むささび自身は高所恐怖症(acrophobia)というものに襲われた経験がないけれど、上の写真を見ればおよその察しがつきますね。撮影されたのは1930年、ニューヨークのクライスラー・ビルの工事現場で休みをとっているところだそうです。ビルの高さは318m、当時は世界一高いビルだったのですが、11か月後にはエンパイヤ・ステート・ビル(443.2m)にその座を譲ったのだとか。現在の世界一はドバイにあるブルジュ・ハリファ(Burj
Khalifa)という建物で828mなんだとか。それにしても写真のおじさん、よくこんな場所で "taking break"(休憩)なんてできるもんですね! |
目次
1)スライドショー:ジャンプの意味
2)特別再掲載:『われら無期囚』
3)祖父母の時代がやって来た
4)中国の人口減を考える
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
7)俳句
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1)スライドショー:ジャンプの意味
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ラトビア生まれの写真家、フィリップ・ハルスマン(Philippe Halsman:1906~1979)は、世界のトップ写真家らが所属するMagnumというグループに属しているのですが、何と言っても変わっているのは、世界の有名人が飛び上がっている瞬間を写した写真を撮影しまくったこと。もともとLIFEの表紙を担当したりして、ポートレート写真が得意だったのですが、マリリン・モンロー、ソフィア・ローレンらに空中に飛び上がってもらい、その瞬間の表情を写した作品が有名だった。ジャンプ写真についてハルズマンは次のようなコメントを残しています。
- 引力に逆らい、力いっぱいジャンプすると、人間は自分の表情と顔と脚部の筋肉を同時にコントロールすることができなくなる。仮面が落ちて、本当の自分が見えてくるのだ。In a jump, the subject, in a sudden burst of energy, overcomes gravity. He cannot simultaneously control his expressions, his facial and his limb muscles. The mask falls. The real self becomes visible.
ハルスマンの場合、自分自身が子どものころからジャンプが大好きだったのですが、幼くして腸骨損傷(cracked iliac)なる症状のせいで、自分が跳ぶのはそれほど楽ではなくなってしまった。写真家として活躍した時代が半世紀以上も前の人だけに「被写体」の方も「むささび」が映画館を楽しんでいた人たちばかりです。ハルスマンの作品を集めた
"Jump Book" という本は売り切れていたりするのですね! |
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2)特別再掲載:『われら無期囚』
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今回の「再掲載」は、いつものような昔の「むささびジャーナル」に載せたものをもう一度使おうというものではありません。今から42年前の1971年、朝日新聞に掲載された記事の再掲載です。書いたのは昔も今も科学ジャーナリストである大熊由紀子さん。彼女は自分の知り合い(えにし)を対象にしたメールによる情報提供を行っているのですが、この記事もその関連で送ってもらったものです。
何はともあれお読み頂くのが一番なのですが、もう一つだけ。この1月12日に93才で老衰で亡くなった作家・加賀乙彦さんが関係しています。むささびは加賀さんの作品を読んだことはないのですが、この人は精神科のお医者さんだったのですね。 |
われら無期囚
<大熊由紀子>
個性的な死刑囚と個性が消えていく無期囚、そのわけは? |
小柄な囚人が、頭痛を訴えて医務室へやってきた。具合が悪いというのにひどくはしゃいでいた。
しきりにシャレをとばす。笑い声をあげる。笑いながら不意に涙をうかべる。奇妙な泣き笑い。
陰気な拘置所のなかで、かれのふるまいは、いかにも唐突だった。
「かれは何かを恐れ、同時に何かを楽しんでいました。その異常な心理は、新米精神科医として着任したばかりの私には、まったく了解できませんでした。」と小木真孝上智大教授は回想する。
「かれは死刑囚だったのです。その異様な心理に魅入られ、日本全国の拘置所の死刑囚をたずね回りました」 |
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面接した 44 人の死刑囚。その8割が、最初に医務室であった小柄な囚人とそっくりだった。かれらには、はちきれんばかりの感受性があった。何を見ても何を聞いても、かれらの心には、鮮明に、感動的に刻みこまれるようだった。
とにかく、せわしないのである。
ひと晩に 20句も 30句も俳句をひねり出す老人。難解な本をたて続けに読破する青年。すばやい筆の運びで絵をかきまくるにわか画家。あのバー・メッカ殺人事件の正田昭は、3年の間に、一人の女性に300通もの手紙を書いた。
一人一人が実に個性的に、ハツラツとしていた。かれらの生活は、一日一日が猛烈に濃縮されていた。
だが、無期囚たちは違う。
初めて無期囚たちに会った精神科医は、みんな奇妙な体験にとまどう。面接調査を終えて宿舎に戻ったとき、途方にくれてしまうのである。会ったばかりの囚人たちの印象が、たがいににじみあって、個人個人を区別し思い出すことができないのだ。
空色の囚人服が同じだからではない。無期囚たちの応対の仕方から、動作、話し方、表情までが、あまりにも似ていて、そこには個性のカケラもないからなのだ。 |
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小木教授は死刑囚と比較対照するため、千葉刑務所に何日も泊りこんで観察した。無期囚たちは、感動するということがなくなっていた。
芸術や人生哲学などと無縁であった。ヘイの外の世界にも興味を示さない。関心は看守のごきげんとか、今夜のメシは何だろうとか、そんな身辺のことに限られている。視野はせばめられ、単調な生活にもあきることがない。
刑務所の役人に対しては従順そのもので、卑屈でさえある。
囚人たちは毎朝一定の時間に起され、あわただしく洗面をすませ、毎日ほとんど同じものをたべ、隊列を組んで工場へと歩く。「自由時間」にスピーカーから流されるラジオ放送も、あらかじめ刑務所が選択したものだ。
かれらに関するすべてのデータは、ボール紙で表紙をつけた「身分帳」にとじこまれていく。過去、入所時の性格・心理・知能テストの結果、刑務所内での規則違反・・・・・・。
「身分帳」に貯えられた情報を、囚人をとりまく役人たちは自由に見ることができる。が、当の本人が自分の身分帳をみる機会は永遠にない。
がんじがらめの規律。四六時中の監視。そんな刑務所生活が、かれらの自発性、個性を奪ってしまうのだ。いわゆるブリゾニゼーション(刑務所ボケ)である。
刑務所に入れられた囚人たちは、初めささやかな“反逆”を試みる。スリはせっけんを失敬し、殺人犯は、ほかの囚人とけんかしてケガをさせる。―みごとに個性を発揮するのだ。 |
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しかし、4 年も経つと“個性”は急速に薄れてゆく。
時間がすべての個性を洗い流し、飲みこんでゆく。10 年も経つと―“反逆”も個性もまったく消える。
死刑囚と無期囚。どちらも大半が殺人犯だ。教育、遺伝、経歴に、違いはない。とすれば、この 2 種類の囚人たちの心の違いは、素質的な差によるものではないといえるだろう。
死刑囚を変えたのは、確実にやってくる「死」であった。
南方の島で玉砕した日本兵たちは、前夜飲みあかし、ゲラゲラ笑い、泣き、実に多感だった、と生残り兵はいう。がんを宣告された学者や作家、そして死刑囚にも、傑作を残す人が少なくない。「死」に向いあうと人間の精神生活はひどく濃密になる。
一方、無期囚には「死」へのせっぱつまった恐れはない。そのかわり、自由のない単調な「生」が続く。そして、すばらしい作品を残した無期囚の話はあまり聞かない。
では、ヘイの外のわれわれは?
毎日、ラッシュアワーを出勤する。勤務先では、看守ならぬ上役の、最近とみに精細をきわめてきた管理の目にさらされる。自分に関するデータは、囚人番号に似た社員番号とともに、コンピューターという名のスマートな「身分帳」に記録される。仲間で酒を飲んでの話題といえば、無期囚同様、上役の悪口、社内人事・・・・・・。
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「無期囚らしさを身につけたとき、囚人は模範囚と名づけられるんです。模範囚と模範社員とは似ていると思いませんか」
作家である小木教授は、ペン・ネームの加賀乙彦の顔になってニヤッと笑った。
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▼記事のイントロの部分で、「死刑囚は個性的で生き生きしているのに無期囚は無個性」と言われている。何故?というわけですが、死刑囚の「生き生き」ぶりは、自ら招いた「強制的な死」という運命に直面した人間が「仕方なしに生き生き」している姿でもある(とむささびなどは推測する)。
▼無期囚=模範囚=模範社員…か。無期囚としての生活を「死刑にならずに済んだ」としてほっとするのか、「一生刑務所で過ごす」と考えて絶望的になるのか?などということを考えるむささびにとって、無期囚の絶望感は「他人事」なのかもしれない。
▼ウィキペディアによると、加賀乙彦という人は死刑廃止論者と「見られている」となっており、弁護士に依頼されオウムの麻原彰晃に接見した際も「訴訟能力はなく治療すべきである」と結論づけたのだそうです。その加賀さんを若きジャーナリストとして取材した大熊さんは、亡くなった加賀さん(小木真孝教授)の墓碑銘に『われら無期囚』の記事(『心のプリズム』に掲載)をアップしたのだそうです。 |
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3)祖父母の時代がやって来た
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1月16日付のThe Economistが "The glory of grandparents"(祖父母であることの栄光)という、ちょっと変わった見出しの社説を掲載しています。内容は現代社会における祖父母という存在を語ろうというものです。考えてみると、自分自身も含めて祖父とか祖母という存在は余りに本気に考えられたことがなかったのでは? |
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同誌の調べによると、現在の世界における祖父母(grandparents)の数は15億人で、1960年に比べると3倍なのだそうです。さらに1960年の数字を挙げると、あの頃は「祖父母」の数が15歳以下の子どもの数に対して0.46だったのに今では0.8にまで上昇している。ほぼ倍増です。若年層に対して高齢者の数が増えているというわけですが、そのことの重要性は次のように説明されている。
- 祖父母は若年世代に対して知識や伝統を伝承し、家族と過去との絆を保つことに貢献している。さらに重要なのは、父母の世代が子どもたちを育てる際に祖父母は助けとなっていること。特に母親が家庭の外で仕事に就く自由を堅持することに役立っている。 This matters because grandparents pass on knowledge and traditions and maintain a family’s links with the past. More vitally, they help bring up children, and free mothers to work outside the home.
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祖父母が自分の子どもたちの面倒をみることについては、ほとんどの父母が納得している。他人の手を借りるよりはるかに安心できるというわけだ。祖父母は孫を愛する者であり、特に金銭を絡ませることなく面倒を見てもらえる。ある統計によると、メキシコでは6歳以下の子どものほぼ4割が祖母によって育てられている。アメリカでは児童の半数が何らかの形で祖父母と一緒に生活している。
いろいろな調査によると、子守役をしてくれる祖母のいる母親は、収入が高いという数字が出ている。祖母が亡くなったときに何が起こるか?メキシコでは仕事を持つ母親で、子守役を祖母に託していた場合、祖母が亡くなると母親の収入は半減するとのこと。つまり祖母という存在が家庭の経済を助けているというわけですが、そのことはインドのような、どちらかというと年寄りが若い世代に古い価値観(例えば性差別論のような)を押し付けがちな社会にも当てはまる(とThe Economistは言っている)。 |
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田舎のインドを代表するような祖母がいなくなったとしても、その義娘が家を出て働くようにはならない。田舎のインドでは、子育てや家事に関連して義母が与える手助けの持つ比重は極めて大きく、義母がいなくなっても義娘は相変わらず家にとどまって夫の衣料にアイロンがけをしているということになる。
祖父母にケアしてもらうことは、孫たちにとっても都合がいい。アフリカでは祖母の存在が子どもの生存そのものの助けになっている国もある。先進国においては、祖父母の存在によって(孫たちの)学業成績が上がったり、社会で生きていく技術力が進歩するかどうかは分からない。もちろん孫たちを傷つけることにはならないにしても、だ。しかし総じていうと祖母のみに育てられた子供たちの成績はあまり良くないことが多い。尤もそれは祖父母のせいというより、子供の両親が亡くなったというケースが多いことが原因であるともいえる。中には親が刑務所に入っていたりするケースもある。そのような場合、見知らぬ他人と暮らしたり、孤児院のようなところで生活するよりは、祖母と暮らす方がましなのだ。 |
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但し祖父母によるケアにも弱点はある。例えばよりよい職場を求めて別の町へ移動するのが難しい。となると、それほど望ましくない仕事でも甘んじて受け入れるしかない。さらにいうと、祖母の場合は孫のケアをするために早めに退職したり、労働時間が短かったりすることがある。それが彼らの選択だというのなら結構であるけれど、母親を助けることで社会が得る利益も祖母がいなくなることで失われてしまうということはあるだろう。
子育ては楽な仕事ではない。誰がやったとしても国家の援助は必要だろう。政府によっては幼稚園や保育園の料金を国が保障するという国もある。単純に言うと、子供がいる親には金銭を与えるということもある。金銭の使途は親次第ということになる。あるいは政府がその金銭を「親代わり」となる祖父母に与えることも考えられる。いずれにしても子育てに要した金銭については無税とすることが必要だ…というわけで、The Economistの社説は次のような文章で終わっています。
- 一方、祖父母が同居している場合は、その幸運を喜ぶべきであり、もっと子供を作ることで、その幸運をシェアする人間が増える方がいい。 Meanwhile, families with living grandparents should rejoice in their good fortune—and be glad that more and more children are sharing it.
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▼むささびには兄妹が5人います。男が二人、女が三人。むささびの両親は6人の子持ちだったということ。むささびの子どものころでさえも「6人」というのは多い方だった。従弟はみんな二人兄妹だった。 |
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4)中国の人口減を考える
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ちょっと古いけど、昨年(2022年)12月5日のPew Researchのサイトに出ている記事は参考になります。
- Key facts about China’s declining population
という見出しで、中国の人口減少についての知っておくべき事実(key facts)について語っているもので、8つのポイントに分けて検討されています。 |
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ポイント1:人口減少とは言うけれど
人口が世界一でなくなるとはいえ、2022年現在の中国の人口(国連推定)は14億2600万人で、欧州の7億4400万、南北アメリカ大陸の10億4000万に比べれば一国の人口としては大きな数字です。もう一つ言っておくと(これは中国の人口だけの話ではないけれど)全世界の人口は2022年には80億人を超えると推定されているけれど、その半分がわずか7か国に集中しているのですね。これも異常といえば異常なのでは? |
世界の全人口半分以上が7か国に集中している
2022年7月1日現在、全世界の人口は79億8千万、
そのうち41億3千万人がこれらの7か国に集中しています。
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ポイント2:8億人を割る?
国連の推定では中国の人口は、現在の14億2600万から2050年までには13億1300万へ、2100年までには8億人を割る。これは国連による推定のなかでも「中くらい」とされる数字で、女性一人当たりの出生率が現在(2022年)の1.18から2100年には1.48へと上昇していると仮定しての数字です。 |
中国の人口::2100年の推定 |
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2022年の中国の人口は14億2600万なのですが、2100年の時点でどのくらいになっているのか?高く見積もると11億5300万、中くらいで7億6700万、低く見積もると4億8800万。いずれも国連人口調査部門の見積もりです。 |
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ポイント3:もともと減少気味だった
専門家の誰もが国連の推定を支持しているわけではないけれど、中国の人口が減る(decline)という点では一致している。専門家によっては、中国の人口は2021年もしくそれ以前に減少に転じていたとする向きもある。彼らによると、中国政府の公式発表による数字は常に地方自治体によって膨らまされているとされている。が、いずれにしてもこの国の人口が下降線を辿っていることに異論を挟む専門家はいないのだそうです。 |
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ポイント4:子供は欲しくない?
2022年の中国における女性一人当たりの出生率は1.18と推定されているのですが、これはそれ以前の数十年の出生率に比べるとかなり低いものになっている。考慮すべきなのは、中国では1980年に「一人っ子政策」が導入されたけれど、36年後の2016年には「二人っ子」まで許され、2021年にはこれが3人にまで拡張されているということです。
そもそも出生率というものは、経済発展と世の中の都市化によって低下するものであり、中国の出生率も一人っ子政策の導入以前から下がっていたのだそうです。そして二人っ子が許された(2016年)直後の1年間を別にして中国における出生率はいつも下がり続けてきたものである、と。
北京にあるYuWa Population Research Instituteという人口問題の研究機関によると、中国は世界でも子育てに最もおカネがかかる国であり、国の人口政策以前に、経済的な理由で子供を欲しがらない傾向にあるとのことです。 |
中国の出生率 |
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中国の出生率は、「一人っ子政策」の緩和にも拘わらずこのところ急激に下落している。「二人っ子政策」が始まった2016年の出生率が1.772だったのに5年後の2021年には1.164へと下落している。 |
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ポイント5:出産年齢の変化
子供を持ちたがらないことに加えて、中国女性には高齢出産という傾向がある。2000年以後の中国における平均出産年齢は26才から29才へと上がっている。世界の中流国家(中国も含む)における出産年齢の高齢化は1才に過ぎない。
中国では第一児出産年齢と初婚年齢が同じように伸びているということが言える。2020年の国勢調査の資料によると、女性の初婚年齢は28才となっている。これはその10年前(2010年)に比べると4才あがったことになる。また人によっては中国政府のコロナ政策が初婚年齢の上昇の理由とする声もある。 |
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ポイント6:誕生児童の性別に偏り
中国は誕生する子供の性別の点で極めて偏りの激しい国の一つだそうです。1970年~2020年の国連の統計によると、女性として生まれるはずだった胎児が生まれることがなかった例の51%が中国だった。理由に堕胎もあるし、妊婦の「不注意」もある。
中国では現在も誕生時の性的な偏りが見られ、2021年では男児112人に対して女児は100人という数字が出ている。ただこの数字は2002~2008年における118対100に比べれば少しは低下したとはいえる。とはいえ中国全体の人口を見ると2021年の時点でも男の人口が女のそれより3000万人も多い。中国はまた堕胎件数が多く、15~49才の女性1000人あたりの件数が最も多い国とされている(Guttmacher Institute調べ)。 |
誕生時の男女比較
中国では女より男の誕生の方が多い。このグラフに出ている数字は、女性の誕生数を100としたときの男性の誕生数です。例えば「一人っ子政策」が始まった1980年の誕生者は女性100に対して男性は107人。 |
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ポイント7:高齢化社会
中国は高齢化社会でもある。国営メディアの表現を借りると「ゆっくりと年齢を重ねる」(moderately aging)道を歩んでいる。全人口の20%が60才を超えており、2035年までにはそれが30%にまで上昇する。即ち4億人以上ということである。
人口統計の世界では、いわゆる労働年齢(15~64才)に対する非労働年齢((0~14才・65才以上)の割合ことを「依存率」(dependency
ratio)と呼んでいるけれど、中国では2100年までにはこれが現在の2倍にまで増えるとされている。中には2079年までに非労働人口が労働人口を上回るという専門家もいる。 |
労働年齢の人口 |
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労働年齢(working age:15~64才)の人数はその国の性格を形作ります。非労働年齢は0~14才および65才以上です。2022年現在の中国では労働人口100人に対して非労働人口は50人を少し下回る。つまり扶養者100に対して被扶養者は50人以下という社会です。2100年にはどうなるのか?労働人口100人に対する非労働人口の数は、多く見積もって158.0人、中くらいの見積もりで102.8人、最も少なく見積もって83.8人と推定される。「扶養者100人:被扶養者158人」ということもあり得る、と。 |
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ポイント8:流入より流出が多い
中国の人口減少をさらに進める現象に中国人の国外流出という現象がある。この現象について国連が統計を取り始めたのは1950年ですが、それ以来中国では国を出ていく人間が入ってくる人間の数を下回ったことは一度もない。2021年を例にとると「出て行った移民:out-migration」が入ってきた移民の数を20万人上回っている。これでもまだいい方で、1990年代には1年につき「出て行った移民」が75万人にのぼっている。国連の予測では、2100年まではこれが毎年31万人に上るとされている。 |
移民の数
「移民」(migrants)にも外国から入って来る移民(immigrants)と外国へ出ていく移民(emigrants)の2種類あるけれど、中国に関する限り圧倒的に後者が多い。1950年から現在までの「実数」と現在(2022年)から2100年までの「推定」はいずれも国連の人口調査部の数字です。 |
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5)どうでも英和辞書
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superstition: 迷信 |
あなたは迷信を信じますか?個人差があるけれど、迷信と呼ばれるものが存在することは知っていますよね。あるサイトを見ていたら次のような例が日本における「迷信」の例として挙げられていました。
- 夜に口笛を吹くのは厳禁!
- 霊柩車が通ったら親指を隠せ
- 陽が落ちた後に爪を切らないこと
- 食後に横になると牛になる!?
- カラスが鳴くと不幸が押し寄せてくる!
当たり前ですが、英国にも迷信(superstition)と呼ばれるものはある。Yougovのサイトに出ていたものの中から「幸運」を呼ぶものと「不幸・不運」のもとになるものをいくつか挙げてみます。
- 幸運を呼ぶ
- 樹木に触る(touching wood)
四葉のクローバー(four-leaf clovers)
1ペニー硬貨を見つける(finding a penny)
流れ星を見つける(seeing a shooting star)
指をクロスする(crossing your fingers)
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- 不幸を呼ぶ
- 鏡が割れる(broken mirros)
梯子の下を歩く(walking under a radder)
屋内で雨傘をさす(opening an umbrella indoors)
結婚式の日に式の前に花婿が花嫁に会う(groom seeing bride on wedding day)
新しい靴をテーブルに置く(putting new shoes on the table)
Yougovのアンケート調査では、男性よりも女性の方が迷信を信じる傾向にあるのだそうです。 |
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6)むささびの鳴き声
▼TBSテレビの『報道特集』という番組で長い間ジャーナリストとしての仕事をしていた金平茂紀さんが、フリーの身になって「今やるべきことの輪郭がおぼろげながらみえてきた」として、SNS上で
- ソ連とは何であったのか。そしてロシアとは何か。根源的に考える、そして行動する。
と言っています。
▼この問いかけは当たっている、と思います。「ロシアとは何か」はともかくとして、「ソ連とは何であったのか」を根源的に問いかけることは重要ですよね。むささびの眼から見ると、プーチンがウクライナでやっている暴虐は「ロシア」による戦争犯罪なのよね。日本が70年以上も前にアジア大陸で、アメリカがベトナムで、中国が新疆のような「自治区」で、さらには英国が北アイルランドでやっていることは、どれもどこかに「民族主義」の臭いがする。特定の価値観の押し付けと言ってもいいのかもしれない。
▼「ソ連」(ソビエト社会主義共和国連邦)は(むささびの理解によると)民族主義のような「価値観の押し付け」とは無縁のもの(社会主義体制)だった。が、何億人、何十億人という人間が集まって作り上げようとする「社会」であることに変わりはなく、悲しいかな、そこには官僚主義やエリート主義がはびこるようになっていた。そこにメスを入れようとしてプーチンら民族主義者の機嫌を損ねてしまったのがゴルバチョフだった。
▼ウクライナ戦争初期の頃に金平さんがベラルーシのルカシェンコ大統領とインタビューをしたことがありました。その中で大統領が「昔は米ソの二大勢力の対立だったけれど、今やアメリカやNATO一辺倒になってしまった…」と言いながらプーチンのウクライナ攻撃を支持する発言をしたのをむささびは見ていました。悲しいかな、大統領のあの発言は金平さんの質問に直接答える形で行われたものではなかった。場面的には金平さんを全く絡ませずに行ったものだった。
▼「ソ連とは何であったのか」を問いかけるということは、人間が人間のアタマで大勢の人間を平和的にまとめていくようなことは現実問題として(人間の本姓からして)出来るのか・出来ないのか?という問いかけでもあると思う。
▼な、何と2023年も1月が終わりですよ! |
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