この号には北アイルランドに関連する記事が3つも載っています。この写真は1969年の首都・ベルファストの子どもたちなのですが、その頃の北アイルランドはアイルランド系の市民とそれ以外の英国人の間で暴力的な争いが絶えない状態だった。1969年という年はロンドンの中央政府が北アイルランドにおける暴動鎮圧のために軍隊を送り込んだ年でもある。ベルファストで
"the Falls of 1969" といえばその暴動のことであることは誰でも知っている歴史です。 |
目次
1)スライドショー:チェルノブイリの遺産
2)再掲載:今さらおさらい、北アイルランド
3)「ベルファスト合意」以後の「北」
4)10年後にはアイルランド再統一?
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
7)俳句
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1)スライドショー: チェルノブイリの遺産
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今回のスライドショーは、アメリカのカメラマン、ポール・ファスコ(Paul Fusco)の作品です。1930年生まれ、2020年にこの世を去っています。いわゆる「社会派カメラマン」で、世の中に巣くうさまざまな矛盾をレンズを通して表現しています。このスライドショーが取り上げたのは、チェルノブイリ(ウクライナ)の原発事故(1986年4月26日)なのですが、主人公はあの事故の「犠牲」になった原発の近隣(主にベラルーシの首都・ミンスク)で暮らしていた人びとです。
タイトルが "Chernobyl Legacy"(チェルノブイリの遺産)となっているとおり、テーマはあの事故そのものよりも、それが後世に遺した「悲劇」です。使われている写真も1990年代から2000年年代にかけて撮影されたもので、ポール・ファスコは、これらの写真を見る人びとへのメッセージとして次のような言葉を遺しています。
- "I want the viewers to be moved into the lives of the people that
they are looking at; the visual experience is incredibly emotional" 読者には、これらの写真で自分が見ている人たちの生活そのものに入り込んで欲しい…これらの写真を鑑賞する経験が大いに感情を揺すぶるものとなるはずだ。
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2)再掲載:今さらおさらい、北アイルランド
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ひょっとすると日本のメディアでは殆ど話題にならなかったかもしれないけれど、4月11~14日の日程でアメリカのバイデン大統領が、北アイルランド(英国)と南のアイルランド共和国を訪問しました。主なる目的は、今年が、1998年にアメリカも絡んで達成された北アイルランド和平合意(ベルファスト合意:Good Friday Agreement)の25周年に当たるのでそれをお祝いすることにあった。
1998年の和平合意は英国とアイルランドの政府間の合意だったけれど、それが成立するまでにはアメリカの介入が大きな影響を及ぼしたとされています。合意成立当時の英国の首相はトニー・ブレア、アイルランド共和国の代表はバーティ・エイハーン(Bertie
Ahern)首相であり、アメリカの大統領は民主党のビル・クリントンだった。
あれから25年、北アイルランドではテロ活動こそ起こっていないけれど、アイルランド系の住民と英国への帰属を主張する住民との間の対立は一向に薄まってはいない。この際、日本のメディアではあまり話題にならない北アイルランドの政治状況について語っておきたいと思います。まずはむささびジャーナル64号(2005年8月5日)に掲載された記事『今さら・・・おさらい北アイルランド』の再掲載から始めてみます。 |
再掲載:今さら・・・おさらい「北アイルランド」
むささびジャーナル64号(2005年8月7日)
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2005年7月28日、IRA(Irish Republican Army:アイルランド共和国軍)が武装闘争の停止を宣言しました。私(むささび)の英国人の友人は、7月7日のテロとのからみで "At least the IRA have agreed to decommission their arms today, so we must be thankful for that" というメールをくれました。考えてみると英国にはイスラム以前にIRAのテロという問題があったわけで、その意味ではアメリカ以上にテロには備えがあったのかもしれない。
流血500年の歴史
IRAのテロはなくなったかもしれないけれど、北アイルランドは南のアイルランド共和国に帰属すべしという考え方そのものが消えたわけではないし、あくまでも英国にとどまるべしという人々との対立はこれからも続くわけです。この際、北アイルランド問題について一夜漬けでおさらいしてみました。皆様ご存知のことばかりかもしれないのであえて恥を偲んでお伝えしておきます |
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北アイルランド問題には(The Economistの表現を借りると)500年を越える長い血まみれの(long and bloody)歴史があります。1688年に英国で名誉革命なるものが起こり、オレンジ公ウィリアム王子という人がキングになったとき、これと対立していたカソリック教徒のジェームズ2世という人物がアイルランドへ逃げのびた。しかしこれを追いかけてきたウィリアム王子(プロテスタント)が1690年にジェームズ2世とカソリック軍を破り、アイルランドを支配下に置いてしまった。
1707年にScotland の議会がEnglandやWalesの議会と一緒になってUnited Kingdom of Great Britainが誕生したのですが、その頃、Irelandの議会はまだ自治権を持っていた。それが1800年になって閉鎖され、アイルランドは英国に併合されてUnited Kingdom of Great Britain and Irelandという国が生まれた。日本でいうと江戸時代が終わりにさしかかるころですね。
それから116年後の1916年にアイルランドで対英独立を叫んで「イースターの乱:Easter Rising」という暴動が起こり、1920年に英国政府によってアイルランドがプロテスタントの多い「北」とカソリック中心の「南」に分割された。2年後の1922年に南がアイルランド自由国(Irish
Free State)として英国から独立、プロテスタント中心の北部は英国に残ることになる。BBCのサイトによると「これ以後、北アイルランドにおける少数派であるカソリック教徒やアイルランド・ナショナリストに対する組織的な差別が始まった」となっています。正式なアイルランド共和国(Republic
of Ireland)が生まれるのは第二次世界大戦後の1947年のことです。 |
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テロ死3600人
BBCのサイトのいわゆる「組織的な差別」の中には地方議会の選挙権も含まれます。また上野格という専門家によると、当時の北アイルランドでは、選挙権は地方税の納税者に限られていたのですが、プロテスタント住民には資産家が多く、その分だけ選挙権も沢山与えられたのに、カソリック系住民については貧しさ故に殆ど選挙権が与えられないという状態であったそうです。現在の北アイルランド紛争は、この前近代的な選挙制度を改革する運動(1968年)が発端となっています。IRA((Irish
Republican Army: アイルランド共和国軍)というテロ組織(とされているもの)が誕生したのもこの頃のことで、事態を沈静化しようとした英国政府が1969年に軍隊を派遣するなどして、事態はますます深刻化した。1972年に英国政府による北アイルランドの直接統治が始まります。
そして1985年、英国・アイルランド合意(Anglo-Irish Agreement)なるものが結ばれて、北アイルランド問題にアイルランド共和国も関わるようになります。しかし紛争そのものは収まらず、暴力は英国本土でも起こるようになった。1970年代初めからこれまでの30年間、テロ(IRA だけとは限らない)や暴力による死者は3600人を超えているのだそうです。
そしてベルファスト合意
1998年春に関係組織の間で "Good Friday Agreement" なる協定が成立します。いわゆる「ベルファスト合意」です。北アイルランドは将来も英国に帰属すべしとするプロテスタント、アイルランド共和国への帰属を望むカソリックの両者の代表によって権力をシェアする地方政府を作ろうとする協定です。これにはIRAの政治組織であるシン・フェインも、暴力を否定するという条件で、参加が許されたのですが、これが実現することなく、2002年になってこの地方政府は棚上げにされて現在(2005年)に至っているわけです。 |
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IRAの武装闘争停止宣言についてブレア政府は大いに歓迎するというコメントを発表しているわけですが、北アイルランドの強硬派プロテスタント・グループなどは「歓迎するのは早すぎる」と言っています。北アイルランドの主な新聞には、Nationalist(つまりアイルランド共和国への帰属を望む)が主に読んでいるIrish Newsと英国の一部として存在し続けることを望むロイヤリスト系のNewsletterがあります。これらを読むとお互いの言い分が少しは分かるかもしれません。
Fergal Keaneという人の書いたA Stranger's Eyeという本があります。著者は英国生まれではありますが、アイルランド人で、幼い時代をアイルランドの首都、ダブリンで過ごした。職業はBBCの記者です。この本は彼の英国旅行記ですが、イントロの部分に子供のころに自分が描いていた英国についてのイメージについて「漠然とした敵意を持っていた」として、その理由について次のように記しています。
- An undercurrent of hostility towards the British ran through our early education; I learned a lot about British atrocities in Ireland, but a little else about the country that I can remember. (幼少のころの教育には、英国人に対する敵意が底流にあった。自分はアイルランドにおける英国人の残虐行為について多くのことを知った。英国についてはそれ以外のことを学んだことを覚えていない)。
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3)「ベルファスト合意」以後の「北」
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北アイルランド和平が実現した1998年にできたものに "Northern Ireland Act 1998"(1998年北アイルランド法)という法律がある。それによると、
- 北アイルランドは今後もUnited Kingdomの一部であり続け、国民投票の結果として北アイルランドの人びとの大多数の支持を得ない限り、その状態が変わることはない:Northern
Ireland remained part of the United Kingdom and "shall not cease to
be so without the consent of a majority of the people of Northern Ireland
voting in a poll".
とされている。
要するに北アイルランドは、スコットランド、イングランド、ウェールズと同じように「英国」(UK)の一部であることに変わりはないとしながらも、北アイルランドの国民の多数が、国民投票を通じて、「英国」の一部であることを望まないということが明らかになった場合は、「北」は英国の一部ではなくなることもある、と言っている。つまり南北アイルランドが統一された状態(「北」がアイルランド共和国の一部となった状態)が実現することになる。 |
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で、25年前の「ベルファスト合意」ですが、北アイルランドがどこかの外国と戦争状態にあり、それを解消するための「合意」ではない。北アイルランドという国自体が「私らは英国人だ」と主張するグループ(unionists)と「我々はアイルランド人だ」とするグループ(nationalists)に分かれて対立、内戦状態にあったということで、それが25年前に解消された(ことになっている)ということであるわけよね。で、その「和平」から25年経った現在、北アイルランドの内戦状態は解消されたのか?"World 101" というアメリカの学生向けのサイトがそのことを語っている。 |
2022年5月5日に行われた北アイルランド議会議員の選挙結果です。第一党となったシンフェイン(左端)は南の「共和国」との合併を望んでおり、右隣のDUPはこれまでどおり、北アイルランドは英国の一部であり続けるべしと言っている。その隣のAllianceはシンフェインとDUPの「中間」(!)だそうです。 |
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結論から言うと、1998年の「ベルファスト和平合意」以後も自分たちが英国人であることを主張するグループとアイルランド人であるとするグループがそれぞれのコミュニティに分かれて対立を続けている。宗教的には前者がプロテスタント、後者がカソリックという対立なのですが、政治的にはプロテスタントが「英国寄り」の政権党(Democratic
Unionist Party: DUP)、カソリックは「アイルランド寄り」の野党(Sinn Féin:シンフェイン)を支持していた。この二大政党が北アイルランドの政治を牛耳っていたのですが、2017年になって与党(DUP)が掲げる厚生政策をめぐって両者が対立、ついに政権そのものが崩壊、それまで存在していた自治政府そのものが存在せず、ロンドンの中央政府が直接統治する形になってしまった。
そんな状態で行われたのが昨年(2022年)の北アイルランド自治議会議員選挙(Northern Ireland Assembly election)で、ベルファスト合意以後7度目の選挙だったのですが、結果として野党のSinn Féinが第一党、DUPは長年保ってきた政権党の地位を滑り落ちてしまった。
英国寄りの姿勢を明確にして政権を保ってきたDemocratic Unionist Party (DUP)にとって大きな痛手となったのが、2016年6月23日に行われた英国のEU加盟を続けるべきかどうかを問う国民投票だった。英国全体の投票結果は、EU離脱賛成が51.89%、残留支持が48.11%で、僅差ながら離脱(BREXIT)賛成が勝利したのですが、北アイルランドだけを見ると残留支持が55.8%(440,707票)、離脱支持が44.2%(349,442票)という結果だった。。 |
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▼上のグラフはベルファストのクイーンズ大学のジョン・ガリー(John Garry)教授(政治学)が、BREXITに絡めて北アイルランド人の社会意識のようなものを数字化したものです。自分がカソリックでアイルランド系ナショナリストであり、英国人というよりもアイルランド人であることを強く意識している人びとは、圧倒的にEUへの残留を望んでいる。
▼一番下の3項目は、これからの北アイルランドが進むべき方向性を示している。
- 共和国との合併:南のアイルランド共和国と統一されることを望む声で、それが実現すると北アイルランドは英国の一部ではなくなる。
- 英残留・自治政府:自治権を有した地方政府ですが、英国の一部として残る。つまり「現状どおり」ということです。
- 英国による直接統治:ロンドンンの英国政府が全て統治する。自治権は放棄するということ。
▼言うまでもなく、昨年の議会選挙で第一党となった「シン・フェイン」が目指しているのは、この三つの選択肢のうちの最初のもの(「南」との合併)です。 |
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4)10年後にはアイルランド再統一?
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英国で「北アイルランド」というと必ず出てくるのが「シン・フェイン:Sinn Féin」という政治組織です。北アイルランドの和平合意以前は、政治組織というよりもテロ集団として知られていたけれど、最近では北アイルランドにおける最大の政党となっている。「シン・フェイン」とは「我ら自身:We
Ourselves」という意味のアイルランド語とされているけれど、政党としてのシン・フェイン党は1905年に設立されている。思想的には北アイルランドを含めた統一アイルランド国家の建設を主張しており、その意味ではナショナリズム政党であると言える。
そのシン・フェインの党首(女性)であるメアリー・ルー・マクドナルド(Mary Lou McDonald)が、ドイツの週刊誌、Spiegelによってインタビューされて3月24日付の英文版に掲載されています。見出しは
- We Will See a Reunification Referendum Within the Decade 10年以内に南北(アイルランド)の再統一を実現します
となっている。「南北アイルランドの再統一」ということは、時代を500年遡って「カソリック教の国・アイルランド」を作るということです。この人は1969年、アイルランド共和国生まれの53才です。インタビューはかなり長いものなので、はしょって掲載しますが、ここをクリックすれば全文を読むことができます。 |
10年以内にアイルランド再統一
シン・フェイン党党首:メアリー・ルー・マクドナルド
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- DER SPIEGEL: 北アイルランドの和平は以前よりもさらに危機的状況にあると思うか?
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ベルファスト合意の意義
Mary Lou McDonald:とんでもない。そんなことは絶対にありません。あの和平合意からの25年で自分たちが達成したことを過小評価するのは間違っています。ベルファスト合意はアイルランド社会(特に北アイルランド社会)を根本から変えてしまいました。英国一辺倒のユニオン主義者たちが我々の北アイルランド政府を無視しようとしても、我々が達成した進展そのものは生き続けます。 |
- あなたはあの和平合意のいい点ばかりを言い立てますが、「北」には「過去」がたくさんある。カソリックとプロテスタントは子どもたちを同じ学校へ通わせようとしないし、死者を葬る墓も違う。コミュニティ同士を隔てる、いわゆる「平和の壁」も、あの合意以後増えているではありませんか。
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あなた物事の否定的な側面だけを並べ立てているのですよ。肯定的な面を見れば、北アイルランドにおいては今ほど人びとがともに働いたことはありません。結婚も含めて社会的な交わりも大いに進んでいます。相変わらずの分裂が存在することは事実でしょうが、今ほど「交流」(integrated)が進んだことはないのですよ。 |
- ベルファスト合意ができたのは1998年。その頃のシン・フェイン党はIRAというテロ集団の政治部のように言われて、政治集団としては「軽量級」扱いされていた。シン・フェインはどのようにして悪評に満ちた過去を乗り越えたのか?
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シン・フェインの行動と信念
アイルランドの政党は、(共和国内のものも含めて)その殆どが、20世紀における対立と独立を目指す戦いの中から生まれたものなのです。どの政党も、テロ集団とされるアイルランド共和国軍(IRA)とは無関係ではないし、シン・フェインもその意味では例外ではない。それでもシン・フェインは自らの行動と信念を基に拡大・発展してきたのです。 |
- シンフェインは最近になって上層部が変わりました。IRAとの縁が深かった人間に代わってあなたやミシェル・オニール副委員長のような女性がリーダーシップを握るようになった。
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かつての指導部(Gerry AdamsとMartin McGuinnessに代表される)には歴史的な役割があったし、偉大な指導者たちだった。ミッシェル・オニールも私も女であるだけでなく、かつてのリーダーたちとは世代も異なる。でも昔も今も変わらないことがある。それはアイルランドの統一と社会正義の実現です。それらは私たちにとっての道しるべの星のようなものです。 |
ジェリー・アダムス(左)とマーティン・マギネス |
- アイルランド統一運動のにおけるあなたの台頭は驚きです。出身は「南」のダブリンで、女性で、アイルランド語もまともではない。以前「私はギネス(アイルランドのビール)は大嫌い:I hate Guinness」と言って問題になったこともある。どうやって現在の地位についたのですか?
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地方政党を超えて
私のこれまでを "meteoric rise”(流れ星のような急上昇)と表現する人がいるけれど、ここへ到達するまでに25年かかっているのですよ。私が入会したときのシン・フェインは小さな政党だった。現在は強くて人気があり活気に満ちている(strong, popular and vibrant)。つまり北アイルランドの地方政党を超えたものになり得るということです。 |
マクドナルド党首(左)とミッシェル・オニール副委員長 |
- シンフェイン党には社会主義と愛国主義(socialism and nationalism)という二つの行動原理がある。どちらが大切なのですか?
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ヨーロッパ大陸の人たちにはっきり理解して欲しいのは「アイルランドの愛国主義:Irish nationalism」というものの意味です。それは自決(self-determination)ということなのです。おそらく南米における愛国論に近いかもしれない。社会的な平等と社会正義の要求と切り離すことはできない。社会主義と愛国主義は切り離すことができない(inextricably
linked)ものなのです |
- アイルランドにおける世論調査によると、次なる国のリーダーは貴方である、と。そうなるとシンフェインは南でも北でも最強の政治集団ということになる。で、どうなるんですか?
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今のアイルランドにとっては南北の再統一こそが最大の政治課題ですが、それは慎重かつ計画的、平和裏に達成されなければならない。ベルファスト合意によると、南北アイルランドの統一は国民投票によって行われる必要があり、その国民投票の実施に当たってはロンドンの英国政府の合意が必要となっている。私自身はその日は遠くないと思っています。10年以内には実現するのではないかと思っています。 |
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▼北アイルランドが現在のUKから独立して「アイルランド共和国」の一部となることは、北アイルランド人の国民投票で勝利すれば合法的に可能なのですね。まさかとは思うけれど、スコットランド独立の国民投票が行われて「独立派」が勝ってしまったら…!? |
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5)どうでも英和辞書
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defamation:名誉毀損 |
4月19日付のBBCのサイトのトップニュースが
- Fox News settles Dominion defamation case for $787.5m
という見出しになっており、それと一緒にメディア王(?)ルパート・マードックのあまり機嫌の良さそうではない表情とそれを心配げに見守る彼の息子の写真が掲載されていました。
2020年のアメリカの大統領選挙は、かなりの僅差でジョー・バイデンがドナルド・トランプ破ったのですよね。選挙人の数ではバイデン:306 vs トランプ:232、得票数ではバイデンが約8100万、トランプは7400万票だった。これらの数字が気に入らないトランプらが「投票集計機に不正があった」と主張、これをマードック所有のメディア機関(Fox News)が繰り返し・繰り返し報道したけれど(当たり前ですが)結果が覆ることはなかった。
そこで投票結果にケチをつけられた投票集計機のメーカー、ドミニオン・ボーティング・システムズが自社の名誉を傷つけられた(defamation)として、「でたらめ報道」を行ったFox News損害賠償を要求、それが通ってしまったというわけ。Fox Newsはドミニオンに7億8750万ドル(約1055億円)を払わなければならない。
BBCによると、Fox Newsがこの損害賠償に応じたのは、それをすることによって、オーナーのルパート・マードック自身が裁判所に」出頭して証言を行うことを避けたかったから、だそうです。 |
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6)むささびの鳴き声
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▼Spiegel とのインタビューでシン・フェイン党のリーダーが語った言葉の中で最も興味深かったのは「社会主義と愛国主義は切り離せない」と言っている部分である(とむささびは思っている)。一方(社会主義)は人間の心の動きとしては「理論」に属するものであり、もう一方(愛国心)は「感情」の要素が非常に濃い。人間の問題として考えると、理論と感情を切り離すのは難しいかもしれないけれど、うまく両立させることも容易ではない。20世紀初頭(1917年)にレーニンが活躍した革命時代のロシアとプーチンのロシアでは違う。常に邪魔になるのは「感情」(愛国主義)です。次号のむささびで「イングランドのナショナリズム」を語ってみたい。
▼東八幡教会のサイト(4月16日付)に『何人住んでいますか』というタイトルのエッセイが載っています。教会活動の一つに「ホームレスを助ける」というのがあるのですが、それに関連して「人と人が出会うとはどういうことか」という話をしている。エッセイによるとそれは「その人が僕の中に住み始める」ということだ、と。他人が自分の中に住み始めると、雨が降れば「あのおじさん大丈夫かな」と考え、食事をすると「おじさん食べてるかな」と心配になったりする。それが他人と出会うということだというわけです。灰谷健次郎の小説に『太陽の子』というのがあって、次のような言葉が載っているのだそうです。
- いい人ほど、勝手な人間になれないから、つらくて苦しいのや。人間が動物と違うところは、他人の痛みを自分の痛みのように感じてしまうところなんや。ひょっとすれば、いい人というのは、自分の他にどれだけ自分以外の人間が住んでいるかということで、決まるのやないやろか?
▼エッセイの筆者によると、「他人の痛みを自分の痛み」とできるのが人間なのであり、自分の中にそのような「他人」が何人住んでいるのか、どれだけ住まわせることができるか…それを「考えたい」と言っている。 |
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▼話は全く変わるけれど、ボブ・ディランが来日していたのですね。大阪・東京・名古屋でコンサートをやったらしい。彼のことはどのようなジャンルの歌手と呼ぶのでしょうか?フォーク歌手?ロック?よく分からないけれど、1941年生まれだからむささびと同じ年なんですね。むささびが買った彼のレコードは「時代は変わる:Times they are changing」という曲が入っており、「時代」を英語では "times" と複数形にすればいいのかと記憶したものです。1964年に発売されたそうなのですが、次の歌詞の部分が気に入っていました。
- Come writers and critics/Who prophesize with your pen
- /And keep your eyes wide
▼評論家やジャーナリストと呼ばれる人たちに「目を開いてしっかり世の中を見てくれよ…」と言っている。アメリカではベトナム反戦運動がそろそろ盛り上がり始めているころだったけれど、大統領選挙があって、民主党のジョンソンが圧勝した。でしょうね、相手が極右のゴールドウォーターだったのだから。
▼それはともかく今回のディランのコンサートは「GOLD席(グッズ付き):51,000円(税込)」となっていました。S席も26,000円、一番安いA席が21,000円…何です、これ!?いくら何でも高すぎるんでない?ボブ・ディランのコンサートが金持ちにしか楽しめないなんて…信じられない。
▼だらだらと失礼しました。 |
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