musasabi journal

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 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
542号 2023/12/3

とうとう12月になってしまったけれど、2023年というのがどのような年であったのか、いまいちピンとこない。夏がめちゃくちゃ暑かったという記憶だけはあるけれど…。上の写真、羊飼いの少年と牧羊犬で、カメラマンがスペイン人であることは分かるのですが、それ以外の情報は全くアウト。おそらく場所もヨーロッパの中のスペイン語圏なのでは?と想像しています。

目次

1)スライドショー:世界は「丸く」収まっている?
2)人口80億超えの真偽
3)世界が孤独を感じている?
4)再掲載:ハンセン病と格闘した「明治の英国女性」
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
7)俳句

1)スライドショー: 世界は「丸く」収まっている?

今回もBBCのサイトからお借りしました。テーマは"circle"、即ち「丸」です。日ごろの生活の中で目に入る丸い形をしたものを撮影しようと…。上の写真はドングリですが、このように並べると丸くなる。けっこうおもしろいテーマです。

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2)人口80億の意味


国連「80億人の日」!? 中間年齢の上昇 2060年までは減少が続く?

国連「80億人の日」!?

アメリカ国勢調査局(U.S. Census Bureau: USCB)の発表によると、世界の人口がこのほど80億人を超えた…ということを 11月10日付のAP通信のサイトが伝えていました。USCBによると80億を超えたのは9月26日だったとのことなのですが、これについてはUSCB自身が「多分そのあたりだろう」(to take a grain of salt)と言っており、100%確実な情報ではないことを認めている。

AP通信によると、昨年(2022年)11月22日の時点で国連の人口調査局が「80億人の日:Day of 8 Billion」なるものを宣言していたのだそうですね。むささびは知りませんでしたが…。


世界の人口という単純な事実について、なぜ組織によってそのようなギャップが生まれるのか?AP通信によると、国によって数え方が異なっていたりするし、そもそも人口調査を行っていない国もある。インドやナイジェリアのような人口の多い国でさえもこの10年間は人口調査を行っていないのだとか。ちなみにWorldmeterというサイトによると、2023年現在のインドの人口はざっと14億、ナイジェリアのそれは約2億3000万となっている。

中間年齢の上昇

AP通信によると、20世紀最後の40年間(1960年~2000年)に限ってみると、世界人口の増加率は小さくなっていた。なのには21世紀に入ってからは60億から80億へと大幅な増加を記録している。最近の人口増加の背景の一つに世界的な高齢化現象がある。現在の世界の中間年齢(median age)は32なのですが2060年にはこれが39才へと上昇するものと予想されている。

人口の変化も国よって様々で、カナダの場合は高齢者の死亡率が低下している。死亡率が低下ということは、年寄りの間における死者が少ない(人口が減少しない!)ということですよね?。一方、ナイジェリアの場合は5歳以下の子どもの死亡率がドラマチックに減っているのだそうです。


2060年までは減少が続く?

ただ世界的に見て女性の出生率(fertility rates)は低下しており、その意味では過去約50年間の人口増加率はそれほど大きなものにはなっていない。一方、出産年齢(childbearing age)に達している女性の出生率は世界的にも低下傾向にあり、この50年ほどはほとんどの国で人口置換水準(replacement level)を下回っている…つまり人口全体の増加傾向が小さくなっている。

現在の世界では、全世界の15%の人びとが出生率の特に低い国(人口が新しいものに入れ替わる率を下回る)で暮らしている。出生率が低い国としてはブラジル、メキシコ、アメリカ、スウェーデンなどが挙げられ、特に低い国としては中国、韓国、スペインなどが挙げられている。反対にイスラエル、エチオピア、パプアニューギニアなどは人口置換水準が5のように高い国とされており、全世界の人口のほぼ4分の1がそのような国で暮らしている。また出生率が5以上の国は全世界の人口の約4%で全てアフリカの国となっている。

世界的な出生率は少なくとも2060年までは低下が続くとされており「それまでに出生率が4%を上回る国はない」というのが一般的な見方なのだそうです。

▼出生率が5以上(女性一人当たりの出生数)いう国で暮らす人の人口は全体のわずか4%で、すべてアフリカ諸国である…と。このような国でさえも過去に比べれば出生率の低いのが通常なのだそうですね。

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3)世界が孤独を感じている
 

貴方は毎日の生活の中で「寂しさ:loneliness」を感じることはありますか?世論調査機関のギャラップ(Gallup)が142か国の人びとを対象に行ったアンケート調査によると
なのだそうです。「世界の人口のほぼ4分の1が寂しさを感じながら生きている」ということです。人口に直すと「10億人以上」(成人人口の77%)が「非常に(very)」もしくは「かなり(fairly)」寂しいと感じていることになる。これはギャラップがFacebookを主宰するMetaと共同で行ったアンケート調査であり、最近では世界保健機構(WHO)を始めとする公的機関や医学関係者の間でも「孤独感」が世界的な話題になっている折でもあるところからギャラップの調査結果は注目されている。ただこの調査結果には世界第二の人口大国である中国が含まれていないのだそうです。

世界が孤独を感じている?

Gallup

この調査の結果を見ると、現代の世の中のいろいろな側面が見えてきます。例えば「いま最も孤独を感じる人口が小さい年齢層は?」と問われるとつい「若年層」を思い描いてしまうけれど、実際には65才以上の高齢者層が最も孤独を感じない年齢層なのだそうです。では最も孤独を感じる年齢層は?答えは19~29才の若年層です。年齢全体を見ても、45才を境目に、それから上は孤独感が低く、下(若年層)は高いのだそうです。


では孤独感に男女差はあるのか?一般的に言うと、孤独感に関しては男も女もあまり変わらない。世界的に見ても「非常にもしくはかなり孤独:very or fairly lonely」と答え人たは男女ともに24%だった。ただ男女で異なるのは「孤独感の自己申告:self-reported loneliness」で、79か国で男性より女性の方が自己申告の割合が高い(男女逆なのは63か国)という数字が出ているのだそうです。。

▼このように書いてくると、あたかも世界中が孤独者で溢れかえっているかのような印象を与えるかもしれないけれど、実際には世界の49%の人間(人口に直すと22億人)が「全く孤独を感じていない:not lonely at all」と言っている。
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4)再掲載:ハンセン病と格闘した「明治の英国女性」

2002年に『日英グリーン同盟』という植樹活動があったことは前号(むささびジャーナル541)でも触れました。いまの駐日英国大使が約20年前に植えられたオークの木が現在どうなっているのかについて関心を持っていることも。2002年に植えられたオークの植樹先の一つに熊本市の「リデル・ライト記念老人ホーム」という施設がある。ここに英国生まれのオークが植えられることになったについては、かつて駐日英国大使夫人として東京に滞在した人物が関係しています。

再掲載:ハンセン病と格闘した「明治の英国女性」


熊本市黒髪5番地というところに「リデル・ライト記念老人ホーム」という施設があり、2002年4月3日にこのホームの敷地内にイングリッシュオークが植えられました。翌日の熊本日日新聞は「(4月3日は)ハンセン病患者救済に尽力した英国人ハンナ・リデル女史が初めて熊本の患者と出会い、福祉活動を開始した記念の日」と伝えています。4月3日の日英グリーン同盟の植樹式には熊本県副知事、熊本市長、英国総領事らが出席したと報じられています。

今から100年以上も前の1891年、英国から一人の女性宣教師が日本にやって来ました。ハンナ・リデルという英国国教会の宣教師で、年齢は35、日本にキリスト教を広めようという使命感に燃えてやって来た。「ものの本」によると彼女がイングランドのサザンプトン港を出たのが1890年11月1日、神戸に到着したのが翌年1月16日となっています。日本に到着後、彼女は宣教師として熊本に派遣されるのですが、そこで遭遇したハンセン病の患者の悲惨な状態に衝撃を受け、彼らを救うことが「神から授かった使命」であるとして、1932年2月3日に77歳で亡くなるまで、ハンセン病患者の救済をライフワークにした。その彼女の「ライフワーク」の記念碑的存在が1895年、熊本市黒髪に設立した回春病院で、現在のリデル・ライト記念老人ホームの元になったところです。


Julia Boyd

以上は日本経済新聞社刊『ハンナ・リデル』(1995年)から受け売りしたものなのですが、この本を書いたのはジュリア・ボイド。1995年から4年間、駐日英国大使夫人として東京に滞在した人です。ハンナ・リデルほどではないにしても、ジュリアという人もちょっと変わった大使夫人で、私が知っている限り東京にいる間に本を一冊書いてしまった大使夫人なんてこの人しかいません。そのジュリア・ボイドと最近、東京で会う機会があったので、いろいろ聞いてみました。
  • ハンナ・リデルはどこかサッチャー首相を思わせますね?
Boyd:強烈な個性で「やるべきだ」と思ったことをやり遂げてしまう・・・という意味ではマーガレット・サッチャーと非常に似ている。もう一人似ていると思うのが、フローレンス・ナイチンゲールね。彼女もまた強い個性の持ち主だった。ただハンナ・リデルがサッチャーともナイチンゲールとも違っていたのは、生きた時代がビクトリア時代の英国で、しかもどちらかというと下層階級の出身であったということ。ナイチンゲールもビクトリア時代の女性だったけど、上流階級の出で、お金持ちの人々とのコネクションは沢山あった。サッチャーもリデルも労働者階級の出ではあったけれど、リデルの生きた時代の英国はサッチャーの頃と違って極めて強固な階級社会で、圧倒的に男社会だった。下層階級でしかも女が上に昇るというのは大変な時代であったわけです。ハンナは自分が下層階級の出であることを隠していたようなところもあった。

M・サッチャー
  • ハンナ・リデルは一緒にいて楽しい人物だったと思いますか?
Boyd:多分思わないでしょうね。ハンナという人はおよそ他人の意見に耳を傾けるということをしなかった人らしい。ハンセン病のことにしても、彼女には科学者としての素養なんて全くなかったのに、そうした人々の意見を聞こうとはしなかった。もう一つ、私が一緒にいて楽しいと思えたかどうか疑問なのは、彼女の強烈な宗教心。尤もこれは彼女の個性というよりも彼女の生きたビクトリア時代の英国が非常に宗教色の強い時代であったということでもある。私自身は全く宗教的でない。
  • サッチャーさんも熱心なキリスト教徒だった・・・。
Boyd:そう。ただ私が一緒にいて楽しいと思ったかどうかはともかくとして、ハンナのやったことの偉大さは認める。私などには絶対出来っこないことを意思の力と個性でやり遂げてしまった。ハンナは英国国教会という組織を事実上クビになってもハンセン病患者の救済活動を続けた。サッチャーにしても、いろいろと問題はあったにせよ、彼女のお陰で英国が立ち直ったというのは事実です。それを認めないわけにはいかない。


ハンナ・リデル記念館(熊本市)
▼ハンナ・リデルについてジュリア・ボイドが言ったことの中でむささびが興味を持ってしまったのは、ハンナは、自分が下層階級の出であることを「隠していた」(suppress)ということです。彼女と一緒に日本にやってきた女性の宣教師たちはいずれもお金持ち階級のお嬢様であったようです。ハンナは貧しい暮らしを支えようと、今で言う「塾」、それも上流階級の子息が名門校に入る準備をするための学校のようなものを開いたこともあるらしい。悪く言うと「やり手」。しかしジュリアの言うとおり、その実行力には恐れ入ったとしか言えませんね。

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5)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら

chatty: おしゃべりな

"chat" という言葉をご存じですよね。「おしゃべり」ということです。"speaking", "talking" などに比べると全く肩のこらない「おしゃべり」です。"chatty" は「おしゃべり好きな」という形容詞です。辞書を見ると
  • liking to talk a lot in a friendly, informal way
と説明されている。話し好きってことで、むささびはどちらかというと "chatty" なのではないかと思います。

で、知らなかったのですがスウェーデンの人びとは "chatty" の反対らしい。11月28日付のBBCのサイトの観光欄に、次のようなイントロの記事が出ています。
  • In Sweden, casual chattiness is seen as needless, since conversation is used for exchanging real, meaningful information.  スウェーデンでは会話というものはホンモノかつ有意義な情報を交換するためのものであり、肩の凝らないおしゃべりは無用と見なされる。
記事を書いたのは Björn Nilsson という人なのですが、"Björn" なんて、如何にもスウェーデンの名前ですよね!?そのニルソンさんによると、スウェーデン人の「おしゃべり嫌い」は、スウェーデン人自身が気づいており、必ずしもいいことであるとは思っていないようであります。
 
スウェーデン北部のルーレオー(Luleå)という町当局が最近になって "Säg hej" (Say hello) というキャンペーンを始めたのだそうです。知らない人を見かけたら町民であろうとなかろうと「こんにちは」と声をかけようではないかというわけ。キャンペーンの刷り物にはお役所からの次のようなメッセージが書かれているのでありますが…。
  • "Saying hello to your neighbours is a small thing, but research shows that it can contribute to social bonds and has a positive impact on health, safety and wellbeing." 隣近所の人たちに「こんにちは」と声をかけることは小さなことかもしれません。が、それが人間の結びつきを強め、それぞれの健康・安全・幸せに繋がるのです。

ルーレオーの街並み 

6)むささびの鳴き声
▼例によって思いつくままの書きなぐりでお許しを。あなたは毎日、どのくらい睡眠をとります?5時間?7時間?それでは足りない?上の写真は"chinstrap penguin"と呼ばれる種類のペンギンで、喉の部分を通る帯模様があごひげのように見えるので和名を「ヒゲペンギン」と呼ぶ種類のものです。英国の科学誌 "nature" のサイトによると、このペンギンの睡眠時間は一回で約4秒、一日平均で約1万回の「こっくり・こっくり」を繰り返すのだそうです。合計すると一日の睡眠時間はざっと11時間ということに…。

▼フランスの動物学者が南極大陸にあるジョージ島(King George Island)というところに10日間にわたって泊まり込んで14羽の「ヒゲペンギン」を観察した結果、どのペンギンも何時間にもわたって眠り込むということがなく、最長の「睡眠(napping)」は34秒だった。つまりペンギンたちはとてつもなく短い時間の睡眠を、とてつもない回数繰り返しながら生きているということになる。すごいなぁ!

▼100才で亡くなった米国のヘンリー・キッシンジャー元国務長官について昔の「むささび」を見ていたら、2007年1月7日に出した第101号で『強硬論者、キッシンジャーの小心?』という記事が載っていました。ワシントン・ポストのボブ・ウッドワード記者が書いた記事を紹介したものなのですが、ジェラルド・フォード大統領(1974年~77年)が、自分の政権で国務長官を務めたキッシンジャー氏について「彼ほど自分の評判に敏感で激しやすい人物はいなかった」と述べていた、と書いてある。

▼「自分の評判に敏感で激しやすい」というのを英語で何と表現するか、ご存じ?"having thin skin" というのだそうです。「薄い皮膚の持ち主」ですね。むささびはここで初めて知りました。ジェラルド・フォードに言わせると、キッシンジャーは"the thinnest skin of any public figure I ever knew"だった。「最も薄い皮膚:the thinnest skin」というわけです。

▼キッシンジャーがフォード政権の国務長官であったのは、フォードがキッシンジャーを望んだというより、フォードの前任者であったリチャード・ニクソン(ウォーターゲイト事件に関連して辞職)の政権を引き継いだときに国務長官を務めていたのがキッシンジャーだったということです。で、キッシンジャーという人は自分の評判について敏感なだけでなく「自分は絶対に間違いを犯さない」と思い込んでいるような人物だった、と。そうなると「傲慢な人間」ということにもなりますよね。それは英語では"having thick skin"というのだそうです。「ツラの皮が厚い」ってことですね。

▼最近あるSNS上で「松下政経塾」という組織の創設者とされる人物が発したとされる次の言葉を眼にしました。
  • リーダーは才能なきことを憂うる必要はないが、熱意なきことを恐れなくてはならない
▼この言葉を眼にして、むささびが大いに不愉快な気分になってしまったのは(おそらく)その独善主義のようなものが肌に合わなかったからなのでしょうね。
▼国民民主党の前原誠司という人が、同党を飛び出して「教育無償化を実現する会」という新党を結成したのだそうですね。この人は1962年生まれだから、むささびより20才若い。ウィキペディアによると、1987年に「松下政経塾」へ入塾したのですが、その頃から「外務大臣になって国の役に立ちたい」と語っていたとのこと。

▼むささびはある時期、日本記者クラブというところでバイトのような仕事をしていたのですが、その際に民主党代表(当時)に就任したての前原誠司氏を招いて記者会見を行ったことがある。むささびが記憶しているのは、前原氏が自分の発言すべき事柄を忘却してしまい、記者たちからの厳しい批判の声に見舞われたということ。ここをクリックすると出ています。2005年のことだから、もう18年も前のことなのですね。

▼だらだらと失礼しました。

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