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005 女性の社会参加 | |
今年(2003年)3月に行われた総選挙の結果、女性のアンネリ・ヤーッテーンマキ氏が首相に就任したことによって、フィンランドでは初めて首相と大統領(タルヤ・ハロネン)の両方が女性ということになりました。フィンランドの政治には女性が大いに参加しています。国会議員200人のうち75人(37・5%)が女性ですし、アンネリ・ヤーッテーンマキ首相が率いる内閣の閣僚18人のうち半数の9人が女性で占められています。 フィンランドの女性が選挙権と被選挙権を獲得したのは1906年のことですが、女性の参政権獲得としてはヨーロッパでも一番早く実現していますし、被選挙権にいたっては世界でも一番最初に女性にその権利が認められた国でもあります。女性初めて被選挙権が認められた翌年に行われた選挙では19人の女性が国会議員に選ばれています。議員総数は当時も200でしたから、女性議員の占める割合は100年前でもほぼ1割であったことになります。 ちなみに2003年の日本の衆議院議員475人のうち女性議員は7・1%で34人、参議院は246人中の36人で14・6%。それから英国の下院議員は659人中の118人ですから約18%ということになります。 要するにフィンランドにおける女性の社会参加は日本よりもはるかに高いということなのですが、フィンランド人のジャーナリストであるイルマ・サルクネンという人が次のように語っています。 「女性の政治参加を国際的に見ると極めて面白い現象に気が付く。過激な女性解放運動が盛んであった国に限って女性の政治参加が遅れている。女性選挙権が最初に認められたのは1893年、ニュージーランドでのことである。2番目がオーストラリアで1902年。アイスランドとノルウェーが1913年、デンマークが1915年である。いずれも"小国"と呼ばれる国ばかりである。何故か英国やアメリカの場合は1920年代まで待たなければならなかったし、フランスにいたっては第二次大戦後になってからである」。 英米仏と言えば「ウーマンリブ」のような運動の盛んな国とされているのに、実際には結構遅れているではないかというわけです。ちなみに日本における女性の選挙権獲得は1945年12月となっています(平凡社百科事典)。 フィンランド女性史の研究家であるメルヤ・マニネン氏によると「女性の政治参加が認められた1906年当時のフィンランドはヨーロッパの中でも一番工業化の遅れた農業国であった。農業においては男も女も野良仕事を一緒にするという生活をしていたのだから女性の社会参加の条件は既に整っていた」ということです。フィンランドの場合は女も一緒に働いており、他のヨーロッパの国々のように「上流階級」とか「優雅な貴婦人」のような存在が無に等しかった。 そう言われてみるとアメリカとか英国のいわゆる「女性解放運動家」というのはこの種の階級の人が多いのでは? 今のフィンランドでは女性の70%が仕事(フルタイム)を持っており、特に病院、学校、福祉などの分野においては7割が女性だそうです。また1987年にはフィンランド国教会(ルーテル派)が女性の牧師を受け入れることを決めています。 但しメルヤ・マニネン氏によると「フィンランドは必ずしも男女平等社会とは言えない部分もある」そうで、「企業幹部は90%が男だし、繊維・ゴム・皮革製品などの低賃金の仕事は女性がしているケースが多く、一般的に言っても女性の給料は男性のそれに比べると2割は低い」と言っています。 ちなみに最近、文化大臣にかつての「ミス・フィンランド」が就任したのですが、東京にいるフィンランドのインテリ(女性)が"shocking"であると言っておりました。shockingというのは悪い意味で「驚いた」ということです。でもこの「ミス」の場合、4-5年前から国会議員を務めていたはずなんだから今更shockingというのは当たらないんでは?そう言えば駐日フィンランド大使夫人はヘルシンキ市役所の「偉い人」だったとか聞いたことあります。 |
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