第16号 2003年9月21日
home backnumbers むささびの鳴き声 美耶子のコラム
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この間、ある本を読んでいたら、英国人が何故お天気の話をしたがるのかについて解説されていました。それは「お天気の話をしているぶんには、お互いのプライバシーに立ち入ることもなく、しかも黙ってじっとしている不愉快さも解消できる」ということが理由なのだそうです。なるほど・・・言えてますね。というわけでお天気の話をすると、ようやく秋になりました。このメールを南半球でお読みの方の場合、これから春・夏ってこと?

@イングリッシュークの周辺:長野県信濃町
Aキャンベルの辞任とブレア首相
B子供の悲劇防止に総背番号制度?
CむささびJの受け売りフィンランド<英国人記者のフィンランド教育印象記>
DむささびMの<trainとchain 、crowdとcloudの聞き分けがそんなに大事?>
E短信
F編集後記


@イングリッシュークの周辺:長野県信濃町「アファンの森の姉妹提携」

長野から信越本線に乗って新潟方面に向って5つめにあるのが黒姫。駅から車で15分ほど行ったところにCWニコルさんの「アファンの森」があります。約4万坪だそうです。彼の生まれ故郷であるウェールズにもアファンと名の付いた森があります。

CWニコルさんは日英グリーン同盟にとって一番強い味方でした。この企画を提案してはみたものの、「イングリッシュオークはどうやって入手するのか?」「本当に日本で育つのか?」等など、私には分からないことだらけで途方に暮れていたのですが、ニコルさんの仲間の紹介で様々な人々に会って意見を聞くことができた。東京・小石川の植物園の先生、環境教育推進のNPO、自然保護組織の人々などです。

グリーン同盟は環境に悪影響?

その仲間たちに紹介されて会いに行ったある自然保護団体の人に「日英グリーン同盟は、若い人々と一緒に環境問題を考えることをテーマにしていながら、イングリッシュオークという外来種を日本国内に植えようとしている。それは日本の土着の自然に悪影響を与えかねない。そのあたりの整合性をどのように説明するのか」と言われた時には焦りました。そのようなことは考えてもいなかったのだから。「その問題はまでは考えておりませんでした」と正直に認めるしかありませんでした。

「外来種」って何?

気になった私は早速ニコル宛てに手紙を書いて、外来種云々の問題について彼がどのように思うのかを聞いてみた。間髪を入れずに返事がきて「お金さえあれば5万本のイングリッシュオークを日本に植えたいくらいだ」とのことでありました。「外来種って何なんだ?日本に外来でない樹木なんてあるのか!?」というわけでかなりお怒りのようでありました。 ちなみに日英グリーン同盟は、この外来種の問題に関係して国会でも取り上げられてしまったようで、衆議院の環境委員会(だったと思うのですが)でのことで、農水省のお役人が答弁して「植樹場所がいずれも管理された場所であり、しかも植えるのがそれぞれに一本なのだから環境に悪影響を及ぼすとは考えにくい」とのことでありました。外来種の問題については別の環境保護団体からも懸念を表明するお手紙を頂きました。その中にはメキシコ産のコスモスが日本に移植されて日本の環境を破壊しているという趣旨のことが書いてありました。

私が読んだ本によるとイングリッシュオークは、もともとヨーロッパ大陸にしか生えていなかったのが、ドングリが風で運ばれたり、鳥や人間が運んできたりして英国にも生えるようになったと書いてありました。ニコルではないけれど「外来種」って何なのでしょうか?例えば北海道で拾ったドングリを埼玉県に植えるのは「外来種の移植」にあたるのでしょうか?もし外来種を植えるのが悪いことであるのなら、何故樹木の輸出入が許されているのか?私がこの企画を説明した植物園の先生や専門家たちは何故この問題について何も指摘さえしなかったのか?

日英グリーン同盟に関連してニコルには夢がありました。それは黒姫にある自分の森と生まれ故郷であるウェールズにあるアファンの森の間で「姉妹森関係」なるものを確立することでした。その夢はまず2002年8月25日に黒姫のアファンにウェールズのアファンからの代表者を招いて調印式が行われたことで50%は実現、そして今年(2003年)7月、今度はウェールズのアファンの森で同じようなセレモニーが行われて100%実現しました。

赤鬼の目に涙!?

黒姫の式典にはゴマソール駐日英国大使が、ウェールズのそれには駐英日本大使がそれぞれ出席、もちろんニコルは両方に参加した。彼は普段から赤い顔をしており「黒姫の赤鬼」とか「ケルトの赤鬼」と自称しているようですが、黒姫の式典はウェールズの国歌を直立不動の姿勢で聴きながら泣いていました。「赤鬼の眼に涙」でありました。 日英グリーン同盟のイングリッシュオークは黒姫高原にある童話館という博物館前の広場に植えられました。ニコルご推薦の植樹場所で、どこかウェールズの優しいグリーンの高原を想わせる景色の中に立っています。冬はスキー場になるというところだけに、オークも雪の中で過ごすのでしょうが、春から秋にかけては緑一色の広大な景色の中に立っています。

イングリッシュオークの寿命は長いもので400年くらいと言われています。黒姫のオークがそれまで生きているのかどうか分からない。せめて30年―40年は生きて貰いたいものです。あの赤鬼にも、英国大使にも、信濃町の町長さんにもそれを見ることは出来ないでしょう。ひょっとするとそのオークから落ちたドングリから新しいオークの芽が出たりしているかもしれない。「外来種」の繁殖です!でもそのオークの氏素性を知っているのはオーク本人だけ・・・ということを考えるのは、あの環境保護の専門家に申し訳ないけど、楽しいことなのであります。

2. キャンベルの辞任とブレア首相

ブレア首相の側近といわれたアラステア・キャンベルという人が内閣府のDirector of Communications and Strategyという職を辞してしばらく経ちます。この肩書き、日本語でなんとするべきなのでしょうか?私自身の訳はというと「広報・戦略局長」。Communicationsを「政府の意思を国内外に効果的に伝える」(つまり広報)と解釈し、Strategyを「政府の政策を支障なく実施するための"やり方"を考える仕事」と考えたのですが・・・。間違ってます?

英国のメディアが伝えるところによると、英国がイラク戦争に参加することを決めた大切な根拠の一つとなった諜報筋からの報告書の中のサダム・フセインが如何に危険な存在であるかを国民に分かってもらうために少しばかり誇張するようにそそのかしたのが、ミャンベルであるとされています。本人は否定しています。

そもそもこの人はトニー・ブレアが労働党の党首になったころからの「盟友」で、ブレアが自分で連れてきた人で、仕事は単なる(と言っては悪いけれど)報道官(Press Secretary)であったはずなのにいつの間にかDirector of Communications and Strategyという肩書きになって、しかもお役人を指図するようになってしまった。越権行為というわけです。で、キャンベルの後任となったデイビッド・ヒルという人にはキャンベルが持っていたのような権力は与えられなくなった。

右腕といわれたキャンベルがいなくなって気弱になったのではと思われていたブレア首相ですが、これが反対で「意気軒昂」であると側近が語っているとThe Economistが伝えています。「キャンベルもいなくなったし、さあこれからが新しい出発(fresh start)だ」という雰囲気なんだとか。どうfreshなのかというと、これまでのようにキャンベルが政策にまで口を挟んだり、公務員を指図したり・・・ということをやめて、政策決定には閣僚の意見ももっと聞く(えっ!それまで聞いていなかったのか!?)など、議院内閣制のシステムにより忠実なやり方をしようということ。

多くの人々が、ブレア首相の最近の支持率低下をイラク戦争と未だ見つかっていない大量破壊兵器、それにデイビッド・ケリーの自殺などに結び付けて考えているようだが、「それは間違い」というのがThe Economistの見解。ブレアの不人気は国内問題(医療・教育・福祉など)で約束をまるで実行していないと考えられていることにあるということです。

このような特に公共サービスの向上というのがブレア政権が掲げた最も大きな課題であったのですが、最近このことで労働組合の代表とも話し合う場所を設けたりしている。The Economistによるならば、このように労働組合というような特定のグループの意見を聞こうとしていると見られることはブレアにとっては致命傷になるはず。しかも労働組合の意見を聞こうというのでは「ますます改革の中身が薄まってしまうだろう」と主張しています。

3. 子供の悲劇防止に総背番号制度?


約4年前の2000年2月、英国で8才になる女の子が大叔母らの拷問によって死亡するという事件がありました。アフリカの象牙海岸生まれで、英国で教育を受けさせようと両親が英国に住む大叔母のもとの預けたのですが、その大叔母と知り合いの男の二人が拷問を加えて死亡させてしまったというのがこの事件で、犯人は二人とも終身刑に服しているのですが、その当座問題になったのが、周囲の人間(ソシアルワーカー、警察、医者など)がもう少し気をつけていれば拷問に気づくことができ、彼女は死ななくてもすんだのではないかということでした。

9月11日付けのThe Economistによると,去る9月8日、政府が新たな児童保護計画を発表したのですが、それによると将来は子供一人一人に一種の背番号(tracking number)のようなものを割り振って、医者・教師・ソシアルワーカーらが子供一人一人についての情報を共有しようということも検討されているそうです。この種のやり方については「プライバシーの侵害につながる」という声もあるのですが、「子供の保護のためには止むを得ない」というのが政府の強い見解。

実は労働党政権になってから児童福祉についてはいろいろな改革がなされてきています。例えば3-4歳児の保育園教育の無料化、貧困家庭が多い地域の子供たちに基礎教育を施そうというSure Start計画、学校におけるカウンセリングの充実を狙ったConnexionsもある。

「子供は政府によって保護されるべしという考え方は今に始まったことではない」として、The Economistはディケンズの19世紀の頃からあったし、第二次大戦中も戦争直後にも大いに存在したと語りながらも、ディケンズの頃と現代の考え方の違いも指摘しています。昔は「(数は少ないけれど)深刻な状況に置かれた子供」の救済に力が入れられていたのに対して、現代の考え方は子供がそのような状況に置かれる前に救う悲劇の事前防止に力が入れられている。

子供の人口が昔に比較するとかなり減っているということも、「事前防止」という発想が出てくる背景になっているようで、1971年の英国における5歳以下の児童の数は450万であったのが、現在では350万。100万も減っている。ディケンズの頃などに比べると人口に占める児童の割合は非常に小さくなっている。 子供を悲劇的な状況から救ったり、監視を強化することはまた「将来のトラブルメーカー」の出現を防止することにもつながり、社会コストの節約に繋がるという考え方もあります。

例えばSure Start計画の母体となったアメリカのHead Startという青少年保護計画によって青少年の犯罪が減り、裁判件数も少なくなったことで社会コストは7分の1にも下がったとされています。 このように政府が子供救済や監視を行うことは悪いことではないにもかかわらず、英国では特に中流階級の人々の受けが悪いかもしれないとThe Economistは指摘しています。このような親の常として、子供を監視するのは構わないが「自分たちの子供は監視の対象にして欲しくない」「路上犯罪を少なくすることには賛成だが、子供に対するケア充実のために余り税金を使うのはどうも・・・」という態度が多いというわけです。

4. むささびJの受け売りフィンランド<英国人記者のフィンランド教育印象記>


9月16日付けの英国紙ガーディアンの教育面に「天国とヘルシンキ」(Heaven and Helsinki)という記事が出ていました。同紙の教育担当記者のフィンランド訪問記なのですが、これを読むと面白いのはフィンランドの教育事情のみならず、英国人のフィンランド観、なども垣間見えることです。この記事の要旨をまとめてみると次のようになります。

フィンランドを見落としていた!?

フィンランドは最近のいろいろな国際比較でも教育水準は殆ど常に世界一となっているだけに、海外からの視察も盛んで過去数年で軽く100組を超える専門家による訪問が記録されています。韓国・ドイツ・中央ヨーロッパ・アイルランド・カナダ・・・でも何故か英国からは一組もなし。「うっかりして見逃しているのではないか」とガーディアンの記者は言っています。

フィンランド人の教育観

フィンランドの教育は7歳から始まり、16歳になるとさらに上級学校に行くのか、職業学校に行くのか、あるいは学校そのものに行かないのかを決める。とはいえ実際には16歳で教育をやめる子供は全体の3%で、70%は上級学校へ、27%は職業学校へ行くわけですが、英国のクラーク教育大臣などが羨ましがるに違いない(とこの記者が言う)のはフィンランドでは若者の60-70%が大学もしくは専門学校(ポリテクニック)へ行くらしい。

フィンランドにおける教育の原理原則となっているのは、「学生中心の民主主義」(student-centred democracy)であり、選別のたぐいのものは殆どなしであると同時に私立学校というものはなくて、学校は殆ど国立であるということである、とこの記者は伝えています。またフィンランドにも普通の授業における期末テストのたぐいはあるにしても、英国にあるような全国統一テストのようなものは、16歳で上級学校に行くときに受ける試験以外には何もない。

教師という職業

ガーディアンの記者は「フィンランドの教育制度は教師の能力に対する信頼の念が基礎になっているようだ」として「英国で行われているように成績の優劣を表にして公表するようなことは一切行われていない」と報告しています。フィンランドでも全国的なカリキュラムは決められているのですが、それをどのように教えるのかは学校と教師に任されている。「フィンランドでは教授法におけるcreativityが抑圧されるのではなく尊重されている」とも報告しています。

ガーディアンの記者がさらに強調しているのは、フィンランドでは教師という職業に対する尊敬の念が極めて高いということです。フィンランドにおける最も望ましい職業とされるのが教職なのですが、10人に一人という難関でもあるそうです。この記者は教育の国際比較を行っているOECDの担当官の話として、「フィンランドの教師の場合、給料は高くない(初任給年額1万7000ポンド)が文部省の役人から監視されるということがなく、自治と自由が許され、しかも尊敬もされている」ということを挙げています。

いいことずくめではない

もちろんフィンランドといえども教育のユートピアではなく、他国のそれと同じような問題はあります。登校拒否・麻薬・アルコールの問題を抱える子供もいるし、上級学校への進学希望者の増加に伴って頭のいい子供が集まる「秀才学校」のようなものができつつあり、そうした学校は優秀な子供のみを入学させようとする傾向にもある。さらに予算削減の問題もある。ヘルシンキ教育委員会の担当者によると「予算カットのおかげで授業時間を3%減らす必要に迫られているし、将来は教師の人数そのものも減らさなくてはならない」とされています。尤もこのガーディアンの記者は「フィンランドの国家予算に占める教育予算の割合は英国などよりもはるかに高いので、問題の深刻さは英国に比べればはるかに小さい」と伝えています。

kasvatus, kasvatus, kasvatus…

ガーディアンの英国人記者は、フィンランドの持つ社会的な有利さ(例えば人口が少ない・民族の単一性・貧富の差が少ない社会などなど)を挙げたうえで、この国が今も「学ぶことの大切さ」を強調するルーテル派キリスト教の伝統が根強く残っていることも指摘しています。またこの記者はフィンランドから学ぶべき点として「教育について議論をすることで異端児扱いされることがなく、建設的な議論が可能になっていること」と「教育水準の向上が政府の課題というよりも社会全体の課題と見做されているようだ」と報告しています。 この記者は結論の部分で、「フィンランドの教育はロケット科学のような凄いものではないかもしれないが英国の教育関係者がこれまで長い間訴えてきていることを実践している。この際、労働党政府もeducation, education, educationなどと大きな音でドラムを叩くのはやめにしてkasvatus, kasvatus, kasvatusのセンで行ってもらいたい」と結論しています。


5. むささびMの<trainとchain 、crowdとcloudの聞き分けがそんなに大事?>


以前、「日本人のネイティブ信仰」について疑問を呈した。今回は日本にある名の知れた英語学校が出版している「大人のヒアリング上達用のテキスト」に感じた私の疑問を聞いてもらいたいと思う。

そのテキストには当然CDが付いていて、それを聞きながら自習するようになっているのだが、まずそのテンポがやたら速すぎる。始めの方に、テキストを見ながら、聞こえてくる単語に丸印を付けていく作業をするようにというのが出て来る。しかし、CDから次々と言われる順不同の単語(10個ぐらい)に順番に丸印を付ける作業の速さとヒアリングの能力との関連性がそれほど大きいとは私には思えないのだ。「どうだ!ナマの英語はこんなに速いんだぞ!」と言って、聞いている人を威圧するのが狙いなのか、とさえ感じてしまった。これを聞いて真面目な学習者は「あー、自分のヒアリングはマダマダだな、、、」と不必要な自己過小評価をしてしまうことになるような気がする。

次に、二つの英文を聞いて聞き分ける練習をさせようという問題が出て来る。これを聞き分けられることとヒアリング能力があることとを結びつける考え方そのものが、私には甚だ疑問に思えるのだ。しかも、これがまたやたらと速い(著者に言わせればこれがナチュラル・スピードなのだと言うことなのかもしれないが)アメリカン・イングリッシュで聞こえてくるのだ。Do you see the train? Do you see the chain? どっちの文を先に言ったか当てろというのだ。There is a big crowd in the park. There is a big cloud in the park. これも同様だ。

言うまでも無く人の話(会話)というものは必ず「内容」があって成り立つものである。前後関係もなしに「電車が見える」と言ったのか、「鎖が見える」と言ったのかなんて、どちらも「チェーン!」と聞こえなくも無いアメリカ人の発音するこの文章を、「どうだ、分かるか」と言わんばかりに聞かせて学習者をオロオロさせてしまうこの「罪深さ」「傲慢さ」はとても許せないし、意味のあることとも思えない。発音についても、アメリカ人と同じように発音出来なければ通じないというわけではないということを強調する英語学校(または英語教師)がそろそろこの辺で出て来てもいいのではないか、と思う。

どうせCDを使ってナマの英語を聞くチャンスを与えてヒアリング能力をつけさせようというのなら、むしろアメリカ人の発音を聞き分けて真似をさせるのではなく、英語を母国語とする他の国の人達のいろいろな発音を聞かせて、いかに違うかということを体験させることのほうが、本来のヒアリング能力なのではないか、と思って目次を見ていくと、「英語はインターナショナル」という項目があったので見てみると、これがまたピントはずれなことを学習者にやらせるのだ。CDを聞いてその英文を読んでいるのはアメリカ人か、イギリス人か、オーストラリア人か、当てろと言うのだ!ナニジンが言っていようと、要は中身が解かるかどうかであるのに、何故こうも次々と枝葉末節なことをやらせるのか、私には納得できない。

 6)短信
 
3分間で牡蠣を187食!
3分間で食べた牡蠣(かき)が187匹。1秒あたり1匹以上という信じられないような記録を作ってしまったのがノルウェー人のルネ・ナエリ氏。北アイルランドのヒルズボロで行われたOyster Festivalで作ったもので、勿論ギネスブックに登録されました。その前の最高記録は97匹ですから、これはかなりの記録更新ということになりますね。記録達成後にギネス・ビールで乾杯したナエリ氏は「ギネスには牡蠣が合う」とご機嫌であったそうです。3分で187もの牡蠣なんか食べたら・・・あとは汚いから止めておきますが、よく分かりませんね、こういうことをやる人の心が。それはともかく牡蠣は「1匹」というのでしょうか?それとも「1個」?

外交官の交通違反
英国内(といっても殆どがロンドンですが)で駐車違反をしておきながら罰金を払っていないという、けしからん(?)外交官による滞納総額は12万ポンド(約2000万円?)にのぼるそうです。外務省によると最悪なのがアラブ首長国の323件(滞納金額12,830ポンド)。ついでリビアの226件(8940ポンド)、中国の195件(7790ポンド)、エジプトの97件(3790ポンド)となっています。日本は入っていないようです。ちなみに昨年(2002年)全体で17万3180ポンドが滞納であったのですが、外務省の「追跡」に応じて支払われた罰金はたったの5万2200ポンドであったそうです(PA通信より)。

フルートを吹きながら時速130キロ!
これもPAが伝える信じられないような話ですが、ドイツの高速道路で時速80マイル(約130キロ)の速度違反で走る車があり、警察がストップしたところ、運転者はあろうことか両手でフルートを吹きながら足をハンドルに乗せて運転していたのだそうです。オーストリアのザルツブルグが来たフルート奏者で、その夜のコンサートで「完璧な演奏をしなれば」と考えてつい・・・ということだったらしいのですが、「相当額の罰金」を取られること間違いないとか。そりゃそうだ。

自分の庭を壊されて・・・
ワイト島のシャンクリンというところに住むクリスとジェニーの夫婦が現在の家を購入した大きな理由は敷地内に生えていた松などの樹木やヘザーのような植物の美しさに惹かれたこと。なのに、「なのに」である、ある日突然ブルドーザーがやって来てそれらのものを皆取り払ってしまった。会社から帰ってきた夫のクリスはブルドーザーが自分たちの庭で工事をしているのを見て「ジェニーがボクの誕生日のビックリプレゼントにプロの庭師を雇ったのに違いない」と考えてしまった。ブルドーザーの工事人が家を間違って工事をしてしまったとは・・・誰も考えませんよね。「ボクたちもショックだったけど、もっと可哀そうだったのはブルのドライバー。打ちひしがれていたので、お茶を入れて慰めた」とクリス。自分の庭をメチャクチャにされて、それをやってしまった当人を「慰める」というのも妙な話ですが、ありますよね、そういう巡り合わせみたいなこと。
7)編集後記

フィンランドの教育事情を紹介する英国人の記者の記事を読んでいると、殆どいいことだらけの報告という気がします。それほど新鮮に映ったということなのでしょうか。ただこの記事の前書きの部分でフィンランドのことを「北東ヨーロッパの低姿勢で暮らす国」と書いています。英国人にはそのように映るのでしょうか、何せフィンランドにはアラステア・キャンベルみたいな人がいないので・・・。フィンランドなりに自己主張はしているようなのですが。