埼玉県の山奥ではウグイスとホトトギスの鳴き声が同時に聞こえる季節になりました。2020年の半分が過ぎたのですね。それにしても人類にとって何という半年だったのでしょう。
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目次
1)スライドショー:道
2)変わりゆく職業観
3)両側ジャーナリズムを考える
4)60年安保:花森安治さんの怒り
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
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1)MJスライドショー:道
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人間、外出すると必ず使うのが「道」ですよね。道路・脇道・路地・あぜ道・林道etcいろいろあるけれど、どれも人間が作ったものであり、これがないと本当に困ります。昨年10月の大雨で、むささび夫婦とワンちゃんが頻繁に使用する山道(県道)が崩落して使えなくなったときには、しみじみ道路の有難さが分かったし、それが修復した際の工事の手際よさには驚きました…というわけで、今回は日本と英国にある「道」の写真を集めてみました。 |
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2)変わりゆく職業観
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IPSOS-Moriという世論調査機関による「職業別信頼度調査」(Trust in professions survey)については何度か取り上げたことがあります。25種類におよぶ職業人をリストアップして、「あなたは彼らが真実を語ると信じますか?」(Would
you tell me if you generally trust them to tell the truth, or not?)という質問に答えてもらう調査です。これを見ると、現代の英国が見えてくるようで、とても面白い。 |
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トップは看護職、最下位はSNS
IPSOSのサイトを見たら、直近のサンプルとして2020年5月14日~24日
職業別信頼度
2020年 |
1) 看護者 |
97% |
2) 薬剤師 |
96% |
3) 医者 |
95% |
4) 感染症医療者 |
91% |
5) 教師 |
89% |
6) 科学者 |
87% |
7) 裁判官 |
84% |
8) 天気予報官 |
83% |
9) 警察関係者 |
82% |
10) TVキャスター |
77% |
11) 公務員 |
74% |
12) 経済学者 |
65% |
13) EU指導者 |
58% |
14) 世論調査員 |
56% |
15) 普通の人 |
54% |
16) 宗教関係者 |
54% |
17) 労働組合幹部 |
51% |
18) 政府大臣 |
47% |
19) 地方議員 |
46% |
20) NPO 関係者 |
45% |
21) 産業人 |
43% |
22) ジャーナリスト |
42% |
23) 銀行経営者 |
33% |
24) 政治家 |
32% |
25) 不動産業 |
30% |
26) 広告業 |
17% |
27) SNS関係 |
8% |
の間に行われた調査の結果が出ていました。それを見ると、コロナ時代を反映してか、信頼度トップは「看護婦・夫(nurses)」で、薬剤師、医者、感染病関係者などがこれに続いており、これまでの「信頼度ベスト」の常連であった「教師」「裁判官」「科学者」などを抑えている。一方、信頼度の最下位は「SNS関係」となっているのですが、これはツイッターやフェイスブックのようなSNSを通してメッセージを発信している人たちのことで、今回の調査で初めて登場した「職業」です。その他の下位グループでは広告関係者が目立って信頼度が低いのが、ちょっと意外な気がしません?それ以外では政治家、ジャーナリスト、金融業などが集まっているというのはいつものとおりです。
ニュースの「読み手」と「書き手」
メディア関係で面白いと思うのは、「ジャーナリスト」に対する評価は高くないのに「TVキャスター」は第10位と信頼度が高いということ。「TVキャスター」のことを英国では "news readers" と呼んでいる。つまりニュースの「読み手」という位置づけなのですね。それでも(であるが故に、か)信頼度は記者よりは高い。英国で "journalists" というと大衆紙の記者というイメージが強い。信頼度ということで言うと、BBCを思わせる "news readers" の方が、The Sunの "journalists" よりまともな人たちという印象が強いことは否定できない。ただメディアでもSNSを通じて発信している人びとへの信頼度は全く低い。むささびジャーナルなんてお話にならないのでしょうね。
「普通人」と「公務員」
この調査が面白いと(むささびが)思うのは、「職業」ではないけれど「普通の人」(Ordinary person)という項目が入っていることです。今回は16位で信頼度は54%となっているけれど、前回が「11位・65%」であったのと比べるとかなり落ちている。むささびの想像にすぎないけれど、コロナ禍に直面して庶民が専門家を尊敬する姿勢にならざるを得なかったということなのでは?
もう一つ、今回のアンケート結果の特徴として、政府関係者(公務員・大臣・政治家など)への信頼度がいずれもかつてより高くなっていることが挙げられる。特に目立つのが政治関係者の「躍進」で、「政治家」は位置としては下から4番目とあまり芳しくはないけれど、「信頼度:32%」というのは前回比で10%の増加なのです。もっとすごいのが「大臣」で、47%の信頼度ですが、これは前回よりも20%も増えた結果としての数字であることは驚きです。また日本では全く評判が悪い「公務員」(civil servants)への信頼度は27職種中の11番目だから政治家に対するものよりはかなり高い。
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BREXITへの影響は?
もう一つ注目すべきは「EU指導者」(メルケル、マクロンなど)に対する信頼度です。全体から見るとちょうど真ん中あたりなのですが、信頼度が58%と、これから離脱しようとしている国の人間にしては決して低い評価とは言えないということ。むささびの想像によると、実はこれもコロナの影響なのではないか。ボリス・ジョンソンに対する評価が決して高くない割には、メルケルやスウェーデンの指導者のことは好意的に報道されている(ように見える)。 |
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神の存在を信ずる、かな?
最後に、むささびにとって興味深いのは、コロナ禍が英国人の宗教観にどのような影響を与えているのか?ということです。ロックダウンが行われていた5月初旬に英国におけるキリスト教関係の組織が行った意識調査によると「神の存在を信ずるか?」という問いに対する答えは、28%が「信ずる」で、「信じない」の38%より低いのですが、神とは表現しないまでも「何らかの精神的な力(some
kind of spiritual power)」の存在を信ずると答えた人が20%に上っている。ただ、神であれ何であれ、自分以上の精神的な力を信じているかどうか「よく分からない」(I
am unsure)という人が14%に上っている。つまり人間以外の力の存在に対する信仰については、ほぼ半々という感じなのですね。
一方、5月15日付のGuardianによると、アメリカで行われた世論調査では、3分の2のアメリカ人がコロナ禍について「人間は変わらなければならないという神のお告げだ」(God is telling humanity to change)と感じており、31%がそれを「強く」感じているという結果が出ている。
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▼日本における職業別信頼度はどうなっているのか?日本経済新聞社が昨年(2019年)初頭に行った郵送による世論調査では下のような結果が出ている。 |
日本における職業別信頼度 |
信頼している |
信頼していない |
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日本経済新聞 2019年1月 |
▼この調査では8つの職業に絞り込んで、それぞれの信頼度を尋ねたところ「信頼できる」が最も高かったのは自衛隊で60%に上った。5割を超えたのは自衛隊のみで、次いで信頼度が高かったのは裁判所、警察、検察、教師の順で、司法・捜査当局への信頼が高かった。これらはいずれも「信頼できる」が「信頼できない」を上回った。
▼信頼度トップに自衛隊がきていることをどのように評価しますか?日経の説明では、自衛隊は「過酷な自然災害の現場で被災者を救出したり、避難所の支援をしたりする姿などが繰り返し伝えられ、高く評価されているとみられる」とのことであります。それですよね。シンゾーとその仲間たちが言い張っている(としか思えない)日本を敵から守る「軍隊」としての自衛隊を信頼しているわけではない。
▼一方「信頼されていない職業人」のトップ(ボトムというべきか?)が政治家で、以下マスコミ、国家公務員などが続いている。政治家も公務員も、メディアに悪く言われるから信頼されないのだと言い張るかもしれないし、それが当たっている部分もあると思う。ただ悪口を言っているマスコミ自体への信頼度が極めて低いという現象が、日本にも英国にもある(英国の場合、公務員への信頼度は日本ほどには低くないけれど)。かつてジャーナリストのアンソニー・サンプソンが、ジャーナリストが政治家をこき下ろすので、有能な若者が政治家になりたがらないという現象を「民主主義にとって良くないことだ」と嘆いておりました。 |
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3)両側ジャーナリズムを考える
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前号のむささびジャーナルで、ニューヨーク・タイムズ(NYT)のオピニオン欄に人種差別反対デモを取り締まるために軍隊を派遣することを訴えた、ある上院議員の意見が掲載されたことが理由で、オピニオン欄の責任者が辞任に追い込まれたことを紹介しました。あの問題をきっかけにNYTが内外のジャーナリストによるエッセイを掲載する特集を組んでいます。テーマは、それぞれが考えているジャーナリズムのあるべき姿です。
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Roger Cohen |
6月12日付の同紙に掲載されたロジャー・コーエン(Roger Cohen)というジャーナリストによるエッセイもその一つです。コーエンは1955年生まれの64才、1990年にNYTの国際ニュース担当記者として入社して以来、ずっと国際ニュース関係の仕事をしてきている。彼のエッセイは
というタイトルになっている。
「両サイド」は失敗している?
このエッセイでいう「両サイド・ジャーナリズム」は、何を報道するにせよ、一方の主張や言い分だけを伝えるのではなくて、「両サイド」の言っていることを報道する姿勢のことです。6月3日付のNYTが掲載した「デモ鎮圧のために軍隊を派遣せよ」という趣旨の上院議員のエッセイは、その主張からするとNYTの意見とは殆ど水と油です。それでも掲載された。それがきっかけでオピニオン欄の責任者が辞任に追い込まれたけれど、それはNYTの意見と異なる主張をするエッセイを掲載したことが理由というよりも、エッセイが「本紙が要求する水準に達するものではない」(the
essay fell short of our standards)ことが理由だった。 |
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コーエンによると「両サイド・ジャーナリズム」には懐疑的なジャーナリストもいる。例えばワシントン・ポスト紙の記者だったウェズリー・ローリー(Wesley
Lowery)という黒人ジャーナリスト。この人はワシントンポストのSNSに対する姿勢をめぐって白人の編集幹部と対立して同紙を辞めているのですが、NYTがあの上院議員のエッセイを掲載したことに関連して次のようなコメントをツイッターで発信している。
- アメリカのジャーナリズムに根付く"view-from-nowhere"という考え方、「客観的」であることに異常にこだわる「両サイド・ジャーナリズム」の考え方は実験としては失敗している。我々はジャーナリズムを立て直す必要がある。必要なのはジャーナリズムというものの存在が「道徳的な明確さ」を根拠にしたものであることをはっきりさせることだ。 American
view-from-nowhere, ‘objectivity’-obsessed, both-sides journalism is a failed
experiment. … We need to rebuild our industry as one that operates from
a place of moral clarity.
ウェズリー・ローリーの言う"view-from-nowhere"(無定見)という考え方は、メディアの世界で通用する一種の専門用語で、物事を報道するに際して「客観性」を重視するあまり、自分たちの考え方とは異なる側の意見も同じように伝えようとすることで、あたかも相手側の意見が自分たちのそれと同じような正しさを有しているかのような印象を与えてしまうことだそうです。 |
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「絶対主義」は危険だ
ローリーの「両サイド・ジャーナリズム」批判に対して、コーエン自身は「自分としては相変わらず両サイド・ジャーナリズムを信じている」(I still
believe in both-sides journalism) と言っている。コーエンが気にするのは、ローリーの言う「道徳上の明確さ」です。その発想は「真実は一つしかない」(there
is only one truth)という絶対主義な考え方に繋がるというわけで、コーエンは
- 気に入らない意見を有する人間とも開かれた議論をすることによって自由が救われるというのが、リベラリズムの思想であり、それは守り続ける価値のある姿勢なのだ。画一主義の勝利が意味するのは民主主義の死である。The
liberal idea that freedom is served by open debate, even with people holding
repugnant views, is worth defending. If conformity wins, democracy dies..
として、絶対主義・画一主義に反対する姿勢としての「両サイド・ジャーナリズム」を擁護している。コーエンによると、もしコットン上院議員のような考え方の人間がNYTに寄稿することが許されないとすると、長年にわたって自分たちが守ってきたリベラル思想は衰退の道を辿るということになるのであり、「それは望ましいことではない」(ominous)というわけであります。
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編集局の人種差別?
ただ、ミネアポリスの警察官による黒人殺害が示しているのが、アメリカにおける人種差別がありとあらゆる部分に浸透してしまっているということである、というわけで、
- 白人中心のアメリカの編集局では、この現実に立ち向かうのは無理であり、編集部門において人種的多様性を確立することによってしか、多様な見方をすることは出来ないということになる。 White-dominated American newsrooms are ill-equipped to deal with this reality because only more diversity can capture multiple perspectives.
とロジャー・コーエンは考えている。要するにジャーナリストが多様なものの見方を身につけ、読者にもそれを提供することの重要さを主張しているのですが、コーエンのエッセイの中でむささびが注目したのは、彼が書き出しに使った次の言葉です。
- 自分はジャーナリズムの「客観性」なるものをそれほど信じていない I have never believed much in the notion
of journalistic “objectivity.”
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客観主義への疑問
彼によると、優れたジャーナリストは「鋭い思考」と「熱い情熱」の間のバランスを取りながら仕事をするものである、と。最近の人種差別反対運動についていうと、自分は白人として恵まれた生活を送ってきたけれど、黒人として抑圧された生活を送ることがどういうことであるのかを理解する必要があるし、できないはずはない。しかし
- いくら努力してみても、そのような生活を余儀なくされている取材相手の心の中に暮らすようなことは出来ない。I cannot inhabit the minds of the subjects of those pieces, however hard I tried.
と言っている。そういう意味において「客観的にはなれない」と言っている。しかし「フェアであることは信じている」(I have always believed in fairness)とコーエンは言います。つまりある問題についての両方の関係者の話を聞こうと努力するということ、それによって異なる意見のフィルターを通して真実に近いもの(some approximation of the truth)にある程度は迫れるのではないかと思っている。 |
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コーエンによると、ジャーナリストは、群衆が嵐から逃げようとしているのに、それに向かって走っていくことを職業としている人間です。その場に居ることによって出来事の本質を理解し、時代の証言者となることである、と確信しているというわけですが、
- 「証言者になる」ためには、生活も思想も全く自分とは相容れない、見知らぬ相手の眼を覗き込むという行為が必要なのだ。 Bearing witness
involves looking into the eye of strangers whose lives and ideas seem irreconcilable.
と言っている。 |
▼「見知らぬ相手の眼を覗き込む」ということが何を意味するのか?感覚的にはむささびにも分かるような気がするのであります。ミネアポリスで黒人の青年の首を絞めて殺してしまった、あの警察官と自分は生活も思想も全く相容れないけれど、(コーエンとしては)ジャーナリストである自分は、「見知らぬ相手の眼を覗き込む(looking into the eye of the strangers)という行為」は忘れたくない(相手を分かりたい)ということなのではないか?異なる考え方や感じ方を持った人間が共存する「多様性を尊重する社会」の方が、気分的に暮らしやすいことは確かかもしれない。
▼ただ、その種の「リベラル」な社会が持っている偽善性が鼻持ちならないのも事実ではあるよね。物分かりのいい「インテリ」がアタマのよくない「下層階級」を見下すような雰囲気を持った社会です。その意味でウェズリー・ローリーという黒人ジャーナリストの「両サイド」批判の方が反論はしにくい。でも・・・その種の姿勢が陥り勝ちな料簡の狭さも付き合いにくい。となると、基本的には「両サイド・ジャーナリズム」の姿勢の方がまともかもしれないよね。 |
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4)60年安保:花森安治さんの怒り
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今からちょうど60年前の1960年、安保闘争というのがありました。むささび(昭和16年生まれ)と同年代の人なら誰でも知っている。日米安全保障条約なるものに反対する闘争がかなりの規模で行われたものです。簡単に時代背景を振り返ると:
- 1945年の第二次世界大戦(太平洋戦争)終了から6年後の1951年、アジアに進出するソ連に対抗して日米の軍事同盟を強化するべく日米安全保障条約なるものが締結された。現在の自衛隊が出来る以前のことで、基本的に日本が米軍に基地を提供し、米軍が日本を保護するという性格のものだった。それが1960年になって、「日米共同防衛」を謳う「より平等な条約」に改正された。それを実行したのが岸信介(安倍さんの祖父)率いる自民党政府であったわけですが、安保改正は戦前の軍国主義復活を意図するものだというわけで、反対運動が盛り上がった。
- 反対運動が盛り上がる中で1960年5月19日、岸内閣が衆議院で新条約案を強行採決、5月20日に衆議院本会議を通過させたわけですが、そのやり方が非民主主義的というわけで「安保反対」というスローガンが「民主主義を守れ」に変わって一気に全国規模で盛り上がってしまった。そして6月15日に国会の構内に突入したデモ隊と警官隊が衝突する中で東大生の樺美智子さんが圧死、新条約そのものは4日後の6月19日に成立したのですが、岸内閣にとっては目玉の行事になるはずだったアイゼンハワー米大統領の訪日はこの騒動のおかげで取りやめになってしまった。
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個人的なハナシですが、1960年、むささびは大学一年生で、反安保のデモに参加、警官の鉄のような靴で足を蹴飛ばされ、痛いやら・怖いやらでその場を逃げ出したことだけを憶えている。が、それ以上に明確に憶えているのは、樺さんが死んだ2日後の6月17日付の新聞が第一面に『暴力を排し議会主義を守れ』という声明文を掲載したことだった。朝・毎・読はもちろんのこと産経・日経・東京・東タイの7紙全部が載せたのですが、それまで(むささびは)新聞はデモの味方と思っていたので、共同宣言には大いに失望してしまった。
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60年後のいま、ネットを調べたら、当時『暮しの手帖』の編集長だった花森安治(1911~1978)さんが、この共同宣言を読んでカンカンに怒ったという記事が出ていました。彼がこだわったのは、「宣言」の書き出しにある次の文章です。
- 六月十五日夜の国会内外における流血事件は、その事の依ってきたる所以は別として、議会主義を危機に陥れる痛恨事であった。われわれは、日本の将来に対して、今日ほど、深い憂慮をもつことはない。
デモ隊による流血行為は、議会主義を危機に陥れるものであり、理由の如何を問わず許されるものではないと言っているのですよね。花森さんは、この部分の何が気に入らなかったのか?当時『暮しの手帖』の編集部にいた小榑雅章さんという人の証言によると、花森さんは;
- 新聞は、相撲の行司ではない。新聞はジャーナリズムだ。その新聞が「その事の依ってきたる所以は別として」とは何ごとか。「依ってきたる所以」こそ、ジャーナリストにとって最も重要なことで、新聞の追求すべき最大の使命ではないか。それを「別として」何をしようというのか・・・。
と言っていた。正論そのものです。
小榑さんが花森さんに「自分もデモに行きたい」と言ったところ「馬鹿なことを言うな」と一蹴されたのですが、花森さんはそれに続けて
- 本当に必要だという事態になったら、デモではなくて、暮しの手帖の誌面で闘うのだ。その時は、「依ってきたる所以」を初めから終わりまで全頁全誌面をさいて検証し、自分たちの主張をして闘うのだ。
と語ったのだそうです。
この「共同宣言」は、上に挙げた7社のみならず全国の地方紙までもが賛同・掲載したのですが、唯一これに反対して掲載しなかったのが北海道新聞だったのですね。知りませんでした。宣言に反対した小林金三論説委員は、著書の『論説委員室-60年安保に賭けた日々』の中で「(7社共同宣言は)ジャーナリズムの歴史的な犯罪行為ではなかったのか?」と言っている。
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▼「新聞は、相撲の行司ではない」とは、花森さんもうまいことを言うものですよね。土俵に上がってはいるけれど相撲は取らず、二人の力士がとる相撲を観察することで勝ち負けを決めることをもって仕事とする・・・『7社共同宣言』の書き手は自分たちを社会におけるそのような存在として見ている、と花森さんには思えた。「理由の如何を問わず暴力はよくない」と言わずに、理由をきっちり究明するのがジャーナリズムの仕事だろ、と彼は言っている。『宣言』は最後の部分で次のように言っている。
- ここにわれわれは、政府与党と野党が、国民の熱望に応え、議会主義を守るという一点に一致し・・・
▼「議会主義を守るという一点に一致し・・・」と主張するこの『宣言』の書き手のアタマからは、すべての問題の発端となった日米安保条約のことなど消えてしまっている。とにかく「議会主義」さえ守ればいいというアタマで凝り固まっている。この種の論法は今でもありますよね。「暴力は良くない」と言いながら、結果的に現状維持に力を貸してしまうという、あれ。60年経ったいま、岸信介さんの孫が「憲法改正のための国民投票を実施する」と張り切っている。それを潰すためなら国会突入でも(テロリズム以外なら)何でもやるべしと(むささびは)考えています。「暴力は良くない」などとは絶対に言いません、とシンゾーにそうお伝えください。 |
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5) どうでも英和辞書
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AWOL:無断欠勤、職務離脱
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AWOL(カタカナ発音で「エイウォル」)は "absent without leave" の省略形。"absent" は「欠席する」とか「欠勤する」という意味の形容詞で、"leave" は「許可」という意味。AWOLは軍隊用語の「無許可の離隊」という意味にも使うのですね。7月2日付のGuardianに
- Trump has 'gone awol' as president amid coronavirus pandemic, says ex-CIA
director
という見出しの記事が出ています。「トランプがコロナ禍の真っ最中に大統領としての職務離脱を行った」と前CIA長官が言っている、という意味ですよね。
最近、CNNテレビに出演したレオン・パネッタ前CIA長官の発言を伝えたもので、パネッタ氏はトランプについて「リーダーとしての職務を放棄したのと同じ」(essentially gone awol from the job of leadership)と語ったのだそうであります。彼はこれに加えて
- 我々の大統領はこの国が重大な危機を迎えている時なのに、それに立ち向かおうとしない。これほど責任感のない大統領に仕えたのは初めてだ。We have
a president that is not willing to stand up and do what is necessary in
order to lead this country during time of major crisis. I have never experienced
a president who has avoided that responsibility.
とこきおろしています。7月2日の時点で、コロナによる死者数は全世界で519,852人ですが、そのうちアメリカは128,651人となっている。確かに大きな数字ですが、人口10万人当たりの死者数となると、アメリカは39.14人で、ベルギー(85.40)や英国(66.16)などよりは少なくなっている。 |
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6)むささびの鳴き声
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▼むささびがそれと意識したわけではないけれど、4番目に載せた「60年安保」の記事と3つ目の「両側ジャーナリズム」の間には共通点があるように思える。4番目の記事で紹介した新聞の共同宣言の「理由の如何を問わず暴力は止めよ」という主張と3番目の記事でいう「両方の意見を掲載しよう」という両サイド論の間に共通点を感じません?それでもこの二つは決定的に違う、とむささびは思います。前者が「議会主義を守れ」と言っているのに対して後者は「リベラリズムを守れ」と言っている。共同宣言の「暴力は止めよ」論には、デモ隊に対する「上から目線」はあるけれど、「両側ジャーナリズム」論のような切実さがないのよね。
▼ところで(ウィキペディア情報ですが)新聞社による『宣言』が掲載される約1日前の1960年6月16日の午前1時30分、岸内閣は学生らのデモが「国際共産主義の企図に踊らされつつある計画的行動に他ならない」という声明を発表しています。この声明文を書いたのは、当時読売新聞政治部の記者だった渡辺恒雄氏(現社主)だった。岸内閣の官房長官の秘書だった人物の依頼を受けて書いたのだそうです。当時の渡辺氏は30代半ば・記者歴10年という感じだったはずです。政府による声明文を新聞記者が代筆するなんて・・・そんなことあるんですかね。
▼(これもウィキペディア情報ですが)渡辺氏は学生時代に共産党に入っていたことがあるのだそうですね。それが若い政治記者になって、デモ隊のことを「国際共産主義の手先」呼ばわりする声明文を政府のために書いたりしている。この人にとって共産主義とは何であったのか?「思想」とは何であったのか?いま94才だそうですが、彼にとって自分の人生とは何であったのか?なんてこと、彼に言わせれば「大きなお世話だ」ということになるのでしょうね。
▼60年前にデモ隊が国会構内で警官隊と衝突して死者まで出してしまったあの日、むささびは自宅で、ラジオ関東の記者が現場から中継している番組を聴いていました。この記者自身が警官に殴られたらしいのですが、ずいぶんはっきりと「警官の暴力です!」と叫んでいた。自身が警官に殴られているラジオの記者が「警官の暴力です!」と口走るような社会で、『宣言』が言うように「民主主義は死滅」などするのか?むしろ生き返るのではないかと思います。つまりあの日の日本は、岸政府と警官隊が危機に陥れようとしていた民主主義をデモ隊とラジオ関東の記者が救おうとしていたのだと思います。
▼最後に(Last but not least)熊本と鹿児島の水害には言葉もありません。熊本県には2002年に行われた「日英グリーン同盟」の際にいろいろな町にイングリッシュオークの木が植えられており、芦北町もその一つです。それから鹿児島県の指宿市にも・・・。テレビのニュースで町中に流木が倒れているのを見ると本当に悲しくなる。 |
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