第19号 2003年11月2日
home backnumbers むささびの鳴き声 美耶子のコラム
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 寒くなってきました。19号目のむささびジャーナルをお送りします。度々コンピュータを占領して申し訳ない、とか何とか言いながらここまで続けてしまいました。

1. イングリッシュオークの周辺:熊本県熊本市「リデル・ライト記念老人病院」
2. 公私立学校って何!?
3. 理想の結婚相手
4. 短信:心臓麻痺でも救急車を呼べる下着
5. 短信:振動する靴が老人の転倒を防ぐ?
6. 短信:英国女性は言葉が汚い!
7. むささびMの<ことばが身に付くとは?>
8. むささびJの受売りフィンランド<酒飲みの国における下戸の悲哀>
9. 編集後記

@ イングリッシュオークの周辺:熊本県熊本市「リデル・ライト記念老人病院」

熊本市黒髪5番地というところに「リデル・ライト記念老人ホーム」という施設があり、2002年4月3日にこのホームの敷地内にイングリッシュオークが植えられました。翌日の熊本日日新聞は「(4月3日は)ハンセン病患者救済に尽力した英国人ハンナ・リデル女史が初めて熊本の患者と出会い、福祉活動を開始した記念の日」と伝えています。4月3日の日英グリーン同盟の植樹式には熊本県副知事、熊本市長、英国総領事らが出席したと報じられています。

今から100年以上も前の1891年、英国から一人の女性宣教師が日本にやって来ました。ハンナ・リデルという英国国教会の宣教師で、年齢は35、日本にキリスト教を広めようという使命感に燃えてやって来た。「ものの本」によると彼女がイングランドのサザンプトン港を出たのが1890年11月1日、神戸に到着したのが翌年1月16日となっています。日本に到着後、彼女は宣教師として熊本に派遣されるのですが、そこで遭遇したハンセン病の患者の悲惨な状態に衝撃を受け、彼らを救うことが「神から授かった使命」であるとして、1932年2月3日に77歳で亡くなるまで、ハンセン病患者の救済をライフワークにした。その彼女の「ライフワーク」の記念碑的存在が1895年、熊本市黒髪に設立した回春病院で、現在のリデル・ライト記念老人ホームの元になったところです。

以上は日本経済新聞社刊「ハンナ・リデル」(1995年)から受け売りしたものなのですが、この本を書いたのはジュリア・ボイド。1995年から4年間、駐日英国大使夫人として東京に滞在した人です。ハンナ・リデルほどではないにしても、ジュリアという人もちょっと変わった大使夫人で、私が知っている限り東京にいる間に本を一冊書いてしまった大使夫人なんてこの人しかいません。そのジュリア・ボイドと最近、東京で会う機会があったので、いろいろ聞いてみました。

ハンナ・リデルなる人物はどこかサッチャー首相を思わせますね?

ジュリア::強烈な個性で「やるべきだ」と思ったことをやり遂げてしまう・・・という意味ではマーガレット・サッチャーと非常に似ている。もう一人似ていると思うのが、フローレンス・ナイチンゲールね。彼女もまた強い個性の持ち主だった。ただハンナ・リデルがサッチャーともナイチンゲールとも違っていたのは、生きた時代がビクトリア時代の英国で、しかもどちらかというと下層階級の出身であったということ。ナイチンゲールもビクトリア時代の女性だったけど、上流階級の出で、お金持ちの人々とのコネクションは沢山あった。サッチャーもリデルも労働者階級の出ではあったけれど、リデルの生きた時代の英国はサッチャーの頃と違って極めて強固な階級社会で、圧倒的に男社会だった。下層階級でしかも女が上に昇るというのは大変な時代であったわけです。ハンナは自分が下層階級の出であることを隠していたようなところもあった。

ハンナ・リデルという人は一緒にいて楽しい人物だったと思いますか?

ジュリア:多分思わないでしょうね。ハンナという人はおよそ他人の意見に耳を傾けるということをしなかった人らしい。ハンセン病のことにしても、彼女には科学者としての素養なんて全くなかったのに、そうした人々の意見を聞こうとはしなかった。もう一つ、私が一緒にいて楽しいと思えたかどうか疑問なのは、彼女の強烈な宗教心。私は全然宗教的でない。尤もこれは彼女の個性というよりも彼女の生きたビクトリア時代の英国が非常に宗教色の強い時代であったということでもある。

サッチャーさんも熱心なキリスト教徒だった・・・。

ジュリア:
そう。ただ私が一緒にいて楽しいと思ったかどうかはともかくとして、ハンナのやったことの偉大さは認める。自分には絶対出来っこないことを意思の力と個性でやり遂げてしまった。ハンナは英国国教会の協会を事実上クビになってもハンセン病患者の救済活動を続けた。サッチャーにしても、いろいろと問題はあったにせよ、彼女のお陰で英国が立ち直ったというのは事実です。それを認めないわけにはいかない。

ハンナ・リデルについてジュリアが言ったことの中で私が興味を持ってしまったのは、ハンナは、自分が下層階級の出であることを「隠していた」(suppress)ということです。彼女と一緒に日本にやってきた女性の宣教師たちはいずれもお金持ち階級のお嬢様であったようです。ハンナは貧しい暮らしを支えようと、今で言う「塾」、それも上流階級の子息が名門校に入る準備をするための学校のようなものを開いたこともあるらしい。悪く言うと「やり手」。しかしジュリアの言うとおり、その実行力には恐れ入ったとしか言えませんね。

ちなみに現在Yahooで「ハンナ・リデル」と入れると130件以上ものサイトが出てきます。ハンナが生きていたら「たった130件か!」と不機嫌な顔をするのか、「130もあるのですか?」と感激するのか・・・。 いずれにしても自分が作った施設の敷地にイングリッシュオークが植えられようとはハンナ・リデルも思ってもいなかったでしょうね。

2. 公私立学校って何!?

私、非常に情けないことを白状してしまうと、英国の教育制度というのがよく分からないのです。何だかいろいろな名前の学校がありますよね。一つだけ知っているのは、いわゆる「公立学校」のことはアメリカのようにpublic schoolとは言わずにstate schoolというのだということであります。それから「私立」のことはprivate schoolともいうし、public schoolともいうし、independent schoolとも言う。 というわけで10月18日付けのThe Economistを読んでいたら、最近目立つのがindependent state schoolなるものの登場であると出ていた。気が狂いますね。

「私公立学校」って何のことかと思ったら、公立学校の運営に民間のお金を使うというのがこれにあたるのだそうです。例えばChurch School Companyという民間のチャリティ組織があって、ここはいわゆる私立学校(independent school)を8校経営しているのですが、最近になって公立学校2校のスポンサーになった。私立教育のいい点を公立学校に取り入れるという政府の方針に沿ったものなのですが、この種の「私公立学校」は既に全国で12校あり、政府としては2007年までに53校にまで増やしたいのだそうです。

従来の公立学校はこのような半分公立の学校と優劣を競わなければならないわけですが、この「どっちつかず」システムには私立からも公立からも批判の声はあるようです。私立の方は「官僚の支配」を警戒し、公立のほうは「教育の平等」の精神に反するというわけです。The Economist(多分この雑誌の記者や編集者の多くは私立学校出身だろうと想像しますが)は民間のお金を使っていろいろな教育の機会が出来るのはいいことであると言っています。これ、ブレア政府が進めている「財団病院」(公立病院に民間の資金を投入する)と似ていますね。


3. 短信


理想の結婚相手

英国の保険会社プルデンシャルの調べによると、英国では男女ともに89%の人が「理想の結婚相手」の条件としてユーモアのセンスを持っていることが必須と考えているそうです。次いで大切なのが「清潔感」の84%。ルックスについては男の75%が「絶対大切」(must)としているのに対して女性の方は62%と少し低くなっている。経済力については女の62%、男の35%が相手にこれを求めている。ちょっと可笑しいのは「相手のことが好きなんだけど、経済力がないからという理由で”深入り”を避けた」という人が男で3%、女で4%に過ぎないのに、女の8%、男の12%が「相手に気に入られたくて実際以上に金持ちであるかのように振舞ったことがある」と白状していること。 もっと笑えるのは、自分のパートナーの条件として「入歯・義歯がない人」と答えた人の割合で、16-24歳の場合で80%、65歳以上で50%となっていること。そもそも65を過ぎてですね、相手の歯に「全部健康」を求めること自体が無理というか、厚かましいというか・・・。そういう人に限って自分はポリデントの愛用者だったりして。


4. 心臓麻痺でも救急車を呼べる下着


オランダの科学者が、心臓麻痺に見舞われると自動的かつ直ちに救急車を呼ぶというシステムを内蔵した下着を開発したというニュースがあります。フィリップス研究所のカレル・ジョーゼなる科学者を中心とするチームが開発したもので、ブラジャー、ベスト、パンツなどに特殊なセンサーが埋め込まれており、着ている人の正常な心拍を登録しておく。センサーは携帯電話につながれ、心拍に異常が発生すると直ちに携帯電話を通じて病院に通報されるというシステム。ジョーゼ博士によると、これらの下着の着心地は普通のものと全く変わらないとかで、心臓に問題がある人が自宅で着るのに使われるものだそうです。商品化には2年かかるとかで、とりあえずはオランダとドイツの市場で売り出すというのがフィリップスの意向のようです。

5. 振動する靴が老人の転倒を防ぐ?


一方、アメリカ・ボストン大学のジェームズ・コリンズ博士がお年寄りのボランティアを使って実験中なのが老人のフラフラ防止装置着きの靴だそうです。これを伝えるPA通信の記者も科学には弱いと見えて、いまいちはっきりしないのですが、要は靴底に特殊な仕掛けがしてあって、立っている老人がバランスを失いそうになると、この仕掛けが振動して転倒を防ぐのだそうです。博士の実験によるとこの靴を履いた老人のバランス感覚は20代のそれと大差がないところまで向上しているのだそうです。人間、歳をとるとバランス感覚が悪くなって、ヨロヨロしながら歩いたりするようになる。私もその一人です。英国ではこのような年寄りが転倒して骨を折ったりする事故があとを絶たず、そのためのNHS(国家による保健サービス)の治療費が10億ポンドにも上るとされています。

 6)英国女性は言葉が汚い!
 
怒ったときにいろいろと汚い言葉でののしるのはよくあること。これを英語でfoul languageとかfoul mouthなどと言います。アメリカ英語だとgod-damnedなんてのが典型としてあるし、英国英語だとbloody hellを始め数限りなくある。で、最近ドイツのボン大学の学者が英国の学生を対象に面接調査をした結果、カンカンに怒った場合、英国では男性より女性の方がfoul languageを使うことが多いということがわかったのだそうです。男の場合は汚い言葉でののしるよりも、何とかその場を丸くおさめようとして、やわらかい言葉を使うケースが多いのだそうであります。で、女性がどのようなfoul languageを使うのかというとbastard, ass-hole, f***, s***あたりが一般的なのだそうです。ちなみにこの調査は本年度の「英語に関する研究」の部門で英国女王賞を獲得したのだそうです。

7) むささびMの<ことばが身に付くとは?>

英語学習者にたいして、英語で夢を見るようになればかなり英語が身に付いたということだと、よく言われる。「夢による確認」をしなくても、習った「英語」が身に付いたかどうかというのは、外国語のことなので、ある種の手ごたえを自覚したり日本人の生徒に確認したり出来るのであるが、こと「日本語」になると、教えている外国人がその日本語をどの程度身に付けてくれたのかを確認するのは単純ではない。

教科書に従って、書かれた文章を見ながら、Q&Aをしたり言葉の置き換えをしている時によく出来たからと言って、それで「本当に身に付いた」と判断するのは詰めが甘いということだ。 ある中国人の学習者がこんなことを言ったことがある。「センセイ、わたし教科書2冊始めから終わりまで全部やりました。書いてあること全部わかります。でも、実際に日本人の言ってること殆んどわかりません。どうしてですか?」と。

「言葉が身に付いた」と自覚する中身は当然二つである。他人の言ってることが理解出来るようになったという自覚と自分の言いたいことが言えるようになったという自覚である。この中国人は教科書を勉強したことで、自分の言いたいことは何とか言えるようになったが、他人の言ってることを理解する能力が教科書で身に付かないのは何故か?という素晴らしい問題提起をしてくれたのだ。 教科書に出て来る日本語の文体は「です・ます調」で、日本人の普通の会話では余り「です・ます調」は出て来ないからだろうか、、、、、?教科書のどこが不備なのか、使い方にどんな注意が必要なのか。この人の聴解力を伸ばす学習法を考える必要があると思った。

最近、私は人間のやることはすべてある種の「エンターテイメント」ではないかと思い始めた。つまり、人間は何をやるにも「エンターテイナー」の心が必要なのではないか、と。人を何らかの方法で楽しませ喜ばせることで自分自身を楽しませ喜ばせる生き物が人間なのではないか、と。私自身について言えば、掃除、洗濯、料理のような些細な(些細じゃない!)ことから色々な仕事(人にものを教える仕事はその最たるものだと思う)にいたるまで、「エンターテイナー」の視線で行動することで、やること自体が単純に面白いと感じ、ベストなものを提供したいという気持ちが強くなるような気がする。

ことばを教える限り、その言葉が身に付いたと学習者に自覚して貰うことが、私のエンターテイナーとしての喜びである。さらに、学習者が「ことばが身に付いた」と感じる裏に見えるものは、その人が言葉という道具を通して、自分自身や他の人をいい気持ちに出来たということであり、その人が一人前のエンターテイナーになりかけている喜びの第一歩に他ならないのではないかと思うのである。


 GむささびJの受売りフィンランド<酒飲みの国における下戸の悲哀>

Teetotallerという英語、知ってます?「禁酒主義者」という意味なのだそうですが、私は知りませんでした。つい最近のフィンランドの日刊紙Helsingin Sanomatに出ていたTeetotallerによるエッセイを読むまでは。「フィンランドの忘れられた少数”民族”:禁酒主義者」というタイトルのエッセイで、アルコールを飲まないのはどこかおかしいと思われてしまうフィンランド社会における「飲めない(飲まない)人間」の悲哀が淡々と書かれています。以下はその要約。

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禁酒主義者(Teetotaller)って何?という問いに対する答えは国によって異なる。例えばイスラエルでは宗教的な儀式の一環としてアルコールを飲む人でもTeetotallerであり得るし、ポーランドの場合、ウォッカさえ飲まなければ禁酒主義者に数えられる。フィンランドの場合は「過去1年間アルコールを口にしたことがない」人はTeetotallerであるとされる。 で、私はというとこれらいずれの条件もクリアする禁酒主義者である。一滴のアルコールも飲まないのだ。理由は?と聞かれても「飲みたくないから」と答えるしかない。

私のような人間はフィンランドの全人口の10分の1なのだそうである。つまりフィンランドにおけるスェーデン語人口と同じようなマイノリティなのであるが、我々の場合、声高に権利主張をするわけでないし、特別待遇を求めるわけでもない。世の中の邪魔になりたくないと思っている「静かなるマイノリティ」である。

パーティーとか夕食会に出席すると、いろいろと質問されてうるさい。

「何故飲まないのか?」「飲みたくないから」
「ご家族の中にアルコール中毒の人でも?」「いません」
「味わってみたことある?」「いえ」
「味わったこともないのに、味が分かるの?」「分かりません」


という具合である。

ところで過去30年間、フィンランドにおいてはTeetotallerの数が劇的に減少しているのをご存知であろうか。1968年の調査では、男の下戸は全体の12%、女の下戸は40%であったのに、現在では男が8%、女にいたっては9%にまで下がっているのである。最近、ヘルシンキ大学の教授がTeetotallerの調査を行ってその一般像を発表した。 それによるとTeetotallerは何故か新興住宅地に多く、女性の場合は50から上が多い。女性の場合「お酒を飲むのはよくないこと」と宗教的な確信めいたものを持っているのに対して、男の場合は「飲まない方が金がたまっていい」という実利をあげることが多い。

フィンランドでは「アルコールをやらない」ということが極めて変わったことのように思われている。先日などはそれが理由でラジオに出演したくらいなのである。私が変人であるのかどうか、確認したかったらしい。酒を飲まない人生など退屈なのでは?と聞かれることが多いけれど、酒を飲まないと人生が退屈であるとするならば、毎日飲んでいなければならないではないか。

Teetotallerであることで損をしている部分は絶対にある。例えば何か過ちをしてしまった場合、飲む人の場合は酒のせいにすることもできるが、我々の場合はそれがきかない。飲む人が二日酔いで会社に遅れたり、仕事がはかどらなかったりすることはしょっちゅうあるのに、Teetotallerにはそれがない。にもかかわらず給料は同じなのだ。酒飲みに比べると飲まない人間の方が、体が健康であることは間違いないにもかかわらず保険料は同じというのもおかしい。

最近ではいろいろな人々がそれなりの食習慣というものを主張するようになっており、ベジタリアンとかダイエットなどが尊重されている。パーティーなどでもホストがゲストに「食べられないものは?」と聞いたりすることが増えている。が、誰も「この中にアルコールがだめという人はいますか?」とは聞いてくれない。

この新聞がレストランのウェイター、ウェイトレスを相手にアンケートをとったことがある。「気に入らないお客のタイプは?」という質問に対してTeetotallerがあげられており、その理由が「彼らはオレンジジュースだけでは満足しないから・・・」というものであった。アルコールについては何十種類ものドリンクが用意されているのに、Teetotallerが「オレンジジュースしかないのか」と文句を言うと「傲慢だ」と言われる。これはどう考えても納得がいかない。

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ざっとこのような内容であります。ちなみに私(むささびJ)もTeetotallerとはいかないまでもアルコールにはからっきし弱くて、ビールをコップ一杯飲むのがやっとです。尤も一杯だけなら実際おいしいと思うのですが。フィンランドの人達と仕事をしていると、ちょっとしたパーティーだの「おしゃべりの会」程度の催しでも、あろうことかウォッカが出る。これはきつい。最後にフィンランドのTeetotallerにとっての朗報はというと、首相のマッティ・バンハネン氏がTeetotallerなんだそうです。よかったですね!

 9)編集後記

プロ野球も終わってだんだん冬になる・・・この季節が私としては余り好きでありません。何やら物事が終わりを迎えるようで憂鬱(この漢字、絶対書けない)なのですよ。やっぱ物事は「始まり」がいいですよね●フィンランドの人によると、彼らにとって「始まり」は8月下旬なのだそうです。その頃が学校の新学期なので「すべてが新しい」という感覚になるのだと言っていました●来年の桜が咲く頃まであと5ヶ月。長いですね。むささびジャーナル、今回も読んで頂き本当に有難うございました。くどいようですが、受け取りたくないと思われる方はそのようにおっしゃってください。