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 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
564号 2024/10/6


目次

1)スライドショー:A・ヘップバーン
2)戦争の種
3)再掲載:キャメロンが目指した "well-being"
4)The Economist: 石破・日本のこれから
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
7)俳句

1)スライドショー: A・ヘップバーン

世界の一流写真家が集まるグループといえば「マグナム」ですが、そのマグナムのサイトを見ていたら、映画女優のオードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)をモデルにした作品を集めたセクションがありました。生まれは1929年、1993年に63才で亡くなっています。生まれはブリュッセルですが、育ったのはイングランドだったそうです。

彼女の映画、見たことあります?むささびが見たのは『ティファニーで朝食を』という作品でした。この作品そのものが制作されたのは1961年、むささびは大学生だった。でも映画館で実際に見たのは(おそらく)10年後くらいだった。やたらと綺麗だったことだけ憶えています。懐かしい…

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2)戦争の種

戦争になったら日本の若者は戦場に行くと思いますか…?北九州の東八幡教会の奥田知志牧師がある人物からこう聞かれたのだそうです。この質問は東八幡教会のサイトに掲載されている「巻頭言」というセクション(9月1日付)に「戦争の種」というタイトルで掲載されていたものです。奥田牧師のエッセイは普通は「むささびの鳴き声」の欄で紹介させてもらうのですが、今回は詳しく説明する必要があると思うので、普通の記事の一つとして紹介させてもらうことにしました。


イスラエルとパレスチナ、ロシアとウクライナ等など最近の国際ニュースから「戦争」がなくなることが全くない。が、国内の政治関係の報道を見ていると、憲法第9条を含めて戦争の問題が極めて雑に扱われており、昭和16年(1941年)生まれのむささびなどにはついていけない気がします。奥田牧師は1968年生まれだから、むささびよりほぼ30才も若い。その分だけむささびとも感覚が違ったりするかもしれない。

で、あなたはどう思います?「戦争になったら日本の若者は戦場に行くと思う?」と聞かれて何と答えます?奥田さんにこの質問をした人は「今どきの若者がお国のために死ぬとは思えない」というわけで、日本の若者も戦場には行かないだろうと言ったのだそうです。で、奥田さんは次のように考えた。
  • 武器のIT化が進んでも戦場は結局のところ「兵士」を必要とする。誰も戦場に行かなければ戦争にならない。この方の言う通りなら戦争はできない。それならそれでいいのだが。僕は半分うなずきながら「そう楽観できないかも知れませんよ。一夜にして変わるかも知れません」と申し上げた。
インターネット全盛のいま、ウクライナやガザに見るように武器による殺し合いという意味での戦争が進行してはいるけれど、奥田さんによると、インターネットの世界で横行するのは戦争そのものよりも「戦争の種(タネ)」のようなものなのではないか、と。

戦争のタネの世界では、自分の敵と思われる人物やグループを叩きまくる(バッシング)わけですが、普通のメディアと違い、ネットの世界ではバッシングを行っている人間は自分の名前を明かさない(匿名性)。匿名だから言いたい放題のことが言えるわけですが、ネットの世界には、匿名の言葉を支持・支援する匿名の味方がおり、「いいね」などを通じて匿名メッセージの拡散を促進する。こうして「真偽不明の情報が広がり、それが消えない(デジタルタトゥー)」という状態に。

「匿名」による言いたい放題 (バッシング)の根底には、匿名人間が勝手にこだわる「正義感」がある。奥田牧師はこれを「歪んだ正義」と呼んでいるのですが、自分には正義を行う「大儀」があると思い込んでいる。奥田牧師は
  • 「匿名性」と「正義感」は戦争遂行に欠かせない要素だと思う。
と指摘している。
 

奥田牧師はここで桑原重夫という牧師が書いた『天皇制と宗教批判』(社会評論社1986年)という本に出てくるある人物の話をします。戦争中、桑原牧師が勤務していた工場にTという先輩がいた。農家の長男で温厚、後輩の面倒見も良い、好人物だった。その人が現役兵として中国戦線に従軍した。戦後、復員して元の職場に復帰、人柄や仕事ぶりは以前のままだった。しかし、時にTさんがする戦場での「自慢話」には驚いたという。


中国で現地人を相手にTさんを含めた日本人によって行われた乱暴狼藉について語るのですが、それらを「さも当たり前のように話す」のですが、桑原牧師によると「そんな時のT君が、いちばんいきいきとしていた」とのことで、故郷でのTさんと中国におけるTさんとの間には同じ人間とは思えない差があった。そのことを桑原牧師がTさんに言うと彼の口から返ってくるのは『国が保障してくれているのだから、どうということはない』というものだった。そして次のような言葉で会話が終わるのがいつものことだった。
  • 一生しがない百姓のせがれとして生きていかねばらない自分にとって、あの時ほど満足感を味わったことはない
というわけで、このエッセイを締めくくる奥田知志牧師を下記のように記しておきます。


奥田知志牧師
戦争となれば個人は消え匿名化できる。すべてを「国が保障してくれる」から「個人の責任」は霧散する。「大東亜共栄圏」など国が扇動する「大義(正義)」が与えられ「自分は正しいことをしている」「相手は鬼畜であって成敗の対象」ということになる。自らの存在意義に不安を抱える人ほど「満足感」を得ることになる。これはネット上で多かれ少なかれ起こっている現象に通じているのでは。「所詮ネットの出来事に過ぎない。奥田は大げさすぎる」と思われる方もおられるだろう。そうならばその方が良い。心配症の僕はネットの出来事が「戦争の種」にならないことを祈るだけだ。
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3)再掲載:キャメロンが目指した "well-being"
 

2010年12月5日に発行したむささびジャーナル203号に『英国はwellbeing社会を目指す』という見出しの記事が掲載されています。当時の英国はデイビッド・キャメロンを首相とする保守党政権の国だったのですが、政府の方針として、英国という国を「人びとがwell-beingを感じながら暮らしている社会にしよう」というのがあった。"well-being" という英語をCambridgeの辞書で引くと "state of feeling healthy and happy" と説明されている。要するに「健康で幸せ」な状態のことを言うのだと思うけれど、何を基準に国民が「健康で幸せ」などと言えるのか?

英国人が目指す well-being とは?



2010年11月25日付のBBCのサイトによると、キャメロン政府の方針として英国のwellbeingの度合を統計的に調査することになっているのだそうです。「社会の進歩を経済成長だけで計るのは不完全で、人々の暮らしの質も考慮に入れるべきだ」(economic growth is an "incomplete" way of calculating progress, and that it should also include quality of life)というのがキャメロンの発想で、来年4月から英国統計局( Office for National Statistics: ONS)が全国的にwellbeing調査を実施することになっているのだそうです。

wellbeing調査は200万ポンドの予算を使って行われ、かなりの長期にわたるものなのですが、キャメロンとしてはその調査結果をこれからの政策に生かしたいと考えているようです。実はキャメロンが保守党党首に就任した2005年当時からwellbeingを政策ビジョンの中心に据えることを言っており、ある演説で次のように語っている。
  • Wellbeingはお金で測ることも市場で取引きされることもできないものです。それは我々の環境の美しさであったり、文化の質であったり、何と言っても我々同士の人間関係の強さに関係するものなのです。社会としてのwellbeing感覚を向上させることこそがいまの時代の政治的挑戦の中心に据えられるべきなのであります。 Wellbeing can't be measured by money or traded in markets. It's about the beauty of our surroundings, the quality of our culture and, above all, the strength of our relationships. Improving our society's sense of wellbeing is, I believe, the central political challenge of our times.
<photo>

「幸福感」というのはきわめて個人的なものであるということで、政府が行う統計調査にはそぐわないのではないかと思われ勝ちですが、wellbeingという概念を政策にとり入れるという考え方は、ノーベル経済学賞のJoseph E. StiglitzやAmartya Senのような経済学者によって提唱されており、フランスのサルコジ政権などは経済指標の一つとして採用しているのだそうですね。

現在は国力を計るうえでGDPの数字を使うのが一般的ですが、Stiglitzらによると、GDPはあくまでもその国の経済活動を示す数字であり、社会としての健全さなどを示すものではない。にもかかわらずいつの間にかGDPが大きいことが国として進んでいるかのように言われるようになってしまった。石油消費が大きい国はGDPも大きいかもしれないが、交通渋滞も空気汚染もひどいという事実はGDPの数字には表れない、ということがStiglitzらの主張なのですね。例えば仕事と生活のバランス(work-life balance)とか持続性(sustainability)等々の要素も社会が目指す指標と考えるべきであるということです。

それにしてもwellbeingであれhappinessであれ、人によって価値観が異なるのだから一般化して政策に役立つような統計にするためにはどのようなことを質問するのか?がポイントです。このことについてBBCのサイトは次のような例を挙げています。
  1. 最近、どの程度生活に満足していますか?How satisfied are you with your life these days?
  2. 昨日はどのくらいハッピーでしたか?Overall, how happy did you feel yesterday?
  3. 生活の目標をどの程度持っていますか?How much purpose does your life have?
  4. 職場や家庭で男と女が公平に扱われていますか?Are men and women treated fairly in the workplace and home?
これらの質問に対して10段階に分けて答えてもらう。ゼロは「全く否定的」で10は「全く肯定的」というわけです。この種のアンケート調査を繰り返し行うことで、国のwellbeing度が客観的に統計としてとれるのではないかということであります。

▼英国メディアによると、経済の回復が至上命題とされている今の時期に「経済がすべてではない」というニュアンスのwellbeing推進を持ち出すことについては、キャメロン周辺でも大いに疑問視する声があったのですが、キャメロンが押し切ってしまったのだそうです。

▼私の解釈によると、wellbeing推進を持ち出すのは、一種の精神運動なのではないか。価値観を変えようという呼びかけともとれる。それを政府がやるのは大きなお世話だ・・・という意見が多いであろうということは想定のうえで、あえて政府が税金を使ってやる方向に進んでいる。これまでの保守党単独政権とは違うということかもしれないけれど、私は単独・連立には関係なく「キャメロンのやり方」なのではないかと考えています。

▼世界第2位の経済大国の座を中国に譲りかけている日本で暮らす我々の場合、wellbeingを持ち出すというのは単なる「負け犬の遠吠え」ということになるのか?英国も日本も製造産業からサービス産業に移行しているという点では似たような経済構造なのだろうと思うのですが、我々の首相が「GDPだけが国力ではない」というわけで、国民のwellbeing度を調査する費用として2~3億円の予算を計上したらどうなるでしょうか?「事業仕分け」にひっかかってアウトですかね。

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4)The Economist: 石破・日本のこれから
 

10月3日付のThe Economistが社説で日本の石破茂首相について語っているのですが、それによると石破さんは「うるさ型転じて指導者になった人間:gadfly-turned-leader」であり、「社会的にはリベラルで防衛力の強化に力を入れており、日本の新首相としての有望さを示している:Socially liberal and strong on defence, Japan’s new premier shows promise」としながらも
  • 自分の党をコントロールするためには、彼がこだわっているように見える「変わった考え方」を棄てなければならない But he must ditch his more eccentric ideas if he is to control his party
とのことであります。以下、社説の「はしょり訳」です。
 

今や世界中が安定を欠いて揺らいでいるように見える中で、日本だけは「静かながらも安定した力」のように見えるけれど、国内の政治状況を見ると必ずしも静かとは言えない。度重なるスキャンダルのおかげで自民党に対する国民的な信頼は損なわれて、岸田首相は退陣に追い込まれた。揺れ動く船を安定させるべく、自民党が選んだのが石破茂という人物だったわけだ。彼は(自民党政治にあっては)長い間「アウトサイダー」の立場にあり、自民党の総裁選でも4回も落選してきた。そんな石破が学んだのが
  • 成功するためには、単に批判するだけでなく、リードすることも学ばなければならない。To succeed, he will have to learn to lead, rather than merely criticise.
ということだった。ここでいう「成功する」というのは、政治家として成功すると言う意味なのだろう、と。 


政策の分野で石破が経験を積んできたのは防衛問題である。石破は第二次大戦中の日本の行いについてはきわめてフランクであり、その点では韓国との「重要ながら危なっかしい関係:vital but tetchy relationship」を正常化することに力を発揮することができる。中国との関係については、日本の防衛力を強化する一方で会話も維持するという姿勢を貫いている。つまり石破は「頑固ながら率直:stubborn and outspoken」な存在であるということだ。

ただ、石破は経済問題には知識もやる気も少ない(less knowledgeable or passionate)かもしれない。日本において忘れられている「地方の活力」を復活させる話はするけれど、具体的な提案には乏しいように思える。経済問題は「専門家:technocrats」に任せておけばいいということかもしれない。となるとこの分野における「大失敗:missteps」の可能性は 低い。例えば柔軟性に富む労働力市場の創造(making labour markets more flexible)のような政治力を必要とする改革も難しいかもしれないということだ。 

The Economistは最近の自民党の総裁選では石破よりもダメな総裁(worse leader)が選ばれる可能性があった、というわけで、その例として高市早苗氏を挙げている。自民党の右翼勢力の代表とも言える政治家で、彼女が勝っていたら、日本は第二次大戦中の評判の良くない行いを自己批判することがない首相を有することになっていたというわけ。「高市首相」なら靖国参拝を繰り返すことで韓国や中国との関係をさらに悪くすることになっていたであろう、と。高市氏はまた防衛費の大幅増額を主張していたけれど、財源について信頼できそうな説明はなかった。


高市氏はまた夫婦同姓を求める法律の堅持を主張(つまり結婚に当たっては常に妻が自分の姓を諦める)していた。この法律は時代遅れで性差別的とされながらも保守的な人びとは家族のハーモニーを堅持するということで賛成していた。

総裁選の決選投票で自民党内の反高市グループが団結できたことは「悪いことではない:heartening」けれど、他の選択肢がなかったのは喜ばしいことではなかった、とThe Economistは主張します。総裁選では9人が立候補、稀に見る多数ではあったけれど「変革」を求める候補者はいなく、能力のありそうな候補者は人気がなくて、人気がありそうな候補者は欠陥だらけ(all deeply flawed)だったとThe Economistは主張している。

石破新首相は10月27日に総選挙を行うと発表、自民党の勝利が予想されている。戦後の日本の歴史を見ればそのとおりだったことがわかる。但しそれは有権者が望んだからではなく、野党が余りにも「お粗末:shambles」だったということだ。日本の有権者は一番最近の「野党政権」の混乱ぶりを記憶している。民主党(Democratic Party of Japan:DPJ)は3年間で3人の首相を据え付けた。その間の2011年に東日本大震災にともなう津波や原発事故があった。現在の野党が賢明であったならば、彼らが過去から学んだことを有権者に提供しようとするはずだ。なのに主要野党が選んだリーダーは野田佳彦氏、12年前に首相として拒否された、あの人物である。民主党が選んだ3人の首相の最後の人物だ。
 

と、そうなると10月27日の選挙では石破の自民党が勝利する確率が高い。そうなると石破首相もさまざまな政策を実施するだけの時間が与えられるかもしれない。

ただThe Economistによると、石破首相の頑固さが故の心配もある。例えば彼が考えているとされるアジア版のNATOの創設がある。対中国政策の一環であると同時に日本における米軍の管理にも拘わっている。石破氏によると現在の米軍の日本における行動はバランスを欠いている…というわけで、The Economistの結論は
  • アジア版NATOという発想も、日米の平等な軍事管理という発想も、よく言えば「変わっている」し、悪く言えば(地域の)安定を破壊しかねないものではある。石破首相が「できっこない戦い」を選ぶとすると、彼の政権は倒壊の危機に瀕すると同時に彼自身を信頼していない政党(自民党)を管理しなければならなくなってしまう。石破氏が学ばなければならないのはただ一つ、現実主義である。それも一刻も早く学ばなければならない。Both ideas would at best be distracting and at worst destabilising. If he picks impossible battles, his administration will stumble and he will struggle to keep control of a party that has never trusted him. He will have to learn pragmatism, fast.
ということになる。
 
▼結論の部分で、The Economistは石破氏に対して「現実主義を身につけろ:He will have to learn pragmatism」と言ったうえで "fast"(急げ)とせかすような言葉を使っている。おそらく若いころからのキリスト教徒である石破氏の思考方法に対して好意的な意見なのでしょうね。
 
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5)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら

sextortion: セクストーション

"sextortion" と言う言葉、数日前のBBCのサイトで "‘I thought my life was over’: Escaping the sextortion scammers" という見出しの記事を見るまでは全くお目にかかったことがありませんでした。この文章を訳すと「セクストーション詐欺から逃れようとするうちに、私は自分の人生が終わったのかと思った」となりますよね。でも意味は分からない。この言葉をCambridgeの辞書で引くと
  • the practice of forcing someone to do something, particularly to perform sexual acts, by threatening to publish naked pictures of them or sexual information about them: 他人に性的な行為を演じさせること。その手段としてその人の裸体写真を公表したり、その人についての性的な情報を公表すると脅かすこと。
としたうえで "Sextortion is a crime of the digital age" (セクストーションはデジタル時代の犯罪である)と書いてある。何だかよく分からない。大阪府警のサイトには
  • インターネット上で出会った異性に、「恥ずかしい姿の見せ合いをしましょう」などと持ちかけ、画像や動画を送信させてから、「裸の画像をお前の知り合いに送るぞ」などと脅迫し、電子マネーなどを脅し取る手口です。
として、犯罪者の手口がイラスト入りで説明されている。被害者は主に男性なのだそうですが、むささびにはあまり縁がないようで…。


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6)むささびの鳴き声
▼本日(10月6日)付の東京新聞「本音のコラム」欄を読んでいたら現代教育行政研究会の前川喜平代表が『石破茂氏の国賦人権説』というタイトルの短いエッセイを書いていました。前川さんはかつては文部科学省の官房長を務めていたのですが、その頃(2013年頃)に自民党の幹事長だった石破茂氏と話をする機会があった。その会話の中で石破幹事長が「日本の憲法では天賦人権説を採るべきでない」と語るのを聴いてびっくりしてしまったのだそうです。

▼「天賦人権説」というのは、人権というものは「すべての人が、人であるがゆえに当然に有する権利だという思想」のことを言います。世界人権宣言や国際人権規約のような決まりごとの底流を流れる思想のようなものである…と前川さんは理解している。しかし石破幹事長によると「それは日本にはあてはまらない」とのことだった。石破氏によると「日本において人権とは、国が国民に与える権利」とのことだった。人権は「天賦」ではなく「国賦」である、と。石破氏の国賦人権説によれば、「国民ではない外国人には人権がないことになる」とも。

▼石破氏らの「国賦人権説」では「国民の人権と義務は表裏一 体なので、義務を果たさない国民は人権を主張できない」というわけで、「国が戦争を始めたら、国民は戦場で戦わねばならぬ。 それが人権の代償だ」ということになる。前川さんのエッセイは『石破首相が、目指す改憲は、こんな人権観に依拠する危険極まりのないものである‼️』という言葉で終わっている。

▼前川さんのエッセイを読みながら、石破幹事長(当時)らの「国賦人権説」を「危険極まりのないもの」という前川さんの声に相槌を打ちながらも、むささびが感じていた「物足りなさ」の原因はどこにあるのか?と自問自答した結果、前川さんが「天賦人権説」については殆ど語っていないということにあると結論づけた。「人権というものは、すべての人が、人であるがゆえに当然に有する権利」というあれです。現在地球上で進行中の戦争の原動力となっているのは、それぞれが主張する「天賦人権説」なのではないか?ということ。イスラエルもロシアも、それぞれの人権は「天から与えられたもの」と確信している。そのような確信に対する疑問は全くないのか?

▼それはともかく、このような議論の中でキリスト教徒としての石破さんは何を想っているのでしょうか?

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