コロナ・コロナとやっている間に2021年もひと月が過ぎてしまいました。あとひと月もすれば梅の花がほんの少しだけ咲いて…。上の写真は、毎春、真っ先に顔を出すスノードロップです。埼玉県の山奥でも咲いています。 |
目次
1)スライドショー:スコットランドのオーロラ
2)日本のイスラム教徒
3)マスクが殺した「笑い」
4)世界の平和度
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
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1)スライドショー:スコットランドのオーロラ
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日本ではオーロラというと、フィンランドのような北欧の国やカナダなどで見るものと思われているけれど、BBCによると天候次第ではスコットランドや北アイルランドなどでも見えるのだそうです。英語では「オーロラ」(aurora)ともいうけれど、「北の光」(northern
lights)という呼び方の方が一般的なのだそうです。BBCのサイトに出ていたスコットランドの「北の光」を紹介しますが、このサイトに見る限り、フィンランドのように雲がカーテンのように空に広がるドラマチックなものというより、静かだが大きな星空という感じです。 |
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2)日本のイスラム教徒
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むささびは知らなかったけれど、日本におけるイスラム教徒の数が「急速に伸びている」(growing fast)のだそうですね。1月7日付のThe
Economistのサイトが伝えています。早稲田大学の店田廣文(Tanada Hirofumi)教授によると、2010年には10万1000人であったものが、10年後の2019年末の時点では23万人にまで増えている。このうち日本人でイスラム教に帰依したのは5万人だそうです。モスクの数も全国で110か所。他の国に比べれば大した数ではないかもしれないけれど、10年前にはたったの24か所であったことを考えると「歓迎すべき変化」(welcome
change)であるとムハンマド・カーン氏(Muhammad Tahir Abbas Khan)は言っている。カーン氏は大分県別府市にある立命館アジア太平洋大学の教授で別府イスラム協会(Beppu Muslim Association:BMA)の理事長でもある。 |
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The Economistの記事によると、日本におけるイスラム教徒にとって悩みの種(の一つ)は「永眠の場」(final resting place)を見つけるのに苦労すること。日本では99%が火葬に付されるけれど、イスラム教ではこれが禁止されている。BMAでもイスラム教徒が永眠できる墓地を作るべく、別府市から山を越えたところにある日出町の関係者と掛け合っているけれど簡単には見つかりそうもなく、この問題が日本における外国文化の在り方に関する議論にまで発展しているのだそうです。
一方ではイスラム教の墓地を受け入れることで「小さな町でも国際化と多様化ができる(A small town can be international and diverse)ことの見本になる」という積極論があると思えば、もう一方には「日本の国籍を持っているのなら日本の習慣に従って火葬にするべきだ」(If they got Japanese nationality, they should follow Japanese customs and cremate the bodies)という反対意見も根強い。そしてBMAのカーン氏だけが
- 自分が今日死んでも、どこに埋められるのかが分からないのですよ。If I die today, I don’t know where I will be buried.
とアタマを抱えている。 |
日出町でイスラム教徒のための墓地の場所を探すムハンマド・カーン氏 |
カーン氏らが墓地探しを始めてからもう3年になる。その過程でカソリック教会が自分たちの墓地をシェアする形で貸してくれたり、仏教のお寺が未使用の土地を見つけてくれたりしたけれど、なかなかうまくいかず、そうこうするうちに6000万~7000万円のお金を使ってしまった。
イスラム教徒の墓地を受け入れることに反対する日出町のある町議会議員は、生の死体を地面の下に埋めることへの抵抗感を「具体的に何が悪いというより感覚的な問題(not something concrete, just a feeling)なのです」とThe Economistには語っている。そんなことしたら安心して水も飲めなくなるというわけです。イスラム教の墓地が予定されている場所の付近には公営の貯水池があり、近くに死体など埋められたらバクテリアが貯水池に入り込む(bacteria will leach into a reservoir)と主張している。 |
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一方、受け入れに積極的な議員は、遺体を埋葬することの安全性についての科学的な議論が全く無視されており、感情的な反発だけが声高に叫ばれていることへの不満を漏らしている。この議員のところへは「お前、日本人だろが、なんでイスラムの味方をするんだ」という手紙や電話が殺到しているのだそうです。「墓地ができたら、その次はイスラム教の学校ができるだろう」というわけで、「みんな外部の人間が入っていることを怖がっているんです」とため息を漏らしている。
The Economistの記事によると、日本はイスラム教徒にとっては非常に「住みやすい国」(a nice place to live)なのだそうで、東京で暮らすあるインドネシア人は日本の「安全性と清潔さ」、ウズベキスタンの留学生は日本人が「親切」であることを褒めている。イスラム教の習慣として、一日に5回お祈りをするということがあるけれど、立命館のイスラム留学生がバイト先でそれをやらないでいると、日本人の同僚から「ほらお祈りの時間だよ」と促されたりもするのだとか。日本人がイスラム教徒に親切なのは、普段からイスラム教徒と接することがないからという見方もあるけれど、ウズベキスタンの留学生などは「欧米に行くより日本へ行く方がはるかに望ましい」(It’s
much better than going to the West)と言っている。 |
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かつてに比べるとイスラム教が日本社会に溶け込みつつあるという兆しも見える。例えば福岡空港にはイスラム教徒のための祈祷室が作られたし、温泉地の中にはイスラム教徒用の入浴着を用意したりする旅館も出てきている。モスクによっては、地元民を対象に食事会やお祭りのようなことを主催するところもある。
- 私たちも溶け込もうとしているのです。私たちは日本を自分たちの故国(home country)であると決めているのです。We’re trying to integrate. We adopted Japan as our home country.
とカーン氏は強調しています。 |
▼大したことではないけれど、日出町役場のホームページを見たら「言語を選択」という欄があったので、クリックしてみたら韓国語と中国語だけだった。この町で暮らす「外国人」は合計で156人で最も多いのは中国人で74人、次いで韓国人が27人。イスラム系の国としてはインドネシア人が6人だけだった。ただ、これは10年前の数字です。 |
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3)マスクが殺した「笑い」
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The Economistの姉妹誌に "1842" というタイトルの文芸誌のような雑誌があります。どちらかというと風変りなエッセイを掲載することが多い。その雑誌の最近のサイトに
という見出しのエッセイが掲載されていました。イントロとして次のような文章が入っていた。
- マスクを着けると、人間としての最も微妙なコミュニケーションの形が失われる…Put a mask on and you lose the subtlest form of communication
エッセイを書いたのはアン・ロー(Ann Wroe)という作家・コラムニスト。この女性はThe Economistの編集部で「追悼文」担当の記者もやっている。あまり短くないエッセイなので、むささびが「面白い」と感じた部分だけを紹介します。 |
Ann Wroe
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その車両は空いていた。なのにガトウィック空港駅(ロンドン)から乗車したその女性は、私の前の座席に倒れこむように坐った。荷物をどっさり抱えていた。もちろん私も彼女もマスクをしてはいたけれど、二人の間の距離は近すぎる。そこで私は自分の席を立ってちょっと離れた席へ移動した。そうしながらも、私は不愉快な気分だった。このマスクさえなければ彼女に笑顔を見せながら
- こんなことして申し訳ないけど、その方がお互いに安全ですよね。 I’m sorry to do this, but I think we would
both be safer if I did.
という気持ちを伝えることができただろうに。その笑顔は、謝罪の気持ちを柔らかく包み込んだ表情ということになるけれど、本当に言いたいのは「全くお互いにひどいことになりましたね。困ったもんだと思いません?」ということ。が、実際の私はあの青い布切れ(マスク)の背後で至って無表情な顔をしていたのだ。つまり私はその女性に対して失礼極まりない態度だったのである。 |
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笑顔は口で分かる?
ちょっとした笑顔がそのように多くの感情を潜ませるということはないかもしれない。でも私たちは、今も昔も、公共の場では常に似たようなことをやっているのだ。考えてみると、笑顔にはほぼ無限と言ってもいいくらいの意味があり、それらがまるで天気のようにしょっちゅう変わる。例えば、物事が思った通りにいかなかったときに見せる「悲しい笑顔」(the
Rueful)、地球がどうなっていくのか、分からなくなったときの「不安の笑顔」(the Uneasy)、電車のドアが閉まる直前に車内に飛び込んだときに見せる「勝利の笑顔」(the
Triumphant)、物事が結局はうまくいったときに見せる「安堵の笑み」(the Relieved)…これ以外にも「作り笑い」「歓喜の笑顔」「空虚な笑顔」「無垢な笑顔」などなど、数え上げればきりがない。「眼は心の鏡」(eyes
are mirrors of the soul)というけれど、実際にはそれぞれの笑顔の「意味」が分かるためには口を見る必要がある。それがコロナ禍の今、完全に隠されてしまっているのである。 |
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「チーズ」笑いの醜態
記念撮影などをするときに、撮影する人間が「はい、チーズ!」などと掛け声をかけて作らせる笑い(broad and simple grin:破顔一笑)は実生活では極めて稀であり、私自身、自分がそのような笑いを見せているのを目にするのは嫌いである。口全体が歯ぐきに吸い込まれ、目がアタマの中に潜り込んでしまうような…かつてある週刊誌に連載コラムを書いたことがあるけれど、その際に編集者が私を読者に売り込むべく使ったのがそのような顔写真だった。記事の中身がいくらまじめなものであっても、その写真を見ると、いかにも軽はずみな女という感じだった。私が好むのは抑制がきいた曖昧な表情(more
restrained, ambivalent look)なのであり、その種の表情には長い歴史というものがある。
紀元前のような古代にあっては「笑顔」とくれば、ギリシャ神話に出てくる半人半獣のような存在としか結び付けて考えられることがなかった。酔っ払いで乱暴者という存在である。中世になっても「笑い」は善なる存在である男や女を苦しめる悪魔のような存在と結びついていた。昔の人間から見れば、現代の人間が「笑い」という行為に与える大きな価値は不可解そのものかもしれない。誰と食事を共にするとしても欠かせないのは「笑い」であり、世界のリーダーたちが集まる首脳会議の類で欠かせないのも「笑顔」である。 |
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スフィンクスの半笑い
昔の人間は、最も神秘的な権力と知恵の源泉が「笑顔」にあることが分かっていたのではないか。笑顔の影は大きくなるとしてもやがては消えていくもの。神には地球上の人間がそのようなものとして映っていたのではないか。そう言えば、エジプト、ギリシア、メソポタミアなどの神話に登場するスフィンクスもそのような表情をしている。うっとりと微笑んでいるような雰囲気…スフィンクスの修復に何十年も費やしたエジプトの彫刻家は仕事をしながらスフィンクスが本当に生きていて、彫刻家に礼を言っているように感じたという。
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白貂を抱く貴婦人(左)とモナリザ |
スフィンクスのような半笑いには不思議と忘れがたいものがある。ルーブル美術館のモナリザのくすんだようなポートレートにはいつも人だかりがしている。私個人は、モナリザの笑顔は知ったかぶりで自己満足のにおいをかいでしまい、それほど好きではない。むしろレオナルド・ダビンチの「白貂を抱く貴婦人」の笑顔の方が好きだ。どこか自信がなさそうでシャイなところが魅力的なのである。
笑い顔が見たい!
が、誰も彼もがマスクで顔を覆っている今日、コロナ禍の現代に生きる私はむしろ「どんなものでもいいから笑顔が見たい!」と思ったりする。笑顔はお互いを惹きつけあうフックのようなものなのだ。たとえそれがわずかの時間であったとしても、だ。どんなにかすかなものであったとしても、笑顔がコミュニティを作る。もし私が将来において、ガトウィック空港から電車に乗り込んできた、あの女性に会うようなことがあったとしたら、すこしは親し気な表情を見せたいものだと思うのだ。思慮深くて、人付き合いが良く、静かな幸せを感じているようなに人間だ。The
Recognising, the Smoothing Over, the Quietly Happy...つまり、あのスフィンクスのような表情を見せたいということだ。 |
▼昔から「眼は口ほどにモノを言い」と言うけれど、あの場合の「口」は「言葉」の意味ですよね。言葉を発していなくても眼を見れば分かるという、あれ。コロナ時代の閉塞気分の大きな理由の一つが(ひょっとすると)相手の口が見えないということにあったのかもしれないよね。となると「口は眼ほどにモノを言い」ということになる。気が付かなかったなぁ! |
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4)世界の平和度
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オーストラリアのシドニーに本社を置く経済・平和研究所(Institute for Economics & Peace:IEP)という国際的な機関が発表する世界平和度指数(Global Peace Index:GPI)は世界の約150か国の「平和度」を数値化(Index)しようとする試みです。調査対象国の国内状況を22項目に分けて調査し、それぞれに「1~5」の尺度のどの辺にいるのかを明らかにしたうえで全体の平均値を出すもの。「1」がベストで「5」が最悪というわけで、何やら昔むささびが悩まされた学校の成績表を思わせるけれど、あの場合は「5」が「ベスト」で「1」が「ダメ」だったのだからGPIの反対です。
2020年のGPIの調査対象国は163あるのですが、平均値でトップはアイスランド(1.078)で最下位はアフガニスタン(3.644)だった。アイスランドは2008年でもトップだった。日本は2008年では第5位だったけれど、2020年には第9位となっている。その他の主な対象国の順位の例としては、英国(1.77)は42位、韓国(1.829)が48位、中国(2.166)は104位、アメリカ(2.307)は121位などとなっている。
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2020年世界平和度 |
トップ10 |
ボトム10 |
001 アイスランド 1.078
002 ニュージランド 1.198
003 ポルトガル 1.247
004 オーストリア 1.275
005 デンマーク 1.283
006 カナダ 1.298
007 シンガポール 1.321
008 チェコ共和国 1.337
009 日本 1.36
010 スイス 1.366 |
154 ロシア 3.049
155 中央アフリカ共和国 3.237
156 コンゴ民主共和国 3.243
157 リビア 3.258
158 ソマリア 3.302
159 イエメン 3.411
160 南スーダン 3.447
161 イラク 3.487
162 シリア 3.539
163 アフガニスタン 3.644 |
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テーマ別の「平和度」を「近隣諸国との関係」「軍事費」「国内政治の不安定さ」の3つに絞って、日本など10か国の数字を見ると次のようになる。いずれもグリーンのラインが短ければ短いほど「平和度指数」が高い国です。 |
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近隣諸国との関係:英国がEUを離脱したとはいえ、いわゆる「敵対関係」になったわけではないのだから指数が「1」なのは当然ですよね。日中韓はどれも平和度が高くないのですが、韓国だけが日中よりも低いのは北朝鮮の存在でしょうか?ロシアは最悪なのですが、これはウクライナやベラルーシ、さらにはバルト3国との関係が相変わらず緊張しているということの表れなのでしょう。フィンランドの「2.00」は紛れもなく隣国(ロシア)のおかげです。
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軍事費:いわゆる「軍事」「防衛」のために使われている費用のこと。国際戦略研究所(International Institute for Strategic
Studies)が出しているThe Military Balanceという報告書を基にしているのですが、その研究所の報告書(2019年)によると、トップはアメリカ(6846億ドル=約700兆円)で、以下中国、サウジアラビア、ロシア、インドンなどが続いており、日本は第8位となっている。つまり日本はけっこう軍事大国であるということです。
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International Institute for Strategic Studies |
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国内政治の不安定要因:「1.00」なのは日独とフィンランドだけ。このテーマにおいて中国とロシアの平和度数が低いのは、政府が独裁的ということの表れなのであろうと思う。韓国・フランス・アメリカ・英国が「1」でないのは、いずれも国内における政治的な議論が活発であることにも関係しているのでは? |
▼日本の平和度についての22項目についての1~5評価を詳しく見たところ「2」以上というのは、暴力的デモ(2.00)、核兵器・重火器(2.79)、近隣諸国との関係(3.00)の3つだけだった。中国の場合はこれが14項目、韓国は10項目となっている。日本の場合、核兵器は「1」だろうと思うけれど、重火器(heavy weapons)の保持率が高いということなのでしょうね。トップのアイスランドの場合、「2」以上はゼロ、「1」にしても「1.00」というのが22項目中18件だった。
▼「平和度トップ10」のうちの8か国がヨーロッパの国なのですよね。カナダとニュージーランドは地理的にはヨーロッパではないけれど、文化圏からするとヨーロッパです。一方、「ボトム10」はロシア以外はすべて中東とアフリカです。もちろんこの報告書を作ったのはヨーロッパ文化です。 |
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5) どうでも英和辞書
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A-Zの総合索引はこちら |
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unity:団結
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1月20日にワシントンで行われたバイデン新大統領による就任演説は長さが21分30秒、これまでの新大統領による就任演説の平均の長さ(約15分)に比べると「ちょっとだけ長い」だけだった。1841年に就任したウィリアム・ハリソンという大統領などは、寒い中で1時間45分もしゃべったのだそうです(それが原因というわけではないけれど、ハリソン大統領は演説の翌月に肺炎で死去している)。
The Economistによると、これまでの大統領の就任演説に比べて、バイデン演説で最も目立ったのは "unity" もしくはそれに類する言葉が極めて頻繁に使われたことなのだそうです。"unity"
という単語を英和辞書で引くと、「結束」とか「団結」という日本語が出ています。Cambridgeの辞書を見ると、"being together"
という説明がしてある。「一緒にいる」という意味ですが、この場合の「一緒」にはかなり精神的な意味が含まれている。"unity"
に類する言葉といえば、“together”, “as one”などがある。
バイデン演説自体の言葉数は2411語だったのですが、そのうち「結束」だの「団結」だのを意味する言葉が19回出てきており、これは歴代の大統領就任演説の中でも一番多いのだそうです。ここをクリックすると、バイデンの演説原稿を聴いて・読むことができます。それを読むと、確かに "unity" やそれに類する言葉がたくさん使われています。例えば:
- - It requires that most elusive of things in a democracy: Unity.
- Bringing America together.
- Uniting our people.
- With unity we can do great things.
- Uniting to fight the common foes we face:
- In each of these moments, enough of us came together to carry all of us forward.
- History, faith, and reason show the way, the way of unity.
という具合です。ちなみにこれまでの記録は1969年のリチャード・ニクソンの13回だそうです。 |
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6)むささびの鳴き声
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▼「むささび」でも何度か紹介してきている、北九州市・東八幡キリスト教会の奥田知志牧師が、朝日新聞の言論サイト『論座』(1月28日)に『「祈り」はコロナの時代を生きる者の光景~不安の日々に絶望しないために』というエッセイを寄稿しています。コロナ禍の中で「自粛要請」「緊急事態宣言」「医療ひっ迫」等々という言葉に囲まれ、黙って生きる人間にとっての「祈り」という行為の意味を語っています。
▼むささびは、昨年(2020年)3月にお送りしたむささびジャーナル444号に『怖れを怖れる』という記事を掲載することで、ひたすら恐怖心や焦りを掻き立てるだけとしか思えないメディア報道について疑問を呈しました。むささび自身のメディア不信の原因の一つとして、コロナ禍を報道する記者・キャスター・編集者たちが、この問題を「自分の問題として」語っていないことがあるのではないか。良くも悪くも「職業上の関心事」としてのみ語っているということ。しかしそれらの報道が故に世の中の不安感が高まっており、それが故の社会問題も起きている(かもしれない)ということをメディアは追及しようとはしない。自分たちのやっていることが、人びとの心にどのような影響を与えているかを報道し語り合うことはメディア人たちの「職業上の関心事」ではないということ。
▼というわけで、『不安の日々に絶望しないために』という奥田牧師の問題意識には大いに関心を持ちました。ただ如何せんエッセイはかなり長いものであり、細かく論評するには(むささびには)時間も能力もない。というわけで、むささびなりに最も興味を持った部分を1か所だけ取り上げて紹介することにしました。
▼私たちは連日のようにメディアによって吐き出されるコロナがらみの「報道」の洪水にさらされています。もちろんそれは日本のメディアだけのことではない。BBCもGuardianも「タイヘンだ!どうするんだ!!政府は何をやっとるんだ!!!」というニュアンスの見出しで溢れかえっている。もちろん世の中を不安に陥れているのは、メディアの言葉だけではない。コロナ禍がもたらす「感染の恐怖」や「生活破綻の不安」などの「現実」の脅威を前にして(むささびも含めて)世界中の人間が沈黙を余儀なくされているように見える。奥田さんはその「沈黙」という現象について次のように語っている。
- 「沈黙」は、何もしない、できないと言う意味ではない。「沈黙」の日、人は祈りはじめる。コロナ禍を生きる者たちは、祈り始めている。
▼奥田さんによると、人間にとっての「本当の苦しみ」とは、「苦しい」と口にすることさえ憚られるような状態、言葉を失った状態、つまり「沈黙」のことである、と。人間はなぜ「コロナ」を前にして沈黙するのか?それは現在の状況が「いのち」にかかわる状況であるからだ、と。
- 「いのち」は、自分の自由にならない事柄であり、生まれた時から「それは在った」からであり、「生かされている」という言葉がふさわしい。
▼つまり人間は「生きている」のではなく、「生かされている」ということ。誰(何)によって「生かされている」のか?そのことについては奥田さんなりの答えのようなものがあるのであろうと(むささびは)想像するのですが、それについては別の機会に譲ります。ただコロナ禍が「いのち」という根源的な事柄にかかわるものであるにも拘わらず
- 日々耳にする「言葉」はその基底の遥か上を滑っていくように感じてしまう。
▼と、奥田さんは言っている。むささびは、奥田さんのいわゆる「基底の遥か上を滑っていく言葉」こそがメディアの発している「報道」なのだろうと疑っているわけです。もっと具体的に言うと、コロナ禍に関連してむささびが聴いているラジオ番組の中で「上滑りでない言葉」を発しようとしている番組があるのか?ということです。「多分ない」とむささびは考えているけれど、そのような番組が「存在して欲しい」とは切実に希望しています。
▼それはともかく、もう1月が終わりです。明日からプロ野球のキャンプが始まります。コロナのせいで延期なんてことあるんでしょうか?お元気で! |
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