第6号 2003年5月4日
home backnumbers むささびの鳴き声 美耶子のコラム
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1)戦争には勝ったけど…
2)おせっかい国家の出現
3)大学出の女性は子供を産まない!?
4)中国人学生の「幻滅」
5)定年は人間の尊厳を破壊する?
6)) むささびJの受け売りフィンランド論:女性の社会参加、「先進国」の背景
7)短信●英国人の甘いもの好きに警告●世界ビー玉選手権●結婚式の数
●理想のカプル●居眠り調査
8)むささびMの「将来と未来の違い」
9)編集後記

1)戦争には勝ったけど…


「イラク戦争には勝利したが英国内の政治状況は殆ど変わっていない」と保守派のDaily Telegraph(4月25日)が伝えています。YouGovというインターネットによる世論調査によると現在の労働党政権に対する選挙民の「よくやっている」という声はわずか36%で「現政権が信頼できる」と答えた人はたったの34%となっています。特に評判が悪いのが公共部門におけるサービスの向上についての政策で一番良い医療・保健関係でも24%、交通運輸にいたっては12%しか支持していないという数字になっています。つまりイラクで勝利したわりにはブレア首相の人気はイマイチであるということになります。

「フォークランド」との違い

これと対照的であったのが1982年のフォークランド紛争を戦ったサッチャー首相のケースですね。彼女はこの戦争が起こる前はかなり評判が悪かったのですが、これを断固として戦って勝利してから指導力の優れた「偉大な宰相」ということで評価を大いに持ち直したわけです。もちろん「イラク」と「フォークランド」は全然違います。後者は英国だけが戦った戦争であったし、その頃の英国は経済不況からようやくにして抜け出しつつあった。ブレア首相の場合これが反対で、経済がやや下向きになってきているという状況にあるわけです。

ユーロが試金石?

サッチャーを引き合いに出して「ブレアが自分の"指導力"を過信するのは極めて危険」としているのがThe Economistで、サッチャーの場合、彼女の指導力を過信して人頭税(Poll tax)を無理やり導入しようとしたのが命取りになったと分析、ブレアにとっての危険要因の最たるものとして、英国のユーロへの加盟問題を挙げています。ブレアはかねてからの加盟論者で、この政権中にユーロ加盟で国民投票を行うことを目指していますが、現在のところ世論のほぼ7割がこれに反対しているそうです。「自信満々のブ レア首相が、イラク問題でも国民を説得できたのだからユーロでも…と考えるのは甘い」と言っています。

同じようなことを、どちらかというと左派のObserver紙のAndrew Rawnsleyという政治記者が4月20日付けの新聞で語っています。彼は「英国民は首相が余りにも国際問題にのみ没頭しすぎている。もっと国内問題に目を向けるべきだと感じている」と書いています。またイラクにおける「勝利」についての国内の雰囲気は「戦勝気分」というよりも「(早く終わり、英国の犠牲者も少なくて)ほっとしている」という方が当たっているというのが彼の見方で「特にこれまで労働党を支持してきた選挙民の間では"英国は参戦すべきでなかった"という声が強く、ブレアの率いる労働党には投票しない」という人も相当数いると伝えています。

2)おせっかい国家の出現!?

前回のむささびジャーナルで「子供がずる休みをすると親に罰金」という厳しい法律を英国の法務省が考えているとお伝えしました。反社会行動防止法案(Anti-Social Behaviour Bill)というのがそれなのですが、もう少し詳しいことが分かってきました。

例えば…

ステレオやテレビの音がうるさい場合、地方自治体がこれを押収する力を持つ。

騒音がひどいパブやクラブについては、地元の環境観察官が即刻閉店させる力を持つ。

町のある部分については16歳以下の子供が二人以上たむろすることを警察が取り締まる力を持つ。

…ということですが、ご覧のとおり、いずれの場合も「力を持つ」というだけで、実際に取り締まらなければならないとは言っていません。で、この法案は野党から大いに反発を買っています。「どうせ忘れられてしまう法律なんだから、反対する価値もない」(保守党)、「地方選挙目当てのPR」(自民党)などとコメントしています。 実はこの法案にはもう一つ(私には)信じられないような部分があります。例の「ずる休み」なんですが、子供をずる休みさせた親については、裁判所が「親としての自覚を促すための訓練コース」(parental courses)への参加を命令することができるというのです。

これについては政府部内からも問題視する声が出ており、Lord Irvineという閣僚(大法官なる立場にある人です)がブレア首相に宛てた手紙を書いて「おせっかい国家(nanny state)の出現」「あまりにも規則でがんじがらめにしすぎる」「EUの人権関連法規にも違反する可能性がある」などと指摘をしている…ということがSunday Timesによってすっぱ抜かれたそうであります。 このAnti-Social Behaviour Billなるものに最も熱心なのがブランケット法務大臣であることは言うまでもありません。「英国から悪がき文化(Yob culture)を締め出そう」というのですが、よほど何か腹に据えかねることでもあったんでしょうね。ちなみにYobを辞書で見ると「悪がき」となっています。Boyを逆に綴るとこれになります。


3)大学出の女性は子供を産まない!?

英国統計局(Office of National Statistics)によると、英国の人口は2026年までに現在の5880万人から6300万人となり、ピークは2040年で6400万人に達し、それ以後は減少に向かうとされています。興味深いのは現在から2026年までの増加人口の60%が移民(430万)で占められるという点です。

統計局では「移民は英国社会においては極めて重要な役割をになっており2000年の調べでは医療関係の25%以上、教職員の9%が外国生まれ人達で占められている」とコメントしています。同じ人口統計によると、英国では大学出の女性の50%が子供を産まないという数字が出ているそうです。大学出の女性で子供を産んだ人の場合、出産した平均年齢は29歳で、大学へ行かなかった女性に比べると5歳は遅いらしい。

英国における女性一人当たりの出産率は1・74人なのですが、1950年生まれの女性の10人に一人が子供なしであるのに対して1960年生まれの場合は5人に一人が子供なしとなっています。保守派の新聞、Daily Telegraphは「女性の学歴が上がるにつれて家庭よりもキャリアを望む女性が増えてきていることが子供のいない女性が増えている理由だ」として「2003年に大学受験をした女性の数は前年比14000人(4・6%)増加で216,000人であるのに対して男性は177,387人、増加率は3・1%にすぎない」という数字をあげています。

4)中国人学生の「幻滅」

英国の大学で勉強する外人学生の数は143,000人(2001年の数字)。イチバン多いのは中国人の若者で18,000人。2002年の統計は未だ出ていないのですが、恐らく25,000を超えるだろうとされています。3月末のEconomistによると、いずれも学力優秀学生ばかりなのですが、文化・習慣の違いから苦労も多いらしいです。

まず学生としての社交生活。いずれもお金持ちの子息が多いらしく自炊をしたりした経験のない人が多い。英国の学生生活では自炊や両親からの独立が当たり前。また余暇の過ごし方にしても、英国の学生たちがパブでビールを飲みながら談笑というのが多いのに対して中国人の場合はこの種のアルコール遊びには拒否反応を示すことが多い。と、どうしても社交生活が中国人同士というケースが多くなってしまい、「英語が身につかない」という不満につながる。

もう一つ違うのは教室での態度。英国人の学生が教授を質問攻めにして「活発な」授業をするのに対して中国人の学生はひたすら黙って授業を聴くというケースが多い。悪気はないのですが、その静けさが同僚の英国人の学生にはどうもしっくりこないし、教師から見ても自分の教えていることが分かってもらえているのかどうか…という不安にも繋がったりする。 さらに興味深いと(私が)思うのは、教師と学生の関係で、中国では授業を離れると個人的に親しくなる傾向があるのに対して、英国の場合は反対。授業では「親しく」議論したりするが、それを離れるとお互いに干渉をしない「プライバシー」の世界に入ってしまう。

ただ英国の大学にしてみれば、中国の学生は1年間のMBAのコースで15,000ポンド(約280万円)、3年間の修士課程だと1年あたり8000ポンド(約150万円)も落としてくれる「お得意様」だけに大事にしなくては…ということで、生活相談などにも大いに力を入れているそうです。

5) 定年は人間の尊厳を破壊する?

英語で「定年」のことを何というのだろうと思って和英辞書を見たらcompulsory retirementとなっていました。なるほど…。でretirementを日本語でどのように言っているのかと思って英和辞書を見たら「引退・退職・隠居」などの訳語が出ていました。義務教育はcompulsory educationと言いますね。何故かcompulsory retirementのことは「義務引退」「義務退職」「義務隠居」などといわずに「定年(退職)」とか「停年」などと言う。

英国では普通の勤め人の場合で65歳、公務員は60歳が「義務引退」の歳なんだそうで、現在これを引き上げようという動きがあります。どころか普通の人の場合には「定年」というシステムそのものを廃止しようというのが政府の考えているところのようです。生涯現役。高齢化社会が進行する中で年金の財政がいずれは破綻してしまうというのが、定年廃止もしくは延長(公務員の場合)の背景にあることはいうまでもありません。

厚生年金関係の担当大臣であるAndrew Smithという人は「英国の労働人口の約半数の1300万人が定年後に備えた十分な貯蓄をしていない。貯蓄をして老後に備えるか、老後も働くかのどちらかしかない」と語っています(2002年12月15日付けThe Observer)。ただこの大臣は年金支給の問題とは別に、「これからはある年齢に達した時に引退するのか現役を続けるのかについては本人の判断に任せるという方向に進むべきだ」とも発言しています。

一方The Timesに有名人の追悼記事(obituary)を書くことで知られているWilliam Wolffという記者は同紙の2002年12月24日号に「定年(制)は愛を壊し・尊厳を破壊し・人間を殺す」(Retirement kills love, it kills dignity and it kills people)という短いエッセイを書いています。彼は自分の仕事観を次のように書いています。 "Work is the most underrated pastime in our present society. To men in particular, it gives status, identity, and a steel structure to their lives"(仕事は現代社会において最も過小評価されている時間の過ごし方だ。特に男にとって、仕事は社会における地位やアイデンティティのシンボルであり、人生の強固な骨組みを与えるものなのだ)。

この人によると仕事とは「金で買えない"人間の尊厳"を与えてくれるもの (the simple, priceless human dignity that work confers on most of us)」なのであります。ちなみにこの人は75歳、もちろん現役です。このエッセイの中で「定年になればもっと一緒に夫と時間を過ごせる」と楽しみしていた妻が、実際に彼と一日中一緒にいる生活を始めた途端にイヤになって離婚したという自分の両親のことを紹介しています。

英国統計局の数字によると今現在で50歳以上の人たちのほぼ3分の1がフルタイムの仕事にはついていないそうです。「若い働き手を求める企業から"スクラップ"の対象になっている」と企業の年齢差別主義(ageism)を批判しているのが、老人問題のNPOであるAge Concern。この組織の試算によると年齢差別主義のお陰で英国経済は310億ポンド相当の損をしているそうです。高齢労働者の基本的な人権を保護するEUの法律が英国で施行されるのは2006年のことですが、Age Concernでは「企業は高齢者に対する態度を改めて、彼らの知恵・技術・経験をもっと生かす方向で考えなければ」と訴えています。統計局の数字では2020年まで英国の人口の3分の1が50歳以上になるそうです。

勉強不足で申し訳ありませんが、日本における年齢差別主義の禁止はどうなっているのでしょうか?私なんかも新聞の求人欄を見るのですが、「中高年」という特別の欄に掲載されているもの以外は全部20-40歳くらいまでですよね。「年寄りを雇っていたのでは企業競争に勝てない」ということなのでしょうが、現在の日本は英国以上に少子高齢化が進んでいるのではなかったでしたっけ?となるといずれは「若い働き手」そのものが少なくなるわけで、そうなると「若くない人」にも頼らざるを得なくなるのでは?というのが素朴な疑問です。

6)むささびJの受け売りフィンランド論:女性の社会参加、「先進国」の背景

今年3月に行われた総選挙の結果、女性のアンネリ・ヤーッテーンマキ氏が首相に就任したことによって、フィンランドでは初めて首相と大統領(タルヤ・ハロネン)の両方が女性ということになりました。フィンランドの政治には女性が大いに参加しています。国会議員200人のうち75人(37・5%)が女性ですし、アンネリ・ヤーッテーンマキ首相が率いる内閣の閣僚18人のうち半数の9人が女性で占められています。

フィンランドの女性が選挙権と被選挙権を獲得したのは1906年のことですが、女性の参政権獲得としてはヨーロッパでも一番早く実現していますし、被選挙権にいたっては世界でも一番最初に女性にその権利が認められた国でもあります。女性初めて被選挙権が認められた翌年に行われた選挙では19人の女性が国会議員に選ばれています。議員総数は当時も200でしたから、女性議員の占める割合は100年前でもほぼ1割であったことになります。

ちなみに2003年の日本の衆議院議員475人のうち女性議員は7・1%で34人、参議院は246人中の36人で14・6%。それから英国の下院議員は659人中の118人ですから約18%ということになります。 要するにフィンランドにおける女性の社会参加は日本よりもはるかに高いということなのですが、フィンランド人のジャーナリストであるイルマ・サルクネンという人が次のように語っています。

「女性の政治参加を国際的に見ると極めて面白い現象に気が付く。過激な女性解放運動が盛んであった国に限って女性の政治参加が遅れている。女性選挙権が最初に認められたのは1893年、ニュージーランドでのことである。2番目がオーストラリアで1902年。アイスランドとノルウェーが1913年、デンマークが1915年である。いずれも"小国"と呼ばれる国ばかりである。何故か英国やアメリカの場合は1920年代まで待たなければならなかったし、フランスにいたっては第二次大戦後になってからである」。

英米仏と言えば「ウーマンリブ」のような運動の盛んな国とされているのに、実際には結構遅れているではないかというわけです。ちなみに日本における女性の選挙権獲得は1945年12月となっています(平凡社百科事典)。 フィンランド女性史の研究家であるメルヤ・マニネン氏によると「女性の政治参加が認められた1906年当時のフィンランドはヨーロッパの中でも一番工業化の遅れた農業国であった。農業においては男も女も野良仕事を一緒にするという生活をしていたのだから女性の社会参加の条件は既に整っていた」ということです。フィンランドの場合は女も一緒に働いており、他のヨーロッパの国々のように「上流階級」とか「優雅な貴婦人」のような存在が無に等しかった。

そう言われてみるとアメリカとか英国のいわゆる「女性解放運動家」というのはこの種の階級の人が多いのでは? 今のフィンランドでは女性の70%が仕事(フルタイム)を持っており、特に病院、学校、福祉などの分野においては7割が女性だそうです。また1987年にはフィンランド国教会(ルーテル派)が女性の牧師を受け入れることを決めています。

但しメルヤ・マニネン氏によると「フィンランドは必ずしも男女平等社会とは言えない部分もある」そうで、「企業幹部は90%が男だし、繊維・ゴム・皮革製品などの低賃金の仕事は女性がしているケースが多く、一般的に言っても女性の給料は男性のそれに比べると2割は低い」と言っています。 ちなみに最近、文化大臣にかつての「ミス・フィンランド」が就任したのですが、東京にいるフィンランドのインテリ(女性)が"shocking"であると言っておりました。shockingというのは悪い意味で「驚いた」ということです。でもこの「ミス」の場合、4-5年前から国会議員を務めていたはずなんだから今更shockingというのは当たらないんでは?そう言えば駐日フィンランド大使夫人はヘルシンキ市役所の「偉い人」だったとか聞いたことあります。


7) 短信:英国人の甘いもの好きに警告 ・世界ビー玉選手権・結婚式の数 249,227・理想のカプル・居眠り調査

英国人の甘いもの好きに警告

英国人の甘いもの好きに歯医者さんが警告を鳴らしております。ある調査によると2002年の1年間で英国人が甘いものに費やしたお金は総額で10億3700万ポンド。ヨーロッパ全体の甘いもの市場の規模は昨年で59億ポンドだったので、英国のシェアは23%にもなります。これって大変な数字ですよ。2番目のドイツは8億1200万ポンドでシェアは14%となっています。英国歯科医師協会のワトキンズ会長は「英国人はあきらかに間食(特に甘いもの)の取りすぎだ」と警告しています。「寒い冬が甘いもの好きに影響している」と語るのはこの報告書をまとめたジョン・ブランド氏(マーケティングコンサルタント)で「冬になると憂鬱なのでどうしても甘いものを食べて気分を良くしたいという意識があるのではないか」と語っています。

世界ビー玉選手権

前々回の「ジャーナル」で世界じゃんけん選手権の報告をしましたが、今度はあろうことか大のオトナが集まった「世界ビー玉選手権」なるものが英国のTinsley Greenという小さな町にあるパブの前庭で開かれ、ドイツのチームが優勝、英国チームは惜しくも第2位であったという大ニュース。嘘か本当か、この選手権大会は1930年代から開かれているという由緒あるものなんだそうで、地面に直径6フィート(??)の円を描き、そこから弾き出したら勝ちという至って単純な遊び。英国チームが負けた原因は「ビールの飲みすぎで、まともにプレーができなかったこと」というのが主催者の話で「英国人の前にビールとビー玉を置いて"どっちか選べ"と言えばそこで勝負は決まったようなもの」というのは主催者の話です。ちなみに女性の部は英国チームが優勝したらしいです。

結婚式の数 249,227…

これは2001年の1年間にイングランドとウェールズで行われた結婚式の総数ですが、1897年以来の低い数字なんだそうです(英国統計局)が、宗教的セレモニーによる結婚式がますます減少傾向にあるとのことです。2001年の結婚式総数のうち宗教的セレモニーを伴ったものは36%で、10年前の51%に比べると大幅な減少ですね。つまり教会で結婚式を挙げるというケースが減っているということで、人気があるのはホテルとか昔の貴族の館のようなところで、役所に届けるだけというのは案外少ないそうです。結婚年齢は男性の平均が30・6才で女性は28・4才となっています。

理想のカプル

Daily Express紙の記事によると、理想のカプルは男の背丈が女性のそれよりも1・09倍高い必要があるそうです。ポーランドの学者が19才から50才までの女性600人について調査したところ、このような結果がでたとのことなのですが、パウロウスキーというこの先生によると、男も女も本能的に「適切な背丈」のパートナーを求めるものであり、その割合が1・09なんだそうであります。でも「女性は背の高い男性を好む」なんてのは今さらこの先生に言われなくても分かってることなんでない!?

居眠り調査

小売店のBootsが買い物客1900人に聞いたところ6割の人が会社で居眠りをするという結果であったそうです。どんなところで眠るのかというと従業員用の駐車場とか自分のデスクなどに混じってトイレというのもあった。ちょっと意外な気がしたのは、この人たちの平均睡眠時間が7時間半から8時間であったということです。私はそれほど長くは眠りませんね。大体6時間?で、電車の中で居眠りをすることが多くなった…これ、カッコ悪いですね。


8) むささびMの「将来と未来の違い」

ついこの間、日本語の生徒さんに「将来と未来はどう違うのか。☆この子は将来のテニス選手だ、という文は正しいのか。」と聞かれて、思わず「うーん…」と唸ってしまった。もし、{将来}を使うとすれば日本人は普通{の}は入れないだろう。それじゃあ、☆この子は将来、テニス選手だ、でいいのかと口の中でモソモソと言ってみた。どこか不自然だ。「多分この子は将来、テニス選手になるだろう」とか「この子は将来、テニス選手になるかもしれない」の方が自然に聞こえる。

つまり文末も何故か変えたくなってしまうのだ。又は最初の文を最大限に生かして、☆この子は未来のテニス選手だ、ならばさほど違和感なく聞こえる。 これはつまり、日本人は無意識に「将来」という言葉は副詞として使う方が多いということだ。一方「未来」という言葉は副詞としては絶対に使わない。☆君は未来、何になりたいのか、等とは言わないのだ。

では、「将来」を「未来」と同じように名詞としては絶対に使わないか、というとそうではない。例えば、「将来の仕事」とか「将来の夢」のように名詞としても問題なく使える。「未来の仕事」「未来の夢」という組み合わせで使うこともある。ただし少し意味が違ってくることに気が付く。その「違い」は何か。「違い」をはっきりさせるために、更に例文を作ってみる。「この子の将来は前途洋洋だ」「この子の未来は前途洋洋だ」。「将来」の方が時間的な広がりが人間の手の届く範囲に限られているような気がする。

更にこの二つには使い方の違いがある。四字熟語が出来る、出来ないの違いだ。例えば「未来都市」とは言うが、「将来都市」とは言わない。その理由は多分、始めに述べた使い方の違いとも無関係ではないのではないか…。「将来」という言葉は時間的なスケールが小さいだけでなく、用法的にも音声的にも日本人は副詞として使う傾向が強いということなのではないか…。

もう一つ、日本人独特の「曖昧」に対する美意識とでも言うか、そんな日本人の心の文化?のようなものを「未来」という言葉に感じた。時間的なスケールが大きく曖昧さがあるからこそ、生々しさを避けた遠回しな表現になりヴェールに包まれた柔らかさが出る。その典型的な言い回しとして思い付くのが「未来の花嫁」という言葉だ。将来、尻に敷いたり敷かれたりするかもしれないというnegativeな可能性さえ包み込んでしまう、なんとpositiveな言葉だろう!


9)編集後記

また出してしまった「むささびジャーナル」。6回目です。果たしていつまでもつのでありましょうか?我ながら興味あります。

暑いくらいになりましたね。でも暖かいのはいいです。寒いよりはるかにマシ。ただフィンランドの人たちにとってはこれからの日本の暑さはタイヘンでしょうね。「25度が限度」なんて言っている人がいたので、北海道に移住することをオススメしておきました。

英国人の書いた「定年」についてのエッセイを読んでいると、人間誰も似たようなものだという気が強くします。「英国の老人が優雅でマイペースの生き方を楽しんでいる」というのは、憧れを誘う雑誌や本のテーマとしてはいいかもしれないけれど、そのように書かれる身になるとちょっと可哀そうな気がしませんか?自分が自分でないように描かれて、それに憧れられるというのは気持ちのいいものではない。