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どうでも英和辞書 むささびの鳴き声 美耶子のコラム green alliance
むささびの鳴き声
005 ええことしたいんですわ
英国大使館というところに勤務していた最後の年(2002年)に日英グリーン同盟という植樹活動を担当させて貰った。その間、どうしても忘れられない電話の会話があった。大阪のある会社経営者からのもので、グリーン同盟のことを聞いて「自分も一本植えたい」というものであった。英国商品の輸入販売をしている会社の社長さんのようであった。
  • 「で、どこに植えるのですか?」と私。
  • 「あたしが昔通った小学校だんね」
  • 「その小学校が何か英国と関係でも?」
  • 「ありまへん、何も。ただグリーン同盟は日英同盟100周年記念事業ですな。その小学校も来年(2002年)で創立100周年なんですわ」
  • 「はぁ・・・」
  • 「あきまへんか?あたしも今年で60なります。今まで商売・商売ばかり考えてきたんですわ」
  • 「ええ・・・」
  • 「ここらで何か世の中のためにええことをしたいと思うんですわ」
  • 「なるほど・・・とにかくこちらで検討させてください。それからお返事を差し上げます」
というわけで電話を切ったのであるが、私としては、ここだけは植えて貰いたいと心に決めてしまっていた。「世の中のためにええことしたい」の一言に参ってしまったのである。もちろん私の一存で決めるわけにはいかない。大使館内の了解を取り付ける必要があった。その人が「ええことしたい」というだけでは理由としては弱すぎる。私が挙げた理由は「校庭に植えるのは環境教育活動でもある」というもので、スンナリと受け入れられてしまった。 で、2002年2月、この小学校の創立100周年記念行事の一環としてイングリッシュオークの植樹式が行われた。送ってもらった写真によると、大阪の英国総領事夫妻も参加して盛大に行われたようであった。

「何か世の中のためにええことをしたいんです」という私と同年代のこのビジネスマンの真意のほどは分からない。純粋にそう思ったのかもしれないし、ひょっとすると彼なりの「名誉欲」のようなものがあったのかもしれない。あるいはその両方であったかもしれない。 さして大きくもない(と思われる)会社の経営者である。おそらく毎日が商売のことでアタマがいっぱいの筈だ。50年も前に卒業した母校に小さな木を一本寄贈したからといって「金儲け」には何の関係もないだろう。ひょっとするとそれが商売とは何も関係がないからこそ、オークの木を植えたいと(彼なりに)切実に考えたのかもしれない。商売の話であれば「立て板に水」の如くいろいろな言葉を使って私を説得できたかもしれないのに、オークの話ともなると「立て板に水」の反対で「横板に水あめ」のように殆どシドロモドロな言葉しか出てこなかったのかもしれない。あるいはそれも演技で・・・など、考え始めればきりがない。

日英グリーン同盟では日本全国200ヶ所を超える町や村に、背丈1mという英国生まれのオークが植えられた。オークを植えた理由もさまざまである。大々的な植樹式を行ったところもあるし、何もセレモニーはなしでひっそりと植えられたところもある。平均すると一本のオークを植えるのに少なくとも10人の人たちが土をかけたり、近くでこれを見守ったりしたはずである。合計すると、どう少なく見積もっても2000人以上の人たちが英国生まれのオークの木を植えることに係わったことになる。

どことなく可笑しいのは、国会議員や県知事、市長らの「偉い人たち」であれ、幼稚園の子供であれ、スコップでオークの根元に軽く土をかけるという全く同じことをやり、土をかける瞬間は何か非常にいいことをしているような気分になったのではないかということである。式が終わるとオークのことなどけろっと忘れてしまうとしても、だ。

「世の中のためにええことをしたい」と言っていたあの大阪のビジネスマンも、あの日に植えたオークのことなど忘れてしまっているかもしれない。しかし彼が忘れようが覚えていようが、あの小さなオークは、あの小学校に植えられて子供たちと毎日を過ごしている。大きく育つのか、途中で枯れてしまうのか、誰にも分からない。順調に育てば30年後には大きな枝を広げて夏には涼しい木蔭を作っているであろう。「ええことしたい」と言ったビジネスマンも、彼の言葉に動かされてしまった私も90才になっている。

それまで生きていたとしたら、私はそのビジネスマンと二人で、その小学校へ行って立派に育ったオークの木を眺めてみたいと思っているけれど、これには越えなければならないハードルが二つある。一つはその小学校が統廃合されることもなく、生き残っていなければならないということ。そしてもう一つには、二人合わせて180才にもなる老人がその小学校へ行っても「あんたら、なんやね」と校門のあたりで追い返されてしまうかもしれないということである。二人とも言葉もまともに喋れずに、ただ「アー、アー」とか言いながらしわくちゃな手で構内のオークを指さすしか能がないかもしれない。「あの木は我々が植えたんです・・・」と言いたいのであるが、歯は抜けているし、ろれつも回らない。結局守衛に追い返されて・・・こちらのハードルは小学校の統廃合などよりも、もっと高い。