どうも、寒いのか暑いのか、よく分からない日が続いていますね。むささびはワンちゃんを連れて埼玉県の山奥へ出かけるのが日課のようになっているのですが、今年ちょっと気になるのはウグイスの鳴き声がいつものように大きく聞こえないということです。もう一つ、これは飯能市の自宅のことなのですが、ウチは横田の米軍基地から車で40~50分のところにある。最近、あの基地を飛び立って東北方面へ向かう戦闘機の数と騒音が大きいような気がする。 |
目次
1)スライドショー:マグナムの仲間たち
2)ロシアが恥をかくべき理由
3)「中立国・スイス」の苦悩
4)「長期主義」が語る人類の20万年
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
7)俳句
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1)スライドショー:マグナムの仲間たち
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世界中のプロの写真家集団である Magnum については何度か紹介したことがある。知らなかったのですが、この集団に属する写真家が撮ったワンちゃんの写真だけを集めた本があるのですね。題して
"Magnum Dogs"。犬という動物は格好の被写体なのでしょうね、いろいろな雰囲気の写真が入っているようです。むささびは実物を見たわけではないので、確かなことは言えないけれど、本を紹介する写真には柴犬がいませんでした。
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2)ウクライナ戦争:ロシアが恥をかくべき理由
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創刊1828年という歴史を持つ保守派のオピニオン誌、英国のThe Spectatorのサイト(5月15日)に
という見出しのエッセイが出ています。イントロは
- (ロシアは)ソ連の崩壊で学んだことが余りにも少なすぎた。 Too little was learnt from the collapse of
the Soviet Union
と書かれている。エッセイを書いたのはセルゲイ・ラドチェンコ(Sergey Radchenko)というロシア出身の国際政治学者で、ウェールズのカーディフ大学やアメリカのジョンズ・ホプキンズ大学などでも教えている人です。(むささびが)彼の書いたものを読むのはこれが初めてですが、ネットを見ると「知らないのはむささびだけ」なのではと思うくらいいろいろなメディアに書いています。
いずれにしてもこのエッセイの趣旨は、プーチンのやっていることは、自国の歴史に余りにも無知な指導者のやりそうなことであり、ウクライナにも負けて「恥をかくっきゃない」とのこと。それほど膨大に長いエッセイでもないので、要旨をまとめるのではなくて、ほぼ全文を直訳してみました。原文はここをクリックすると読むことができます。 このエッセイが掲載されてからすでに1週間が経っているし、書かれてからどのくらい経っているのか、知る由もない。本日現在のウクライナの状況が必ずしもこの筆者の語っていることを正確に反映していないかもしれないことは承知の上でお読みください。 |
セルゲイ・ラドチェンコ
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ウクライナに対する「プーチンの戦争」が続いているが、ロシアが直面している最もあり得る可能性は「敗北」、それも「敗北についての本物の可能性」(very
real prospect of defeat)だ。ウクライナにとっては困難を極める時がこれからもしばらくは続くであろうし、戦争自体のエスカレーションという危険性もないわけではない。が、プーチンは初期の目標達成(すなわち首都・キーウの制圧)に失敗しており、ドンバスの制圧という、それほどの重要性を持たない狙いでさえも十分に達成したとはいえない状態なのだ。そもそもこの戦争がここまで長引いていること自体がロシアにとっては敗北といえるのだ。
ウクライナにおけるロシアの屈辱(敗北)は、特にロシアにとっては「計り知れない利益」(untold benefits)を伴っている。ロシアはいつもご機嫌をとり、笑わせておく必要がある、さもないと(ロシアは)大国という看板(great
power status)を失ってしまったことに腹を立て続けるであろうから…私たちは長年にわたってそんな話を聞かされてきた。ソ連の崩壊は全くもって大変な災難であり、悲しくて苦々しい想いに沈むロシア人たちは二度と立ち直れないであろう、と我々は聞かされてきた。ロシア人は「尊敬」の念を払われ、誇らしげに堂々と立っている必要がある、と。屈辱など受けようものなら、何をするか分かったものではない…と。God
forbid if they are humiliated because who knows what they will do.
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「冷戦に負けた国」
ソ連崩壊は私自身がこの眼で見ている。貧困あり、混乱あり、悲しみあり、極右勢力の巻き返しありで、簡単には忘れられない体験(traumatic experience)だったと言える。狂暴なる愛国主義者たちが、同じくらい狂暴なるスローガンの下に集まって集会を開いていた。そして起こったのがロシアによるチェチェン侵略(1994年12月11日 – 1996年8月31日)だった。それはチェチェンのナショナリストたちに頭を下げさせることによって、ロシア人たちが錆びついた自分たちのプライドを取り戻そうとする試みでもあった。それを見ながら、我々が考えたのは「ロシア人たちが暴れるのも無理はない、彼らは冷戦に敗れてしまったのだから…」ということだった。
が、実際には多くのロシア人たちは「ソ連崩壊」について、「ソ連(USSR)は敗れたのではない、自分で自らの重みに耐えられなくなっただけなのだ」(the USSR was not so much defeated as it folded under its own weight)と思っていたのである。極めて多くのロシア人が、ソ連崩壊は長年にわたる経済政策の失敗と帝国主義的な傲慢さによって惹き起こされたものという事実を受け入れることを拒んだのだ。そのロシア人たちが力を入れたのが「裏切り者探し」(they looked for traitors)であり、槍玉にあがったのがミハイル・ゴルバチョフだった。1990年代のロシアでは、非難の擦り付け合いによって誰かが責任をとらされることになっていた。それが裏切り者のゴルバチョフであり、酔っ払いのエリツィンであり、強欲の成金(オリガルヒ)であったというわけだ(これに付け加えると、いつもロシアの悪運を望んでいる西側のインテリたちということになる)。
「偉大なるロシア」の再現
このような弱体化と混乱の90年代のロシアで頭角を現してきたのがプーチンだった。彼がロシア人に約束したのが「秩序と強さ」(order and strength)だった。プーチンによる権力の乱用、汚職、人権侵害、民主的な機関の壊滅などは、いずれも「約束通りの強さ」として許された。ロシアは貧困・汚職・独裁主義のような問題でいっぱいだった。にもかかわらずプーチンは軍備充実に力を入れることで「偉大なロシアの再現に力を入れている」と称賛された。ロシア人の中には「偉大さ」のためには何でも犠牲にする人間がいるし、あやふやな約束のために最も大切なものまで手放してしまうような人間もいる。 |
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「プーチンのロシア」では、毎年のように戦勝記念日(Victory Day)のパレードが行われる。それはかつては壮大なる催し物だった。戦車が走り、飛行機が飛び、兵士たちが赤の広場を埋め尽くす、それを見守る年寄りに近づきつつある独裁者・プーチン…。どれを見ても第二次世界大戦を想起させるよりも「国家がスポンサーとなった偉大さ」(state-sponsored ‘greatness’)を想起させるものだった。
とはいえ、私自身、軍国主義がもたらす音響と興奮によって舞い上がってしまうこともあるということは認めざるを得ない。軍国主義の毒を自分から抜き去るためには、意識的な努力が必要である。が、多くのロシア人は、問題の所在は理解したとしても(実際には理解しているとは思えないが)それを乗り切ろうとすることは嫌がるようなのだ。
ロシアにはいい薬だ
で、「偉大なるロシア」という話のど真ん中に大穴を開けてしまったのがウクライナだと言える。ロシアは貧しくて汚れていて、なおかつ権威主義(独裁主義)的であるけれど、(ウクライナ戦争によって)それに加えて弱くて哀しい(weak and pathetic)存在ともなってしまったのだ。ウクライナにおけるロシア人たちの熱狂(殺人や暴行)の中で、ロシアの「偉大さ」などどこかへ吹き飛んでしまった。無実の人間によって流される血、正直な戦いでの敗北等などによって、いじめる側のロシアもちっぽけな存在になり下がってしまった。そうなって当たり前だ。ロシアがいま必要とする薬を与えてくれたウクライナに感謝したい。 |
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ロシアに必要なのは、「それにふさわしい屈辱(proper humiliation)であると言える。小さくなってしまった肩書を自らのものとして引き受け、罪を認め、これまでいじめ抜いた相手からの信頼を再度勝ち取ること、そのためには大いに痛みを伴う努力が求められるということだ。1990年代のロシアにも学びの機会はあった。なのにそれをやらなかった。ロシアは今こそ学ばなければならない。Russia
did not learn this lesson in the 1990s. It must learn it now.
正すべきを正してこそ…
本物の偉大さは大げさな軍事パレードにあるのではないし、核兵器使用という脅しにあるわけでもない。真の偉大さは「過去」を受け入れ、自ら正すべきを正そうとする意志にある。真の偉大さは、よりよい未来を創ることにある。誇るべきなのは、戦車やミサイルではなくて、優れた教育や病院を有する国を作ることであろう。
これまでの歴史を振り返ると、ロシアにとっての屈辱となったのは、常にロシアそのものであったとさえ言えるのだ。それを支えてきたのが、傲慢かつ権威主義的な支配者たちであり、狂信的愛国主義者から成る「一般民衆」であると言えるのだ。
ウクライナ戦争における敗北によって、ロシア人たちもあるがままのロシア(期待されるロシアではない)を受け入れることができるようになるかもしれない。そうなったときに、ロシアは初めて自分および隣人たちとの和解が可能になると言えるのだ。 Russia’s defeat in this unjust, criminal war against Ukraine may help shift the domestic narrative in Russia towards accepting the country for what it really is, rather than what it has vainly pretended to be. It is only then that Russia can, finally, be at peace with itself and with its neighbours. |
▼ロシアによるウクライナへの侵略行為を「ソ連崩壊」と結びつけて語る人があまりいないように(むささびには)思えるのですが、違うかな。この人はそれを語っていますよね。その「ソ連」発祥の出来事となった1917年のロシア革命について、あるサイトの解説は次のように書いている。
- ロシアに起こった20世紀最大の人民革命。革命によって成立した政権が、史上初めて社会主義国家の建設を目ざし、そのことによって世界の反資本主義・反帝国主義運動に大きな力を与え、世界史に巨大な影響を及ぼした。
▼今にして思うと、70年以上も続いたソ連時代に生まれたロシア人たちのプライド、それが崩れた時の喪失感はどんなものだったか、想像を絶しますね。むささびのような外国人(それも社会主義に対して悪い感情は持っていない)から見ると、ゴルバチョフのやったことは、社会主義をさらに前進させるものという見方もできた。でもロシア人たちにとっては「屈辱」であり、ゴルバチョフは裏切り者であったということ。先日テレビで見た、現在のゴルバチョフはテレビカメラの前で「自分は社会主義者だ」と言っていたのですよ。 |
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3)「中立国・スイス」の苦悩
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5月7日付のBBCのサイトに
という見出しの記事が出ており、むささびには気になりました。昭和16年(1941年)に生まれ、太平洋戦争の「戦後育ち」であるむささびのような世代が憧れの気持ちをもっていたのが「永世中立国・スイス」という国だった。「日本はこれからスイスのような国になるべきだ」という声を頻繁に聞いたような記憶がある。
スイスは欧州を舞台にした第一次・第二次世界大戦でも中立を護持したのですが、BBCの記事によると、ウクライナ戦争のおかげで多くのスイス国民が自分たちが長年守ってきた姿勢について考え直し始めている(many Swiss are rethinking their long-established position)とのことであります。 |
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起源はナポレオン戦争
「中立国・スイス」の歴史を手短に振り返っておくと、18世紀の終わりから19世紀初めにかけてヨーロッパを舞台に戦われたナポレオン戦争(1799~1815)の戦後処理のために「ウィーン会議」(Congress of Vienna)という国際会議が開かれたのですが、スイスはその会議の結果として「永世中立」(eternal neutrality)という立場を与えられた。当時のヨーロッパ大陸は一方にフランス、もう一方にオーストリアとプロイセン王国(18世紀初めから20世紀初めまで、現在のドイツ北部からポーランド西部を領土として存在した王国)が激しく勢力争いを繰り広げていたのですが、その中にあったスイスは「害のないクッション:harmless
buffer」のような国と見なされていた。「毒にも薬にもならない存在」ということです。
「中立」に感謝する
第二次世界大戦(1939年~1941年)においてもスイスは「中立」を守ったのですが、それは平和を求める「理想主義」というよりも「国としての生き残り策」として追求されたものだった。一方で健全な男性を総動員して国境を自衛するという行動をとりながら、もう一方ではナチが略奪した金塊をスイスの銀行が預かったりするなど、ドイツを助けるような政策を採用した。またスイスは、ドイツから流出したユダヤ人難民を追い返したりもしたこともある(この件については1990年代になって謝罪している)。
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とはいうものの、中立のおかげでスイスは大きな戦争に巻き込まれずに済んだのであり、スイス人ジャーナリストであるマルカス・ハフリガー(Markus
Haefliger)がBBCに語るところによると、「中立」に対する「感謝の気持ち」(gratitude)は、スイス人の身体にしみ込んでしまっているというわけです。スイス国民を対象にした世論調査でも「中立であること」は何十年もの間、90%以上の支持率を得てきている。
自問自答が始まっている
が、ウクライナ戦争の結果としてスイス人の間で「中立」に対する自問自答が始まっている(とハフリガー記者は言います)。
- ウクライナ戦争のようなものにおいて「中立」なんてことはあり得るのか?と問い始めている。どっちが「善」でどちらが「悪」かは誰の目にも明らかではないか。 They ask themselves how can you stay neutral in a war like Ukraine? It's so clear who is the good guy and who is the bad guy."
というわけです。 |
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ロシアのウクライナ侵略については、多くのスイス人が反戦デモに参加し、ウクライナ難民に自宅を開放している。またスイス政府も難民に対するビザ免除などの特例措置を提供したりする政策をとっている。特に若い世代のスイス人にとっては、ロシアの侵略行為を目の前にして何もしないということはあり得ないことだった。
リベラル民主主義
スイスはEU加盟国ではないけれど、最近ではEU加盟国との友好関係を促進するべく様々な政治活動が声を上げている。Operation Liberoもそんな組織の一つなのですが、リーダーであるサニヤ・アメティ(Sanija Ameti)は、ウクライナ戦争がスイスにとっても目覚まし時計のような役割を果たしたとしていると感じている。彼女は
- スイス人は自分たちが「リベラル民主主義のヨーロッパ・ファミリー」の一員であることを認識し始めています。この戦争は我々のような体制とロシアのような独裁体制の間の戦いである、ということです。Swiss
people are realising that they are part of this European family of liberal
democracies. This is a fight between systems, the one that we are in, and
the autocratic, kleptocratic system of [Russian President] Putin.
と言っている。 |
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スイスは今から約40年前に行われた南アのアパルトヘイト政策に反対する国際的な制裁運動に参加しなかったことで知られており、多くのスイス人にとって未だに悔んでいる。ただ国際的な制裁についてはスイスもこれまでに何度も参加してきているという声もある。チューリッヒ大学のステファニー・ウォルター教授によると、1990年代の国連による対イラク制裁、対ユーゴスラビア制裁などには参加しているし、現在でも23件にのぼる制裁に参加している。
参戦国への武器輸出禁止
ウォルター教授によると、スイス人が拒否反応を示すのは軍事活動への参加である、と。スイスの中立は法的には1907年のハーグ会議において定義されている。スイスは国内法で戦争中の国家に対する武器の輸出は禁止されており、これは最近になって厳しさを増しているのだそうです。
最近ドイツ政府が、ドイツ製戦車の対ウクライナ輸出に関連してスイス政府に意向を尋ねたところ、答えは「ノー」だった。実は戦車にはスイス製の弾薬(ammunition)が使用されていたのです。このスイス政府の態度には、中道政党のDie Mitteのリーダーがツイッターで「ヨーロッパの民主主義を守るために武器を送るのは違法とは言えない」(it would be legitimate to send weapons in the defence of European democracy)という意見を表明したりしている。 |
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中立論を守る勢力も
政治の世界を見ると、昔ながらの中立厳守の姿勢が死んでしまっているわけではない。主要政党である右派のスイス国民党(Swiss People's Party)は如何なる制裁も違法とする法案を提出しようとしているし、社会民主党(the Social Democrats)や緑の党(the Greens)らの左派勢力はいかなる意味でも軍事的な介入には反対の姿勢を崩していない。
BBCによると、ウクライナ戦争を機にスイスの世論も変化しているのかもしれない。例えば最近のスイスではNATOとの関係の緊密化を推す声も出ているくらいで、そのような世論は数か月前には考えられない(unimaginable)ことだった。
新しい安全保障機関:Pesco
が、BBCによると、最近では多くのスイス国民が新しい自国のアイデンティティを模索し始めているし、新しい安全保障のあり方についての議論も盛んになっている。最近の世論調査によると、3分の2を超えるスイス人がNATO加盟に反対しているけれど、52%がヨーロッパにおける何らかの防衛グループへの参加を望んでいるという数字も出ている。
この「防衛グループ」はPesco (permanent structured military co-operation:永続的軍事協力)と呼ばれ、共通の安全保障・防衛政策を有するヨーロッパの国々を参加させようというもので、最終的には「共通ヨーロッパ陸軍」(a
common European army)の創設まで視野に入れている。このような組織に「中立・スイス」を参加させるなどということは、かつてならあり得ない話しであったはず。それがウクライナ戦争によって事情が全く変わってしまった。 |
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昔の「中立」は通用しない…?
対ヨーロッパ接近の運動を進めるサニヤ・アメティは「スイスにもヨーロッパのリベラル民主主義を守る義務がある」として
- 我々の制度を武器を使ってまでも守らなければならないのかということを議論する必要がある。その結果によっては中立も捨てなければならないだろう。We really need a debate about whether we have to protect our system with weapons. The consequence would mean not being neutral anymore.
と言っている。ウォルター教授はまだそこまでは行っていないけれど「スイスは中立ということの意味を新しく定義しなおす必要はある(Switzerland
has to define neutrality anew)」とは言っている。そしてジャーナリストのハフリガーは「分断の時代におけるスイス」について「スイスは、その価値観、経済体制、伝統などありとあらゆる面からして西側の一部だ」としながらも、
- 問題は、現代の新しい世界秩序の中において、スイスは昔ながらの「中立」を維持することなどできるのだろうか?ということだ。 The big question is, can we be neutral in the traditional sense in this new world order?
と言っている。 |
▼スイスの中立政策については長い長い歴史もあり、それだけに絞ったエッセイを紹介する必要があると思います。で、ネットを当たってみたところ、スイス防衛省と同外務省が共同制作した英文パンフレットのようなものがありました。タイトルは
"SWISS NEUTRALITY"(スイスの中立政策)となっており、英文であることからしておそらく外国人に分かりやすく説明したものなのでしょう。
▼イントロに「中立の要素」(ELEMENTS OF NEUTRALITY)という短い文章があるのですが、これがむささびのような素人には面白い。そもそも
“neutral” という言葉はラテン語の “ne uter” から来ているのですが、それが意味するのは "neither one
nor the other"(一方でもなければもう一方でもない)ということです。なるほど、「どっちでもない」のであって「どちらでもある」ではない、と。で、もう少し踏み込むと、次のように書いてある。
- A power is neutral when it does not take sides in a war. Switzerland’s neutrality is selfdetermined, permanent and armed.
▼最後のarmedという言葉に下線を入れたのはむささびです。「ある国が中立であるためには、戦争があるときにもどちらかの側についてはならない」としたうえでスイスの中立に関しては「自決権に基づき、永久のものであり、武力保持を伴うものだ」と言っている。そう、非武装ではないということです。むささびの記憶に過ぎないけれど、終戦直後の日本人がスイスに憧れた理由の一つが「非武装中立」ということだったのでは?ウクライナに対して当初のロシアが要求したのも「非武装中立」だった。 |
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4)「長期主義」が語る人類の20万年
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上に掲載した点(ドット)の堆積のような図は人間の集合体をグラフ化したもので、点1個は人間1000万人を表しており、7,950,000,000(79億5000万)は現在の世界の総人口です…などと言われても「だから何なのさ」と答えるしかないですよね。(も、申し訳ない、お忙しい皆さまはこのあたりでお引き取り頂いて)この図はむささびが好んで見る "Our World in Data" というサイトに出ていた、あるグラフの一部を切り抜いたものです。このサイトは世の中の様々な現象をデータ化して、グラフで示そうというもので、主宰者はオックスフォード大学のマックス・ローザー(Max Roser)という研究員です。3月15日付の同サイトに次のような見出しの記事が出ています。
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マックス・ローザー |
長期主義って何?
むささびが「長期主義」(longtermism)という言葉にお目にかかるのはこれが初めてなのですが、読んで字のごとく、物事を長い目で見るという意味らしい。ネット辞書によると<人間の未来について前向きな姿勢で考えることが、現代の人間にとって「道徳的な優先事項」(moral priority of our time)であるとする姿勢>のことを言うようです。
3月15日付のサイトに出ている記事は、ローザー氏自身が書いたもので、人類が地球上に生まれてからこれまで、どのように過ごし、これからどのような運命を辿るのか?ということを「人口統計学」(demography)の観点から語っている。記事のイントロは次のように書かれている。
- 人間が大規模な災害・惨事を避けることができるとすると、我々はいま人間の歴史のごく初期の段階にいると言える If we manage to avoid a large catastrophe, we are living at the early beginnings of human history
人間は昔から様々な危険にさらされながら生きてきている。自然災害もあるし、戦争のように人間が人間を滅ぼしかねないような「惨事」もある。が、人類が非常に規模の大きな災害や惨事を避けることが出来れば、人間の歴史というものは、今始まったばかりで、これから先、長い間続くことになるだろう、というわけです。ローザー氏が紹介しようとしているのは、トシコ・カネダ(Toshiko
Kaneda)とカール・ホウブ(Carl Haub)という名前の人口統計学者(demographers)が考える「長期主義的人口論」とでも呼ぶべきものです。
人類の過去と現在
この二人の人口統計学者が唱える「人類の過去と現在」をローザー氏がグラフ化したものが、下に掲載する砂時計のような図です。 |
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ここでは人類は砂の堆積として表現されている。AとBという文字の背景は、砂が積もった状態です。空白部分には「点」(→で示されている)が落下している様子が伺える。これらの「点」は「砂」の一粒であり、AとBの部分に積もっていくのですが、Aの部分の底には小さな穴があり、そこから砂がBエリアに向かって落下していく。エリアAは、我々がいま生きている現代であり、エリアBは人間がこれまで生きてきた時代(すなわち「過去」)を表している。
1粒=1000万人
この砂の1粒は人間1000万人を表しており、エリアAには795粒の砂が積もっている。人間の数に直すと79億5000万(795X1000万)で、現在の世界の総人口です。むささびも皆さまも、この795粒の中にいるのですが、底の部分に小さな穴があいていますよね。それは亡くなった人間が下へ落ちていくための出口です。世界の毎年の死者数はざっと6000万なのだそうで、毎年6粒の砂がエリアAの穴からエリアBに向かって落ちいていく。
ただ(当たり前ですが)この世の中には死んでいく人もいれば、生まれてくる人もいる。世界中の人間の誕生数は毎年約1億4000万だそうです。つまりこの砂時計でいうと、毎年14粒の砂がAの部分に積もっていくということです。砂時計の底の部分(B)に堆積している砂(10,900粒)は、これまでに地球上に生まれ死んでいった1090億人を表しているわけです。 |
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人類の20万年
そもそも「種:species」 としての人間が地球上に登場したのは今から何年ほど前のことなのか?これを明確に知ることはできないのだそうです。何故なら人類の誕生そのものが、「猿→人間」というように種から種への移り変わりの過程で起こったことなのだから。で、トシコ・カネダとカール・ホウブという二人の人口統計学者は、いろいろな情報を総合した結果として、人間の誕生を今から20万年前と仮定したのだそうです。その結果、これまでにこの世に生まれて死んでいった人間の数はざっと1090億人なのだそうです。砂時計の底の部分(B)に堆積している砂(10,900粒)の出どころです。 |
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で、2022年の今、地球上にはざっと79億5000万の人間が生きている…ということは(繰り返しになるけれど)過去20万年で約1170億5000万(79億5000万+1090億)の人間が生まれたということになる。現在の世界の総人口である79億5000万は、これまで地球上に存在したすべての人間のざっと7%弱ということになる。と、このようにとてつもなく大きな数字を並べられても何だか分からないのでは?というわけで、マックス・ローザーが苦心の末に思いついたのが、最初にお見せした砂時計のようなグラフであるというわけです。これが表しているのは「時の経過」ではなくて「人間の誕生と死去の経過」とでも言うべきものである、と。
で、将来は?という話題に入るのは(今回は)止めておきます。やたらと大きな数字ばかり並んでしまい、何が何やらさっぱり分からないからです。長期主義者が語る人類の将来については次号で紹介させてもらいます。 |
▼過去20万年間で、1090億の人間が死んでいる…という話に接すると、人間にとって「数字」って何なの?と思いたくなる。フランス革命が起こった1789年は、2022年から数えると233年前。確かに20万年という数字を考えると「ごく最近」ですよね。現在世界で生きている人間の数はざっと80億人ですが、これまでの20万年でその10倍を超える人間が、この世に生まれ、消えている。ではこれから20万年後の世界の総人口はどのくらいなのか?なんてことを考えてもアタマがおかしくならない人がうらまやしいよね!申し訳ないけれど、次号でそれを説明させてもらいます。 |
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5)どうでも英和辞書
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A-Zの総合索引はこちら |
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OTAN:オータン!?
上の飲料缶の写真、最近のAP通信のサイトに出ていたものです。おなかに "OTAN" とあり、写真の出どころは「ヘルシンキ」となっている。記事を読んでみたら、Olaf Brewingというフィンランドのビール・メーカーが最近売り出したビールのブランド名なのだそうです。スウェーデンとフィンランドが北大西洋条約機構に加盟することになったことを「記念」?して売り出したものです。そうか、"OTAN" をひっくり返すと "NATO" になるか。ただ、このブランド名の由来は、むささびが思いつくほど単純なものではないのだそうです。 |
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まずフィンランド語で「ビールを飲もう」というのは “Otan olutta” というのだそうですね。さらに "North Atlantic Treaty Organization" は英語で略すと "NATO" ですが、もう一つの公式言語であるフランス語で略すと "OTAN" となる。
"OTAN" は「ラガー」系統のビールで、メーカーによると「安心と自由の味」(a taste of security with
a hint of freedom)がするとのことです。 |
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6)むささびの鳴き声
▼前に書いたことの繰り返しになるけれど、「国際社会」という言葉が気になるのですよ、むささびは。「国際社会が一致団結して・・・」とか「そのような暴挙は国際社会が許さない」とか言ったりする。この言葉は英語の
"international community" の日本語訳ですよね。普通 "community"
という英語には「共同体」という日本語があてられるはずなのに、何故か「国際共同体」といわない。「社会」という日本語には "society"
という英語がある。「国際社会」という日本語を "international society" と英訳したら入学・入社試験ではバツを貰うのだろうか?逆に
"international community" を「国際共同体」と和訳したら落とされてしまうのだろうか?
▼その昔、英国にマーガレット・サッチャーという首相(1979~1990)がいた。彼女は在任中にいろいろと話題になる言葉を残している。その一つに
"There is no such thing as society"(この世に社会なんてものはない)というのがあった。老人介護の問題をめぐってある雑誌とのインタビューの中で言った言葉で「自分の老後のことは自分で考えなさい。社会をあてにしてはいけない」という趣旨のことを述べたつもりなのに、「国民のことを考えない独裁者の言いそうなことだ」とメディアにさんざ叩かれた。
▼老人介護について彼女は "Community Care" という政策を進めており、「老人の面倒を見るのは政府ではなくコミュニティの責任だ」と主張していた。この場合の「コミュニティ」とは家族とかお隣さんのような具体的な人々のことを指していた。サッチャーさんは「社会(society)」という言葉を「インテリの作りだした抽象的な概念」として嫌っていた。「この世に社会なんてない」というのは「自分たちのことは自分たちで面倒を見なさい。社会(政府)などに頼ってはいけない」という意味であったらしい。
▼同じく英国首相(1997~2007)であったトニー・ブレアという人は、サッチャーさん以上に「コミュニティ」という言葉を口にした。彼の場合は「お隣さん」どころか世界全体を「コミュニティ」と考えていた。1999年にシカゴで演説したときに「国際共同体論(doctrine of international community)」なるものを持ち出した。それによると「ある国の内部で大量虐殺のような人権蹂躙が行われている場合、そこへ軍隊を送り込んででもこれを止めさせるのが国際共同体の責任だ」ということになる。「何故なら人権蹂躙の結果として(例えば)難民が流出して近隣諸国にも影響を与えるからだ」というのがブレアの主張だった。
▼むささび自身の定義によると「社会」(society)はさまざまな考え方や価値観を持った沢山の人間が集った押し合いへしあい状態のことをいい、「共同体」(community)は同じような価値観とか理想などを共有する人々や国が集った状態のことを言う。だとすると、ブレア首相のいわゆる
"international community" の中に北朝鮮は入っているのだろうか?シリアは?ミャンマーは?いずれも現状のままでは入れてもらえないだろう。おそらく第二次世界大戦前の日本もダメだろう。イラクに兵隊を派遣しなかったフランスは?ドイツは?中国は?ロシアは?
▼このように見ていくとこの世界には "international society" はあるにしても、"international community" は「あったらいいのに」というものではあっても、実際には存在しないということになる。今の世の中であえて「それらしきもの」を挙げるとすればニューヨークの国連しかない。その組織の事務総長という人が「米英軍のイラク攻撃は国連憲章違反だ」と言い切ったりしていたのである。
▼2003年、米軍がバグダッドに攻め込んでフセイン大統領の像を引きずり倒した時、米軍兵士が星条旗を掲げようとしたシーンを鮮明に覚えている。あのアメリカ兵やブッシュ大統領(当時)にとって、イラク戦争は9・11テロに対する「復讐」であって「国際社会」などというもののための戦いではなかったということだ。
▼ついでに言っておくと、ウクライナへの侵略を続けるプーチンの場合、そもそもアタマの中に「国際社会」などというものが存在しているとは思えない。あるのは、かつては存在した「ソビエト社会主義連邦共和国」の中心地であったロシア、あるいはそれ以前の「帝国」としてのロシアだけなのでは?あの当時の「ソ連」はコミュニティという意味での「国際社会」であったのか?あったとすれば、あそこまで見事に「解体」などしなかったのでは?
▼というわけで、私が入社・入学試験の試験官なら「国際社会」を "international society" と英訳した人には「現実を素直にに反映している」という意味で○を、"international
community" という答には?(×ではない)を与えるだろう。さらにinternational communityの日本語訳は「国際共同体」の方がふさわしい。どこか「不自然」なのがいい。
▼長々と失礼しました! |
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