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560号 2024/8/11 |
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3)再掲載:相模原事件―福島教授が感じたこと |
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神奈川県相模原市にある「津久井やまゆり園」という知的障害者福祉施設で、元職員であった植松聖という男が入所者19人を刺殺、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせるという出来事があったのは2016年7月26日未明のことだった。あれから8年が経ちます。 むささびジャーナルでは、その351号(2016年8月7日発行)で『相模原事件:福島教授が感じたこと』という記事を掲載しました。「福島教授」というのは、バリアフリー研究者として東京大学先端科学技術研究センターというところで仕事をされている「福島智教授」のことです。彼自身が小学生で全盲となり、高校生のときに特発性難聴により聴覚も失うという「障害者」です。 むささびはジャーナリストの大熊由紀子さんを通して、事件についての福島教授の感想のような文章を記したメールを見せてもらうチャンスに恵まれました。ごく短い文章なのですが、むささびは教授のメッセージに大いに共感してしまったわけです。そこで教授の了解を得て、むささびのコメントつきでそのまま(一人称で)紹介させてもらいました。 |
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「相模原事件」を受けて考えたこと 福島智教授のメッセージ むささびジャーナル351号(2016年8月7日)
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ヒットラーの優生思想 今回の事件報道からまず連想したのは、ナチス、すなわち、ヒットラーによる優生思想にもとづく障害者抹殺という歴史的残虐行為です。ホロコーストにより何百万人ものユダヤ人が抹殺される一方で、ナチスは精神障害者や知的障害者らをおよそ20万人殺したと言われています。その優生思想に「科学的」根拠をあたえたのは、優生学の首唱者である英国のフランシス・ゴールトン(1822~1911)であり、アメリカの優生学者、ヘンリー・H・ゴッダード(1866~1957)です。 ゴッダードは、『カリカック家 -- 精神薄弱者の遺伝についての研究』(1912年出版)という著作で知られており、20世紀初頭の当時では、たいへんな影響力を持った研究者だった。ただ私が指摘しておきたいのは、『カリカック家の研究』で使われたデータがかなり杜撰(ずさん)な調査や研究によって集められたものであり、そのようなデータをいくら分析しても、得られる結果は「偽物」でしかないということです。 見せかけの「科学分析」 何らかのサンプルについて統計学的処理をすると、いかにも科学的分析をしているかのように見えます。しかしそもそものサンプルの抽出の仕方や意味づけが誤っていたら、いくら統計的処理をしても真相にはたどり着きません。しかも統計学はおおむね5パーセントのデータを切り捨ててしまいますから、障害者のように、非常に複雑なファクターがあり、それぞれのサンプルが少ない対象について、統計的処理をしたとしても、何の意味もないことが多いということです。 私はゴッダードの研究に科学が持つ功罪両面の「罪」の側面を痛感します。何故なら『カリカック家の研究』によって広められた優生思想は、その後ナチスにより最悪の形で具現化されたからです。 こうした歴史的経緯からの連想として、私は、「相模原事件」の容疑者が何らかの理由でナチズムに思想的感化を受けたのではないかと想像はしていたのですが、その後の報道で「ヒトラーの思想が降りて来た」という容疑者の発言が伝えられて、背筋の凍る思いをしました。 生物学的殺人と実存的殺人 被害者たちのほとんどは、容疑者の凶行から自分の身を守る「心身の能力」が制約された重度障害者たちです。こうした無抵抗の重度障害者を殺すということは、おそらくニ重の意味での殺人です。一つは、人間の肉体的生命を奪うという意味での「生物学的殺人」。もう一つは、人間の尊厳や生きる権利と存在価値そのものの抹殺であり、これらの尊厳や価値を、優生思想と究極の能力主義的思想によって否定すると言う意味での、いわば「実存的殺人」です。 前者(生物学的殺人)は人間の個別の肉体を物理的に破壊する殺人ですが、後者(実存的殺人)は、人々の思想・価値感・意識に浸透しむしばみ、社会に伝播・波及するという意味で、「脳にとってのコンピュータウイルス」のようなとんでもないしろものだと思います。 しかし、それは障害者に対してだけのことではありません。人間に対する経済的価値にもとづく序列化、人間の存在意義の軽視・否定の論理とメカニズムは、徐々に拡大していき、最終的には大多数の人を覆いつくすでしょう。つまり、極ひとにぎりの「勝者」、「強者」だけがむくわれる社会になるということで、すでに、日本も世界も、本質的にその状態にあると言えます。 障害者軽視の行く末 障害者の価値や存在が軽視・否定される思想とは、すなわち、障害の有無にかかわらず、すべての人が軽視・否定される潜在的危険にさらされる社会にいたる思想的傾向でもある、という認識が重要だと思います。 今回の事件は、たしかに特殊で極端なものかもしれませんが、彼をこうした行動にかりたてたもの、そうした危険な傾向の背景には、私たちの社会に基調低音のようにして確かに存在するもの、ふだん表面には出にくいもの、まるで現実の「地下」を流れているような思想や意識が関係していると思います。 |
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