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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 前澤猛句集
 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
533号 2023/7/30

上の写真は、内モンゴルの乗馬訓練所で軍事用の訓練を受ける馬と女性騎手。撮影されたのは1979年だから、ほぼ半世紀も前のことです。撮影したのは、アメリカの写真家、イブ・アーノルド(Eve Arnold: 1912~2012)で、写真家集団のMagnumが保管している。ため息が出るほど美しい作品だと思いませんか?Magnum所属の写真家たちによる「中国」をテーマにした作品集の一つです。ここをクリックすると他の作品も見ることができます。

目次
1)スライドショー:マイホームタウン
2)「プーチンはチンピラだ」
3)再掲載:断固悔いるのだ!
4)再掲載:「第9条」のラジオドラマ
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
7)俳句

1)スライドショー: マイホームタウン

BBCのサイト(7月16日)を見ていたら "My Hometown" というテーマで読者・視聴者からの写真を募集しいていました。今回のスライドショーはそれを紹介するものなのですが、ちょっと興味深いのは、どの写真を見ても「良く撮れている」とか「芸術作品として優れている」などと思わせるものがない(とむささびには思える)。そもそも "hometown" って何なのですかね?普通には自分の生まれた場所(故郷)のことだろうと思うのですが、ひょっとすると「自分が現在暮らしている街」という意味なのかもしれない。どの写真を見ても感心するような作品はないと思うのですが、おそらくそれぞれの撮影者にとっては、それなりに意味のある作品なのでしょう。

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2)「プーチンはチンピラだ」

ドイツの週刊誌、DER SPIEGELの英文サイト(7月14日)にロシアにおける元ビジネスマンで反プーチンの急先鋒として知られるミハイル・ホドルコフスキー(Mikhail Khodorkovsky)との単独インタビューが掲載されています。見出しは
となっている。この人の見解によると、民主的な方法でプーチンを打倒するのは無理ということです。この人は1963年、モスクワ生まれだから今年で60才になる。もともとはジャーナリストではなく、実業家だったのですが、今から20年ほど前(2003年)に当時のプーチン政権の腐敗ぶりを告発して10年間を収容所で過ごした。その間に彼の石油会社(ユーコン)は政府によって潰されてしまった。その後彼はロシアを離れて英国のロンドンで暮らすようになっており、このインタビューもロンドンで行われています。英語の原文はここをクリックするとすべて読むことができます。

武器をとるしかない…

There Is No Other Option But To Take Up Arms
プリゴジンは利用できた 受容可能な犠牲?
1991年のクーデター プーチンはチンピラ
無関心が社会を支配 国の分割はあり得ない
武器をとる以外にない 権力の分割を
10年前との違い プーチンは生き残るか?
 
  • DER SPIEGEL: 3週間ほど前にあなたはロシア国民に向けて、エフゲニー・プリゴジン(民間軍隊組織・ワグネルのトップ)の反政府行動を支持するように呼び掛けるメッセージを送りましたよね。プーチン政権を倒すためには、その人物が悪魔であったとしても支持するべきだ…と。あなたは実際にプリゴジンと手を結んだのですか?

プリゴジンは利用できた
Khodorkovsky: 私がロシア人に訴えたのは、個人としてのプリゴジンを支持するということではない。彼の反乱がモスクワまで届くように支援するということだ。私はプリゴジンがプーチンよりも優れているとも劣っているとも思っていない。が、今回の彼の反乱でロシアに起こった混乱をプーチン打倒のために利用することはできたはずだ。あの反乱が起こった途端にプーチンと彼の取り巻き連中は直ちにモスクワを逃げ出したではないか。ロシアにおける民主勢力がもっと周到に準備していたならば、あの時に権力を奪取することができたのだし、私もそれを考えていたのだ。
  • DER SPIEGEL: 体制変革の絶好の機会だったのに、ということですか?

Khodorkovsky: そうです。この反乱行為には危険とチャンスが同時に存在したのです。私としてはそのことを反体制の民主派勢力に訴えたかったのです。残念ながら反乱そのものがあっという間に終わってしまった。それでもこのような事態は今後も起こりますよ。その際は機会をうまく使わないといけない。


プーチン後のロシアを語るミハイル・ホドルコフスキーの著書
  • DER SPIEGEL: あなたはメディアとのインタビューや自分自身のSNS上でも「プーチンの敵である民主主義勢力も武装することが必要だ」と言っている。

1991年のクーデター
Khodorkovsky: 一般民衆も軍隊と戦うべきだと言っているのではない。ただロシア国内で反乱が勃発したり、プーチンが死ぬようなことがあった時にも軍隊が出動を拒否することがあるかもしれない。そのような場合でも1万~1万5000人の穏健なデモ隊が武装して政府の建物を占拠するようにすればうまくいくかもしれない、大衆蜂起ではあるけれど、流血を伴わない蜂起ということだ。
  • DER SPIEGEL: かなりの楽観論ですね。少数の人たちによる無血革命…それでロシアが真の民主主義国家になるとお考えですか?

Khodorkovsky: 1991年のクーデターのとき、私はモスクワ中心部でボリス・エリツィン大統領を中心とする市民運動に参加して保守派の連中と闘っていた。非常に暴力的な戦いで、銃まで渡されていた。まるで本当に内戦が勃発したような雰囲気だった。でもそれはモスクワ中心部の話で、数キロしか離れていない郊外の住宅地は全く平静で、赤ん坊を乳母車に載せて散歩する人もいた。他の国のことは知らないが、ロシアではクーデターや革命のようなこともごく小さな集団の中で起こったりするものなのだ。
  • DER SPIEGEL: それでもあの時はクーデターへの参加者たちも「ソ連」(the Soviet Union)を救いたいと思っていた。しかし貴方たちはクーデターを阻止することを望んでいた。要するに現在のロシアにおいても体制変革のためには社会の大多数がそれを支持することが必要だということなのでは?

無関心が社会を支配している
Khodorkovsky: 今のロシア社会を支配しているのは非常に無関心な社会(a very apathetic society)なのだ。私の意見によると、今のロシアでは、一方の側に10~20%の人間がいて、もう一方の側にも10~20%の人間がいて、その両者が対立している。

  • DER SPIEGEL: ロシアにおける活動的な民主勢力は殆どが国外へ出ているか国内にいても刑務所に入れられている。彼らの場合は非暴力を貫いているが、唯一の例外がイリヤ・ポノマリョフ(元議員)で、彼もあなたと同様民主勢力の戦いを国外から支援している。このような人たちは、国内民主勢力の誰を支援しているのか?

武器をとる以外にない
Khodorkovsky: 現在のところロシア国内で最も活発に動いているのは、反政府ではあっても愛国的な勢力だ。彼らはプリゴジンが反プーチンの反乱に失敗したことに大いに失望している。ただ民主派の反政府勢力の中にもロシアの体制変革を模索している人びとは存在する。我々が連絡をしているのはそのような人びとだ。彼らは長年にわたって非暴力を貫いてきたが、体制変革には至っていない。要するに武器をとる以外に道はない(There is no other option but to take up arms)ということなのだ。
  • DER SPIEGEL: 現在のロシアでは、本当に平和的に何かを達成することはできないのか?

10年前との違い
Khodorkovsky: いざとなったら国民に対して武器を向ける気でいる政府の下では平和的なデモでは何も達成できない。10年前のロシアなら答えは違っていたかもしれない。あの頃のプーチンなら国民を射殺するか辞任するかのどちらかを選べと言われたら「辞任」を選んだだろう。彼自身が罰を受けることがないという条件なら…。ただクリミアの併合、ドンバスの戦い、そして最近の大規模な弾圧行動の実施以来、プーチンにとって一人の人間の命、百人の命、一万人の命も、彼自身の権力に比べれば、全く何ものでもないということなのだ。そのような人間との戦いなのだから、我々の作戦が変化するのは当たり前なのだ。
  • DER SPIEGEL: 貴方が言うようなやり方を貫くと犠牲も大きいですよね。その点で貴方を批判する反政府の人間もいるのでは?

Khodorkovsky: そのような意見の人たちには次のように言いたい。現在は犠牲が出ていないとでも言うのですか?現在のロシア政府は、一日1000人のロシア人とウクライナ人を殺しているのですよ。もしこの政権を打倒する戦いの中でモスクワで100人が命を失った場合、私はもちろんそれらの犠牲者に同情を覚える。私自身がその犠牲者の一人であったとしても、だ。が、それによってこの戦争の悪夢を終わらせるためには受け容れ可能な犠牲者の数ではないかということだ。

  • DER SPIEGEL: それはかなり大胆な発言です。そのようなことを言って、あなた自身の安全が心配ではないのですか?
Khodorkovsky: 私はバカではない。(このようなことを言うと)自分自身の顔に標的を描くのと同じことになることは分かっている。ロンドンにいるからって100%安全というわけではない。London doesn't offer 100 percent safety.
  • DER SPIEGEL: プリゴジンとは対照的ですね。彼は自分の顔に標的を描くようなことはせず、モスクワの町を平気で歩いており、クレムリンでプーチンと「静かな会話」(calmly talks to Putin in the Kremlin.)も行っていた。

プーチンはただのチンピラ
Khodorkovsky: 未だにプーチンを指導者(statesman)だと思っている人びとにとっては不思議かもしれない。しかし彼は指導者ではない。「チンピラ」(thug)にすぎない。彼の思考法を知りたければ外交官に尋ねても意味がない。チンピラたちの考え方を知りたければ、都会の恵まれない地域で仕事をする警察官に聞くべきなのだ。プーチンもプリゴジンもギャングなのです。一方のギャングがもう一方のギャングに自分の力を見せつけたかった、ということ。プリゴジンが弱い人間であったなら、プーチンは彼との交渉には応じなかったはずだ。おそらくプリゴジンがプーチンに告げたのは次のようなことだったはずだ。
  • あんたがボスである限りにおいては私はあんたの命令を実行するつもりだ。しかし私が強い人間であることはあんたにも分かっている。だったらそれなりの扱いをしてくれればいいのだ。 As long as you’re the boss, I am willing to carry out your orders. But you know I'm strong, so give me an appropriate share of the spoils. 
ギャング同士の争いは時としてギャングそのものの破滅に繋がることがある。プーチンとプリゴジンの争いがそのような結果に繋がるのであれば、我々もそれを利用するべきなのだ。
  • DER SPIEGEL: ロシアをこのギャングたちから解放できた場合、どのような未来が待っているのか?

国の分割はあり得ない
Khodorkovsky: どのような状態になっても絶対に考えてはならないのは、国を分割する(breaking up the country)ということだ。多くのロシア人が怖れているのは、ロシア連邦(Russian Federation)の傘から抜け出すようなことになれば、事態がますます悪くなるということだ。我々の目的がロシアを叩き潰すことにあるなどと言うと、多くのロシア人がプーチンの下に馳せ参じるだろう。将来においてロシアからの独立を目指そうとする連邦(republics)が出てくる可能性は否定できないが、それを実現するためには民主的な国民投票を行う必要があるだろう。
  • DER SPIEGEL: 要するにロシアの政治制度の何を変える必要があるのか?

権力の分割を
Khodorkovsky: ロシアはその「皇帝」(czar)を廃止する必要がある。権力の分割による議会の強化、連邦制度の強化、地方の独立制度などが実現されなければならない。言い換えるとロシアの地方分権(decentralized)が必要であって分裂(disintegrated)が必要なのではない。現在のところモスクワ当局が自分たちの下へ権力の集中を進めようとしている。その言い訳にしているのが「外敵」(external enemy)の存在だ。

  • DER SPIEGEL: 最近ではロシア国民の雰囲気を知ることが難しくなっています。意味のある世論調査も殆ど無理です。現在のロシア社会は何を考えているのですか?

Khodorkovsky: 私はこれまで大企業を数社経営してきた。そのうちの一つであるYukosはいま全国的に活発なようです。私はまた遠くからロシア国内・国外のロシア人たちと語り合うことにも慣れているし、インターネットで通じ合うこともできる。現在のロシアは、大きな都会ではロシア人たちはウクライナ戦争は誤りだと思っているが、戦争を始めてしまった以上は勝たなければとも思っている。戦争はいやだが敗戦は事態をさらに悪くする、と。
  • DER SPIEGEL:貴方は他の実業家同様に1990年代に富を築き、今では政治的な囚人であり、反体制派の政治家でもある。 いまのロシア人が貴方のことをどのように思っているのか、自分でお分かりですか?
Khodorkovsky: ある種の人びとにとって、私は相変わらずの「悪」なのでしょうが、多くのロシア人が怒りを感じているロシア政府にとって代わることができる「悪」であるとも思っている。
  • DER SPIEGEL: 貴方は囚人の身になった後は実業界に復帰することをせずに政治に関わっている。将来のロシアでも政治に関わりたいと思いますか?

プーチンは生き残るか?
Khodorkovsky: ロシアにおいて積極的な役割を果たしたいとは思うが、ロシアという国は全自動ギア切り替え性能のない旧式トラクターのようなところがある。それぞれのギアの切り替えにパワーが必要なのだ。70才にもなって、そのようなトラクターの運転は無理というものだ。それは若い世代の仕事だ。
  • DER SPIEGEL: でもあなたは60になったばかりですよ。プーチンがこれから10年も権力の座に坐り続けるかもしれないと思っているのですか?
Khodorkovsky: もし我々が何もしなければ、つまり将来起こるであろう危機を利用することをしなければ、それは大いにあり得ることですよ。If we don't do anything, if we don't take advantage of the crises that are coming, then that's very possible.
▼プーチンは「チンピラ」(thug)とのことなのですが、"thug" という言葉を辞書で引くと "a man who acts violently, especially to commit a crime"(犯罪を犯すために暴力を使う人間)と定義されています。要するに民主主義の常識からすると、政治だの社会問題を扱うような世界にいてもらっては困る存在ということですよね。

▼ロシアと北朝鮮との関係が今後どのように発展していくのか…プーチンという「チンピラ」の存在に欠かせないのが(むささびの想像によると)ロシア正教という宗教(キリスト教)の存在だと思うのですが、あのロシア人の宗教感覚と中国や北朝鮮の人びとの指導者感覚ではどう見ても長続きはしないよね。

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3)再掲載:私は断固悔いるのだ!

「あなたは後悔の念に駆られたことはありますか?」と聞かれて「一度もない」と言い切れる人は…おそらくいないですよね。今から10年前の2013年12月1日に発行したむささびジャーナル281号に<「後悔」のない人生なんて>という見出しのエッセイが掲載されています。カリーナ・チョカーノ(Carina Chocano)というアメリカの女性作家がAeon(イオン)という雑誌のサイトに寄稿したもので、タイトルは
  • I regret everything 私はすべてを後悔する
となっており、イントロは次のように書かれている。
  • Our forward-charging culture sees regret as a sign of weakness and failure. But how else can we learn from our past? 何事にも「前向き」であることを良しとするアメリカ文化では、「後悔:regret」は弱さと失敗の象徴と見なされる。しかし人間は自分たちの過去以外に学べる場はあるのだろうか?
私は断固として悔いるのだ!
I regret everything


カリーナ・チョカーノ(Carina Chocano)
むささびジャーナル281号から再掲載

後悔は「役立たず」か? 自己管理という幻想
結論は?

後悔は「役立たず」か?
自分には「あの時はあのように言ったけれど、他に言い方があったのではないか?」とか「あのときは、あの選択をしたけれど、実は別の選択肢もあったのではないか?」というふうに、いつも自分のやったことを懐疑的に振り返るクセのようなものがある。アメリカでは「後悔する」(regret)ということが「弱さと敗北のしるし」(sign of weakness and failure)として忌み嫌われるし、regretを「役に立たない感覚」(useless feeling)として切って捨てる傾向がある。それがカリーナ・チョカーノには気に入らない。「過去から学ぶ」という極めて人間的な行為は、後悔することによってこそ成り立つではないか・・・というわけで、この異常に長いエッセイのメッセージは
  • Regret is essential to the good life.
    後悔こそは良い人生に欠かすことができないものである。
なのであります。まずは、「後悔する」という行為を「くだらない」と言い切ってしまうアメリカ文化について彼女の想うところをいくつかピックアップしてみます。
  • 「後悔する」ということはパイオニア精神に反することなのである。頑固なまでの忍耐力と強固な意志に支えられる、あのパイオニア精神である。後悔は非アメリカ的とも言えるのである。アメリカにおいては、常に眼を地平線の彼方に向け、他人よりも常に一歩前に足を出していることが肝心なのである。アメリカでは、ちょっとでも内向的な人は女のようであり、ひょっとするとフランス的であると目され、疑いの目を向けられるのである。 
過去のことでくよくよしない・・・そのようなアメリカ的な姿勢を表現する英語表現としてチョカーノは
  • What’s done is done.(終わったことは終わったこと)
  • It is what it is.(それが現実なのだ)
  • There’s no use crying over spilt milk.(すんだことを今さら後悔しても始まらない)
の三つを挙げているのですが、ここから出てくるのは「常に未来を見つめること」、「物事の暗い面ではなく明るい面をみること」、そして「すべては神様にお任せ」(to let go and let God take over)という姿勢である(とチョカーノは言う)。ここで神様(God)が出てくることにご注目を。チョカーノに言わせると、アメリカ人のregret嫌いには宗教的な背景もある。チョカーノにとって「後悔」(regret)とは、過去において自分が行った選択について「別の選択もあったかも・・・」という態度で再検討するということであるわけですが、それを突き詰めると「絶対」というものがなくなってしまう。一種のニヒリズムであり、アメリカでは受けない。
  • 後悔は罪深いものであり、神の存在を否定しようとするものである。神は自分のしていることが分かっているし、それを気に留めてもいる。Regret is sinful, a direct rebuke to the existence of a God that knows what he’s doing, and cares.

アメリカにジャネット・ランドマン(Janet Landman)という心理学者がおり、"Regret"という本を書いているらしいのですが、この人によるとアメリカ人の考え方の中に、物事を経済原理で割り切ろうとする部分が強いのだそうです。この理屈によると、人間の行為(心の動きも含めた)はすべて数字的なデータで説明がつくと考える。この世界には「後悔」(regret)も「どっちつかず」(ambivalence)もない。
  • 人生はミステリアスなものだということはない。人生は数学なのだから。 Life is not mysterious, it’s mathematics.
「自己管理「という幻想
さらにアメリカ人の考え方として、人間には自分の人生を自分で管理する(self-control)能力が備わっているという幻想がある。将来に後悔することを避けるために現在できることが必ずある・・・という考え方からすると、後悔の念を認めるということは、自分が自己管理の能力を発揮できなかったダメ人間(即ち敗北者)であることを認めるということになる。ジャネット・ランドマンによると、
  • 我々(アメリカ人)が後悔の念を否定するということは、ある意味で自分たちが現在・過去において敗北者だったことがあるということを全面的に否定することに繋がるのである。We deny regret in part to deny that we are now or have ever been losers.
ということになる。

カリーナ・チョカーノのエッセイの"I regret everything"という出だしの文章は、アメリカの主流的な態度に対して「あたしは後悔するのよ、文句ある?」という挑戦ともとれるわけですが、regret嫌いのアメリカ的常識は、感情というものの存在を否定しているという点で非人間的(inhuman)であるだけでなく、人間の知的な部分を否定するという意味で反知性的(anti-intellectual)でもある、と批判して
  • 「後悔する」ということのポイントは、自分の過去を変えようとするということではなく、現在に光を当てるということなのである。これこそが人間性というものの世界なのである。「後悔の念」は身体でいうと「痛み」のようなものである(痛みを感じることで、身体のどこかがおかしいということに気づく)。過去を再検討することで、現在はどこかが間違っているということに気が付くということである。The point of regret is not to try to change the past, but to shed light on the present. This is traditionally the realm of the humanities. The first thing regret tells us (much like its physical counterpart - pain) is that something in the present is wrong.
と主張します。

結論は?
ところでregretと似たような言葉にmixed feelingsというのがありますね。「複雑な感情」というやつです。カリーナ・チョカーノによると、「複雑な感情」こそが人間を人間的にするものであり、本当の意味で合理的な結論を導き出すものであるとなる。なぜならmixed feelingsを持つことによってこそ、物事のさまざまな側面を検討することができるからである、と。で、チョカーノのエッセイが言う「後悔の念」についての結論は…
  • 我々は「後悔の念」を否定するのではなく、人間が持つ「どっちつかず性」を喜んで受け容れるべきなのだ。我々は理想を目指すべきであり、絶対的な理想というものが存在するかのように振る舞うべきなのである。ただ、絶対的な理想などというものは実は存在しないということ、何事もすべて不規則に起こるものであるということ、あらゆる可能性が同時に存在しているという ことは憶えておくべきなのである。Rather than deny regret, we should embrace ambivalence. We should strive for an ideal - that is, behave as if it’s possible for an absolute ideal to exist - while remembering that it doesn’t, that in fact outcomes are random, and that all possibilities exist simultaneously.
ということになるのだそうです。
▼カリーナ・チョカーノはこのエッセイを書いたこと自体を「後悔」していると言っているのですが、むささびもこの意味不明のエッセイを皆さまに紹介しようなどと思ったことを大いに後悔するわけです。ただ「勝つことがすべて」とか「成功しないヤツは人格的にもダメ人間」という発想に満ちているアメリカ文化に対するチョカーノの苛立ちには大いに共感しますね。物事を「シロかクロか」でしか語ろうとしない態度への苛立ちです。人間の持っているambivalence(どっちつかず的姿勢)をやみくもに否定するのではなく、それも人間性として受け容れようという姿勢は、「単純細胞」には分からないかもな! また、アングルは違うけれど、アメリカ的な姿勢に疑問を呈する英国人のエッセイのサンプルはここをクリックしてお読みください。

▼そもそも筆者であるCarina Chocanoのファミリーネームの読み方が「チョカーノ」であるのかどうかむささびには自信がありません。ひょっとすると「コカノ」かもしれない。書いた人の名前もまともに分からずにエッセイを紹介するなんて・・・regretに値する非常に「遺憾な」行為であることを白状しておきます。

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4)再掲載:「第9条」のラジオドラマ

かつてBBC第一のラジオ番組に "Play of the Week" というのがありました。一週間に一度の頻度で放送されたラジオ・ドラマの番組です。テレビと違って声しか聞こえないので何を言っているのか分からないことが多い。そこでiTuneというシステムに「録音」しておいて後から何度も何度も聴くと分かってくる(ものもある)。

そんなドラマの一つが2011年7月29日に放送された"A9"という30分もののドラマだった。A9はArticle 9の略で日本語に直すと「第9条」ということになる。これはまさしく日本の平和憲法第9条をめぐるドラマだった。原作はHelen Cooperという女性作家なのですが、彼女はオランダ系の英国人です。


ドラマは高齢で死をまじかに控えたBernard Bottomlyという英国人男性が主人公です。妻に先立たれており、老人ホームで暮らしているのですが、Bernardは第二次大戦中に欧州ではヒットラーのドイツ軍、アジアでは日本軍と戦った略歴があり、軍人として勇敢に戦ったというのでビクトリア勲章までもらった戦争ヒーローです。

そのBernardが自分のライフワークとしているのが日本の憲法第9条で謳われている平和主義を世界に広めることだった。これまでに自分でパンフレットを作って配布したりしてきたのですが、人生の残りわずかとなったところで3人の子供たちを集め、自分のライフワークを引き継いでくれる子供には遺産の半分を提供すると宣言した。3人のうち上の二人の男は「もちろんやりますよ、意味のある活動だから」と答えるのですが、一番年下で広告代理店に勤務する女性だけは「平和憲法の普及活動など誰も注目してくれるはずがない」という理由で、この遺産相続争いから降りてしまう。


で、ある日、子供たちのひとりが彼のために誕生日パーティーを開いてくれた。ビクトリア勲章までもらった戦争ヒーローの誕生パーティーです。かつての友人たちが数多く集まってくれたのですが、その席上でBernardが自分のライフワークである「第9条」の世界普及についてスピーチを始める。当日集まった人々もBernardの二人の息子も全く乗らず、「いい加減に止めてくれ!」などと言い出して座がしらけていきます。スピーチの中でも特に不評だったのは次の部分です。ちょっと長いけれどお許しを。
  • 日本による攻撃は望まれたこと?
    (東京裁判の)パール判事こそが1944年の太平洋戦争について自分の眼を覚まさせてくれたのであります。判事によると、当たり前の情報を持っている人間なら誰も日本がアメリカに対して汚い不意打ちを仕掛けたなどというハナシは信じていない。日本による攻撃は予期されただけではなく、むしろ実際には望まれたことだったのであります。

Bernardは東京裁判でただ一人、被告人全員の無罪を主張したインド人の判事であるJudge Palには心酔しています。会場からのブーイングの中でBernardはさらに続けます。
  • ルーズベルトの圧力
    ルーズベルト大統領は自分の国を戦争に参加させたかったのですが、政治的な理由によって、どうしても最初の攻撃が相手側(日本)によってなされるように仕向けたかったのです。そのことについては疑いの余地はありません。そしてそのために大統領はありとあらゆる圧力を日本に対してかけてきて、ついには自尊心のある国なら武力に訴えざるを得ないような状況を作り出したのであります。従ってパール判事は、1944年の日本は正義の戦争を戦ったのだと主張したのであります。その意味するところは当然ながら連合国は不正義の戦争を行ったということになるのです。

Bernardは不正の戦いの中で自分がビルマで日本軍を殺したのは殺人罪であり、自分こそが死刑に処せられてしかるべきなのだ(I should be condemned to death)と叫んで倒れてしまう。その彼を病院に運んだのが、第9条の普及活動に最もやる気がなかったはずの広告代理店勤務の娘だった。病院へ向かうクルマの中で娘は「私、本当はお父さんの考え方が好きなの。勇気があって人間を信用して希望を持とうとする」(I love the way you think, Dad. Your courage. Trust and hope)とBernardに話しかけるのですが、すでに彼は息を引き取っている・・・というところでドラマは終わりです。

ネットで調べてみたら、Bernardは実在の人物で作者(Helen Cooper)の叔父にあたるオランダ人、Maarten Knottenbelt(1920~2004)だった。勲章をもらって国民的なヒーローだったのですが、「実は彼がいかにあの戦争によって破壊されていたのかは、彼の死の直前まで、誰も気がつかなかった」(We did not fully realise until just before he died to what extent the war had destroyed him)とコメントしています。Knottenbeltは戦後60年間にわたって世界中の憲法に日本憲法の第9条を入れさせる運動をやっていたそうです。

 
▼Bernardが世界的な普及を目指した「日本国憲法第9条」の条文だけはしっかり憶えておこうじゃありませんか。
  • 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
    Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
  • 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
    In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.

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5)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら
Bregret:英国は後悔している!?
この「むささび」の3つめの記事が「後悔」について検討していますが、まさに後悔の政治版が英国とEUの関係について言えるのでは?

今から7年前の2016年、英国のEU加盟継続に賛成か反対かを問う国民投票が行われ、「離脱:Leave」(51.89%)対「残留:Remain」(48.11%)で離脱希望者が勝ってしまった…ということはご記憶ですよね。で、"Brexit" という単語が生まれてしまった。英国の離脱(Britain Exit)を略して "Brexit" というわけです。

ただ最近になって英国メディアの間で "Bregret" という言葉が使われ始めているのだそうです。世論調査機関のYougovのサイト(2023年7月18日)に「英国人はEUへの再加盟を支持する:Britons would vote to rejoin the EU」という見出しが出ており、
  • ‘Bregret’ stands at highest level recorded to date
という記事が掲載されている。「離脱すべきではなかった」という意見が最も多くなっているということですよね。 "Bregret" は "Britain Regret" の略で、「英国は離脱したことを後悔している」というニュアンスの言葉ですよね。"Brexit" の正反対です。

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6)むささびの鳴き声
▼最近の政治関連の記事を読むとほぼ毎日のように話題になっているのが「マイナ」のことです。ネット情報によると「マイナ」というのは<マイナンバー法に基づいて日本国内に住民票を有するすべての個人に割り当てられる「個人番号」の通称>なのだそうですね。つまり「マイナンバー:my number」を略して「マイナ」である、と。ナンバーの略が「ナ」であるってこと?「個人に割り当てられる」という部分を "my" という言葉で表現しているのですね。でも、これだと「あなたのマイナは何番ですか?」というのに "What is your my number?" とややこしい言い方をしなければならなくなる。

▼ま、これも世のデジタル化のなせるわざってことかもしれないな。他にも例を挙げれば「パソコン:personal computer」「コピペ:copy & paste」「スマホ:smart phone」などなど、むささびも結構使っていますね。この際、マイナも "my number" ではなくて "personal number" とでもしたら?略して「P番号」とか。

▼マイナとは全く関係のない話ですが、昨日(7月29日)のTBSテレビの『報道特集』を見ていたら、『突然の倒木事故…”ナラ枯れ”の危険』という特集をやっていました。それによると、いま日本中の山でナラの木が倒れてしまうという事故が頻発しているのだそうです。原因はナラの幹の内部の腐食なのだとか。日本の山林に植わっている(人間が意図的に植えた)のは主として杉・ヒノキ・松のような針葉樹なのですが、ナラは余り多くない広葉樹です。ナラ、紅葉、イチョウのような広葉樹は秋になると葉っぱが散ってしまう落葉樹でもある。

▼むささびがはるか昔に駐日英国大使館というところで仕事をしていた時に、日本と英国の友好促進という目的で「日英グリーン同盟」という植樹活動をやったことがあります。その際に日本中の約200か所の町や村に植えられたのが、英国から輸入したイングリッシュオークの苗木だった。オークという樹木は種類でいうと「ナラの木」で、日本の樹木の専門家はイングリッシュオークのことを「ヨーロッパ・ナラ」と呼んでいるようです。ここをクリックすると、今から20年前にオークの苗木が植えられた場所のリストが出ています。『報道特集』を見ながら、あの時に植えられたオークはどの程度が生き残っているのか…と気になりました。

▼植樹で思い出したけれど、BIGMOTORという会社が、自社の建物近辺に植えられていた街路樹を枯らして除去してしまったと疑われているのだそうですね。街路樹というと、大きなものではイチョウ、ユリノキなどが多いと思うけれど、このニュースに接するたびにむささびはいやな気分になっています。樹木を枯らしてしまった(とされている)同社の行為について、というよりも、その疑念を伝えるメディアの嬉しそうなムードが不愉快なの。そう、アタイには嬉しそうに聞こえるわけ。悪いことをやったヤツを先頭に立って告発している…嬉しくないはずがないでしょ?これ、むささびの誤解・考えすぎですよね、ね?

ユリノキ
▼だらだらと失礼しました。お元気で!

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