を読むことができますが、アピールを放映しない理由のポイントは、ガザの悲劇を報道する際にはどうしても「誰がこの悲劇の責任者であり、どうすればいいのかということの議論を伝える必要がある。その議論こそが報道の核をなすものであると同時に議論の分かれるところなのだ」(the debate about who is responsible for causing it and what should be done about it - are both at the heart of the story and contentious)ということにあるようです。

▼つまり「イスラエルが悪いのかハマスが悪いのか」という議論をせざるを得ない。そのような報道をしながらDECのアピールを放映するということは、どうしてもイスラエルに反対するという立場になってしまう。だから・・・ということのようであります。ところで、この場合の「中立」という言葉ですが、neutralではなくimpartialという英語が使われています。

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3)オバマがイラク戦争に反対した理由

オバマ大統領が民主党の候補者指名争いをやっていたときの売りの一つが、「(ヒラリーと違って)最初からイラク戦争に反対した」ということがありましたね。私が前から気になっていたのは、この人がどのような理由でイラク戦争に反対だったのかという部分だった。で、ネットを当たってみたら2002年10月2日にシカゴのイラク戦争反対集会に参加したオバマさん(イリノイ州の上院議員)が行った「反戦演説」の原稿が出ていました。

それによると、オバマさんは次のように言っています。

  • 私はすべての戦争に反対というわけではない。私が反対なのは、愚かな戦争であり、むこうみずな戦争なのだ。私が反対なのは、現在の政権にいるRichard PerleやPaul Wolfowitzのようなお茶の間戦士たちによる手前勝手でシニカルな試みなのだ。彼らは自分たちの思想的な主張を無理矢理私たちのノドに押し込もうと試みている。彼らにとって、戦争の結果奪われる人命や人々の苦難などはどうでもいいことなのだ。I don’t oppose all wars. What I am opposed to is a rash war. What I am opposed to is the cynical attempt by Richard Perle and Paul Wolfowitz and other arm-chair, weekend warriors in this Administration to shove their own ideological agendas down our throats, irrespective of the costs in lives lost and in hardships borne.

Richard PerleやPaul Wolfowitzというのは、いわゆる「ネオコン」で、中東をアメリカ民主主義のエリアにしようとかいう考え方をしていた人ですね。「すべての戦争に反対というわけではない」というオバマさんが支持する戦争としては、例えば奴隷解放のきっかけとなった南北戦争、真珠湾攻撃で始まった日本との戦争やヨーロッパにおけるナチスとの戦いなどが挙げられています。

オバマさんは、イラク戦争は「理性・理由があっての戦争ではなく、熱に浮かされた戦争であり、原理原則というよりも政治に動かされた戦争(A war based not on reason but on passion, not on principle but on politics)と非難しているのですが、その一方で「サダム・フセインについては何の幻想も抱いていない(I suffer no illusions about Saddam Hussein)として、

  • 彼(サダム)は悪者であり、彼がいなくなれば世界も良くなるし、イラクの人々の暮らしも良くなるだろう(He's a bad guy. The world, and the Iraqi people, would be better off without him)。

と決めつけています。しかし

  • サダムは、アメリカやイラクの近隣諸国にとって差し迫った脅威というわけではなく、国際社会の協力で囲み込むことだってできる(Saddam poses no imminent and direct threat to the United States, or to his neighbors and can be contained in concert with the international community)

というわけで、イラクを攻撃することで、中東全体を敵に回し、アルカイダのようなテロリストを強くしてしまうと警告しています。オバマはまたブッシュ大統領に対して「まずはオサマ・ビン・ラディンやアルカイダとの戦いに決着をつけよう(Let’s finish the fight with Bin Laden and al-Qaeda)」と呼びかけています。これは、戦いはイラクではなくてアフガニスタンにあるという意味ですね。

▼以上は、演説のほんの一部だけです。オバマ演説の全文はここをクリックすると出ています。上に書き出した部分以外に「アメリカのエネルギー政策をExxonやMobilのような石油会社に奉仕するものであることを止めよう」とか「アメリカの兵器メーカー商人たちが世界中で起こる無数の戦争に武器を売ることを止めさせるために戦おう」とも言っています。軍事に従事するアメリカ人の数はざっと500万、うち半分が兵器・軍事製品のメーカーに雇われている労働者です。

▼この演説を聴けば、アメリカの若いインテリ層がオバマに熱狂するのも無理はないと思います。かなりラディカルです。アメリカを支配する石油資本だの武器産業だのに勝手なことをさせまいなどと言っているのですからね。

▼私はもちろん評論家みたいにオバマ演説の解説などできないけれど、単なる独り言として書いておきたいと思うのは、オバマに熱狂するリベラル・アメリカに対する感じてしまう「居心地の悪さ」なのであります。いまから40年ほど前、私はサンフランシスコに住んでいました。あの頃のアメリカは、ベトナム反戦運動が盛んで、特にサンフランシスコはヒッピーを中心とする「反体制」のメッカのような町だった。MAKE LOVE, NOT WAR!というプラカードを掲げた若い人たちのデモ行進がたびたび行われていました。彼らが歩きながら歌っていたのは、ピート・シーガー、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズらの反戦フォークソングでした。 We Shall Overcomeとか。

▼そのような反戦デモの盛り上がりについては、日本の新聞などが「これこそ成熟した民主主義の国、アメリカだ」という称賛の記事を掲載していたのを憶えています。ベトナム人に爆弾を降り注ぐアメリカは悪いけれど、反戦デモが盛り上がるアメリカは素晴らしい・・・という報道ですね。尤も「この国は自由なんだ」という自画自賛はアメリカ人からも言われたものです。私が居心地の悪さを感じたのはこの部分なのですね。

▼オバマ大統領の就任式では全米中が沸きかえっているという感じであったし、これを伝えるメディアもアメリカ民主主義への絶賛で埋められていたように思います。しかしそのアメリカのお陰でイラク人やアフガン人が命を落としたのですからね。オバマの就任演説は"Change"も"Yes We can"もない「しらふ演説」(sobering speech)だったけれど、それは主に金融危機や不況のせいであってイラクやアフガンでの人の命とは関係ない。

▼就任演説の中でオバマが「過去7年、アフガンニスタンやイラクで命を落としてしまった人に対して謝罪したい」(Let us apologise to those who had to be killed by American bombs in Afghanistan and Iraq)とでも言ったのであれば、私の居心地の悪さも少しは薄らいでいたかもしれないのですが、彼が就任演説で「テロリスト」に伝えたのはWe will defeat youという言葉であり、それを聞いた大群衆から大きな拍手があがっていましたね。

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4)泰緬鉄道:加害者にされた被害者

二次世界大戦のさなかに、日本がタイとビルマの間を結ぶ泰緬鉄道という鉄道を建設したことは、良く知られています。距離は415キロ。『歴史和解と泰緬鉄道』(朝日新聞出版)によると、泰緬鉄道の建設が決定されたのは1942年6月20日。その8日後の6月28日には工事が始まり、1年4ヵ月後の1943年10月25日には開通したのだそうです。東京・大阪間の鉄道の距離が500キロをちょっと超える程度だから、415キロというと東京・京都間ってとこですかね。それだけの距離の鉄道を1年半もかけずに建設したわけです。泰緬鉄道の建設には約6万2000人の欧米人捕虜、20数万人にのぼるアジア人労務者が駆り出された。

『歴史和解と泰緬鉄道』はサブタイトルが「英国人捕虜が描いた収容所の真実」となっています。テーマは日英の歴史和解です。その頃、日本軍の捕虜になったジャック・チョーカーという英国人の手記なのですが、画家でもあったチョーカー氏が、捕虜収容所で日本の軍人から受けたひどい扱いの諸々を記録したものです。

彼の手記の中に「朝鮮人監視員(コリアンガード)」のことがちょくちょく出てきます。この人たちは「軍に徴用された民間人という扱いで、日本軍の組織の最下級」にいて、捕虜たちの日常生活の面倒を見ることが仕事であったそうです。チョーカーさんは手記の中で、コリアンガードについて例えば次のように書いています。

  • 彼らは出世から外れた兵卒(実際には兵ではなく軍属)だった。当然彼らは屈辱的な身分に憤りを抱いており、自分たちの受けている抑圧を少しでも晴らすために、担当している捕虜たちに対して侮辱を加え、肉体的に傷つけるどんな機会も逃さなかった。

手記によると、コリアンガードには、動物虐待をやって喜んでいる人もいれば、「罪のない騙されやすい者」もいたし、温和な性格で「いかなる虐待にも決して個人的に関わらなかった」人もいる。つまりいろいろな人がいた。コリアンガードの振る舞いについては、チョーカーさんだけでなく、彼以外の英国人捕虜や他の欧米人捕虜やビルマ人たちの中にも、「日本兵よりも悪かった」と言う人が多いのだそうです。

『歴史和解と泰緬鉄道』は全部で約300ページなのですが、最後の約50ページに「鼎談」というセクションがあって、日英和解に取り組む山梨学院の小菅信子教授、日韓和解を研究している韓国・世宗大学の朴裕司教授、ビルマ史研究の根本敬・上智大学教授の3人が、チョーカーさんの手記を中心に「和解」についてディスカッションをしています。3人とも戦後生まれで、チョーカーさん(1918年生まれ)とは。ほぼ40才の年齢差があります(私とはほぼ20才違う)。

コリアンガードが捕虜に対して乱暴を働いたのは、朝鮮が日本によって植民地にされたことへの鬱憤晴らしだった・・・というチョーカー氏の「好意的な」記述について、鼎談に参加した朴教授は「それだけでは一面しか見ていないのではないか」というわけで、次ぎのように語っています。

  • 言葉も奪われて「日本人」になることを強要されていた朝鮮人たちが、本物の「日本人」になったことを証明する最後のハードルだった忠誠心を示そうとして捕虜たちに必要以上にひどい仕打ちをした可能性があると思います。

チョーカー氏の手記と画集の主人公は英国人捕虜と日本軍兵士であり、『歴史和解と泰緬鉄道』のテーマも日英和解です。その中でコリアンガードは「加害と被害の歴史のひだに織り込まれた存在」です。しかし朴教授は

  • コリアンガードたちは、加害者にさせられた被害者ですが、やはり日本に協力した加害者としての側面を一度は直視すべきですし、そのとき、現地の人たちに対して何をしたかということももっと知っていかねばならないと思います。

と言います。朴教授は「被害者の示すべき度量と、加害者の身につけるべき慎みが出会うとき、初めて和解は可能になる」と言うのですが、日本軍・コリアンガード・英国人捕虜の3者の関係を見ると、日韓・日英以外に韓英間の和解という作業が残されているように思えてくる。ただ、英国では、コリアンガードは日本軍の一員と思われているので、この問題が故に反韓感情が出て来るということはない。朴教授が語っているのは、韓国においてコリアンガードのことが話題になることが殆どないということです。

教授は、いまの韓国人たちはもっとコリアンガードのことを「もっと知っていくべきだ」と言っています。これはどういう意味なのか?コリアンガードも含めて、戦争中に日本軍に協力した韓国人・朝鮮人のBC級戦犯は、「被害者である」というお墨付きを韓国政府からもらっている。なぜいまさら「コリアンガードは加害者でもあったかも」などと蒸し返す必要があるのか?

この点について朴教授は、「被害者」とされた元コリアンガードの中にも、「捕虜たちに謝りたい」とか、被害者と認定されたことで「民族への(心の)負い目」を感じている人もいるという話を紹介しています。そして次のように言っている。

  • 人間に行われた暴力を知り、それを反省し、処罰や赦しも必要ですが、そこでとどまってしまうと反復を免れない。また相手に対する憎悪も消えにくいと思うのです。しかし「人間」の問題として、考え方の問題として考えていくと暴力の背景について理解できるようになるし、最終的には赦すこともできると思うのです。

泰緬鉄道の建設には800人の朝鮮人が監視員として動員されたとされています。

尤も「コリアンガードが乱暴だった」という証言そのものがそれほど信憑性のあるものではないらしい。鼎談参加者の根本教授が当時の被害者たちに聞き取り調査をやったときに「どうやってコリアンガードとジャパニーズを区別できたのか?」と質問すると「見ていて自然に分かった」というような曖昧な答えしか返ってこなかったのだそうです。ひょっとすると、後から考えて、日本人に抑圧されて、自分たちに乱暴に振舞ったにちがいないという風に「記憶を再構成させていたのではないか」と根本教授は言っています。

さらに言うと、戦争直後に、陸軍大臣だった下村定という人が、日本兵だった人々に出した「下村通達」というのがあって「連合軍から捕虜取り扱いについての訊問をされるようなことがあった場合には、捕虜収容所の監視員は資質の劣る朝鮮人や台湾人から編成されていて、教育も不十分だったと説明しろ」と指導されていたのだそうです。つまり、日本兵よりもコリアンガードの方が乱暴だったというのは、全くのデタラメではないにしても、それほど正確な事実として証明されているわけではないということです。

▼私の場合、戦争とか和解とかいうことを学問的に研究しているわけではないし、外交に携わっているわけでもない。この種のことはあくまでも個人レベルで「自分がコリアンガードだったとしたら、どのように振る舞って、何を思っただろうか」ということを考えるにすぎません。そのような立場からすると、朴教授の"「人間」の問題として、考え方の問題として考えていく"という部分は大いに魅かれてしまう。私自身の解釈によると、コリアンガードたちは「被害者」としてのみ扱われることについて、自分の一面しか見てもらえない居心地の悪さを感じていたのだろうということです。

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5)どうでも英和辞書
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cow:牝牛

英国のニューカッスル大学農学部の調査によると、ハッピーな牛(cow)ほど牛乳をたくさん出すのだそうです。で、牛をハッピーにするにはどうするのかというと、キーワードは「パーソナルタッチ」。具体的にいうと、一頭一頭の牛に名前をつけることだそうで、自分の名前で呼ばれる牛は、そうでない牛よりも54%も多く牛乳を出す、とこの大学のダグラス博士がおっしゃっています。大学教授の言うことだから間違いない!

non-believer:信じない人

2009年1月のオバマ大統領の就任演説の中に次のようなラインがあったのはご存知で?

  • We are a nation of Christians and Muslims, Jews and Hindus, and non-believers.

アメリカにはキリスト教徒もいるしイスラム教徒もいる。ユダヤ教徒もいればヒンズー教徒もいる。そして、non-believersもいる・・・ということですね。何故か仏教徒(Buddhist)が入っていないのはいいとして、最後のnon-believersについて、ある人が「アメリカ人は宗教に熱心な国民だから、無神論者ともとれるnon-believersという言葉を大統領が使ったりしたら嫌がるのではないか。何故わざわざこんな言葉を入れたのだろう?」と言っていた。面白い指摘をするなぁと思いましたね。大統領が、こともあろうに就任演説で「無神論者も結構」というようなことを言うなんて考えられないもんな。

で、私の解釈によると、オバマという人は、アメリカの常識のようなもの全てに挑戦したような部分があり、そうした「常識」の一つに「良きアメリカ人=クリスチャン」という思い込みがあった。オバマは、それにも挑戦したのではないかと考えるわけです。ただ露骨に「無神論者(atheist)」と言ってしまうと角が立つので、ちょっとソフトにnon-believersと言ったのでは?

patriotism:愛国心

アイルランドの劇作家、George Bernard Shawの言葉には面白いものが多い。「愛国心」については次のように言っています。

  • Patriotism is your conviction that this country is superior to all other countries because you were born in it. 愛国心とは、この国が他のどの国よりも優っていると確信することである。その理由は、自分がそこに生まれたというだけのことなのにだ。

私、昭和16年という生まれなのですが、日本の昔の「愛国心」の被害をこうむったわけではありません。小学校に行くころには、もう戦争も愛国教育も終わっていたのですから。なのに、愛国心とか「日本人らしくあれ」とか言う人を見ると、「マジっすか?」と聞いてみたくなる。

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6)むささびの鳴き声

▼大相撲の横綱朝青龍が、初場所で優勝したときに土俵上でガッツポーズをしたことについて「久しぶりの優勝で、気持ちが出すぎてしまった」と反省しているのだそうですね。高砂親方は、相撲協会の武蔵川理事長から「次やったら大変なことになる」と言い渡されたとのことです。「タイヘンなこと」ってなんですかね。クビ、ですか?

▼嬉しい気持ちをガッツポーズで表すことは横綱としての品格に欠けるらしい。相撲は日本の国技なのだから、日本流のやり方に従うべし・・・などと日本相撲協会はマジメに思っているんでしょうか?「日本流」ってなんやねん!?はっきりしていることは、いまや日本人の力士だけの相撲なんて誰も見に行かないだろうってこと。朝青龍と白鵬とバルトと安馬と琴欧州のいない相撲なんて、誰かお金払って見に行きますか?

▼誰も見に来なくてもいい、日本的な伝統を貫くのだ!というのなら勝手にどうぞ・・・だけど、優勝した力士を土俵の下でテレビ・インタビューするのだって、あまり「日本的」ではないと思うけど。インタビューで「アリガトゴザイマス!!」と叫ぶように言うのは、相撲の伝統にかなっているってこと?

▼最近の新聞やテレビのニュースは、経済危機に関係したことばかりがトップに来ていますね。タイヘンだ!タイヘンだ!と半鐘を鳴らしまくっている。おそらく本当にタイヘンなのでしょう。でも、ただそれだけを繰り返しているというのも、能がない気がしませんか?うるさい半鐘のお陰で日本中の人たちが不安な気持ちに陥っている。にもかかわらず、ただ「タイヘンだ!タイヘンだ!」を繰り返すのみ。読者や視聴者が抱いている不安感には何も応えることなく、メディアが半鐘をガンガン鳴らし続ける状態そのものがタイヘンなのではありませんか?

▼職を失う不安や生活の苦しさから生まれる孤独・孤立感覚には何も応えることなく、相変わらずトップニュースといえば「XXが史上最高の営業赤字」「YYも倒産の危機」「ZZの負債総額3000億円」等々で「どうすりゃいいんだか」とため息をついて見せる。みんなますます不安で孤独に・・・そのことのタイヘンさには、メディアはどのように責任をとるつもりなのでありましょうか?「オレたちはただ世の中で起こっていることを伝えているだけさ」で済ませるってことですかね。 だとするとメディアの言うことなど最初から無視すればいいってことですね。

▼今回から少しだけレイアウトを変えてみました。気分転換という以外に特に理由はありません。お付き合いいただき有難うございました。

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