musasabi journal

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486号 2021/10/10
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

いま埼玉県の山奥には上の写真のようなシュウメイギク(秋明菊)が咲いています。はっとするような美しさですが、咲いている雰囲気は静けさそのものです。この花のことは英語でJapanese Anemoneというのだそうですね。

目次

1)スライドショー:東京・銀座を歩く
2)サッチモの執念と信念
3)Kishida Fumio:とりあえず「無害」?
4)アフガニスタンを知る
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)MJスライドショー:東京・銀座を歩く

暇にまかせて、インターネットの世界をぶらぶらしていたらSHOOTTOKYOという写真サイトに出会いました。いろいろなアングルから東京を写した写真集なのですが、肝心の写真家の名前が出ていない。はっきりしていることは、舞台が東京・銀座であることと、撮影時期がコロナ禍以前であること。ここで撮影されている人びとの誰もがマスクをしていない。写真はいずれも銀座の町を歩いている人たちです。どれもモデルではない。あるアメリカ人(男)がカメラを抱えて歩き回った結果がこれ、というわけです。

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2)サッチモの執念と信念

その昔、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)というジャズ歌手がいましたよね。むささびは "What a Wonderful World,” “Hello, Dolly,” ”Star Dust”など、現役の彼をラジオで聴いたことがあるけれど、1901年生まれで亡くなったのが1971年だから、活躍したのは相当昔です。そのアームストロング(ニックネーム:サッチモ)が現役時代にCIAのスパイとして使われたという信じられないような記事が9月12日付のThe Observerに出ていました。


この記事はロンドン大学のスーザン・ウィリアムズ(Susan Williams)という研究者が書いた "White Malice" という本の書評として掲載されているものなのですが、
  • ルイ・アームストロングとスパイ:CIAはどのように彼をコンゴにおいて「トロイの馬」として利用したかLouis Armstrong and the spy: how the CIA used him as a ‘trojan horse’ in Congo
という見出しを見れば誰だって「えっ」と思いますよね。スーザン・ウィリアムズの著書は、1950年代から60年代にかけての西アフリカにおけるCIAの活動を徹底研究したものです。


CIAのラリー・デブリン

1960年11月、ベルギーから独立したばかりのコンゴ共和国の首都・レオポルドヴィルのレストランにサッチモとその妻、そしてアメリカ大使館の人間の3人がディナーをとっていた。サッチモはその頃、数か月にわたるアフリカ・ツアーの途中だったのですが、実はそのツアー自体がアメリカ国務省のスポンサーによるものだった。米政府は、植民地の独立が相次いでいたアフリカにおける自国のイメージ向上に力を入れており、そのために黒人であるサッチモを利用したわけです。

その日は、アメリカ大使館の外交官をホストとするディナーにサッチモ夫妻が招かれていたわけです。が、実はホスト役の男はアメリカ大使館員ではなくて、コンゴにあったCIA支局のトップの人物であることはサッチモ夫妻には知らされていなかった。スーザン・ウィリアムズの著書には次のように書かれている。
  • 実はCIAにとってアームストロングは「トロイの馬」(内通者)だったのだ。実に悲しい話ではあるが、サッチモは、彼自身の善悪感覚などとは全く無縁の利益を推進するために駆り出されたようなものだったのだ。 それが分かっていたならアームストロングは恐怖に駆られていたはずだ。 Armstrong was basically a Trojan horse for the CIA. It’s genuinely heartbreaking. He was brought in to serve an interest that was completely contrary to his own sense of what was right or wrong. He would have been horrified.
ディナーのホスト役はCIAのコンゴ支局長で、ラリー・デブリン(Larry Devlin)という人物だった。その頃のコンゴ民主共和国にはコバルトやウランのような地下資源に恵まれたカタンガという地域があり、コンゴ民主共和国の独立に伴って、カタンガ自身も独立国の道を歩もうとしていた。しかしコンゴの独立に絡んで地域全体が動乱状態にあり、アメリカも含めた大国の思惑も交錯して厳しい内戦が繰り広げられていた。


ルムンバ・コンゴ大統領

カタンガにおける地下資源の開発に参加したいアメリカは、カタンガ政府の指導者層に近づくコネクションを求めていたのですが、そのために利用されたのがルイ・アームストロングのバンドによるカタンガへの演奏ツアーだった。ラリー・デブリンを始めとするCIA関係者はあたかもルイのバンド関係者であるかのように装ってカタンガ入りして、有力者との接触に成功した。

実はそのCIAチームには、カタンガにおける資源開発へのアメリカの関わりを促進すること以外にもう一つ重大な使命があった。それは1960年に誕生したコンゴ初の民主的な選挙で選ばれたパトリス・ルムンバ(Patrice Lumumba)の殺害だった。アメリカは新しい首相の下でコンゴが当時のソ連陣営に加わることを極端に恐れていた。ルイ夫妻とCIAのデブリン支局長が夕食をともにした場所から1マイルも離れていない所にコンゴ政府の首相官邸があり、そこにルムンバ新首相が幽閉されていた。彼を幽閉したのはジョゼフ=デジレ・モブツ (Joseph-Désiré Mobutu) という軍人で、CIAとは以前から関係を持っている人物だった。

アームストロング一行がカタンガへの演奏ツアーを行ってから2か月もしないうちにルムンバ新首相暗殺事件が起こった。そしてモブツはルムンバ新首相の跡を継いで首相となってコンゴを支配することになった。彼がアメリカにとっては有力な味方となったことはいうまでもない。CIAのデブリン支局長は後になって、ワシントンの議会で証言し、ルムンバ首相の暗殺と軍人・モブツによるクーデターはすべてCIAの指図で行われたものであると証言したのだそうです。


スーザン・ウィリアムズの著書によると、ルムンバ首相の殺害は、数ある冷戦がらみの事件の中でも最も評判の悪い出来事の一つで、世界中が怒りでいっぱいになった。1975年になってデブリン局長がルムンバ暗殺を計画したことはあるけれど、実際には行っていないし、絡んでもいないと議会に証言している。以前の証言を翻したということです。

が、White Malice の著者であるスーザン・ウィリアムズは、このデブリンの証言自体が信頼できるものでないという証拠を見つけたと言っている。最近になってアメリカ政府がリリースした文書によると、デブリン支局長(当時)は「WI/ROGUE」という名前の代理人をサイスビル(Thysville)という町へ送り込んだ。この町はルムンバ首相が死ぬ数週間前に閉じ込められていた場所だった。それはCIAがルムンバ暗殺についての関心を失ったと主張する時からはるか後のことである。デブリンによって派遣されたWI/ROGUEという代理人がサイスビルで何をしたのかは自分たちには分からないが、派遣されたこと自体がデブリンの証言と矛盾している、とスーザンは言っている。

CIAは1947年に創設されてから直ぐにアフリカ全土にスパイ網を張り巡らしている。それは第二次世界大戦の成果の上に築かれたものであり、このネットワークには数多くのアフリカの労組関係者、ビジネスマン、文化・教育関係者らが参加している。

サッチモが政府の優柔不断を批判した発言

CIAという機関は、戦後のアフリカにおいて多くのトラブルを起こす機関として知られている。例えば1962年、CIAの人間が人種隔離政策で悪評を買っていた南アの政府を買収しようとした。この政府が、ネルソン・マンデラの逮捕と27年に及ぶ収監の力となったものとされている。CIAはまた1966年にガーナのエンクルマ大統領をクーデターで失脚させている。これは同年2月に北京を訪問していたエンクルマの留守を狙ってエマヌエル・コトカとアクワシ・アフリファという二人の軍人に軍事クーデターを決行させたものだった。

著者(スーザン・ウィリアムズ)は次のように書いている。
  • 悲劇的なのは、エンクルマ、ルムンバそして何人かのアフリカの指導者たちは反米主義者ではなかったということだ。彼らはいずれもアメリカとの友好関係を望んでいたのだ。しかし彼らはソ連に対しても反対の態度をとろうとしなかった。それが故にアメリカ政府には彼らが反米と映ったということだ。「我々につくのかつかないのか:選択肢はそれだけだ」というのがアメリカの態度だったのだ。The tragedy is that Nkrumah and Lumumba and a number of other African leaders in the book weren’t opposed to the US. They wanted friendly relations with the US but, because they weren’t opposed to the Soviets either, they were seen as enemies by Washington. The attitude was ‘you’re either with us or against us’.
コンゴへ演奏ツアーに出かけたときのルイ・アームストロングは59才だった。彼はコンゴにおける経験を基に "The Real Ambassadors" というタイトルのミュージカルを作り、アルバムにもなった。その作品は、アフリカにおけるアメリカ政府のPR活動に参加することについての内面の苦しい気持ちを表現している。ミュージカルに登場するある音楽家は次のように謳っている。
  • 自分は政府を代表しているかもしれないが、政府は自分が望んでいる政策のいくつかを推進していないのだ。Though I represent the government, the government don’t represent some of the policies I’m for.

▼60年以上も前にジャズに凝っていたむささびですが、サッチモの音楽はピンときませんでした。むささびが好んで聴いていた、いわゆる「モダン・ジャズ」とはかなり違っていたのでありますよ。でもそのサッチモの音楽活動のバックにこのような物語があるなんて、想像もしませんでした。

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3)Kishida Fumio:とりあえず「無害」?

(ちょっと古いけど)岸田文雄氏が自民党の新総裁に選ばれたことについて、The Economist誌が10月2日付の社説(leader)で解説しています。それによると、この党首選挙の結果は "Uninspired"(新味に欠ける)ものなのだそうです。"Uninspired"をケンブリッジの辞書は "not exciting or interesting" という言葉に言い換えることができると言っています。要するに「面白くも何ともない」ということです。そして「新味に欠ける」選挙の結果生まれた新首相については、"inoffensive prime minister" と言っている。"inoffensive" は "not causing any harm or offence"(害もなければ、物議も醸さない=当たり障りがない)ということですね。で、The Economist誌の意見としては
  • Japan deserves better than an inoffensive prime minister
ということになる。"deserve" は「~する資格がある・~に値する」という意味ですよね。つまり<日本は単なる「当たり障りのない存在」以上の人物を首相にする権利がある>と言っている。何故そのように思うのか?については
  • Kishida Fumio won by looking as if he won’t rock the boat. But it needs rocking 岸田文雄氏は「波風を立てない」姿勢によって勝利したが、今の日本には波風こそが必要なのだ
と言っている。これだけでもThe Economistの意見は明らかですよね。社説の中身を要約して説明するのは止めにして、いきなり結論部分に飛んで行くと、次のように書いてある。
日本のリーダーシップと世界

誰が日本のリーダーになるのかは(世界にとって)大切な点である。日本は人口1億2600万の国であり、世界第三位の経済大国なのである。さらにG7やQUADの加盟国としてインド太平洋における中国に対抗する勢力でもある。アメリカを除くと自由貿易のチャンピオンであり、TPPの議長国でもある。TPPには中国と台湾の双方が加盟を申請している。このような状況では、強い首相抜きには、日本が地球レベルでのリーダーシップを発揮することは無理というものであろう。
Who leads Japan matters. It is a big country, with 126m people and the third-largest economy in the world. It is a member of the G7 and the Quad, a security grouping formed as a counterweight to China in the Indo-Pacific. It has championed free trade in America’s absence, and currently holds the chair of the CPTPP, a trade pact that both China and Taiwan have applied to join. Yet it will be hard for Japan to take a leadership role on the global stage without a strong prime minister.

派閥政治では無理

今回の自民党の総裁選挙は日本の将来にとって望ましいとは思えない兆しを示すものとなった。日本は安定して、平和的で、経済的にも豊かな国である。しかし日本はまた、他の成熟した民主主義国に比べると高齢化が最も激しい国でもある。労働力は少なくなりつつあるし、年金や健康保険のコストもますます高いものとなりつつある。新しいリーダーに必要なのは、このような「病」に立ち向かうための勇気のある発想である。それには生産性を向上させるための発想もあるし、職場を女性にも馴染める場所にするための試みなども含まれるだろう。日本のリーダーに必要なのはこうした発想を世の中に訴えるためのカリスマ性でもある。日本のリーダーは、菅首相の政策の中の次の2点を追求し続ける必要もある。一つは時代遅れとなっている日本の官僚制を刷新することであり、もう一方は2050年までに温室効果化ガス実質ゼロ(net-zero emissions)を達成するための現実性のある計画を作るということである。どれをとっても楽なものはない。自民党内の様々な派閥のご機嫌を伺うような姿勢の岸田氏にそれが出来るという兆候は殆どゼロであると言える。
This week’s vote also augurs badly for Japan’s future. The country is stable, peaceful and prosperous. But it is ageing even faster than other mature democracies. Its labour force is shrinking; its pension and health-care costs are ballooning. A new leader needs bold ideas to deal with these ills, from boosting productivity to making the workplace more female-friendly. He also needs the charisma to sell such ideas to the public. He should be making hard choices to build on two of Mr Suga’s policies: overhauling the country’s outdated bureaucracy and coming up with a realistic plan to achieve its target of net-zero emissions by 2050. All this will take grit. Mr Kishida, a compromise candidate amenable to the LDP’s varied factions, has done little to suggest that he has it.
 
日本の能力と義務

人口構成や社会的な変化が急激に進む日本の場合、単に「何となく生き延びる」というような政府ではとても乗り切れない。ひょっとすると岸田氏は、ひとたび政権に就くや周囲を驚かせるような力を発揮するという可能性もないわけではないかもしれないが、実際には記憶にも残らないような過去の多くの首相のリストに載るだけということになる可能性の方がはるかに高い。だからと言って、それがあの総裁選挙の最悪の結果とは言えないのかもしれない。が、日本にはもっといいものを目指すだけの能力もあるし、義務もあると言えるのだ。 
Given the pace of demographic and social change, Japan cannot afford a government that simply muddles through. Perhaps Mr Kishida will surprise his critics once he takes power. It seems more likely, though, that he will join a long list of unmemorable prime ministers. That is hardly the worst outcome of the election. But Japan can, and should, aim for something better.



▼「外国メディアはどのように報道しているか」ということは、政治メディアが好んで伝える話題です。その際にはおそらくThe Economistも日本のメディア関係者が見守っている外国メディアの一つです。それぞれの国の政治的な指導層に読まれている主なる国際誌の中にThe Economistが含まれていることは間違いない。

▼気が付きました?「岸田文雄」を英語で書くと、この記事では「Kishida Fumio」となっているってこと。これはThe Economistだけのことのようで、BBC, Guardian, New York Timesなどいずれも従来通り "Fumio Kishida" としています。The Economistもかつては「名」が先にきて「姓」は後だった。何故・いつから変えたのか、むささびには分かりません。

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4)アフガニスタンに目を凝らす


超大国の挫折 地形が育む国民性 
双方向に影響し合って 9・11の芽生え

8月26日付の毎日新聞のサイトに掲載されていた『繰り返されたカブール撤退  30余年でなにが変わったか』というエッセイは、アフガニスタンという国の「これまで」と「これから」について解説するものです。筆者は西川恵・毎日新聞客員編集委員。この記事を読んでいると、テロと混乱に打ちのめされているかに見えるアフガニスタンという国を多少なりとも「理解」するためには、今から1000年以上も前、日本史で言うと奈良・平安時代にまで遡って知る必要があることが分かります。そしてこのエッセイを読んで、むささびはアフガニスタンという国に対する筆者の「必死の応援」のようなものを感じてしまった。


超大国の挫折

見出しにいう「30余年」前に何があったのか?正確に言うと1989年2月13日は、カブール空港警備の任にあたっていたソ連降下部隊がアフガニスタンから引き揚げた日だった。その10年前(1979年)、当時のアフガニスタンは社会主義を掲げる親ソ派政権だったのですが、イスラム原理主義勢力の活動に手を焼いており、ソ連のブレジネフ政権に支援を求めた。それに応じてソ連軍が侵攻したのですが、イスラム原理主義者たちの抵抗は激しく、1989年、結局ソ連軍は引き揚げざるを得なかった。それをカブール空港で見守っていたのが西川記者だった。アフガニスタンにおけるソ連の挫折については、むささびジャーナル332号でも詳しく取り上げています。

ソ連の挫折から32年後の2021年、今度はアメリカ軍が同じカブール空港から引き揚げて行くのを、西川記者は(東京から)見守ることになる。そして自問します、「この30余年でなにが変わったのか?」と。欧米軍のアフガニスタン攻撃のきっかけとなったのは2001年9月11日の同時多発テロで、その首謀者とされた人間(オサマ・ビン・ラディン)がアフガニスタンに匿われており、その男を捕らえることを目的とするものだった。が、それがいつの間にか「アフガニスタンの民主化」が目的となり、2011年にビン・ラディンが米軍特殊部隊によって殺された後も駐留し続けて2021年まで来てしまった。


双方向に影響し合って

西川さんの解説によると、アフガニスタンはもともと仏教とヒンズー教を「思想・精神的土壌」とする国だったのですが、そこへ8~9世紀(日本で言うと奈良・平安時代)になって西方(イラン方面)からイスラム教が入ってきた。むささびの限られた理解によると、イスラム教が「唯一絶対の神を信仰」する一神教である(キリスト教も同じ)のに対して、仏教徒やヒンズー教徒は「自然の中に神を見出す」姿勢を持っていた。そして8~9世紀におけるイスラム教徒の到来のおかげで、それまでは仏教やヒンズー教を信じていたアフガニスタン人の心の中にイスラムの教えが入ってきたというわけです。ただ、西川さんの指摘で興味深いのは、入ってきたイスラム教徒たちの中にも仏教などの思想に影響される者が出てきたという点です。
  • 仏教などの思想を受容するなかで、イスラム教自身も影響を受け、アラブ世界のような厳格な教義とは異なるイスラム教へと変容していった。
  • アラブからやって来たイスラム教徒たちは)アフガニスタンにおいて仏教やヒンズー教の思想に触れ、山にこもって思索を深め、自然の中に神々を見いだす独特の精神的境地に達する。
ということです。


「自然の中に神々を見いだす」というのは、「禅」のようであるけれど、西川さんはこの姿勢を称して「イスラム神秘主義」と表現している。ただ現世からの脱却を追求するかに見える「神秘主義」という姿勢は、「反権力、反権威の運動とも結び付きやすく、このためイスラム教の法学者の中には神秘主義を危険視する者が少なくなかった」のだそうです。西川さんによると、アフガニスタンのイスラム教徒は、イスラム教に数ある派閥の中でも「最も穏健でリベラルなハナフィ派」と呼ばれるグループに属している。

地形が育む国民性

アフガニスタンについて、西川さんが挙げているもう一つの特徴として「地域ごとの独自性を尊ぶ土地柄」ということです。インターネットの検索で「アフガニスタンの風景」という言葉を入れると、とてつもなく高くて険しい山岳風景の写真がたくさん出てくる。アフガニスタンと日本を地理という点から比較すると:

日本 アフガニスタン
面積 378,000 km² 652,000 km²
人口 1億2000万 3893万
最高峰 3776 m 7492 m

となる。アフガニスタンでは日本の約1.7倍の面積の土地に、3分の1程度の人間が暮らしており、しかも国内の地域が6000~7000メートル級の山によって分断されている。そうなると、いやでも地方主義、分権主義、部族主義が身に染みついてしまいますよね。(むささびを含めた)欧米の発想からすると地方主義や部族主義は「遅れている」ということになるけれど、それは地理的にも中央集権が当たり前の人間の発想のようです。西川さんによると、アフガニスタンには8~9世紀の昔から自給自足的な分権・部族主義の社会に根付いていた穏健でリベラルなイスラム教が存在していた。


9・11の芽生え

それを崩壊させるきっかけとなったのが、1979年のソ連によるアフガニスタンへの介入だった。「無神論の社会主義政権に対するイスラムの聖戦」というアピールに応じて、アラブ世界からもイスラム教徒がゲリラとしてアフガニスタンに駆け付けた。そして1989年、ソ連軍が全面撤退すると、これらのイスラム・ゲリラたちはそれぞれ自国に戻って、インターネットを通じてアフガニスタン時代の仲間とネットワークを築くようになる。中にはキリスト教文化圏である欧米に対して、新たなる「聖戦」の矛先を向けるようになり、それが2001年の「9・11」へとつながっていく。

そして2001年、そのイスラム・ゲリラ組織の一つであるアルカイダによる「9・11テロ」が起こり、アフガニスタンンのタリバン政権は英米を中心とする欧米軍による攻撃を受けて崩壊してしまった。が、タリバン政府崩壊後に欧米の後押しで誕生した政権の下でもタリバン勢力との武力衝突は続き、結局その欧米軍も撤退してアフガニスタンは(いまのところは)再びタリバンによって治められる国となったというわけです。そして西川さんは
  • 今後のアフガニスタンは、一にかかってタリバンがどのような政権を作るかによっている。
と言っている。



▼余りにも急なお知らせで申し訳ないけれど、明日(10月11日)19時~21時、日本ペンクラブ主催の『危機に直面する報道の自由:アフガニスタン取材の問題点』というオンライン・シンポジウムが開かれます。8月15日に米軍が撤退し、タリバンが戻ったアフガニスタンですが、主催者によると、諸外国のメディアに比べると、日本のメディアのアフガン報道は何故か「腰が引けた状態」なのだそうです。シンポジウムではアフガンから帰国したばかりのジャーナリスト、新田義貴さんら10人のジャーナリストが参加して徹底討論します。シンポジウムはYouTubeを通じて配信されるとのことです。
 
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5)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら

furlough:一時帰休

コロナ禍に関連して、英国のメディアに頻繁に登場した言葉で、辞書には
  • a period of time that a worker or a soldier is alllowed to be absent, especially to return temporarily to their own town or country. 労働者や兵隊に与えられる「休暇」(absent)の権利で、これが認められるとその期間中は故郷や故国に一時的に帰ることが許される
と説明されている。コロナ禍に関連して企業による従業員の一時解雇を防ぐ試みとして英国政府が導入したもので、新型コロナウイルスの流行が原因で事業の継続に困難が生じた雇用主に対し、政府が月額2,500ポンドを上限として賃金の80%を助成するというもの。但しこの助成を受けるには従業員を「一時帰休」(furlough)としたことを歳入関税庁に届け出る必要がある。

このスキームは9月30日をもって終了しているのですが、終了前に世論調査機関のYouGovが、この制度を存続させるべきかどうかのアンケート調査を行ったところ、一般国民の間では「存続すべし:20%」「終了すべし:58%」だった。が、興味深いと(むささびが)思ったのは、政党の支持者によって大きな違いがあるということ。保守党支持者は「終了すべし」が圧倒的に多かったのに対して、労働党支持者の場合はそれほどの違いはなかった。これを見ると、政治を語る英国人が「保守」だの「労働」だのという場合、かなりの部分、自分の価値観とか人生観のようなものを反映しているのではないかということだった。保守党びいきの人間は「自分の人生を政府に決めてもらいたくない」と思い、労働党支持者は「大きな政府」に支えられる人生を良しとするということです。



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6)むささびの鳴き声
▼何度も言ったことですが、首相官邸の記者会見における広報担当官と記者のやりとり、何とかしてくれません?広報官が「まずお名前と所属する会社名を言ってから質問をするようにしてください」という趣旨の念押しをしてから次のような会話がある。10月4日の岸田首相による初会見を例にとると:
  • 広報担当:幹事社から御質問を頂きます。読売新聞、黒見さん
  • 読売新聞の黒見です。よろしくお願いします。<質問・答え>
  • 広報担当:続きまして、日本テレビ、山﨑さん
  • 日本テレビ、山﨑です。よろしくお願いします。<質問・答え>
▼「まず氏名と社名を名乗れ」と言った直ぐ後で「読売新聞、黒見さん」と告げる広報担当者。なんだ、知ってるのか、だったらジェスチャーで指して「どうぞ」とやればいい。そして指名された記者自身も自分の氏名・所属を繰り返し、ご丁寧にも「よろしくお願いします」と挨拶する。やっている本人たちはおかしいと思わないのでしょうか?

▼ノーベル物理学賞を受けた真鍋淑郎氏(米プリンストン大学上席研究員)が記者会見で、日本に帰りたくない理由を聞かれて「私は他の人と調和的に生活することができないからです」と答えたのだそうですね。他人と調和的に生活する・・・つまり他人のやっていることに不必要な波風を立てない、おかしいと思うことがあっても、よほどの理由がない限りそれを問題にすることは避けるということですよね。首相の記者会見で指名された記者が「よろしくお願いします」などと口走ることのおかしさは「みんな分かっているけれど、それを指摘してことを荒立てるべきではない」と。それが「調和的に生きる」ということである、と。

▼横綱・白鵬が引退して年寄「間垣」を襲名することになりましたよね。つまり「間垣親方」と呼ばれるようになる。でもこれ、本当はおかしいのだそうですね。彼は45回も優勝している。本来なら引退しても年寄・白鵬と呼ばれるべきなのだそうです。優勝32回の大鵬、24回の北の湖、22回の貴乃花らはみんなそのように呼ばれた。それを「一代年寄」と呼ぶ。優勝31回の千代の富士だけはこれを辞退して「九重」を襲名したとのこと。でもなぜ白鵬はダメなの?相撲協会の人種差別が理由である、とNEWSポストセブンというサイト(10月4日付)が伝えています。非常に長い記事なので自分で読んで欲しいのですが、要するに長い間かかって築き上げられた伝統に逆らうような者は許せないということのようです。ノーベル賞の先生は、アメリカ国籍をとったけれど、白鵬の場合は日本の国籍をとっている。

▼秋がどんどん深くなってきました。最近ではノラボウという野菜の種をまいて楽しんでいます。来年3~4月に食べることができるように。そろそろ柿が食べごろになるかもしれない。うちのは甘柿なのですが、それでも干し柿にして楽しむつもり。お元気で!

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