musasabi journal

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 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
529号 2023/6/4

上の写真はカリフォルニア州サンフランシスコのシルエットです。おそらく海に突き出た半島の先端に位置する町を陸側から撮ったものなのでしょう。全くの個人的な話ですが、サンフランシスコは、今から約60年前にむささびが初めて訪問した外国でした。大いに不安を抱えながら身を置いているむささびをやさしく迎えてくれた町でもありました。

目次
1)スライドショー:季節外れの「春が来た」
2)再掲載:皇太子と教育大臣が激論!?
3)親と暮らす若者が増えている
4)再掲載:エリッヒ・フロムの新鮮さ
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
7)俳句

1)スライドショー: 季節外れの「春が来た」

5月21日付のBBCのサイトに読者による写真展という企画がありました。テーマが "Springtime" というわけです。5月もそろそろ終わりだというのに「春」がテーマ!?というわけで、読者提供の写真を見たのですが、「時期外れ」(out of season...かな?) かもしれないけれど、如何にも楽しげな「春が来た!」という作品が集まっていました。

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2)再掲載:皇太子と教育大臣が激論!?

昔の「むささびジャーナル」の目次を見ていたら、今から約20年前の記事に『皇太子と教育大臣が激論!?』(第46号 2004年11月28日)というのがありました。「皇太子」というのは現在の国王、当時の「チャールズ皇太子」のことなのですが、激論をやってしまった(と報道されている)「教育大臣」は 当時のブレア内閣で教育相を務めていたチャールズ・クラーク(Charles Clarke)のことだった。

皇太子と教育大臣が激論!?

むささびジャーナル第46号 2004年11月28日

「最近は誰もが自分の能力以上のことをやろうとしすぎる。これは、身分不相応なことまでできると子供たちに教える現在の学校教育のせいだ」というチャールズ皇太子の発言について英国の教育大臣が「皇太子は現在の教育事情を全く分かっていないし、考え方も時代遅れだ」と批判して話題になっています。

ことの起こりは昨年、皇太子の宮殿のアシスタント(女性)の一人が「自分は大卒だ。皇太子の秘書官に昇進するための訓練を受ける資格がある」というニュアンスのメモを上司に上げたことにあります。このメモが皇太子にパスされ、それについて皇太子が上記のようなコメントをメモに書いてこの「上司」のデスクの上に置いておいたところ、これを問題の女性が見ただけでなく、それを「性的差別だ」と労働争議調停局に訴えたことで明るみに出てしまったというわけ。


皇太子のメモには次のように書かれていたそうです。
  • What is wrong with people now? Why do they all seem to think they are qualified to do things far beyond their technical capabilities? This is to do with the learning culture in schools as a consequence of a child-centred system which admits no failure…
    最近の人間、どこがおかしいのだろう?彼らは自分の技術的な能力をはるかに超えたようなことを行う資格があると思い込んでいるように見える。何故そのように見えるのか?それは学校教育における学習文化に関係がある。子供中心で、失敗は一切許さないというシステムの結果であるということだ。
"child-centred system which admits no failure" というのは「できないことがあるということを認めたがらない子供中心教育」即ち、子供のご機嫌取り教育ということなのでしょう。


この皇太子発言に対してチャールズ・クラーク教育大臣は次のように怒りのコメントを述べている。
  • We can't all be borne to be king, but we can all have a position where we can really aspire for ourselves and for our families to do the very best they possibly can. (人間誰もが王様になるべく生まれてくるわけではない。しかし誰もが自分や家族のために大志を抱いてベストを尽くすべくそのような地位に立つことは許されるはずだ)。
大臣よると、チャールズ皇太子は "very old-fashioned and out of time" であり、教育問題に口出しするときはよく考えてから発言して欲しい、とまで言い切っています。よくよく腹がたったのでしょうね。

「古臭くて時代遅れ」と言われてしまった皇太子は、「私が12年前に主張した"環境に優しい建築の必要性"という考え方も当時は時代遅れとからかわれたのに、今では誰も時代遅れとは言わないではないか」と反論したりしているそうです。
 
▼日本ではこのような皇室と大臣の論争なんて考えられないですよね。尤も英国でもこれは長年の「しきたりに反する」(breached the longstanding protocol)ことではあるらしいのですが・・・。王室だろうが皇室だろうが、普通の人と議論をするということは結構なことではありませんか?

▼で、この喧嘩についてブレア首相は「お互いの言い分を仔細に分析すれば共通点が見つかるはずだ」とか「自分は皇太子を大いに尊敬しているし、クラークも一流の大臣である」などとコメントしています。この人はイラク戦争についてはI have absolutely no doubtなどと確信に満ちた発言をするのに、何故か国内問題になると日和見主義になってしまう。キツネ狩り禁止についても同じような感じだった。どうしてなのでしょうか?


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3)親と暮らす若者が増えている

5月15日付のThe Economistのサイトに "Home, still home"(家、それでも家) という見出しの記事が出ていました。"Home sweet home" という昔の歌詞にちなんだ洒落のつもりなのでしょうね。The Economistの場合、その種の見出しが多くて白けるのですが、この記事は、最近の英国における住宅事情を語ろうとするものです。若い人たちが両親と同じ家に住むというケースが増えている、と。

両親と同居する成人(ウェールズとイングランド)の割合

グラフの下の数字が年齢で、右が%。19才のほぼ60%が両親と同居している。

英国統計局(Office for National Statistics:ONS)によると、2年前(2021年)の3月、両親と同じ家に住む成人の数は490万人で、その10年前(2011年)に比べると70万人増えたことになる。その多くは20代の前半で、30代の前半は10人に一人だった。大体において子供なしの独身成人。一軒の家に複数の家族が暮らす複数家族世帯(multi-family households)は2021年には全世帯の1.4%で、その10年前(2011年)には1.2%だったのだから10年間で0.2%増ということになる。

欧米諸国の両親との同居件数(男女別)

アメリカのPew Researchが行った調査結果で、ヨーロッパ諸国における両親との同居件数と男女別の件数。何故か英国は含まれていない。

他の国の数字を見ると、英国人以上に両親との別居には消極的で、イタリアでは若い成人の3分の2が両親と同居しているのだそうですね。それにしても、なぜ英国の若い人びとが昔以上に両親と暮らそうとするのか?理由はいろいろ考えられる。失業中で独立が難しいのかもしれないし、学生の身なのかもしれない。あるいは両親の介護をしているのかもしれない。もちろんコロナ禍のせいということもある。統計局によると、両親と同居している成人の90%が少なくとも1年間は同居生活を送っている。つまり「仮住まい」という感じではなく、それはその10年前も同じだった。さらに言うと、英国社会全体の人種構成の変化を反映しているわけでもない。(例えば)かつては世代を超えた同居が最も多かったアジア系の人びとの同居は最近では下落傾向にある、と。

一番あり得る説明は、若い世代が両親から独立して住居を買ったり借りたりすることが難しくなっているということ。21世紀に入って最初の20年間で、英国の不動産価格はほぼ倍増している。初めて住宅を購入する人びとの平均年齢は今や32才。住宅価格といえばロンドンが一番高いことは言うまでもないのですが、同居成人の割合が最も高いのもロンドンで、26.8%となっており、ロンドン北西部のブレントというエリアでは、同居成人が暮らす住宅は地域全体の3分の1に上っている。

住宅費と住居スペースの点で最も厳しい生活を余儀なくされているのが経済的に恵まれない家庭で、家賃の高さもさることながら、貧困家庭向けの「社会住宅」(social housing)の数も貧困層の数に追いついていない。経済的に恵まれない若い層にとっては苦しい。政府からの住宅手当はコロナ禍の最初の頃に比べると増額が望めない。


The Economistによると、子供と同居する親は大体においてひとり親であることが多い。ロンドンの場合は半数以上がそれ。成人の子どもが同居する住宅は「混みすぎ」(overcrowded)と目される。そのような場合は大体において未婚の成人、同性の10代が二人以上、同じ寝室をシェアしながら生活している。ロンドンでは4家族に1家族が「混みすぎ」とされる。北イングランドの町ではこれが15家族に一つとなる。


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4)再掲載:エリッヒ・フロムの新鮮さ

エリッヒ・フロム(Erich Fromm)については、過去の「むささび」で何本か掲載しているのですが、今回紹介するのは、今から10年前(2013年)のちょうど今ごろ掲載した記事で、 "Escape from Freedom" という本についての書評を書評する(ややこしい!)ものです。 "Escape from Freedom" が出版されたのは1941年。偶然ですが、むささびがこの世に生まれた年です。邦訳は『自由からの逃走』というタイトルで出版されているけれど、むささびは邦訳を読んだことはない。

今から50年ほど前にアメリカの友人が「ぜひ読んでくれ」と言って送ってきたペーパーバックが、、むささびにとってはこの本との初対面ということになる。むささびがこの本を持って勤務先のビルのエレベータに乗っていたら、それを見たアメリカ人のジャーナリストが「その本は素晴らしいですよ」と口走ったのを妙にはっきりと記憶しています。確かに素晴らしい読書体験だった。約300ページなのですが、これほど繰り返し読んだ本はない。むささびの本棚にあるペーパーバックは表紙がとれてしまっている。

エリッヒ・フロムの新鮮さ

むささびジャーナル267号(2013年5月19日)

なぜいまフロムなのか?
権威に従う心地よさ
自由は自力で

エリッヒ・フロム(Erich Fromm)という人が書いた"Escape from Freedom"という本のことはご存じでしょうか・・・などと書くと「ずいぶん古いモノを持ち出すなぁ」と笑われてしまうかもしれないですね。Boston Reviewという書評誌の最新号に"The Cure for Loneliness"(孤独の治癒)というタイトルのエッセイが出ていたのですが、これが"The Lives of Erich Fromm: Love’s Prophet"(出版:Columbia University Press)という本の書評だった。書いたのはビビアン・ゴニック(Vivian Gornick)という評論家です。

フロムは亡くなってからもう30年になるのですが、Escape from Freedomが書かれたのは1941年だからもう70年以上も前のハナシです。私自身がこの本を読んだのは1960年代のこと、すでにほとんどクラシックの部類に入るような名作とされていたのを憶えています。
 

エリッヒ・フロムという人についてウィキペディアには
  • ドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者である。ユダヤ系。マルクス主義とジークムント・フロイトの精神分析を社会的性格論で結び付けた。新フロイト派、フロイト左派とされる。
と書いてある。

何故いまフロムなのか?

このように書かれるとビビりますね、私などは。「精神分析を社会的性格論で結び付けた」とか「新フロイト派、フロイト左派」などと言われると何のことか分からず、それだけで拒否反応を起こしてしまう。ただEscape from Freedomのみならずフロムの書いた本そのものはもっと平易だったと記憶しています。それにしてもなぜいまフロムに関する本が出るのだろう?The Cure for Lonelinessという書評エッセイの一部だけ紹介します。

フロムは1900年にドイツのフランクフルトでユダヤ系の家庭に生まれた・・・ということは18歳の時に第一次世界大戦(1914年~1918年)を経験しているということです。この戦争は「戦争というものを終わらせるための戦争」(War to end wars)と言われたのですが、実際には20年後にもっと大規模な第二次世界大戦が起こっています。


エリッヒ・フロムが精神分析の学者としてフランクフルト大学で研究生活を送っていた1930年代のヒットラーの台頭を眼のあたりにする。「個人」(individuality)と「個性」(uniqueness of personality)の尊重は現代文明がもたらした最も偉大な業績であると考えられていた。なのに人々は台頭するヒットラーに対していとも簡単に「個人」も「個性」も差し出して従ってしまった。何故そのようなことが起こるのか?ビビアン・ゴニックは
  • 人間には欲望が二つある。一つは自由になりたいという欲望であり、もう一つは自由がもたらす責任というものに眼をそむけたいという欲望である。その二つがいつも自分自身の内部で綱引きをしている・・・ということがフロムにとって明らかになっていった。
    The more he thought about it, the more clearly he saw that in all human beings a tug of war persisted between the desire to have freedom and the desire to shun its responsibilities.
と書いています。


権威に従う心地よさ

フロムによると、「人間というものは常に自分の外側にある権威(external authority)に身をゆだねることの快適さと引き換えに自由を放り出すものだ」と考えていた。外側の権威に身をゆだねる態度のことを「画一主義への逃避傾向」(conformist escapism)と呼んでいます。Escape from Freedomの表紙には次のようなメッセージが掲載されています。
  • Freedom can be frightening; Totalitalianism can be tempting - this classic book explains why...自由は時として恐ろしいものになることもあるし、全体主義の方に惹かれることもあるものである。何故そうなのか?この本はそれを説明する。
自由は自力で

ビビアン・ゴニックによるならば、Escape from Freedomが出版されてから70年以上経つけれど、我々は安全も安心も感じることがないし、何が真実であるかも分からないような世界に生きている。しかし・・・
  • この本が世に出た1941年のころに比べるならば、安全・安心・真実性などというものが、他から与えられるようなものではなく、自分自身の力で手に入れなければならないものであるということを、人間ははるかに明確に意識しているのが現代なのである。 We are, however, all of us, a thousand times more conscious than we were in 1941 of the fact that when we invoke those words - safe, secure, authentic - we are talking about a state of being that can never be handed us; it must be earned, from the inside out.
として、人間がこのような共通認識のようなものを持つに至ったについては、さまざまな人々の影響があるけれど、エリッヒ・フロムが世に出したいろいろな書物もそのような影響力を持った本であったことは間違いない・・・としています。

むささびの個人的コメント

むささびジャーナル267号
  • Escape from Freedomの書き出しは「欧米では、人間の歴史とは、人間を束縛しているものからの解放の歴史であると考えられている」となっています。独裁者による抑圧からの解放、貧困からの解放、宗教的束縛からの解放などがそれにあたるわけですが、そのようにして「自由」になった途端に、自由であることに不安を覚えて、自分以外の「権威」に従ってしまうという習癖のようなものを人間は持っている・・・ということが延々語られています。
  • 日本人である私は、フロムの言うような「人類の歴史は束縛からの解放の歴史」という意識を欧米人ほど強く持っているわけではない。だからEscape from Freedomにしても欧米人とは違う感覚で接して感激していたのかもしれないけれど、「画一主義への逃避傾向」(conformist escapism)などは、現在の日本の病根でもあるように思えるわけです。画一主義とは「大勢を占める考え方と同じでないと不安で仕方がない」という心理のことですが、大勢と同じになった途端に、今度は抑圧感や欲求不満のようなものを感じて滅入ってしまう・・・矛盾も甚だしいけれど、それが(自分も含めた)人間というものですよね。
  • いまのメディアは、日本や日本人が「閉塞感」に覆われているという言い方をするのが大好きですよね。メディアによると、閉塞感に覆われている理由がかつてほどの勢いでない経済力であり、何かと言うと偉そうに振る舞うアジアの隣国であり、太平洋を越えたアメリカである・・・というわけで、これを打破するために必要なのがかつてのような経済力であり、隣国やアメリカにもNoという姿勢であるということになる。
  • エリッヒ・フロムは、Escape from Freedomの中で「画一主義への逃避」を克服するための姿勢としてreason(理性)、enlightment(覚醒)、brotherhood(兄弟愛)のような言葉を非常に頻繁に使っています。私自身は大いに違和感を覚えたものです。「理性」とか「兄弟愛」なんて「きれいごと」なんじゃないの?というわけです。ただよく考えてみると、現在、メディアが画一的に騒いでいる「閉塞感」なるものの克服のためには、このような「きれいごと」が必要なのではないかと思えてきたりもするわけです。単に日本や日本人だけが、経済的に潤えばいいってものではないし、「領土問題」や「歴史問題」の解決のために「Noと言える日本」とだけ言っていれば済むという問題でもない。

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5)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら

predator: 捕食者 (?)

タレント斡旋業のジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川(1931年~2019年)氏が、生前、売れっ子タレントに対して性暴力をふるっていたことを、英国のBBCが取材して "Predator: The Secret Scandal of J-Pop"(J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル) というタイトルのドキュメンタリー番組を制作して日本で話題になっているのですよね。

日本のメディアの間では "predator" という言葉が「捕食者」という日本語に訳されているけれど、「捕食者」って何なのです?あるサイトには次のような説明が出ています。
  • 食物連鎖上の食う・食われるの関係で、食う立場にあるもののこと。 動物相互間に広く見られるが、植物でも(たとえば)食虫植物は「捕食者」といえる。
"predator" を英語でどのように説明するのかと思ってCambridgeの辞書を調べたら、次の二つの説明が出ていました。
  • - an animal that hunts, kills, and eats other animals: lions, wolves, and other predators 他の動物を狩猟して殺して食する動物(例:ライオン、狼、その他)
  • - someone who follows people in order to harm them or commit a crime against them人間に付きまとって傷つけたり、罪を犯したりする人間
BBCの番組制作者が意図したのはもちろん後者の方ですよね。むささびが、日本のメディアについていつも気になるのが、自分たち自身が分かっていない日本語をそのまま使っているということです。「捕食者」などはその好例…と思うのはむささびだけで、この言葉の意味なんて誰でも知っているのかも?

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6)むささびの鳴き声
▼「どうでも英和辞書」でも触れたけれど、「ジャニーズ」の件についてもう少しだけ。上の写真はジャニー喜多川氏が死去した2019年7月、これを大々的に伝えるスポーツ紙の第一面。4月16日付の英国のTelegraph のサイトにもこの件についての記事が掲載されています。Telegraph は創刊が1855年、保守党系の日刊紙の代表的な新聞です。英国には「ジャニーズ事件」と似たようなケースとしてジミー・サビル(Jimmy Savile: 1926~2011)という売れっ子タレントによる性暴力の事件があったのですが、Telegraph によると、日本のメディアによるジャニーズ報道は、かなり「おざなり:perfunctory manner」だそうです。

▼メディアに興味がある人ならご存じでしょうが、東京に外国人特派員協会(FCCJ)という外国メディアの組織があって、日本で仕事をする外国人記者のために記者会見を組織したりしています。その組織が4月12日にジャニーズ絡みの記者会見を行ったのですが、FCCJが会員宛てに配った会見のお知らせは次のような見出しになっていました。
  • Press Conference: Alleged Victim of Johnny Kitagawa Speaks Out ジャニー喜多川事件の犠牲者と称する人物による発言


▼この会見に出席していろいろと話をしたのが、以前にはジャニーズ事務所のタレントだったカウアン・オカモト(Kauan Okamoto)さんだった。会見におけるオカモト氏の発言は(Telegraphの記事によると)海外では大いに報道されたけれど、日本のメディアでは殆ど無視されたのだそうで、
  • The Yomiuri Shimbun, a daily newspaper with a circulation of seven million sales, devoted just seven paragraphs to Mr Okamoto’s experiences. 発行部数が700万にも及ぶ日刊紙の読売などは、オカモト氏の体験についてわずか7節しか提供することがなかった。
▼というわけで、メディア報道の少なさのおかげで、この事件は日本では「黙ってカーペットの下に隠されてしまう:quietly brushed under the carpet」とTelegraphは言っている。それでもオカモト氏の場合は、外国人特派員協会における記者会見によって自分の声を発することができた。

▼東京にはもう一つ大きなメディア組織として「日本記者クラブ:Japan National Press Club: JNPC」というのがある。JNPCはジャニーズの件で何をやったのだろう、と思って調べたら、ミネルバ法律事務所の喜田村洋一さんという弁護士が「ジャニーズ問題から考える:メディアはなぜ放置したのか」というタイトルの報告を行うことになっています。日時は「2023年6月14日 14:30~16:00」となっている。FCCJの2か月後のことです。

▼ただちょっと面白い指摘がなされていると思ったのは、5月27日付の朝日新聞のサイトに出ていた『新聞に欠けていたものは ジャニーズ問題で批判を受けて考えたこと』(論説委員・田玉恵美)という記事だった。この人によると、朝日新聞はジャニー喜多川による性暴力を無視することはなかったけれど、記事としての扱いが非常に小さかった。なぜ小さな記事になったのか?それは記者たちのアタマでは「このセクハラが性暴力であり、深刻な人権侵害にあたるとの認識が欠落していたこと」である、と。当時の記者たちが文春の記事をきちんと読んでおらず、編集幹部も「家庭で子どもの目にも触れる新聞に、性の話題はふさわしくないという古い考えも根強かった」と振り返っている。う~ん、なるほどなぁ。

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