musasabi journal

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446号 2020/3/29
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

上のイラストは現在のイタリアにおける人びとの暮らしぶりを描いたものです。コロナのおかげで自宅にいるしかないアパートの住人同士のささやかな交わりです。まさかこんなことになるなんて・・・誰もが心に抱える戸惑いの風景です。コロナ・コロナで明け暮れているうちに桜の季節になりましたね。むささびの自宅から徒歩3分の川原には呆れかえるくらいの本数の桜が咲き争っています。

目次

1)MJスライドショー:ロンドン・ロックダウン
2)「リスクと付き合おう」
3)インド人、シリア人の視点
4)不自由の中で自由を再考する
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)スライドショー:ロンドン・ロックダウン


3月24日、ボリス・ジョンソン首相が、コロナウィルスの感染拡大防止のために外出は控えるようにという"lockdown"政策を発表してからというもの、さすがのロンドンも静まり返っているらしい。BBCのサイトにはそのような首都の様子を伝える記事や写真がいろいろ出ていました。この際、それらを拝借して現在のロンドンの様子を伝えてみたいと思いました。

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2)「リスクと付き合おう」


英国のジョンソン首相が新型コロナウィルスのテストで「陽性」とされたことが大きなニュースとして伝えられていますが、これはその件とは別の話です。前号のむささびジャーナルが出た翌日(3月16日・月曜日)、ジョンソン首相が記者会見で新コロナウィルスの蔓延に対処するための政府の方針なるものを発表したのですが、中身は多数の人間が集まるような会合は行わない・映画館や劇場は避けた方がいい・不要不急(non-essential)の旅行は避けるetc、殆ど他の国ならどこでもやっているような事ばかりだった。

もちろん「パブやレストランへ行くのもやめて欲しい」というのも入っていたのですが、それに絡んでメディアが面白がって伝えたのが、その翌朝のテレビに出演したボリス・ジョンソン父親であるスタンリー・ジョンソン(右上の写真)の発言だった。
  • 必要とあればもちろんパブにだって行きますよ(if I had to go to a pub, of course, I'd go to a pub)


スタンリー・ジョンソン行きつけのパブ

スタンリー・ジョンソンはかつては保守党選出の欧州議会議員を務めたこともあるのですが、現在は西イングランドのサマセットで引退生活を送っている。今年で79才だから、最もこのウィルスの犠牲になりやすい年齢であるわけです。息子のボリスによる「パブは避けて」というアドバイスについては
  • パブの経営者にしてみれば、少しくらいは客に来てもらう必要がある。誰も来ないというのは困るはずですよ。 The people who run pubs need a little bit of people, they don't want people to not be in the pub at all.
としたうえで「それが私の方針です」(That's my line)と言い切っている。ちなみにスタンリー・ジョンソンの行きつけのパブはRoyal Oak Innという名前だそうです。

(スタンリー・ジョンソンの話とは無関係に)ネットを当たっていたら、京都大学大学院教授の藤井聡さんという人が『過剰自粛という集団ヒステリー』という見出しのエッセイを書いていました。この人はかつて第二次安倍内閣の内閣官房参与を務めたこともあるらしい。エッセイの趣旨は見出しが示す通りで、安倍さんがありとあらゆる(としか思えない)イベントや集会を禁止してしまったおかげで、いまの日本には「やり過ぎ」のコロナ対応が蔓延してしまっているということです。このままで行くと、日本がとんでもない不況、恐慌へと突入することは目に見えているとして、次のように書いています。
  • 我々人間は、「感染を封じ込めることのメリット」と、「それに伴うデメリット」を比較し、時にリスクを取りながら是々非々で判断していく態度を持つことが必要なのです。そもそも「リスク」というものは、ただ単に「封じ込める」ものなのでなく、「付き合う」べきものなのです。
▼藤井教授がこのエッセイを書いたのは3月4日のことであり、批判の対象も海外の政府ではなくて日本の政府が進めている反コロナウィルス対策です。あれから事態はますます悪化しているようにも見えるのですが、教授の「リスクは単に封じ込めるだけではなく、付き合うべきものだ」という指摘は大いに傾聴に値する。それはむささびが紹介する英米のメディアの姿勢についても言える。とにかく悲観的な話をしまくることがジャーナリズムの役割とでも考えているのでしょうか?

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3)インド人、シリア人の視点

コロナウィルスについての日米欧のメディアによるヒステリックな報道が主として「先進国」における悲観的な状況を事細かく伝える一方で、忘れられているのでは?と思われる人びとに関する記事を二つ紹介します。一つは厳重な外出禁止令が出ているインドのことであり、もう一つはシリア難民のことです。

3月25日付のBBCのサイトに
という見出しの記事が出ていました。インドでは、新型コロナウイルスの感染拡大のスピードを遅らせるために、3月25日からの21日間、外出が禁止されているけれど、最貧層のインド国民にしてみれば「コロナウィルス以前に空腹で死んでしまうのが怖ろしい」と言っているのですよね。日雇い労働者(daily-wage earners)にとっては外出を禁止されたりしたら、それこそお終いなのだそうです。


インドの日雇い労働者の賃金は一日600ルピー(約8ドル=900円)というのが相場らしいのですが、インタビューに応じた労働者の場合、その日当で家族5人が食べていかなければならない。このままだと数日間で食べ物が底をついてしまう。

この記事が書かれた時点で、インドでは約500人がコロナウイルスに感染、少なくとも10人が死亡している。国際労働機関(ILO)によると、インドにおける労働力の90%が清掃夫、警備員、物売り、廃棄物収集人のような「非正規」(informal)の分野で雇用されている。殆どが年金もなければ有給休暇も病気休暇の権利もない状態で、銀行預金を持っている者も稀で、日雇い仕事でもらう現金だけが頼りという生活を送っている。
  • コロナウィルスが危険なことは分かっているが、子供が飢えていくのを黙って見ているわけにはいかない。I know the risk of coronavirus, but I can't see my children hungry.
というわけです。


シリアの難民家族

一方、3月26日付のCNNのサイトは、2011年以来の内戦が続くシリアで、反政府勢力が戦いを続けている地域の様子を伝えているのですが、その見出しが
  • Rebel-held Syria braces for coronavirus 'tsunami' 反政府勢力は「コロナウィルス津波」の襲来に身構えている
となっている。


イドリブの難民キャンプの密集ぶり

トルコとの国境地帯に広がるイドリブ(Idlib)と呼ばれる地域から現状報告なのですが、人口約300万人で、内戦で暮らせなくなったシリア人が国内の別の地域から国内難民として移住して暮らしている難民キャンプがあちこちに点在している。キャンプの衛生状態が極めて厳しくて石鹸も水道水もまともに手に入らない。特に厳しいのは住宅事情で、一家16人が3つのテントに分かれて暮らしたりしている。WHOはコロナウィルスが「ゆっくりした津波」(slow moving tsunami)のようにイドリブ地域に向かっていると警告しているけれど、そのような状態では、コロナウィルスとの戦いで重要視される人間と人間の間の距離(約2メートル)の確保などとても無理、医療関係の国際NGOによると、この地域にコロナウィルスが侵入すると、感染者が120万でそのうち約1割が命を落とすことになるだろうと推測している。


この地域で医療活動に従事するシリア人の医師は、欧米の関係者がコロナウィルスとの戦いの中で、9年間も内戦を続けるシリアのことなど忘れてしまったようだとしながら、「もちろん自分だってシリアを出て行くことを考えましたよ」(Of course, I have thought about leaving Syria)と言っている。でも出て行かずにイドリブに留まって医者を続けている理由について次のようにコメントしています。
  • I would feel too guilty: I was born here, and I can help. I dreamed of studying in Europe or the US but I have other priorities now. 出ていくことについて「申し訳ない」と感じるからでしょう。ヨーロッパやアメリカで勉強することを夢見たこともあるけれど、いまの自分には別の優先課題があるから・・・。

▼今朝(3月29日)テレビを見ていたら、モーニングショーのような番組の中でコロナウィルスのことが取り上げられていた(最近のメディアではこれ以外に語るべきテーマがないようですね)のですが、ある外国の学者の「このまま何もしなければ2000万だか3000万の人間が死ぬだろう」という言葉が紹介されていました。それを聴きながらむささびが思ったのは、ここに出てくるインド人の日雇い労働者や難民キャンプで暮らすシリア人のことだった。あの学者さんのいわゆる2000万~3000万は、どのような人たちのことなのだろうか?

▼下のグラフは、worldometersというサイトに出ていたもので、コロナウィルスの感染者が存在する世界199か国の中の上位10か国+日本の数字です。ちなみにインド(人口:13億)は感染者が987人、死者は24人で、人口100万人あたりの死者数は0.02人だそうです。シリア(人口:約1800万)の感染者5人で、死者数はゼロとなっている。シリアの場合、9年にわたる内戦で約40万人が死亡しています。日本の死者数は49人となっているけれど、東日本大震災だけで約2万人以上が亡くなっている。
Covid-19:3月27日現在の数字


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4)不自由の中で自由を再考する
 

コロナウィルスがヨーロッパで猛威を振るっていますよね。特にイタリアが厳しい状況にあり、3月27日現在で感染者が約8万6000人でアメリカ(約10万人)に次いで2位、死者は9000人を超えて世界でも一番多い。イタリアで感染者が最初に確認されたのは(ウィキペディアによると)1月31日で、中国からの旅行者が陽性と確認されたものだった。同じ日にイタリア政府は国家非常事態宣言を発令している。最初は北イタリアに集中していた感染者が全土に広がる中で、コンテ首相が全土に隔離令を出したのが3月9日のことで、それ以来6000万人のイタリア人が「隔離」状態、即ち外出もままならない状態に置かれている。


そのような状態のイタリアで暮らす女性の哲学研究者が「孤立を前向きに考えるために」(how to think positively about isolation)というテーマのエッセイを、英国のThe Conversationという、学者同士の意見交換サイトに投稿しています。彼女が暮らすピエモンテ州(Piedmont)はイタリア北西部に位置する州で、州都はイタリア第四の都市であるトリノだそうです。筆者はシルビア・パニッツァ(Silvia Panizza)というイタリア人女性学者で、ダブリン(アイルランド)のユニバーシティ・カレッジで講師を務めている。

予め白状しておくと、このエッセイ、かなりの長さであるばかりでなく、中身も(むささびには)それほど簡単ではない。というわけで、エッセイの中でも(むささびにとって)親しみやすいテーマの部分だけに絞って紹介させてもらいます。「自由を再考する」(Rethinking freedom)という見出しの章で、政府による外出禁止令のおかげで極端に不自由な状態に身を置いた状態で「自由」の問題を語ろうというわけです。以下、筆者の一人称で書きますが、一語一句、原文通りというわけではありません。疑問がおありの向きは原文をお読みになることをお勧めします。この章は次のような書き出しで始まっている。
  • 哲学においては、個人主義は自由の概念と密接にリンクしている。In philosophy, individualism is closely linked with the concept of freedom.
反政府=自由か?

今回、イタリアにおいて政府による規制が始まった途端に、イタリア人たちは当然ながら自分たちの自由が脅かされていると感じ、そのことをいろいろな形で表現しようとした。グループによる集会を規制する必要などない、外出禁止など受け入れる必要はないというわけで命令に逆らって外出を続けようとする者も多くいた。自由とは自分たちの好きなように振る舞うこと(freedom is to do as we choose)であり、他から振る舞い方を命令されるのとは反対の概念だ。政府の言うとおりに振る舞うこと=自由でないということになる。そうなると
  • 自分が外出するのは「外出したいから」というよりも、自分が自由であるということを誇示するためということになったりもする。I am going out, not because I want to, but because that shows I am free.

しかし「政府に反抗すること=自由」ということではない、という主張もある。自分というものを「自分を超えた大きなものの一部」(part of something larger)であるという発想に立つならば、自分が属しているコミュニティを害するような行為は「自由」ではなくて「自傷行為」(self-harm)ということになるのではないか?また、18世紀の哲学者・カントによると、自由とは自分が正しいと考えることを選ぶ(choosing what you understand to be right)行為のことだと言っている。そうなると自分以外の人間を助けることも「自由」として受け入れなければならないということになるだろう。

「人間嫌い」の非人間性

個人を全体の一部であると考えることと、個人は個人として尊重しようとすることは両立するものなのか?このような対立がお互いに相容れない場合もあるだろう。ただ、自分が「大きなものの一部」だと考えるからと言って、その「大きなもの」のために命まで捧げる必要はない。
  • しかしそのために自分たちのライフスタイルや「宇宙における自分たちの役割」についてもう一度考え直す努力はしなければならないだろう。But we do have to significantly rethink our lifestyle and our role within the planet.


中には「人間嫌い」という極端な姿勢をとる向きもある。宇宙全体から人間を見て、怪しからん存在だとする、極端な環境保護論者などがその例であり、彼らによればコロナウィルスも大歓迎ということになってしまう。人間が地球に対して行ってきた破壊行為を考えればパンデミックも仕方ない、と。ただ、コロナウィルスに伴う個人個人の苦しみを眼にすると、とてもそんなことは言っていられないかもしれない。それはコロナウィルスによる個人の死に立ち会った医者がテレビのインタビューの中で泣き崩れそうになったことを見てもよく分かる。

正午の拍手

実は私のような人間にとって、コロナウィルスの蔓延に伴う「隔離」はそれほどの苦痛ではない。これまでの普通の生活では、他人との付き合いに伴う煩わしさを感じなければならないし、自分が十分に生産的ではないかもしれないというコンプレックスも抱えたりしている。そのようなことに対する圧力を感じなくて済むという意味で、この隔離はむしろ「救い」ともいえる。


と、これを書いていたら窓の外で大きな拍手が聞こえた。正午の拍手の時間だった。お互いに隔離生活を送る人びとが、それぞれの努力(外出を控えるという自己犠牲)に対して感謝の気持を表す拍手の時間だった。道路を挟んで向かい側の家の窓からはお婆さんが身を乗り出して私たちに向かって拍手をしている。彼女は独り暮らしなのだ。彼女のような存在にとって、この「隔離」による孤立は自己犠牲そのものであると言える。

同じ海の波・・・?

中国からイタリアに贈られてきたマスクのパッケージに次のような文章が張り付けてあった。
  • 我々は同じ海の波であり、同じ樹木の葉であり、同じ庭に咲く花なのです。We are waves of the same sea, leaves of the same tree, flowers of the same garden.
これはセネカというローマ哲学者の言葉であり、場合によってはセンチメンタルに聞こえるかもしれない。しかし今はこの言葉を文字通りに受け取ってもいいはずだ。私たちが自分たちのことを「同じ海の波」「同じ樹木の葉」「同じ庭に咲く花」であると考えることが出来るとすれば、そこから何が導き出されるだろう?
  • ロックダウン生活によって、その答えが見つかるとすれば、それから得るものもあるということになるのだ。If the lockdown helps us to think about the answer, we may have gained something from it.

▼不自由そのもののような隔離生活の中でシルビア・パニッツァが語っている「自分を超えた大きなものの一部」としての「自分」という視点は、前号のむささびの鳴き声で紹介した日本人のキリスト教牧師のいわゆる「自分だけ病」を乗り超えようとする姿勢の中から見えてくる別の自分と同じようなことなのでは?

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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 


social distancing:社会的距離?

「社会的距離」というから、(例えば)階級社会における上流階級と下層階級の間の距離のようなことを言っているのかと思ったら、全然関係ないのでありますね。いわゆる新型コロナウイルス対策として言われている人間同士の間で確保すべき物理的空間(距離)のこと。で、どんな距離のことを言うのか?というと、
とカナダ政府のサイトは申しております。「少なくとも2メートル」ということは、お互いに腕をピンと伸ばして握手しても(多分)追いつかない距離ですよね。パーティーなどで挨拶するときも「握手・ハグ・キスなどは止めて、お互いに手を振る」(greet with a wave instead of a handshake, a kiss or a hug)ようにするべしとのことであります。

ところで新型コロナウイルスに関係する言語について河野防衛大臣が「クラスター」「オーバーシュート」「ロックダウン」のようなカタカナ言葉ではなくて、普通の日本人にも分かるように「集団感染」「感染爆発」「都市封鎖」のような漢字を使うべきだと発言したのだそうですね。尤もな意見です。となると"social distancing"はどうなるのでしょうか?「人的空間」かな?
 
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6)むささびの鳴き声 
▼このむささびもまた「コロナ」だらけになってしまいました。コロナそのものがもたらす人的な被害もさることながら、その話題を報じるテレビのニュース番組が視聴者の間に生み出す不安感がもたらすであろう「事件」について、ニュースの流し手たちが何を想うのかについて語り合う番組を作るべきだと思いません?電車の中でマスクをしないで咳をしたことが原因で暴力沙汰に走ってみたり、トイレットペーパーの買い占めをめぐって客同士が掴み合いの喧嘩をしてみたり・・・そのような現象が起こるについて、メディアが負うべき責任のようなものを検討するということです。

▼これまでは「自分たちの仕事は報道することだから」ということで済ませてきたのでは?つまり自分たちは「当事者」ではないということだったのですよね。当事者でないということは、野次馬であるということでもあるよね。コロナ禍はメディアのそのような性格を明らかにしてくれている。

3月21日付のBBCのサイトによると、憂鬱な話題が多い中で、少しとはいえ将来に希望を持てるようなこともあるのだそうです。コロナのおかげで世界中の町がロックダウン(封鎖)に走ったので、工場が操業停止したり、旅客機のフライトがキャンセルされ、仕事も家庭から行うテレワークが盛んになってクルマによる移動が大幅に減った。で、地球温暖化の一因である空気中の二酸化窒素がかなり減っており、ニューヨークなどでは主に車から排出される空気中の一酸化炭素の量が昨年同期比でほぼ50%も減っているとのことであります。

▼北海道放送が制作した「ヤジと民主主義~警察が排除するもの~」というドキュメンタリー番組がYoutubeで見ることが出来る・・・とフェイスブックに書いてありました。札幌で遊説するシンゾーにヤジを飛ばしただけで警官に排除されたという、あの事件です。これは見る価値あります。但し「配信期間」が明後日(3月31日)までだそうです。それ以後になると有料になってしまう。

▼本日の埼玉県飯能市は雪。つい最近まで異常に暖かかったのに。お元気で!

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