上の写真には説明が必要です。撮影されたのは1961年1月14日、ほぼきっかり62年前です。場所は西ウェールズのペンブロークシャー(Pembrokeshire)という県にあるCwm
Gwaun(トゥムトワインと発音)という村(現在の人口は約300人)の子供たちです。彼らは歌を歌いながら村の家々を回って贈り物を受け取っている。この村の人びとにとって1月14日は新年なのだそうです。この村を例外として、1752年の暦の改革以来、英国(および全世界)が現在使っているのはグレゴリアン・カレンダーと呼ばれる暦なのですが、それ以前はジュリアン・カレンダーという暦を使っていたのだそうです。その暦によると1月14日が新年であり、何故かCwm
Gwaun村はそれに拘っている。ちなみに「新年」のことはウェールズ語で Hen Galanというのだそうです。 |
目次
1)スライドショー:世界の「からっぽ」
2)2023年、「世界は左へ進む」か?
3)「数学はもうウンザリだ」
4)再掲載:詰め込み教育を推進?
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
7)俳句
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1)スライドショー:世界の「からっぽ」
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BBCのサイトには、読者(視聴者)からの投稿による写真の展覧会のような試みが頻繁に掲載されます。必ずしもプロの写真家だけではないけれど、世界中の人びとが応募してくるので見ていて楽しい。昨年(2022年)10月のサイトに出ていたのは
"empty spaces" というテーマによる写真だった。「空っぽ」「何もない」「静か」「寂しい」 etc 様々な景色が並んでいます。「何もない」ということも結構面白い風景なのだ、と思いました。このスライドショーで使われているのは、宗次郎のオカリナの音色(オカリーナの森から)です。これがまた「空っぽ」にはよく似合う。 |
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2)2023年、「世界は左へ進む」か?
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1月1日付のThe Economistが2023年の国際政治について語っているのですが、
- Politics will move further to the left in 2023. But there is little appetite
for radical change 政治はさらに左へ進む傾向にあるが、かといって激しい変化が望まれている様子はない
とのことであります。かなり長い記事なのですが、なるべく短くまとめて紹介してみます。 |
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第二次大戦直後(1945年)のヨーロッパでは、国際経済の新しいシステムを確立するためには国家が指導力を発揮するべきだとする考え方が主流となっていた。「福祉国家」「平和な欧州」という発想です。それが約30年後の1980年代に入ると、それまでのような国家と産業界の間の友好的な関係に代わって、市場経済とか民間企業中心という考え方(サッチャリズムやレーガノミクス)が主流を占めるようになった。あれから40年…2023年を特徴づけるのは、「低金利の時代の終わり」、「エネルギー価格の高騰とインフレの到来」、「ヨーロッパにおける戦争の進行」などの現象ですが、The
Economistによると、これらに加えて人類が経験していないものとして「コロナ禍」と「国際社会からの中国の引きこもり」がある。 |
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銀行・ハイテク・大企業の評判
これらの現象が先進国における「一般傾向」と言えるけれど、政治的な方向性としては「左寄り」(you might expect politics to move left)という傾向が見られるだろう、と。ドイツのエルマウ城で開催された2022年のG7サミットの顔ぶれを見てもカナダ、フランス、ドイツ、イタリアの4カ国は明らかに「中道左派」政権の代表であると言えた。日本の岸田首相が「中道左派」と言えるかどうかは分からないが、彼は外交的には「ハト派」であると言っている。実際にはドイツにおけるG7首脳会議後にイタリアでは政権が右寄りに変わっているけれど、全体の傾向としては「左寄り」が主流であると言えた。それより約10年前の2010年、米大統領がバラク・オバマであった頃に開かれたG7サミットの顔ぶれは、オバマ以外はどれも「右寄りもしくは中道右派」と言われる人物だった。 |
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The Economistの記事は、先進国における世論の方向を示す例として、アメリカのPew Researchが行った世論調査を挙げています。例えば「銀行はアメリカ経済にいい影響を与えている」と考えるアメリカ人は2019年には49%であったのに3年後の2022年には40%へと落ちているし、ハイテク企業、大企業に対する信頼感も落ちている。1980年代に盛んだった民間企業や自由主義経済に対する信頼感がウソのように感じる。 |
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民間企業に対する疑念はアメリカのみならず英国、フランス、ドイツなどにおける世論調査にも見て取れる。これら先進国では経済の徹底的なオーバーホールが必要という点では意見が一致している。そして経済システムの見直しを主張する人間たちはいずれも自分が「左翼」に属すると感じている。彼らは現在の政府や企業が気候変動の問題について十分に取り組んでいないと主張している。Pew Researchが19か国で行った世論調査でも経済よりも気候問題への取り組みを求める意見が強い。 |
気候変動についての憂慮
Pew Researchが12か国の国民を対象に行った「気候変動」に関する世論調査で、
これが自国にとって憂慮すべき問題となっている、と回答した人びとの割合。
韓国を例外として、いずれも過去約10年間で増えているのが分かる。
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The Economistは、2023年という年が人類にとって何らかのターニングポイント(曲がり角)になるかもしれないと言います。世の中のちょっとした変化(メディアにも全く注目されないような変化)がやがては幅の広い変化となって現れるという可能性があるということです。例えば人類の人口に占める労働人口の割合は明らかに高まりつつある。労働人口が全人口占める割合は幼児あるいは高齢者をはるかに上回っており、そのことが国際経済に「人口統計上の配当」(demographic dividend)のようなものを与えている。それが利子や賃金に対して下向きの影響を与え、賃金の不平等、急速な経済成長、大企業の株価の値上がりなどに繋がっている。しかしこのような傾向は変化することもある。世界の人口に占める労働年齢者の人口は、実は過去10年間にわたって下落しているし、利子は値上がりを始めているし、スタンダード・アンド・プアーズ500種指数(S&P 500 companies)の株価は値下がりしている。
政党の「やる気」は?
ただ、これら諸々の現象が民主主義政治の方向を変えてしまうのかどうかは別の問題である、とThe Economistは言います。そのようなことが起こるためには、大衆の意見または経済的な方向転換だけでは不十分だということ。過去において起こった「ターニングポイント」は、単に政党が新しい思想を採用したことだけが原因で起こったのではない。それが起こったのは、政党が理論の実践を目指した妥協を行ったからということもある。現在の民主主義国における政党がそのような妥協を実施するだけの必要性・意思・力などを有しているのかが、はっきりしない。 |
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1980年代においては英国のサッチャー、アメリカのレーガンという政治家が圧倒的な勝利を収めた。しかしあのような一方的な勝利というものは稀である、とThe Economistは指摘します。1980年から1996年までの16年間において、アメリカ大統領選挙の勝利者は得票数の点で相手をほぼ10ポイントも引き離していた。では2000~2020年はどうか?票差はわずか2.6ポイントにすぎない。ようやく大統領になったバイデンは党分裂という重荷も背負ってしまっているというわけです。
マクロンは勝ったけど…
英国はどうか?1945から1960年までの15年間における選挙では、政権政党が投票総数の48%の票を獲得していた。が、2010年以後の選挙(何回?)における得票数は全体の40%にすぎない。有権者の投票率は、どの先進国でも急速に下がっている。政党も一つの大きくて人気のある政策を作り出すのは難しい。仮にそのようなものが見つかったとしても長続きするかどうかは分からない。 |
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2022年4月に行われたフランスの大統領選挙ではマクロン現大統領がマリーヌ・ルペン候補を59対41という大差で破ったけれど、大統領選の2か月後に行われた国会議員選挙においては、マクロンの政党は多数議席を失い、ルペンの党は他のどの政党よりも獲得議席を増やした。結果としてマクロンもバイデンも分裂政府によって弱体化してしまったのだ。
政治が「運動」にならないのは?
1960年代において政党は大衆運動と同様に多数の人間が参加して行われたものだ。いまは違う。英国を見よ。下院においては、6つの政党(北アイルランド関連の政党以外)を併せた党員数は84万6000人しかいない。愛鳥協会の会員数にも及ばないのだ。さらに有権者は気まぐれで、誰も自分の希望の実現を政党に託そうなどとは思わない。米バンダービルト大学(テネシー州)のロバート・タリス教授は現代アメリカの政治について次のように語っている。
- いまのアメリカ人にとって政治的傾向とはライフスタイルの一部になってしまっている。かつてのような政府に対する要求のようなものではなくなっている。Our partisan allegiances have become lifestyles, rather than principled views about what the government should be doing.
つまり政党自体が狭い利益集団の意見表明の場となっており、かつてのように幅広い層を基にする社会運動のようなものではなくなってしまっている。数多くの党員もおらず選挙結果も極めて小差であるとなると、どの先進国においても政党は数少ない自分たちの支持者を満足させることに力を注ぐことになる。リスクは負わない。それは政治に新しい方向性を求めようとする人間にとっては、好ましいことではないかもしれない。というわけで、The Economistの記事は次のような言葉で結ばれています。
- より幅の広い変革への欲求は存在するかもしれないが、政権政党も野党も勇気をもってそれらを採用しようなどとは思わないというのが現実であると言える。 There
may be an appetite for broader change, but governments and hopeful oppositions
will be cautious of taking advantage of it.
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▼年齢のことを持ち出すのは愉快ではないけれど、「1960年代において政党は大衆運動と同様に多数の人間が参加して行われたものだ」というのは当たっているとしか言いようがない。1960年、日本では安保闘争があり、東西冷戦があり、1963年にはアメリカでジョン・F・ケネディが暗殺されている。現在では政治が「狭い利益集団の意見対立の場」となってしまっている…と。
▼The Economistは「世の中左へ流れる」ようなことを言っているけれど、1月14日付の毎日新聞のサイトではラサール石井さんが<いつの間にか世の中が「右」に寄っていって…>と嘆いているようです。 |
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3)「数学はもうウンザリだ」
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1月4日、英国のリシ・スナク首相が国民向けにテレビ演説を行いました。首相官邸からの中継で約30分、自分が重要と考える政策について分かりやすく話をしたわけですが、特に経済政策に絡んで、英国における数学教育の充実を強調していた。その部分だけ演説のテキストをそのまま紹介すると次のようになる。ここをクリックすると演説の動画とテキストを見ることができます。
- 英国では、18才になるまで何らかの形で数学を勉強することを強制されることがない。さらに、16~19才の英国人の中で(どのような形であれ)数学を学んでいるのは全体の半分にすぎません。そのような国はそれほど多くはない。世界にはデータが溢れているし、どのような仕事をするにせよ統計が要求される。今の世の中に現在の英国の子供たちを投げ込むことは、彼らを溺れさせる行為にすぎません。英国はもっとやる必要があるのです。 We’re one of the few countries not to require our children to study some form of maths up to the age of 18. Right now, just half of all 16–19-year-olds study any maths at all. Yet in a world where data is everywhere and statistics underpin every job, letting our children out into that world without those skills, is letting our children down. So we need to go further.
要するに「英国ではもっと数学教育に力を入れなければダメだ」と言っているのですよね。首相のこの演説に文句を言っているのが、Guardianのコラムニスト、サイモン・ジェンキンズ(Simon
Jenkins)で、1月5日付のサイトで次のような見出しのエッセイを書いています。
- 数学に対する狂信(カルト)が英国の学校全体を洗脳してしまった。リシ・スナクもその犠牲者なのだ。 The cult of maths has brainwashed
our schools – and Rishi Sunak has fallen for it too
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この演説のある部分は前もってメディア関係者に知らされていたらしいのですが、ジェンキンズがまず問題にしているのは、リークするにしても何故この部分(数学教育)だったのか?ということです。国民保健、鉄道スト、インフレ、ウクライナ戦争 etc いろいろと重要な問題はあるだろうに、何故あえて「数学教育」の部分を漏らしたのか?何を考えているのか(What on earth went through his mind?)というわけです。
「統計学者の夢」?
ジェンキンズによると、数学に対する盲信的な姿勢には国境がない。どこの国でも「教育は数学に支配されている」と言ってもいいくらいで、それは中世における「ラテン語」のようなものなのだそうです。でもなぜ「数学」なのか?理由は簡単。数字の世界は「非常に簡単に測る(so easily measurable)ことができる」、「正しいか誤っているか(right or wrong)」がはっきりしている世界である、と。左翼が陥りがちな「偏見」もないし、右翼が弱い「イデオロギー」の臭いもない。世界中、どこへ行ってもやっていることは同じだから、比較も容易で「統計学者の夢」(statistician’s dream)のような世界である、と。 |
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リシ・スナクの前に短期間とはいえ首相であったリズ・トラスが教育大臣を務めていた2014年、上海を訪問して中国の数学教育を視察してきたことがある。彼女は中国におけるそれに大いに感銘を覚えて、中国の真似をして数学教育の充実を図らなければ英国は「経済的衰退」(economic decline)に直面する、と宣言した。その際にはスナクも彼女の意見に大いに賛成していた。
スナクにとって政治の世界の英雄といえばマーガレット・サッチャーであるけれど、彼女がスナクの言葉を聞いたら大いに顔をしかめていたに違いない(とジェンキンズは言います)。サッチャーは教育というものは専門家が行うものであり、政治家が口出しするような世界ではないと考えていた。サッチャーは、学校におけるカリキュラムや生徒や学生たちの成績に関してはケネス・ベーカーという教育担当大臣と大いに対立したけれど、結果的には彼女の負けで、サッチャーが首相の座を降りる頃には学校のカリキュラムの9割が教育省のスタッフによって中央集権的に管理されるようになっていた。 |
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教育の世界におけるそのような事態によって「カリキュラムを超えた教育:extracurricular education」というものが滅んでしまった。広場で遊ぶ子供たちの姿が極端に減ってしまい、両親も「子どもの就寝にあたっては少なくとも20分間は本を読んで聞かせること」を「命令」されたりしていた。ベーカーによる学校改革のことを専門家は「選挙を通じた独裁の時代:high point of elective dictatorship」と呼んだりしていた。
思慮のない学校のランク付けも盛んで、成績の優れた生徒は大いに賞賛を浴びていたけれど、このような騒ぎの中心になっていたのが数学だった。数学の教師にはボーナスまで支払われたし、中には数学の成績が良くない子供たちの学校を変更させようとするケースもあった。その子の存在によって学校全体のランクが下がってしまう…と。
米国は38位、英国は17位
子供が数字を扱うことができることを教わることに反対する人間はいないし、職業によっては、科学・言語・数字にまつわる特殊技術を必要とするものもある。しかし国家の経済的な生き残りが子どもや若者による複雑な知識に依存しているなどと考えるのはどうかしている。経済の点で世界で最も強力な国であるアメリカのOECD加盟国における数学のランク(2018年)は38位に過ぎなかった(英国は17位)。なのに科学技術の世界では英米が指導的な立場を占めている。同じテストにおいて中国は常に上位を占めている、にも関わらず中国の裕福な親たちは自分の子供たちを「リベラルな教育」で知られる欧米の学校で学ばせようとしている。 |
OECDの数学ランキング
2015年
INSIDER |
私(ジェンキンズ)の年代(1943年生まれ)の人間は16才まで数学を勉強することになっていた。複雑な代数(algebra)・三角法(trigonometry)・二次方程式(quadratic
equations)・微分(differential calculus)・対数(logarithms)等など…。世の中に出てから使ったことなど一度もないし、今では全部忘れてしまっている。それは私に限ったことではない。時間の無駄であったとさえ言える。その間に地理や歴史を教わることだって出来たはずなのだ。
カリキュラムの再検討を
数学というのは常に抽象的なものだ。私の子供たちは学校でコンピュータや電子計算機の使い方を教えられたわけではない。これらの機械は使うことを禁止されている。しかしそれは航海術を教える教室でコンパスを使うことが許されないのと同じことだ。有名な数学者の中には、数学はもっと毎日の生活に必要な部分に集中するべきだと言っている人たちも多い。
数学の重要性を強調するスナク首相だが、数学以外の英国(イングランド)の教育カリキュラムが持つ問題点を無視しているように見える。社会科(civics)、法学(law)、金銭問題(handling of money)などについては、もっと力を入れて教育するべきだ。さらに精神的・肉体的な健康問題、人間関係、児童ケア、グループとしての人間の理解(understanding of group identity)と政治行動の関係性などの検討も必要な話題だ。あるいは生きていく上でのさらに基礎的な技術(話術や自己表現)などもある。このような課題についての政府の取り組みはいつになったら行われるというのか?数学などとは比較にならないほど重要な人生のガイド(指針)を提供するものだろう。 |
数学で苦労している国(OECD2015)
18才~29才の中で数学の能力が低いと目される国民の割合
Statista
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ウィンチェスター校の試み
スナク首相は名門・ウィンチェスター校の出身ですが、その学校が昔から受け継いでいる伝統に “div” と呼ばれる活動がある。毎日1時間、教師と生徒が検討して選んだ話題について、生徒全員が参加してディスカッションを行うというもの。それによって効果的かつ紳士的に議論を行う習慣を身につけるということに狙いがある。自由主義的教育の基盤という意味では数学などよりもはるかに重要なものだ。
国のカリキュラムを考えるうえであまりにも数字的な結果にこだわり過ぎると、教育が機械的な学習と記憶術の取得に片寄り過ぎてしまう。この国のカリキュラムは作られてからほぼ40年が経つ。インターネットよりも長い歴史を持っているけれど、生徒のためというよりも国家のデータバンクの役に立つということで嘲りの対象になったりしている。スポーツ、芸術、創造的活動などが、国のカリキュラムのお陰で忘れ去られ、学校自体が試験で好成績をとるための工場のようになってしまっている。もし労働党に改革の気があるのなら、政権獲得以前にカリキュラム改革委員会を立ち上げるべきなのだ。 |
▼ジェンキンズが憂慮しているのは、学校自体が「アタマのいい子」の量産工場のようになってしまうことのようですが、ナショナル・トラストの会長をやったり、English Heritageという文化機関の副会長を務めたりして、いわば英国上流階級の見本のような存在ではある。ただGuardianという、どちらかというと左派的なメディアのコラムニストであるということは、英国人の信頼は厚いということでもある。 |
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4)再掲載:詰め込み教育を推進?
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今号ではスナク首相の教育論を紹介しました。ちょうど10年前の2013年1月13日にお送りしたむささびジャーナル258号に『詰め込み教育を推進?』という見出しの記事を掲載しています。デイビッド・キャメロンが首相だったときの教育大臣だったマイケル・ガブの「詰め込み教育も悪くない」論を紹介するものです。これを読んでいると、教育論議に関しては昔も今も「大して変わらないな」という気がしてきます。 |
「詰め込み」も悪くない?
マイケル・ガブ教育相(当時)
<むささびジャーナル258号より>
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テストを賛美する
キャメロン内閣の中で2010年の就任以来、誰でも学校を興せるFree School計画の推進を発表したり、これまでの公立学校における全国テストのやり方に文句をつけたりして、最も目立っていると同時に保守党内の保守派の拍手を浴びているのがマイケル・ガブ(Michael Gove)教育大臣です。この人が2012年11月に行った"In Praise of Tests"(テストを賛美する)というタイトルの演説が注目を浴びています。
- 事実を暗記して憶えることが子供の学校生活の中心であるべきだ。 Learning facts by rote should be a central
part of the school experience.
というわけです。 |
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英国の教育制度はしょっちゅう変わっているので、正直言って私(むささび)にもよく分からないのでありますが、5才から11才が「初等教育」、11才から16才までが「中等教育」でここまでが義務教育です。中等教育が終わるときに全国統一のGCSE(General Certificate of Secondary Education)という試験がある。中等教育修了資格試験というわけですが、この成績がよくないと大学進学が難しくなる。然るべき水準以上の点をとれたら、さらに2年間の中等教育を受け、2年後にA-levelのテストを受ける。これに受かると希望の大学へ進学できる。
やさしすぎるGCSE
で、マイケル・ガブ大臣がやり玉にあげているのが、このGCSEとA-levelです。易しすぎるというのです。大臣によると
- 難しい試験にすれば、生徒たちは準備のために大量の事実やコンセプトを暗記しなければ受からなくなる。それによって子供たちのやる気が引き出され、しっかりした知識が身に付き、教育水準が向上することは間違いない。
というわけですね。この演説における大臣発言のポイントと思われる部分をいくつかピックアップしてみます。
- 人間はチャレンジすることに生きがいを覚えるようにできている。自分にはできるはずがないと思っていた難関を克服することで自信が生まれる。
- 試験が難しいものであり、パスするためには一生懸命準備しなければならないということが分かっていると、克服不可能と思っていたハードルを超えるという体験によって、さらに努力してもっと深く学ぼうと思うようになるものだ。
- 暗記は理解のための必要前提条件だ。
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要するに「詰め込み教育を推進しよう」と言っているとしか思えないわけですが、大臣の「暗記がイチバン」という発想の根拠になっているのが、Daniel Willinghamというアメリカの心理学者が書いたWhy Don't Students Like School?(生徒はなぜ学校が好きでないのか!?)という本で、「子供の学びには暗記と繰り返し(memory and routine)がベスト」という考え方を科学的に証明しているとされている。
暗記教育の問題点
ガブ大臣のこの発想について英国教育学会(The Institute of Education)のカリキュラム研究局長は次のようにコメントしています。
- 暗記は教育、特に小学生教育においては重要な部分を占めている。掛け算の表(times table:日本でいう九九)を暗記するなどがそれにあたる。しかし中学レベルにおける暗記教育には問題がある。中学レベルの教育では常に事実の意味・状況・コンテキストを知る必要がある。それを知らないで暗記だけを強調すると生徒の学問は貧しいものになるだろう。
カリキュラム研究局長によると、例えば歴史上の出来事の年代、都市の名前、川の名前などをただ丸暗記するのは望ましいとは言えない。それらの「事実」が持つ社会的な意味とか時代背景などを知ることによって、それぞれの事実の大切さが分かり、より良く理解する(learn them better)ことに繋がるというわけです。
ウィリンガムも疑問視
実はガブ大臣の「暗記のすすめ」が発想の根拠としたとされる、アメリカ人心理学者のWillingham教授自身も、ガブ大臣の演説原稿を読んだうえで「事実についての知識は重要だ」としながらも「幅広い文脈の中で事実を理解する(understanding)のがベスト」として
- テストをあまりにも重視しすぎて、テストだけが生徒の進歩をはかる物差しのように思われてしまうと、学校が生徒に暗記だけを教えることを奨励するようになってしまう。
と言っています。 |
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教授によると、2001年のブッシュ政権のころに小中学生の教育水準(特に英語と数学)を向上させることを目的としてNo Child Left Behind
Act(どの子も置き去りにされない法)というのができたのですが、学校に対してそれまで以上にテストの回数を増やすことを義務付けたのだそうです。結果として生徒にいい成績をとらせるために事実だけをひたすら生徒のアタマに叩き込むという教師が出てくるようになった。犠牲になったのは自分のアタマで考える批判的思考(critical
thinking)で、本来ならcritical thinkingをやりながら憶えた方が効果的であるにもかかわらずこの部分が犠牲になってしまった。というわけで、Willingham教授は
- 批判的思考によるテストができたら素晴らしいと思いますよ。でもどうやってテストするのかを我々が知っているのでしょうか?実際には知らないのです。そうなるとテストと言えば事実をどのくらい知っているかというだけのものになってしまうのです。
と言っている。要するにアメリカでも同じようなことをやってきたけれど思ったような成果は上がっていないということのようで、Willingham教授は、ガブ大臣がアメリカと同じ失敗に終わるということを心配しています。 |
むささびジャーナル258号に載せたむささび個人のコメント |
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- 日本において最近の潮流となっている(ように見える)「ゆとり教育反対」論のような感じですね。この記事だけを読むと、ガブ大臣の「詰め込み教育」の促進もそれほどメチャクチャなものではないように聞こえます。小学生が身につける九九は暗記そのものです。コロンブスがアメリカ大陸を発見したのが1492年であることを「新大陸はイシノクニ(1492)」という憶え方で知っていることは、知らないよりはいい。外国語の習得だって基本的には暗記の世界ですよね。
- ガブ大臣は1967年生まれ、オックスフォード大学の出身なのですが、キャメロンのようにお金持ちの家庭に育った「イートン族」ではありません。どちらかというと普通の家庭に育ったけれど、やたらにアタマが良くてしかも勉強家というわけで奨学金を得て私立学校に通ったような人です。だから「出来の悪いやつ」というのが理解できないのかもしれないし、現在の公立学校における教育が出来の悪いレベルに合わせた「平等主義」のようなものがはびこっているように思えるのかもしれない。
- ただこの大臣(および彼を熱烈に支持する人たち)が「暗記教育」を云々するのは、英国の子供たちの教育レベルを外国と比較して「もっと学力を上げなければ競争に負ける」という思い込みがあるように思える。BBCとのインタビューでもガブ大臣は、外国(特にアジア諸国)との教育競争についていけるようにすることを強調しています。しかしThe Economistの発行元であるPearsonグループが最近まとめた世界の教育制度のランキングでも、英国はフィンランド、韓国、香港、日本、シンガポールに次いで第6位です。フィンランドを除けばヨーロッパでは一番です。それほどヤイヤイ言うほどの低レベルとは思えない。
- となると、大臣の暗記教育推進論も、アタマのいいジャーナリスト出身の政治家による教師・教育委員会いびりの一環にすぎないのではないかと思えてくる。英国人たちは本当に韓国や日本のような教育のあり方を見習いたいと思っているのか?BBCのサイトでも「教育大国・韓国」を示すものとして、親たちが道ばたにアタマをこすりつけるようにして子供が試験に受かるように祈っている様子を写真で紹介しています。英国の親たちは本当にあのような「教育熱」を望んでいるのか?私には疑問です。マーガレット・サッチャー以来、英国の教師たち(特に公立学校の教師たち)は常に政治家とメディアからの批判にさらされて来ています。が、世論調査をやると、常に教師は「信頼できる職業人」のベスト3に入る(メディアと政治家は常に最下位争い)のはなぜなのか?英国の教育についてはもっと知る必要があると思います。「教育論議」も含めて、フィンランドや韓国よりも、はるかに日本に多くのことを教えてくれるような気がします。
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5)どうでも英和辞書
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turtle:カメ |
「亀」を表す単語には "turtle"(タートル) と "tortoise"(トータスと発音)の二つがあるようです。もちろん単に言葉が違うだけではなく、この二つは見た目には「カメ」だけれど、実際には違う生き物であるらしい。米国のテネシー州にあるナッシュビル水族館のサイトに、この二つ生き物について次のような説明が出ています。
- One major key difference is that tortoises spend most of their time on
land and turtles are adapted for life spent in water.
つまり "tortoise" が陸上で生きるのに対して "turtle" は水中に生息するということ。日本語のサイトを見ると「タートルとトータスの違いは?」として
- Turtleは亀の総称であり、どちらかというとミズガメを意味します。 そしてTortoiseは、リクガメを表す単語でした。
と書いてある。トータスについては何故か「リクガメを表す単語でした」と過去形で書かれている。要するに日本人が言う「もしもしカメよ」の場合は、大体においてウミガメのことだと思っていれば間違いないのでは? |
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と、前置きがやたらと長くなってしまったけれど、1月8日付のBBCのサイトに "Dogs save tiny turtle from becoming gull's dinner" という見出しの記事が出ているということを言いたかっただけ…。ウェールズでの話なのですが、海岸を散歩していた2匹のワンちゃんが、小さなカメ(上の写真)が打ち上げられてカモメの餌になりそうだったのを救ったということ。現在はアングルシー(Anglesey)という場所にある水上動物園で英気を養っているのですが、予断を許さない状態だとのことです。名前はウェールズ語で「波」(wave)を意味するTonniだそうです。
ところでナッシュビルの水族館によると、5月23日が「世界カメの日(World Turtle Day)」なのだそうですね。知らなかった! |
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6)むささびの鳴き声
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▼ハリー王子の自伝(SPARE)についてThe Economistの書評欄(1月10日)は「下手なアドバイスによる悪ふざけ」(ill-advised
romp)であると言っています。書評によると、この本は「おふざけというより計算違い」(less like a lark than a terrible
miscalculation)と言った方がいいかもしれないとのこと。ハリー王子はいわば英国王室という「金箔で覆われた鳥籠」(gilded cage)に閉じ込められた小鳥のようなものであり、この本を書くことによって自由になれると考えてしまった…これが誤りで、彼を閉じ込めてきたのは王室ではなくて「聴衆・読者の眼」(eyes
of the audience)であることが分かっていなかった。いろいろなことを暴露記事風に書くことで、王子はますます自分を閉じ込めることになってしまった、と。 |
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▼最近のインターネット(SNS)には、やたらと老人向け住宅についての広告が目に付く。そこで気になってしまうのが、広告で使われる宣伝文の日本語です。例えば、あるSNSに掲載されていたベネッセという会社が経営している「リハビリホームグランダ南浦和」という「介護付有料老人ホーム」の広告で使われている次の文章:
- いつまでもご自分らしく、趣味を愉しむ暮らしを。ご入居者様、ご家族様のお気持ちに寄りそった「ご家族様との豊かな時間づくり」をお手伝いさせていただきます。
▼この文章はどんな人が書いて、どんな人がオーケーを出したのだろうか?例えば次のような文章を提案したらはねられてしまうのだろうか?
- いつまでも自分らしく、趣味を愉しむ暮らしを。入居者とご家族の気持ちに寄りそった「豊かな時間づくり」をお手伝いします。
▼という具合です。最初の文章の太字・下線入りの言葉を削っただけなのですが…。
▼日本語と言えば、ほぼ毎日行くあるスーパーの駐車場でも気になることが…。事情があって妻の美耶子は「障害者」のマークを付けて車を運転しており、そのスーパーでも障害者用の駐車場に車を止めている。と、必ず聞こえてくるのが「ここはお身体の不自由な方の駐車場です。健常者の皆さまは…」という録音アナウンスです。美耶子をとがめているわけではありません。単にスーパーの方針を伝えているだけです。
▼むささびが気になるのは「健常者」という言葉なのよね。なぜそれが気に入らないのか、「健常者」である自分にもよく分からない。この言葉を英語に直すと
"healthy and normal person" ということになる、かな?自分以外の人間に、自分が「正常かつ健康」と決めつけられることへの不愉快さ…かな?要するにこのスーパーの場合、単に「ここはお身体の不自由な方の駐車場です」でお終いにしておけばいいのですよね。不自由でない人間がどうすべきかなんてことはその人間たちが決めることなのだから。 |
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▼埼玉県の山奥にはもう梅の花が咲いています。早く春が来るといいですね。だらだら、失礼しました。お元気で! |
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