501回目のむささびです。上の写真はウクライナの首都キーウの高台に立っている「祖国の像」(Motherland Monument)という鉄像だそうです。像自体の高さは62メートル、台座の部分も含めると102メートルある。第二次世界大戦の記念博物館の一部として作られたもので、本当はレーニンとスターリンの像が並べて作られる予定であったのが、何故か急に計画が変更された…とウィキペディアには書いてある。 |
目次
1)スライドショー:ウクライナの周辺
2)ウクライナ戦争:「民族」をどうするのか?
3)ウクライナ難民の精神衛生
4)北アイルランドのこれから
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
7)俳句
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1)スライドショー:ウクライナの周辺
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今から10年ほど前にむささびとミセスは、ちょっとした「事故」のせいで、フィンランドのヘルシンキから英国のロンドンへ行くのに、ヘルシンキから船でバルト海を渡ってタリン(エストニアの首都)へ行き、そこから陸路をバスでベルリンまで行き、そこから電車でロンドンまで行ったことがあります。タリンからベルリンまで走る間にリトアニア、ラトビアを通過、さらにはポーランドの一部も通過したことを記憶しています。
むささびが東欧・中欧と呼ばれる地域へ行ったのは、後にも先にもそれっきり。だからウクライナ戦争が始まったとき、情けないけれどむささびが一番まごついたのは「ウクライナってどこ?」ということだった。「ロシアのあっち側」程度の感覚しかなかったわけです。分からなかったのは、ウクライナやベラルーシのことだけではない、彼らを取り巻く国々についても恥ずかしいような知識しかなかった。というわけで、今回はハンガリー、ルーマニア、スロバキア、チェコのような国々の写真を集めて上空から見てみました。そして驚くほどお互いに景色が似ていることに気が付きました。
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2)ウクライナ戦争:「民族」をどうするのか?
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前号に続いて『世界』(岩波書店)の『ウクライナ侵略戦争:世界秩序の危機』という臨時増刊号から一つだけ紹介します。東大大学院の松里公孝という教授が書いた「未完の国民、コンテスタブルな国家」というタイトルのエッセイの一部を紹介するつもりなのですが、あまり簡単な内容ではない(と思う)。「コンテスタブル」というのは「最終的な」とか「絶対的な」という言葉の反対のようです。つまり「変わり得る」とか「相対的な」とかいう意味の言葉のようです。このエッセイは「ロシア・ウクライナ戦争の背景」を説明するために書かれたものなのですが、いろいろな背景がある中で、最も重要とされるのが「民族主義」です。
民族領域連邦制
現在のロシアとウクライナは20世紀初頭のロシア革命、20世紀末のソ連解体抜きには語れませんよね。レーニンらが先導したロシア革命の結果として成立したのがソ連であるとするならば、そのソ連が1991年に解体されてできたのが現在の「ロシア連邦」であり、ソ連からの独立を宣言した現在のウクライナであるわけですよね。
あれだけの広大な領域を支配していく中で、レーニンらが社会主義の旗の下に人間をまとめていくために必要ではあったけれど、最も難しかったのが民族政策だった。そして採用されたのが「民族領域連邦制」というシステムだった。長い間、同じ文化や生活スタイルを共有する中で培われてきた「民族主義」を「社会主義国家」のための思想として取り込もうとしたわけです。でもどうやってまとめていこうとしたのか?レーニンらが採用したのは、非ロシア人地域に「自治領域」を設定、そしてその自治領域の「基幹民族」を中心とした「自治政府」を導入するというものだった。そうやってできたのが「ウクライナ・ソ連社会主義共和国」、「タタール自治・ソ連社会主義共和国」etcだった。 |
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レーニンらが採用した「民族領域連邦制」のポイントは、自分の民族的な帰属先を決めるのが「個人」ではないということだった。それを決めるのは共産党もしくは国家であったわけです。国勢調査などで、「私はムササビだ」と名乗っても受け付けられず、「ムササビなどという民族は存在しない。あなたはタタールなのだ」と言って、調査票には「タタール」と記入されてしまう。つまり党や国家が「民族範疇」確定するのであって、その人が決めるのではないということです。それこそがロシア革命の指導者たち(ボルシェビキ)が考え付いた国家の建設方法だった。同じ方法が1949年に政権を樹立した中国共産党によっても「民族識別工作」という名前で採用された。こうすることで、レーニンや毛沢東らは、旧帝国(ロマノフ帝国・清帝国)から受け継いだ広大な領域を再統一することができたというわけです。
文化集団→政治集団
ただ、レーニンらが取り入れた「民族領域連邦制」にも弱点がある。もともと文化的共同体であった集団を「民族」として政治的な意味を持つ存在にしてしまった。おかげで「民族性」は旧来のような自然発生的なものではなくなってしまった。ロマノフ帝政時代には「東スラブ人」という一つの「民族」(ナロード)であったものが、革命後の民族領域連邦制の採用によってロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人に3分割されてしまった。逆にかつては3つの異なる「民族」であったグルジア人、メグレリ人、スヴァン人は革命後には「グルジア民族」という一つのグループに統一されてしまった。 |
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さらに、党や国家が決めた「民族」には、それぞれに「自治政府」や「自治領域」が与えられたが、これが民族間の紛争のタネになることもあった。「ソ連」の国家権力が強力で、共産党の指導力も強かった時代には、民族領域連邦制も何とか機能していたけれど、ペレストロイカによる「民主化」が進むと、ソ連中で民族紛争が起こるようになった。これに対する反省によって、現在のロシアや中国では民族領域連邦制を止めて「民族」をもう一度「文化集団」に戻そうという動きがある。
ウクライナはレーニンが作った?
松里教授によると、現代のロシアにおけるプーチンに代表される右派的論客がしばしば主張するのは「ウクライナ国家を作ったのはレーニンだ」ということなのだそうです。レーニンの民族領域連邦制さえなければ、東スラブの3民族(ロシア、ウクライナ、ベラルーシ)が分断されることもなかったということ。さらに彼らによると、レーニンらは「ウクライナ民族が分布しているのより広い領域をウクライナ・ソビエト社会主義連邦に与えてしまった、と。教授はさらに、自分がドンバス人やクリミア人と話をしたときの経験として、彼らは口をそろえて「自分らの祖先がウクライナに帰属するについて意見を聞かれたことは一切ない」と不満をもらす、と言っている。 |
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その意味ではプーチンらの言動にも一理はあるかもしれないけれど、「たとえ間違った民族理論に基づいて不幸な国境が引かれたとしても、引かれた国境は受け容れて外交・軍事を展開するのが国際法のルールだ」と松里教授は言っており、さらに
- レーニンの民族理論に基づいて引かれた国境を認めないと言うのなら、ロシアとカザフスタンの関係も不安定化してしまうだろう。
と言っています。
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▼マルクスの社会主義理論を実践したレーニンのロシア革命ですが、いまのロシアや中国を見ていると、理論と実際のギャップを感じざるを得ないよね。
▼60年前の日本では「民族主義」とか「愛国心」というものは、禁句扱いされていたと思います。ネット情報によると松里公孝教授は1960年生まれです。安保闘争の年であると同時に、日本社会党の浅沼委員長が右翼人間に刺殺された年でもあります。教授より20年ほど前に生まれたむささびにとって、松里教授の姿勢は「右翼に甘い」という感じになってしまう。でも…プーチンの右翼姿勢に対する批判的な姿勢については、やはり納得するとしか言いようがない。 |
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3)ウクライナ難民の精神衛生
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4月30日付のThe Economistに
- Ukrainian refugees need mental-health care that their hosts lack ウクライナ難民は精神衛生面のケアを必要としているが、受け入れ国には十分な体制が整っていない
という見出しの記事が出ています。
ロシアによる侵略攻撃が始まって以来、500万人を超えるウクライナ人が祖国を離れている。いずれもそれぞれのトラウマを抱えている。外国暮らしに伴う経済的なストレスもあるし、家族が離れ離れになってしまったことによる喪失感もある。世界保健機構(WHO)がこの3月に発表した推定によると、少なくとも50万のウクライナ難民が精神的な悩みを抱えている。50万の精神衛生患者というのは、ただでさえ充分とは言えない東欧諸国の精神衛生体制にとって大きな負担となっていることは間違いない。 |
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ポーランドの首都・ワルシャワの病院で精神衛生部門のヘッドをつとめるAgnieszka Siwinskaによると、ウクライナ戦争が始まって以来、150人の新患者が入院している。これは普段の数より25%の増加を意味している。彼女は心理学を学ぶ学生でウクライナ語かロシア語を使える人間を新しい患者のためのヘルパーとして雇っている。また戦争恐怖症(shell-shocked)に罹ってしまっている子供たちのために玩具などを詰め込んだパックを用意したりもしている。彼女にとって一番の課題は長期間にわたる精神病治療に関われる専門家を探し出すことであるけれど、ポーランドにはそのような人間が極めて少なく、その場しのぎに英国の専門医が駆け付けたりもしている。
The Economistによると、精神衛生は東欧諸国では長い間、顧みられることがなかった分野なのだそうです。ポーランドはウクライナ難民の主なる避難先なのですが、患者一人当たりの精神科医の数は(2016年時点の調査では)ドイツの3分の1にすぎないし、政府による精神病対策に充てられる予算は厚生予算全体のわずか3.4%。これはEU全体で見るとブルガリアを除いて最も低い予算なのだそうです。スロバキアなどでは精神科医の予約をとるのに3カ月もかかる。 |
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このような不足を補うべくEU当局では、ウクライナの専門医が難民の手当てに当たる仕事ができるようにする労働許可を与えるように加盟国に勧めている。また精神衛生の治療を行えるようなNPOには950万ドルの資金提供を約束している。そうしたNPOの一つであるAMNAの関係者によると、心理面の応急処置(psychological first aid)は、訓練さえ受ければボランティアでも務まるようなものなのだとか。そのボランティアが患者の母国語を理解できれば、初期治療としては専門医と同じような効果を発揮することができる。
戦争状態が緩和され、ウクライナ難民が祖国へ帰れるようになると、ウクライナ国内における精神治療体制の充実が急務となってくる。他の戦争のケースが示すとおり、長期にわたる消耗戦は精神病の患者には重くのしかかるものとなる。シリア難民を援助する英国のNPOであるSyria Reliefの推定によると、トルコやレバノンで暮らすシリア難民には深刻な精神病の兆候がある。ウクライナは2017年の時点で国民の6.3%が「鬱」と診断されており、世界でも最も鬱患者の多い国とされている。 |
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最近ではウクライナでも事態は緩和されており、世界保健機構の支援を得て、鬱に取り組む3000人以上の専門医の訓練も行われている。特に2014年のクリミア併合以来続いている国内の親ロシア派との戦いに取り組む軍関係者の間の鬱問題には精力的に取り組んでいる。
それに伴ってウクライナにおける鬱に対する態度も変化しており、「患者」たちも自分の精神状態をオープンに語るようになっている。ソ連時代には、反体制派はいずれも「精神異常」と見なされて刑務所行きとなっていたけれど、最近ではそれも大いに緩和されており、それに伴って自殺防止のチャリティ組織の活動も盛んに行われている。ウクライナでは自殺が非常に多かったけれど、政府も精神病患者を閉鎖的な環境で治療するのではなく、自宅療養など通じて常に社会との接触・交流が図れるようにしている。世界保健機構のスタッフとしてウクライナの精神衛生問題に取り組んできたウクライナ人の専門家はそれによって精神面での戦争の傷跡も解消するようになると期待しており
- 政府の支援が増えれば、傷跡も小さくなる: As support increases, the stigma is decreasing.
と言っている。 |
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▼ウクライナにおける鬱に対する態度が変化しており、「患者」たちも自分の精神状態をオープンに語るようになっている、という部分が救いですよね。"Our
World in Data" というサイトによると、2019年の統計による国別の自殺者の数(10万人あたりの数)は次のようになっている。確かにウクライナは自殺者の多い国のようです。
- Poland 13.68
- Hungary 13.68
- Russia 22.77
- Ukraine 26.34
- Finland 13
- Japan 14.21
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4)北アイルランドのこれから
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上の写真、何だか分かります?お姉さんだかおばはんだかが集まってスマホに興じている風景のように見えません?それでも当たっているといえば当たってはいるのですが、ここに集まっているのは英国・北アイルランドのシンフェインという政党の議員とその支持者たちです。以下は関連ストーリーです。 |
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去る5月5日(木曜日)、英国全土で地方選挙が行われました。具体的には、イングランド、スコットランド、ウェールズにおける200か所の市・町・村議会(councils)および北アイルランド議会(Assembly)議員の選挙だったのですが、地方議会議員の選挙に関しては下記のグラフが示す結果となっている。労働党(Labour)が74議会(6議会増)で多数派を占める一方で保守党(Conservative)が多数派を占めたのは35議会にとどまり、選挙前に比べると11か所の議会で多数派を失っている。 |
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英国の場合、日本などに比べると開票作業に時間がかかり、上のグラフも、英国時間の5月7日午後7時現在(200議会中の199議会)の結果であり、厳密には最終結果ではないけれど、ボリス・ジョンソン率いる保守党にとって厳しい結果になっていることだけは確かなようであります。
ただ、今回の地方選挙で結果が最も注目されたのは北アイルランド自治議会議員の選挙だった。英国の場合、イングランドには「自治議会」は存在しないけれど、スコットランド、ウェ-ルズ、北アイルランドにはそれぞれのエリア全体をカバーする「自治議会」が存在しています。「自治議会」が存在するということは「自治政府」が存在するということでもあり、それぞれに「知事・首相」に相当する「長」が存在している。今回の地方選挙では、何故か北アイルランドだけが自治議会議員の選挙が行われたわけです。総議席数は90で選挙の結果、下のような勢力図が出来上がった。 |
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現象面で最も目立つのは、これまで北アイルランドは「南」(アイルランド共和国)と統一されるべきだと主張してきたシンフェイン党が議会の第一党に躍り出て、それまでは第一党の座を独占していた民主統一党が第二党に下がってしまったことです。民主統一党(Democratic Unionist Party: DUP)は北アイルランドはあくまでも英国の一部であると主張して支持されてきた。"Unionist" という言葉は北アイルランドに限らず「英国(UK)と共にある」存在を意味する言葉だった。
シンフェイン党が第一党になり、北アイルランドの「首相」(First Minister)には同党のトップであるミッシェル・オニール(Michelle
O'Neill)が就任することになるけれど、だから直ちにアイルランドの南北統一が実現するわけではない。それまではテロ続きだった北アイルランドが、いまから30年以上も前の1998年に英国とアイルランド共和国の間で結ばれた「ベルファスト合意」(Good
Friday Agreement)によって平和が達成されたという経緯があるからです(むささびジャーナル64号)。 |
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ただ南北アイルランドの統一がそれほど簡単に出来る事柄でないことは確かですが、実は英国にとっては頭の痛い問題がもう一つ存在する。それはUKとアイルランド共和国の間の国境の問題です。今の英国とアイルランド共和国の間には国境が二つある。一つは北アイルランドとの間にある従来の国境、もう一つは英国のEU離脱に伴ってUK(イングランド・ウェールズ・スコットランド)とアイルランド島(北アイルランドがある)の間にあるアイルランド海峡に敷かれている(実際には北アイルランドに存在する)通商上の検問所です。
例えばイングランドの企業がEU市場へ電気製品を輸出したいとする。彼らはアイルランド海峡にある検問所で検査を受け、EUへの関税を払ったりする手続きをしなければならない。その後、この電気製品は北アイルランドの企業によって、アイルランド共和国との間にある「国境」を通過してEU市場へと入っていく。アイルランド共和国はEU加盟国、北アイルランドは英国の一部です。普通ならEU離脱国の英国から加盟国へ輸出する場合は、関税を払わなければならないけれど、この企業はアイルランド海峡の検問所ですでに払っている…と。 |
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英国がEUを離脱する前は陸上の「国境」が使われていたけれど、殆どが自由往来というやり方で通用していた。BREXITにあたって南北アイルランドが要求したのはそれまでの陸上の「国境」は、自由往来も含めてそのまま残すということだった。そこでジョンソン政府が提案、EU側もこれを受け入れたのが「北アイルランド議定書」(Northern
Ireland Protocol)という名前の変則的通商ルールだったというわけです。北アイルランド議会の第一党となったシンフェインがこの変則的ルールをどうするのか?大いに注目されるところです。 |
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▼この記事の2番目の写真はワンちゃんを連れて投票所にやってきたおじいさんですよね。BBCによると、選挙の際に愛犬を連れて投票に来るのが、英国では一種の「しきたり」(tradition) のようになっているのだそうです。 |
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5)どうでも英和辞書
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A-Zの総合索引はこちら |
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drag on: 長引く |
5月6日付のBBCのサイトに
- Ukraine war has dragged on ウクライナ戦争はダラダラと長引いている
という見出しの記事が出ています。実際にはこのあとに "admits Putin ally Lukashenko"(プーチンの仲間であるルカシェンコも認めている)という文章が続きます。ルカシェンコというのは、ウクライナの隣国、ベラルーシ(人口約940万)の大統領で、この戦争ではほぼ唯一と言っていいほどのプーチンの仲間です。ベラルーシは、ロシア、ウクライナ、ポーランドなどに囲まれた国です。BBCの記事は、最近AP通信が行ったこの大統領とのインタビューから引用したものです。
"drag on" という言葉を辞書で引くと
- to slow down or limit the development of someone or something
という説明がついています。
- We did not expect the meeting to drag on for so long. : ミーティングがそれほどダラダラと長引くとは、予想していなかった。
という例文からすると "continue" と似たような言葉なのだろうと思うのですが、それだと「ダラダラ続く」というニュアンスが出ない。そんな場合に "drag on" が使える、と。 |
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6)むささびの鳴き声
▼ロシア政府が発表した63人の日本人の入国禁止者リストを見ていると、確かに笑えますね。むささびが多少なりとも知っているメディア業界関係者のリストは特に可笑しい。新聞社でいうと「産経」が4人(社長・専務取締役・論説顧問・論説委員)、「読売」が2人(社長・主筆)、「日経」が3人(会長・社長・編集局長)という感じなのですが、「朝日」と「毎日」は選に漏れている(口惜しいでしょうね、きっと)。「スポーツジャーナリスト」、「選択出版代表取締役」、「週刊文春編集長」らは「箔が付いた」と大喜びかも?
▼それにしても誰がこのリストを作ったのか?むささびの想像によると、それは駐日ロシア大使館にいる誰か、です。おそらく大使本人かもしれない。モスクワの「本部」のようなところから「怪しからん日本人の名前を至急提出せよ」という命令があったので、自分が名刺交換をした日本人の名刺をゼロックスコピーして送付した、と。「朝日」と「毎日」の関係者の名前がなかったのは、単なる偶然。「ヒットラーにはユダヤ人の血が流れている」という外相発言も、ただの気まぐれか心神喪失かのどちらか。
▼(全然関係ないけれど)今年(2022年)は、日英同盟締結(1902年)から数えて120年目なのですよね。100年目の2002年には日英グリーン同盟というのがあって、日本中に英国生まれのオークの木が植えられたのですが、120年目の今年は特に何もないのですかね。右の写真(と言っても何だか分からないと思うけれど)、背丈約4mのイングリッシュオークです。植えられているのは山口県萩市のある人の庭。今から20年前にイングランドから連れて来られて萩の駅前に植えられたオークから落ちたドングリから育てたオークから落ちたドングリから育ったものなのだそうです。つまり3代目というわけ。すごいなぁ。
▼その日英同盟については、2012年の元日にお送りした「むささびジャーナル231号」に結構詳しく書いてあります。当時の大英帝国が、ロシア帝国が南下政策によって、中国や韓国の「独立」を脅かし、最終的にはインドにまで手を出すのではないかというので、それを阻止しようと、仲間に引き入れたのが日本だったのだ、とか。中国や韓国の独立を守るとか言っているけれど、英国や日本自体が彼らの独立を脅かすようなことをやっていたのでは?
▼むささびには全く縁がありませんが、本日はゴールデンウィークの最終日。信じられないほど寒い日です。長々・ダラダラ、失礼しました!お元気で。 |
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