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003 情報化社会は国としての存在の証

前回にも少しだけ言いましたが、フィンランドという国は「3世代前までは貧しい農業国家だった」とThe Information Society and the Welfare Stateという本に書いてあります。その国が世界に冠たる「情報社会・福祉国家」になったいきさつについてもう少し詳しく書かせて下さい。

日本が明治維新を迎えていた1867年-68年はフィンランド史では「飢餓の年」とされています。農作物の不作に冬の寒さが重なって12万人が死んだそうです。これ、当時の人口の6.5%にあたる大変な数字です。フィンランドという国やフィンランド人にとって寒さの中で肉体的に存在すること自体が大変なことであった時代があったということです。しかもそれほど昔のことでなく,フィンランドが貧しい農業国家から工業国家へと変身するのは1950年代のことです。

さらに1990年代初頭にはソ連の崩壊という事情も手伝って大変な経済不況を経験しました。フィンランド大使館の人に言わせると「We were forced to change」(変わらざるを得なかった)という状況であったのです。フィンランドという国は物理的に「生きていくのやっと」という状態を生き延びてきた国であるわけです。

もう一つフィンランドという国を特徴付けているのが政治的な「生き残り(サバイバル)」の歴史です。簡単にいうとフィンランドは13世紀から19世紀の初めまではスェーデンの一部、その後の100年はロシアの一部でありました。1917年になってようやく独立国家になるのですが、1939年にはソ連から攻め込まれ、第二次世界大戦中の1941年にはドイツの対ソ攻撃のための基地のような扱いを受けた。戦後は戦後でソ連と「西側諸国」の狭間で微妙なバランスをとりながら生きながらえてきた。

このような歴史を持つフィンランドの場合、常に国としての存在を主張すること自体が文化にもなってきたようなところがある、とThe Information Society and the Welfare Stateの著者は語っています。情報化社会の奨励はフィンランドが国として「生き残る」ための自己主張計画の一環でもあるわけです。

この著者はフィンランド人の国民性として「自分達は常に少数派である」というコンプレックスのようなものがあり、異なった文化との接触(多文化主義)には弱いという問題があるとしています。著者によると情報化時代に生きるということは、必然的に異文化との共存なしにはあり得ず、将来のフィンランドにとって「少数派意識」の克服は課題の一つであるそうです。でも「少数派意識」といえば日本人も相当に「少数派的」ですよね。(2003.4)

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