musasabi journal

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471号 2021/3/14
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

東日本大震災から10年というわけで、あの頃のむささびジャーナルを見てみました。震災2日後の2011年3月13日の210号の序文には「道楽みたいなむささびジャーナルは止めようかと思ったのですが、反対に意地でも出し続けようということにしました」と書いてありました。この号はあの号から数えて261回目に当たります。道楽とはいえ、よく続きますね!

目次

1)スライドショー:ジャズを見る?
2)五輪は中止しよう
3)コロナと植樹
4)ジャーナリスト、ジャーナリズムを語る
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)スライドショー:ジャズを見る?


アメリカのワシントンDCにあるスミソニアン博物館は世界最大の博物館と言われていますよね。むささびは訪れたことがありませんが、最近そのスミソニアンのサイトを訪問したら "Jazz Photography" というコーナーがあり、ジャズ音楽家たちのポートレート写真を一堂に集めて見ることができました。これには感激しました。網羅されている音楽家たちは、いわゆる「モダン・ジャズ」といわれるジャンルのミュージシャン。「モダン」というけれど、名前を挙げるとマイルス・デイビス、ソニー・ロリンズ、セロニアス・モンク…50年以上も前に活躍した演奏家ばかりで、今も生きている人はだれもいない。今回はスミソニアンのサイトに出ている写真集のごく一部だけ集めて見てもらうことにしました。写真の出来が素晴らしく、ジャズは「聴く」だけでなく「見る」ものでもあるという感じがします。



▼上の写真は50年以上も前に新宿にあった「汀」というジャズ喫茶の看板です。その頃の「ジャズ喫茶」はレコードを聴かせるところで、生の演奏はほとんどなかった。むささびはというと、「汀」のような場所に入り浸って、巨大なスピーカーから流れてくるジャズを聴きながら「これを分からない奴らとは付き合ってらんねぇ」などとほざいていた。それなりに楽しい時代ではあったのかもしれないけれど、いま振り返ると赤面するしかない。というわけで、お笑いください…!ついでにデューク・エリントンの音楽でも聴いてくれません?

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2)五輪は中止しよう



The Times紙のリチャード・ロイド=ペリー(Richard Lloyd Parry)という東京特派員が3月3日付のThe Timesに
  • It’s time to cancel this year’s Olympic Games
という見出しの意見を載せています。「今年の東京オリンピックは中止すべきだ」というわけですが、メッセージは下記の文章で伝えられている。
  • If far smaller and shorter festivals are to be sacrificed in the interests of global public health, it seems obvious that such a massive event, spread over four weeks in the biggest city in the world, should also be cancelled. (五輪などより)はるかに小規模かつ短期間の祭典も地球規模の公衆衛生の観点から中止されているとしたら、世界屈指の巨大都市で、しかも4週間にもわたって開かれるこの大イベントは中止されるべきだろう。


グラストンベリー・フェスティバル

イングランドでは毎年夏の初めに開かれるロック・コンサートにグラストンベリー・フェスティバル(Glastonbury Festival)というのがあるのですが、昨年(2020年)に続いて今年もコロナのお陰で中止となった。今や英国や日本も含め世界中で皆が楽しみにしている(とされる)お祭りの類が中止されているわけですが、
  • The risk to the world, not just Japan, of a super-spreading event in Tokyo this summer is too great. この夏東京で感染拡大の見本のようなイベントを開催することのリスクはあまりにも大きすぎる。それは単に日本だけのリスクではない、世界にとってのリスクなのだ。
というわけです。ごもっともです。


ロイド=ペリーというジャーナリストは、10年前(2011年)の東日本大震災のときは仙台まで取材に行って
  • If the worst happens, this resilient nation’s response will set an example to the world. 最悪の事態が起こったとしても、この粘り強い国の対応は世界の模範となるであろう
という記事を書いています。むささびジャーナルはその記事を「号外」として紹介したことを記憶しています。彼はその時点ですでに滞日歴16年だった。その記事は彼が震災取材のために仙台を訪れた時のことを書いているのですが、大変なときであるにもかかわらず「日本的な親切も全く失われていない」(Japanese hospitality is uneroded)というわけで、その例として、塩釜の避難所を訪れた際には「1000人もの被災者のための夕飯を見つけるのに四苦八苦」している中で、ロイド=ペリーにもかまぼこをいくつかくれたのだそうです。その被災者は「持って行け」と言い張って聞かなかった。彼の記事は
  • そのような人々とともに生きていることに、私は誇りを覚えるのである。I feel proud to live among them.
という言葉で結ばれている。

ごく最近の世論調査によると圧倒的多数の日本人が「中止すべし」と言っている。その割には政府も政治も中止を声高に語ることがない。不思議な現象ですが、するにせよ、中止にせよ「(日本人だけでなく)世界の人びとにとって何がいいのか?」という議論がメディアの間で聞こえてこないような気がしませんか?

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3)コロナと植樹

前号のむささびジャーナルで、2002年に日本全国にイングリッシュオークの苗木を植えるキャンペーンが行われたことを紹介しました。日英友好がスローガンではあったけれど、環境保護ということも謳われてはいた。植樹による環境保護活動は一般論としては大ありなのですが、英国における森林の現状となると極めてお寒い状況にある。国土に占める森林の面積がどのくらいなのかを表すのは「森林率」と言いますが、グローバル・ノートというサイトによると、いわゆる「先進国」の中で森林率が最も高いのがフィンランド(73.9%)、第二位がスウェーデン(68.69%)で三位が68.41%で日本とくるのに対して、英国の森林率はわずか13%で、224か国中の158位です。


皮で出来ている一種の短冊のようなもので、植樹の際にメッセージを書いて枝にぶら下げておく。日本の七夕と違うのは長い間ぶらさげておくことで木の成長の記録にもなるし、自分自身の記念にもなるということのようです。

英国の場合、気候的に樹木が少ない環境にあるというわけではなく、本来は森林もたくさんあったのに18~19世紀の産業革命の際にこれを伐採して農地や牧羊地に変えてしまったから、という話を聞いたことがあるけれど、確かなことはむささびには分からない。はっきり言えると思うのは、英国における「美しい自然」というと、なだらかな丘陵地帯で草を食する羊たちの姿は浮かぶけれど森林の姿は浮かばない。要するに木が少ないということです、英国は。

ただ、2月13日付のGuardianによると、最近の英国ではWoodland TrustというNPOを中心にコミュニティを中心にした植樹活動が盛んになっているのだそうです。一つには気候変動問題に対する関心の高まりがあるけれど、もう一つコロナ禍が猛威を振るっているということもある。コロナと植樹はどんな関係にあるのか?

コミュニティによる植樹活動の例としてGuardianが紹介しているのが、北イングランドのヨークシャー・デイル国立公園に隣接するNewton-le-Willowsという人口2万の町です。この町で暮らすボブ・サンプソンという人は、かつて農業省で土地利用に関する仕事をした経験があり、地元の環境保護団体のメンバーでもある。その彼が取り組んでいるのが地元の住民を動員した植樹活動なのですが、まず行ったのが町郊外の広大な土地の所有者たちに手紙を書いて、彼らの土地に木を植えさせて欲しいと訴えた。現在までに7人の地主から了解を取り付けている。ボブのもう一つの仕事は植えられる樹木のスポンサーを探すことで、町民に協力を呼び掛けている。

スポンサーになるためには、苗木以外にウサギに食べられないようにするための囲いの費用として一本につき2ポンド(約260円)を寄付する必要がある。活動自体は昨年3月に始まったのですが、それが始まった直後にコロナ禍のためのロックダウンが始まってしまった。それでも150本分のスポンサーがすでに見つかっており、「思ったより順調」(much better than I was anticipating)とボブは言っている。植えるのはオーク、ナナカマド、カバノキ、スズカケの苗木だそうで、地元の土にも合っており野生動物への害もない。


ボブ・サンプソンがやっているような活動は、実は英国中のコミュニティで行われており、Woodland Trustが植えられる苗木を提供しているのですが、2020年の1年間だけで200万本を超える苗木を英国全土に送っておりTrustへの苗木の申し込みは一日平均4000本なのだとか。

英国園芸協会(Royal Horticultural Society:RHS)は1804年創立という歴史を誇る組織であり、どちらかというとミドルクラス向きの「趣味」とされたガーデニングを一般的なコミュニティ活動と結びつける活動を推進している組織としても知られている。そのRHSによると、コロナ禍が始まって以来、英国人の間でガーデニングに対する関心が特に高まっているのだそうです。ガーデニングについてのきわめて初歩的な問い合わせがやたらと多いのだそうで「こんな現象はこれまでになかった」(I don’t think we’ve ever known anything like it. It’s been crazy)と驚いている。園芸協会が進めているプロジェクトに、コロナで命を落とした人を偲ぶ植樹がある。Roots of Rememberance(記憶のルーツ)と呼ばれるサービスで、これまでに500本が植えられた。

西イングランドのサマセット(Somerset)で進行中の「食糧森開発計画」(Food Forest Project)は2エーカーの土地を使って果樹だけを植えるもので、コロナ禍の始まり以来、2000本の果樹が植えられている。この運動の創設者によると「2020年3月にコロナ禍始まってから、誰もが自分のことは自分でやる(self sufficiency)という発想をするようになった」とのことで、それが果樹を植える運動に繋がったとのことです。

スコットランドのDumfries and Gallowayというエリアで進められているLangholm Initiativeという運動が狙っているのは200エーカーにおよぶ山林を作ること。200エーカーは(むささびの計算によると)東京ドーム約20個分の広さです。これまでのところボランティアが740人集まっているけれど、大半がコロナ禍が始まって以後参加を希望してきた人びとなのだそうです。

英国全土に広がっているかに思えるこのような運動はこれからも続いていくのか?王立園芸協会のケイ・クラーク(コミュニティ担当理事)さんは「これからも続くだろう」として次のようにコメントしている。
  • 人間というものはコミュニティ感覚を体験し、ものを育てるという行為をやり始めると、簡単には手放そうとはしないものだ。それが生活の一部になるのだ。Once people start to become community-minded or start to grow things, that’s not something that leaves you. It becomes part of your life.
「目が覚めた」(awakening)ということのようで、「一緒にやる」ことの充実感のようなものなのかもしれない。

▼むささびがワンちゃんたちと頻繁に通う埼玉県の山奥は杉とヒノキの林が延々続いているんですが、それがほぼすべて人工植林だというのですから驚きです。戦後の日本で住宅材料などが不足していたときに政府の音頭で植えられたのですが、その後外国から安価な材木が輸入されるようになると、自分たちが植えた樹木は手つかずのまま放置されてここまできてしまった。間伐もされずに放置されたので一本一本が細かったりするので使うに使えない。あれだけ大量の木を植えたのだから、そこにはお役所の号令のようなものがあり、その背後には「専門家」もいたに違いない。

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4)ジャーナリスト、ジャーナリズムを語る

ドイツの週刊誌、DER SPIEGEL(2月9日)にマーティン・バロン(Martin Baron)という人物とのインタビューが掲載されています。この人はインタビューの時点ではワシントン・ポスト紙の編集長だったのですが、間もなく退任するという身でもあった。記事の見出しは
となっている。主にメディアとしてのトランプ大統領とのかかわり方を語っているのですが、ジャーナリズム全般のあるべき姿のようなことにも触れています。



▼マーティン・バロンは1954年生まれの66才。2012年末から2021年2月末までの8年間にわたってワシントン・ポスト紙の編集長だったけれど、それ以前にもNew York TimesやLos Angeles Timesで記者を務め、Miami Heraldとthe Boston Globeでは編集長を務めている。

 陰謀論が受ける背景  優れたジャーナリズムはタダではない
 陰謀論は「現代の謎」?  メディアとパトロン
 メディアに過ちは付き物  「客観性」の意味
 トランプの独裁本能  

  • SPIEGEL: あなたはアメリカが政治的に最も不安定な時に身を引こうとしている。自分の国について心配ではないのか?
Baron: もちろん私はアメリカの民主主義の現状を憂慮している。何とかしなければならないけれど、それは大変な大事業であるともいえる。その民主主義の中で我々にはジャーナリストとしての重要な役割がある。それは人びとが必要とする情報、知る権利のある情報を伝えるということだ。
  • SPIEGEL: 何千万というアメリカ人が今ではニュースよりもいわゆる「陰謀論」(conspiracy theories)を信じている。どうしてこんなことになってしまったのか?
陰謀論が受ける背景

Baron: 陰謀論なるものが力を得ているのはアメリカに限ったことではなく、他の国でも起こっていることだ。私はインターネットの発達が背景にあると思っている。インターネットのお陰で、自分の個人的な考えを社会的な意味を持つ「見解」(point of views)として展開することができるようになった。それ(陰謀論)がビジネス・モデルになっているメディア組織もある。彼らは自分たちの読者や視聴者が望むようなニュースや情報だけを提供する。それらの情報にのみ接していると、誰でも自分たちの感覚や本能が正しいばかりでなく、自分たちと同じように考える人間が存在することを知ることになる。人びとが何かについて懐疑的だとすると、それらのメディアもまた彼らの懐疑心を刺激するような情報を与えようとする。彼らにとって「事実」や「真実」などはたいして重要ではないということだ。

 ▼陰謀論(conspiracy theory)はある出来事や状況に対する説明のことであり、他にもっともらしい説明があるにも関わらず、邪悪で強力な集団や人物による陰謀や謀略が関与しているとするものである。この言葉は、偏見や不十分な証拠に基づいているという否定的な意味合いを持って使用されることが多い。

  • SPIEGEL: Fox Newsのことを言っているのか?
Baron: 名前は言いたくない。
 

  • SPIEGEL:「陰謀論」のようなものを信じ込んでいる人びとにメディアはどうやって近けるのか?そもそもメディアは近づけるのか?
Baron: その問いに対する答えは私にはない。彼らに近づくやり方あればいいとは思うが…。陰謀論的な考え方は、大体において自分たちの周りを塀で囲ってしまっている。ひとたびそのような思想にはめられてしまうと「それは現実でも真実でもない」などと言ってみても聞く耳を持たない。彼らは我々のような「主要メディア」こそが嘘つきであり、真実は彼らが知っていると思い込んでいるのだ。
 


  • SPIEGEL: 例えば主要メディアの編集部のようなところをよりオープンにすることで事態が良くなると思うか?主要メディアが自分たちの報道がどのような経緯を経てなされるに至ったかを公開するということだ。
陰謀論は「現代の謎」?

Baron: 記者によって記事の書き方や姿勢は異なる。それをオープンにすることはできるし、我々(W・ポスト紙)はそのようにしてきたのだ。しかし結局、我々がどのようにオープンになろうと大して変わりがない。なぜなら我々は自分たちの考え方を人びとに押し付けようとしているのではないからだ。しかし我々が押し付けることをしないと、彼ら(陰謀論者)は我々を敵とみなすのだ。彼らにとって我々は嘘つきであり、彼らにとっての反対勢力の代理人であると見なすのだ。陰謀論に凝り固まっている人間をそこから脱出させるのは至難の業だ。なぜそのようなことになってしまったのか?それこそまさに「現代の謎」(big questions for our time)であると言ってもいいくらいだ。
  • SPIEGEL: 仰ることを聞いていると気が滅入ってくるけれど、現実問題として陰謀論者が下院議員に選ばれたりしている。共和党のマジョリー・テイラー・グリン(Marjorie Taylor Greene)下院議員のような人間とはどのように付き合っていくべきだと思うか?彼女はQAnonの支持者であり、世界はリベラルの悪魔たちによって支配されていると信じ込んでいる。
Baron: アメリカにはこれほどまでの陰謀論はこれまでになかったし、ジャーナリズムが彼らに対処するために十分な準備ができていたかどうかは疑わしい。グリーンのような人間に過度な注目を浴びせないように気を付けることだ。ただ彼らが共和党を代表し、共和党の方向を支持し、共和党の支持基盤の人間を代表し、アメリカにおける暴力を掻き立てるような行動に出るというのであれば、ジャーナリズムもこれを無視するわけにはいかない。QAnonのような人びとが共和党を引っ張って行こうとしている方向が従来の共和党路線と異なるのであれば、そのことをアメリカ人に知らせなければならないだろう。
 


  • SPIEGEL: あなたはトランプ大統領の任期中、ずっとワシントン・ポスト紙の編集長だった。そのような立場から見て、メディアがトランプの虚言を余りにも派手に伝えすぎたということはないか?
Baron: 彼は米国大統領という世界一パワフルな立場にあったのであり、彼の存在はアメリカと世界にとって、とてつもない影響を発揮していたのだ。それをカバーするのは我々にとっての義務(obligation)だったのだ。
  • SPIEGEL: で、今振り返ってみてトランプの扱いでメディアが過ちを犯したということはないのか?
メディアに過ちは付き物

Baron: ホワイトハウスに誰がいようとメディアに過ちは付き物だ。その意味ではジャーナリズムは、ほかの職業と同様、極めて不全な職業(imperfect profession)であると言えるのだ。
  • SPIEGEL: それは確かなことだと私たちも思う。
Baron: その通りだ。私たちはその点については正直であるべきだ。つまり自分たちにもそれなりの欠陥があるということを認めること。現実の時間の制約の中で決定をしなければならないし、急いで構想を練らなければならないこともある。自分たちの行動の結果として起こるかもしれないことを、延々とソファに座って考えているわけにはいかないのだ。考えることは大切だが、物事はいつも動いている、とてつもない速さで動いているのだ。
  • SPIEGEL: で、メディアはどのような過ちを犯したというのか?
Baron: 我々(メディア)はトランプが大統領の任期中につき続けたウソをもっとストレート(forthright)に追及すべきだった。彼の言っていることがウソだらけであることを最初から追及すべきだった。ジャーナリストたちは善意で行動していたとも言える。トランプはアメリカ国民によって正式な手続きを経て選ばれた大統領という立場にある人間でもあった。それを嘘つき呼ばわりするのはメディアにとって容易なことではない。トランプはそれに乗じたということだ。我々が守っている「公平の原則」を利用したということだ。尤も我々(メディア)が何をやっていたとしても事態はさして変わらなかっただろうと思う。
  • SPIEGEL: トランプを甘く見ていた、と?
トランプの独裁本能

Baron: トランプが独裁者的な本能があるということは皆が感じていた。ただ、それを裏付けるだけのしっかりした証拠がなかった。ジャーナリストの仕事は、彼が何をするのかについて憶測することではない。我々の仕事は彼が何をしたのかということ、何をしようとしているのかを報道することにある。我々にはトランプが独裁者的な本能を有していることを証明するものがなかった。しかし今はそれがある。みんなが彼を甘く見ていたというわけではないと思う。



  • SPIEGEL: トランプはワシントン・ポストをさんざ批判していた。編集長であった貴方個人にとって最も記憶に残る場面は?
Baron: 彼に「人民の敵」(enemy of the people)という言葉で非難されたときはショックだった。あの言葉はいろいろな状況で使われると思うけれど、ジャーナリストにとっては最悪の表現だ。
  • SPIEGEL: 「第三帝国」のドイツでは、ヒットラーが政敵を非難する際に必ず使った…。
Baron: さすがにあの頃のドイツほど今のアメリカはひどくはないと思う。しかしトランプが我々を徹底的に悪者扱いする気であったことは事実だと思う。我々をゴミや与太者呼ばわりすることで、我々を敵扱いする人びとが増えたことは確かなことだから。それこそが彼の狙いだったのだ。自分の支持者たちに対してポスト紙の書くことなど無視するか「野党の意見」程度に考えおくように勧めること。その点では彼はかなり成功したといってもいいだろう。彼の場合はジャーナリストが暴力で攻撃されても、それを止めようとかしなかったはずだし、実際に我々が暴力に襲われても彼は止めようとはしなかった。
  • SPIEGEL: それが理由でメディアが自分たちのために特別警戒体制を敷いたりしたことはあったのか?
Baron: もちろん我々は、記者や会社の設備にダメージが与えられるのを防ぐために特別警備員を雇ったことはあるけれど、それでも暴力は続いた。ますます悪くなっていったとさえいえる。この国で、メディアの人間が「特別警備」などやらなければならないのは本当に情けない。新聞は昔から公衆にはオープンでありたいと思ってきたし、外部の人々が見学のために社内へ入ることも歓迎してきたけれど、最近ではそれもやらなくなった。
 

  • SPIEGEL: トランプはメディア企業に多くのビジネスをもたらした。例えばワシントン・ポストもトランプの任期中に多くのデジタル読者を獲得したはずだ。今後これをどのように続けていくつもりなのか?
優れたジャーナリズムはタダではない

Baron: メディアの世界もここ数年変化してきている。いま読者の間で共通する認識がある。それは質の高いジャーナリズムを望むのであれば、それなりの代価を払わなければならないし、払うべきだという認識だ。世の中にはいろいろと「代価」を払うべきものが存在しているが、他のものに比べればメディアに支払う代価はそれほど高くつくものではない。ジャーナリズムは情報をただで譲り渡すべきではない。情報を集めて報道するにはお金がかかる、記者たちの給料も払わなければならない、野心的な報道は特にコストがかかる。また公衆の側にも優れたジャーナリズムを支えようという気持ちもある。アメリカ人の中には我々のような存在がなかったらアメリカはどうなるのか?ということについて心配している人びとも多くいる。
  • SPIEGEL: あなたは「古き良き時代のジャーナリスト(an old-school journalist)だと言える。そのあなたは新聞業界の将来をどのように考えているのか?
Baron: ある程度の自信を持って言えるのは、印刷ジャーナリズムにはさしたる未来がないということだ。人びとの生活が変化してきている。今や誰もがケータイを持ち歩いている。みんな情報はスマホから得る時代になったし、SNSも情報源になっている。木を伐採してパルプを作り、それで紙を作って…というビジネスモデルに将来はない。それははっきりしている。もちろんこれからもある程度は印刷物が生き残るということはあるけれど、ジャーナリズムという業界の未来はそこにはない。これからのジャーナリズムはデジタル化と携帯化(mobile)のジャーナリズムの時代なのだ。私は視覚化(visual)についてはこれ以上は進まないと思っている。
  • SPIEGEL: 2013年以後、ワシントン・ポストのオーナーがジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)になっている。彼はアマゾンの創設者であると同時に世界一の大金持ちだが、アマゾンのCEOを退くことになったとき、あなたはベゾスがワシントン・ポストの編集に介入してくると思ったのでは?


ジェフ・ベゾス
メディアとパトロン

Baron: 私はそのようには全く考えていない。ビジネスの側面ではいろいろやるだろうけど。彼は報道機関の信用性が独立性に依存していることをよく知っている。だからこそ(私に代わる)新しい編集長を選ぶにあたっては出版責任者との間で徹底的な議論を行ったのだ。自分たちが選ぶ編集長は徹底的に信頼できる人間でなければならないということだ。
  • SPIEGEL: これからの新聞はベゾスのような「パトロン」がいなくても生きていけると思うか?
Baron: 誤解してもらっては困る。我々は慈善団体ではないのだ。そのことはベゾスが最初からはっきりさせていた。我々は「ビジネス」なのだ。ポストは長い間、利益を上げている。コロナという問題にもめげず昨年だって利益をあげたのだ。新聞業界はそのようにして生きていくのであり、それでいいのだ。健全なるビジネスモデルによって出版される新聞には「パトロン」など要らないのだ。
  • SPIEGEL: SNS(特にツイッター)に依って立つジャーナリストたちに「中立性」や「客観性」は期待できるのか?ジャーナリストにはソシアル・メディアが必要なのか?必要だとしても、それを通じて個人的な意見を表明することは許されるのか?
「客観性」の意味

Baron: 最初にはっきりさせておきたいのは、「客観性」(objectivity)というものの意味だ。それは今から100年も前にアメリカでも最も優れたジャーナリストの一人とされるウォルター・リップマンが使い始めた言葉だ。「客観性」は「中立性」(neutrality)ではないし、「両側主義」(both-sidesism)でもない。基本的なことは、「客観性」は、人間というものがそれぞれに「偏見」(preconceptions)を有する存在であるということを認めること。そしてさらにジャーナリストが報道する際には、自分たちの「偏見」はできる限り横に置いておくように努めること。「優れた報道」とは、ジャーナリストが自分たちの知ったことを他者に告げる際に、直接的かつ正直に何物も怖れずに告げるということだ。持って回ったような言い回しはしないこと。We don’t beat around the bush. はっきりしたことは言えないようなふりをするべきではない。We don’t pretend we can’t say anything definitive. つまり客観性は優れた原則であり、それは順守する方が賢明だ。ジャーナリストは事実と真実を追い求める活動家であるべきで、それ以外のもののための活動家であってはならない。
  • SPIEGEL: ツイッター上ではジャーナリストは個人的であることが許されるのか?
Baron: 私はジャーナリストがツイッターという手段を持つことに反対はしない。ほとんどのジャーナリストが持っているだろう。しかしそれを使うに当たっては十分な注意と抑制心が必要であるということだ。大切なのは、ソシアル・メディアの世界におけるジャーナリストの振る舞いが、ジャーナリズムの伝統や習慣の中核をなす原理・原則や水準を犯すものであってはならないということだ。
  • つまり…?
Baron: 印刷物としてであれオンラインであれ、我々が発行するものは然るべき水準に達していなければならないということであり、「高級ジャーナリズム」(high-caliber journalism)としての我々の評判を固めるものでなければならないということだ。そのような水準を保つべく我々は何人もの編集担当者を雇う。しかし記者がツイッターやフェイスブックに投稿するときにはそのような編集担当はいない。ということはジャーナリスト本人たちが自分で編集担当者としての義務を果たさなければならないということだ。




▼バロンの言葉で最も印象に残ったのは「客観性」について語った部分だった。客観的であることは、ジャーナリストにとって必要な資質ではあるけれど、客観的であるためには、自分を含めた人間というものがそれぞれに「偏見」を有する存在であるということを認める必要がある…と。「偏見」という日本語はむささびが使ったもので、英語は "preconceptions" となっている。意味は「予め考えていること」つまり「思い込み」という意味です。優れたジャーナリストでありたいと思うのなら、自分自身の「思い込み」にとらわれてはならない、自分の「思い込み」は「なるべく」横に置いておくこと…。言うは易し、行うは難しの典型のようなことですよね。でも彼の言っていることは当たっている。

▼インタビューの最後に「これからどうするのか?」と聞かれて、バロン氏は「年がら年中、仕事・仕事・仕事というやり方でない生活でジャーナリズムの仕事をしたい」と言っている。アタマを使わなければ仕事にならないのに、アタマを使う時間がない…これは苦しいでしょうね。むささびはジャーナリストたちとお付き合いをする仕事はしたけれど、むささび自身がジャーナリストとして生活をしたことはない。ただいろいろなことを書いたり、語ったりすることで世の中に必要とされる仕事というのはやりがいがあるでしょうね。
 
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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 


a grown up: 一人前の人間

世論調査機関のYouGovのサイトに
という見出しの記事が出ています。"a grown up" は「成長した人」という意味ではあるけれど、日本語だと「大人になる」「一人前になる」という方が普通かもしれない。英国では人間がどのようになれば「一人前」と思われるのか?典型的な条件をいくつか挙げてみると:


ということになる。「自分の家を持つ」「正規の仕事に就いている」「両親とは離れて暮らしている」というのが「一人前」の3大要素ということですね。いずこも同じという気がしないでもない。
 
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6)むささびの鳴き声 

▼上の広告は3月26日号の『週刊朝日』のもので、3月12日付の朝日新聞に掲載されていたものです。この広告の左端の部分についてジャーナリストの前澤猛さんがフェイスブックで批判しています。週刊朝日が「眞子さま・小室さんの結婚に関するアンケート」なるものを行い、「97%がこれに反対」という結果が出たという内容です。日本の憲法が「結婚は二人の合意のみで…」と保障している。なのにこのような世論調査を大々的に伝える週刊朝日、その編集内容を大スペースを使った広告で盛り上げている朝日新聞…というわけで「朝日新聞と同誌の愚行」と前澤さんは批判している。

▼広告は編集記事ほど真面目に見られないということはあるにせよ、読者の眼に触れるという点では同じような(場合によっては編集記事以上の)効果を発揮する。だからこそ広告主は何千万円(?)もする広告掲載費を払ってでも載せようとする。この場合は週刊朝日も朝日新聞も同じ会社が出しているのだからお互いに助け合っているという感じですよね。

▼この広告掲載が、まともで有益なな情報提供をビジネスとしているはずのメディア関連企業による「愚行」であることは、前澤さんの言う通りです。が、むささびがもう一つ指摘したいのは、この大きな広告の右半分を占めている「東大・京大合格者ランキング」を中心とする受験戦争関連の部分です。週刊朝日というメディアは、どのような読者層をアタマに描きながらこの種の編集企画を立てるのだろう?東大・京大どころか、どの大学にも受け入れて貰えなかった受験生とその家族が読者対象でないことは確かですよね。

▼一流校を出て一流大学に入って一流企業やお役所に合格して…という勝ち馬人生を目指して戦っている若者とそれを取り巻く諸々の世界の人たちですよね。勝ち馬人生を目指して戦うことを大いに称賛する世の中を演出することに生活をかけている(としか思えない)週刊朝日や朝日新聞の関係者は何を感じているのだろうか?

▼前澤さんの指摘は、今号の4つ目に掲載したW・ポスト紙のジャーナリストとのインタビュー(異常に長い!)との関連で読むと興味がさらに高まるけれど、二つ目に載せたThe Timesのロイド=オーエン記者が、10年前の震災避難所からのレポートの中で語った言葉にも注目して欲しい。自分たちも腹ペコのはずなのに外国人記者であるリチャードに「これ、持ってけ」とかまぼこを差し出して譲らなかった被災者について "I feel proud to live among them"(彼らとともにあることに誇りを覚える)と言っている。

▼ところで日本では、97%の人間が「眞子さま」と「小室さん」の結婚に反対だそうですが、英国ではメガン妃とハリー王子をめぐって王室の人間が人種差別発言をしたという報道でもめているようですね。最近のYouGov調査によると、ハリー王子に関しては45%が好意的、48%が批判的なのだそうですね。メガン妃については好意的なのが31%で批判的な意見が58%となっているらしい。

▼もう春ですね。お元気で!

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